著述等身
ちょじゅつとうしん
著作が作者の身長に等しいほど多産なことを「著述等身」または「著作等身」という。数多くの小説や劇作で知られた作者や生涯を著述にささげた学者への賛辞として用いられている。
竹簡に手書きして「汗牛充棟」といった時代には「等身」では足りなかっただろう。『史記』五二万字の編冊を思えばわかる。古典ドラマで壁面を覆う書棚や書籍を牛車や馬車に積んで運ぶ場面を見かける。「学富五車」というのが分量でいう知識の豊かさであった。
紙の時代になって公文書も竹冊を排し、宋代には蔵書や読書量が多いことで「等身書」(読書等身)がいわれ、その後に「著述等身」が用いられた。印刷時代の「等身書」は四〇〇〇万字というから現代の量産作家でも作品が等身高になることは稀れである。「他人が珈琲を飲んでいる時も書いていた」と記す魯迅が一一〇〇万字というから「著作半身」にも及ばない。
さて、IT革命の後には労作多作の人をどう表現することになるのだろう。
趙翼『瓯北詩鈔』など