目迷五色
もくめいごしき
色や香は五感を刺激して脳を活性化すると有名化粧品の宣伝にあったが、そうだろうか。先人は逆に「目は五色に迷う」という。
色はいまでは人為的につくれるからその数は無限といっていい。人為的色彩による感覚のマヒを予見しているようなことばである。老子は「五色は人の目を盲ならしむ」といい、荘子も「五色は目を乱す」という。さまざまな色彩に迷わされていると、色を失っていく夕暮れの風景が目にやさしい。モノクロ写真や映画や夢が伝える情感には捨てがたい味がある。
古来、伝統の五色は青赤(朱)白黒(玄)黄で、これがいわゆる正色。正色の朱に対して間色の紅や紫が際立って正色の朱を乱すことを「紅紫は朱を乱す」(紅紫乱朱)といった。たしかに誰の目にも朱衣よりも紫の袈裟や紅裙(紅いもすそ)のほうが目立つ。人びとが好む衣装の色は時代表現のひとつだが、正統というものはワンポイント目立たないところにあるものだと知る例証でもある。
沈徳符『万暦野獲編』など