連載「四字熟語の愉しみ」 web「円水社+」
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先人の叡智に習う「四字熟語」
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2024年3月の「四字熟語の愉しみ」は
「声聞過情」「目撃道存」「麦秀黍離」「痴人説夢」を書きました。
「声聞過情」(せいぶんかじょう)20240306
名誉声望が実際の状況を超えていることを「声聞過情」(『孟子「離婁・下」』から)といいます。孟子は、実績を伴わない名声は水源のない水流のようなもので、「君子はこれを恥」としています。常に当人に自省の意識があってこそ、不断の評価が成り立つというのです。「声聞」にかかわる成語でよく知られているのは、後漢の歴史家班固が王位を簒奪した王莽を評した「悪、聞くに忍びず」(悪不忍聞)でしょう。積み上げて得た「声聞」を痕跡なく破壊し収拾つかなくするのが「声名狼藉」で、評判を聞いて驚き胆を喪うのが「聞風喪胆」、民衆は怒りや哀しみを声に出せずに抑えねばならず、「忍気呑声」に耐えているのです。
前世紀に国際的に先人が築きあげた名誉声望どちらも評価される「令聞令望」を誇ってきた日本は、GDPで中国、ドイツに抜かれインドに迫られ、一人あたりGDPでは30位以下に埋没していまや「声聞過情」の状況に陥っています。この「前代未聞」の状況を招いた君子(政治家)たちは、これを「恥」として衆議院を解散し国民に信を問うしかないでしょう。
「目撃道存」(もくげきどうそん)20240313
釈尊が天竺(インド)の聖地霊鷲山での説法で、蓮の花をひねって「拈華微笑」(ねんげみしょう)したとき、大勢の弟子たちの中で摩訶迦葉だけがその意味合いを微笑して理解したという逸話から、禅宗の「不立文字」の奥義が生じましたが、ことばを介することなく凝視する目撃によって「道」を受容する「目撃道存」(『荘子「田子方」』から)が道教の荘子の立場となっています。のちに晋代の「竹林七賢」のひとり阮籍は、自著を残していますが、その言説よりも長嘯によって本意を伝えたといわれています。阮籍は気にそわない人物には「白眼」で対したことで知られます。
ことばなく情意深く見つめることに「脈脈無言」があります。春の杏の花の季節を待ちわびる想いにも用いられます。漢の司馬相如は意にかなわないため三年にわたって「黙黙無言」でありつづけました。主君が民の願いを黙視するなら民はその支配に従わないのが「黙黙無聞」であり、唐の韓愈はそれを「蔑蔑無聞」といっています。
「麦秀黍離」(ばくしゅうしょり)20240320
戦乱がなく気候が穏やかに推移する黄河平原の大地は、麦(コムギ)の秀(穂)が結実の期を迎え、黍(キビ)が実って広がる「麦秀黍離」(『史記「宋微子列伝」』など)のときを迎えます。豊作への兆候は古来、新年の「春節」で集う一族のくらしの安定につながり、豊かな「麦秋」に農民は安堵してきたのです。ところが、殷末に暴君の紂王を諫めた箕子は、かつての都城の地の農地への変貌の姿を目にして「国破家亡」の沈痛哀傷を味わったのでした。
倭の奴国王や卑弥呼の遣いが訪れた王都洛陽は滅亡ののち「漢魏故城」となり、北魏時代に楊衒之は「麦秀の感、ひとり殷墟のみにあらず。黍離の悲しみ、周室のこと信なるかな」(『洛陽伽藍記』から)と憂愁を深くしています。明治以降先んじて近代化する日本に留学した人びとは、祖国の事情に「麦秀黍離」の悲哀を免れえなかったといいます。しかし現代の「春節」にマイカーで帰郷する14億人の食を支える農業は基幹産業であり、食料自給を確保する「麦秀黍離」は国家安泰の要なのです。
「痴人説夢」(ちじんせつむ)20240327
春の夢は痕跡をとどめずに消え去る「春夢無痕」ですし、好い夢も現実とはならない「好夢難成」のようです。が、痴人が説く夢である「痴人説夢」(『封神演義「五三回」』など)」は、時代の潮流となって一世を風靡するもののようです。唐代の故事ですが、「何」出身の僧伽は修行で周遊したときのこと、お名前は何?と聞かれて「姓何」と答え、お国は何国?と聞かれて「何国」と答えて痴人とされました。去世したあと碑文に「大師姓何、何国人」と刻まれたのを見て、後人は「痴人説夢」の典型としたのでした。「痴人の前に夢を説く」(朱熹)というのは、愚昧な者に夢の話をする益のないたとえに。
現代も荒唐な話として強調する場面で用いられています。本邦のタイトル「バカ本」の流行は、著者か版元かあるいは読者が「痴人説夢」指向なのでしょう。新世紀20年余つづいた若者化・“愛痴”化(バカ化)によって展開された時代変容は、政治と経済の国際的な埋没とともに「痴人説夢」の文化事例を併発させているのです。
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2024年2月の「四字熟語の愉しみ」は
「口若懸河」「低声下気」「満城桃李」「看花涙下」を書きました。
「口若懸河」(こうじゃくけんが)20240207
弁舌が聴衆の胸を震わせつつ滝が高みから滔々と奔流となって下るようすを「口若懸河」(『世説新語「賞誉」』など)といいます。弁舌を瀑布に例えたのは、晋代の太尉王衍で幼いころから『老子』『荘子』を暗誦したという郭象の口才を称賛してから。後人は多くこの形容を用いています。が、他に類似の「懸河瀉水」「懸河注水」「口如懸河」「口似懸河」「談若懸河」「言若懸河」「辯如懸河」「滔滔不絶」など異なった表現が多いのは、特に際立った弁舌であることを誇示したかったためでしょう。
近代(1860年ころ)に録音・再生の技術が発明されるまでは、どんな熱弁ものちの民衆に「口若懸河」として残りませんでした。いまや鄧小平主席の「改革開放」演説が大衆の民主と脱貧のために、アメリカなら黒人差別撤廃のためのキング牧師(1968年暗殺)やケネディー大統領(1963年銃撃死)の演説が、そして日本からはいまこそ初の高齢化(三世代現役平等)社会や国際平和の「口若懸河」の演説が熱く発せられねばならないときなのです。
「低声下気」(ていせいかき)20240214
通常の話し方を変えて恭順なようすを示すのが「低声下気」(馮夢龍『醒世恒言「第三十巻」』など)です。要職にあった政治家が内心では裏金の件を知りながら、日ごろ使わない喉の奥からの低い声でする「謝罪」がそれ。真意を伝え得ない言いつくろいがあらわです。単に「低三下四」とも。朱熹は『童蒙須知』で子弟に常に「低声下気」にして「浮言戯笑」を禁じ、李汝珍は『鏡花縁』で「低声下気、恭恭敬敬」をいいます。
日ごろ自尊心の強い「無法無天」の性情まるだしの斉天大聖孫悟空が、真武大帝の面前に出ると恭恭敬敬「低声下气、躬身行礼」に変じる姿が思われます。また唐代の詩人に王維とともに山水詩で知られる孟浩然がいます。王維の詩の空気感に対して孟浩然の詩には現実的接地感があります。「春暁」などの五言詩が得意でとくに「望洞庭湖贈張丞相」は千古绝唱の「低声下气」诗とされていて、その結尾の10字「坐観垂釣者、空有羨魚情」は少なからぬ人々の人生箴言として座右の銘になっています。
「満城桃李」(まんじょうとうり)20240221
優美な桃李の花が満開になるころ、唐の都長安の城中のあちこちに科挙に合格して晴れやかな学生の姿が見られました。そのことから劉禹錫の詩「宣上人遠寄賀礼部王侍郎放榜後」に「満城桃李属春官」と詠われて、これから成熟に向かう学生が多数いる情景を喩えていうようになりました。春には花を、夏には樹陰を、秋には成熟して果実をもたらし、根は薬用にしたことから「桃李満天下」とも。「満城桃李」は李廷珪の墨として珍重されることに。品格が優れて実績を積んでいる人のもとにはみなが慕い寄るという「桃李不言、下自成蹊」は成蹊学園の建学精神になっています。
桃の里には陶淵明の「桃花源記」に由来する仙境「桃源郷」があります。湖南省常徳市桃花県がモデルとされて観光地になっています。日本の「桃源郷」といえば山梨県笛吹市。笛吹川の扇状地に日本一を誇る「桃の里」が広がっていて「ピンクの絨毯」となって季節を彩ります。2024年の「桃源郷春まつり」は3月24日~4月7日です。
「看花涙下」(かんかるいか)20240228
唐の詩人李商隠(字義山、812~858)が生きた時代は「晩唐」といわれます。300年という長い平和がつづいた唐王朝が後退期にあることの兆候を示して、もはや復活再生することなく衰亡していったのでした。春を迎えて華やかに咲き誇る花を看ても悲痛の涙が止まらないという「看花涙下」(『李商隠「義山雑纂」』から)の現実。人為が自然の風景を壊す営みを詩人商隠は「殺風景」(「雑纂」から)と呼んで、捕った獲物を川畔に並べる獺祭魚(カワウソ)のように並べて感懐を示すのです。
「看花涙下」「苔上鋪席」「花下曝褌」「果園種菜」「背山起楼」「焚琴煮鶴」「屠家念経」「尼姑懐孕」「親情犯罪」「貧家嫁娶」「流汗行礼」「大暑赴会」「県官似虎」「市井穢語」「乞児夜号」「舟中雨漏」「未語先笑」などを列挙しています。晩唐を感知する詩人は馬車を駆って長安の楽遊原に登り夕陽に向かって「これ黄昏に近し」(「登楽遊原」)と詠いましたが、令和の庶民は何をよしとしたら癒しを得られるのでしょう。
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2024年1月の「四字熟語の愉しみ」は
「蔓草難除」「交頭接耳」「君子豹変」「居高臨下」「今夕何夕」を書きました。
「蔓草難除」(まんそうなんじょ)20240103
パーティー券を介した裏金操作に関する検察の事情聴取が新年早々におこなわれました。が、政界の中枢にいた諸氏は一様に「知らなかった」と答えています。知らないはずがなく、逮捕されない言い逃がれであることはだれにも明らかなのですが、「豹変」して本音をいえないのは自らと仲間が蔓草のように繋がっているからです。
はびこる蔓草を除くのは難しいという上古から伝わる「蔓草難除」(『左伝「隠公元年」』から)をここに掲げるのは、蔓延を止めて一掃するのに年余に及ぶ期間と民衆の強い願望を要するからです。社会を害する蔓草は根元を尋ねて(蔓引株求)、根こそぎにせねば解決をみないのです。在野(選挙区)から政党・分野を問わず民衆の心を心としてしごとをしている「山中宰相」と呼べるような人物に国政を託すこと。そのため「解散」を実施し、3分の2を超える有権者が投票する総選挙を実現して、新世紀50年までに国際的に誇れる「平和国家百年の日本」を達成せねばならないのです。
「交頭接耳」(こうとうせつじ)20240110
お互いの頭を近づけて耳元で密かにことばを交わす「交頭接耳」(関漢卿『単刀会「第三折」』など)のシーンは、恋人同士の熱いささやきから国際会議や宴席での冷静な外交的折衝まで、さまざまな形で誠意を通わす情景として出合います。お互いの心と心をつなぐ「天」の声を共有しようというのです。故事としては世直しのために豪傑たちが梁山泊にこもる『水滸伝』にも三四人の男たちが「交頭接耳」して不在の「天」の姿を密議する場面が出てきます。大げさなハグや握手より、画面を割って参加する「オンライン」会議よりも、率直に誠意の共有を実感させてくれるのです。
ともに同じ「天」の姿を戴く成語に「天作之合」(『詩経「大雅・大明」』から)がありますが、周の文王の「天」が引き合わせたようなカップルが事例とされて、長く婚礼の祝辞に特化されて用いられてきたのです。が、共有すべき「天」の姿を実視できる生成AIの出現で、「交頭接耳」を省略した「天作之合」が時流になりそうです。
「君子豹変」(くんしひょうへん)20240117
みずからの過ちを革めて善(吉)にかえる時に、豹の斑紋のように鮮やかに対処することが「君子豹変」(『周易「革卦」』から)の本意です。日本の政治家は「君子豹変」の本当の姿を知らない。「裏金疑惑」でも、うわっ面だけを革める「小人革面」の姿ばかり。「豹」は生まれて18~24か月のあいだ母親に寄り添って、生存のための行動から狩の技巧までを学んで自立します。そのあとは荒野で自己の力を鍛えてたくましく生育し、秋に生えかわる被毛の斑紋を鮮やかにして成獣に変貌していきます。
君子たる者(優れた指導者・政治家も)は、豹の成熟過程に習って歩一歩、自立心の強い人格を達成する「君子豹変」の道をたどるのです。卦の根底にあるのは「吉(吉祥)」の世の実現です。『周易』は、並みの人物を「小人革面」として合わせて指摘しています。わが国では「君子豹変」の本意を違えて、豹が獲物を狙うときのように、政治家が持論を勝手に変えて別の立場にくみする負の場面で使われています。
「居高臨下」(きょこうりんか)20240124
高い所から下方を見おろす地形上の態様や地位の高い者が下位の者に示す居丈高な態様を「居高臨下」(『淮南子「原道訓」』など)といいます。「据高臨下」とも。
地形上の態様では、戦いに臨んで勝つためには高所に陣することを『孫子「行軍篇」』が説いています。各所に残る城が証しています。現下の「ウクライナ戦争」では無人航空機ドローンが敵の重要拠点を探索し爆破しています。高所から四方を鳥瞰する「居高臨下」の情景は多様で、数多の名所が写真を通じて知られます。東京スカイツリー展望台天望回廊450。そして国際宇宙ステーションの地上400kmからの地球。国境も戦場も見えないものの森林の破壊や都市の夜景など自然環境の変化が確認されます。一方で居丈高な高位の者の態様は枚挙にたえませんが、目線を低くすることで「居高臨下」を避ける姿は、東日本大震災の現場で、膝を屈して「よく生きていてくれましたね」といって被災者をねぎらった美智子上皇后の姿が想起されます。
「今夕何夕」(こんせきかせき)20240131
今夕は何と悦びに溢れた夕だろうというのが「今夕何夕」(『詩経「唐風・綢繆」』から)です。紀元前の『詩経』が初出で、「今夕何夕、見此良人」と、よき良人を得た女性の悦びを八字成語としておおらかに詠っています。後世になると興奮・讃嘆の語気が強いため、喜悦の心情を抑制する意味で「不知今夕何夕」が用いられるようになっています。唐の賈島や杜甫や宋の張孝祥に好例がみられます。別種の喜悦の表現として漢の劉向は『説苑「越人歌」』で小舟で江水中流を渡りきった喜びを自己の運気として讃嘆しています。清の女流詩人談印梅は「七夕」詩で織女と牽牛の出会いの夕を「今夕何夕」と詠んでいます。
韓流テレビドラマの放送が多かったなかに漢流中国現代劇の作品として2021年11月に日本初放送になったのが2020年制作の「夕月花〜三世を駆ける愛」原題が「今夕何夕」でした。惨劇を回避するためにタイムスリップで過去に戻ったヒロインが、運命を変えて愛を取り戻すというミステリー・ロマンで時代劇の要素を取り込んだ作品でした。
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2023年12月の「四字熟語の愉しみ」は
「旄頭先駆」「節用裕民」「嘉肴旨酒」「龍跳虎臥」を書きました。
「旄頭先駆」(ぼうとうせんく)20231206
「旄頭先駆」は古代皇帝の儀仗に先駆をつとめた騎兵のこと(『漢書「燕刺王劉旦伝」』)。中国神話二十八星宿のひとつ「昴」のこと。秋を迎えて午後の日差しが短くなり、日没とともに7つの散開星団が中天で輝き出すときに「冬至」の到来が知られます。唐代の詩人李賀の「秋静見旄頭」の情景です。肉眼でも7個の星の集まりを見る(ギリシャ神話ではプレアデス7姉妹)ことができます。「昴」を先駆として冬の夜空のシリウスやオリオンの「吉星高照」が展開されます。「すばる」はその特徴が親しまれて、望遠鏡・天文台の名はもちろんSUBARU(車)や老人ホーム・学校名など広く用いられています。
谷村新司さんが歌った「昴」(すばる)は、荒野をゆく青年の心意気が中国の若者たちとも共有されて人気になり、その逝去は全土で惜しまれました。映画の高倉健さんや企業の稲盛和夫さん、歌手の谷村さんなど、両国民が共有している生活感を厚く支えてくれていました。それを覆う政治的横波が到来する波音が聞こえます。
「節用裕民」(せつようゆうみん)20231213
節約して将来の民の生活をゆたかにする「節用裕民」(『荀子「富国」』から)を、民の「信」を失った政治家に求めることなどできるでしょうか。新国家建設第2の百年をめざす中国では、新型コロナウイルス(新冠肺炎疫情)という予測できない状況に襲われたあと、経済不況に見舞われて、新たな困難を克服するために、指導層が民とともに規範とするのがこの「節用裕民、善蔵其余」です。『論語「学而」』にも、事をつつしみて「信」、用を節して人を愛し、時に民を使う「節用愛人」とあります。
わが国では、現政権は長期展望を示さず、軍事費大幅増を閣議決定で済ませ、子育て、福祉・医療など大型支出を増税、国債に頼り、中小企業には物価高を超える賃金アップを担わせるという多事多難の時、パーティー裏金疑惑が発覚して「適切に対応します」と逃げる政治家ばかり。次世代の国民のために「節用裕民」をともにする識見の人を、各選挙区(在野)から国会に呼集する「解散」しか方途がないようです。
「嘉肴旨酒」(かこうししゅ)20231220
人の五感のうち「口」の効用はたべることとしゃべること。呑吐呑吐です。西洋ではフランス語は聞いて美しく、料理は美味しいことで評価が高く、東洋では中国でしょう。中国語は抑揚が美しく、料理は「山珍海味」にあふれて多彩、それにうま酒を合わせて「嘉肴旨酒」(『王勃「梓潼南江泛舟序」』など)と言われています。酒の霊妙な神奇作用は上古から知られて、夏の禹王は陶豆(酒器)に盛って国を盛んにし、殷の紂王は玉杯に注いで国を滅ぼしています。酔は情緒の高揚をもたらし、芸術に独特の造形を与えて、唐代の詩詞にみるように人類文化の粋として輝いています。
日本ではどうでしょう。「和食」は世界遺産に登録され、日本酒は国際賞を次々に獲得。東京ではミシュラン星の飯店で夜な夜な国際的味覚の「嘉肴旨酒」が、官僚や企業経営者や国会議員などに供され、巷では賃金が上がらず還暦に達した子どもと貯蓄を持たず米寿を超えた両親が「粗茶淡飯」の夕餉に向かっているのです。
「龍跳虎臥」(りゅうちょうこが)20231227
「甲辰」の新年を迎えるに際して、賀状や書初めの字勢を王右軍(羲之)にならって縦横豪放にしたためることを「龍跳虎臥」(袁昂『古今書評』など)といいます。龍虎を合わせ持つ雄強な勢いを紙上に表出しようというのです。一方で草書の筆勢の柔らかく洒脱で非凡なことを「筆走龍蛇」(李白「草書歌行」など)というようですが。
「龍虎」を合わせた雄強な勢いをもつ四字成語には、「龍争虎闘」「龍行虎歩」「龍吟虎嘯」「蔵龍臥虎」「龍潭虎穴」「彫龍綉虎」「伏虎降龍」などがあります。「龍」は古代伝説中の神異な動物で、身体は長く鱗があり角があり脚があり、よく走りよく飛びよく泳ぎ、雲を起こし雨を降らせるといいます。顎の下に逆さについた「逆鱗」(げきりん)を持っていて、これに触れるものがあれば立ちどころに殺してしまうといいます。世の人主にもこれがあるので、臣下の者はそれを知って「逆鱗に触れて」殺されないようにうまく具申をせねばならないと『韓非子「説難(ぜいなん)篇」は説いています。
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2023年11月の「四字熟語の愉しみ」は
「不立文字」「九年之畜」を書きました。
「不立文字」(ふりつもじ)20231122
よく知られた仏教にちなむ成語で、禅宗では「ふりゅうもんじ」(釈晋済『五灯会元「七仏 釈迦牟尼仏」』など)と読みます。禅宗では仏道の奥義は文字(経巻)を介してではなく修行によって自得するものであり、師と弟子の「心心相印」こそ相伝の姿であると説きます。古代インドの王舎城の鷲の山(霊鷲山)での説法で、釈尊が手にした蓮華をひねってささげたとき、他の弟子たちはその意味を解せず、迦葉だけが理解して微笑したという伝承から。南宋禅宗を大成させた六世慧能が出家したゆかりの広州光孝寺では、日本とは異なった形にこだわらない坐禅が行われています。
日本では帰朝した道元の起こした永平寺をはじめ宋代創建の諸寺での坐禅が伝承され、近年は鈴木大拙などの布教活動によって、日本の坐禅は欧米諸国をはじめ全世界に静かに広まっています。この「不立文字」の実践の姿は、「ChatGPT」などAIでは及ばない人間同士の深く味わいのある心から心への真実の伝え合いなのです。
「九年之畜」(くねんしちく)20231129
歴史の当初から掲げられている国家の平時の食の蓄積についての「九年之畜」(『礼記「王制」』から)は、人民が安堵して暮らせる世の中をつくる前提としての項目といえます。「国に九年之蓄がなければ不足」といい、国民一人に「九年」の食糧の備蓄があれば不慮の災害などにも備えられるというのです。宋などの王朝も政策とし、小国のなかには「九年之畜、一城之栄」を誇ったところもあったようです。
多年の蓄積による成果を「九年」で代表する場合や、年々の努力の積み上げを「九年」で示して将来への期待をにじませる場合もあります。かつて一億総参加で製作した安くて丈夫で長持ちする優良輸出品が国際市場でMADE IN JAPANとして評価を受けたとき、海外の農業国から優良農産物がもたらされ、この国は「飽食の時期」を謳歌したのでした。ところがいま、スーパーで同じ素材の安価な食品に慣らされていく食料事情。自給率ゼロの東京都民は「九年之畜」不足の巷で暮らす悪夢を見ようとしているのです。
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2023年10月の「四字熟語の愉しみ」は
「絶頂聡明」「蘭言断金」「火上加油」を書きました。
「絶頂聡明」(ぜっちょうそうめい)20231004
荘子を「絶頂聡明」(『十批判書「荘子的批判」』から)の人と郭沫若は評しています。際立つ人生の上下左右に「極端」を感知した人物を「絶頂聡明」と呼ぶようです。長い中国史にもこの「絶頂聡明」の事例といえる人物となるとかなり限られることになります。
まずは三人の事例で。政治家姜子牙(呂尚)は渭水の畔で若き姫昌(文王)に遭い、子の姫発(武王)を補佐して周朝を建て、紂王を討ち、古代社会の礎を築いた人物。次に思想家孔丘(孔子)。創始した儒教は歴代社会の中枢を担い、各所の孔子廟に祀られています。世界的な影響をもつ思想家のひとりに。三人目が教育者鬼谷子。鬼谷门派の创建者で、縦横家の鼻祖。百家に精通し,鬼谷先生の訓育を受けたのは蘇秦、張儀、孫臏、龐涓、商鞅、呂不韋、白起など時代を動かした500人余に及びます。跳んで近代の事例として科学者アインシュタインがおり国際語として継承されていますが、AI 時代の起業家イーロン・マスクなどに事例をえて生き延びられるかどうか。
「蘭言断金」(らんげんだんきん)20231011
「春蘭秋菊」といいますが、中国の花といえば梅・牡丹・蓮・菊が四季に充てられて各地に名所・名園があり、蘭のおさまる場がないようです。この「蘭言断金」(駱賓王「上斉州張司馬啓」など)は、『周易「系辞上」』の「二人同心、其利断金、同心之言、其臭如蘭」に拠っています。双方が心意を尽くした言論が「蘭言断金」です。「蘭桂斉芳」もあって芳香に寄せて子孫への美称をいうようです。王羲之の春三月の「蘭亭」の宴では蘭の香りとともに参会者の「蘭言」が交わされていたことでしょう。
国際交渉でのトップリーダーの議論が貧相にすぎます。軍事力(金)ではなく、人間のもつ真摯な心意を傾けた「蘭言」を重ねて、外交力によって両者同意を得るような「蘭言断金」で実を得ること、そのためには双方に人物が必要で、文化三千年紀を経た中国が「中華の国」として範を垂れて「蘭言」が語れる人品高雅な人物を交渉の場に送り出すこと。故事に習ってあらたな「蘭言断金」の事例を残す役割があるのです。
「火上加油」(かじょうかゆ)20231018
いわゆる「火に油を注ぐ」ことをいう「火上加油」(李宝嘉『官場現形記「第5回」』など)は、よくない状況をいっそう悪化させる意味でよく用いられます。「火上浇(澆)油」とも。アメリカのウクライナへの軍事支援はこの事例とか。上代の「加油」は料理上のことで、「火上加油」が現れるのは元代以降のようです。最近の「加油!」(ジャーヨー!、ガンバレ!)が始まったのは、1920年代の大学の運動競技からで、「南開加油」といった応援が記録されています。いまや「中国加油」にまでひろがっています。
地球温暖化対策の脱炭素でクリーンな「加電」の時代に。国連のSDGsが叫ばれ、17目標の7に「経済活用的清洁能源」(日本ではエネルギーをみんなに そしてクリーンに)があって、「清洁(清潔)能源」という現代成語が登場。国家能源局は水力、風力、太陽、生物、地熱、海潮、核をクリーン・エネルギー源として2060年までにCO2排出量をゼロにする計画です。さて「中国加油!」の大合唱はどうなるのでしょう。
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2023年9月の「四字熟語の愉しみ」は
「安身立命」「含英咀華」「累珠妙曲」「黄白之術」を書きました。
「安身立命」(あんしんりつめい) 20230906
日本では「安心立命」ですが中国では「安身立命」(『景徳伝灯録「巻十」』から)です。中国には個人が修身により天命に奉ずる「修身立命」(『孟子「尽心上」』から)があって(立命館大の名の由来)、個人と社会の安定は「天命」によるというのが東洋の中国文明の要です。西欧のキリスト教文明を支える創造主「神(GOD)」の存在はないのです。この東西文明の較立が現代の命題なのです。
九月初めにローマ教皇が信者数一五〇〇人というモンゴルを訪問し、首都ウランバートルでミサを行い、一千万人ともいわれる隣国中国のカトリック教徒に「良きキリスト教徒、良き市民であれ」というメッセージを送りました。いま話題のChat(チャット)GPTを支える“倫理”でも、世界がキリスト教文明にならないよう、「安身立命」の独自の“倫理”を導入するでしょう。「安心立命」の日本は、2千年紀を海外渡来の文物を“国風”に整えて活用してきましたから、両様の“倫理”を文明の成果として巧みに両用するでしょう。
「含英咀華」(がんえいそか) 20230913
咀は咀嚼の咀でよく噛むこと、深く味わうこと。花を口に含んで細かく噛んで味わうことから、文章の精華を細かく深く味わうことを「含英咀華」(『昌黎集「進学解」』から)といいます。体験した韓愈でなければ言い残せなかったことばでしょう。現代も教育現場で広く用いられています。茶葉を噛んで深く味わうこと(茶道に精通していた蘇軾のいう「葉嘉」は美称)は、唐代の陸羽『茶経』以来とのこと。清代の袁枚は、武夷岩茶のもつ香、清、甘、活といった“美妙な岩韵”を味わっていたといいます。
転じて「含宫咀徵」「含商咀徵」というのは、優美な楽曲に深くひたること。「宮」「商」「徴」は中国古楽の中の音階名です。こちらも宋代以来、音楽を愛好する階層によって引き継がれてきました。現代も若い歌手による中国風歌曲が「含宫咀徵」としてリリースされているようです。人民の人生の哀感と民族復興の願望を深く細密に含みこんだ世紀の「含民咀華」の音楽が創出されることでしょう。
「累珠妙曲」(るいしゅみょうきょく) 20230920
「累」は積み重ねることで、「累卵」「累棋」は危ういことに、「累瓦」は無用のことに、「累世」は世代を越えて交流が長いことに、そして累々として珠玉をつなぎ重ねるような詩文が滑らかで潤いのある歌声に乗せて美妙に表現されることを「累珠妙曲」(『礼記「楽記」』など)といいます。「累珠妙唱」とも。
「珠玉」は、珍宝として蔵される珠と玉、比喩として華麗な詩文や俊秀な人物をいいますが、咳唾が「珠玉を成す」(『晋書「夏侯湛伝」』)や「珠玉を生ず」(『李白「妾薄命」』)といわれながら多くの古今の詩文が珠玉と称せられて、「吟咏之間、珠玉之声」(『文心雕龍「神思」』)と歌声として耳を悦ばせ心を振わせてきたのです。しかし唐代の「楽府」にせよ宋代の「詞」にせよ、どれほど心に響く「累珠妙唱」であったとして表現された姿で残されていないのですから想像するしかありません。文と曲を合わせて記録し鑑賞できる現代の意味合いの「累珠妙唱」はごく近来のものなのです。
「黄白之術」(こうはくしじゅつ) 20230927
健康長寿には上古から「食薬同源」の薬膳や漢方薬が服用されてきましたが、漢代ころに道家が鉱物を焼煉して得た黄色の「薬金」(金丹)を不老不死の仙薬としたことからその煉丹術を「黄白之術」(『漢書「淮南王安伝」』など)と呼ぶようになりました。黄白は金と白銀のこと。服用したとされる始皇帝や唐代の皇帝は焼煉にかかわる水銀の中毒で死期を早めたともいわれます。
人生一〇〇歳がいわれて、ことしは過去最多の九万二一三九人で、うち女性が八万一六〇三人、男性が一万〇五三六人でした(九月一五日・厚労省)。健康の保持のためにさまざまな健康長寿食品(栄養補助食品・サプリメント)が開発されています。長寿の金銀といえば一世紀を快活に過ごしたきんさん(~2000、一〇七歳)・ぎんさん(~2001、一〇八歳)の双子姉妹の姿が思われます。一人でも多くの団塊世代のみなさんが長寿に努めて、平和日本の体現者として二〇四七年(憲法一〇〇年)を迎えてほしいものです。
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2023年8月の「四字熟語の愉しみ」は
「兼人之才」「借花献仏」「離群索居」「隔靴掻痒」「労民傷財」を書きました。
「兼人之才」(けんじんしさい) 20230802
他に比べて勝る才能を持っていること、さらにもう一人分の能力を発揮できることを「兼人之才」(『官場現形記「四八回」』など)といいます。その錚々たる人物が各社の執行董事兼CEOでしょう。これは近代成語ですが、「兼人」はすでに『論語「先進篇」』に孔子が子路を評することばとして見えています。自分のわきまえを越えて出しゃばりであるというニュアンスで。そこで引き下がらせる(退)のですが、朱熹は孔子のことばの本心を「勝人」と注をしています。「兼人の勇」のような事例もあります。
一人分を超えて二人分の能力を発揮できる多様性・多重性の現代的才能を保持する人びとに対して、先験的な次世代型企業活動として「社内・社外ダブルジョブ」(多道作業)制を取り入れた企業も増えています。しごとばかりでなく、暮らしのさまざまな領域での国際化の「ダブルスタンダード」(双重標準)への対応はカタカナ優先で、日本文化の漢字保持と漢字文化圏の共有をむずかしくしています。
「借花献仏」(しゃくかけんぶつ) 20230809
花を借りて仏に献じるという「借花献仏」(『過去現在因果経』など)は、典故の例では仏への敬仰の心が込められて褒めことばです。日本ならお盆の墓前で起きそうな情景ですが、現代中国では頂いた物品を他へ贈答に転用するといった際に。
仏教に関する成語は、中国に伝わって漢字に音訳(般若、三昧)や意訳(空、識)されて日本にもたらされました。中国での受容は、唐の韓愈のように古来の良俗を破る「傷風敗俗」の邪教として排斥した人物や時期がありましたが、仏教文化として定着し、「四字成語」も数多く用いられて表現を深く多彩にしています。たとえば「安身立命」「善男信女」「電光石火」「百尺竿頭」「極楽世界」「天花乱墜」「泥牛入海」「此中三昧」「盲人模象」・・など。一方、日本では新たな意義を加えて日本化した内容の熟語が少なくありません。「一期一会」「色即是空」「諸行無常」「念仏三昧」「即身成仏」「末法思想」「現世利益」「極楽浄土」「安心立命」「善男善女」「廃仏毀釈」・・など。
「離群索居」(りぐんさくきょ) 20230816
人群れから離れてひとり居をする「離群索居」(『礼記「檀弓上」』など)という四字熟語があります。「離群索処」とも。近代風ですが古代から事例のある由緒ある成語なのです。意味合いは中性語として。春秋戦国時代に自説を曲げず遊説した諸子百家や古代古人のみを対象とした儒学者など。
晩年になってからの生き方を「大・中・小」の三様にわけて、静かな山中に入るのは「小隠」。ですからリタイア後の田舎暮らしは小のうちなのです。市内の喧騒の中にいて心穏やかに過ごすのが「大隠」。そして「出づるに似て、また処るに似たり」(白居易)という中ほどの生き方を「中隠」としているのです。当世の介護つき「都市型高齢者住宅(マンション)」への住み替えにその現代的意味合いがあるのでしょう。ウサギ小屋からハチの巣といわれる小住居に移っての「大隠」。生涯を終えたあとは市中の名刹が分譲する地下墓所に落ち着くことで。賛辞! 歴史的「昭和時代」の功労者。
「労民傷財」(ろうみんしょうざい) 20230823
人民が労苦して蓄えた財産を浪費してしまうことを「労民傷財」(『元史「李元礼伝」』など)といいます。いつの時代も労役は人民が担うことが「労民」。「それ財は天降にあらず、みな民より出て、今日の調度を支持す」(李元礼伝)。「傷財」は土木事業などで銭財を過大に使うこと。事例で引かれるのは始皇帝による万里の長城建造です。「傷財」は為政者によるのか人民によるのか。都市部の高層化を急ぎすぎると過大な財政負担に耐えられない事象を生じかねません。
いまの日本はどうでしょうか。戦禍のあと先人が働きずめだった「労民」の結果、一億総中流、GDP一〇%を超える世界第二位の経済大国になったあと、新世紀に急速に「傷財」がすすんで超一〇〇〇兆円の財政赤字、GDP四%まで下降しています。首相は実情に添わない支援金を連発していますが。「天地は節にして四時成る。傷財せず、害民せず」(『周易「節」』から)に徹した「節」政策をとらないと「労民傷財」は収まらないのですが。
「隔靴掻痒」(かっかそうよう) 20230830
もどかしい意味合いの「隔靴掻痒」(釈道原『景徳伝灯録「巻二二」』など)のいわれが知られないのは、宋代の禅宗語録からのせいでしょうか。禅門の師弟問答で、師の問に対する修行僧の答が仏理に透徹しきれていないときに、師は「隔靴掻痒」といって再考を求めたことから。靴の上から痒いところを掻くほどという評を耳にして、修行僧はじっと足元を見つめたのです。その後、文章が要点をつかめていなかったり、活動が問題解決のポイントからずれているときに用いています。
一方に「麻姑掻痒」(顧文彬「満宮花」など)があって、背中が痒いときに長い鳥爪をもつ仙女「麻姑」の手に頼りたいという説話が『神仙伝「麻姑」』にあり、「麻姑之手」(掻痒痒)と呼ばれます。これがわが国に移入され和風の心優しい「孫の手」になりました。本稿も『景徳伝灯録』からは「安身立命」「雪上加霜」「泥牛入海」「白玉無瑕」などの事例を得ていますが、禅の心ということになると「隔靴掻痒」の感を禁じえません。
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2023年7月の「四字熟語の愉しみ」は
「甲第連天」「家鶏野雉」「亭亭玉立」「揮金如土」を書きました。
「甲第連天」(こうだいれんてん) 20230705
「甲第」は富豪貴顕の邸宅のこと。旧時代には王朝の新たな支配層が城中に園庭つき多層の豪壮な邸宅をかまえて、「甲第連天」(明・高則誠『琵琶記「牛氏規奴」』など)を誇りとしました。「甲第連雲」「甲第星羅」ともいいます。唐代の長安は「甲第高入雲」(崔顥「長安道」)といわれ、宋代には楊侃「皇畿賦」に「甲第星羅、比屋鱗次」と詠われ、明代には「城中甲第連天」、清代には幾年もなくして「甲第連雲」を立ち上げています。
しかしいま中国特色社会主義・共同富裕を掲げて中華復興を展開するとき、官僚の富豪貴顕意識は汚職腐敗の因とされ、伝統精神である「先憂後楽」(范仲淹「岳陽楼記」)によって二〇〇年を貫こうというのです。ですから建築バブルがいわれるほどに全国の都市中心部では高層建築ラッシュがおこって「摩天大楼」の観を呈していますが、かつての「甲第連天」の姿は見られないのです。際立つ「甲第連天」の事例は、「甲第連天、美女美甲」といわれるネイルアート程度なのです。
「家鶏野雉」(かけいやち) 20230712
身近なものを低くおさえて、遠いものを高く敬愛して表現することを「家鶏野雉」(何法盛『晋中興書「第七巻」』から)といいます。ニワトリ(家鶏)とキジ(野雉・野鶏)を対比して、羽毛の美しい野雉を褒めるのです。典拠の事例は、書の名人であった晋の庾翼が、みずからの書法が王羲之に及ばないと、子と姪に王羲之のそれと対比しながら、自分は「家鶏」であり「野雉」である王羲之に学ぶよう教えたことから。
「雉」の美しい羽毛は衣服、扇子、馬車の装飾に尊貴高雅な意味合いで用いられ、とくに頭頂の羽毛を豪華にあしらった服飾は「雉頭裘」と呼ばれました。漢初に呂太公が女児の名を「雉」としたのは高貴であるよう望んででしたが、劉邦の皇后になった「呂雉」は専権をほしいままにし、劉邦の庶子を産んだ戚夫人への「嫉」の極みというべき仕打ちで悪女とされています。以後女児の名に「雉」を見ないのです。「家鶏野雉」に対し「秋菊春蘭おのおの自芳」と返すのに趣があります。
「亭亭玉立」(ていていぎょくりつ) 20230719
愛らしかった少女が成長とともに女性らしく変身して、可憐で清純でスリムな美形になることを「亭亭玉立」(『北斉書「徐之才伝」』など、「亭亭而立」とも)といいます。傍らのだれもがひとしきり。その「迷人」の魅力は透き通る白い肌、うるんだ眼、甘美な口元・・と異なりますが。巴金『家「二三回」』にも見えています。一方に花(ハスのような)や樹木にも言い、こちらは郭沫若『百花斉放「睡蓮」』に見えています。
世紀をまたいで「亭亭玉立」の評を得てきたのが一九八一年青島生まれの女優范冰冰。上海師範大学の影視芸術学院を出たあと、テレビドラマ「還珠格格」で注目され映画で主演、主演女優賞を次々に受賞。同年齢の「王朝的女人・楊貴妃」で艶麗な唐王朝の女性を再現して見せたのでした。が、二〇一八年に巨額の脱税を暴露されて、当局から“死を賜う”ことになり、八億元余の追徴金・罰金を求められ、「玉立」に頓挫を見ました。夏に時めく睡蓮の「亭亭玉立」にはかわりありません。
「揮金如土」(てききんじょど) 20230726
「金」に関心が集まっています。貴重な「金」を「土」と同様にあつかうという「揮金如土」(宋『毛滂「祭鄭庭誨文」』など)がありますが、古くは現在のように浪費するという意味に偏らず、豁達超然として「金」を「土」のようにあつかう気風として用いられたようです。「土」を貶めない。明代には学識ある人が書巻を随意に駆使する意味での事例も。林語堂「吾国与吾民」にも「富事業精神・・揮金如土、冒険而進取」とあります。
現代の資本主義、自由主義、グローバル経済の元では、著しく発展する国や新しいIT分野や石油など寡占的分野から大富豪が生まれています。アメリカ、アラブ、中国人の間にインド人が割ってはいって。インド人富豪二世には、科学技術企業家として首都の中心のビルから「金」のパソコンで世界に指示を出し、地中海の別荘へ自家用機で移動する若手もいます。さて中国政府は特色社会主義の夢の実現のために、「共同富裕」をかかげて伝統の気風の「現代化」を図ろうというのですが。
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2023年6月の「四字熟語の愉しみ」は
「百年之業」「夢筆生花」「落紙雲煙」「路人皆知」「良苗懐新」を書きました。
「管寧割席」(かんねいかっせき) 20230607
越えられない高みから指針を与えてくれるのが「厳師」、立場を越えて益をもたらしてくれるのが「益友」。乱世を生きる人たちはこの「厳師益友」から行動の規範を得ているのです。末裔として斉の管仲を「厳師」とし三国時代に生きた管寧と「益友」華歆にかかわる成語が「管寧割席」(『世説新語「徳行」』から)です。
同門のふたりが菜園を耕していたとき、地中から金(?)を掘り出しましたが、寧は瓦石と異ならずに鋤をふるい、歆は鋤を休めて確かめたのでした。またふたりで読書をしていたとき、外を貴族の車が通りかかりました。寧は無視しましたが、歆は読書をやめて見にいきます。その間に寧は席を割いて、「子はわが友に非ざるなり」といって坐を分けました。三国乱世にあって曹操に仕え曹丕の時代には相国までつとめた華歆は、その間に何度も管寧を推挙しましたが、ついに受けず「山中」に居て郷村の民に慕われて長寿を全うして終わりました。歴史に有名な先人の「管鮑之交」と重なる「厳師益友」の成語です。
「力争上游」(りきそうじょうゆう) 20230614
「烏露戦争」のウクライナ軍のように、対ロシア戦の最前線で有利な形勢を得ることを期して争うことが「力争上游」(趙翼『閑居読書作「其五」』など )です。力量は想像力や技術力や財力など多岐にわたりますから、比喩としてはさまざまな場面で用いられる成語です。
文革の時期には社会主義社会建設の宣伝画に大書された成語でしたし、現下の世界市場では新技術を駆使した品質と数量で勝ち抜ける「力争上游」の企業活動が期待されているのです。それも「日新月異」(わが国の「日進月歩」では遅れる)のスピード感を持って。身近な事例では、産卵のために命がけで河流をさかのぼる魚たちのすがたに見られます。新しいネタで笑いをとれる「相声」(漫才)や現場からの記者のリポートには表現の「力争上游」の力が問われます。また一方に、暴れ龍だった黄河河口の三角州湿地を、河流、河道、城区に整えて、生物多様性やカニ養殖事業に活かして「幸福河」に変貌させた「黄河下游」事業も知られます。
「朗朗乾坤」(ろうろうけんこん) 20230621
「乾坤」は「易経」にみえるふたつの卦名で天地、世界を意味します。「朗朗」は歌声や読み声が明るく伸びやかなようす。ですから「清平世界、朗朗乾坤」(石玉昆『小五義「一一六回」』など)は、社会が勃興期にあって昼は作業に精出せて夜は安眠できる「安居楽業」が可能な時代のこと。同じ大地である「禹域」にあって、「中華」を称する民は、四囲を未開の民族「四夷」にかこまれて、いつ侵略を受けるか知れない日月を暮らしてきたのです。 AI時代になって初めて「全球」的に「世界」が見えて、現在が東西の「人民共和」と「United States」の米中二国が、どうやって共存するか、軍事・経済分野での折衝の正念場に立ち会っているのです。わが国はどうでしょうか。かつて神戸で孫文に「東洋の王道」を期待され、今回の「G7広島サミット」ではインドのモディ首相からガンジー像が贈られたように、地理的にも歴史的にもレベルに不足のない「朗朗乾坤」への国際的橋渡しの重要な役目があるのです。
「今月古月」(こんげつこげつ) 20230628
三月に七一歳で去世した音楽家坂本龍一さんの自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(新潮社)が六月末に刊行されました。最後のときまで音符で時を刻んだ坂本さんは、病にまといつかれた命の限りのときを、天空をゆく月の満ち欠けに合わせていたのでした。幾たびも満月に美酒を捧げた李白の「月下独酌」「峨眉山月歌」「静夜思」が思われますが、満月の訪れは古月今月にかわりがないが人事は無常にかわっていくというこの「今月古月」は、李白の「把酒問月」詩に依っています。「ただ見る宵に海上より来り、なんぞ知らん暁に雲間に向いて没するを。今人は古時の月を見ず、今月はかつて古人を照らせり。古人今人は流水のごとく、共に明月を看る皆かくのごとし」
車の紹介欄「今月古月」で、「トヨタ・コースター」(丰田柯斯达)を取り上げています。典型的な日本車設計で、改良・標準装備を繰り返して五〇年、美観、実用にも優れ、中国人の趣向にも応じて満月を見るようだと評しています。
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2023年5月の「四字熟語の愉しみ」は
「百年之業」「夢筆生花」「落紙雲煙」「路人皆知」「良苗懐新」を書きました。
「百年之業」(ひゃくねんしぎょう) 20230503
「人生百年」を体現できるのは、最長寿国日本の民衆が世界の初代です。事業の成果が「百年」をもって証しとされた時代、後漢の班固は「家承百年之業」(『西都賦』)と記しています。長寿でも五六十歳でしたから世代をまたいで実現されるのが常でした。三国時代に中原の戦場で戦いぬいて魏王となった曹操は、その事業の全容「清平の奸賊、乱世の英雄」の証しが個人の人生(六五歳)のうちではいかんともしがたいことを「百年之后」(われ百年之后に何をか恨まん!)と慨嘆して去ったのでした。「百年樹人」「百年難遇」がいわれ「百年好合(夫婦)」「百年之好」が寿がれ、芸能の家元や老舗の当主の*代目には時代を越えた継承家の誇りが示されています。
晩清の梁啓超にも中華再興の「百年之業」が意識されていましたが、現代中国には人民共和の社会主義一〇〇年の大業が見えています。日本には国に「百年之業」がなく、民衆が「百年人生」と重ねて民主主義の大業を成就するのでしょう。
「夢筆生花」(むひつせいか) 20230510
夢の中の筆先に花を生じるという秀逸な表現から、この成語は作品が出色であること、才華が横溢していること、能力が際立って進歩したことなどの比喩として広く用いられてきました。
五代の王仁裕は、唐の李白は若いころから「夢所用之筆、頭上生花」であって、「夢筆生花」として天下に知られたと「開元天宝遺事・夢筆頭生花」で詩才を讃えています。道教の聖地黄山では、李白所用の夢筆が頂上の筆峰に変じて花のように古松を生じたとする伝説の情景が観光名所に。もうひとつは南朝宋斉梁に仕えた江淹に因むもので、夢に郭璞を名乗る人物から預けていた筆を返すよう言われて返したところ、晩年には文才が枯渇して「江郎才尽」の成語を生じたとされています。
歴代の中国にはさまざまな「夢中」が景観として語られていますが、日本の「夢中」は「夢中説夢」(『大般若経「五九六巻」』から)が仏教用語で仏説を勝手に解したことにいわれ、意識の底に虚妄であることを含むとされています。
「落紙雲煙」(らくしうんえん) 20230517
李白にちなむ黄山の「夢筆生花」を取り上げましたが、書の運筆の現場で心手両用の技を凝らした筆先から文字や詩文が落紙される瞬間こそが文化の粋なのです。王羲之や顔真卿の真書が文化財であるのはそれとして、書家がしたためる筆先の動きの玄妙さに、見る者の納得があってのこと。それが「落紙雲煙」(杜甫「飲中八仙歌 」から)で、杜甫は張旭の草書について「揮毫落紙如雲煙」と見た者として記しています。宋の蘇軾にも同様の表現がみられ、書や詩文が玄妙多姿であることを伝えています。
顔真卿の「祭姪文稿」(台北故宮博物院蔵)は、安禄山の乱で非業の死をとげた親族の顔杲卿、季明親子への哀惜の情を切々とつづったものですが、その文字づかいは「文は人なり」を感得させてくれ、その中で一瞬、真卿が心を鎮めて「嗚呼哀哉」と一行に書きとめたとき、人の吐露しうるものの極限をきわめたといわれます。落紙する瞬間の筆先が見えるほどの書家なら落涙をともにすることでしょう。
「路人皆知」(ろじんかいち) 20230524
路ゆく人だれもが知っている「路人皆知」(『三国志「魏書・少帝紀高貴郷公伝」』から)という成語は、三国時代に魏の実権を奪って帝位をねらう大将軍司馬昭を討つと決めたときの魏帝曹髦のことば「司ことは「」馬昭之心、路人皆知」に由来します。司馬懿の子の司馬昭が司馬氏が晋朝をたてる基礎固めを公然と行ったことから、陰謀家の野心を形容する際に用いられています。
最近の米日韓軍の連携や台湾への介入、経済的威圧、敵基地攻撃力などは中国敵視の内政干渉であるとして、中国政府は「路人皆知」のこととして批判しています。子どもたちは尖閣の日本領有をこの成語の事例解説として教えられているのです。「G7広島サミット」は、中国を中傷し内政に干渉する「路人皆知」の活動として反論。「強烈な不満と断固とした反対」を表明、日本政府に「厳正な申し入れ」をすることに。広島ばかりか日本の全国民の「路人皆知」が非核世界平和であることをどうしたら共有できるのでしょうか。
「良苗懐新」(りょうびょうかいしん) 20230531
苗床でしっかり育成した苗が田植え機で整然と植えられた水田が広がる。梅雨入りを前に田に人の姿はなく、穂先が日ごとに伸びて、秋の豊作を想わせます。「良苗懷新」(陶淵明「癸卯歳始春懐古田舎」から)を願ったのは、「 帰りなんいざ、田園将に蕪(あ)れなんとす(帰去来辞)」と詠った田園詩人陶淵明でした。官を辞して農人として生きる覚悟を決めたとき、実現を夢見た「良苗懐新」はどんな姿だったのでしょう。
かつて農業(一次産業)国だった日本は、先の大戦後に中小企業を総動員して工業(二次産業)国となり、優良製品を輸出し農産品を輸入して「飽食の時代」を謳歌してきました。いまや食料自給が深刻です。生産工程だけでなく、加工・流通まで一貫した六次産業化が課題になっています。中国でもこれまでは緑化策として「退耕還林」をすすめてきましたが、将来の一四億人の食料自給を確保するために「退林還耕」政策を導入しようとしています。「帰りなんいざ」なのです。
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2023年4月の「四字熟語の愉しみ」は
「是非口舌」「居大不易」「東倒西歪」「相濡以沫」を書きました。
「是非口舌」(ぜひくぜつ) 20230405
発言が引き起こした誤解や紛糾のことを「是非口舌」(馮夢龍『喩世明言』など)といいます。現在はSNSによる伝播の旺盛な時代ですから、とくに政界の目立ちたがりやが何かをいうと是と非がぶつかって炎上し、是か非かよりも燃えさかり方の激しさで評価されるもののようです。そんな中で昨年末に中国で、逆にことばを示さない「白紙」抗議運動がコロナウイルス(COVID-19)ゼロ政策を転換させる反政府デモとして成功させたことで注目されました。国内の重慶から発出して四年目の二〇二三年の「春節」はノーマスクで迎えました。わが国も三月一三日にマスクを個人の判断にまかせて脱出期を迎えようとしています。「舌尖口快」の自在な「街談巷議」こそが民主主義国の証しなのですから。 一方に、大江健三郎氏や坂本龍一氏のような論じてほしい著名人が、「是非口舌」の喧騒に巻き込まれないで静かに去っていきます。次の日の明け方の空に輝きつづける「晨星」のように、次世代に熱く語りかけることをせずに。
「居大不易」(きょだいふい) 20230412
この「居大不易」(張固「幽閑鼓吹」から)は、当時の世界的大都市であった唐の長安で「居をえて暮らすのは易しいことではない」というもので、詩人白居易(字楽天)は長安で「居、大不易」のまちを実感することになりました。
十五六歳の豪気の際立つ青年が科挙の考試で訪れた都長安で、名前を見、本人に会い、詩(「賦得古原草送別」)を読んだ文壇の領袖顧況が、「長安ではコメの値が高いし、居を得て暮らすのは易しいことではない」と告げたことから。のち顧況が玩笑しながら紹介したことからその名と詩が知られることになったようです。「官二代」でしたが父親は賄賂を受けず、「富二代」には遠く、借家暮らしをつづけて50歳になって長安城内に一戸を構えています。それでも晩年には東都の洛陽に邸宅を築き元稹らと交流し龍門山に墓所(白園)を用意して、75歳で去世しています。唐に勝る新中国のために働く清廉な国家公務員も、「居大不易」を実感していることでしょう。
「東倒西歪」(とうとうせいわい) 20230419
立ち姿が不安定で、傾いて今にも倒れそうな様子を「東頭西ひずみ」(馮夢龍「東周列国氏「83回」」など)といいます。平衡感覚の危ういよちよち歩きの子どもや、したたかに酔って倒れては起き上がる大人にもいいます。書き文字の場合はきびしくて、かなりの書家の作品でも、魏晋朝の字(王義之)を臨摸し、盛唐期(顔真卿など)に学んで美しく整えられていても、気息が一致しない「東倒西歪」が多いのだそうです。
屋外に目を転じると、わかりやすい事例は台風でなぎ倒された並木の風景でしょうか。CO2の削減に貢献している森林の樹木が互いに傾いて伸びているのは自然現象の「東倒西歪」。ウクライナ都市部の市民の住む住宅へのロシアの無差別砲撃で、建造物が「東倒西歪」どころか瓦礫になっている情景を目にします。旧式武器を新たな武器に置き換えるための実戦場は、大義とは異なる軍需産業の現実です。さらに進めば、史上もっとも劣悪な人為による「東倒西歪」の事例となるでしょう。
「相濡以沫」(そうじゅいまつ) 20230426
どんな患難にあっても、微薄ながらも持てる力を尽くして助けあう姿が「相濡以沫」(『荘子「大宗師」』から)です。嵐のあとに湖からの溢水でできた水たまり(荘子は泉水)が涸れてあえいでいる二匹の魚が、湖を思いつつ口中から唾沫を飛ばしてお互いを濡らしあっている情景を荘子は「相濡以沫」と記しています。雷雲がやってきて、命絶えていた二匹は雲龍となって天上に飛び去ったというのが子どもたちのための心優しい解説ですが、口げんかの末に唾をかけあう情景として覚えているようです。
人の世には「相濡以沫」の事例が多く知られます。「夫妻同心」で夫の芸術を支えつづけた妻の「相濡以沫六〇年」人生や、長年つれそった「同甘共苦」の盲人夫婦、「白頭至老」まで支えあう朋友同士、老師を支えつつ学流を継いだ弟子などには、常時通いあう感情が息づいています。スポーツで、全員で戦いぬいた勝利のあと、唾沫ならぬ美酒の飛沫に濡れて感激を共有する情景もそのひとつでしょう。
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2023年3月の「四字熟語の愉しみ」は
「白玉無瑕」「日進斗金」「掌声雷動」「緑肥紅痩」「父債子還」を書きました。
「白玉無瑕」(はくぎょくむか) 20230301
美しい白玉の器に一点のきずもないことが「白玉無瑕」(釈道原『景徳伝灯録「巻十三」』など)で、比喩として人や事物が完美無欠なことにいいます。「白璧無瑕」とも。聖賢君主の所説や屈原、諸葛亮, 包拯といった人物の所業などに例えます。好人物や美人でちょっと欠点があるのが「白玉微瑕」です。
「白玉楼」というのは、天上にあるとされる美しい白玉で飾られた楼閣のことで、夭折した文人や書家が召されて行き着くところとされ、地上で作品を残せなかったことを悼んで「白玉楼中」がいわれます。その代表が中唐の天才詩人李賀(字は長吉)で、「二十にして心已に朽ちたり」と詠った詩人は病をえて27歳で天上へ去りました。伝承によれば、死の床にあった李賀の前に竜に乗って赤い衣を着た人物が現れ、「天帝が建てた白玉楼に李賀を招いて詩を作らせる」ことを伝えたということから。歴代の夭折した天才たちは、いまも天堂の「白玉楼」で制作をつづけているというのです。
「日進斗金」(にっしんときん) 20230308
古来、中国の王朝の勃興期には陰で活躍する大富豪がいて政権を経済的に支えています。越王勾践につかえて富豪となった范蠡は財神、商祖とよばれ、「奇貨可居」(奇貨なり居くべし)と叫んで全財産を秦の子楚(始皇帝の父)につぎ込んだ吕不韋は相国となって『呂氏春秋』を編んでいます。近代では太平天国時代の胡雪巌と宗姉妹の父宗子文などが名を連ねています。この日に一斗の金が入ってくるという「日進斗金」は、屈指の大富豪といわれる胡雪巌に因む近代発祥の実用成語です。
新中国勃興期の現代も、IT企業や建設、流通などで大富豪の登場が想定されて、中国政府はそれを見越して「共同富裕」の政策をかかげています。が、一方に亞聖孟子が説いた「上下こもごも利をとれば国危うし」を歴史の教訓として文明大国をめざすのですから、「利」ばかりをいうわけにいきません。庶民のほうはわが家が富裕になれるよう、「日進斗金」をデザインした年画を張って新しい一年に期待をするのです。
「掌声雷動」(しょうせいらいどう) 20230315
わが国のドリームチーム「侍ジャパン」が野球の世界一になることを期待する観客席から、手拍子の「掌声雷動」(曾朴『孽海花「35回」』など)の応援が途切れなくつづいていました。「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の東京ドームでの予選4試合で連日のこと。コロナ対策のマスク姿でしたが、3月13日からは着用が個人の判断になりましたから、一六日の準々決勝イタリア戦ではマスクなしの「歓声雷動」もおこるでしょう。TV観戦でも勝利の余韻を満喫していましたが、一方に他国チーム同士の試合が内野自由席のみでも空きがあるというシーンも見受けられて。
中国では「掌声雷動」は、北京人民大会堂での全人代はもとより、講演や劇場でのカーテンコールや演奏会でのアンコールほかでも広くみられます。拍手は掌を合わせた程度から痛いほどに力を込めて拍つところまでありです。参会者から賛同の拍手が湧き、「掌声雷動」するようすは自然発出の分だけが余韻として残ります。
「緑肥紅痩」(りょくひこうそう) 20230322
水ぬるむ時節がきて、植物がいっせいに動き出し、「含苞欲放」のときをすぎて「百花斉放」「五顔六色」「斗色争妍」という花々が妍を争う「節令」の美のときを迎えます。人もまた爛漫の春をともにするのです。そのあとの「花残月欠」「緑暗紅稀」といった零落をいうのではなく、晩春の季のうつろいを伝えるような成語は少ないのです。
この緑の葉が際立ってきて紅色の花は盛期をすぎて目立たなくなる「緑肥紅痩」(李清照「如夢令、昨夜雨疏風驟」から)という春の名残りをたくみにとらえた宋代の女流詞人李清照の詞があります。日本では葉桜の風情を思わせますが、典拠の詞では淡紅色の花をつける海棠を「緑肥紅痩」の対象にしています。酔い醒めの朝に、簾をあげにきた侍女に、夕べの雨と風に海棠は無事だったかを問います。元のままですよが答え。「そう、そうなの」(知否、知否)と疑っていいます。花の盛りをすぎて挙措の美しさや微妙な感情表現を身につけた女性をいうようです。
「父債子還」(ふさいしかん) 20230329
勃興期にある中国では、事業に成功して豊かさを享受する一方に、債務を負うことになった人も増えています。父親が残した債務を子どもが負って償還することを「父債子還」(王少堂『武松「第2回」』など)」といいますが、親の所業がわざわいになる子どもの立場にたった負債の公平な処理が課題となっています。「負債は個人に属するもの」とされて、切り離して税と債務を処理したうえで遺産を平等に配分するということで、子女を保護する律師(弁護士)の力量の見せどころとなっているようです。
わが国の場合は、子女である国民に親である「国」が負わせる借金が安眠できないほどに膨らんでいます。ついに一二五〇兆円を超えて、生まれてくる子どもは一〇〇〇万円の借金をかかえて産声をあげるのです。子どもの犯罪被害や青少年の自殺が増えていく世相を見、将来の暮らしが保障されない若いカップルが子どもを持つことを躊躇することで、出生数が年八〇万人を切っても止まらないのです。
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2023年2月の「四字熟語の愉しみ」は
「鑿壁借光」「三心二意」「色即是空」「茂林修竹」を書きました。
「鑿壁借光」(さくへきしゃくこう) 20230201
いま民族復興への潮流の中にあって、精神的に「一清二楚」であり事業を熱心に展開する人材はいくらでも必要ですから、学問を励ますことばも多様で、本稿でも「嚢蛍映雪」「自強不息」「牛角挂書」「有志竟成」などを紹介しました。
家が貧しく灯油が買えない中でも刻苦して学問につとめた事例としてよく知られているのが、この前漢の匡衡にかんする「鑿壁借光」(劉欣『西京雑記「巻二」』から)です。隣家の壁のすき間から漏れてくる細い光を知って、壁に小さな孔をあけて光を取り入れて読書をしたというのです。とくに「五経」のひとつである『詩経』の研究に没頭し、その精細な研究が世に知られて取り立てられ、のちに丞相まで昇りつめました。いま子どもたちの絵の素材となり、また屋外に塑像もつくられて親しまれています。専攻学科の点数よりも学友の笑いをとることに熱心な日本の学生の「愛痴」化と対比して、知能にも技能にも生じる差は、経済成長の差と無関係ではないでしょう。
「三心二意」(さんしんにい) 20230208
三と二のとり合わせが巧みな常用語のひとつです。三から二へですから多くはないのですが確かな存在を伝えます。本来あるべき「一心一意」ではなく「三心二意」(関漢卿『救風塵「第一折」』など)となると、決心がつかず迷う、中途半端、各自が主張するということに。子どもの生育過程で見られますから、学校に入るとこの四字成語を学んで、育ちの異なる仲間と接する心構えを身につける教育培訓を受けます。ですが、同じ一人っ子で育った人たちの中に「粗心大意」の大人が見られるようです。学校や特に父親にきびしく欲求を抑えられたことで、合作意欲に乏しく、責任意識に薄く、自己中心という「三心二意」の症候を発するようになってしまったというのです。
もうひとつ三と二にかんして「三平二満」に触れておきます。「脱貧」を成し遂げて政府は「共同富裕」を次の目標としていますが、不平不満はあっても人民は、貧しくなく暮らせる「小康」が何よりなのです。格差が多少露出しても。
「色即是空」(しきそくぜくう) 20230215
わが国では二月一五日が釈尊(ゴータマ・シッタールタ)入滅の日とされて、各所の寺院では「涅槃会」がおこなわれます。八〇歳を迎えて涅槃の近いことを自覚した釈尊は、王舎城の鷲の峯(霊鷲山)を下りて、阿難(アーナンダ)をともない生地ルンビニーに向かいます。ガンジスを渡ったクシナーラで涅槃を迎えます。
仏教は日本でも広く受容されて、四字熟語も「自由自在」「不可思議」「一念発起」「四苦八苦」「自業自得」など、それと気づかないほど多くあります。中国でも「拈華微笑」「不生不滅」「超塵抜俗」「面壁九年」「唯我独尊」など。唐代に玄奘が漢訳した『般若心経』が読誦・書写されています。真実の智恵(ハンニャ)の精髄(心)を述べた経とされ、その核心が「色即是空 空即是色」です。生命(人)は形「色」を持って活動するが無常であり、不滅の「空」を知って修行によって仏性をえて「涅槃」を迎えるのが至上と説いています。西洋の「神」とは異なる東洋の存在論(文明論)なのです。
「茂林修竹」(もりんしゅうちく) 20230222
「修竹」は高く伸びた竹をいいます。有名な王羲之の「蘭亭序」に、遠景に「崇山峻領」、近景に「茂林脩竹」という会稽山麓の風景が記されています。伸びやかな竹に囲まれて渓流を引き込んだ曲水の傍らに座して、流觴(流れてくるさかずき)を待ちながら詩を書く文人たちの手には愛用の筆。管弦の盛はなくとも「恵風和暢」(「令和」の和の漢籍典故)があって。竹の効用については「胸有成竹」の条で述べました。
急速な都市化への懸念から「茂林修竹」への関心が高まっているようです。四川の岷江流域では「茂林修竹」と美田によって錦絵のような蜀風雅韵を残そうとし、武漢近郊では山,湖,竹林に囲まれた別荘での隐居を広告しています。郷村社区でも緑道、公園、景観に竹という生活圏が指向されています。わが国では竹の需要がなくなり放置されて繁茂した竹林が目立ちます。竹の効用を見直し、森林総合監理士(フォレスター)やSDGsの見地からの「茂林修竹」の整備が急がれます。
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2023年1月の「四字熟語の愉しみ」は
「強顔歓笑」「任人唯賢」「眼空四海」「花多子少」を書きました。
「強顔歓笑」(きょうがんかんしょう) 20230104
表情をこわばらせながらも努めて笑い顔をつくることを「強顔歓笑」(蒲松齢『聊斎志異「卲女」』など)といいます。「強顔為笑」とも。そんなつくり笑いのような新年「賀正」を迎えています。コロナ禍、ウクライナ侵攻、軍事費増と軍事力増強、増税と物価高、頼りない政府・・途切れない難題を前にして。
「以泪洗面」とさえいえそうな。でも、民放テレビ各社は美人アナをそろえて新年番組を競っていましたが。同じ化粧法で美人差がなくなって、いまや「有説有笑」の秒単位で笑いがとれる女性「お笑い芸人」のギャハハ笑いに視聴率のかせぎ役を移しているようです。おだやかな四字熟語「喜笑顔開」や「笑容可掬」はどこへやら。世を明るくするという女性の多様で喧しい笑いが横行しています。ちかごろは女の子が、ギャハハ笑いが大人をよろこばせるのを知って多用しているのだそうです。笑い声に期待しない「眉開眼笑」が懐かしくさえ思われます。
「任人唯賢」(にんじんゆいけん) 20230111
官員を任用するにあたっては、徳才兼備の優秀な人物であることが判断の基準となるというのが「任人唯賢」(『書経「咸有一徳」』など)です。裏読みを要しない一貫した意味合いで、戦国時代いらい時代を越えて用いられてきました。党大会報告で習近平総書記が取り上げた「中華文明の智恵の結晶」(一〇古語)のひとつです。ですから胡錦濤前主席の体調不良による退場を「不和」とみる見方がありましたが、中国文明の智恵の結晶として「任人唯賢」を取り上げている現場でのありえない憶測なのです。
毛沢東に幹部の問題に関して、「わが民族の歴史には対立するふたつの路線がある。ひとつは任人唯賢であり、ひとつは任人唯親である。前者が正統派である」が知られます。「中国式現代化」は毛沢東・鄧小平・習近平三代の初期段階をへて、これから第2の100年をめざして盛時に向かいます。どんな徳才兼備の人物が登場してくるか。だれにもわからないのですが、登場することは確かなのです。
「眼空四海」(がんくうしかい) 20230118
四囲の状況は目にしていても内容までは謙虚に理解できていないようすを「眼空四海」(李贄『焚書「答耿司寇書」』など)といいます。昨年らい岸田首相は、二〇二三年のG7議長国として、二〇二三年からの国連安保理非常任理事国としての立場で、民主主義国の結束を呼びかけて「国際平和」の外交行脚をつづけています。大戦後の国民が支持し、歴代の外相+外務省が一貫してきた「非軍事・平和の国づくり」を、いまこそ「世界平和」の国際世論とせねばならないからです。
ここで四囲を見定めねばならないのは、中ソ両隣国の動向です。「眼空四海」といえる岸田首相は、両大国の反応を黙視して、国際協調のバイデン政権下とはいえ自衛隊の「敵基地反撃能力」の所持で米軍に一体化し、軍事費の歴史的増額を約束しています。軍事費をのちに予算化する手法は戦前と変わらず、決定の順序をまちがえているのです。岸田氏は平和日本を戦間期に引き込んだ首相となるのです。
「花多子少」(かたししょう) 20230125
花は多く開くけれど実になるものは少ないというのが「花多子少」(翟灏『通俗編「草木」』から)です。「春華秋実」の実景として理解されていますが、この清代の典拠では女性は多く孕むけれども子としてすべてが育つわけではないという比喩として用いられています。日本も途上国から近代化する過程で「人口爆発」を経験しています。とくに戦前には「産めよ増やせよ」という「人口政策確立要綱」(閣議決定・1941)の時期がありました。兄弟の多い家庭では一人か二人の早世した兄弟があったのです。
急激な「少子化」が危惧される現代の子育て世代には理解しづらいでしょうが、後進国では近代化に対処するために人力を必要として「人口爆発」という事象を体験しているのです。一人っ子が両親と祖父母六人にかこまれて育てられる現代が平常とはいえないのです。アフリカまでが「人口オーナス」(高齢化による負担)を迎えたときに、どんな「花多子少」が求められるかはだれにもわからないのです。
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2022年12月の「四字熟語の愉しみ」は
「一期一会」「親仁善隣」「不畏強権」「動如脱兎」を書きました。
「一期一会」(いちごいちえ)20221207
中国は今後一〇〇年で偉大なる中国の復興を実現するために、中華文明の智恵の結晶として「天下為公」「民為邦本」「天人合一」「自強不息」「厚徳載物」「革故鼎新」(以上別項)など10成語を掲げています。わが国自創の「一期一会」や「一生懸命」も、世紀を越えて智恵の結晶として漢字文化圏に生きつづける成語であることを記しておきたい。
「一期一会」(「山上宗二記」から)は、戦国の時代に、茶を介した「一生一次」の対面の場で客人に生きることの刹那であり貴重であること、日本の伝統文化の中の無常観を究めて伝えているからです。最近は中島美雪が「一期一会」で、中国のファン(美雪迷)に「笑顔」の大切さを語りかけています。江戸時代の武士の信条「一所懸命」が変じた「一生懸命」は、稲盛経営哲学として、最近は羽生結弦のスケート人生に賛同する人びとの胸奥に収まっています。防衛費増? 心を尽くして客をもてなす文化をもつ国を、だれがどんな力で攻めてくるのでしょうか。
「親仁善隣」(しんじんぜんりん)20221214
「中国文明の智恵の結晶」(「二十次全国代表大会」習総書記報告)として掲げられた「一〇古語」のうち、隣国のわが国にかかわりがあるのがこの「親仁善隣」(『左伝「隠公六年」』から)でしょう。
習主席は「親仁善隣、協和万邦」として引用しています。典故の『左伝』では紀元前七一九年に、宋・衛が同盟を結んで北方から鄭に侵攻してきたときのこと、鄭は隣国の陳に同盟を求めます。そのとき「親仁善隣は国の宝なり」と陳侯に言って鄭との同盟を勧めたのは弟でしたが、兄の桓公は宋・衛との関係を重視して拒んだため実現できなかった事例なのです。中華文明の一貫した処世の道とされていますが、それを拒否した自省をこめたもので、「一〇古語」のうち用例が少ないのがこの「親仁善隣」なのです。中華思想が浸透していた唐代の中国で日本からの遣い人が見たのは「親仁善隣」の国であったかどうか。いまのままで巨大な中国が立ち上がったときに、国際友好の善隣関係が確保されるかどうかは未知の姿なのです。
「不畏強権」(ふいきょうけん)20221221
来たる二〇二三年一月一日から二年間、わが国は一二回目の「国連安保理非常任理事国」(一〇か国)の任に当たります。局地戦を未然に防ぐ軍事力と恒久的権利である「拒否権」をもつ常任理事国のロシアがウクライナに侵攻し、アメリカが「わが国ファースト」の潮流をつくり、中国の王毅外相が国連で「不畏強権」(現代成語。古語は「不畏強御」)でアメリカをおそれず立ち向かおうと呼び掛けるなど、国際協調とは逆の流れを強めているのです。
「非軍事・平和」の憲法を掲げて国づくりに努めてきたニッポンは、国際協調がかなめ。国際平和のために米中ロに対してわが国こそ「不畏強権」で当たるべきで、アメリカの核の傘の下で安堵しようとし「安保関連三文書」で国を守ろうなど筋違い。内閣の判断に委ねず、広く国民の声を結集して国民的合意を得て、「常任理事国」の米中ロ三大国には国際平和に資する力の行使を求め、多くの中小国には平和な国づくりを共有するよう訴えて、国際的「黄金の二年」とすべきでしょう。
「動如脱兎」(どうじょだっと)20221228
出典は『孫子「九地」』の「始めは処女の如く、後は脱兎の如し」からで、「静如処子、動如脱兎」と合わせて用いられます。攻め方の戦法で、行動しないときは嫁入り前の女子のように沈静にし、行動するときは罠から脱出した兎のように敏捷にというのです。「脱兎のごとく」は敏捷に動く比喩としてよく用いられます。
敵の多い原野で闘う武器(器官)をもたない「平和主義者」の野ウサギはどうやって生き伸びているのか。長い耳による危機察知能力とすばしっこく跳んで逃げられる後ろ足と、三つの隠れ場所を持っているというのが「狡兎三窟」(『戦国策「斉策」』から)です。外敵の迫るのを察知して素早く隠れ場所のひとつに逃げ込みます。「二兎を追うもの」は6窟を相手にするのですから、一兎をも得られない結果になっても仕方ないでしょう。外敵に対抗する武力をもたない平和小国日本は、敵にも味方にもなる米中ロ3大隣国を3窟として、巧みな外交力によって難を乗り越えていくのでしょう。
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2022年11月の「四字熟語の愉しみ」は
「鮮克有終」「愛財如命」「革故鼎新」「天人合一」「自強不息」を書きました。
「鮮克有終」(せんこくゆうしゅう)20221102
「有終」は、労苦して目的を成し遂げたあとに「有終の美を飾る」として用いられています。が、原典の『詩経「大雅・蕩」』では「初め有らざるは靡(な)く、克(よ)く終わり有るは鮮(すくな)し」(靡不有初、鮮克有終)なのです。世に「有始無終」の事例が多いことにかんがみて、初期の段階で謙虚に「善始善終」をめざそうというのです。
『明史』を読んだ毛沢東がその衰亡の個所にこのことばを注記していることが知られ意識されて、「憂患意識」を強くして中国特色社会主義の達成に当たらねばというのです。そうして「民富国強」の経済が推移していけば、いま六二位の一人当たりGDP(日本は二七位、台湾は三一位)は着実に差をつめることになります。歴史に重ねて推測する「史不絶書」(『左伝「襄公二九年」』から)を通じて、唐・宋・明王朝各三〇〇年に並ぶ「現代史」(毛沢東、鄧小平、習近平期は初期)の長期展望が描けるのです。内外の諸課題に「鮮克有終」を避けることによって。
「愛財如命」(あいざいじょめい)20221109
「財を愛すること命のごとし」(清・羽衣女士『東欧女豪傑「四回」』など)は、銭財に対して極端な吝嗇(ドケチ)なことをいいますが、初出は近代のようです。一方の極端な浪費をいう「揮金如土」は宋代には見えますから、財貨にかんする生活感覚は時代により変化があるようです。大量生産でモノ余りの生じた現代の特徴を示すのが「断捨離」です。「断捨離」はご存知のように、ヨガの修行を基礎にした生活上の思考法で、不用になった所有物を断ち、捨て、執着から離れることで、不用のモノに囲まれた生活から快適な暮らしを取り戻すこと。山下英子が『新・片付け術 断捨離』(2009)で提唱して流行になり、2010年の新語・流行語大賞にもノミネートされました。中国でも事情は同様で、「断舎離」は「2019年度十大ネットワーク用語」に入選しています。
人生は数十年、モノの命はそれを超えるものもあります。生きているあいだ愛し、その先にも持っていきたいモノ、それが現代の「愛財如命」の理解なのでしょう。
「革故鼎新」(かくこていしん)20221116
故(ふる)きを温(たず)ね新しきを知る「温故知新」(『論語「為政」』から)はよく知られて用いられますが、このままでは知識であって何も新しくはなりません。故きを革(あらた)めて新たに鼎(たて)る「革故鼎新」(『周易「雑卦」』から)があってはじめて具現化されます。習近平総書記が「二十次全国代表大会報告」(一〇月一六日)で、馬克思主義(マルクス主義)を中国に活かす中華文明の智恵の結晶(古語一〇語)として、「天下為公」「民為邦本」「為政以徳」「任人唯賢」「天人合一」「自強不息」「厚徳載物」「講信修睦」「親仁善隣」とともに「革故鼎新」をとりあげたのは、第二の百年に向けて「現代化」を強力に推し進めるため。この成語は唐王朝の初期にも叫ばれて大唐盛世を現出し、近代にも『新青年』第一巻第一期 に掲げられています。
長期展望ままならない日本は、「革故鼎新」を掲げて「前無古人*」の事業を「日新月異」の勢いで展開する隣国と一〇〇年を付き合う覚悟がいるのです。
「天人合一」(てんじんごういつ)20221123
わが国でも同義で知られる「天人合一」(張載『正蒙「乾称篇」』など)が、「二十次全国代表大会」報告で「中国文明の智恵の結晶」(古語一〇語)の一つとしてピックアップされています。この成語は、儒教では人を超越した「天」の気(生命現象)が「人」を動かし、「人」の気が「天」を動かすとされ、人(天子)の所業に感応して「天命」を下すとされています。そこで人は進退をかける際に「天命を聴く」ことになります。
ここで注目されるのは、中国がいまや西欧でも大衆的基盤を失った馬克思(マルクス)主義の世界観を堅持して、伝統文化と結合して、中国特色社会主義の展開につなげようとしていることです。マルクス主義は科学的唯物主義の理論であり、唯心論(創造主である神GODの存在)を否定しています。中国文明に神(GOD)は存在しませんから、マルクス主義を中国文明の智恵の結晶である「天人合一」と結合させて、「神(GOD)」と「天」の文明論争に備えようというのでしょう。
「自強不息」(じきょうふそく)20221130
最新の「世界大学ランキング2022」(英国教育情報誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」)によると、オックスフォード大学(一位)、ハーバード大学(二位)など英米大学が上位を占めるなかに、中国の清華大学・北京大学がそろって一六位に入っています。ちなみに「世界の東京大学」(憲章前文)をめざす東京大学は三五位、京都大学は六一位にランクイン。環境・研究・論文・国際性などの評価基準をとやかくいうより現状を率直に認めることでしょう。
アジア首位の清華大学の校訓が「自強不息、厚徳載物」(『周易「乾」「坤」』から)で、自ら努めて息(やす)まず、徳を積んでどんな任にも当たるということ。もう一つ「自強不息、知行合一(王陽明『伝習録』から)」を校訓としているのが瀋陽の東北大学です。一九二八年当時、日本の影響下にあった東北で、校長張学良が中国自強の信念と理想をもって学ぼうという強いメッセージをこめたもの。どの分野でも成功をおさめた人の胸奥にはこの「自強不息」が居座っているのです。
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2022年10月の「四字熟語の愉しみ」は
「秋行夏令」「口若懸河」「剪燭西窓」「憂患余生」を書きました。
「秋行夏令」(しゅうこうかれい)20221005
暑熱の夏が去って涼爽の秋がやってきました。夏から秋に季が改まったのだから、無自覚に旧事にしたがって過ごすのはやめようというのが「秋行夏令」(魯迅『阿Q正伝「第八章」』から)です。迎える寒冷期にそなえて動物は冬毛に人は衣替えをして支度をします。中医では秋季養生として気温の変化と乾燥に気をつけ飲食習慣の調整を求めています。気温の急激な下降は野に露を生じて、二十四節気には白露と寒露があり、玉露は中国では名酒の、日本では名茶の美称となっています。
今年は真夏日、猛暑日、熱帯夜がつづく極端な暑夏の日々に見舞われました。山東の農村のことわざに「大熱のあとに大寒あり」があります。ふたつの節日、重陽節(農暦九月九日、老年節=敬老の日)は10月4日、寒露が10月8日で、寒露より前に重陽節がやってきます。陽気が居座り寒気を抑えた今年の「秋行夏令」は、穏やかな秋行がなく一夜入冬して破天荒の寒冬になると“予報”されているのです。
「口若悬河」(こうじゃくけんが)20221012
演説や講演が滔々と淀みがないことを「口若悬河」(『儒林外史「四」』など)といいます。女性講演者のあたかも音楽を奏でているような心地よい弁説は、終えてはて内容はということに。これを日本では「立て板に水」といいますが、やや用例が小さい。「懸河」は瀑布のことで、山間を瀑水が流れ下るようすに例えているのですから。
「滔々不絶」を「懸河」に例えた語源は、晋朝の郭象(子玄)の学識と弁才に対する王衍の「懸河瀉水」から始まるようです。唐代の韓愈には「口如懸河」が、白居易には「口似懸河」が見えます。「口若悬河」(宋・『趙蕃「淳煕稿一六」』など)は後人が用いたもの。「閉口無言」が許されない放送リポーターには「タテ板に水」が似合いですが。官僚がまとめた文章をつっかえたり読み抜かしたりする国会答弁を揶揄して、これまで原稿を見ないプーチン氏の口才を評価してきましたが、いまや悪例の最たるものに。よく聞く立場の警察官や学生は「闭口若悬河」がよいとされます。
「剪燭西窓」(せんしょくせいそう)20221019
「剪燭」は余った燭芯を起こして照明の明るさを維持すること。晩唐を代表する詩人李商隠は、西の窓辺で弱く灯っている燭灯を明るくすることで、遠方にいて会えない妻子を思う心情を表現しています。「剪燭西窓」(『李義山詩集「夜雨寄北」』より)がそれ。地方官として赴任して、寂寞として眠れない秋の雨夜(巴山夜雨)に、細くなった燭を明るくすること(剪燭西窓)でこらえている詩人の思いがこのことばを不朽にしています。「西窓」であることは晴れていれば月の光が差し込むからでしょう。
しかし「剪燭西窓」に託した李商隠の孤独でやりきれない情感を吹き飛ばすように、後代には秋の長雨の夜に明るくした灯火の下で夜を徹して友と語り合う意味合いに変えています。が、いまも電話やメールで語り合える現代の環境では理解の届かない深い情感をこめて用いられています。わが国の鈴木翠軒『剪燭庵流萍集』(昭和17年)では古今の人物が呼び出されていますから、後者の例といえるでしょう。
「憂患余生」(ゆうかんよせい)20221026
「憂患」は憂苦患難のこと。眼前の憂患を乗り越えた先に「安居楽業」の人生が得られることを「憂患余生」(蘇軾『東坡題跋「跋嵆叔夜養生論」』など)といいます。孟子も「憂患に生き安楽に死す」(『孟子「告子下」』から)と説いて憂患に生きることを勧めています。「憂患意識」は中国の知識人が保ってきた伝統文化の重要な要素で、中華民族が苦境から脱して新たな国家を形成する際の源泉になってきました。
いま中国が特色ある社会主義社会の達成にあたって、習近平主席はその推進者である共産党員に、「一以貫之」の意識として「憂患意識」の共有を求めています。党は憂患から生まれ、憂患により成長し、憂患ある政党となった。「中国夢」を達成するために「憂患意識」を増強し「居安思危」の思いで実践しようというのです。温家宝前首相は「憂患与故」(『周易「繋辞下」』から)を引いています。「故(こと)」というのはかつて発生した事態をいいます。「憂患と故」をあわせ考えようというのです。
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2022年9月の「四字熟語の愉しみ」は
「敬天愛人」「杞人憂天」「直木先伐」「大動干戈」を書きました。
「敬天愛人」(けいてんあいじん) 20220907
天を敬い人を愛するという「敬天愛人」(『南洲翁遺訓「二一・二四」』から)は、西郷隆盛の講学の心得として知られますが、企業家稲盛和夫が中国で揮毫した四字熟語として広まりました。『私の経営を支えたもの 敬天愛人』という著作もあり、鹿児島生まれの稲盛が京セラ(京瓷公司)の社是とした郷里の偉人の遺訓です。
八月二四日の稻盛和夫の去世(九〇歳)は、中国でニュースとして伝わりました。戦後の日本経済を世界第二位まで発展させた四大経営者として、松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、稻盛和夫の業績や言動は、中国の企業人のモデルとされています。傍ら「盛和塾」(一九八三~二〇一九)の塾長として西郷の「敬天愛人」の精神に基づいた経営のあり方を後進に伝授してきました。塾生は国内外で計一〇四塾一万四九三八人(二〇一九年末)に及びました。中国の史書に「敬天愛民」(『元史「丘処機」』など)は見えますが、「敬天愛人」は新しい経営哲学の名言として受け入れられています。
「杞人憂天」(きじんゆうてん) 20220914
「助長」や「杞憂」は、日常の会話や文章で用いられています。宋国の愚かな農民が苗を早く伸ばそうとして枯らせてしまう「抜苗助長」(別項)は良い意味では使われません。一方の杞国の愚かな住民は天地が崩れたらどうしようと憂えたことから「杞人憂天」(『列子「天瑞篇」』から)がいわれます。杞国は夏(桀王に終わる)の末裔が移されて住んだ地域、宋は商(紂王に終わる)の末裔がつくった国。黄河と淮河にはさまれた地域で、周辺諸国からは「杞宋無徴」として侮られました。その宋国の蒙の地に住んだのが荘子。命の形態の規範をふりすてて他と我の間を行き来するひらひら胡蝶との「斉同」は「荘周夢蝶」(別項)として知られます。
いま戦場で、頭上での核爆弾の炸裂は、「天地が崩壊する」情景と重なります。「はじめに神(GOD)ありき」とする西の文明は危うく、「はじめに命ありき」とする東の文明に希望があるのです。「子どもにチョウの舞を見せてあげて」といわれて、軽く「杞憂です」と応じないように。
「直木先伐」(ちょくぼくせんばつ) 20220921
用材にむいた真っ直ぐな木から先ず伐採されるというのが「直木先伐」(『荘子「山水篇」』から)です。おいしい水の出る泉から先ず涸れるという「甘泉先竭」(別項)とともに、才能や長所はかえって禍になると荘子はいうのです。天年(天寿)を全うするために、「有用の用」とともに「無用の用」を知ることをすすめます。
自然界のほうにも「木の用」はさまざまあって、「良禽択木」「喬遷之喜」でみたように鳥の用をはじめ、さまざまな生き物の用を果たしているのです。木自身も春に芽を生じて夏に茂り秋には葉を根元に落として「葉落帰根」で将来への準備をします。本稿では「木已成舟」を有用の例として取り上げましたが、舟にすればすぐに沈み、棺にすればすぐに腐り、器にすればすぐに壊れるような「散木」ではなく、ほどほどの役を果たしながら大役(大用)は避けること、「木雁之間」でみたように「良材と不材との間」にいることだと荘子は言い残しています。成果主義の時代に要請とはいえ才能を枯渇させてしまわないように。
「大動干戈」(だいどうかんか) 20220928
大いに騒いで干戈(兵器)を動かすという「大動干戈」(『論語「季氏篇」』から)は平和の時代には用例が少ないと思いきや、現在はお互い譲れない状況で張り合って事をなす場面で広く用られているようです。人こそ殺さない比喩的な用法で、勝敗をつけるために武力(干戈)は生かされているのです。譲れない事情で争う夫婦ケンカでも、北京の地下铁車内での殴り合いでも、農地の整地作業の現場でも。歴史的には同胞にあるウクライナへのロシアの侵攻は、文字通りの「大動干戈」。軍事的に従属させ住民投票をおこなって領土にしようというのです。
典拠の『論語』では、大国が域内にいま取り込まなければ後世に憂いを残すという理由で小国に兵を送ろうとします。対して孔子は、「遠人服さざれば則ち文徳を修めて以ってこれを来す」べきであり、「干戈を邦内に動かすことを謀る」のでは「遠人服せずして来らず」の結果になるといいます。答えは弱者への侵攻ではなく大国の側の塀のうちにあるというのです。
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2022年8月の「四字熟語の愉しみ」は
「美食甘寝」「巧遅拙速」「衆志成城」「指桑罵槐」「竜(虎)頭蛇尾」を書きました。
「美食甘寝」(びしょくかんしん) 20220803
美味しいものを食べて、心地よくやすむ「美食甘寝」(陳翰『異聞集「廬江馮媼」』など)というのは、歴代の皇帝の周辺にはありえても、百姓の民には夢としてありつづけてきました。二〇〇〇年の貧困を脱し、「民為邦本」の民を国の本とする古代の理想をめざす「小康社会」で、「吃得香甜,睡得安稳」のための基盤をかためようとしている中国。
一方、わが国では、四時から五時の電力供給の余力を示す「予備率」が5%を下回る見通しのとき、東京電力管内では「電力需給ひっ迫注意報」を発令し、さらに「警報」もありえます。熱中症にならないためにエアコンは適切に使用しながら不要な電力の節電をというのです。格差が広がり、賃上げが一九円という低成長の国での値上げラッシュ。スーパーで選んで買い物をし、電気代節約でエアコンを止めた部屋で過ごす人びと。これまで平和な国で、国産の優れた電化製品に囲まれて、世界中の農産物を飽食してきた「美食甘寝」の基盤が崩れようとしているのです。
「巧遅拙速」(こうちせっそく) 20220810
「巧拙」にかんして、「巧遅」は出来はいいが仕上がりが遅い、「拙速」は出来はまずまずでも仕上がりが速いという対立する二者を「巧遅拙速」(李東陽『麓堂詩話』など)として合わせて用いています。その上で「巧遅は拙速に如かず」は行動の迅速であること(拙速)の重要性を強調していることばです。傍らに「弄巧反拙」(蔡東藩『民国通俗演義「九七」』など)があって、聡明さにおぼれて(弄巧)、遅いけれども着実な「朴拙」な人に劣ってしまうということわざとして伝えられています。先に「大巧若拙」(老子)を紹介しましたが、「朴拙」な人びとを根底で支えています。『孫子「作戦篇」』では「拙速はよくあるが、巧之久(巧遅)はみたことがない」といいます。
現代の用法では、日本教育学会が「9月入学の拙速な導入に反対」というあたりが通常の用例ですが、ビジネスの世界では行動が優先されて、とくに企業として成功しているトヨタの生産方式「カイゼンは巧遅より拙速」は現代ビジネス用語です。
「衆志成城」(しゅうしせいじょう) 20220817
あれこれの困難な事象の対処についてみられるこの成語は、すでに『国語「周語下」』に諺として「衆心成城、衆口錬金」として現れます。のちに「衆志成城」として、時代を超えて意味合いを変えずに用いられてきました。志をひとつにし、城のように堅固にして当たれば課題は必ず克服できるという強いメッセージを伝えて。
目下の困難な課題はコロナ禍ですから「衆志成城、抗撃疫情」です。二〇二一年の「新年賀詞」で、習近平主席も「衆志成城で当たろう」と呼びかけています。海南省で感染が発生すれば、ただちに江蘇省(無錫市)から医療隊がかけつけています。また「衆志成城、抗震救災」もあります。四川省での地震のときには、ボランティアとともに李克強首相も被災地にはいりました。日本を逸れた台風が上陸して暴風水害が発生すれば「衆志成城」の出番です。ちなみに東京の高級住宅地「成城」を開いた成城学園の名は、『詩経「大雅」』の「哲夫成城」(哲夫城を成す)から採られています。
「指桑罵槐」(しそうばかい) 20220824
桑を指して傍らの槐を罵ることを「指桑罵槐」(曹雪芹『紅楼夢「一六話」』など」といいます。そこにいない別人を罵ることで身近にいる人に警告を与えるときに用いられます。「声東撃西」「笑裏藏刀」「遠交近攻」などとともに兵法書「三十六計」の二十六にあてられています。いまは計略というより目の前の相手を傷つけない処世術として。情報時代になって国家間の意思疎通も進んでいますが、それぞれ古今の来歴があって、中国からみると西方の思惟方法は「直線的」であり中国のそれは「跳躍的」であることで、生活の方式も「民主」の組織化も形が異なります。そこで「指桑罵槐」ということになります。アメリカの政治家ならどうということもない手法ですが、中国から見るとトランプ氏が政敵を倒して政界を牛耳る戦術が「指桑罵槐」に見えるようです。
槐は守土樹として大切にされたようで、よく知られた成語ですから桑と槐を他に入れ替えて活用されています。通俗的にはもっと身近な「指鶏罵狗」があります。
「竜(虎)頭蛇尾」(りゅう・こ・とうだび) 20220831
わが国では「竜頭蛇尾」(朱熹『朱子語類「第130巻」』など)が普通ですが、中国では「虎頭蛇尾」(元・康進之『李逵負刑「第二折」』など)が普通です。子どもたちはじょうずに虎の頭をして蛇の尾をもつ動物の絵を描きます。勢いよく始めたものの尻切れの「有頭無尾」にならないよう「虎頭蛇尾」を描くのでしょう。多いゆえの戒めをこめて。魯迅や謝冰心の文にも見えます。もちろん「竜頭蛇尾」のほうも郭沫若などが用いています。
なぜいま「虎頭蛇尾」かは多くの事例が露出しているからです。大都市では高級マンションが建設途中のままの姿をさらしていたり、地方では地元文化財の展示を競って非国有博物館はできたものの、展示品の質的不備で開館できなくなったり。GDPで二〇一〇年に日本を抜いて世界二位になったあとも成長をつづける中国から、かつての成長力を失い地を這うような低成長の日本経済の現状を例えていわれます。同じトラなら「看猫画虎」の絵を描くような子どもを育てて未来を託さねば。
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2022年7月の「四字熟語の愉しみ」は
「一弁心香」「独子得惜」日積月累」「貪夫徇財」を書きました。
「一瓣心香」(いちべんしんこう)20220706
ひとつまみの、はなびらほどのまごころを捧げることを「一瓣心香」(韓偓「仙山」など)といいます。弁は「瓣」の字でここははなびらのこと。喜怒哀楽とくに労苦をともにしてきた者同士の間で「一瓣心香」が交わされて人生の支えになっていますから、さまざまな場面で用いられています。日本ではふつうに見られる霊前でひとつまみの香を焚くことは、仏家が「虔誠敬礼」の心意を示すためにもたらしたものとされています。臨済禅などではいまも南アジア産の「瓣香」という仏の手の形に似た香木を用いているようです。香を「聞く」という香道の奥義に立ち入る場ではないですが、上古より「聞香」を通じて自然の声を聞くという伝統文化は、とくに喧伝もされずに静かに引き継がれています。
道教には仏教のような「三宝(仏法僧)」を敬う焚香の所作はありませんが、「心香」は重要視されていて「道香」など八種の香が神明に達し天道に帰す道程とされています。文筆家は風月など談ぜず「一瓣心香を掬う」ことを近代の作家魯迅も求めています。
「独子得惜」(どくしとくせき)202207013
「独子」は一人っ子。「惜」は心から去らせずいとおしむこと。一人っ子が父母の寵愛を一身に受けて育つことが「独子得惜」(『警世通言「巻三一」』など)です。中国では近年、人口抑制のために「国家富強家庭幸福」を掲げた「一人っ子政策」(計画生育政策、一孩政策)が一九七九年から二〇一四年まで三六年実施されました。その後は二人っ子、三人っ子と緩和されましたが、教育環境や格差などもあって一人っ子の傾向はなお続いているようです。二〇代から四〇代になったこの世代の人たちが新たな社会をつくり経済を成長・発展させて、「中国夢」を実現することになります。養育にあたって「独子得惜」が行きすぎて溺愛したことから「小皇帝」といわれる驕慢な性格が根づいたとされて、結婚や人間関係などで社会問題が生じています。
「惜」のうちでヒト、モノ、金銭、時間・・などを命がけでまもろうとするような深い愛惜の情を「珍惜」といいます。テレサテン((鄧麗君)が歌った「珍惜(かぐや姫「神田川」の中国版)」の歌詞は「我会很珍惜」(私はとても大切に思う)と歌い上げています。
「日積月累」(にっせきげつるい)20200720
日月をかさねて長期に不断に累積しつづけることを「日積月累」(『朱文公文集「答周南仲書之二」』など)といいます。出典に宋代を代表する学者朱熹を取り上げましたから、ここで積み上げるのは学識ということになります。随時考究し論じ、日々整理し理解を深めていけば、おのずから学問は成就するというのです。学者でなくとも課せられる古詩詞や四字成語を日課として復唱している子どもたちは、先人が人生を懸けて残した叡智を知らず知らずのうちにわがものにしているのでしょう。
すでに前漢時代に董仲舒が武帝に上申したという同義の「積日累久」(『漢書「董仲舒伝」』から)があって、官吏は年数による功績や功労だけで昇格させると才能や能力がある賢臣が育たないというもの。また善行をかさねる「積善余慶」は子孫の代にまで福運が及ぶというもの。対して「積悪余殃」があって、にいたるこちらは災いが子孫にまで及ぶというもの。「日積月累」には人を殺傷するテロや戦争を引き起こす不平不満もあるのです。
「貪夫徇財」(たんぷじゅんざい)20200727
経済恐慌があっても自分だけは岡の上にいて安全という財産のために人生をかけるというのが「貪夫徇財」(『史記「伯夷列伝」』から)です。伯夷は「以暴易暴(不食周粟)」に登場した烈義の人で、周の武王の挙兵に反対して弟の叔斉とともに首陽山に隠れて薇(山草)を食べて自死しました。司馬遷はこの列伝のなかに賈誼の「鵬鳥賦」から「貪夫徇財、烈士徇名」(徇は殉)を引いて、世に名誉に殉ずる烈士は少なく、貪夫の多いことを嘆いています。伯夷叔斉のような善人が餓死し、盗跖のような悪人が天寿を全うする例を引いて、「天道是か非か」という人間と人類史に対する疑問を投げています。この疑問は2000年を経たいまも変わっていないのです。
この国で、大戦のあと、みんなで粒粒辛苦してジャパンミラクルといわれる復興から高度成長をなしとげ、「一億総中流」といわれる平等社会をつくりあげた功労者が、「年金」を頼りに貯蓄を崩して暮らしながら人生を全うできるかの不安をかかえて過ごしているのです。
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2022年6月の「四字熟語の愉しみ」は
「紙上談兵」「首屈一指」「鏡花水月」「夏至養生」「一団和気」を書きました。
「紙上談兵」(しじょうだんぺい)20220601
紛争を解決するに当たって、現場(戦場)に兵を送らざるを得ないとき皇帝は、人の犠牲を避け、戦わずして紛争を収める「有征無戦」(前出)を旨として出兵を許したようです。しかし現場(戦場)では、太鼓を撃ち士気を盛り立てる「一鼓作気」(前出)を合図に双方の兵は、刀剣など短小兵器を手に命を懸けて「短兵相接」(前出)して勝敗を決したのでした。古来、戦争は用兵談議を尽くしても実戦で敗れる事例から、敗者側に「紙上談兵」(『史記「廉頗藺相如列伝」』など)の非がいわれることになります。
現下のウクライナでは、見えない相手兵の長射程ロケットによって建物が破壊され市民が傷つき安住の地を追われる現場(戦場)が見えています。いまや核兵器を保持する大国は、戦わず紛争を収める抑止力として軍事力を行使すべき立場にあります。そして先の大戦の犠牲者の悲願「恒久平和」を託された日本は、軍備増強ではなく「紙上談兵」を尽くして国際貢献すべき和平の方途を提示すべきときなのです。
「首屈一指」(しゅくついっし)20220608
中国の人から、「日本は平均寿命や教育水準や生活水準や社会風気の上ではアジアで首屈一指の国ですね」と評されて、褒めことばとわかって頷いたものの「一指」をどう理解したらと戸惑うことになります。手を開いた五指の親指を先ず屈する形を「首屈一指」(『児女英雄伝「第二九回」』など)といいます。「一指」は親指(大拇指)のこと。これで首位、随一、最優秀を表現します。また握り拳の親指をたてた形「首竪一指」も「首屈一指」の意味で用います。これはVサインより力がこもっています。
中国は国連の産業分類に記載されるすべての産業分類を有する唯一の国であり、220種以上の工業製品の生産量が世界1位を占めているといいます。映画興行収入でもアメリカを抜いて世界一に、自然科学の発表論文でも。ほかに目立つところでは5G、人工知能、航空航天などでも地球規模で。再生されたもの、新たなものが「日新月異」の勢いで登場していますから、しきりにそして誇らかに「首屈一指」が飛び交うことになります。
「鏡花水月」(きょうかすいげつ)20220615
鏡裏に映った花も水面に映った月も美しい。しかしどちらも見えてはいるものの触れることができない虚幻の景象。これが「鏡花水月」(胡応麟「詩藪」など)です。もとは「鏡像水月」として用いられた仏家の用語で、晋の釈慧遠「鳩摩羅什法師大乗大義 」では、鏡中像、水中月は見えて色有れど触れるなし。されば色に非ざるなり、としています。「鏡像水月」は無常と説くのです。宋の黄庭堅の詩「沁園春」では鏡裏花、水中月として、虚幻の美景の比喩としてとらえられています。後世になると詩文として美しいが現実感がとぼしいと貶しの意味合いで用いられるようになります。「鏡花水月」は情景の美しさや字面や発語のおだやかさが好まれてTVドラマのタイトルや歌曲名になっています。日本でもTVドラマ「必殺仕事人」の主題歌になりました。
『高野聖』などを書いた作家泉鏡花のペンネームですが、泉鏡太郎(本名)が習作「鏡花水月」を携えて尾崎紅葉を訪れた際にその場でつけてもらったもの。
「夏至養生」(げしようじょう)20220622
戦乱のないアジアの米作地帯では陽気のなかで稲が生長し、「春生夏長」の時節をすごし終えて「夏至」。ここからは陰気の生じるなかで「秋収冬蔵」に向かいます。自然にといいますが、いい実りにするために植物も必死で務めているのです。
「夏至養生」については中医学の文献に詳しい。中医学の養生論では、「夏至陰生」といって陽気は最旺の状態に至って生長をおえて陰気と生死をあらそう分岐点が夏至。天気炎熱のもとで陰気が動きはじめるので、人間のからだも折り合いがむずかしい時節とされます。生物はその兆しをキャッチして「冬病夏治」するのだといいます。起居養生は遅寝早起き、できれば午睡を少し。炎熱時の外出は避け、早朝・夕刻の涼しい時間に散歩。飲食養生は冷飲、冷食しすぎの胃腸疾病に注意。苦味・酸味の食物を適量とり、水分補給に温かなスープ、かゆ。ことしの夏至は6月21日、東京での日の出4;25、日の入り19;00。しばらく猛暑日、真夏日がつづきます。
「一団和気」(いちだんわき)20220629
ある人物が中心にいて、その周りを和やかな雰囲気が包んでいるようす、あるいは人と接する時の和らいだ態度を「一団和気」(朱熹『伊洛淵源録「明道先生遺事」』から)といいます。理屈や分別より前に「一団和気」がなければ人は集まってこないという意味合いで多用されます。出所は宋代の学者二程子のうちの兄、程顥(明道先生)に対する門人や知人の評としていわれたことから。弟の程頤(伊川先生)も兄について「その人に入るや時雨の潤いのごとし」と温和さを讃えています。その後の二程子の学流の興隆を思うとき、「一団和気」の親しく和やかな実景がしのばれます。
G7(Group of Seven)の首脳会議が6月26~28日ドイツで開かれて、会議のようすが公開されました。自由民主主義国の代表であり多元主義と代議制という共通の価値観をもつ国の首脳として、顔ぶれを替えながらも「一団の和気」を保ちつづけています。それぞれに国内では対立抗争の火種をかかえながら。来年は5月19~21日に広島で。
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2022年5月の「四字熟語の愉しみ」は
「魏紫姚黄」「蜻蛉点水」「達士通人」「一笑百媚」を書きました。
「魏紫姚黄」(ぎしようおう)20220504
「百花繚乱」の国に国花がないというのは、冬に梅、春に牡丹、夏に蓮、秋に菊など、古くから産地や名園があり、一花を国花と決められないからのようです。が、中国花協会がオンラインで国花選定を呼びかけた結果では牡丹が79%でダントツでした。
大国として蘇る中国にとって、「牡丹の花品は群芳に冠たり」(邵雍『伊川撃壌集「牡丹吟」』から)といわれて艶麗さや風格で勝る牡丹が際立ってくるのは成り行きなのでしょう。とくに宋代の西都洛陽では、姚氏による黄色の花王「姚黄」や魏氏による紫色の花后「魏紫」といった神品をはじめ名品、逸品、具品の牡丹が街中で培育されました。戦争がなく夜店も開かれた平和な都城の民衆の賑わい、新種を作り上げたブリーダーの存在を思わせます。「魏紫姚黄」(欧陽脩「緑竹堂独飲」など)は、のちに気品のある花や女性の誉めことばになりました。4月中旬の花城洛陽での「牡丹花会」には全土から遊客が車で上洛し、新品種が登場して話題になるようです。
「蜻蛉点水」(せいれいてんすい)20220511
水面をかすめて飛んできたトンボが翅を止めて尾の先で水面をたたく。次世代を残す産卵の動作です。杜甫は「曲江」(二首之二)に対句として「穿花蛱蝶深深見、点水蜻蜓款款飛」(蜜を吸う蝶は花に見え隠れし、蜻蛉は翅を止めて水面をたたいてゆったりと飛ぶ)と春の季を精一杯に受けとめる小さな生きものの命のゆらぎを見つめています。この詩には有名な対句「酒債尋常行処有、人生七十古来稀」(酒債は日ごろ行く処にあるが、人生七十は古来まれなもの )を詠み込んでいます。そして流転する束の間の風光だから相違せず“相賞”しあって享受しようと結んでいます。
安碌山の乱後、意にかなわぬ長安で47歳でこの詩を詠んだ杜甫は、次年には華州に左遷その1年後には官を辞して旅に出ます。そして59歳で長安へ帰る舟中で没しています。「七十古希」は杜甫の胸中を察して追贈したのでしょう。「蜻蛉点水」は気軽に言ったりしたりする比喩として用いられますが、他の理解もあるのです。
「達士通人」(たつしつうじん)20220518
長年の鍛錬によって技能を磨きあげ、古今の知識を淵源まで深く探って達成した「出類抜粋」の人格を「達士通人」(陸游「雍煕請機老疏」など)といいます。自らの天命を知り事理に通じた豁達な姿は「達人知命」(王勃「滕王閣序」など)ともいいます。日本語の「通人」には趣味的なことに精通していることに加えて江戸時代に花柳界の事情に通じた人を通人と呼んだことからニュアンスが異なりますが。
「民為邦本(民はこれ邦の本なり)」(『書経「五子之歌」』から)という伝来の民本思想を根底に据えて「小康社会」をめざす中国では、貧困の農村の家庭で育った子どもたちがさまざまな分野で「中国夢」を達成する「達士通人」を生み出すことでしょう。社会主義革命の理論を学び、反封建の組織の中で民主・独立・自強を旨として。「忍辱負重」の役と人生に徹して文化勲章を受けた高倉健さんは日本人の一人といっていいでしょう。好漢高倉健の去世は中国全土のファンから惜しまれ哀悼されたのでした。
「一笑百媚」(いっしょうひゃくび)20220525
楊玉環(楊貴妃、719~756)は中国四大美女の最後のひとり。唐代から以後1300年、中国に貴妃に勝る美女が出ていません。盛唐期を体現する豊麗な才媛でしたが、37歳で玄宗から死を賜りました。美しい女性のほほえみを「一笑百媚」(白居易「長恨歌」から)と評するのは楊貴妃に由来します。「眸を回らして一笑すれば百媚生じ、六宮の粉黛顔色なし」と白居易は表現しています。そのほほえみの優美さに後宮の女たちはみな色あせてしまったというのです。さらに「長恨歌」は、麗質を識られて君王(玄宗)の側に召され、寵愛を一身に受ける楊貴妃の姿を「春寒くして浴を賜う華清の池、温泉は水滑らかにして凝脂を洗う」と詠いあげます。
西安を訪れた観光客は、東郊の巨大な始皇帝陵や兵馬俑坑に驚くとともに華清池に立ち寄って、貴妃が温泉で凝脂を洗う姿や「一笑百媚」の笑みを思うのです。男たちが軍事に現を抜かすとき、才媛の「戴笑戴言」に平和の風を感じるのです。
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2022年4月の「四字熟語の愉しみ」は
「名垂後世」「言之有物」満而不溢」「来者不拒」を書きました。
「名垂後世」(めいすいこうせい)20220406
本来は名声が後世まで伝わることを「名垂後世」(『史記「越王勾践世家」』から)といいます。歴代のリーダーは「歴史が証明する」といい、歴史を知り尽くした司馬遷は「范蠡(はんれい)は越斉陶と三遷して皆栄名有りて名垂後世」と記しています。
よく知られた「名垂」には、諸葛孔明が周瑜を霊前で悼んだ「命は三紀(三六歳)に終えるとも名垂百世」(『三国演義「五七」』から)があります。「名垂千秋」「名垂万古」「名垂竹帛」「名垂青史」など、歴史はそれぞれの場面で「名垂後世」を伝えています。その司馬遷は、天道の大経は「春生夏長、秋収冬蔵」であるのに、人間の世は善人の伯夷叔斉が餓死をし悪党の盗跖が長寿を全うしたのは何ゆえなのか、「天道是か非か」(「太史公自序」から)と悲痛にも似た疑問を人間と人類史に投げかけています。それから二千年を経た現代には「名垂」にあらざる三遷、ヒトラー、スターリンそしてプーチンと、無辜の民への凄惨な歴史がくり返されようとしています。
「言之有物」(げんしゆうぶつ)20220413
ことばについては「一言九鼎」「大弁若訥」などいくつか登場しましたが、ここでは「言之有物」(『周易「家人」』など)や「言之有理」「言之有据」「言之有序」「言之有趣」などをまとめて取り上げます。見出しに置いた「言之有物」はことばのもつ具体的内容です。「言之有理」はその裏づけの理論、「言之有据」は根拠、「言之有序」は優先順序、「言之有趣」は特徴です。「物」も「理」も示せないのが「言之無物」です。
いまのウクライナを事例に説明しますと、ゼレンスキー側にとって西欧型民主主義が「理」でオンラインの訴えや軍の展開が「物」、現地での選択が「据」や「序」で彼流のやり方が「趣」です。一方プーチン側には大ロシアにレーニン以来の社会主義の「理」があり83%の支持をえた戦略展開の「物」「趣」があります。また国際協調が「理」で支持27%のマクロンが決選で過半数をえて大統領に選ばれるのがフランス型「言之有物」です。さて夏の国政選挙でこの国はどんな「言之有物」が勝利するのでしょう。
「満而不溢」(まんじふいつ)20220420
今年もコロナ禍の影響で満開の桜の下を行く人びとはマスク姿で静かに花群を見上げています。宴会もなくて「満ちれども溢れず」のようすを示して。器いっぱいになっても溢れ出ないことを「満而不溢」(『呂氏春秋「察微」』など)といいます。資財があっても浪費せず、才能があってもひけらかさず、節度を守って事業をおこなうなどに。
24節気に小満があって大満がないのも「満而不溢」を良とする同じ感性によるようです。古人が「小満」を節気としたことで、農事につとめて穀物(麦)の熟成の時節に豊作を願いながらも大富大宅を願わず平平安安を求める農民の幸福感のありようを伝えています。颜真卿も「争座位帖」で「满而不溢、所以长守富也」と迫っています。
女性意匠の「満而不溢」を添えておきましょう。清朝満族の衣装「旗袍(チーパオ)の漢化・洋化によるチャイナドレスの変化です。中国女性の美意識の漢化・洋化をなお微妙に採り入れつつ民族衣装として完成の域に近づいているのだそうです。
「来者不拒」(らいしゃふきょ)20220427
孟子の「来者不拒」(『孟子「尽心下」』から)は、「往く者は追わず、来る者は拒まず」の対句として、人生態度に科(一定に基準)を設けたうえでのことばとしてよく用いられてきました。荘子には「来る者は禁じるなかれ、往く者は止めるなかれ」(『荘子「山木篇」』から)があり、また『論語』には「已みなん、已みなん、今の政に従う者は殆(あやう)し」といいながら孔子の車に近づいて、「往く者は諌むべからず、来る者はなお追うべし」(『論語「微子」』から)といって去った接輿(しょうよ、楚の狂)のことばを残しています。孔子はこれを忠告として聞いて、魯の曲阜に戻って後進の育成に当たることになります。
先人は「未来」に可能性を見ています。いまや戦車の列や殺害者の墓地まで明かされる電子化時代に、オーストリアに電撃的侵攻をしたヒトラーに通じるプーチンや十字を切って支援する聖職者の姿に来者の可能性はありません。
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2022年3月の「四字熟語の愉しみ」は
「如影随形」「寸陰尺壁」「雪泥鴻爪」「行号巷哭」「心心相印」を書きました。
「如影随形」(じょえいずいけい)20200302
斉の管仲にちなむ「如影随形」(『管子「任法」』から)は、わが国では「影の形に添うごとく」として同義で用いられています。わが国の戦国時代末期に、豊臣の姓を賜った秀吉と居士号利休を得た宗易が天下人として、世紀の政治と文化の祭宴「北野大茶湯」を催したのでした。形に影といわれた二人。その4年後に秀吉から死を命じられて利休が自刃したのが天正19(1591)年旧暦2月28日。南蛮(キリシタン)諸国に触発されて明を征するという秀吉の世界戦略に強く抗したことが想定されるのです。秀吉に反対できる大名はなく、次年には出兵を始めています。利休より一年先に堺の豪商山上宗二が打ち首になっていますが、残した『山上宗二記』に茶湯者覚悟として「一期一会」が記されています。主人が一服の茶に人生を懸ける至言です。
ひるがえってロシアのウクライナ侵攻での日本政府のアメリカ追随。先の大戦を歴史的に検証し反省した独自の「国際平和」への貢献があるはずなのですが。
「寸陰尺壁」(すんいんせきへき)20200309
ごく短い時間と手に余る大きな宝玉(璧)と。『千字文』には「尺璧非宝寸陰是競」と八字が刻まれて、一尺もあるような秘玉も宝とせず一寸の光陰(時間)をたいせつにせよと説いています。成人になっても「聖人は尺の璧を貴ばずして寸の陰を重んず、時は得がたくして失い易きなり」(前漢・劉安『淮南子「原道訓)』)や「一寸光陰一寸金(時はキンなり)」(唐・王貞白「白鹿洞二首・其一」ほか)などが座右とされてきました。
とくにわが国では明治以来、「勧学」の詩として朱熹作「偶成」が取り上げられて、「少年老い易く学成りがたし、一寸の光陰軽んずべからず」が口ずさまれました。この詩に励まされて、競って勉学に励んできたといえます。ところが最近の研究で明治期の漢文教科書製作者の勇み足で 朱熹とは別人の作とわかってききました。中国でも「勧学の詩」として流伝しているようですが。今日、二年余におよぶにコロナ禍に遭遇して、前例がない「一尺ほどの光陰」をどう大事にして過ごせばいいのでしょう。
「雪泥鴻爪」(せつでいこうそう)20220316
「春回大地」、大地が温もり道がぬかるむ「雪泥」の時節です。ここで宋代に蘇軾・蘇轍の兄弟が一寄一和して残した四字熟語「雪泥鴻爪」に触れておきましょう。
兄22歳、弟19歳のときそろって進士に及第、試験官は欧陽脩でした。嘉祐6年(1061年)のこと、兄弟して東京の開封から陝西に行く途中、西京の洛陽をすぎて函谷関にかかる澠池(めんち)に寄宿しています。その折のことを後に蘇轍が「共に道は長途にして雪泥を怕る」(「懐澠池寄子瞻兄」)と述懐を兄に寄せ、これに対して蘇軾が「まさに飛鴻の雪泥を踏むに似たる」(「和子由澠池懐旧」)と和しています。たまたまおおとりが雪泥の上に舞い下りてひととき指爪を留めても、飛び去ってしまえばどこへいったかわからないと安住の地のない人生を想っています。節を曲げないゆえに党争に巻き込まれ、皇帝や新法の王安石に忌避されて左遷を繰り返した生涯でした。「赤壁の賦」はそれあっての結実でしょう。その生き方と合わせてこの成語は生きつづけています。
「行号巷哭」(こうごうこうこく)20220323
夜気を振るわせて砲弾が飛来し、街の一画で天地を揺るがせてさく裂する。闇を切り裂くような住民の叫び、哭き声。ウクライナの今を伝えられる四字熟語は「行号巷哭」(『南史「萧昂伝」』など)でしょうか。「行」は道、「号」は大声をあげて叫ぶこと。道路でも街巷でも住民が大声で哭き叫ぶ悲痛の極みにあること。「号天哭地」(『水滸伝「第八回」』など)も同義。国際協調による平和が求められる今日、逆にこんな情景を現出したロシアとプーチン(は泣かない)を許すことはできないでしょう。
300万人が国外へ避難したあと首都キエフに残るゼレンスキー大統領が3月23日夜、日本の国会でオンラインで支持・支援を訴える演説をしました。進駐するロシア兵に街から出ていくよう食ってかかる老婆の叫びや子どもを助けられなかった母親の悲痛な「行号巷哭」の嘆きは、歴史のどこへ連なっていくのでしょう。70年に及んだ戦後平和期が終わって、あらたな戦間期の始まりとなることだけはないように。
「心心相印」(しんしんそういん)20220330
ことばを介さずに心と心をつなぐ「以心伝心」のうちで、もっとも深い関わりを伝えるのが仏教の奥義を悟りによって相伝する「心心相印」(『裴休「唐故圭峰定慧禅師碑」』など)でしょうか。「心心相印,印印相契」は、思惟と感情が一致しておりすべて分かり合っている。そんな弟子や後輩がいたら学問や事業の継承はなめらかに運ぶことでしょう。逆にどんなに議論をつくしても理解しあえない「格格不入」があって。
いま中国の若い男女間の「心心相印」といえば、ハート型をふたつ並べたI love youです。2月14日のバレンタインデー(情人節)にはハート型「心心相印」をあしらったケーキや小物を贈ります。純金でなくともハートをデザインした婚約指輪なら最良の意思表示に。意味も字づらも音もいいので多彩な分野で用いられています。お互いよく知り合いましょうという懇親会や団体遊戯、歌曲の名やテレビドラマの題名、蓮弁蘭の名、ハート型にまとめられた工芸茶、さまざまなケーキや菓子や料理店名などにも広く見受けられます。
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2022年2月の「四字熟語の愉しみ」は
「東成西就」「賓至如帰」「変本加歴」「楊柳依依」を書きました。
「東成西就」(とうせいさいしゅう)20220202
2022年の「春節」(農暦1月1日・初日)は2月1日。月影のない新月です。あすから西空に上弦の月がかかり最初の満月の日が元宵節。古来、ここまでがお正月で、農民は終夜灯りをともして満月に一年の息災と豊作と丈夫な子が得られるよう祈るのです。
一年の願いをこめた春節賀詞は、欲求に際限ないことから際限なく多様ですが、表現は四字で十分です。見出しの「東成西就」は、東も西もいたるところ「創業順利」であり成就すること。そこで春節の門上や家中に貼られます。いま米中が二強争覇ではなしに「東成西就」であってほしい。これはわが国からの新年の願いです。「身体健康」「工作顺利」はさておいて、福と財が双璧でしょうか。福は「双喜臨門」から始まり「五福臨門」「万福臨門」では終わらず「門迎百福」「福満門庭」までいたりますがどれも同じ。財は「恭喜発財」「和气生財」「多財满家」「財源滚滚」「財運亨通」「財色兼收」「祝賀発財」・・そして「新年快楽」。みなさんの机上にどれほどの四字賀詞が集まったのでしょう。
「賓至如帰」(ひんしじょき)20220209
2月4日、二四節気の「立春」に開幕した第24回「冬季奥林匹克運動会」を迎えて、首都の北京は、世界初の「双奥之城」として、スポーツばかりでなく将来の国際活動の中心を担おうとしています。中国には古来、賓客がわが家へ帰ったと思えるようなおもてなしをすることを「賓至如帰」(『春秋左氏伝「襄公三一年」』から)といい、「北京奥運村」(20棟・33万平方m・53日24時間対応)でもそれが指針になっています。
春秋時代のこと。晋に遣いに赴いた鄭の子産は、晋侯(平公)が喪中を理由に会おうとしないので、客館の塀を壊して中庭に献上物を積んだ車馬を引き入れて、「先の文公が客をもてなすやり方は、館外に長く待たせず、災厄を気づかうこともなく、盗難を畏れることもなく、献上品の傷む気遣いもさせず、その上に帰るのを忘れてしまうような『賓至如帰』というものだったはずだ」と論じたことから。のち「賓至如帰」は、客人をもてなす心得とされ、書家による揮毫が諸所の旅館や飯店などで出迎えてくれます。
「変本加歴」(へんほんかれき)20220216
本来あるべきところに力を加えて、状況を深刻・悪化させてしまうことを「変本加歴」(『文選「序」』など)といいます。たとえばバイデン米大統領の台湾をめぐる政策などは中国側からすれば「変本加歴」の実例といえるでしょう。典故の『文選』の例では、前人から引き継いだ事業を基礎にさらに発展させようとするように文章もこれと同じというもの。プラスの意味合いでしたが、時代の荒波を通過して、いまは完善なものへ向かう指向を削ぎ落として、都合の悪い状況を引き起こすけなしのニュアンスで用いられています。
世情に利害に関する事例が多いところから「変本加利」という実用新語が現れましたが、認知までは至らず、わずかな元手で大きな利益をうる「一本万利」の错写とされて「変本加歴」が通用しています。DVで忍従に耐えられなくなった家族の行動や校内暴力や事例は多様ですが、なかに植物がみな眠る厳冬の野に花を咲かせている老梅の一枝を愛でる例もあります。これなどは本来の意味合いを自然が教えてくれているようです。
「楊柳依依」(ようりゅういい)20200223
古来、中国には別れに際して折柳一枝を贈る風俗があって、この伝統文化を取り入れたのが2月20日の「北京オリンピック」閉幕での演出でした。会場で知った観客には「折柳」の寓意は共感されてどよめきと拍手が起こりましたが、肝腎の外国選手団には分からなかったでしょう。「柳」には「留」の意がこめられているのです。しなやかな柳は竹とは違った用途で暮らしに用いられ「従地可活」といわれます。柳一枝を贈って惜別の情意を伝える「楊柳依依」はすでに『詩経「小雅・採薇」』に表れ、唐人の詩に用例はさまざま知られます。有名なのは李白「青門柳」「春夜洛城聞笛」、魚玄機「折楊柳」、劉禹錫「楊柳枝詞」、李商隠「隋官」、白居易「贈盧子蒙」などでしょうか。
舞台で踊るダンサーが持つ発光柳枝が冰雪の色から次第に緑色に変わり、周囲からスポーツ関係者が一枝ずつ柳をもって惜別の思いを厚くして集まったのでした。コロナ禍で選手たちとの交流は断たれましたが演出として登場したのが「折柳送別」でした。
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2022年1月の「四字熟語の愉しみ」は
「両虎共闘」「如虎添翼」「艱難険阻」「天花乱墜」を書きました。
「両虎共闘」(りょうこきょうとう)20200108
壬寅(みずのえとら)の年の賀状をいただきましたが、虎の図柄はどれもやさしい猫のような風体をしています。ここに記すような虎の実体は年賀には合わないということでしょう。お一人だけ正面からの「虎視耽耽」の虎でした。妥協を許さないご本人の性格どおりに。
二強が争う「両虎共闘」(『史記「廉頗藺相如列伝」』から)や「二虎争闘」では必ず双方が傷つくことが分かっているのに歴代繰り返されています。戦う激烈なようすは「竜争虎闘」、見た目の姿の頑強なようすから熊と合わせて「虎背熊腰」、狼と合わせた「如狼似虎」は凶猛な軍隊を形容することに用いられます。潜めている人才を見逃してしまうことには「臥虎蔵竜」が。「談虎色変」は虎が人を傷つけた話を聞いて、経験した一人の農夫だけが恐れおののいたことから、真知(経験や実践で得た知識)と常知(聞いて得た知識)を分けるよう説いたのは宋代の二程兄弟の弟程頤でした。子どもたちが上手に描くのが、はじめは勢いよく終わりは細々という「虎頭蛇尾」です。
「如虎添翼」(じょこてんよく)20220112
子どものころバリカンで坊主頭にされて、刈りあとがそのまま残ったトラ刈りはなつかしい。ここは十二年に一度のトラ狩りで、虎にちなむ成語を前回と合わせていくつか。
飼いならした虎に噛まれて傷ついてしまうのが「養虎為患」、行うにはむずかしい状態にあることを「虎口抜牙」、大難をのがれて命拾いをすることを「虎口余生」。猛虎は野にあって敵なしであるのに翼までつけて力を増大させれば被害が増大します。某国の独裁者が原子力兵器の所持に固執するのをみてもわかるように。どうやら出典は諸葛亮の兵法書とされる『将苑・兵権』。そこに将帥が兵権を掌握して極限まで力を発揮する「譬如猛虎、加之羽翼」とあって、それが成語「如虎添翼」の元になるとともに、有力な者がさらに力を増強するという意味合いで用いられるようになったようです。日本語では「鬼に金棒」といいますが、新製品開発などにはこの動的な「虎に翼」を用いてみてください。虎が咆哮するように優れた人物が躍動して時代を変えるのが「虎嘯風生」です。
「艱難険阻」(かんなんけんそ)20220119
バイデン大統領が主宰した「民主主義サミット」では、中国の「民主」は “専制主義”であるとして西側の民主主義の優位性を示そうとしたのでした。中国は12月4日に白書「中国的民主」(国務院新聞弁公室)を発表して詳細に差異を論じています。
中国はすでに2000年前には「民為邦本」(『書経「五子之歌」』から)の民本思想が培われ、その実現の道程は障害や挫折をともなう「艱難険阻」(『春秋左氏伝「僖公二十八年」』から)」であることも熟知していたのでした。が、全土統一の過程で機能した一家族の権力による封建専制のもとで、広範な労働人民は長く最低層として圧迫と搾取を受けてきました。
辛亥革命から110年、馬克思(マルクス)主義から「中国的民主」の覚醒を受けた共産党の結党から100年。「民主」は全人類の共同の価値であり、国際的な政治文明は「各有千秋」の国々による多様で多彩な“文明の百花園”のようなもので、中国は「安居楽業」の小康社会を実現してさらに果てしない「民主」の探索と実践に進もうというのです。
「天花乱墜」(てんからんつい)20220126
前回触れた『中国的民主』で二つの仏教由来の成語が本来の意味を逸脱していて気になりました。「天花乱墜」(『心地観経「序品」』など)は、説法に諸天が感動して虚空にあまねく天華(花)を降らせること。ところがわが国でも話が誇張されていて実際にあわないこと、巧みな話術で人をだますことと解説されています。『民主』では人民参政は拡大しつつあるものの、選挙中は天が降らした花のようにスローガンを掲げて叫んでいた(天花乱墜)のに、終わると休眠状態では本当の「民主」とはいえないといいます。
もうひとつが「唯我独尊」です。「天上天下唯我独尊」(『五灯会元「巻一」』など)は日本でも「自分一人が特別すぐれているとうぬぼれること」とだけ説明しているのをみかけます。仏教では仏という境地になれる人間という存在が「唯我」でありそれゆえに「独尊」であるということを伝えなければ意味をなさないのです。これは『民主』では大国として世界平和の発展に責任があり、力に任せて「唯我独尊」であってはならないと用いています。
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2021年12月の「四字熟語の愉しみ」は
「騎虎難下」「挙足軽重」「伴食宰相」「自壊長城」「虎視鷹瞵」を書きました。
「騎虎難下 」(きこなんげ)20211201
猛虎の背にまたがったまま下りることができないようすを「騎虎難下」(『晋書「温嶠 伝」』から)といいます。状況が動き出して途中で止められない、困難に遭遇して進退ともにきわまった状態にいいます。東晋の都建康が反乱軍に攻められて撤兵をいう陶侃に大臣の温嶠がいいます。われわれはいま猛虎にまたがっているようなものだ。猛虎を打ち殺さなければ下りられないではないか。その説諭に感じて 陶侃は反乱軍を打ち負かしたという故事から 「騎虎難下」がいわれます。「騎虎之勢」とも。
虎が生息していないわが国では虎は龍とともに神獣であり、虎の皮は珍重されました。絵としては若冲や狩野派の絵師にも猛虎がみられますが、さすがに騎虎まではないようです。武将として加藤清正は朝鮮にわたってなにより虎狩りをやりたかったのでしょう。何度も中止の圧力にさらされて「騎虎難下」であった「東京オリンピック(東京奥運会)」は、開催を貫いたことで日本の国際的評価を高めたことはたしかです。
「挙足軽重」 (きょそくけいちょう)20211208
後漢を興した劉秀はさまざまな成語に登場します。こ の椅子の脚が左右どちらに動くかで両端の軽重が決まるという「挙足軽重」(『後漢書「竇融列伝」』から)はまだ公孫述が蜀地で帝を称していたころ、河西五郡の竇融(とうゆう)が洛陽へ送ってきた使者を歓待し与えた親書の中に記しています。遠征では郷里からの王覇に「疾風は勁草を知らしめん」(疾風勁草)といって励ましました。晩年には「楽しみて疲れず」(楽此不疲)といって「日復一日」たゆまず務めて57年2月に62歳で崩じましたが、その正月に東夷倭奴国王の遣使に「漢委奴国王」の金印を贈ったのが最後の務めでした。耿弇(こうえん)にちなむ「有志竟成」はノーベル賞の本庶佑京大特別教授が座右の銘としています。
さて、大戦後70年、中国崛起という地縁的な歴史・政治状況の変化に遭遇して、二大国との関係つまり日米同盟と日中協調を左右にしてアジア・太平洋地域での経済の展開と同盟関係の安定を築くという微妙な「挙足軽重」の選択ができるかどうか。
「伴食宰相」 (ばんしょくさいしょう)20211215
任じられたしごとができず、お相伴の宴会料理だけは満喫している高官を「伴食宰相」(『旧唐書「盧懐慎伝」』から)というようですが、ミシュランの星世界一という美食国日本にありそうです。コンニ食の庶民にはメニューを見てもわからないような。
いわれは盛唐の玄宗時代のこと。美食が極まって「大腹便便」の官人が目立ち、汚職や特権への批判が増大した時代。姚崇(ようそう)とともに宰相に任じられた盧懐慎は、吏道の才は姚崇に及ばずと任務をまかせていましたが、姚崇の休暇中にそれが知られて玄宗に謝罪したところ、「そちは雅士俗人の動向に意を払っておればよい」と許されたことから。伝には蓄財なく食に肉なく生活は質素で業績は周囲に与えた清官とされており、俗人によってけなしの意味で用いられたようです。コロナ禍の医療現場で任務を認め合う「現代版伴食官」が雅語としていわれますが、格差の広がる現代中国ですから、俗人による俗説の広がりを止めるのはむずかしいでしょう。
「自壊長城」 (じかいちょうじょう)20211222
「長城」は世界文化遺産に登録されている万里の長城のこと。常年の風砂、雨雪、水土流出など自然の作用による「自生自滅」で破壊されるのを「自壊長城」(『南史「檀道済伝」』など)といいます。総延長2万キロのうち保護措置がされているのは10%に満たず、90%以上で長城の風姿を保てなくなっており、もはや最大限衰老を延ばしていくしかないと中国長城学会の関係者が報告しています。そのことから大事業にむかう力量が萎えたり、創設した事業をみずから潰してしまう比喩として用いられます。
企業の債務不履行が話題になっていますが、長さでは鉄路の長城ともいえるのが国鉄路線。地方の公益的な輸送機能を担っている中国国鉄集団は、コロナ禍による収益減で経営自壊の危機に見舞われています。もちろん政府から赤字を埋める補助金が支給されますが。西側IT大企業GAFA4社の保持するビッグデータは情報の長城ともいえるもの。「自壊長城」を起こしたら民主主義の優位性もなにもないのです。
「虎視鷹瞵」(こしようりん)20211229
来る年は壬寅(みずのえとら)。十二支のうちに虎に狙われて勝てる動物はおりません。「竜虎」の竜は架空の生き物ですから別にして。それでも「竜争虎闘」「竜吟虎嘯」ですから力量互角です。「虎視眈眈」は恐ろしくて正面からは直視できません。一方、空から獲物を狙うのが鷹です。陸と空から獲物に襲いかかる鋭い眼差しを「虎視鷹瞵」(孫文「興中会宣言1894」から)といいます。孫文は19世紀の末に列強諸国が中国を奪い合う姿に「虎視鷹瞵」を見たのです。狙われたそれを孫文は「中華五金之富、物産之饒」といっています。その後、1905年に東京で中国革命同盟会を立ち上げています。10月9日の「辛亥革命110周年記念大会」の講話で、習主席は孫文のこのことばを引用して「振興中国の責任」を果たそうと呼びかけています。
問題は国を豊かにし国民に「安居楽業」をもたらす「民主」の姿にあります。中国の伝統社会における「民主」が欧米型の「民主」と異なるところが理解されないのです。
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2021年11月の「四字熟語の愉しみ」は
「対答如流」「一馬当先」「劈波斬浪」「雅俗共賞」を書きました。
「対答如流」(たいとうじょりゅう)20211103
問いに対する回答が流水のように淀みないことを「対答如流」」(『三国演義「43回・72回」』など)といいます。「滔滔不絶」とか「出口成章」ともいいます。対して口べたのほうは「才疏口拙」といったところ。ほんとうの弁舌は「大弁若訥」(『老子「45章」』から)であることにかわりありません。「滔滔」と「訥訥」をどう聞き分けるか。
『三国演義』の事例は諸葛孔明(43回)と曹植(72回)。孔明のほうは百万の魏軍が南下してきたとき、東呉民安のために降操を衆議していた呉の文武二十余人を一人又一人と論破して対答不能にさせる有名な場面です。曹植のほうは父曹操が問う軍事や国事への答えが「対答如流」であったことですが、これは主簿の楊修がつくった十余条に依ったもので、「下筆成章」の曹植も口才では兄曹丕を甲としたようです。『対答如流』というタイトルのハウツー本が出ています。談話術、公務員面接試験用、外国人との接見を滑らかにするための社交英語、出国英語、飯店英語など多岐にわたっています。
「一馬当先」 (いちばとうせん)20211110
駿馬を御してひとり率先して前面に出ること、大事業を前にして先頭に立つことを「一馬当先」(『水滸伝「九六回」』など)といいます。「馬到成功」がいわれて他に先んずるという意味が好まれて、さまざまな「一馬当先」が描かれています。騎馬ではなく駿馬が疾駆している図柄です。絵画だけではなく木彫や焼き物も。騎馬姿で闘いに挑む「一騎当千」は中国の常用成語詞典には見当たりません。ですから日本の塩崎雄二の漫画『一騎当千』が人気になって成語の事例のように扱われています。騎馬武者ではなく三国志にちなんだ美女群像として。もちろん女傑関羽雲長も登場します。
「一帯一路」の拠点カザフスタンを訪れた習主席がナザルバエフ大統領と会談、「光明の路」の合作に自らが当たる覚悟を伝えたことにこのことばの実感があります。中国共産党の結党100年に重要会議「6中全会」が開かれて「歴史決議」が採択されて、習主席の「一馬当先」の姿が際立ちますが、それを支えるのは「万馬奔騰」です。
「劈波斬浪」 (へきはざんろう)20211117
「劈頭」というと文章や講演のはじまりを思いますが、「劈頭劈脳」や「劈頭劈瞼」があって、竹や棒で頭や顔を叩くことにいうようです。この「劈波斬浪」は、船が激しく波をたてて航路を切り開いていくようすを表現しています。「禹域」(中国の版図)で中原に鹿を逐って王朝の興亡を繰り返してきた中国にとって、現代ほど海にかかわる時代はなく、これは現代用語といえるのでしょう。とくに海域での軍船の活躍ぶりにいわれ、明末の愛国者鄭成功が宝島台湾をオランダから奪回した際に、金門から「劈波斬浪」の勢いで軍船を出航させた歴史に現在の台湾問題が重ねられています。
台湾問題は11月16日の米中首脳オンライン会談でも双方とも一歩も譲らない対立のまま。11月11日の「6中全会」で中国特色の社会主義を掲げて習近平時代の「歴史経験の決議」がなされたばかり。新たな100年の「中国夢」の実現にむかって強軍思想が強調され、全軍が「劈波斬浪」の勢いで事業に当たろうというのです。
「雅俗共賞」 (がぞくきょうしょう)20211124
「雅俗共賞」 (『紅楼夢「五〇回」』など)は、文芸作品に文雅なものと通俗的なものとがあるなかで、文化水準が違なるだれもが欣賞できること。すでに唐代の白行簡の「天地陰陽交歓大楽賦」に天地の陰陽が雅俗別なく受け入れられる用例をみます。他の事例も歌であったり物であったりと、だれもが「喜聞楽見」できることに使います。
「陽春白雪」という明るい名の楚の音曲が知られて(楚辞、数十人で歌う)、一方に「下里巴人」(巴蜀の鄙びた音曲、数千人が和して歌う)があって、際立つ「雅俗之分」の事例になっています。ノーベル文学賞受賞のときに莫言氏がスピーチで引用して、自分の作品はどちらにも受容されている例として紹介していました。「雅俗共賞」の事例として「相声」の言語表現、「窓花」(蔚県剪紙)の手工芸がいわれます。文学以外の絵画、書、音楽、演劇、学問・・。とくに芸術活動は人びとの心の奥底に深くかかわるもの。人民共和国のそれらが人民の生活感に寄り添えるか。繰り返される課題です。
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2021年10月の「四字熟語の愉しみ」は
「和衷共済」「対床夜雨」「貴人多忘」「挙案斉眉」を書きました。
「和衷共済」(わちゅうきょうさい)20211006
「衷」は内なる善(よ)き心で、その心を一つにして力を合わせて困難を克服することが 「和衷共済」(『書経「皋陶謨」』から)です。“和風”の国のすがたを表現する四字熟語はこの「和衷共済」でしょうか。「和」のおもてなしを尽くして、コロナ禍のもとで「TOKYOオリパラ」を成功させ国際的評価をえたわが国が、「経済と医療」という両翼の国難を「都市封鎖」といった強権的手法を用いないジャパンミラクルで収束させられるかどうか。
コロナ第五波では自宅待機で医療を受けられずに死去するという犠牲者を出したものの、抗疫の現場で、白衣の医療従事者が「和衷共済」で当たっているすがたに実感があります。現代中国にも用例は多く、近代にも秋謹や老舎や郭沫若が熱い思いを込めて記しています。わが国の現実政治ではどうか。与党(党内抗争は何?)は心を一つにして山積する課題を議論し、将来を見据えた全体構想を提示し、実現にあたるべきでしょう。野党は反対案を並べて対峙することではなく“和風”の実果を豊かにすべきでしょう。
「対床夜雨」 (たいしょうやう)20211013
そとは雨。秋の夜長の寂寞を追い払うために、長年親しんできた心友と対座してじっくり話し込みそのまま臥床して語り継ぎそのまま五更明けにいたることを「対床夜雨」 ( 蘇轍 「逍遥堂会宿」詩序 など)といいます。韋応物、白居易、鄭谷など唐代の詩人に多く用例が見られ、友人たちを集めての「傾心交談」の場でもありました。宋代の蘇軾、蘇轍兄弟の「対床夜雨」が、左遷を繰り返したふたりの雨夜語りとしてこのことばの情誼を深くした好事例になっており、以後時代を隔てて歴代の詩人が後追いして詩中に読み込んでいます。
現代の中国でも、しくみの中での権力争奪によって地位を追われますから、この「対床夜雨」の情景は怨嗟の連鎖のようにして底流しているのでしょう。それはそれ、仲間が寄り集まって車座になって美酒を呑み信言を吐き、みんなで呑吐呑吐とやりすごすのもこのことばの範囲のうち。長かったコロナ明けの秋を迎えて、マスクをはずして三密を気にせずに呑んで歌って語って、自前の実証実験を試みたらいかがでしょう。
「貴人多忘」(きじんたぼう)20211020
地位が高くなった人が旧交を忘れてかつての友人と付き合うのに傲慢になることを 「貴人多忘」(王定保『《唐摭言「卷二」』など》といいます。 「貴人善忘」 ともいいます。一般的には健忘状態の人をあざけって用いたりします。いささか一方的にすぎる理解です。
「富貴在天」といいますから貴人としての結果は人事を尽くして得たものです。その過程で、信念のないよからぬ(不三不四)友として忘れられたのならしかたがないでしょう。貴人のほうは、どういう人によるかを知っていますから、そういう人とはさらに親しく付き合うことになります。また忘れられた側の友人のなかに、ともにめざして同源へといかない人物がいる場合は避けられるでしょう。妻子や家庭ができて旧情が傷ついたりあるいは旧情によって現在の安定が損なわれるとき。さらに目標とする人物がいれば日々、自分の力量と努力で近づくことが心地よいし富貴のほうから自然に近づいてくる。その姿を「貴人多忘」といってけなすことばとして用いる側が落ち度に気づかなければ公平な理解といえないのです。
「挙案斉眉」 (きょあんせいび)20211027
夫(梁鴻)を敬ってのゆえに食事に息がかからないよう案(食膳)を高く眉まで掲げて給仕をした妻(孟光)の姿が常に変わりなかったことから 「挙案斉眉」 (『後漢書「梁鴻伝」「列女伝」』から」)は夫を敬愛する妻の意味になり、一方で美男の才子が色黒で肥満で貧窮に耐えてくれた醜女を生涯愛しつづけた姿から「相敬如賓」の夫婦のことに。
後漢時代に西域に出て3〇年「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の名言を残した次兄の班超を上書して都につれもどした妹の班昭に『女誡』があって、女性の行為にさらに厳格な規範を求めて「敬順の道、婦人の大礼なり」と説いています。「男尊女卑」2000年の歴史でもきびしい時期にあったことでこういう熟語が残されたのでしょう。「晩寝早作」ひとつをとってみても、儒家の礼教の規定による「男尊女卑」の原則が根づいた細部まで解消するには時間を要するでしょう。北京・頤和園長廊にある歴史画「挙案斉眉」の孟光の案は眉まで上がっておらず「挙案斉眉」ではないという。男性画家の作のゆえでしょう。
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2021年9月の「四字熟語の愉しみ」は
「改頭換面」「不識時務」「過河拆橋」「挙一反三」「匠心独運」を書きました。
「改頭換面」(かいとうかんめん)20210901
自民党の刷新人事にかんしては、コロナ・経済・危機管理など緊急課題を解決する体制までは整わず、旧態依然の「改頭換面」だろうとする予測が主ですが、古典的な用法では、変動は表面だけで内容は旧態のままのことを「改頭換面」(『朱子語録「巻一〇九」』など)といっています。宋代の朱子の例は、経義はいろいろ語られるが文字にするものはないというもの。革命でもないかぎり面目一新とはいかないというのが歴代の事例。
似た表現に琴瑟の調子を整える「改弦更張」(『董仲舒「賢良策」』など)があって、孫文は革命政府の人民合作による「改弦更張」を求めています。ところが現代の「改頭換面」は、基盤になる内容に変化を求めず外容を魅力的に変化させるという意味で用いています。任天堂のポケモンのゲームソフトや新車のデザイン・・など。女性の化粧法や美容整形にも。自民党の刷新人事も現代の用法にしたがえば、全国的な基盤をもつ党だから「国難」の克服を託せる「改頭換面」体制がつくれるだろうという理解になるのですが。
「不識時務」(ふしきじむ)20210908
現在の情勢と将来への展望を的確にとらえていないことを「不識時務」(『後漢書「張覇伝」』など)といいます。上の伝では司馬徴が劉備に対して、関羽は能武の人だが「不識時務」であり他の時務に精通した人物の力を借りなければ大業はなしえないと忠告しています。いつの時代にも通用する熟語なので、対立する相手を否定・抹殺する場面で漢代から多くの例証を残しています。後漢末の学者孔融が「不識時務」とされ、曹操が時代を知る「識時務」に。「識時務」の代表的人物は劉邦で、対して韓信は「不識時務」の人。孔子の弟子で衛の内乱で死んだ子路、皇帝玄宗の指示を無視した李白、『水滸伝』で活躍する柴進などが「不識時務」の有名人です。
現代ではバイデン米大統領はさまざまな事由で、わが菅首相は夏冬の五輪開催で成果を謳うどころか職を去った4人の首相のひとりになったことをあげて「不識時務」の人に加えています。大連の「盛唐・小京都商業街」が営業停止になるなどもその一例でしょう。
「過河拆橋」(かかたくきょう)20210915
河を渡り終えて橋を壊す「過河拆橋」(廉進之『李達負棘「第三折」』など)というのは、目的を達したのち、橋を壊して資材を持ち去るということで、恩しらずの上に実利まで図るというのですから、戦術の一種としてはありえても、現実には考えられない情景です。今でも小舟を並べて繋いで臨時の橋(浮橋)をつくって渡る「過河拆橋」はみられますが。比喩としては、実利のために折衝の橋を壊す類の用例は多くみられます。アメリカ軍のアフガン撤兵での日本大使館の関係者置き去り。アマゾン、アップルの中国市場からの撤退。孫正義氏は5Gはじめ中国にとって「過河拆橋」の人物という。
「東京オリパラ」の施設のうち、選手村はマンションとして分譲されましたが、無観客開催となったために、作って用意したものの使われず取り壊わされる「不過河拆新橋」という施設もあります。使われず廃棄されることになる資財はどう取り扱われるのか、しっかり公開してすすめないと「過河拆橋」を問われることになりかねないのです。
「挙一反三」(きょいちはんさん)20210922
一隅のことを聞いて残り三隅のことを類推できるのが「挙一反三」(『北堂書鈔「九八・読書」』など)です。『論語「述而篇」』では「一隅を挙げ三隅を以って反(か)えらざれば、則ち復せざるなり」とあって、学ぶ者が「挙十知九」まで知った上での問いかけでなければ啓発することはしないという孔子の教育法を述べたものとされています。 この「四字熟語」は孔子から1000年を経た隋代の類書である『北堂書鈔』にあらわれ、今にいたる1000年を生きる用語です。日本で用例を見ないのは四隅にかかわらない「聞一知十」が入ったためで、今日の用例も四隅を意識した組織の引き締めや道路交通安全や環境保全といったものに。実は食材を酱油清酒、味淋で活かす「和食」は「挙一反三」の料理法なのです。さて、自民党総裁選候補4人の多様な課題に対する「挙一反三」のようすはどうでしょう。「女性・少子化」までは論じていますが、社会の一隅である「高齢化」については言及がなく、至誠の人の答え(国民の賛同)は得られるかどうか。
「匠心独運」(しょうしんどくうん)20210929
芸術や文学などの方面では、独創性を発揮してこれまで世になかった制作品が生み出されています。工匠にその活動をうながす精妙な心の働きを「匠心独運」(『王士源「孟浩然集序」』など」といいます。「匠心独妙」とも「匠心独立」「匠心独構」「匠心独造」ともいわれるのは、その心の精妙なありようを伝えようとしているからでしょう。伝統品の伝承には、師匠の匠心の継承が求められます。匠心の伝承がなければ途切れます。匠は斤(おの)にかかわる会意文字で、石という名の工匠が斤をふるって風を起こし(運斤成風)神技を演じたことから「匠石運斤」(『荘子「徐無鬼」』から)が残されています。
歌舞伎、京劇など伝統芸の梨園弟子、茶道・華道の家元、伊勢神宮など歴史建造物の復原宮大工、宝蔵品の復刻、墨拓技術、木彫芸、陶芸、地方伝統文化、競走馬の育成、医療を含む科学技術、茉莉花など茶業、染め物など传统工艺から料理まで。わたしたちの日々の暮らしの喜びは、さまざまな分野のつくる側の「匠心独運」に支えられているようです。
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2021年8月の「四字熟語の愉しみ」は
「刮目相待」「十室九空」「無稽之言」「家徒四壁」を書きました。
「刮目相待」(かつもくそうたい)2021.8・4
人の成長やものごとの進み具合を目をこすってしっかり見直すことを「刮目相待」(『三国志・呉書「呂蒙伝」』から)といいます。三国時代の呉の名将呂蒙のことばから。
呂蒙は若いころには学問する機会がなかったのですが、孫権に「光武(後漢を立てた劉秀)が兵馬のうちにも書を離さず、孟徳(曹操)も老いてなお学を好んだではないか」と学問の益を説かれてから、軍中にあっても倦まず、兵書ばかりか諸家の書まで広く学びます。のち呂蒙と議論した魯粛がいいます、「ただ武略あるのみと思っていたが、いまや学識もひろく呉下の阿蒙(呉地の蒙さん)ではなくなりました」。それに対して呂蒙は「士は別れて三日で大きく変わるもの。目をこすって新たな目で応対しなければ」と答えたというのです。ここから学識の浅い蒙さんという「呉下阿蒙」が成語に。
五輪サッカーで日本がスペインを破っていたらこういえたかも。高校野球で無名校が急に現れたり、車やAI機器市場で新製品が「刮目相待」の話題になったり。
「十室九空」(じっしつきゅうくう)20210811
戦乱や災害や黒死病(ペスト)などで、人びとが死亡、避難、離散してしまい、村落の十家のうち九家までが無住となることを「十室九空」(『抱朴子「用刑」』など)といいます。歴代、幾度となく繰り返された荒涼とした情景です。命からがらもどっても知り人がいない「挙目無親」に。韓愈には「殺傷疾患、十室九空」(『韓昌黎集「黄家賊事宜状」』から)の記載がみえます。戦乱の例が多く慰霊の祈りは絶えません。
一方に髪が白くなった老人すら人生に一度も戦争に出会わなかったという幸運を伝えることばに「戴白の老も干戈をみず」があります。歴史は戦乱が途切れず平和で「安居楽業」が許されるときがいかに少なく短かったかを伝えています。いまわが国は戦禍のあと七六年、平和を得て戦後生まれの「団塊」のみなさんも古希に達して「戴白の老」となり、度重なる災害に迅速に対処し、国難といわれるコロナウイル襲来に遭遇しても最良の治療を受けて「寿終正寝」ができるジャパンミラクルのときを過ごしているのでしょう。
菅首相の発言が国民の心に届きません。広島で読み落とし読み違えがあった後とはいえ、コロナ禍に対する重要な決定を訴える記者会見で、官僚がまとめた文章を棒読みする。「心口一如」で心をこめ「言之歯歯」で一語ずつ噛みしめて発現しなければ、国民の心に伝わらないのです。古来、根拠・実態のない言説について「無稽之言」(『書経「大禹謨」』から)がいわれます。人民とともに全土で治水事業に専心した禹王から「無稽の言は聴くなかれ」といわれて、中国の為政者は発言に心を配ります。「無稽之談」とも。
最近の事例では、コロナ発出を武漢ウイルス研究所とするアメリカの言説を「無稽之言」として威信をかけて反論しています。わが国の為政者は、「国難・コロナ禍」に遭遇して、現場に身を挺して実態を理解せず、官僚が書いた文章をそのまま読んだり、常用語をつらねて能弁に弁明してすませています。ドイツのメルケル首相のように共有する涙もない。医療従事者から「無稽之言」といわれかねません。
「家徒四壁」(かとしへき)20210824
家のなかに家財が何もない、暮らしぶりが貧窮であるようすを「家徒四壁」(『漢書「司馬相如列伝」』など)といいます。漢代の司馬相如の場合には学才芸才をきわめての閑居ゆえの一贫如洗であり「家徒四壁」でしたから後代に模倣者がみられますが、現代の庶民にとっては壁際に電化製品が並んだ家財満堂が豊かさの証し。貧窮からの脱出を国策にかかげて、「小康社会」を現出しようと努めている中国政府には、貧窮ゆえの「家徒四壁」はあってほしくない光景でしょう。父祖からの住まい方を守りたいという思いからとしても。
「家徒四壁」の家庭からの美談もさまざまあって、地方の貧窮家庭から子どもを有名大学に合格させた事例や身を切る練習にはげんで東京オリンピックで金メダルを獲得した飛び込みの全紅嬋、重量挙げの湛利軍、吊り輪の劉洋選手なども「家徒四壁」を乗り越えての美談として紹介されています。高級マンションの美しい壁面をウリにする「家徒四壁風」という用法まで現れてはことばの解説もままならない壁立状況といえるでしょう。
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2021年7月の「四字熟語の愉しみ」は
「言近旨遠」「民為邦本」「出頭之日」「白首同帰」を書きました。
「言近旨遠」(げんきんしえん)20210707
「言」(ことば)に関する四字熟語は数多くみられますが、見出しに掲げるとすると「言近旨遠」(『孟子「尽心下」』など)でしょうか。ことばが身近で分かりやすく、含む意味合いは深遠であること。親しい友人の場合は「言而有信」として内心にまで届きます。時には表現になく真意を推察する「言外有音」の場合もあります。ことばが事実を伝えず過剰であることを「言過其実」(『三国志「蜀書「馬良伝」」』から)といいます。劉備が臨終にあたって諸葛孔明に忠告した馬謖は「言過其実、不可大用」から。孔明はその忠告に従わず「街亭」の守備に馬謖を用いて大敗し、「泣いて馬謖を斬る」ことになりました。
近代の100年、中国ではこの「言近旨遠」を前提にして、毛沢東をはじめ中国共産党の指導者は言論活動を展開してきましたから、そういう意味合いの「経典語句」が暮らしのなかに生きています。多くを語れませんが、魯迅が戦火の上海の三義里で救い出した鳩「三義」の詩は、身近に起きたできごとを詠って日中交流のシンボルになっています。
「民為邦本」(みんいほうほん)20210714
国の政治の根本にあるものとして、中国は共産党が担う人民共和を、欧米や日本は政党がすすめる民主主義を中心に置いています。中国は歴史的に劉氏の漢、李氏の唐など一家族を基盤とした権力(超300年王朝)を経験していますので、人民共和というシンボルで古来経験してきた体制を安定させることが可能で、欧米型にはなりません。体制内で柔軟に人民共和をコントロールして、強権的、覇権的短期体制ではおわらないでしょう。
2007年2月、温家宝前総理はこの「民はこれ邦の本なり」(『書経「五子之歌」』から)を中国伝統文化の精華であり世界に披露すべきとした文書を公表。総理にそういわれても、かつて「民不堪命」や「民怨沸騰」を経験してきた「民」の側としてはにわかに納得できなかったようですが、それから4年余、習近平主席のもとで、新しい経済社会へ突入しようとしています。貧困を脱してめざす「小康社会」へ。そして未踏の「大同社会」へ行き着くかも。日本が「日進月歩」なのに対して「日新月異」の勢いなのですから。
「出頭之日」(しゅっとうじじつ)20210721
「出頭」というと本来の意味からは「出人頭地」で他から抜きんでることですから、植物の「出類抜粋」と同じニュアンスを持つのですが、「抜粋」のほうは孟子が孔子の秀でていることの例としていることから広く用いられているのに対して故事としての用例はないようです。抜きんでようとつとめたり、きびしい困難、災厄、抑圧といった境遇から刻苦して脱する場面では「出頭之日」(『東周列国志「七二回」』など)があって、わが国での「出頭の日」が、法に基づいて呼び出されて本人が捜査機関や裁判所などに出向くことにいうのはごく狭い意味といえます。
ですからさまざまな分野で「出頭之日」を待つ人びとがいます。子どもを北京大学や清華大学などへ入学させるため両親がともに「出頭之日」を待つことが話題になります。「東京オリンピック・パラリンピック」で、世界のトップアスリートと力を競って「出人頭地」で得たメダルは「出頭之日」の証しといっていいのでしょう。
「白首同帰」(はくしゅどうき)20210728
お互いに髪が白く戴白の老になってもなお志向や趣向を同じくして友誼に変わりがないことを「白首同帰」(『文選「潘岳・金谷集作詩」』など)といいます。長い暮年を過ごすのに「白首して同所に帰す」という友人を持っている人はしあわせです。同時に去世することにもいいます。ご夫婦が老年になってむつまじい姿は「白首相荘」というようです。
白首には「白首空帰」(『後漢書「献帝紀」』など)があって、こちらは若い日に志をもって出た郷里へ年月を経て学をなさず名をえず空しく帰ることにいいます。同じく郷里を出て功成り名を遂げて「衣錦還郷」(『梁書「柳慶遠伝」』など)した人物がいたりすればさびしいでしょう。しかしどうでしょう、不在のあいだに田園は蕪れ里人の心を失った村落にとって、違和のある“にしき族”がもどるよりも、故あって出て行けずに地元に残って郷里をまもってきた仲間と「白首同帰」の日々をたいせつにしながら、伝来の風物を活かし、後人が暮らしやすい共生社会をこしらえる“ききょう族”でよいのではないでしょうか。
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2021年6月の「四字熟語の愉しみ」は
「妙語解頤」「得休便休」「得意忘形」「鉛刀一割」「百川帰海」を書きました。
「妙語解頤」(みょうごかいい)20210602
「妙語」は発語が巧妙であり趣があること、「解頤」は聞いた者が心底からの同意を含む笑いを発すること(魏秀仁『花月痕「十二回」』など)。「解頤」には顔師古が「人をして笑不能止也」(『漢書「匡衡傳」』)と注をしています。師や友人からのなにげない「妙語解頤」は貴重です。「妙語連珠」となると妙語集のようになって趣が損なわれますが。
妙語への要望はさまざまあって、「人生妙語」「育才妙語」「佛家妙語」「名著用語」「養心妙語」「情感妙語」「中外名人箴言妙語」「李克強記者会精彩妙語」・・。2015年9月、習近平主席がオバマ米大統領と会談、国連70周年式典出席で訪米した際には「習近平訪米十句妙語」があって、そのひとつが米中企業家との座談会で外国技術・資金・産品に中国の大門は開放されているという「阿里巴巴芝麻開門」(アリババの「開けゴマ」)でした。近年の日本からの「妙語」としては、高田好胤(『情日本妙語和尚佛理随想集』)や稲盛和夫(『稲盛和夫語録100条』)や渋沢栄一(『論語与算盤』)からのものが知られます。
「得休便休」(とくきゅうべんきゅう)20210609
気持ちよく働くためにとるのが「休」で、6日働き7日目に休むのがカレンダー。さまざまな祝祭日が増えて休日が多くなりましたが。三日働き一日休む、あるいは三組が働いて一組が休むのが「上三一休」で、消防やアルバイト職場として妥当な「休」といえるのでしょう。ここに「休」を重ねた「得休便休」(『民国通俗演義「二回」』など)があります。どう やら休みたいときに休み、休みをやめるのにも都合に合わせてというもの。物騒ですが停戦などがその例に。よく使われていることからすると今の世情をつかんだ言い方なのかもしれません。 通常の休みより休養をとるなどに実感があります。若い人の「上四三休」となると副業のサブワークに精出すようすも見え、その上に在宅勤務もあってしごとと休日がこもごも混じり、気持ちよく働くための「休」とは異なる時代にはいっているようです。一方で「帰去来の辞」を携えて退隠する陶淵明が故郷の田園を前にした心境が本来の「得休便休」であると知らされると、「休」のもつ意味合いの広さにとまどいます。
「得意忘形」(とくいぼうけい)20210616
他人に勝れた能力があるのにそれを形よく表現できないことを「得意忘形」(「『晋書「阮籍伝」』など」)といいます。「竹林の七賢」のひとり阮籍は、気に食わない人物には「白眼視」で接したほどですから、この語の典故に引かれてもしかたがないでしょう。
「G7」は出席する誰にとっても政治家としての得意の場面でしょう。そのおわりの野外での集合寫眞撮影のあと、イギリスのものさびしい海辺を、最後尾をひとり歩く菅首相の姿に、「形」をつくれなっかった人として同情があつまったのだそうですが・・。国際協議の場ですからトランプのような「自鳴得意」の人物がいないのはよかったのですが、せっかくの対面の会議なのに華やいだ演出もなく、会議中もパソコンに眼をやるばかり。他国の首脳もそうですが、せっかくそろった対面の場面なのですから、「得心応手」といった手指をつかったボディランゲージくらいはお互い自得しておいてもいいと思えました。「得意忘形」ではなく「得意造形」といったところで。
「鉛刀一割」(えんとういっかつ)20210623
鉛製の刀の刃先は鈍いがそれでも一振りの利用価値はあるという。後漢のはじめ、学問は兄の班固(『漢書』を編む)にまかせて西域に出た班超は、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」(『後漢書「班超伝」』から)という名言を残しました。出兵を求める上疏でわれは「鉛刀一割の用もなし」といいます。また「十年一剣を磨く」という首句で始まるのは唐代の賈島の詩「剣客」です。こつこつと十年をかけて磨きあげた一剣。試みる相手も機会もないまま、「品格」が理解されず「人格」が萎えていく時代相を「十年一剣」の刃先に見ています。
「人類の死」が迫る「現代」の政治、経済、先端科学など多岐にわたるテーマを徹底解明して「知の巨人」と称された立花隆(橘隆志)さんが4月30日に病院で死亡していたことが6月24日にニュースとして流れました(23日朝、家族がサイトに公表。)葬儀は5月4日に家族葬で埋葬は樹木葬といいます。いずれの刃先でもいい。複雑な「現代」を一刀両断にして、国民・市民が安心して人生を預けられるこの国の姿を示してほしいもの。
「百川帰海」(ひゃくせんきかい)20210630 中国の大小の河川はほとんどが東流して海に注いでひとつになります、「百川帰海」(『淮南子「巻十三氾論訓」』など)です。ですから左岸側にあって「陽」のつく市町村は数知れません。同じ目標をもつ共産党の活動は海でひとつになる。それが2021年7月1日「中国共産党成立100周年」の慶祝記念日であり、次の100年でめざすのが「中国之夢」「一帯一路」です。鄧小平経済路線を毛沢東主義へと修正し、政治・経済での世界戦略のほかにGODを論じない中国の文明論でも対峙することになります。
この間に以下のような四字熟語がわが国へも影響を及ぼしました。「百家争鳴」「百花斉放」「反面教師(教員)」「造反有理」「改革開放」「和諧社会」・・。両国の近代化の時期に孫文・魯迅・秋瑾・周恩来・蒋介石や日中友好人士の参画・支援がありました。2022年は「日中国交50年」を迎えますし、習近平主席の訪日延期もあります。日中二千年の「文温の絆」をもつ日本と中国の新たな世紀の課題がはじまるのです。
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2021年5月の「四字熟語の愉しみ」は
「風華正茂」「叫苦連天」「民和年豊」「尊年尚歯」を書きました。
「風華正茂」(ふうかせいも)20210505
風華は風采と才華、茂は旺盛なこと。青年が救国済民の志を内に宿し外に明亮に示すことが「風華正茂」(『毛沢東詩詞「泌園春・長沙」』から)です。習近平主席は重要講話によく名言を取り入れますが、2月10日に「春節」にあたって発表した講話での名言引用は、李白26歳のときの凌雲の壮志を詠った「大鵬一日同風起、扶揺直上九萬里」をひいて遠大な行程と抱負を託してはじまり(四字熟語としては「鵬程万里」)、この毛沢東の青年の活動を鼓舞する現代成語「風華正茂」で止めています。中国の歴代王朝300年からすれば100年はなお青年期。2021年の「中国共産党百年」で社会主義現代化国家を建設し、次の100年で中華民族の偉大な復興事業を成し遂げようというのです。
5月4日は、1919年に起こった帝国主義と封建主義に反対する愛国青年革命運動を記念する「五四青年節」。かつて「独先生(デモクラシー、独謨克拉西)」を求めた新民主主義革命の発端となった5月4日は、各地で青年による多彩な活動がおこなわれています。
「叫苦連天」(きょうくれんてん)20210512
インドのコロナ感染による犠牲者を火葬にする映像は痛ましい。ガンジス川で沐浴する祭り「クンブメーラ」は密そのもの。神に召されるなら死もという信仰があるとしても。わざわいが連綿とつづいて民衆の苦しみの叫びがやまないようすを「叫苦連天」(『西遊記「一六回」』など)といいます。歴史に繰り返されてきた戦争、飢饉、疫病・・。
一国二制度を解消しようとする北京政府のとった方策にも民衆の「叫苦連天」が見られました。ミャンマーの軍事政権による民衆の声封殺の現場にも露出しています。米バイデン政権による中国制裁にかかわって、オーストラリアでは中国むけの木材や大麦が検疫でとまり生産者が「叫苦連天」に追い込まれています。インド政府がWi-Fiや5G関連の自国企業優遇で中国企業の排除をしたため、逆に自国企業を苦境に陥れるという状況を産んでいます。日本企業への波及もよそ事ではありません。いまはコロナ禍の大阪府のように医療崩壊によって病院へ搬送さらない感染者の「叫苦連天」が現実ですが。
「民和年豊」(みんわねんほう)20210519
人民大衆がひごろ穏やかに暮らすことができて(百姓安居)、国が年ごとに豊かになる(年成很好)というのが「民和年豊」(『春秋左氏伝「桓公六年」』など)です。四辺を外敵に囲まれている中国ではむずかしく、願望に近い用語でした。宋代の王安石も「古今憂国年豊を願う」と詠っています。いまの中国では春聯にも書かれる実感のある親しい用語となっています。わが国は先の大戦から70年余り、国際的な願望として託された「平和」の国づくりに徹して、世界にまれにみる「民和年豊」の歳月を過ごしてきました。
が、昨年年初からの「コロナ禍」に遭遇して、みんなが新憲法下で習得した「強制なき自粛」によって対応していますが、「医療と経済(人と暮らし)」の両立に苦しみ、ついに「年豊」である2020年度の「GDP」(国内総生産)が戦後最悪の落ち込み(マイナス4.6%)を記録しました。内閣府発表の3月ごとの統計でもなお収束の気配が見えません。「軍事と格差」の露出だけはおさえて「令和年豊」の時節を迎えたいものです。
「尊年尚歯」(そんねんしょうし)20210526
「年」は年齢で「歯」は歳数のこと。歯は長寿の証しです。年長者を敬愛することばのひとつとして「尊年尚歯」(令狐徳棻『周書「武帝上」』など)があります。「尚歯」はすでに『礼記「祭義」』に表れます。旧字体の「齒」はその存在を実感させます。自分の齒は何本?といってお年寄りのだれもが欠損のないそろった歯並びをみせて笑います。よく食べよくしゃべる。歯科技術がどれほどの長寿の支えになっていることか。
「尚歯」の会としては、唐代に白居易が845年5月に70歳以上の7人(五百七十歳)を集めて詩賦の会を催した「尚歯之会」が知られます。わが国でも877年にそれに倣って7叟が参加する詩賦の会が開かれ、その後江戸時代を通じてさまざまな「尚歯会」が各界に成立していったようです。明治期には村の敬老行事として始まり今に引き継がれているところもあります。「尚歯会」はまた歯科医師の団体名になっていますし、ふと気づく長寿の刻みとして「尊年尚歯」は傍らに置いておきたいことばです。
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2021年4月の「四字熟語の愉しみ」は
「前無古人」「一飽耳福」「厚古薄今」「存而不論」を書きました。
「前無古人」(ぜんむこじん)20210407
歴史上で先人によってなされなかったことを「前無古人」(邵博『聞見后録「巻二七」』など)といいます。「前無古人、后無来者」とつなげても用います。いまある事象への誇りにあふれる勢いのいいことばです。ただし唐の陳子昻「登幽州台歌」の「前不見古人、后不見来者」の事例は、将軍楽毅のような人物が今いないことを嘆いているのですが。後代の事例は空前絶後の意味合いで、毛沢東も「現在の社会主義は確実に前無古人的」といっています。皇帝は始皇帝、美女といえば楊貴妃、才媛といえば北宋の詞人李清照・・。
とすると『ギネス(吉尼斯記録)』は「前無古人記録集」ということになります。スポーツではサッカーのC・ロナルドに。大谷翔平の投打二刀流もベーブルースをめざしながら古人がいない野球の歴史をつくることに。科学部門では中国では月面探査の「嫦娥4号」と「月兎2号」、砂漠緑地化(毛烏素砂漠など)、日本からはスーパーコンピューター「富岳」、小惑星探査機「はやぶさ2」そして女性長寿世界一の田中カ子さん118歳。
「一飽耳福」(いっぽうじふく)20210414
ここでの「飽」は十分に満たされる飽和の意で、「一飽耳福」(典拠なし、現代成語)は美しい音楽を聴いて心が癒されること。美しいものをみての「一飽眼福」とともに耳にするところ。「一飽耳福」は新曲売り出しのキャッチによく用いられています。コロナ禍の日々にあってふと心にやすらぎを感じるとき、胸の中を親しい音楽が流れているのに気づきます。これぞ文化です。が、演奏会場が整わず、楽団を維持する持続化給付金も商店のようにはままならないという日々に直面している関係者の窮状は察するにあまりあります。
4月7日に最高齢の現役ピアニスト室井摩耶子さんの「100歳記念コンサート」が東京でひらかれ、円熟したベートーベンのピアノ曲を弾き切りました。東京音楽学校(東京藝 術大学)を首席で卒業し昭和20年1月に日比谷公会堂で開いた演奏会は空襲下にもかかわらず3日続けて客席がいっぱいに。演奏するたびに「新しいものを発見できる」と語る室井さんへの温かな拍手も「耳福」のうちだったでしょう。4月18日に百寿に。
「厚古薄今」(こうこはくこん)20210421
学問や芸術で古代を重視し当代を軽視する立場を「厚古薄今」(米芾『宝晋栄光集「蚕賦」』など)といいます。『荘子「外物篇」』には「尊古卑今が学者の流」という表現も。書の世界では「臨摸」が「厚古」の証しとして尊重され、唐代の名家に通じて一家をなした宋代の米芾は、「厚古薄今」とは「時の異である」と宋代に「厚今」をなしとげた自負を吐露しています。のちに反義語の「厚古薄今」(呉晗『灯火集「厚今薄古と古為今用」』)で、吴晗は人民による革命を歴史の全否定でなく「事情の両面」と位置づけています。
近年、小中学生用の「語文」の教材に「古詩文」を大幅にふやしたのは、「厚今薄古」への反省からで、民族的精華を伝承する教育的意義を認めてのこと。しかし外国文学作品の中の「神」や「聖書」といった表現が削除され、たとえば『マッチ売りの少女』の星が流れ落ちる時、「魂が神様のもとへ行くのよ」が「人がこの世を去るのよ」に。来世の「神」を認めない「宗教事務条例」のゆえでしょうが「厚古薄今」に過ぎるのでは。
「存而不論」(そんじふろん)2021・4・28
問題は存すれども論議しないで留めおくことを「存而不論」(『荘子「斉物論」』など)といいます。荘子は「六合之外聖人存而不論、六合之内聖人論而不議」といいます。「六合」は東西南北と上下で天下のこと。天下の経世にあたって、聖人には「存していても論議しない」ことがあるというのです。至誠孔子は、「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(『論語「先進一一」』から)といって、死後のことや怪力乱神のことを論じません。人間の活動により生起する事象がすべて。「はじめに人間の生ありき」とする思想です。
一方の欧米の規範は「はじめに神ありき」とするもの。ご存知のように、アメリカ大統領はワシントンの連邦議会前での就任式典で、聖書に左手を添えて「神に誓って」と宣誓をして職務につきます。オバマもトランプもバイデンも次の大統領も。中国の軍事的、経済的台頭とともに、彼岸の聖(GOD)と此岸の聖(孔子)という規範のちがいから発する文明論的対峙が世紀をつうじて襲来する小国日本はどう対処するのでしょう。
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2021年3月の「四字熟語の愉しみ」は
「哲人其萎」「心逸日休」「過目不忘」「啼笑皆非」「屈指可数」を書きました。
「哲人其萎」(てつじんきい)20210303
1万円紙幣のデザインが『学問のすすめ』の福沢諭吉から『論語と算盤』の渋沢栄一にかわりますが(2024年度から)、その「半部の論語」論が話題になっています。北宋草創期の宰相趙普は『論語』しか読まず、そのことを太宗趙匡義に聞かれ「その半を以って太祖(趙匡胤)を輔けて天下を定め(定天下)、いまその半を以って陛下を輔けて太平を致さん(致天下)」と答えました。この「半部論語」の読み方をしたのが渋沢栄一でした。
73歳で去世する孔子は亡くなる7日まえに、「泰山それ頽(くず)れんか、梁木それ壊れんか、哲人それ萎えんか」と詠ったと『史記「孔子世家」』が伝えています。いま生きている自分(哲人)がなければ国土もなく家梁もないとする「はじめに生命ありき」の思想と「はじめに神ありき」とする西欧の「愛知学(philosophy)」との違いを直覚した西周が「愛知学」に「哲学」の字を当てたとき、この情景が去来していたかどうか。「哲人其萎」(『礼記「檀弓上」』から)は、賢人の病逝を哀悼することばとして用いられています。
「心逸日休(しんいつにっきゅう)20210310
咲いたサクラを見ていると、童謡「はなさかじじい」(石原和三郎作詞)が思い出されます。「花咲爺」では、「しょうじきじいさん、はいまけば、はなはさいた、かれえだに」とあって、正直であればすべてに良く裏の畑を掘ると大判小判がザクザク。一方の意地悪爺のほうは裏の畑から瓦や貝殻がカラガラ。石原和三郎作詞の童謡には「大黒様」「浦島太郎」「兎と亀」「金太郎」「牛若丸」などがあって、それと知らず歌っていました。
「徳」をなせばなにごともうまくいくのが「心逸日休」(『書経「周官」』から)です。対して「偽」をなす「心労日拙」は労を尽くしてもうまくいかないこと。そういう個人の勧善懲悪の道理としての心の指向を示唆しています。 いま「医療と経済」が課題のとき、「医療」はなにごとも公益を旨とする「徳」の事業であり、「経済」は功利を旨とする事業です。コロナ感染リバウンド阻止の局面で株価が高騰して貴金属に資金が動いています。花咲爺なら「偽の心意で得た貴金属はいずれ瓦や貝殻になってしまう」というでしょう。
「過目不忘」(かもくふぼう)20210317
見たものの記憶が際立っていることを「過目不忘」(『晋書「符融載記」』など)といいます。耳からの記憶のほうは「耳聞則誦」があります。天生のものでもあり後天的に培養できるものでもあり、個人差がはなはだしい。学習の前提が記憶なので記憶力の優れたものが優等生ということになり、「東大王」が生まれます。
史上では後漢の天文学者張衡、漢魏時代の建安七子王粲、典拠の苻融などの博覧强记が知られます。『三国演義「六十回」』では劉璋の遣いとして許都を訪れた張松が、応対に出た楊修がとりだした曹操の戦術集『孟徳新書』十三篇をいっぺん看ただけで一字たがわず暗誦してみせ、「公は過目不忘、天下の奇才」といわせています。現代の中学生でも教科書を丸暗記して話題になったりしています。哈弗 (Haval)ブランドのSUV「赤兔」のように車型や色彩をキャッチに使う「過目不忘」も登場しています。一方で認知症を気にしながら忘れることの心地よさを味わうのも人生のうちでしょう。
「啼笑皆非」(ていしょうかいひ)20210324
哭くことも笑うこともできないというのが「啼笑皆非」(沙汀『煩悩』など)です。哭くこと笑うことで胸中のわだかまりは解消されるのですが、さまざまな事情で「哭不得、笑不得」は起こります。陳が亡ぼされて隋王室に連れ去られた楽昌公主(皇女)は詩に「啼笑不敢」と記し、時代の衰微を察する晩唐の詩人李商隠は「槿花二首」で「啼笑両難」と詠っています。近代の林語堂には『啼笑皆非』の著があります。
一家族の権力が支配してきた王朝の長い歴史をもつ中国は、共産党結党100周年、一党主導で人民・生命・科学至上の社会を堅持して異なった民主主義を唱えています。対米外交に示されるように、アメリカ(美国)が主張する制度優越性、言論の自由、人権、コロナ対応、デモ放任など、どれもが機能不全の民主主義による「啼笑皆非」の対象になっているようです。翻ってわが国では、東京オリンピックの実施を待つアスリートにとって、コロナ禍の拡大は「啼笑皆非」にちがいありません。
「屈指可数」(くっしかすう)20210331
文字通り指を折って数えきれるほど少ないことが「屈指可数」(欧陽修『集古録跋尾「唐安公美政頌」』など)で、宋の欧陽修は文儒隆盛な世であるが本物は「屈指可数」の三四人にすぎないとまでいっています。ファーウエイ(華為)の携帯電話の米国製チップが「屈指可数」といわれてはアメリカも黙っていられなかったでしょう。
「日新月異」の中国には事例がさまざま。コロナウイルス発現地として世界に知られた武漢の長江上流にある重慶は、セーヌ川のパリ、テームズ川のロンドンに対抗して「両江四岸」をもつ「屈指可数」の国際水辺都市として名乗り出ています。まずは南浜路を歴史文化街として「重慶外灘」にしようというのです。もっと緊急な地球上の事例としては、荒廃が進むなかで中国とインドが植林と農耕で緑化の3分の一を支えているというNASAの公開データがあります。中国観光客にとっての日本「屈指可数」の観光地は箱根です。海賊船に乗って富士山を眺められるとあって。
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2021年2月の「四字熟語の愉しみ」は
「問一答十」「首善之地」「以弱制強」「両豆塞耳」を書きました。
「問一答十」(もんいちとうじゅう)20210203
「一問一答」やら「十問十答」なら並みのこと。一つの問いにたちどころに十の答えを用意できる「問一答十」(『三侠五義「四回」』など)となるとただごとではありません。諸子百家に通じ世情にも通じて語りかけるようすは頭脳の明晰さと志心を示して爽快です。
戯曲や文芸作品になって流布される逸話を残した北宋の政治家包拯はそのレベルの人で、開封府尹として役所の正門を常時開門とし、昼は人を裁き夜は鬼を裁いたと伝えます。役所が常時開門というだけでも善政の証し。「関節到らず、閻羅の包老あり」(賄賂がこなくなり、閻羅王にも似た包拯がいる)と官吏におそれられたようです。民衆の信頼は厚く、「包公祠」は黄河の氾濫で何度も土中に埋まりましたが、今も同じ場所に建っています。
コロナ過を収束させるため国民の全面支援を求めるときに、緊迫感を共有できない同僚の行動に謝罪し、慣れないプロンプターを使って明晰さを演出し、力なく「全力を尽くしてまいります」と原稿を棒読みする首相を、国民はどうやって信頼するのでしょうか。
「首善之地」(しゅぜんしち)20210210
四周の民衆から住むのに最も好ましい土地とされるところを「首善之地」(『漢書「儒林伝序」』など)いい、とくに京師(首都)を指します。首都内のモデルになる地区という意味で、魯迅の『彷徨「示衆」』にも「首善之区」という表現がみえます。
現在の首都「北京」は、国家レベルの際立つ事業が次々に展開されて「首善之地」が連発されています。もちろん上海や南京も負けておりませんし、ウルムチにも「新疆首善之地」の呼び名があります。地方の小都市でも地域の特色を活かした観光や物産の「首善之区」づくりが目立ちます。全国の博物館を伝統文化「首善之地」と呼んだり、環境保護に力をいれる都市を環境「首善之地」と呼んで、「首善」の誇らしいいぶきを横溢させています。
わが首都「東京」はどうでしょう。戦後、一極集中のなかで「東京だヨおっ母さん」(島倉千代子、1957年)のような憧れのまちの時期があり、長渕剛の「とんぼ」(1988年)では「東京」をすてて去っていく「舎近求遠」の人たちが呼び出されて、いまや電子時代、東京「首善之地」はいっそう様変わりしていくことでしょう。
「以弱制強」(いじゃくせいきょう)20210216
どの分野でも起こる事象の多くは「以強凌弱」が常ですが、弱小の力量で強大な力量の相手を制することを「以弱制強」(『晋書「明帝紀」』など)といいます。「以弱勝強」とも。史上に事例は少ないですが、三国史での「赤壁之戦」のような「以弱勝強」の実例もあり、その示唆するところの多いことから歴史ドラマとして再現されています。わが国でも「弱くても勝てます」(NTV・2014年)というテレビ番組がありました。
動物界には「以多(弱)制少(強)」タイプの例証が多く知られますが、新型コロナウイルス(新型冠状病毒・COVID19)に対するワクチンもまた弱い病毒を摂種することで体内に抗体を生じさせて制強の効果を得る「以弱制強」の実例といえるでしょう。
弱小国蜀の丞相諸葛亮の戦略の基は「以弱制強、以柔制剛」でしたし、対日戦や朝鮮支援での戦略(鄧小平)もその伝統意識に裏打ちされていました。大国米中に挟まれた小国日本の前途は、いかに「以弱制強」の環境を保持できるかによるといえるでしょう。
「両豆塞耳」(りょうとうさいじ)20210224
「節分」の豆まきの「福はうち鬼はそと」の声は家々からは途絶えましたが、炒り豆はスーパーで売られているようです。「一葉目を蔽えば泰山を見ず。両豆耳を塞げば雷霆を聞かず」(『鶡冠子「天則」』から)とあるように、一葉で目を蔽えば泰山すら見えなくなってしまうし、両豆で耳を塞げば雷霆を聞けなくすることもできるということで、局部のことがらによって総体的なあるいは根本的な判断が損なわれることをいい、物事の真理を見誤らず“聡明”であることを身近な例で求めています。四字熟語としては「一葉蔽目」「両豆塞耳」。
耳には「双珠填耳、必寂寥無聞」(桓譚『新論「専学」』)が知られます、見たくないものは眼を閉じれば暗黒を得られますが、耳のほうは危険を音で察知する機能のために四六時中開放しています。といってすべての音に対応することなく選択して聞いてはいますが。今どきの不要不快な音声を排する意味合いでは「両豆」ではなく真珠の「双珠」による「双珠填耳」が垂珠(イヤリング)とともに新しい意味合いをもって登場してくるでしょう。
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2021年1月の「四字熟語の愉しみ」は
「誰執牛耳」「五内如焚」「揺身一変」「街談巷議」を書きました。
「誰執牛耳」(すいしつぎゅうじ)20210106
令和3・2021年は丑(ウシ)年で、十二支のうちで子(ネ)や巳(ミ)に比べると四字熟語の用例は多いほうでしょう。本稿で取り上げた「牛角掛書」「呉牛喘月」「対牛弾琴」「泥牛入海」のほかにも「汗牛充棟」「牛衣対泣」「牛刀割鶏」「九牛一毛」「鶏口牛後」「売剣買牛」などが知られます。よく知られた「牛耳を執る」の「牛耳」を含むのはこの「誰執牛耳」くらいで成語としての安定感に欠けますが。
「牛耳を執る」は古代諸侯が盟を結ぶにあたって、牛耳を割いてその血を飲んで誠意を示し、盟主になるものが牛耳を盛った珠盤を執って主導したことから。「執牛耳」は盟主を指すことに。「誰執牛耳」(『春秋左氏伝「哀公一七年」』など)はさまざまな場面で主導するものがだれか(何か)を問うときに用いられます。例えば大統領選でだれが勝利者となるか、SUV車ではどこの社の何が、サッカーのワールドカップならどこが優勝国となるか、ビールやスマホなどの展示会で人気製品を競う場面で用いられることになります。
「五内如焚」(ごないじょふん) 20210113
五内は五臓のこと。五臓に火がついたように悲憤や焦燥が体内に燃え広がった状態のことを「五内如焚」(『鏡花縁「五七」』など)といいます。この四字熟語に出合うと、三国志の男たちの争覇のなかで人生を翻弄された蔡琰(文姫)の悲憤詩の「崩五内」が思われます。蔡琰は後漢末の学者で時代に翻弄されて獄死した蔡邕の娘。夫に先立たれ、北辺の匈奴に連れ去られて12年、魏の覇者曹操の尽力で泣いて母を追う二人の子を胡地に残して帰郷したものの、知人はなく誰とも知れない白骨が散らばっている・・。
幼少時に中国東北でひとり放置されて生き延びて帰国して戦禍の内地で労苦して働いたAさん。貯蓄などせずに等しく貧しく等しく豊かになることに夫とともに努めて、「一億総中流」の礎になって、今はまた「下流老人」「老後破産」と呼ばれて一人暮らしに耐えて暮らしています。コロナ禍でトリアージ(最初に扱うべき選別)を望まないに違いないAさんの静かな長寿を祈るばかり。「五内如焚」はわれわれの胸のうちにあります。
「揺身一変」(ようしんいっぺん)20210120
長い貧窮の時代に耐えていた庶民の変身願望をみたしたのが、神通力によって本来の姿を自在に改変してみせる「揺身一変」(『西遊記「第二回」』など)の物語の主役たちでした。孫悟空の変身はその最たるもの。人品への比喩としては、立場や身分のありようを急に変えてしまう良くない場面(『紅楼夢「一九回」』など)で用いられてきました。が、現代の中国には良し悪しを問わず「揺身一変」の事例がさまざまな場面に登場しています。
かつて学問を閉ざして貧しい農村にゆき荷車をひいて暮らした青少年が、いま壮年になって会社を興し邸宅に住み人気SUVを乗り回して暮らしています。文なしだった城中村の住人が高層マンションに住んで財産家になる。若い女性は美貌を競って変身し、中年女性は不老の術を得て「半老」豊麗な月日を送る。だれもが「揺身一変」の機会をもつ「中国夢」の時代。汚れた紙幣は一掃されて電子決済に、果物は改良で豊潤で美味に、料理は五味の粋をつくして変容。史上になかった「揺身一変」の主役が躍動しているようです。
「街談巷議」(がいだんこうぎ)20210127
民衆の暮らしのしあわせな情景は、みんながその居に安んじその業を楽しむ「安居楽業」の四字に尽くされていて、政事にたずさわる者の目標とされてきました。が、加えて街なかで人びとが自在に論じ合えること、この街談巷議(張衡「西京賦」など)が盛んなことも欠かせません。「街談巷語」や「街談巷説」なども用いられています。都会の夜の賑わいやレストランのテーブルを囲んでの「三密回避」を気にしない談議こそが、平和の証しであり、安心の礎であり、たしかな世論の形成に関わるのですから。
すみやかにコロナ禍を収束して夜の巷に民衆の街談があふれる日を待ち望むばかりですが、いま中国での街談巷議の話題はコロナと「春節」の大移動(春運)です。あす28日が満月ですが、この月が夜な夜な細くなり日と月が同時に上る月影のない日が「春節」(農暦初一、2月12日)です。最初の満月の日が元宵節(2月26日)。陰暦(農暦)の年中行事は日本を除くアジア各国でいまも息づいているのです。
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2020年12月の「四字熟語の愉しみ」は
「休休有容」「両面三刀」「出水芙蓉」「炉火純青」「四体不勤」を書きました。
「休休有容」(きゅうきゅうゆうよう)20201202
「休休有容」(『書経「秦誓」』から)というのは、君子(リーダー)が寛容で器量が大きいようす。四書五経のひとつ『書経』では「其心休休焉、其如有容」と記しています。古代から伝わる熟語として傑出した統率力をもつ人物の表現に用いられてきました。
「休」は休むのほかに安らかであること、「休休」は美しくおおらかなさま。禁中茶会に際して正親町天皇から贈られたとされる千利休の居士号にもこの意味合いが含まれているようです。「休休有容」が茶の湯のもつ馥郁とした味わいに近いことはたしかです。「有容」は器量が大きいこと。『書経』に「有容、徳乃大」と記され、明代に袁可立が「受益惟謙、有容乃大」とし、のちに200年を経て清末に林則除が「海納百川、有容乃大」から「有容乃大」を座右としたことから、日本の企業人もそれに倣っています。
古語である重みと発語のなめらかさもあって、いまでも大学入学生を励ます学長のあいさつや茶の礼を習う過程や菊花の美しさや烏龍茶の味わいなどにも広く用いられています。
「両面三刀」(りょうめんさんとう)20201209
ものごとには見える表面と隠れた裏面の両面があり、それをたくみに扱う手腕(刀)があることを「両面三刀」(『紅楼夢「六二回」』など)といいます。事例の多くは「口是心非」という好くない場面の指摘でさまざまに用いられています。
いま両面を米中経済とみた場合、その対立の激化は「両虎相闘」の姿を呈してその結果は「両敗倶傷」を予測させます。二大隣国としての経済関係からわが国への影響は深刻です。とくにトランプ氏と親交のあった安倍首相の「ゴルフ外交」は、中国側からは一刀を隠し持つ「パンダ(熊猫)外交」とみられていました。大戦後70年余の非軍事・反格差の民主国家が、経済・軍事・科学・コロナ対応もふくめて、「両面三刀」といわせない文化力・外交力を発揮して、東アジアの歴史に新しい局面を開けるかの正念場を迎えています。「両心一体」を求める国際世論を喚起して「両得其便」の現実をつくることができるか。それが「国民の命と暮らし」を守ることになるからです。
「出水芙蓉」(しゅっすいふよう)20201216
泥土の中から茎をのばして水上で清らかな花を開く芙蓉(ハス)。その姿を古来「出水芙蓉」(鐘嶸『詩品「巻中」』など)といいます。若い女性の自然なままの美貌をいいますが、典拠にひいた例(謝霊運の詩)のように詩や文が清新自然であることを評しても用います。蓮華は仏教では悟りの生き方を象徴する花として特別な意味をもっています。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』では極楽の蓮池のほとりから下界を見下ろす釈迦が描かれています。
コロナ禍という世相の中で、テレビの画面にひととき、自然に開いた芙蓉のような美貌の女性が登場すると心なごむのですが、化粧技術の粋をこらしたメイク禍で自然な生活感を失っているのは惜しいです。美称なので映画やテレビ劇や小説の題名ばかりか高級高層マンションの名にもなっています。「芙蓉鳥」はカナリヤ、「芙蓉峰」は富士山の雅称。芙蓉グループは旧名「富士銀行」の「富士」にちなんだもの。「芙蓉」は古来ハスの美称であることから、落葉低木の「フヨウ」は木芙蓉として区別されています。
「炉火純青」(ろかじゅんせい)20201223
炉の火が赤く燃えているところから、さらに青く燃え盛るようすを「炉火純青」(曾朴『孽海花「二五」』など)といいます。学問や技術が最高のレベルに達することや物事をさばくのに熟練していることなどの比喩にも用いられます。語源は道教の道士が不老不死の仙丹薬(始皇帝や則天武后も飲んだという)を練るときの炉の火の色から。
ベテラン俳優の迫真の演技やカンフーの技能の熟成完美の境地にもいいます。とくに書の場合には顔真卿には「透過紙背」が、陸游には「力透紙背」がいわれて、その用筆の力強さ美しさとともに人となりを伝えています。印刷術が発達して書家が単純な書写から解放され芸術性が重んじられた宋代の陸游は、詩の内容と書法において欣賞に堪えうる作品を多く残しています。晩年に味わいを深くしていることから「炉火純青」と評されます。
日中合弁の東風本田から6年ぶりに若者向けに新型「LIFE」(7代目、初代1971年)が「炉火純青」とよばれて12月に中国市場に出ましたがどうでしょう。
「四体不勤」(したいふきん)20201228
身体を使ってしごとをしないことを「四体不勤」(『論語「微子」』から)といいます。『論語』では、老師を探していた子路に隠者(丈人)がいいます。「四体勤めず、五穀分かたず、たれをか夫子(先生)と為さんや」(四体不勤、五穀不分、孰為夫子)。実働をしない読書人として孔子を評したこのことばを孔門の弟子たちが『論語』に残したのは、老師が読書人とは違うことを伝えたかったからでしょう。古来さまざまな解釈がなされていますが。
スマホを玩ぶ小中学生の子どもたちの成績の低下が「一落千丈」であることから、学校への携帯禁止の措置がとられるとともに、「四体不勤、五穀不分」の子どもたちへの労働体験として学内菜園の充実が図られているようです。「五穀不分」のほうはいまや都会ではデスクワークでパソコンを駆使して高度な分析をこなしていることから批判を免れているようですが、「四体不勤」のほうは幹部の一部にみられた「四体不勤」という「特権病」の改革はすすんでいるようですが、コロナ禍まで発出して自在にはいかないようです。
***********2020年11月の「四字熟語の愉しみ」は
「門不停賓」「民安物阜」「太公釣魚」「忘年之好」を書きました。
「門不停賓」(もんふていひん)20201104
門の外に訪問客を留めて待たせないことを「門不停賓」(『顔氏家訓「風操」』など)といいます。すべての訪問者が賓であり、分け隔てなく応対するわけですが、コロナ感染のことがあって満席の「座無虚席」(『晋書「王渾伝」』から)とはいかないため、ソーシャル・ディスタンスをとった「門外停賓」といった情景がつづいています。
ネット時代になっても見えざる門があるはずなのに次々にやってくる迷惑メールを賓として受け入れるわけにはいかないでしょう。「持続化給付金」の問い合わせでは電話を100回かけても通じないことがありましたが、かかりにくくなっていますといって延々待たせたり、次々に門をもうけてオペレーターが出ないまま終わるところまであって。賓とはいえすべてを受け入れかねる大学の門やお茶室などもありますが、穏やかな「門不停賓」の日を待つのは本稿ばかりではないでしょう。「門不停賓」の門をはいる愉しみは「開門迎春」の新年の初詣でしょうが、令和3年はどうなるのでしょう。
「民安物阜」(みんあんぶつふ)20201111
民衆が平安で物産が豊富であることを「民安物阜」(『水滸伝「九九回」』など)といいます。阜は多く盛んなようす。「民康物阜」ともいいます。康はやすらか。いま中国が国家目標としている「小康社会」の「康」です。「中国夢」を形容する成語です。
「民」が不足を充足して暮らしており、社会が安定していて経済が繁栄にむかっている状態のとき、「夢」はそこにいたるプロセスのなかにあるようです。モノが行き渡り充足したとき生じている格差に民衆の平安が脅かされることになるからです。とすれば現在の近似小康社会が夢に近いところにあるといえるのでしょう。そこでこの成語は文化・芸術などの分野でも新たな成果を生む活動にひろく用いられています。
歴史的事例として宋代に描かれた「清明上河図」(故宮博物院蔵)があります。当時東京と呼ばれた開封の賑わいを描いたもの。いま「古都新顔・民安物阜 開封」として蘇っています。訪れて夜市にまぎれると中華盛世の象景を実感できるでしょう。
「太公釣魚」(たいこうちょうぎょ)20201118
三密を避けて外ですごすということならば太公望をきめこんで釣り糸を垂れるのもいい。言われなくともソーシャル・ディスタンスはとれているし釣り談議や思わぬ出会いの場ともなる。釣り人の代名詞「太公望」というのは「わが太公(先君)、子(賢人)を望むこと久し」(『史記「斉太公世家」』から)と待たれていた人物であったことから。
周を建てた文王(西伯姫昌)に求められて武王(次子の姫発)を補佐して殷の紂王を倒した功臣である太公望(呂尚・姜子牙)は、渭水の支流のほとりで釣りをしながら賢君の招請を待っていたといいます。日に一匹も釣れないのは餌をつけず水面から三尺も離れて糸を垂れていたからで、呂尚はいいます、「魚は求めて針にとびついてくるものだ」(『武王伐紂平話「中巻」』から)と出世話に尾ひれがつきます。狩りにやってきた姫昌と出会って未来を語るうちに奇才を認められたことから、「太公釣魚」(『桃花扇「第二四」』など)は時代をかえるほどの人材を得る要諦といえるのでしょう。
「忘年之好」(ぼうねんしこう)20201125
コロナ禍であけくれた日々を過ごして年をしめくくる「忘年会」はどうしましょう。実はこの日本語の「忘年」は本意を忘れてしまった語のひとつです。ここに取り上げた「忘年之好」(『梁書「何遜伝」』など)の本来の意味は、年齢身分にとらわれずに「酌酒論心」して深い交わりを結ぶことをいいます。「忘年之交」「忘年之契」ともいいます。
知名人の「忘年之恋」はよく話題になります。芸術家では100年前の1920年のことですが、彫刻家の朝倉文夫はその作風に心酔していた国画家呉昌碩を慕って杭州に尋ねます。知遇をえて帰国した朝倉は、洗練した技法で一尊の胸像を仕上げて杭州へおくります。像をみた呉は賛嘆してやまず傍らに置いたといいます。呉77歳。朝倉38歳。これは「忘年の友誼」のよい例でしょう。東京オリパラで明るく華やいだ年の瀬になるはずだった2020年・令和2年の「忘年の会」は、会えない「忘年之好」の友を心に思いながら、忘れていた杜氏渾身の酒に酔うのも年忘れの味でしょう。
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2020年10月の「四字熟語の愉しみ」は
「衆口錬金」「秋霜烈日」「夢寐以求」「損人利己」を書きました。
「衆口錬金」(しゅうこうれんきん)20201007
「衆口」はいまでは世論やSNSでしょうか。ネット上では是非双方の揺言がはげしく飛び交って、すべてを破壊してしまうことになります。噂や悪口が際限なく蔓延して当事者を苦しめるばかりか死に追いやることにもなります。
「衆口は金(金属)をも錬(と)かす)」は、ことわざとして『国語「周語下」』では「衆心成城、衆口錬金」と対語で引いています。心は集まれば城ともなりことばは集まれば金属を溶かす力ともなると古来言いならわされてきたのでしょう。典拠として古くは『史記「張儀列伝」』にみられるように「衆口錬金、積毀銷骨」と合わせて悪意の集積にも用いられていますし、近くは『魯迅「三閑集」』にも「異説争鳴、衆口錬金」がみられます。本稿では別項に衆口がひとつにまとまるよい意味合いで「衆口一詞」をとりあげましたが。
日本でもコロナ感染者への差別発言が問題視されていますが、トランプ政権下のアメリカでは、コロナ感染した中国系の人たちに対する衆口は勢いを増し、「衆口錬金」は悪意の集積の意味になりねないのです。
「秋霜烈日」(しゅうそうれつじつ)20201014
10月8日が寒露、23日が霜降です。一年のめぐりの中で人にも作物にも厳しいのが極暑の烈日のときと急激に冷え込む秋霜のとき。これを重ねた「秋霜烈日」となれば、ただごとでない環境の厳しさを伝えます。日本の検察官の徽章がこれ(中央に旭日、まわりに菊の花弁と金色の葉を配したデザイン)で、司法に当たる者の厳格さを表象しています。
唐の太宗は「心は朗日に随いて高く、志は秋霜とともに潔し」と戦いに勝ち抜く気概を吐露していますし、反乱軍の説諭にいき捕縛され絞首刑に処せられた顔真卿には「厳霜烈日」の評があり、宋の辛棄疾には「烈日秋霜」と書き出す賦が知られます。「秋霜烈日」の語としては、元検事総長の回想録など日本での用例が多いようです。このたび国民の生命を守る闘いに天命をかける覚悟で座についた菅義偉首相は、敗戦後の困窮した東北の農村で、朝のあぜ道で秋霜を踏んで学校に通ったことでしょう。「平和団塊」世代の代表として「凛若秋霜」の心情をもって職に当たる菅首相に希望を託した四字熟語です。
「夢寐以求」(むびいきゅう)20201021
コロナ感染を避けて外出もままならずに閑居している皆さんに、またとないチャンスとして長い良い(好い佳い善い)夢をみることをおすすめします。魯迅は終生夢の中にも求めて奮闘していた「夢寐以求」(茅盾「聯繋実際・学習魯迅」)と茅盾が記しています。
中国治世の祖とされる黄帝は、治世に悩んだとき政事をはなれて3か月、ひたすら夢をみて過ごしたといいます。善なる人が神遊してたどり着いたのが華胥氏の国。「華胥之夢」(列子「黄帝」)から覚めた黄帝は、以後夢にみたような国をめざして努めたといいます。孔子は生涯かけてその時世を目標とした周公を夢に見つづけた「夢見周公」(論語「述而」)だったといいます。荘子は夢で胡蝶に「物化」して、「荘周夢蝶」(荘子「斉物論」)により存在の根源が生命であることを証しています。『詩経』の「周南・関雎」の歌のように、さめてもねても窈窕の淑女を追いつづける「寤寐求之」もいいでしょう。
夢の中に求めつづけることで皆さんの「華胥氏の国」へたどりつけるでしょう。
「損人利己」(そんじんりこ) 20201028
他人に損害を与えて自己の利益を得ることを「損人利己」(馮夢龍『醒世恒言「第1巻」』など)といいます。いつの時代にもみられますが、トランプ米政権の対中国政策はそれをねらったものでしょう。しかし貿易実績となると「損人不利己」でみずからの利益も失います。日本の福島原発放射能汚染水の太平洋投棄も韓国などからそういわれかねないのです。一方で進出日本企業の「優衣庫」(ユニクロ)、「索尼」(ソニー)、「佳能」(キャノン)、「資生堂」「豊田」などは「利人利己」でwin&winの関係ですから問題がないのですが。
「損公肥私」は公的利益を損じて私的利益を増やすこと。中国各地で信念喪失による規律違反が相次いで発覚、党籍はく奪、公職解除が後を絶たないようです。「損上益下」(『易経「下経」』から)は統治者が抑えて人民が悦ぶ治世につとめること。西郷南洲も遺訓としています。「損人利己」となると自己の損失で他人が利益を得るようにすること。史的文献では魏徴「十漸不克終疏」に太宗・李世民の「損己利物」が見えています。
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2020年9月の「四字熟語の愉しみ」は
「吉人天相」「青出于藍」「歌舞昇平」「民不堪命」「密密麻麻」を書きました。
「吉人天相」(きつじんてんしょう)20200902
この「吉人」は生まれながらに福気のある人、善良な人のこと。「天相」は善をなす人を天が助けてくれること。善良な人は必ず天が助けてくれるという迷信にも近い言いならわしで、病気や不幸な目にあった人をなぐさめることばになります。すでに『春秋左氏伝「宣公三年」』に表れる長く生ききながらえている吉祥の古語のひとつです。
この国の新世紀はじめの政界にトルネード(竜巻)のような「世代交代」があって「7年7相」期があって、そのあと7年8か月の安倍政権のアベノミクスでは若者の「成長力」と女性の「多様性」に期待したために若い女性がとくに際立つ世相を現出しました。逆に高齢の男性は政治の恩恵にはあずかれませんでした。
それでもテレビ取材で盛夏の日射にも輝く「吉人天相」の老人に出会います。農民として生涯一筋の人はしわまで善良な生活感にあふれています。一方の若い女性記者には生活感がなくて。人生の成果への誉めことばとして「吉人天相」がそこにあります。
「青出于藍」(せいしゅつうらん)20200909
「青は藍より出でて藍より青し」はよく知られた成句です。「出藍」と略されて用いられています。藍を染料として染め上げた布がいっそう深く鮮やかな青色(正色)を呈することからで、だれもが美しい藍染めの実物をたいせつにして実感しています。
『荀子「勧学」』には「青取之于藍、而青于藍。冰(こおり)水為之、而寒于水」とあって「青藍冰水」と合わせて用いられてきましたが、のち「青出于藍」「冰寒于水」とそれぞれ単独に。「青出于藍」はとくに学生が老師を超えて優れた人物に育つことに、また後人が前人を超えて勝れた業績を残すことに期待がこめられています。新しい時代はそうした人びとのたゆまぬ努力が重ねられて進展してきたのです。
近頃はどうでしょう。若者(成長力)と女性(多様性)は実力が追いつかないままに遇され若い女性はそれだけで際立っています。一方で「世代交代」を進めた政界では、「国難」に応ずる政策決定に先人(長老)から意見を聞くこともなくなりました。
「歌舞昇平」(かぶしょうへい)20200916
歌舞が盛時にむかう太平(昇平)の時代を表現することが「歌舞昇平」(曾鞏『元豊類藁「六」』など)です。民衆の歌と踊りの開放は平和と自由の証しです。
いま人類の敵「コロナウイルス(冠状病毒)」との世界戦のさなか、犠牲者は100万人に達しようとしています。まだ収束の兆しが見えず、感染源の除去のためには「コーラス」も「ダンス」も控えねばなりません。本来なら大聴衆を盛り上げてコロナとの闘いを鼓舞するはずの大規模ライブイベントも中止を余儀なくされて。
ただし現代の中国では「慶祝太平」ではなく「粉飾太平」の意味合いで用いられています。褒めことばが時代の推移のなかで逆に貶す意味をもつことがあります。郭沫若に現代の屈原と評された革命期の詩人柳亜子(慰高)の詩にも処々の「歌舞昇平」は「民族の恥」とあり、不夜上海がかつての「民族の恥」になることへの警鐘なのでしょう、歌舞が民衆から離れない日本とは異なる用い方の例といえるでしょう。
「民不堪命」(みんふたんめい)20200923
「民」のつく四字熟語であってほしいのは「民安国泰」でしょうか。戦争がなく「戴白の老も干戈を睹(み)ず」という長い平和を保ってきたこの国に、突如、戦禍ではなく菌禍が襲来して、「安居楽業」が危うい日々がなお長くつづく気配です。
コロナ襲来で国民は49日間の緊急事態の自粛に堪えぬいて「第一波」の収束に勝利したと思いきや、「with コロナ」という持久戦となり、とくに都民は「痛みに堪える」日々をつづけています。政府はコロナ対策と経済の「両面構想」を示せないまま、感染の結果を個人に負わせるGoToキャンペーン政策を強行しました。立ち寄り先でだれかがその結果を負うことになり、原因は移動した都民ということになります。
民衆が為政者の負担に堪えられず暮らしていけない「民不堪命」(『春秋左氏伝「桓公二年」』など)がわが身に起こっているのです。入場制限をやめた球場に子どもたちの笑顔と拍手がもどりましたが、束の間の解放感でなければいいのですが。
「密密麻麻」(みつみつまま)20200930
「密閉」「密集」「密接」という「三密(三つの密)」がコロナ感染の拡大防止の標語としていわれて、「クラスターI(集団感染)」の防止に大いに成果がありました。厚労省や内閣府で用いられて広がった日本オリジナルの用語で、日本方式として国際的にも評価されています。中国語版では「三密(密閉空間・密集場所・密切接触場面)」とし、英語版では「Three Cs」に。「ソーシャル・ディスタンス」として親しくなりました。
人や物がびっしりと切れ目なく連なるようすを「密密麻麻」(『西遊記』・巴金『家「二十」』など)として多様につかいます。『西遊記』では人群れに、巴金は銃声に。アメリカではワシントン記念碑付近の広場にコロナ死者20万人を悼んで2万本の小型の国旗が「密密麻麻」として立てられました。またニューヨーク・フランクリン博物館前では警察官による黒人殺害に抗議する大集会が開かれています。アメリカ社会と経済の混乱は遠からず「密密麻麻」の横流となってわが国を襲うことになります。
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2020年8月の「四字熟語の愉しみ」は
「手到病除」「殊途同帰」「日新月異」「百年樹人」を書きました。
「手到病除」(しゅとうびょうじょ)20200805
未知のコロナウイルスの襲来によってもたらされた「パンデミック(世界大流行)」のさなか、各国の医師・看護師の日に夜を継ぐ尽力がつづいています。すぐれた医術によって病苦を除き去ることを「手到病除」(『西遊記「六八回」』など)といいます。きょうも日本各地の病院で重篤の患者を人工呼吸器やECMO(体外式人工肺)も駆使して医師・看護師・臨床工学技士があらゆる手を尽くして治療にあたっています。
すぐれた医術によって重篤な患者の命を救うように、国家に一大事が生じたときには必ず名医にも似た人物が現われて、窮地を救い人民を休んずるというのも「手到病除」です。いままさにコロナウイルス(冠状病毒)によって生じた国難に遭遇して、国民の命をまもるために名医の魂をもった指導者が内閣の中心にいて、時々刻々もたらされる内外の情報を命がけで集約して、迅速で正確な対策を国民に訴えることで、国民の病毒撲滅への信頼と安心を呼び起こすことができるのでしょう。わが国の実情は何かが違うようです。
「殊途同帰」(しゅとどうき)20200812
原典になっている『周易「系辞・下」』では「同帰殊途」で、同一の目的(理想の社会)のために異なった道(百慮)があるといいます。のちにはいろいろな手法を取りながら同じ結果にいたるという「殊途同帰」(范仲淹「堯舜率天下以仁賦」など)が広く用いられています。「殊路同帰」(『史記「礼書」』)や「殊途同致」(嵆康「与山巨源絶交書」)も見られます。別項の「左右逢源」(2013・11・6)は、同じ目標をめざす左右二者の争いでした。
いままさに「新型コロナウイルス」のワクチン開発競争が「殊途同帰」の真っ只中にあります。感染者が世界で2000万人を超えて一刻も早い実用化が求められています。欧米の著名な製薬会社とともに日本の塩野義製薬も加わって。中国のカンシノもトップグループにいて。そんな中でロシアが先んじて承認を発表しましたが、最後の臨床試験を終えないでの承認で安全性に疑義があるとされました。一人の犠牲者も出さないことが共有の目的になっているからです。「殊途同帰」の日々がつづきます。
「日新月異」(にっしんげつい)20200819
進歩発展の乏しい「依然如故」の時期をすごして、新たな“王朝”が立ち上がるとき、禹域(中国)での発展期の時代変化は迅速で、新事物や新事象が次々に出現することになります。『礼記「大学」』に「日新、日日新、又日新」と記す状況となり、「日新月異」(『黄淳耀「陶庵集」』など)から「月異にして歳不同」ということになります。わが国の「日進月歩」のスピ-ド感では追いつけそうにない勢いなのです。
2017年12月31日、習近平国家主席は「新年賀詞」で2017年を「天道酬勤、日新月異」という八字で回顧しています。「天道酬勤」は精出して勤務に奮闘する者は必ず報われるということ。日々あらたな事物が出現し月々変化して2020年までに史上実現をみなかった「全民脱貧」という目標を達成するというものでした。いま5G通信技術「ファーウェイ(華為)」や「海域進出」そして「人権」でアメリカと覇権を争っていますが、「今是昨非」の変わり身の早さも「日新月異」なのです。
「百年樹人 」(ひゃくねんじゅじん)20200826
樹木を育てるには十年あればいいが、人材を育てるには百年かかるという「十年樹木、百年樹人 」(『管子「權修」』から)は合わせて用いられています。毛沢東も人材養成のことで古話として引いています。人材養成ではなくて、いま話題の「人生百年」については「百齢眉寿」や「人生百年如過客」が語られていますが、中国の実情は世界最速で「高齢化率」(65歳以上の人口比率)が25%を超えた日本ほどには切迫感がないようです。
断トツの高齢化先進国なのに、後進国意識の抜けない官僚は、ベストセラー「Life Shift 100年時代の人生戦略」の筆者イギリスのリンダ・グラットン女史を、政府の「人生100年時代構想会議」の箔つけ議員として招聘して意見を聞いています。が、「人生百年(一世紀)」の論者なら樋口恵子・高齢社会をよくする女性の会理事長が国際的な先達です。近著『老~い、どん!、あなたにも「ヨタヘロ」期がやってくる』(婦人之友社)は100歳をめざして生きるヨタヘロ人生を素直に明るく論じています。
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2020年7月の「四字熟語の愉しみ」は
「折腰五斗」「座無虚席」「洗手奉職」「夫唱婦随」「巧奪天工」を書きました。
「折腰五斗」(せつようごと)2020・07・01
五斗のために腰を折る「折腰五斗」(『晋書「陶潜伝」』から)は、年に5斗(今の5升)というわずかな俸禄を得るために汚吏貪官の屈辱を忍ぶこと。それには耐えられぬとして職を辞して郷里に帰ったのが陶潜(字は淵明)です。その事績はのちの唐(孟浩然)や宋(辛棄疾)になって広く知られて「折腰五斗」がいわれるようになりました。有名な「帰去来の辞」の「帰りなんいざ、田園まさに蕪れなんとす」は菅原道真以来の訓読。故郷の潯陽で20年をすごして、里人に靖節の人五柳先生と慕われて生を終えています。
大正から昭和の初めに中国大陸で生まれて育った高齢の方々が亡くなっていきます。戦禍のちまたに戻って、文字どおり「三密」のなかで身を寄せ合い助け合って貯蓄などせず、「一億総中流」社会をこしらえた功労者の方々です。ですから「老後破産」といわれ「下流老人」と呼ばれても「国のお世話」(生活保護)をいさぎよしとせず、大陸の荒野で捨てられまた都会の片隅で無視されても自足の人生を送って去る人びとです。
「座無虚席」(ざむきょせき)20200708
座席に空きがないことが「座無虚席」(『晋書「王渾伝」』など)で、通常のときなら用意した座席が満員でよかったですむのですが、コロナウイルス感染が広がって飛沫感染を避けるために空席をもうける「座無虚席」が求められて意味合いが一変しました。
コロナ対策が批判されて、大統領選キャンペーン大集会で「座無虚席」のはずだった2階席が埋まらず「寥寥無機」までいわれたトランプ大統領。7月4日独立記念日の前日にはサウスダコタのラシュモア山を訪れて歴代大統領の巨大彫刻を仰ぎ見て「英雄を絶対傷つけさせない」と演説、7500席の「座無虚席」の聴衆から総立ちの喝采を受けました。
ウイルス感染を避けるため、感染「座らないで」や×印の張り紙で「虚席」を示したり、学校では生徒同士の机とイスを離したり、映画館やホールでは前後左右を空けて座ったり、ファミレスや飲食店ではイスの数を減らしたりテーブルをはさんで交互に座ったりと座席のパーティションに「座無虚席」へのさまざまな工夫をこらしているようです。
「洗手奉職」(せんしゅほうしょく)20200715
世界の感染者が1300万人、死者が50万人を超えたコロナウイルス感染被害。見えない敵に対して命をまもる対策は、一人ひとりが「手を洗う」こと。ウイルスを体内に侵入させない基本の手立てですが、「手を洗う」ことはまた「心を洗う」ことに通じるようです。手を洗医療従事者のみなさんを励ます成語のように聞こえます。もとは官吏が手を清潔に保って汚職に染まらない「改邪帰正」の心を引き締めて職務にあたることから。
海外に見られない「強制されない自粛」で49日間、みんなで耐えて守って得たわが国の「感染収束」でした。それにほつれを生じさせた夜の街の若者たち。心を洗って面をあらためる「洗心革面」の姿を見せず、手も洗わずマスクもしないで「変わらない日常」に帰りを急いだテレビ画面の日常。それに呼応した若者たちによる「第二波」の顕在化。中国の子どもたちはきょうも「手洗い」の唱歌をうたいながら「手洗い」を励行しています。
「夫唱婦随」(ふしょうふずい)20200722
「天下の理は夫者が倡(とな)え婦者が随う」という「夫唱婦随」(『関尹子「三極」』から)は封建時代の社会と家族制度を支えた「男尊女卑」による夫婦の関係でした。それでも明代になると「夫随婦唱」(李開先『宝剣記「五二」』など)が表に出てきます。妻の言い分をよく聞く夫の登場です。女性は「幼時は父に嫁いだら夫に夫の死後は子に従う」(三従)に縛られてきました。「婦随夫唱」となると妻主体ニユアンスが少し強まります。
近代以降は「男女同権」の潮流に乗って意味合いをかえ、近時の辞書には「夫唱婦随」とは「仲が良いご夫婦に対して用いることば」と説明されています。さらに「婦唱夫随」となると裏返しにした「女尊男卑」の女性主体の生き方が濃くなりますが、お見合い結婚の世代には「夫唱婦随」に、相手を自分で選んだ恋愛結婚世代にはは「婦唱夫随」にそれぞれの人生に味わいがあります。夫がすぐ後を追ったプロ野球の野村夫妻の姿などが偲ばれます。中国ではこのタイトルの歌がみんなに好まれて「婦唱夫随」が浸透しているようです。
「巧奪天工」(こうだつてんこう)20200729
人工の精巧さが自然のつくりあげた造化(天工)に勝ることを「巧奪天工」(『趙孟頫「贈放煙火者」』など)といいます。かつて自然を畏敬していた人間とのあいだには「巧同造化」があって、人間がもつ創造能力によって自然の精巧な造化から学んでその姿に迫ろうとしていたのでした。その姿は木のもつ特徴を活かした家具など、並木道、石刻彫刻、借景を取り込んだ日本庭園の趣、盆栽、水系を活かした棚田の情景など・・。「巧奪天工」となると自然を超えた人為が際立ってきます。サラブレッド、車、多楽器の交響曲・・。そしてきわめつけは人工知能AIの登場でしょう。人間の全知を超えるシンギュラリティを2045年と予測する未来学者もいて。「巧奪天工」の未来は人工をも超えた未知の世界です。
見えない極小世界で自然変異として発出する新型ウイルスに襲われる人類。生体としてヒトが生き延びるための体内抗体としてのワクチン。精巧さにおいて人工が天工に勝る「巧奪天工」の一事象といえるのでしょう。その成果が待たれています。
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2020年6月の「四字熟語の愉しみ」は
「千古笑端」「四面楚歌」「三頭六臂」「未雨綢繆」を書きました。
「千古笑端」(せんこしょうたん)20200603
この深刻な状況下にあってもTVから笑いが絶えません。学生も単位をとるより笑いをとることに熱心な「お笑いの時代」。「笑」のつく熟語に「千古笑端」(『世説新語補「識鑑」』から)があり、これは時代を超えて末代までもの笑いの種になることにいいます。
中原に宋が興り、江南の南唐(都はいまの南京)が危うくなったころ、南唐の後主であった李煜(別項「天上人間」)は韓煕載(文靖)の志を疑っていて、画家顧宏中に命じて日常のようすを描かせます。画家は見たとおり彼が妻妾歌女に囲まれて夜宴を楽しんでいるようすを描いて献上します。それがいまに残る『韓煕載夜宴図』(故宮博物院蔵)です。韓煕載が昼夜歌舞に溺れることで宰相になることを避けた理由は、宋軍が攻めてくれば江南の兵は闘わず逃げ去ることがわかっていたからで、そんな時期に宰相となって末代までの笑いの種となることを避けたのでしたが、結果はこの四字熟語とともに名を残すことになりました。歴史上に「千古笑端」をいわれた指導者は数知れません。
「四面楚歌」(しめんそか)20200610
秦末の楚漢戦のおわりに、漢の劉邦の連合軍が垓下で楚の項羽を包囲します。その夜、漢軍は四面から項羽の古里である楚の歌を歌います。「四面楚歌」(『史記「項羽本紀」』から)です。四方を敵に囲まれて孤立無援になることをいう有名な四字熟語です。四面から楚歌を聞かせるという戦術で、項羽は楚兵がみな漢に降伏したと知り敗北を認める場面です。それでも血路を開いて長江河畔まで落ち延びます。ひとたび軍を引き立て直して攻める「捲土重来」「捲土重来」ですが、果たせず河畔で自刎して「抜山蓋世」の生涯を閉じました。
いまアメリカのトランプ大統領が「四面楚歌」の状態にあります。コロナ禍、人種差別、経済混乱、中国との対峙、大統領選の世論調査、共和党穏健派パウエル元国務長官の民主党バイデン候補支持など、四辺から攻撃にさらされているからです。「捲土重来」は、敗れて再来を誓い甲子園の土を持ち帰る高校球児の姿に重なります。今夏の大会が中止になり、全国の球児に甲子園の土入りキーホルダーを贈ろういう計画があるようですが。
「三頭六臂」(さんとうろっぴ)20200617
どの方面でも活躍することを日本では「八面六臂」の大活躍としてたたえますが、中国では活躍ぶりでは「八面」とはいかず「三面」の「三頭六臂」(釈道原『景徳伝灯録「普昭禅師」』から『水滸伝』『西遊記』など)がいわれます。(頭は面・顔、臂は肘・腕)
もとになったのは仏教の思想上の教義からで、そののち民間伝承や道教などと交錯しながら「三つの頭(顔)と六本の臂(腕)」をもつ仏像がリアルに形成され認知されています。同じ教義でも十一面や千手にはリアル表現に無理がありますが、この「三頭六臂」には躍動感があります。それを代表する仏像に奈良・興福寺「阿修羅」像があります。
現在も「三頭六臂小哪吒」(なた・少年神)はアニメの主人公として大活躍していますし、「三頭六臂」という名の自動車部品調達にかかわる事業が中国で急成長しています。経営陣に異業種の実務家(三頭)を据え、全土に事業所(六臂)をかまえて。調達時間と価格で欧米や日本企業に挑んでいます。車部品の分野では遠からず闘いに勝利するでしょう。
「未雨綢繆」(みうちゅうびゅう) 20200624
風雨にならないうちに鳥が巣の穴を補修するように、風水害に備えて房屋門窓の保全に怠りないことを「未雨綢繆」(『詩経「鴟鴞」』など)といいます。事をなすに当たってまず綿密な準備をすることの比喩として「臨渇掘井」や「亡羊補牢」(別項)と合わせて用いられます。原典の『詩経』では商(殷)を滅ぼしたあと周朝の基盤を強固にした周公(姫旦)の国事の前途に示した深い憂慮が「未雨」にこめられており、思いもよらないこと(反乱)が発生したときのための対処の方法まで指示しています。
いまなお世界はコロナウイルス感染の「パンデミック(世界的流行)」の渦中にありますが、先行した諸国は秋の「第二波」再来への備えに「未雨綢繆」を競っています。日本政府の「緊急事態宣言」に対する「東京アラート」もそのひとつといえるでしょう。米中貿易戦争のはざまにある日本の経済が受ける横流はまさに最高レベルの「未雨綢繆」が要請される局面にあり、「アベノマスク」や財政執行に際しての不手際では不安です。
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2020年5月の「四字熟語の愉しみ」は
「非常之人」「推三阻四」「千金買笑」「節外生枝」を書きました。
「非常之人」(ひじょうしじん)20200506
同時代の常人にはわからない未来の事を先見的にとらえてその実現をはかる人を「非常之人」(『史記「司馬相如列伝」』・『三国志「魏書・武帝紀」』など)といいます。漢の武帝に司馬相如は、「けだし世には必ず非常の人あり、然る後に非常の事あり。非常の事ありて後に非常の功あり」といいます。まず未萌のうちに行く先を見てしまった「非常の人」が、命をかけて実現をはかる。「そもそも非常の人、超世の傑と謂うべきなり」と『三国志』巻頭の「魏書・武帝紀」に曹操についての評を記しています。「非常の人」によって時代は動き、ひとたび混乱をみますがやがて時を経て混乱は収拾されます。
常人ははじめは異として懼れますが、実現されたときには安堵して納得します。いま新型コロナウイルスに関する非常のとき、いまは情報化の時代、ひとりの英傑が登場するのではなくて、「専門家会議」の提言である「新しい生活様式」についても具体例を期待するのではなく常人が自らの生活のなかで工夫して実行してゆく時代なのです。
「推三阻四」(すいさんそし)20200513
四字熟語の三と四の数字の重ね方には妙味があります。春先に用いられる「三寒四温」は、日ごとに春めく気配を伝える親しいことばですが、この三つ推して四つで阻むという「推三阻四」(『儒林外史「一回」』など)は、成立にむけた事項を三つあげながら四つの不成立の事項を設けることで、不成立に傾く気配を伝える巧みなことばです。
今回の「コロナウイルス」への対応に際しても、政治家や官僚は「スピード感」の欠如をいわれながらさまざまな政策決定をして推進していますが、実施の現場で阻止されることが次々に起こっています。その都度実にさまざまな理由があげられて、実施されない言い逃れの口実が繰り返されています。現場で実施されず、「推三阻四」の口実の陰で企業はつぶれ人も死ぬという結果を生んでいるのです。「三翻四覆」ともなれば変容はなはだしくもはや信用できません。「三三五五」といえばほどほどの数のひろがりを思わせ、「三三両両」となるとそれほど多くないことを伝えます。数を重ねる表現の妙味です。
「千金買笑」(せんきんばいしょう)2020・05・20
美しい女性のおのずからなる笑い顔は千金にも値するという「一笑千金」はほめことばです。ですが、テレビ画面で見られていることを意識している女性の笑顔はお金をかけてつくられた「千金一笑」か、お金を使って女性の歓心を買いとった「千金買笑」(『東周列国史「「二回」』など」)になっています。「一笑千金」を見出しに立てたいのですが。
コロナ騒動後の「新しい生活様式」ではどうなるのでしょう。テレビで推奨される三密を避けたり、ソーシャル・ディスタンスを取り入れたり、手洗いをするといったことでは収まらないでしょう。感染前にもどるのではなく、もっと暮らしの根元の見直しが求められているようです。テレビが時代を映す鏡というなら、医療の現場や店じまいなどのきびしい現実を、おふろあがりで何時間も鏡の前にいたような女性アナと仕立ておろしのスーツにネクタイ姿の若い記者に解説をさせるような生活感の欠落をまず変えることでしょう。
実直武骨な男性人材を集めることには「千金買骨」があるようです。
「節外生枝」(せつがいせいし)20200527
春から夏へ。樹木は幹を太らせ枝葉を茂らせます。みずからの生きる都合で「節外に枝を生ず」(『鏡花縁「八八」』など)ということになります。そこで植木職人は不要な枝(徒長枝)はをさっさと切り落として樹形を整えます。もとからあった枝の節から新たな枝が生じる「節外生枝」は、問題の外にまた新たな問題を生じることに例えていいます。
ここからが問題で、人間社会の場合には何が「節」であり何が「節外の枝」であるかの判断を同時代の人間がおこなうことになるからです。社会の動静の中で発展させるものと不要のものの判断をだれがするかで社会の態様も将来の樹形も変わるからです。「節」については「節用愛人」(『論語「学而」』から)が古くからいわれています。
三歳馬の優駿を決める「ダービー」が近づきました。生まれて三年、牧場では群れを害する馬「害群之馬」(別項)は飼い慣らすか除去せねばなりません。そのことから集団に危害をおよぼす汚職官僚など「害群之馬」と呼ばれて除去が課題となります。
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2020年4月の「四字熟語の愉しみ」は
「土階三等」「一針見血」「心直口快」「毛骨悚然」「梨花帯雨」を書きました。
「土階三等」(どかいさんとう)20200401
東京五輪が一年延期になって、高額(~2億円)で分譲された選手村マンション「HARUMI FLAG」の入居延期での利得も話題になりましたが、東京では元麻布あたりの1億~2億円のタワーマンションが超人気だそうです。夜景が楽しめますし、昼間は地をはうような庶民の姿を見下ろせて。利得の狂乱で立ち上がる何十階建ものビル群を見ていると、この「土階三等」(『史記「太子公自序」』など)が思われます。
堯や舜といった徳政をおこなった人物の住まいが簡素であったことが「土階三等」とか「土階茅屋」「茅茨土階」として伝承されています。帝王でありながら宮殿は簡陋で入口の階段が土づくり三段であったこと、屋根は草ぶきで切りそろえてないままであったこと。利得ではない益徳による政事の証しとして。いまでもそういう意味合いで用いられていて、上海の狂騒とかかわりなく、黄河上流域(堯の古里)の黄土を横掘りした冬暖かく夏涼しいヤオトンでニワトリやブタといっしょに安居している人びとの姿に心なごむのです。
「一針見血」(いっしんけんけつ)20200408
話や文章が直っすぐにテーマの実質に当たっていることを「一針見血」(梁啓超『飲氷室合集「一八・論私徳」』など)といいます。一針による見血ですからほんのわずかですが、それでも血のもつ生命への維持力を確認するには充分です。「武漢加油(ガンバレ)!」の中国で「一針見血」の激励があふれました。かつて毛沢東も文章や講話の空話や套話を打破するにあたってこの「一針見血」(「反対党八股」)を用いています。
ヒトの皮膚に付着して細胞のなかに侵入して生きようとする新型コロナウイルス(新冠状病毒)と生命体を保持しようとする宿主の細胞内での生命の存続を争う菌戦争というべきもの。武漢の現地では抑え込んだようです。危機管理が複雑なアメリカの対処に関心が集まっています。独自の対応で感染者も死亡者も少ない日本ですが、4月7日に「緊急事態宣言」を発出したばかり、東京での今後の推移に成否がかかっています。
ヒトの血にかんするこのことばには生命持続への強い願望が託されています。
「心直口快」(しんちょくこうかい)20200415
心にわだかまりなくことばも爽やかなことを「心直口快」(『文天祥・指南録「紀事詩四首序」』など)といいます。こういうタイプの人の発言には猥雑な世情を吹き飛ばす爽快さがあります。前もって計算しないし得失を比べたりしないし、話し方に角がない。時には壮快な大爆笑を呼んだりします。「口直心快」(『巴金「家」』など)も見かけます。
「新型コロナウイルス」での外出自粛の要請に際しても、黙してお茶を飲んだり読書をしたり愛犬を抱いたりしている首相より、スポーツマンの熱のこもったツイッターに納得できる姿をみます。歴史上では孔子の弟子の子路(仲由)が「心直口快」です。「われ由を得てより悪言耳に聞かず」と師にいわしめています。師を悪くいうものは口はもとより腕にもものをいわせて懲らしめたからです。時に陰湿な権力者の逆鱗にふれて、たとえば魏晋期の風器非常の人嵆康のように、友人を弁護した言論が「放蕩である」という讒言にあって刑死したりすることになりますが。ふたりとも死してなお爽やかです。
「毛骨悚然」(もうこつしょうぜん)20200422
おそろしさで身の毛立つこと。髪の先から骨の髄まで恐怖にさらされて立ちすくむことを「毛骨悚然」(魯迅『吶喊「社戯」』など)といいます。こういうおぞましい経験は三蔵法師も曹操も魯迅も、だれもがしていますから歴代の事例にこと欠きません。
中国武漢から始まった新型コロナウイルスによる感染パンデミック(世界的流行)については、感染者ばかりでなくだれもが「毛骨悚然」を実感しています。発生源についての情報にも「毛骨悚然」が生じています。当初は海鮮市場とされましたが、そこから30キロほど離れた武漢ウイルス研究所がかかわっているという情報が出たからです。世界トップレベルの「中国科学院武漢病毒(ウイルス)研究所」で、SARSやエボラ出血熱のような感染力が強く危険なウイルスのコントロールも可能という最新設備の研究所なのですが。「パニック」状態に陥っているアメリカはこの研究施設からといい中国に賠償を求めるかまえ。急速な環境破壊、拡大する原水爆保持、危険をはらむ原発、AIの人類知能凌駕そして細菌戦争。人類究極の「毛骨悚然」がひしひしと迫っているのです。
「梨花帯雨」(りかたいう)20200429
この春はお花見もままならぬうちに過ぎようとしています。花は梅・桃李・桜・牡丹と移ろっていきますが、春に雨を帯びて咲く白い梨の花「梨花帯雨」(白居易「長恨歌」から)を花のあるうちに取り上げておきましょう。白居易は、玄宗に死を賜ってのちの仙境での楊貴妃が涙を湛えて欄干による姿を、春の雨を帯びる一枝の梨の花にみています。「玉容寂寞涙闌干 梨花一枝春帯雨」。今でも若くして夫や恋人を失ったり災厄に出合って女性が哭(な)く姿や声やことばを「梨花帯雨」と表現して深い悲しみを伝えています。
「新型コロナウイルス」対策の医療現場で、みずから感染して命を落とした医師や看護師のまわりには、幾枝もの「梨花帯雨」をみることになりました。4月23日に犠牲になった岡江久美子さんのお仲間にも涙するこんな風情の方の姿を見受けしました。スケートの浅田真央さんの応援動画に「梨花一枝春帶雨」のタイトルを見ました。
おなじ玄宗にちなむ「梨園弟子」(別項)は華やかな音楽や技芸にかかわっています。
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2020年3月の「四字熟語の愉しみ」は
「白駒空谷」「解衣推食」「重見天日」「華胥之夢」を書きました。
「白駒空谷」(はっくくうこく)20200304
「白駒」は白色の駿馬。賢能者の例えです。賢能な人が在野にあって出仕しないことを「白駒空谷」(『詩経「小雅・白駒」』から)といいます。避けて出仕しない場合や出仕しても志をえない処遇に終わることをいいます。「空谷」は人気のないさびしい谷間で、そんな孤立した状態でいるときの人の気配「跫音空谷」は、自分の意見に賛同してくれる人を得た時などに用いられます。「白駒」にはよく知られた「白駒過隙」があって、白馬が細い隙間を駆け抜けるようすで瞬時のことを指します。これは人生の短さに例えられます。
本稿のここでの「白駒」は、長い現役の期間に努めて培った知識や熟練技術を保っている賢能な人びとのこと。ですから「白駒空谷」はそういうさまざまな経験のある人びとが、場をえずに潜在能力を発揮できずに地域で有閑安逸な日々を送っているようすの例えとしています。「生涯現役」といわれても実感をもてず、といって潜んで静寂な山谷に暮らす「隠退余生」(隠居)にも収まりきれない日々を迎えては送っているのです。
「解衣推食」(かいいすいしょく)20200311
「衣食足りて礼節(栄辱)を知る」(『管子「牧民」』から)といわれますが、どうでしょうか。衣食足りているはずのこの国で、新型コロナウイルス騒動でのカイダメ姿をみると疑わしくなります。自分が着ている衣を解いて与え、自分の食を分けて与えることで鄭重にもてなして信を得るのが「解衣推食」(『史記「淮陰侯列伝」』から)です。
天下を東(項羽)と西(劉邦)に二分したとき、項羽は旧知の武渉を韓信の説得に向かわせます。武渉は項羽にも仕えたことのある韓信に、「あなたが右に投ずれば漢王(劉邦)が勝ち、左に投ずれば項王が勝ちます。あなたは項王と故あり」と説きます。韓信はいう、「漢王は衣を解いてわれに衣(き)せ、食を推してわれに食らわせてくれた」。その上によく言を聴いてくれ計は用いられた。「死すとも易えず」として断っています。
食と信。国際協調から分断への時代に、食材は世界各地からやってきます。わが国が現地の信頼を得て食を得られるかどうか、これから問われることになります。
「重見天日」(ちょうけんてんじつ)20200318
困難な状況を脱してふたたび光明を見出すことが「重見天日」(『三国演義「二八回」』など)です。いまこういえば、世界中をまきこんでいる「新型コロナウイルス(円冠病毒)」の発現地になった武漢市が思われます。習近平主席も激励にいき、マスク姿で「保衛戦」を戦う市民に感謝を伝えていました。武漢の勝は湖北の勝、湖北の勝が全中国の勝として。
『三国演義』では、盗賊に身を落としていた周倉が関羽の五関突破の道で将軍関羽に出くわす場面で吐出されています。会いがたき人と巡り合えた喜びを表現することばです。必ずといっていいほど用いられているのが陵墓や大仏(蒙山)といった考古学的大発見についてです。もっと身近な先祖が隠してくれていたお宝の発見もありますし、車庫に眠っていた1988年製の白色のマツダ(馬自達)RX-7を発見した車マニアが「重見天日」と叫んでいます。
武漢大学の「桜大道」の桜が満開になっています。だれも訪れる人のいない構内でひっそりとではなく、いつものように華やいで。
自然のいとなみの天恵と天災は人智を超えてやってきます。
「華胥之夢」(かしょしぼう)20200325
中国で暮らす人びとの祖とされる聖人黄帝は、長い治世に二度スランプに陥ったといいます。最初の時にはひたすら民の声を聴くことで脱し、次の時には三月のあいだ政事を離れてひたすら夢をみて過ごしたといいます。善なる人が”神遊”してたどり着いたのが「華胥氏の国」(『列子「黄帝」』から)でした。列子は、「国に帥長(支配者)なく、自然なるのみ。民に嗜欲なく、自然なるのみ」と説明を試みています。以後黄帝は二八年にわたって「華胥氏の国」のような国をめざして治世に努めたといいます。
「美国夢(American Dream)」に対比した現代の「中国夢」を、習近平国家主席は「国家の富强、民族の振興、人民の幸福」で、「人民の夢であり、人民と共に実現し、人民に幸せをもたらすもの」としています。どうでしょう、「新型コロナウイルス(新冠状病毒)」によって外出を閉ざされているあいだ“人遊”して 「わたしの華胥の夢」を見て過ごしては。その夢の達成をめざすことで人生は実のあるものになるのですから。
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2020年2月の「四字熟語の愉しみ」は
「将心比心」「以暴易暴」「春夢無痕」「風月同天」を書きました。
「将心比心」(しょうしんひしん)20200205
相手の心の有り様をおもんばかって、その心に触れるように言ったりやったりすることを「将心比心」(『朱熹「朱子語類」』など)といいます。
昨年8月に北京で行われた日中韓外相会議では、河野外相の出席が日韓の関係を和らげたことを王毅外相が評価して、日韓は「以心伝心」でお互いの意向を交換しあい、中国は「将心比心」」で参加して会議を成功させたと報告、三国首脳会議への道筋をつけた外相会議となりました。三外相には「以心伝心」はもちろん「将心比心」」もこのままで理解できる四字熟語です。武器をかざして争わず、外交で平和裏に紛争を解決して成果をあげるには、この「将心比心」をお互いの座右に置いて交渉に当たるべきでしょう。
新型コロナウイルス感染症の事件では、日本でも水際作戦が強化されて中国系の人びとの往来に制限がかかりましたが、フィリピンでは法の決定は冷ややかでも国民は「将心比心」」で心暖かくいきましょうという呼びかけがなされました。この四字熟語が示されて。
「以暴易暴」(いぼうえきぼう)20200212
武力に対して武力で闘うことでは対立の解消になりません。「暴をもって暴に易(か)え、その非を知らず」「以暴易暴」。『史記「伯夷列伝」』から)というのは、殷末に悪逆非道の紂王を討つため挙兵した周の武王に対して断固反対した伯夷・叔斉兄弟のことばです。
その理由は父文王の喪のうちで孝ではない、紂王は悪王だが武力をもって征するのは仁ではないというものでした。しかし武王はその言を聞きいれずに同盟軍をすすめて、「牧野の戦い」で殷の大軍に勝利します。ふたりは「以暴易暴」として武王の挙兵を批判し、「義において周の粟を食らわず」(不食周粟)と宣して首陽山に籠り、山中に生えている薇(山草)だけを食べて自死しました。孔子は「仁を求めて仁を得たり、また何をか怨まん」と評しています。近代の「以徳報怨」のマハトマ・ガンディーの非暴力抵抗が有名です。
アメリカ軍によるイラン革命防衛隊ソレイマニ司令官の殺害に対して、イラン側はすぐさま「殉教者ソレイマニ」作戦を展開。「以暴易暴」の様相を呈しています。
「春夢無痕」(しゅんむむこん)2020・2・19
新型コロナウイルス(新型冠状病毒)に襲われた中国では今年の春節(1月25日)は祝っていられませんでした。わが国でも天皇誕生日の一般参賀が中止され、東京マラソンも一般参加者が走れなくなりました。春節を迎えて「春回大地」とはいえまだ凍てつく日がつづきますが、元宵節(最初の望月)を終えると次第に春めいてきて、「春暖花香」の季節がやってきます。桜の花見は中国にもあって、武漢大学キャンパス内の500mほどの桜花大道が有名です。入場料は大学にとって大きな収入源になっています。
「春の夢」というのはもろくてはかなく、容易に消え去ってしまい痕跡を留めない、ということで「春夢無痕」(蘇軾「正月二十日与潘郭二生出郊尋春」から)がいわれます。蘇軾には有名な七言絶句「春夜」があって、「春宵一刻」値千金・・夜沈沈と詠っています。
春の夜の夢については、わが『平家物語』の巻頭にも「・・おごれる人も久しからず、 ただ春の夜の夢のごとし」とあって、平家のつかの間の栄華が例えられています。
「風月同天」(ふうげつどうてん) 20200226
「山川異域,風月同天」(『全唐詩「巻732長屋」』から)という8字の詩句が、新型コロナウイルス(新型冠状病毒)感染の渦中にある中国のネット上で話題になっています。というより政府にできない民衆救済の役目を果たしています。暮らす風土は異なっても見上げる中天の月への有情は同じであるというもので、日本をはじめ防疫物資を送ってくれる異域の国々が世界に広がって、中国の民衆は襲来した「病毒」の封じ込めを、命運を共にする人類の闘いであるという意味合いで支援に共感する心情を共有しているのです。
この8字は平安時代に仏教移入をめざした長屋王が、遣唐使に託した1000枚の袈裟に「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」と刺繍させたもの。1300年前に鑑真はこれをみて仏縁を感じ渡航を決意した(『唐大和上東征伝』から)といいます。今回、日本青少年育成協会が湖北高校などに送った物資の箱に記したもので、「風月同天」は民衆の熱い理解で世界は一つというメッセージの四字熟語になったといえるでしょう。
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2020年1月の「四字熟語の愉しみ」は
「天下帰心」「高朋满座」「呑呑吐吐」「首鼠両端」「班門弄斧」を書きました。
「天下帰心」(てんかきしん) 20200101
令和2年の元旦を迎えるNHKの「ゆく年くる年」を見ていたら、成田山新勝寺の本尊不動明王の前で、市川海老蔵が「にらみ」を披露していました。「にらみ」というのは本尊の形の異なる左右の目が表現している天と地つまり天下を見そなわす姿なのです。
元旦・水曜日に公開するこの「四字熟語」を「天下」にかかわるものと定めて選んだのが、「天下帰心」(『論語「尭曰」』など)です。民衆に心から信任されて全幅の支持をえて国づくりをすることにいいます。令和になって、そういう世の中に向かうのでしょうか。
「天下帰心」には三国時代に曹操の用例が知られます。曹操は「短歌行」で、「周公吐哺、天下帰心」と詠っています。兄の武王を助けて周を建てた周公旦は、食事中であっても賢人が訪ねてきたと聞けば、口中のものを吐いても会ったといいます。曹操はそれに倣おうとしたのです。食事中だからといって人を待たせるようでは天下はとれません。元旦に店を閉めざるを得ないようでは「天下帰心」の世に向かっているとはいえないでしょう。
「高朋满座」(こうほうまんざ) 2020・1・8
新年なので、晴れがましく華やぎのある情景の成語を採り上げておきましょう。高貴な朋友・賓客が席を満たしている「高朋満座」(『三国演義「四〇回」』など)です。そういう場面は平和なこの国のあちこちの新年会で展開されていることでしょう。
典故に引いた事例は、後漢末期の学者蔡邕(さいよう)にちなむもの。蔡邕は博学の上に数術、天文、音律にも詳しく鼓琴をよくしたと伝えられています。彼を囲んで賓客でにぎわっていたところへ訪客があります。その名を聞いて、蔡邕はあわてて履をはきちがえて迎えに出ます。「倒履迎之」(熱烈に客を迎えること)の場面です。訪れたのは背が低く痩せて容貌の冴えない王粲(建安七子のひとり)でした。蔡邕は董卓に重用されたために獄死の憂き目にあいます。その娘が蔡琰(文姫)です。匈奴に連れ去られますが、曹操によって二人の子を胡地に残して連れ戻されています。時代に翻弄された親娘です。
唐の王勃「勝友如雲、高朋满座」(「滕王閣序」から)は、「勝友如雲」として紹介しました。
「呑呑吐吐」(どんどんとと) 20200115
呑んで呑んで吐いて吐いてというと、お酒呑みが酒を呑んでしゃべりまくる姿が思われますが、「呑呑吐吐」(文康『児女英雄伝「五回」』、魯迅『吶喊「端午節」』など)はそう痛快な情景ではなくて、相手の言おうとするところを顧慮してよく吞み込んで、こちらからは滔々としゃべらず含みを持たせた言い方をする。全容を明かさずに本意を隠すようにするというニュアンスがあります。毛沢東は「共産党員に呑呑吐吐はいらない。開門見山(前出)でいい」といっています。そんなおおげさな用例はいらないようです。女の子が深夜まで遊んで帰って父親から問われたときにどうじょうずに答えるか。
人はいろいろなものを呑むようです。鳳凰を呑む「呑鳳之才」(李商隠)は豊かな文才にいわれ、これは「吐鳳の才」ともいいます。牛を呑む「呑牛之気」(杜甫)は旺盛な気勢をいいます。そして舟を呑む魚「呑舟之魚」(荘子)も現れ、「呑舟の魚は枝流に遊ばず」(列子)は志節の高い大人物は世俗にそまらないということになります。
「首鼠両端」(しゅそりょうたん) 20200122
子年のはじめにネズミにちなむ四字熟語を探してみましたが、前出の「猫鼠同眠」(2013・10・23)ほどうがった内容をもつ成語が見つかりません。意味では逆の窮鼠が猫を噛む「窮鼠噛猫」(『塩鉄論「詔聖」』は窮鼠噛狸。狸は野猫)のほうも現場を見ることはなくとも情景はわかります。ただし中国の常用のことわざは鼠でなく兎で「兎子咬人」です。
また「大山鳴動して鼠一匹」には何が成語がありそうに思われますが、これは古代ローマの詩人ホラチウスの詩からで、中国では「雷声大、雨点小」が同意味で用いられます。
十二支で最小の生きものなので、「胆小如鼠」「目光如鼠」といった弱小なもの些細なものの例に実感があります。この「首鼠両端」(『史記「魏其武安侯列伝」』など)はネズミが穴から首を出して左右を見回しているようすですので、テレビ慣れしていない出演者が右左を気にしてやたらに首を振るようすを好例としてあげていいでしょう。躊躇して決めかねる意味では、小国日本が大国米中を左右に見ての外交などがその事例ということになります。
「班門弄斧」(はんもんろうふ) 20200129
パリ万博から100年余の歴史をもつ「ミシュラン(米其林)ガイド」とはいえ、数千年の食文化の伝統がある中国での三つ星評価(2016年)は「班門弄斧」という批判をあびました。中立公正な評価をした『上海指南』で現地の上海餐庁が評価されなかったため。
「班」というのは春秋時代の魯の優れた工匠公輸班(こうしゅはん)のこと。魯般ともいいます。のちの戦国時代に城攻めに用いた「魯般雲梯」(高ばしご)で知られ、後代には工匠の守護神とされました。「班門弄斧」(『欧陽文忠公書「与梅聖由兪書」』など)は達人の目の前でおのれ知らずに技芸をひけらかす行為にいいます。言説であれば「釈迦に説法」とでもいうところでしょうか。「班門に斧を弄ぶ」と引っ込みもならず失笑をかうことになります。技芸だけでなくどこででも広く用いられることばです。
車では、乗車体験(2年前)で、上海製造の新君威が日本車の馬自達(MAZDA)の阿特茲(ATENZA)に比べて「班門弄斧」という報告もあります。
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2019年12月の「四字熟語の愉しみ」は
「天香国色」「衆口一詞」「墨迹未干」「市無二価」を書きました。
「天香国色」(てんこうこくしょく)2019・12・04
これまで中国には国花がありません。ひとつに絞り切れない事情があるからで、中国花卉協会がことし7月にオンライン投票で国花選定を呼びかけた結果、36万余票のうち牡丹がダントツ(79%)で、あとは梅、蘭、蓮、菊の順だったといいます。
香りと姿のふたつが際立つようすを「天香国色」(李正封「賞牡丹」など)といいます。色香ともに整って艶麗な牡丹の花をいい、のちには国中に知られるような美貌の女性をいうこととなりました。「国色天香」とも。牡丹にちなんで「魏紫姚黄」というのは宋代に全国で愛好された魏氏の紫、姚氏の黄の二品種の牡丹のこと。品種改良が盛んにおこなわれたことを想像させます。中国では「歳寒三友」のひとつ梅も根強い人気を保っています。
国を代表する女性リーダーが世界の国々で次々に生まれていますが、前置きとして「天香国色」はほどよい品格と重量感を保っています。遠からずこの国にも出現するにちがいない女性首相に添える四字熟語として、この「天香国色」を贈呈いたします。
「衆口一詞」(しゅうこういっし) 2019・12・11
多数の人が参加して論じているうち内容が練り上げられ(衆心成城、衆口錬金)、意見がひとつの共有することばにまとまることを「衆口一詞」(『醒世恒言「巻二〇」』など)といいます。「衆口一辞」「衆口同音」「万口一声」などいい方は多様ですが。世論・公論を形成して事態を好転させます。一方に是非それぞれに異見をいいあう場合もあります。多くは前者の用例ですが、宋の欧陽修の「衆口一辞」は紛然として止まずという後者の例。
地球温暖化対策を話し合う国連の「COP25」の締約国会議(マドリード)では“石炭”を残そうという現実的な日本の意見が石炭全面廃棄を要求する国々やNGOの理想的意見によって批判の対象になっています。また香港での6カ月にわたる抗議デモは、民主的な議論の成果を形にして示してきました。12月8日に大通りを埋め尽くした大規模なデモでは、「be water」(水になれ)を掲げています。香港が生んだブルース・リーが残したことばで、抗議活動に参加する自在性を示す「衆口一詞」の例でしょう。
「墨迹未干」(ぼくせきみかん) 2019・12・18
一年の世相を漢字で表わす「今年の漢字」(日本漢字能力検定協会、応募21万余)は、やはり新元号令和の「令」でした。京都・清水寺の森清範貫主が大きな和紙に墨痕あざやかにしたためました。この墨が乾くまでの間が「墨迹未干」(張集馨『道咸宦海見聞録』など)です。協定や盟約が成立して間もなく破られたときのたとえとして用いられます。
有名なのは中国国民党と中国共産党が締結した「双十協定」(1945年10月10日、重慶)。蒋介石と毛沢東が調印しましたが国共内戦に向かい、「双十協定」の「墨迹未干」がいわれました。毛沢東も「墨汁未干」といっています。近くはトルコのシリア侵攻をめぐる10月22日のトルコとロシアの“歴史的”合意、これも「墨迹未干」といわれました。
平和な「墨迹未干」といえば赤い紙に縁起の良い対句を書いて門の両側に貼って招福を祈る春聯があります。地元の書法家が住民のための「春聯活動」をおこなって、迎春の喜びをともにしようという「文化万家を進める」というもの。来年の春節は1月25日です。
「市無二価」(しむにか) 2019・12・25
近ごろ同じものの値が店によって買い方によって違うことに戸惑いながらも、庶民としては安く手に入れられることに満足しているようす。世情が混乱にむかっている兆候とは思いもしないようです。元日に店を閉めるか開けるかも同根の問題です。
ものの値はふたつない「市無二価」(『漢書「王莽伝・上」』など)は、前漢末の混乱期に王位を簒奪して「新」朝(8~23年)を建てた王莽(おうもう)が世を混乱から立ち直らせようとした改革「四無理想」のひとつです。あとの三つは官無訴訟、邑無盗賊、野無飢民で、この三つもいまの日本では日々のTVニュースをにぎわせています。わが国は昭和後半に「平和と平等」の九割中流社会を達成したあと、「軍事と格差」を強めながら平成から令和にかけて混乱にむかう兆候をみせています。いまの中国でそれほど用例を見ないのは、ナイキのスニーカーなどの転売で最適価格を広告する程度で、世の混乱を収拾して社会を立て直そういう「市無二価」改革の時期ではないからでしょう。
2019年11月の「四字熟語の愉しみ」は
「滄海桑田」「抱薪救火」「通家之好」「泥牛入海」を書きました。
「滄海桑田」(そうかいそうでん)20191106
中国では全国をいうのに海に囲まれた日本の「津々浦々」ではなく「四海五湖」といいます。広大な海は変じて桑田(肥沃な大地)となり、桑田は変じて海となる。こういう事態の大転換を「滄海桑田」(儲光義「献八舅東帰」』など)といいます。ですから滄海は生産的な存在ではありませんでした。「滄海遺珠」は大海にうしなった大切な珍珠で、埋没してしまった人物やなくした珍貴な事物のことに。蘇軾は有名な「前赤壁賦」に長江の無窮と人生の須臾であることを大海に浮く一粒の粟に例えて「滄海一粟」といっています。
中国の多くの人は海岸線がうまく書けないようです。書く必要がなかったからでしょう。河川は東流して東海にそそぎます。「百川帰海」しておしまい。歴代海に関心がなかったゆえの「滄海桑田」でしたが、その中国が東海の小さな島にまで関心をもつことになったのは、アメリカという大国が東海のむこうに出現したから。「桑田」も「滄海」もともに重要な存在であるという意味合いに変容しつつ、この四字熟語は新たな時代を生きつづけます。
「抱薪救火」 (ほうしんきゅうか) 20191113
薪(柴草)を抱えて火を救う「抱薪救火」(『史記「魏世家」』から)は、誤った方法で災禍を除去しようとするとかえって災禍を拡大させてしまうこと。戦国時代の強国秦の侵攻を受けて次々に城鎮を失った魏は、何度も土地を割譲しては和議を結びます。蘇代(合従抗秦の蘇秦の弟)は領土の割譲は「抱薪救火」であり秦の欲望を強めるだけと主張しますが、目前の和平を望む魏王は聞き入れず、魏は紀元前225年に滅亡します。
米中貿易戦での中国の対応を軟弱とみてさらに不公平な要求で迫る超大国アメリカの保護貿易政策に対して、「抱薪救火」の歴史を知る中国は、経済発展の総力をかけて強硬な対抗措置をとりつづけ、互利互恵の国際協調諸国(日本やドイツも)を味方につけて戦いぬきます。一方、アメリカは第一次大戦後にとった自国中心の経済政策が世界恐慌を招いた歴史に学んで、第二次大戦後つづいた国際協調の後退期に登場したトランプ政策に歯止めをかけようとしています。歴史に学んで対処する両国の動向に注目です。
「通家之好」(つうかじこう)20191120
「江戸っ子」は三代つづいて江戸生まれ、といいますが、両家の交流が一家のように親しく通家百年、累世通家であることを「通家之好」(秦簡夫『東堂老「第四折」』など)といいます。後漢末期の孔融と李膺とは祖先が孔子と李耳(老子)というのですから累世通家の代表です。清官に徹した李膺に接見するのがむずかしく登竜門といわれましたが、党錮の禁で誅殺されています。孔融は遅れて曹操に殺されています。
長い努力と功績が認められた者同士が春爛漫のさくらの下で出会える園遊会はあっていい機会です。天皇皇后の主催で赤坂御苑で行われる園遊会には、各界の要人とともに金メダルやノーベル賞受賞者など目立つ業績のあった人びとも招待され、陛下からねぎらわれる場面がニュースになります。一方、新宿御苑での「桜を見る会」は首相が主催。“安倍一党”850人が招待されました。地域にあってこういう機会にめぐまれない国民を「通家之好」として招待するのが議員枠。そういう首相のいる国であってほしいもの。
「泥牛入海」(でいぎゅうにゅうかい) 20191127
時代により意味合いが異なってしまう四字熟語の例は「走馬看花」などで見てきましたが、この「泥牛入海」(釈道原『景徳伝灯録「巻八」』から)は、立場によって異なる例です。宋代になった禅宗語録の『景徳伝灯録』からは本稿でも「雪上加霜」をとりあげていますが、この「泥牛が二頭たたかいながら海に入り、再び戻ってこなかった」という禅僧の見た「泥牛入海」の情景は、ひとたび去って消息なしの比喩としてよく用いられます。
穀物の産地である江南の地(呉)で、炎熱のもとで日中いっぱい酷使された牛は東から上ってくる満月が太陽と映ります。そこで月におびえる「呉牛喘月」ということになります。牛の喘ぎは同時に農民の喘ぎです。しかし終日よく働いた牛を海に入れて泥を落とす農事の実景からなら、「泥牛入海」は明日にそなえる牛と農民にやさしいことばです。
平家滅亡のとき安徳天皇とともに海に沈んだ「三種の神器」のうち剣が返らず「泥牛入海」となって以後、神器のお出ましは勾玉、鏡、剣の順になったといいます。
2019年10月の「四字熟語の愉しみ」は
「対酒当歌」「食日万銭」「黄河水清」「心花怒放」「削足適履」
を書きました。
「対酒当歌」(たいしゅとうか)20191002
「酒に対せよ歌に当たれ、人生いくばくぞ」と酒と歌をたたえて刹那の人生を謳歌しているのは、三国時代の魏の英傑曹操(「短歌行」から)です。乱世を生き延びはしたものの、「何をもってか憂いを解かん、ただ杜康あるのみ」と詠って、憂愁を胸に秘めた曹操は65歳で洛陽で没しました。男児25人、女性も英傑の人生を支えています。杜康は周王室に酒を献じて酒仙に封じられたという酒づくりの名人で「杜氏」の祖といわれます。魏王曹操の憂いを解いた「杜康酒」を田中角栄首相は知っていて、1972年の日中国交正常化交渉の折りに周恩来総理にその有無をたずねて話題となりました。
この夏、東京で「三国志」展があり、墓所高陵で発見されたという傷ついた頭蓋が紹介(写真)されていましたが、事実による考古学の成果はそれとして、真実の曹操は後人にそんな愚かな姿を見せるわけがありません。王都を見下ろす首陽山を墓所として杜康酒一樽をかたわらに、発見と展示で騒ぐ21世紀の後人の営為をほくそえんでいるはずです。
「食日万銭」(しょくにちまんせん)20191009
テレビでは料理番組ばやり。東京では世界各地から料理人が集まって、万銭のかかる料理が供されています。日ごとの飲食費が万の位を要するという「食日万銭」(『晋書「何曾伝」』から)のおこりは晋の何曾からで、何曾は司馬懿とともに曹氏政権を倒して司馬炎による晋朝成立の中心になり、丞相についた人物です。暮らしは贅をきわめ、宮中料理には箸をつけず(無下箸処)、自邸から持ち込むほどだったといいます。
一方に人民と暮らしを同じくして食に倹素であることに「食に二味あらず」(食不二味。『春秋左氏伝「哀公元年」』から)があります。庶民の食卓はささやかな三菜一湯ですが、それにも満たない一食一品ですますこと。呉王の闔廬は「食は二味あらず、席(敷物)は重ねず」という倹素を君子の心がけのひとつにしました。孔子も「食は飽くを求むるなし」とし、斉の晏子も「食に肉を重ねず」を実行しました。国民が飽食をほしいままにして滅びない国はなさそうです。「歓楽極まりて哀情多し」は世の常だからです。
「黄河水清」(こうがすいせい) 20191016
黄河は「一碗の水、半碗の泥」といわれ、「千年“黄河清”をみること難し」といわれて、「黄河水清」(『宋史「包拯伝」』など)は、あり得ないこと、得がたいことの例えとされてきました。瑞祥としては「黄河清くして聖人生ず」(李康『運命論』から)とされて、聖人の登場を希求する民衆の声ともなってきました。ところがいま全域で流下する泥砂の量が減り、上流はもちろん、内蒙古の河口鎮から濁流で有名だった壺口瀑布を経て鄭州の桃花峪まで1200キロの中流域がすでに“黄河清”となり、開封より下流も浅黄色を呈しているといいます。「黄河水清」は史上43回も起こっており最長で20年、新世紀の「黄河水清」は前例のない現代中国「天下大変」の兆候となろうとしています。実景をみるなら「小浪底ダム(黄河三峡景区)」遊覧をおすすめします。
出典の包拯は北宋時代の清官で、役所を常時開門とし休まず身を処して善政をおこなった人物。包老が笑うのを人びとは「黄河水清」に例えて珍重したことから。
「心花怒放」(しんかどほう)2019・10・23
この「怒」は勢いの盛んなこと。心中の喜びが一気に溢れ出るようす。ラグビー(橄榄球)の「ワールドカップ2019」の日本戦で、トライを決めたとき、一人ひとりの観衆の「心花怒放」(李宝嘉『文明小史「六〇回」』など)が溢れて、観客席が何度となく異常な興奮につつまれました。もとは仏教で悟りの境地をえることに用いましたから、法悦にちかい共鳴を伝えることばといえそうです。「心花怒発」「心花怒開」ともいいます。宋代の詩人蘇軾が19歳のとき、新婚の夜に、白磁のような肌をもつ16歳の新妻が燭光のもとで「心花怒放」となった姿を詠った詞を残しています(南郷子寒玉細凝肤)。魯迅『故事新編「奔月」』にも現われます。弓の名手である羿が、獲物がなかったため悶々としていて飛禽を見つけて鳩と誤って農家の母鶏を射てしまうところで、「心花怒発」がつかわれています。美空ひばりが命がけで歌った「不死鳥コンサート」(東京ドーム、1988年)も、歌謡史に残る「心花怒放」の舞台だったといえるのでしょう。
「削足適履」(さくそくてきり) 20191030
足を削って履(くつ)に適(あ)わせるという「削足適履」(『淮南子「説林訓」』など)は、いわゆる現実主義の正統派である「実事求是」の立場から形式主義を批判する場合の分かりやすい比喩としてよくつかわれます。不合理であったり、伝統や規範に収まらなかったり、固定化に挑戦するような事象をいうには便利なことばです。典拠の『淮南子』では、頭を殺(そ)いで冠に便ならしむ(殺頭便冠)も合わせています。 履には「鄭人買履」(『韓非子「外儲説」』から)があります。鄭の人が履を買うためにまず自分の足の度(はかった寸法書き)をつくります、市に行って履をえたところで度を忘れてきたことに気がづいて家にもどってとってかえすと市は終わっていて履をえられない。なんで自分の足で試みないのかと聞かれて、度は信じられるけれど自分の足は信じられないからだとこたえています。こうして合わせてみると、人は古代から自分の足が心地よく収まる履を得ることに苦労してきたようすが知られます。
2019年9月の「四字熟語の愉しみ」は
「晏御揚揚」「陋巷箪瓢」「梨園弟子」「良賈深蔵」
を書きました。
「晏御揚揚」(あんぎょようよう)20190904
宰相が乗る四頭立て馬車となれば、いまなら超のつく高級車だったでしょう。春秋時代の斉の宰相であった晏子(晏嬰)が乗る四頭立て馬車の御者「晏子之御」が、得意がって「意気揚揚」だったのも無理からぬこと。そのようすを見かねて妻がいいます。「六尺にも満たない晏子が宰相として常に控えめなのに、八尺もあるあなたは御者というのに揚々としている」と、志の低い夫に離縁も辞さずと迫ったのです。そののち御者は「意気揚揚」を別の車の御に譲って身を処すようになり、晏子に取り立てられて大夫となったといいます。しかし「晏御揚揚」(『史記「晏嬰列伝」』から)は成語となって残ってしまいました。
とくに財界の新年会などでは際立つでしょうが、都心のホテルでの会合でトップが宴会場へ去った地下駐車場に並んだ超高級車。待っている運転手はひまにまかせて周囲の車の値踏みをしながら「晏御揚揚」を実感することになります。運転手でなくとも、有名大学や著名企業や高い地位や血筋といったノリモノを振りかざす人物はさながら「晏子之御」なのです。
「陋巷箪瓢」 (ろうこうたんひょう)20190911
「陋巷」は貧しい者が身を寄せ合って住む街。「箪」は竹作りの食器。「瓢」はひょうたんの中身をくり抜いて作った酒や水を入れる器。孔子の弟子である顔回は、陋巷をわが住む街と決めて終始変わらず、一箪の食、一瓢の飲という貧しい暮らしにも泰然としていました。そんな弟子を孔子は「賢なるかな回(顔回)や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷にあり。人はその憂に堪えずも、回やその楽を改めず」(『論語「雍也」』から)とほめています。
曲阜の「孔廟」を訪れたら、大成殿など後代の大建築はさておき、孔子故宅にある「孔宅故井」を見落とさないこと。そこから300mほどの顔回が住んだ陋巷にある「顔廟」には「陋巷井」が残っています。さほど遠くないふたつの井戸を訪ねると、「賢なるかな回や」という弟子をほめる師の声や顔回の早死を嘆く「ああ天、われを喪ぼせり」(『論語「先進」』から)と孔子が天に向かって慟哭する姿が偲ばれます。「陋巷箪瓢」(袁枚『小倉山房文集「第二十六首」』など)にはそれぞれの達意の人生が示されているようです。
「梨園弟子」(りえんていし)20190918
「梨園」はわが国では歌舞伎界のことをいいます、ですから「李園の弟子」といえば伝統芸能である歌舞伎を継承する役者のことを指します。この成語は唐の長安の宮中での玄宗皇帝の故事に由来します。楊貴妃を寵愛した玄宗はみずからも楽器を弾き音律に通じていましたが、若者の歌舞の技能を培養するために弟子300人を選んで宮中にあった梨園でみずから訓育に当たりました。そのことから伝統の音曲戯芸を伝える演劇界を「梨園」といい、俳優を「梨園弟子」(白居易「長恨歌」など)と呼ぶようになりました。
中国では京劇の芸が子が父の業を継ぐ形で伝承されています。「梨園世家」である梅家の梅蘭芳は代々旦角を称し、遷家では代々老生を唱えています。一門の俳優たちが「梨園弟子」です。わが国でも歌舞伎の芸を継ぐ役者は世襲ですから、主役の芸を継承する御曹司には特段のきびしい修業が課せられています。名跡には成田屋の市川團十郎や音羽屋の尾上菊五郎があり、その襲名披露は「梨園弟子」あげてのイベントとなっています。
「良賈深蔵」 (りょうこしんぞう)20190925
新車が並びスマホが次々に新製品で競う時代であっても、「吾聞く」としてだれもが知って自戒のことばとしているのが、この「すぐれた商人は値打ちのあるものは深く蔵して見せないものだ」という「良賈深蔵」(『史記「老荘申韓列伝」』から)です。司馬遷は「良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚」とつづけて、徳のある者の容貌は「愚のごとし」といっています。これは司馬遷がいきいきと記録している老子が孔子に伝えたことばです。
二人の哲人の出会いは時代が異なるからありえないとするのが後世の学者の立場ですが、洛陽の古い街並みを残す老城区に「孔子入周問礼楽至此処」の碑文があって、いわれを説明する現地の人たちにもありありと実感されています。孔子が「周の礼楽」を問うために周都の洛陽を訪れたときに応対に出たのが守蔵室の史であった老子で、驕気と多欲の目立つ孔子をこう諭したとされています。老子は別れ際に「富貴なる者は人を送るに財を以ってし、仁人なる者は人を送るに言を以ってす」をはなむけとしています。
2019年8月の「四字熟語の愉しみ」は
「寥若晨星」「恕己及人」「大隠朝市」「木已成舟」を書きました。
「寥若晨星」(りょうじゃくしんせい)2019・08・07
東の空が明るんで暁の光が射すころになると、天空にあって数えることができないほど輝いていた星が消えていきます。新しい朝を迎えて最後まで輝いている星が「晨星」です。あけの明星(金星・啓明星)を最後にして。親しい友人や人材が次第に減っていくようすが「寥若晨星」(孫文『建国方略「二」』など)です。「寥落晨星」「落落晨星」とも。
魯迅も『書信集「致山本初枝」』に、上海の内山書店で「談論できる人が晨星のように少なくなって(寥若晨星)、寂寞の感に」と記しています。数が少なくなった意味合いで用いていますが、「晨星」はそれゆえに「鳳毛麟角」に比べられるほどにかけがえのない人びとなのです。鳳凰の羽毛と麒麟の角はどちらも貴重で希少なものについていわれます。
「人生100年」時代にいくつから「晨星」と呼べるかわかりませんが、戦禍から立ち上がって史上に希な70年余の「平和と平等」の社会を創った先人の訃を聞くたびに、次世代にメッセージを送りつづけていた「晨星」がまたひとつ失われる寂寥感が残るのです。
「恕己及人」(じょききゅうじん)2019・08・14
暑熱の8月15日を迎えて思うこと。聖人(リーダー)の道は「為して争わず」(『老子「八一章」』から)と言い残して関外へと去った先哲は、また「善く戦う者は怒らず」(怒りでは戦わない)ともいいます。怒りで争えばさらに怒りを生むからです。胸中にうずいて勢いづく「怒」をなだめてゆるやかな「恕」に変え、おのれの恕を人に及ぼすことで争いを回避・解消できるというのが「恕己及人」(葛洪『抱朴子「至理」』など)です。
日ごろ身近な「怒」(ど。いかる)の傍らに「恕」(じょ。思いやる、ゆるす。人名用漢字)があり、この女性に起因するふたつの文字は心の同じ部位から異なった感情を表出しています。「一言にして終身行うべきもの」を門弟(子貢)から問われた哲人(孔子)は「それ恕か。おのれの欲せざる所は人に施すなかれ」(『論語「衞霊公十五」』)と答えています。わが福沢諭吉も『福翁百話「八」』で「恕の道」を認めています。恕子(ひろこ)さん、人びとの心の中の「怒」を「恕」に変えてください。言い過ぎたらお恕しを。
「大隠朝市」(たいいんちょうし)2019・08・21
先の大戦の戦禍のあと、復興から高度成長そして繁栄期の日本をこしらえた功労者である高齢者(65歳以上)のみなさんは、意識の上でも実生活でも「毎日が日曜日」といわれる余生(隠居)を送っています。やれやれと肩の荷をおろして。
隠居については、西晋時代の王康琚「反招隠」詩に「大隠は朝市に隠る」があって、真の隠者はにぎやかな市中に暮らしているというのです。唐代の白居易(字が楽天)は「中隠」詩で、大隠・中隠・小隠の三とおりの生き方を記しています。大隠はやはり朝市に住むこと、喧騒を離れて丘樊(郷村、山中)に入るのは小隠で、「出づるに似てまた処(お)るに似たり」の中隠をよしとしています。しごとに留まっても心と力を労せず、忙しすぎず閑でもない、飢えと寒さをしのぐ給与も得られるというもの。今いうところの「生涯現役」が近いのですが、やや忙しすぎるようです。3500万人に達した高齢者がみんな小隠では年金不足は起こって当然のことでしょう。中隠といわず「大隠朝市」の人生を志向する時期にあるようです。
「木已成舟」(もくいせいしゅう) 2019・08・28
伐り出された木材はすでに加工されて舟となっているという「木已成舟」(夏敬渠『野叟曝言(九・一四九回)』など)は、すでに事情が定まってしまって改めることができないこと、もはや挽回できないことにいいます。この比喩としてわかりやすい「木已成舟」は古い用例がなく、典拠としてやや後の李汝珍『鏡花縁「三五回」』などが引かれていることから清朝での新語のようです。近代にも巴金は『春「一五回」』の中で、封建時代の因習を打破する反逆の勇気を「木已成舟」として若者たちに託しています。
木の用については、孔子が弟子の宰予を評した「朽木は彫るべからず」(『論語「公冶長第五」』)が古くから知られていますが、こちらは木の用としては否定的な用例です。
トランプ大統領の登場による一国優先主義は、第二次大戦後つづいてきた国際協調を反転させ、アメリカの経済回復どころか大不況を呼んだ第一次大戦後の二の舞を演じようとしています。歴史に学べない国際的暴挙として「木已成舟」がいわれます。
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2019年7月の「四字熟語の愉しみ」は
「大腹便便」「一鼓作気」「魯魚亥豕」「決勝千里」を書きました。
「大腹便便」(だいふくべんべん) 2019・07・03
便便は肥大しているようすで、下腹の出た中年男を揶揄する「大腹便便」の由来は、後漢時代の辺韶(孝先)という老師に対する弟子たちのからかい「辺孝先、腹便便」(『後漢書「辺韶伝」』)からのようです。辺韶は、腹には五経がつまっており、よく睡るのは孔子と同じように夢で周公に会って腹中の経論を談じているからだと切り返しています。後に大がつきました。「大腹便便」の商賈といえば豊かさの表象です。安定期の唐代のでっぷり玄宗にぽっちゃり美人の楊貴妃(60キロ+)はダイエット時代には現われないでしょう。
かつてサッカーファンを沸かせた有名選手が引退後に呑みすぎ食いすぎで「大腹便便」の中年男になっているといった個人の例ならまだしも、戦闘力を期待される軍人の「大腹便便」が指摘されています。アフガン戦線でビールを呑まなきゃやっていられなかったドイツ軍兵士。機械化で任務には支障がないとはいえ訓練を忌避する軍人の増大は米軍でも問題になっています。太めの軍人や警察官の「大腹便便」は戦闘のない平和の証なのですが。
「一鼓作気」(いっこさくき)2019・07・10
戦闘を開始するときに太鼓を撃って士気を盛り立てること。とくに最初の撃鼓で兵士の勇気を奮い立たせることが「一鼓作気」(『春秋左氏伝「荘公十年」』から)です。『左伝』によれば、春秋時代の243年間に各国で発生した戦闘は450余を数え、平均して一年に二度の戦闘が行われたことになります。この時代の戦闘に参加したのは士以上の貴族で、平民は武器を所持せず貢物を納めるだけ。戦争は武力による敵軍の消滅が目標でした。
紀元前684年、三鼓まで打って侵攻してきた大国の斉軍に対して、満を持して士気をみなぎらせた弱小国の魯軍は、そこで初めて鼓を撃って戦端を開き、斉軍の撃退に成功しました。そのことから「一鼓作気」は先例として戦術に採り入れられました。
今日でも力をみなぎらせて一気にことを仕遂げてしまうことにいいますから、事例は多くみられます。身近な例では、甲子園の高校野球で選手の士気を鼓舞するために、応援席中央に陣取った太鼓を打って繰り広げられる応援合戦はスタンドの欠かせない情景です。
「魯魚亥豕」(ろぎょがいし)2019・07・17
漢字の字形が似ているために、写し誤ったり読みちがえたりすること。「魯」と「魚」また「亥」と「豕」は字形をまちがえやすいことから、合わせて「魯魚亥豕」(『紅楼夢「一二〇回」』など)といいます。「魯魚陶陰」や「魯魚帝虎」なども同じです。
孔子の弟子の子夏が衛国を過ぎた時のこと、史書を読む者がいて、「晋師三豕河を渉る」(晋軍と三匹の豕が河をわたる)というのを聞きました。三匹の豕が河をわたるとは何事? そこで子夏は「非なり、これ己亥なり」と正します。「己と三とは近く、豕と亥とは似ている」からで、三豕ではなく己亥の年であると指摘しました。調べたところそのとおりだったので衛国では子夏を聖としたといいます(『呂氏春秋「二二」』から)。
中国では日ごろの会話でも「それどの字?」としきりに確認します。日本にとって関心が深いのは、現存する版本『三国志・魏書「東夷伝倭人条」』の「邪馬壹國」の壹は伝写の過程での臺の誤写とし「邪馬臺國」と読むことを通説としていることでしょう。
「決勝千里」(けっしょうせんり)2019・07・24
千里も離れたところで戦略を立ててはるかな戦場で勝利を収めることを「決勝千里」(『史記「高祖本紀」』から)といいます。楚の項羽を倒して漢王朝の皇帝に推された劉邦は、都の洛陽に文武百官を集めて祝宴を開きます。その席で、みんなの前で臣下の三人(人中三傑)を褒めあげたのです。まずは維幄(陣幕)の中にあって戦略を立て、千里先の戦場での勝利を見通せる張良(子房)にはかなわない。百姓を安んじ戦いのための糧道を絶たない䔥何にもかなわない。そして攻める城は必ず落とす韓信の用兵はわたしより勝れている。自分より勝れている三人を用いることができて天下がとれたのだと褒めあげたのです。成果を臣下の力とする大将もさすがなのです。
この「決勝千里」はのち羽扇軽揺の諸葛亮、唐の李世民や明の朱元章にもいわれますが、現在は「国考申論」(国家公務員試験)の論文がこの「決勝千里」だというのです。課題の本質と特徴を的確に把握し国を治める要諦をまとめる能力がそれだというのです。
「玉骨冰肌」(ぎょくこつひょうき)2019・07・31
美しい玉が砕け散る「玉砕」は、古典では美しい女性の死を哀惜する「玉砕珠沈」や「玉砕香消」として用いられています。そして人生のひとときを梅の花のように香気を漂わせて生きている女性をいうのが「玉骨冰肌」(揚無咎「柳梢青」など)です。
玉骨は指や脚に露わですし、白く潤いを含んだ皮膚はひんやりとして。宋代の詩詞にはこの天賦のままの容姿をもつ「玉骨冰肌」の女性が多く詠われていて、蘇軾にも「冰肌玉骨」(洞仙歌)があります。現代でも才貌そろった女性を「玉骨冰肌」と形容しますが、かつての美人とのちがいは衣装や化粧で天賦の美を失っていることでしょうか。
八月に「玉砕」というと、第二次大戦中の日本軍守備隊が潔く大義に殉じて全滅したことを大本営が発表するときに使った「玉砕」を思い起こします。そしてついには「一億玉砕」までいわれました。しかし大義に死ぬ意味合いでの「玉砕」は中国では用例を見ませんし、日本では美人をいうのに「玉骨」を用いることはないようです。
「恵風和暢」(けいふうわちょう)20190403
連載「四字熟語の愉しみ」2019年1月~6月 から年号「令和」に関して
新元号が「令和」と決まりました。選定者は漢籍でなく国書『万葉集』が典故であることを誇りとしましたが、実情からいえば漢籍と国書の双方を典故とすべきだったでしょう。
大宰府の自邸で、王羲之の蘭亭の宴に似せて梅見の宴を開いた大伴旅人が、『万葉集「巻五」』に載る「梅花歌三十二首并序」に「初春令月、気淑風和」の八字を記すにあたって、王羲之「蘭亭集序」の「天朗気清恵風和暢」と張衡「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」を意識していて、前者からは「風和」を、後者からは「春令月」と「和気」とを得ており、後者は「令和」の典故でもありえます。それを知る提案者は、恒例である漢籍と国書を合わせて典拠とすることで、漢字文化圏の豊かさを示そうとしたことでしょう。
「風和」について。日本では「雪月花」ですが中国では「風花雪月」で、柔らかい風が人を温かくつつむ「恵風和暢」からの「風和」には書き手の教養が示されています。令月(二月)の東風に感じて白梅が花開く大宰府天満宮の賑わいが想像されます。
「令月嘉辰」(れいげつかしん) 20190410
新元号の「令和」が大化(645年)から248番目で初めて国書『万葉集』から得たとし、令(よ)き大和民族の特性「国風」につなげた安倍首相の講話に対して、日中双方から漢字文化圏の広がりと豊かさを削ぐべきでないとする意見が出ています。外来の優れたものを採り入れてより勝れたものにする特性をいえれば首相の令姿を示せたでしょう。
江戸期の契冲の『万葉代匠記』には『梅花歌三十二首并序」』は王羲之『蘭亭集序』の筆法を模したもの、「初春令月、気淑風和」の八字は張衡「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」から、「気淑」は杜審言の詩から、「鏡前之粉」は宋武帝女寿陽公主の梅花粧から、「松掛羅而傾蓋」は隋煬帝の詩に負うなどの指摘がなされています。それらを「和風」にするのが民族の特性といえるもの。「令月」にちなむ四字熟語に「令月嘉辰」(『大慈恩寺三蔵法師伝「巻九」』など)があって、令月はいい月、嘉辰はいい日で、あわせて「吉日」をいいます。『和漢朗詠集「巻下・祝」』に「嘉辰令月歓無極」が見えます。
「風和日麗」(ふうわにちれい) 20190417
前回みたとおり「令和」の典拠になった『万葉集』(天平2年、730年)の「初春令月、気淑風和」の八字は、王羲之「蘭亭集序」の「天朗気清、恵風和暢」と『文選』にある張衡「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」からの化用(借用)がいわれます。が、もうひとつ唐代高宗のもとで文学の発展に寄与した宰相薛元超の「諫藩官丈内射生疏」の文中にある「時惟令月、景淑風和」が最もよく似た表現として指摘されます。当時、遣唐使が持ち来った新渡来の文献のなかからふさわしい表現として化用したことが想定されるのです。
日本語が「漢字かなカナROMA字混じり」であるように、外来の優れたものをなお勝れたものにする日本文化の「和風」の多重性こそが民族特性なのです。「和」の意味合いは「平和」「昭和」「大和」で異なるでしょうが、ここでは現憲法の国際的片務である「日本の平和」が最大の「和風」事業であることに思いをいたしつつ、改元の年の五月の風暖かく陽光明るい「風和日麗」(沈復『浮生六記「二巻」』など)の休日を過ごすことに。
連載「四字熟語の愉しみ」
web「円水社+」 http://www.ensuisha.co.jp/plus/
2018年1月~12月の月別の「四字熟語の愉しみ」
2018年は「日中平和友好条約締結40周年」でした。「四字熟語(成語)」は漢字文化圏の共有する文化遺産です。ささやかな友好の「文温の絆」として、このweb円水社+「四字熟語の愉しみ」が参加できたことを幸せに思います。(堀内正範)
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2018年1月~12月の月別の「円水社+ 四字熟語の愉しみ」2018年1月~12月の月別の四字熟語です。(これ以前の項目は、
「円水社+」 http://www.ensuisha.co.jp/plus/ をご覧ください。)
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2018年12月の「四字熟語の愉しみ」は 「知者不言」「双喜臨門」「握手言歓」「迷途知返」 を書きました。
「知者不言」(ちしゃふげん) 2018・12・5
「知者不言、言者不知」(知る者は言わず、言う者は知らず。『老子「五六章」』)は知者である老子が残した信言です。真意を理解している者が言わず、言う者の論旨は時代の要請から遠くズレている。 老子はそれを知る者として言わずに、衰亡の淵にある周都洛陽を離れて隠遁の旅に出ます。函谷関の関令尹喜に懇請されて残した『道徳経(老子)』の最終章には「信言は美ならず、美言は信ならず」(2014・2・26)と記して。 唐の詩人白居易は、「知者であり黙するのなら、なんで五千文字もの著を残したのか」(『読老子「五章」』)といい、老君(老子)は自らを知者としていないという見方。「わたしは知者ではない。そう言うあなたと同じだ」という老子の声が聞こえます。 世紀初めのこの国の政界に世代交代の嵐が吹き荒れました。その後に国会に呼集されたチルドレンやガールズによる議論は時代の要請の深みに届かないにレベルに終始していると「知る者」は言わず、「言う者」は知らずに衰亡の淵に近づいていきます。
「双喜臨門」(そうきりんもん) 2018・12・12
ふたつの喜びごとが同時にやってくることが「双喜臨門」(『三侠五義「九二回」』など)です。新年や結婚のお祝の場に「喜」が並んだ図柄を見かけます。これが吉祥文様の「双喜臨門」です。 民間流伝によれば、宋代に王安石が二三歳のとき、科挙考試のために赴いた都の開封で結婚相手と考試トップである状元を得たことからといいます。 「双喜臨門」のまちといえば、異論なく双重慶祝のまち重慶のこと。また「双喜臨門」はお茶のなかに開いた花を楽しむ工芸花茶としても知られています。明るいイメージから連続TVドラマのタイトルにもなっています。 誕生日と合わせて喜びの重なる「双喜臨門」があります。一二月一〇日に横浜アリーナで行われた女子バレーボール世界選手権決勝ラウンドで、郎平率いる中国チームがオランダを破って三位になりました。当日は郎平監督の五八歳の誕生日。郎平を現役時代に目標にした日本の大林素子さんはそれを知っていてお祝をしたといいます。
「握手言歓」(あくしゅげんかん) 2018・12・19
反目しあったのちに和解し、親密さをこめて握手をしことばを交わすことを「握手言歓」(巴金『懺悔「両個孩子」』など)といいます。「握手言和」も日常的につかわれ、よくあることですからよく用いられています。南北朝鮮の金正恩・文在寅両首脳の出合いは典型的な事例です。米中両大国の首脳の握手は固いですがことばは少ない。特朗普(トランプ)・普京(プーチン)の「双普会」となると、親交と悪化が混在しているので印象は複雑です。安倍・プーチン、安倍訪中は「握手言和?」といったところ。 スポーツでは、サッカーなどではライバル同士が戦う前に双方のキャプテンが握手をしてゲームがはじまるときに、あるいは接戦ののち1-1で勝ち負けなしの引き分けでおわったときに、とくに握手とはかかわりなく「握手言歓」がいわれます。 伝統芸術と現代芸術の出合い、京都と西安、名古屋と南京といった時代を越えた友好都市の活動、かつて仇敵だった毛沢東と蒋介石の孫同士が台北で会って歓談するというのも「握手言歓」です。
「迷途知返」(めいとちへん) 2018・12・25
途に迷ってしまったら知っている途に返ればよいというのが「迷途知返」(『梁書「陳伯之伝」』など)です。過ちを犯したと察したならば正しい途に改めればよいということは屈原(離騒)もいい、陶淵明(帰去来辞)もいい、朱憙(集注)もいう。時代を越えて先哲がいい、「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」(『論語「学而」』)はだれでも知っているし、世に言いならわされているのですが、時代を越えて過ちは繰り返されているのです。 アメリカの中国に対する経済制裁が貿易戦争といわれています。トランプ大統領が米国経済を悪化させることに気づいても国民の選択ですからもはや元の途に返れません。これに対する中国側の主張が「迷途知返」です。正しい途に返れというのです。第二次世界大戦の経験から国際協調がつづいて七〇年、ここで反転してまた米国一国主義が台頭しました。かつて第一次世界大戦後の国際協調を破ってアメリカが一国主義をとり、それが原因で大不況に陥った経緯を再現する過ちを改めることができないのです。
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2018年11月の「四字熟語の愉しみ」は 「玉露生寒」「楓林如火」「遮天蔽日」「名利双収」 を書きました。
「玉露生寒」(ぎょくろせいかん)2018・11・07
秋の深まりを一点に凝縮した「四字熟語」に「玉露生寒」(『李群玉集「秋怨」』など)があります。夏至から冬至にいたる日々を穏やかにすすむ秋は、「金風が暑を去り玉露が涼を生ずる」(『水滸伝「三〇回」』」)ことでその訪れを感知することになります。二四節気の秋分を挟んで白露と寒露とがあります。玉露は中国では美酒の例えにいわれますが、日本でのお茶の玉露は茶葉を露のように丸くして煎ったことからがいわれのようです。 移ろいながら人の目を驚かせる「秋色迷人」のきわみが「楓林如火」でしょうか。満山紅葉で火の海に踏み込んだような秋との出会いは鮮烈です。中国には四大賞楓地があって南京棲霞山、北京香山、蘇州天平山、長沙岳麓山がそれ。その中でも「深秋棲霞、楓林如火」といわれる南京の棲霞山が甲天下の名所です。山中にある棲霞寺(棲霞精舎)は南斉時代からのもので、ここから日本へ渡った鑑真の記念堂もあります。わが国では京都嵐山をはじめとする各地での「紅葉狩り」。季節は霜降から小雪へと移ろっていきます。
「楓林如火」(ふうりんじょか)2018・11・14
前回の「玉露生寒」の項で、満山紅葉で火の海に踏み込んだような「楓林如火」を紹介しましたが、種々の特徴があって四大賞楓地では言い尽くせていないようなのです。 たとえば石城村(江西省)では特色の黒瓦白壁の家々の上に高さ35mもある古楓の樹林が連なってあたかも一幅の長尺古画を見るようだといいますし、紅葉谷(吉林市長白山)では延々100kmもの紅葉や黄葉でさながら画巻のようだといいますし、浙江省温州市には元明時代から修復して村々をつなぐ70余条の紅楓古道が保存されているといいます。そしてアジアで最も美しい紅葉観賞地というのが四川省米亜羅。中国最大の紅葉風景区で北京香山の180倍、品種も多く色彩も層をなして広がっているといいます。 フランスに「楓丹白露」(朱自清『欧游雑記』から)という優雅な漢訳地名で呼ばれる宮殿があります。パリにある「フォンテンブロー」です。2015年3月に、楓丹白露宮中国館から清朝末に北京の圓明園から流失した展示品が盗まれて話題になりました。
「遮天蔽日」(しゃてんへいじつ)20181121
広々とした天空に太陽が明るく輝いているところに、それを遮蔽するように自然現象が起こり、人間の営為が展開されることを「遮天蔽日」(『水滸伝「八三回」』など)といいます。 自然現象としては、イタリアのエトナ火山やハワイのキラウエア火山などの噴火では天高く噴煙がのぼり、マダガスカルでは異常気象でイナゴが大発生して空を蔽いつくすという情景も現出しています。なかには楊朔の『香山紅葉』に描かれる古松古柏の山路や「前人栽樹」によって繁茂する古樹の下で涼をとるといった穏やかな「遮天蔽日」もあります。 人為的な「遮天蔽日」では、『水滸伝』では遼兵の襲来を表現しています。現代の北京のスモッグ。ロシア戦勝記念日のモスクワ上空の編隊飛行と轟音などが存在感を示しています。権勢が天下を蔽って世の中に猜疑と欺瞞を生み、経営破綻、株の下落、大災害、領土問題、事故・事件・・社会不安がつのる兆候をみせています。「遮天」が国際協調の暗雲をいい、「蔽日」が日本を蔽うと読めば、将来を警告する「四字熟語」といえます。
「名利双収」(めいりそうしゅう) 20181128
「名を捨てて」とか「利を度外視して」ということで成功を収めるのがふつうですが、時代が大きく変貌するときには、名誉も利益も双方をともに収得する「名利双収」(『官場現形記「三四回」』など)を求めることが可能なようです。「名利兼収」ともいいます。 現代中国がまさにそういう時期で、「名利双収」でなければ成功とはいえないようです。まずは名を得るために有名大学を出て、のち官吏になって「昇官発財」の路線に乗ります。高官が名も利も多く得るしくみなのです。国民とかかわる高官自身は質素ですが、それにつながる親族や企業家が「名利双収」の実現者です。幹部の子は外国とくにアメリカの大学に留学します。習主席の娘明沢さんもハーバード大学出です。 庶民は姓名の画数で「名利双収」になれることに期待し、2022年寅年の夏生まれの子が「名利双収」の人生を送れるというので気にかけています。対比して禅(道元)の教えでは「名利(みょうり)共に休す」で、名利といった欲望を断つことを説いています。
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2018年10月の「四字熟語の愉しみ」は 「青黄不接」「雨霖鈴曲」「金玉不琢」「開門見山」「雁過留声」 を書きました。
「青黄不接」(せいおうふせつ)20181003
「青」は穀物の苗がまだ青々としていて熟すには間がある状態であり、「黄」は旧年にとれて蓄えておいた穀物のこと。「青黄不接」(『欧陽文忠公奏議集「一八」』など)というのは、保存しておいた穀物(黄)を食し尽くしてしまったのに、次の収穫(青)がまだ得られないことをいいます。天災で不作の場合もありますが、税の厳しい取り立てや兵乱による略奪という人禍によることもあります。こうなっては人民の暮らしは赤信号です。 最近は「後継無人」の意味で用いられます。『三国演義』や『水滸伝』の表演で知られた「評書」(講談)演員の袁闊成(86)が2015年3月に亡くなり、いままた独特のかすれ声で語る単田芳(84)が9月11日に亡くなって、「青黄不接」がいわれます。最盛期の1990年代には400放送局で1億人が聞き、子どもたちはその語りから忠臣の節羲や孝子のありようを学んだのでした。魯迅も『而已集「革命時代的文学」』で旧制度の挽歌から新制度の謳歌への「青黄不接」の革命的時期にあるといっています。
「雨霖鈴曲」(うりんれいきょく)20181010
「王朝の女人・楊貴妃」を演じて、華麗・艶麗な唐王朝の女性を体現してみせた美人女優范(範)冰冰(ファン・ビンビン)が146億円という多額の脱税を指摘されて、当局から“死を賜う”ことになりました。安史の乱で玄宗皇帝とともに長安を追われて蜀の地に逃れる途中、馬嵬で、一族とともに殺害されたとき楊貴妃は37歳でした。奇しくもいま范冰冰は37歳。玄宗に死を賜って縊死した楊貴妃と同年齢なのです。 楊貴妃にかんする四字熟語には、「明眸皓歯」(杜甫「哀江頭」)や「一笑百媚」(白居易「長恨歌」)、「解語之花」(開元天宝遺事)などがありますが、この「雨霖鈴曲」(明皇雑録補遺)は楊貴妃に死を賜ったあと、斜谷で長雨と馬の鈴の音の響きに亡き愛妃を思って玄宗がつくった楽曲の名です。玄宗には琴をつま弾く楊玉環の姿が見えていたでしょう。広く妻や女性をしのぶ曲にいいます。「寒蝉凄切」ではじまる宋の柳永の「雨霖鈴」詞には、相愛の「佳人」との別れの深い悲傷が覊旅の風景の中に詠いこまれています。
「金玉不琢」(きんぎょくふたく)2011017
まことの玉(金玉)は琢磨する必要がなく、まことの珠(美珠)も色彩で修飾する必要がないというのが「金玉不琢、美珠不画」(桓寛『塩鉄論「珠路」』から)です。「白玉不琢、美珠不文」(劉安『淮南子「説林訓」』など)ともいいます。ふつうにはことわざにもあるように「玉磨かざれば光なし」であって、遠古から「玉不琢不成器、人不学不知道」(『礼記「学記」』)がいわれて、人びとは社会の要請に応えて有用な器になるために、道を知るために努めてきました。三字経にも「玉不琢、不成器」が挿入されています。 それはそれとして、もっとも大切なことは自からに内在する質朴さを失わないこと。それを礎にして活かして自己実現をはかることです。琢磨したつもりが自在性を失い、精細に学んだつもりが朴実さを失うなら、そんな要請は避けるのが後悔しない「金玉不琢」の人生のかまえ方といえるでしょう。皇帝の呼び出しに応じなかった李白が詩心を失わず、五柳先生(陶淵明)が常に栄利を離れて暮らして晏如とした人生を得たようにです。
「開門見山」(かいもんけんざん)20181024
門を開くとなんの障壁もなく峰々へとつらなる僧院のたたずまい、訪れる官吏の姿も多く見られたことから、唐の劉得仁は実景として「開門見数峰」(「青龍寺僧院」から)と詠っています。そして宋代の厳羽『滄浪詩話「詩評」』では李白の詩の趣き、とくに首句がそのまま「開門見山」であると評しています。それ以後は話や文章がずばり本題にはいることの比喩として用いられるようになりました。異和のある驚きの話題を述べるときに前置きとしていわれますが、いままた本筋にもどって、繁華な都会生活から離れて緑と深呼吸ができる空気とが用意された山居生活が「開門見山」として見直されています。 日本の合掌づくりを保存する白川村の紹介では「家家草屋、開門見山」という感嘆のことばになりますし、また東京観光を終えたあと富士山麓の旅館に泊って、正座して日本食をし、日本庭園をみ、温泉につかって、富士山をみる。雲ひとつない秋晴れの富士に出合えた客に、宿の主人がその幸運をいうとき、「開門見山」の喜びを感得することになります。
「雁過留声」(がんかりゅうせい)20181031
秋の空高く南に渡る雁の群れが一列やカギ形になって飛び去っていきます。あとに鳴き声を残して。また深まる秋の夜に孤雁の悲傷にも似た鳴き声を聞いて、去り行きし人を想うことも。実景としての「雁過留声」がそれで、馬致遠の元曲『漢宮秋「第四折」』では、元帝が匈奴単于に送ってしまった王昭君を想い出す場面で用いられています。 それは「人過留名、雁過留声」(『児女英雄伝「第三二回」』など)と連ねて、比喩としてこの世を去った人びとの思い出や業績や名声などについていわれるようになります。中国における死生観(生死観)として「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(『論語「先進篇」』から)がいわれるように、死の意味は生の中に残ります。 雁といえばはるか天竺まで旅をした玄奘三蔵にちなむ西安の慈恩寺大雁塔が知られます。雁の群れから一羽が落ちてきて、菩薩の化身として埋葬し塔を建てたのがいわれで、唐代には進士に及第したエリートがここで名を留めたことから「雁塔題名」がいわれました。
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2018年9月の「四字熟語の愉しみ」は 「笑容可掬」「和而不同」「勝友如雲」「牝鶏無晨」 を書きました。
「笑容可掬」(しょうようかきく)2018・09・05
掬は両手ですくうこと。両手ですくうような満面の笑みが「笑容可掬」(『警世通言「二巻」』など)です。ジャカルタ・アジア大会で6個の金メダルを取って最優秀選手にも選ばれた池江璃花子さんの笑み、表彰台もいいが、ゴールしたあと振りかえって電光掲示板で勝利を確認して思わずはじけ飛んだ笑みが「笑容可掬」にふさわしい。 「笑容可掬、焚香操琴」というのは、孔明が城楼の上に座し、香を焚き琴を操りながら笑みを浮かべている姿をみて、司馬懿が攻めあぐねるという場面が『三国演義「九五回」』」に描かれています。「面目可辨、笑容可掬」というのは、乾隆皇帝の妃魏佳氏孝儀純皇后の東陵が1928年に盗掘に遭い、皇帝溥儀が精査させたとき、153年を経て黄色龍袍につつまれた皇后の表情の艶やかさに驚いた官員の記したもの。TVドラマ「延禧攻略」の主役魏璎珞がその人です。トランプ大統領が習近平主席に北朝鮮問題で感謝していたころにも用いられましたが、「可掬」にそぐわない。こちらは「笑容満面」でいい。
「和而不同」(わじふどう)2018・09・12
日中平和(中日和平)友好条約締結40周年にちなんで、「“和而不同”国際書画展」(4月・東京)や「“和而不同”中日芸術家作品展」(8月・名古屋)が開かれています。東京展を訪れた村山富市元首相は中国の少年たちの作品に驚いたようです。 「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(君子和而不同、小人同而不和。『論語「子路」』から)と孔子はいいます。調和はするが同調はしないというのが「和」のありようで、お互いに相手の主体的な意見や立場を認めあうこと。「同じて和せず」というのは「雷同一律」のことで、確固とした意見や立場をもたず相手に同調すること。お吸い物は素材や調味料の持ち味を活かし、音楽は楽器の要素を引き出して成り立ちます。 習近平主席は「和」の文化の遠源にふれ「和而不同の社会観」の涵養を求めています。わが国はもとより「和」を尊しとする国。政治はむろんのこと、あらゆる分野で主体性をもちつつ中国との「和」をどう築いてゆくかが今後の課題になるでしょう。
「勝友如雲」(しょうゆうじょうん) 20180919
良き友がひとところに集まっているようすを「勝友如雲」(王渤「滕王閣序」から)といいます。文字通りでの「勝友如雲」といえば、先の総選挙大勝の自民党本部がそうでしたし、合格発表日の有名高校の教員室や大学の入学式や企業の入社式は「勝友如雲」そのもの。 典拠となる唐の王渤の「滕王閣序」には、秋の旬休(十日に一日の休み)に滕王閣(南昌にある江南三大名楼のひとつ)に登った「勝友如雲、高朋満座」のようすが画かれています。高いレベルの仲間が同座していますから事情が異なります。秋の全国展で優れた仲間の入選作をおさえて特選に選ばれた人は、そんな感慨にひたることができるでしょう。 嵩山小林寺のおひざもと鄭州市でおこなわれる太極拳国際大会にはまさしく世界各地からの代表が集まり「勝友如雲、高朋満座」といった会場で競技が展開されますし、2019年の「中国建博会」(中国国際建築貿易博覧会・上海虹橋)では、理念として「勝友如雲、高朋満座」を掲げています。1300年前のこのことばの活用はナウイようです。
「牝鶏無晨」(ひんけいむしん) 20180926
新しい朝は高らかに晨(あした)を告げるオンドリの声から始まり、ややあって朝方の鐘の音(晨鐘暮鼓)が響く。村の一日が穏やかに始まる風景です。「牝鶏無晨」は「牝鶏が晨を告げることはない」というもの。この周の武王のことばは、「牝鶏が晨を告げるときは、家が索(つ)きるとき」(牝鶏之晨、惟家之索。『尚書「周書牧誓」』)とつづきます。古人言える有りとあり、民間にいいならわされてきたようです。 この「牧誓」は殷(商)の紂王を倒すための戦いに臨んだ武王の雄叫びとして発せられたもので、「牝鶏」というのは悪姫妲己(だつき)のことですし、家は殷(商)のこと。しかしその後ながく封建制での男子優先のしくみを支えることばになりました。いまや「ダイバーシティ」(多様性)が叫ばれる「牝鶏司晨」の時代。さすがに表だってこういえる男性(雄鶏)はいなくなりました。が、しごとのできない女性上司には陰の声は消えないようです。実力をつけての社会参加が求められているのです。 ***********
2018年8月の「四字熟語の愉しみ」は 「百折不撓」「安居楽業」「捲土重来」「群龍無首」「心中有数」 を書きました。
「百折不撓」 (ひゃくせつふとう) 20180801
なにがなんでも頑強に「不撓不屈」をとおして譲らないというのは格好いいが成果はどうでしょう。複雑な要件に対処しつつ、ときには多少の挫折はあっても、本筋では意志堅固にして人品においては屈服しないこと。乱世の後漢末期に、蔡邕は「太尉橋玄碑」にみずからの立場を重ねて「百折不撓」と記しています。その娘蔡琰(文姫)ものちに生涯を翻弄されつづけた時代を曹操は「清平の奸賊、乱世の英雄」(許劭「月旦評」から)として生きています。毛沢東は「孫中山先生は広大な人民を領導し、不断の闘争を百折不撓のうちに進行した」(「中国人民大団結万歳」から)と讃えています。 都市もまた「百折不撓」をめざしています。重慶市は6月5日10時30分から42分まで防空警報を発します。前事不忘、後事之師としての「重慶大轟炸(爆撃)記念日」です。日本軍は中華民国臨時首都だった重慶に1938年2月から43年8月まで5年半爆撃を加えました。今の自衛隊の議論はアジアの平和の「百折不撓」とかかわっているのです。
「安居楽業」 (あんきょらくぎょう) 20180808
安眠のできる家があり楽しんで従事できるしごとがあること。平和の国で暮らしていると当たり前に思えるこの「安居楽業」(『漢書「貨殖伝」』など)というふたつが、戦乱にあけくれた時代を生きた人びとにはどれほど得がたいことであったことか。 途上国として平和と経済の高度成長期に遭遇して、中国に暮らす人びとは歴史的にはじめて「小康社会」「安身立命」(『景徳伝灯録「巻一〇」』)の人生を現実のものにできているようです。日本の場合は仏教の影響を受けて四字熟語としては「安心立命」ですが、中国では生活感に裏打ちされた「安身立命」が基本です。ちなみに京都の立命館大の名の由来は孟子の「修身立命」(尽心上)にあるようです。 習近平政権は2020年までに「全民脱貧」という目標の達成をかかげましたが、米中経済摩擦の影響次第では、国民の生活上の充足感である「安居楽業」と将来への「安身立命」が確保されるかどうか、むずかしいところです。
「捲土重来」(けんどちょうらい)20180815
夏の甲子園「第100回記念大会」に102年ぶりの全国制覇をめざした北神奈川代表の慶応高校。地方大会の一戦一戦に「四字熟語」を掲げて勝ち抜いてきたといいます。春のセンバツ初戦で彦根東高校に3-4で敗れた悔しさを晴らすべく、夏の初戦、中越高校戦に掲げたのがこの「捲土重来」でした。2-3サヨナラで勝って結果を示しています。 「捲土」は人馬が土を巻き上げて疾駆すること。ひとたび敗走してのち勢力を回復して攻め返すのが「捲土重来」(杜牧「題烏江亭」から)です。楚の項羽は劉邦の漢軍に垓下の戦いで敗れて、愛姫の虞美人に死を賜ったあと、長江北岸の烏江まで落ち延びます。しかしここで江東に還るのをはじとして自刎しました。(『史記「項羽本紀」』から) 夏の甲子園大会で覇を競う球児たちは、敗北したあと “甲子園の土”を袋につめて持ちかえります。その悔しさは全国制覇して晴らされるもの。慶応高校は激戦を勝ち抜いて優勝決定戦でこの「捲土重来」を掲げるべきだったでしょう。
「群龍無首」(ぐんりゅうむしゅ)20180822
近年のこの国は、毎年「首」(首相)をすげかえた「一年一相」の七年のあと、「一強五年」という変則の時期にあります 易では「群龍無首」(『周易「乾」』から)は本来「吉」であると説きます。天徳による治世がおこなわれていたころには、優れた能力をもつ人物(龍)がたくさんいて、お互いに補いあってしごとをしていたので、とりたてて「首」とする人物を置く必要がなかった(無首)のです。ところが時代がくだって龍ならざる俗人による治世になると、「群龍無首」は優れた指導者がいない(無首)ために何も決まらず先へ進めないことをいうようになります。そこでわれから天徳の命に迫ろうとして「首」(首相)をめざす人物が現れます。それでも成果があがらなければ首をすげかえすげかえして対応します。 次の首のすげかえでも吉卦の「群龍無首」に近づけず、いっそのこと「抜類超群」の人物を国民参加で政策(天の意思)を確かめつつ選び出す大統領制のほうが近道かもしれません。
「心中有数」(しんちゅうゆうすう)20180829
日本では「心中」といえば、「しんじゅう」と読んで、許されぬ仲の男女が死を選んでともに命を断つことをいいます。もっともたいせつな命を捧げ合う愛の表現です。相思相愛のふたりばかりでなく一家心中や無理心中もあります。捧げるものは命とかぎらずに髪(断髪)や指(切指)などの場合もあります。「心中(しんちゅう)」の証に「心中(しんじゅう)」するといった意味での用い方は中国にはないようです。 「心中有数」(馮徳英『迎春花「八章」』など)は、心の中ではその意味合いや原因を了解していて解消への糸口は得ているものの、それをことばにしたり表示したりできていない状態をいいます。『荘子「天道」』には、「心に応ずれど口言う能わず、有数はその間に存り」と説かれています。前出の「胸有成竹」(2013・9・11)や「知己知彼」や「百無一失」などが横合いにあって説明してくれます。「心中無数」もあって、こちらは博学すぎて心の中にあまりにさまざまありすぎて分別収拾がつかない状態をいいます。
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2018年7月の「四字熟語の愉しみ」は 「一蛇吞象」「水落石出」「宝刀不老」「哀感中年」 を書きました。
「一蛇吞象」 (いちじゃどんぞう) 20180704
人間が持つ際限のない貪欲の表現として、時代を越えて用いられてきたのがヘビがゾウを呑み込むという「一蛇吞象」(『楚辞「天問篇」』など)です。 伝承では、かつて困窮の極みにあった人物が一匹の蛇の命を救ったことで、蛇から恩に報いるのに何かと望みをかなえてもらうことになります。はじめは衣食でしたが次第に欲が大きくなって官職を求めさらには宰相にしてくれるよう求め、ついには皇帝にまでおよびます。それを聞いた蛇は、人間の貪心というものに際限がないことを知って、その人物(宰相)を呑み込んでしまいました。「蛇呑相」は「蛇呑象」になりましたが、元気な現代IT企業が赤字の百年企業を呑み込む姿はこれでも足りないほどです。 「巴蛇呑象」(『山海経「海内南経」』から)というのは、古代伝説中の大蛇「巴蛇」は長さ800尺もあって象を呑み込むことができ三年を経て骨を吐き出すのですが、その骨は腹内疾病に効くと伝えています。漢方薬の竜骨(化石)に紛れているかもしれません。
「水落石出」(すいらくせきしゅつ)20180711
渇水期に水底の石が露出する情景が「水落石出」(欧陽修『酔翁亭記』など)で、もとは季節の山間に見られる自然景観として詠われてきました。近年では貯水ダムの水が引いて石どころかかつてあった村が現われる「水落」のようすが話題になったりします。 見えないものが次第に現れることから、後になって比喩として真相があきらかになること(『紅楼夢「七三」』など)にいわれるようになります。 FIFAワールドカップでいうと、地域予選を勝ち抜いた代表32チームが本大会に参加します。本大会ではグループリーグを経てベスト16が決勝トーナメントをおこないますが、そこで2勝したフランス・ベルギー・クロアチア・イングランドといった四強あたりが「誇らかな石出」といったところでしょうか。製品の品質への信頼を誇ってきた日本企業では、なぜか神戸を露出させています。神戸製鋼は品質データの改ざんで、品質を厳選したはずの神戸牛に但馬牛が紛れていたりと「憂いある水落石出」の現場になっています。
「宝刀不老」(ほうとうふろう)20180718
ことしのウインブルドンで錦織圭選手はジョコビッチ選手に敗れてベスト8どまり(7月12日)でした。その陰で元トップ選手招待試合「インビテーション・ダブルス」に登場したのが、2003年女子ダブルスで優勝した杉山愛選手と個人2位のキャリアをもつ中国の李娜選手。アジア・リジェンドが組んで欧米組にストレート勝(7月10日)。引退後も技に衰えのない二人に「宝刀不老」の評価の声が聴かれました。 典拠は蜀の老将黄忠が「ご老体なお出陣なさるか」といわれて「なにをいう、わが手中の宝刀は不老じゃ」と答えて出陣したことから(『三国演義「七〇回」』)。そこから老いてなお元気に活躍する人を老黄忠と呼ぶようになりました。ですから本来は伝統工芸士のような人が年をとっても技能に衰えのないことをいうのでしょうが、もっと幅ひろく、サッカーのヴィッセル神戸のイニエスタや将棋の羽生善治の活躍でもいわれるでしょう。人ばかりでなく手入れのいいキャデラックなどを前にしてもいわれます。
「哀感中年」(あいかんちゅうねん) 20180725
人生を三つの時期としてみた場合に「中年」はおよそ四〇、五〇歳とか。とすると上年は二〇、三〇歳で下年は六〇、七〇歳ということになります。東晋の謝安は友人の王羲之に「中年ともなると親しかった友と別れて鬱々と日をすごすこともあるし哀楽が心を傷つけるものだ」(『世説新語「言語」』から)と語っています。清の丘逢甲は「哀感中年謝公に遇う」と同感を示しています。しかし七五歳まで生きた唐の白居易は三〇、四〇は五欲に動かされて迷うし、七〇、八〇になると百病にまとわれて苦しい。してみると五〇、六〇は「恬淡清浄にして心は安然」と中年に充足の時期をみています。 NHK放送文化研究所のアンケート(2015年)が40歳から56歳くらいまでとしているのは60歳以上のサンプル数が少ないからでしょう。高齢化時代のおにいさん・おねえさん(成長期)からおじさん・おばさん(成熟期)へそしておじいさん・おばあさん(円熟期)へ。中年はやはり哀楽を主旋律とする時期といえるのでしょう。
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2018年6月の「四字熟語の愉しみ」は 「知法犯法」「馬到成功」「破釜沈舟」「扇枕温席」 を書きました。
「知法犯法」(ちほうはんぽう)20180606
「知法犯法」(法を知りて法を犯す。『儒林外史「四回」』など)というのは、文字づらからも明らかなように、法を理解していながら故意に法を犯してしまうこと。知らずに犯してしまうことに比べれば、罪一等を加えられてもしかたがありません。 ルールを守ってフェアプレーが前提とされるスポーツの世界では反則は許されないのですが、ハイレベルのサッカーの試合をみていると、巧みな「反則の犯しあい」が勝敗を左右する場面に出くわします。観客も「イエローカード」や「レッドカード」のプレーを了解しているのですから紳士的なスポーツといえるのかどうか。日大アメフト部の悪質タックル問題が大学のガバナンスの課題に拡大していることが根の深さを示しています。 神戸製鋼では品質にかかわる製品データを改ざんしていた「知法犯法」で経営トップが謝罪し家宅捜査が行われて、日本企業への信頼をゆるがす問題になっています。庶民もまたスピード違反や優先席無視やらで日ごろから「知法犯法」に慣らされているのです。
「馬到成功」(ばとうせいこう) 20180613
馬が駆け付けたらただちに勝利する「馬到成功」(鄭廷為『楚昭公「第一折」』など)は、時代を越えていまも力のある人が着手すれば必ずすみやかに成功するという意味合いで用いられています。中国の大学統一入学試験「高考」が6月7・8日に全国でおこなわれて975万人が受験しましたが、激励もエスカレート。河北省のある中学校の門前には受験生の父親が乗った8頭の馬が登場、「馬到成功」で地元の受験生を激励しました。 古来、武将が駿馬にまたがって出陣する姿は猛々しい。名馬は東西に多く記録されますが、有名なのは項羽の愛馬だった騅、三国時代に呂布と関羽が戦場を駆ったという赤兎馬、アレクサンダー王の遠征を支えたブケバロス、アルプス越えのナポレオンのマレンゴ、宇治川の先陣争いを演じた池月と磨墨、川中島で上杉謙信が騎乗した放生月毛など。馬といえば「日本ダービー」(一着賞金2億円)。ことしは5番人気の「ワグネリアン」(福永祐一騎乗)が優勝しました。騎手の福永家にとっては悲願の優勝だったようです。
「破釜沈舟」(はふちんしゅう) 20180620
自分よりも力のある相手に対して必死の覚悟で戦いに臨むこと、そして勝利したときに「破釜沈舟」(『史記「項羽本紀」』から)がいわれます。楚軍を率いた項羽にちなむもので、渡河した舟を沈めて退路を断ち、飯を炊く釜をこわして兵には三日分の食料を与えて「無一還心」(行ったきり)の覚悟で章邯の秦軍に決戦を挑んで勝利したことから(鉅鹿の戦)。『孫子「九地篇」』では「焚舟破釜」といいます。 スポーツの試合でよく使われ、FIFAワールドカップで八強まで進んだことのある実力上位のコロンビアに勝利した日本チームについてもいわれます。中国の自動車業界では第一汽車集団がトヨタ・マツダ・アウディなどとの合資製品に対して自主製品の収益がのびない状況を打開するのに「破釜沈舟」がいわれます。日本の電子産業では、ソニー、シャープ、東芝などの世界戦略の遅れが指摘されるなか、パナソニックの体質改善でのV字回復がおもに社員みずからの「破釜沈舟」によることを見落としてはいけないでしょう。
「扇枕温席」 (せんちんおんせき) 20180627
炎熱の夏には枕辺を涼しくするために扇であおぎ、厳寒の冬には冷たい寝床を身をもって温めて、親に孝敬を尽くすことを「扇枕温席」(『東観漢記「黄香伝」』など)といいます。典故になった黄香は、早く母を亡くし父親を大事にして暮らします。後に魏郡の太守になった黄香は、水災にあった人々のために奉禄と家産を出して救済活動をしています。人々は「天下無双、江夏黄香」と彼を称賛しました。「二十四孝」のひとりとして知られ、また『三字経』のなかの「香九齢、能温席」も黄香を指します。 30年以上つづいた一人っ子政策の結果、中国では子どもが小皇帝の存在となり、「扇枕温被」は逆に親が子のためになすべきことに。この環境の中で育った子どもは自己中心になり、親不幸な事件を引き起こし、習近平政権による官僚腐敗の根を取り除く政策の困難が予想されます。誕生祝、毎週の電話、再婚の支持といった具体的行動を掲げた「新“24孝”行動標準」によって孝文化を伝承し創新しようとしていますが。
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2018年5月の「四字熟語の愉しみ」は 「閉門謝客」「急功近利」「有声有色」「口蜜腹剣」「忘乎所以 」 を書きました。
「閉門謝客」(へいもんしゃかく) 20180502
門を閉じて外界との交渉を断ち客を謝絶するのが「閉門謝客」(『野叟曝言「二三」』など)です。さて閉門してどうするのか。「閉門思過」とくればみずから過ちを恥じて反省するため。「閉門読書」とくれば静かに学問をすることに。さらに「閉門覓句(べきく)」とくれば苦吟して詩作することに。わが内田百間の「忙中謝客」はこのあたりを装ってのもの。そして「閉門酣歌」となれば酒肴を前に女性をはべらせ歌舞享楽を尽くすことに。「閉門」もみずから門を閉じてすごす悦楽は捨てがたいもの。しかし江戸時代の「閉門」は邸の門を閉じ出入りを禁じた刑罰(個人への刑が「蟄居」)でした。 「閉門造車」(朱子『中庸或問「巻三」』など)は、門を閉ざして車を造り、その車が規格に合致して門外で利用できる(出門合轍)こと。仏教徒が内奥の真理を究めて外に出て布教をおこなうような場合で、門外の規格に合わない車は使いものにならない。のちには「閉門造車」は客観性を欠く主観的な立場や意見を指すようになりました。
「急功近利」(きゅうこうきんり)20180509
功を急いで利に近づくのが「急功近利」(董仲舒『春秋繁露「巻九」』など)です。眼前の功利に動かされると失敗してしまいます。これは人の世の常のことですから歴代に事例を欠きませんし、よく使われる四字熟語です。「急功小利」とも。反義語は「深謀遠慮」。 「助長」の元になった「抜苗助長」(『孟子「公孫丑章句」』から2014・2・19)は、古代宋国の農夫が苗を早く成長させようと毎日引き伸ばして枯らしてしまったこと。ですから「助長」はいい意味では使いません。宋代の王安石の筆下にいた方仲永は五歳で詩を能くしましたが、ある人が親子をもてなしおカネを出して題詩を求めました。それがきっかけで郷里の人を訪ねては詩をつくった結果、十二歳のころには才を失い普通の人に。 現代の中国でも子育てに「助長」がみられます。中国のTV漫画がアメリカや日本に追いつこうと急ぐあまり、「童心」を失っているとの指摘があります。また人工知能の進展は国家戦略として一歩一歩がよく、アメリカ企業の投資には「急功近利」がいわれます。
「有声有色」(ゆうせいゆうしょく)2018・05・16
声色(こわいろ)に生彩があるとともに表現に精彩があることに「有声有色」(汪藻『浮溪集一八「翠微堂記」』など)がいわれます。舞台や講演や文章表現などが生動・風雅・強記博聞であることでも。白楽天の「長恨歌」では楊貴妃の悲恋に「有声有情」となりますし、乱世にもてあそばれる文姫の物語では「有声有泪」になります。 一般には「世界野生動植物日」(3月3日)に虎豹などの保護活動をするといった特別な活動もありますが、子どもの安全教育や夏休みの課外活動といった有意義で精彩のある活動などもいいます。演唱会の舞台を彩る美人歌手レディーガガ(女神卡卡)や「春暖花開」を歌う伊能静(台湾)なら「絵声絵色」となります。反義語は「無声無息」。 日本料理の素材の持ち味を生かして際立たせる調理法は「有声有色」です。いま寿司ネタでは金槍魚(マグロ)に三文魚(サーモン。江戸前では寄生虫がいて中るサケを避けていました)が双璧です。「無声有色(食)」といったところ。
「口蜜腹剣」(こうみつふくけん)2018・05・23
口先では甘く優しいことをいいながら腹の中では裏腹に相手を陥れる策を講じていることを「口蜜腹剣」(『資治通鑑・唐紀「唐玄宗天宝元年」』から)といいます。唐の玄宗のころの宰相であった李林甫は、宋代の司馬光によって編まれた『資治通鑑』で「口有蜜、腹有剣」と評されました。陰険な人物だというのです。こういう「心口如一」ではない表裏のある人物が政治の現場に現れる時代があるようです。 「心口不一」であっても「口剣腹蜜」であればまだしもですが。母が魯迅と知り合いであったという画家・詩人の木心先生(孫璞)が魯迅を評した「口剣腹蜜」に触発された女性検察官たちがことば厳しく心優しく子どもや弱者を守る活動には同感できますが。 台湾の蔡英文総統は、朝鮮半島での「文金合意」から「対等、尊重、政治的前提を設けず」といいだし、大陸側から「九二共識」(1992年の「一つの中国」合意)を退けた「対等対話」は両岸関係を緊張させる「口蜜腹剣」だという評をくだされています。
「忘乎所以 」(ぼうこしょい) 2018・05・30
過度に興奮したり驕り高ぶって有頂天になり平常のときとは異なったふるまいをすることを「忘乎所以」(古華『芙蓉鎮「三章」』など)といいます。「忘其所以」とも。 初恋のときや観劇中に涙したことや新車に初乗りしたときの自分を思ってみればわかります。ひととき冷静さを失っていてもいずれは言行も平常に。日本をよく知る観光客は、東京では喧噪を楽しみながらお目当ての買い物をし、季節の富士を眺め、神戸では静かに和牛料理で至福の時をすごすそうで、こんな「忘乎所以」ならうらやましい。 さて核開発やミサイル発射で国際社会を騒がせ国民を過剰に鼓舞してきた金正恩委員長ですが、「米朝会談」を前にいつもの調子で盾突いて、トランプ大統領に「会談中止」のカードをつきつけられて「忘乎所以」。6月12日シンガポールでの会談本番で、「核保有国にあらず」という有無をいわせぬ「非核化」要求に国民を納得させる成果をえられるか。30代の大人物は国際舞台で「忘乎所以」の正念場をむかえています。
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2018年4月の「四字熟語の愉しみ」は 「噤若寒蝉」「一衣帯水」「閉月羞花」「滄海横流」 を書きました。
「噤若寒蝉」 (きんじゃくかんぜん) 20180404
蝉噪といわれるほどに夏秋を謳歌したセミも秋が深まり寒冷のときを迎えると黙し通して死に備えます。権力者におびえて真正面から反論して正論を述べることをせず、寒蝉のように口をつぐんで自己保身にひたすらな官人を「噤若寒蝉」(『後漢書「杜密伝」』から)と呼びます。官界がそうなってしまったとき社会正義の風潮は衰えざるをえません。 後漢時代の清官であった杜密は、宦官の子弟の違法行為を有罪としたことで故郷の頴川に移されます。同罪で故郷に帰っていた高官の劉勝が「閉門謝客」して世事を聞かず問わずにいることを知った杜密は、鳴かなくなった寒蝉と同じで官人としては社会的罪人であると責めたことからこの成語がいわれます。身近にも実例の存在を感じますし、金正恩独裁政権下の北朝鮮では常態として想定されます。歴史上ではすべての官人が「噤若寒蝉」のなかでひとり李陵を擁護して宮荊を受けた司馬遷の例をあげておきましょう。 政治向きでなく唐突ですが、歌麿の春画のやりとりにも「噤若寒蝉」は必要でしょう。
「一衣帯水」 (いちいたいすい) 20180411
「日中平和友好条約締結40周年」のささやかな記念として『日中友好文温の絆 四字熟語』を本稿をもとにしてまとめたい。そこになくてはならない一語がこの「一衣帯水」(『南史「陳後主紀」』から)です。一条の帯ほどの水流というので京都の鴨川ほどの帯を思い浮かべる人も多いのですが、実はこの川は対岸が霞んで見えない「長江」なのです。かつて隋の文帝楊堅が、全土統一の兵を率いて長江北岸に達したとき、「あに一衣帯水を限りて之(陳の民)を拯(すく)わざるべけんや」と臣下にいい渡河します。 海を隔てた日本と中国との交流の場で双方でよく使われます。行き来に困難は想定されるけれども展望をもって対処しようという覚悟の表現なのです。「日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する」(日中共同声明)のです。「いちい・たいすい」と切ると雨にでも濡れて水気を帯びた衣装を着ていることになってしまいますから、「いち・いたいすい」あるいは「いちいたい・すい」と読むこと。
「閉月羞花」(へいげつしゅうか) 20180418
ことしも4月にテレビ各局に入社した美人アナが話題になっています。ミス日本やモデルや乃木坂46やAKB48や気象キャスターなどですでに人気の人も新人アナとして入社。局別女子アナカレンダー・人気ランキングまで用意されています。競争率1000倍とか。 さて古今の美人を表現するにはこの「閉月羞花」(王実甫『西廂記「第一本第四折」』など)と「沈魚落雁」(『水滸伝「三二回」』など)が知られます。絶世の美人をみて、月は雲に隠れてしまい、花は恥じいってしぼみ、魚は泳ぐのを止めて沈み、雁は飛ぶのを忘れて落ちてしまうというのです。中国の四大美人はご存じのように西施(春秋時代。芭蕉に「象潟や雨に西施がねぶの花」がある)、虞美人(秦末)、王昭君(前漢)、楊貴妃(唐)。貂蝉(後漢末)を加えて王昭君を除く場合もあるようです。腋臭だったとか、足が大きかったとか、片方の肩が釣り合わなかったとか、口さがない陰の声があるようです。みんな逃げてしまったのですから、評価は男性文筆家の美文によるしかないのでしょう。
「滄海横流」 (そうかいおうりゅう) 20180425
「滄海」は大海原、「横流」は水が四方に揺れ動きあふれること。「滄海横流」(『晋書「王尼伝」』など)は政情が混乱して社会が不安定に揺れ動くようすをいいます。「王尼伝」では滄海横流、処処不安と記して時局の悪化を例えています。明代に書かれた『三国演義』では滄海横流、方顕英雄本色と記して、混乱ののちに曹操、劉備、孫権等の英雄を輩出したように「滄海横流」のときこそ本物の英雄が現れるという意味で用いています。郭沫若も「紅江江」で同様の意味合いで詠っています。1945年の蒋介石・毛沢東による重慶談判はまさに滄海横流、英雄本色の場面だったといえるのでしょう。 反義語は「歌舞昇平」(宋・曾鞏『元豊類藁「六」』など)で、宋代に民心の穏やかな太平の世を現出したことを伝えています。わが国の大戦後に、歌舞が世情を沸かせる「歌舞昇平」が達成された1980年代の歌謡への関心が、「滄海横流」へ傾く政情と交錯しているようです。すでに長淵剛の「とんぼ」は“政界横流”の世を予感しています。
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2018年3月の「四字熟語の愉しみ」は 「小心翼翼」「天府之国」「五湖四海」「東山再起」 を書きました。
「小心翼翼」(しょうしんよくよく)20180307
四字熟語の多くは日中で同形同義で用いられていますが、身近なことばでは「小心翼翼」(『詩経「大雅・大明」』から)が異なっている例としてあげられるでしょう。「翼翼」は謹慎厳粛であること、秩序がよく整っていること。『詩経』では周王朝の創始者である文王(姫昌)の言動が厳粛敬恭であったことにいわれており、いまも中国では「小心」は心を込めて語り、慎んで行動することにいわれます。明治時代の福沢諭吉の『学問のすすめ「二編」』では「小心翼々謹みて(法を)守らざるべからず」と同義で記しています。 わが国では気が小さいこと、「小心もの」はけなす意味なので、中国で人気の「共亨単車」(シェア・サイクル)の導入に日本は「小心翼翼」といわれると評価の理解に悩むところです。毎年国慶節を前に天安門楼上の毛主席画像を“換新”する作業員が「小心翼翼」であること、中国卓球協会が世界一をつづけるために「小心翼翼」であることはよく分かります。「小心」(シャオ・シン、お気をつけて)といわれて戸惑うことのないように。
「天府之国」(てんぷしこく) 20180314
パンダを飼育する四川省成都大熊猫(ジャイアントパンダ)繁育研究基地に植樹した2000株の桜も開花の季節を迎えます。成都と友好都市の甲府市が2002年の日中国交回復30周年の折りに贈呈したものです。天然の要害の地で肥沃で物産が豊かな地方を「天府之国」(『史記「留侯世家」』など)といい、中国全土に九か所ほどありました。そのうち黄河上流の関中(西安を中心とした渭水盆地)をいうようになり、時代がくだって南の長江上流の成都を中心とした四川省をいうようになりました。 成都はご存じのように三国時代に劉備が拠って蜀漢をたてて「天府之土」としたことが知られます。甲斐に拠って天下をうかがったのが武田信玄。信玄が軍旗に掲げたのが「風林火山」。その「動かざること山の如し」の甲斐の山々が冬の睡りから覚めて動くのが春。詩作でも越後の上杉謙信と競った信玄に「春山如笑」と題する漢詩があります。新時代への躍動を伝えた詩の結句は「一笑靄然として美人の如し」と穏やかな美女の容姿に託しています。
「五湖四海」(ごこしかい) 20180321
日本ではふつうに使われているけれど中国では難しいとされる四字熟語20項を『人民網』が取り上げています。全国各地をいう「津津浦浦」は海に囲まれている日本でこその言い方で、中国では「五湖四海」(唐・呂岩「絶句」)といいます。五湖は一般的には洞庭湖、鄱陽湖、太湖、巢湖、洪沢湖で、四海は東海、南海、黄海、渤海を指します。『論語「顔渕」』には「四海之内、皆兄弟也」とあります。また「岡(傍)目八目」(当事者は迷、傍観者は清)や「一言居士」(仏教にちなむ)は中国では難しい事情がわかります。 「切磋琢磨」(『詩経「衞風・淇奥」』から)は衞の武公が生涯精進を怠らなかったことを骨・象(牙)・玉・石を加工する切磋琢磨に託したことから。いま青少年の教育や「工匠精神」が叫ばれている折りから日中で同程度の用いられ方と推察されます。「魑魅魍魎」「臥薪嘗胆」「乾坤一擲」「切歯扼腕」などはわが国ではパソコンでも一発で出ますからよく用いられるうち。カナのない中国では書けない成語として忌避されてきたのでしょう。
「東山再起」(とうざんさいき)20180328
一度引退した人が再び元の地位に戻って活躍することを「東山再起」(『晋書「謝安伝」』から)といいます。東晋時代の著名文人で名族陽夏謝氏の出であった謝安は、若い頃は著作郎として国史の編纂に従った程度で束縛されるのを嫌い、職を辞して浙江省会稽の東山に隠居して琅邪王氏の王羲之らと清談にすごしました。40歳になって仕官して以後、淝水の戦いに成功するなど東晋の安定に寄与しました。そのことから「東山再起」は再起する、巻き返すといった意味で広く用いられています。 政治的に知られるのは鄧小平の「東山再起」で、文革で3度も失脚しましたが、改革開放に成功しました。いま企業の「東山再起」といえば韓国楽天(ロッテ)それに索尼(ソニー)でしょうか。スポーツならアメリカのメジャーリーグで故障やスランプから復活した選手に「東山再起球員奨」(カムバック賞)が与えられています。そして文化なら宮崎駿監督が引退声明以来になる『毛虫のボロ』を3月公開、「東山再起」がいわれます。
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2018年2月の「四字熟語の愉しみ」は 「不速之客」「望子成龍」「雪上加霜」「元宵灯謎」 を書きました。
「不速之客」(ふそくしきゃく)2018・02・07
とくに招いてもいないのに突然にやってくる客、したがって歓迎できない客を「不速之客」(『易経「需卦」』など)といいます。『易経』では「不速之客三人来、敬之終吉」とあって、懇切にもてなすことで結果は吉といいますが、ふつうには貶す意味合いで用いられています。人ではダボス会議に押しかけたトランプ大統領、自然現象では黄塵、冬将軍、生き物ではお茶で知られる雲南省普洱(プーアル)市の民家に野生の大象が食を求めてやってくるなど。歓迎どころか跳んで逃げることになります。 中国科学院院長・中日友好協会名誉会長をつとめた郭沫若は、祖国を離れる船上で潸潸(さんさん)と涙を流して日本に亡命した自分は意外な「不速之客」であったにもかかわらず、真から懇切な歓迎をうけた(『海涛集「跨着東海二」』)と記しています。滞在中に『中国古代社会研究』などを執筆した市川市の旧宅を移築・復元した「郭沫若記念館」が残され、生地四川省の楽山市(大仏で有名)は市川市と友好都市になっています。
「望子成龍」(ぼうしせいりゅう) 2018・02・14
農暦の1月1日(初一)が「春節」です。ことしは2月16日。東アジア漢字文化圏では日本を除いてどこも国の休日として祝っています。この日、ご存じのように中国では除夕(除夜)には家族で餃子を食べながら夜8時からの中央電視台(CCTV)の「春晩」(春節聯歓晩会)をみて年越しのカウントダウンを迎えます。 両親はわが子がいい成績で学業を終えて社会に出て傑出した人物になれるよう切望して「望子成竜」(周而復『上海之早晨「四部」』など。女性は「望女成鳳」)をいい、将来は北京大学か清華大学かに入れるよう圧歳銭(お年玉)1万元?を紅包(圧歳包)に収めて渡すのですが、本人には重圧になるようです。おおかたは失望に終わるわけですから。 林則除にこんなエピソードが残っています。父親に付き添われて科挙「童子試」に臨んだおり、父親が照れてこの子は「騎父作馬」(父を馬にして乗る)といったとき、すかさずにわが父は「望子成竜」ですといってのけたそうです。「望子成名」ともいいます。
「雪上加霜」(せつじょうかそう) 2018・02・21
いまは災難の上に災難が重なることの比喩として「雪上加霜」はよく用いられます。平昌冬季オリンピックで食中毒(ノロウイルス)が起きたり、ロシア選手にドーピング疑惑が生じたりで、「雪上加霜」といったところです。禅宗語録には「頭上著頭、雪上加霜」(釈道原『景徳伝灯録「一九巻」』から)とあって重複が多い意味でいわれています。 子どもの将来のためにさまざまな援助をして「雪中送炭」(2016・1・20)につとめる両親の暮らしぶりは「雪上加霜」にならざるをえません。 上海の季風書園の閉店についても「雪上加霜」がいわれました。上海図書館地下の租借の継続ができず、といって上海の他の高価格の場所での営業はむりということで閉店をきめたもの。1月31日、改革開放後の多様な立場をみとめてきた「自由」の場の消失を惜しむ読者が集まりました。図書館側が地下の設備補修を実施したため館内は停電、人びとは暗闇の中でろうそくを点し、本を読み、歌を歌って、自由に過ごしました。
「元宵灯謎」(げんしょうとうめい)20180228
満月に灯を点して豊作を祈り、満月に灯をささげて豊作を感謝する夜の灯の節日といえば「元宵節」(農暦1月15日。ことしは3月2日)と「中秋節」(農暦8月15日。ことしは9月22日)です。月のない「春節」(2月16日)を迎えたあと、夜空に三日月がのこり、半月になり、凸月になり、そして最初の満月が星空に昇ってきます。 元宵節には台湾では「平溪天燈祭」の何万というランタン飛ばしが幻想的な夜を演出して人気に、日本では「長崎ランタンフェスティバル」が開かれています。唐代の「観灯」では玄宗の父叡宗のときの「元宵灯節」が豪華で、灯輪を建て燃灯五万盞を掛けたといいます。玄宗も上陽宮中に灯楼をつくらせて貴妃や百姓(当日は開門)とともに鑑賞しています。灯に謎を書いて当てっこをする「元宵灯謎」(『武林旧事灯品』など)は故事成語とちがって農民の節日習俗から生まれた四字熟語です。夜市で賑わう宋都では詩詞や謎のほか抗議や戒律やコミカルな文も掲げられて道ゆく人を楽しませました。 ***********
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2018年1月の「四字熟語の愉しみ」は 「一諾千金」「狗尾続貂」「冰魂雪魄」「半路出家」「高人一等」 を書きました。
「一諾千金」(いちだくせんきん)2018・01・03
新年前夜の12月31日、習近平国家主席は報道機関を通じて「2018年新年賀詞」を発表し、その中で2017年を「天道酬勤、日新月異」という8字で回顧しています。「天道酬勤」は精出して勤務に奮闘する者は必ず報われるということ。「日新月異」は日々あらたな事物が出現し月々変化していくようす。日本では「日進月歩」というところです。とくに「慧眼」(X線天文衛星)打ち上げ、「C919大型旅客機」テスト飛行成功、国産空母「山東」建造、深海観測「海翼」号完成など科学技術の創新が際立ちます。 重点課題の展望では、2020年までに「全民脱貧」という史上実現をみなかった目標の達成を「一諾千金」といいきりました。「一諾千金」(『史記「季布伝」』など)はひとたび約束したことは絶対に守るということ。「黄金百斤を得るは季布の一諾を得るに如かず」(黄金百斤より季布の一諾のほうが価値がある)からで「季布一諾」ともいいます。国民が安心して暮らせる「小康社会」達成には欠かすことのできない事業だからです。
「狗尾続貂」(くびぞくちょう) 2018・01・10
晋代の皇帝ははじめ侍従官の帽子の装飾に貂の尾を用いましたが、乱封で貂の尾が不足したため、犬の尾で代用したことから「狗尾続貂」(孫光憲『北夢瑣言「第一八巻」』など)という成語を残しました。先のものをふさわしくないもので補うこと。100歳のお祝いの銀杯をメッキにしたのはその事例。これでは国民の信頼はえられません。 「桀犬吠尭」(『晋書「康帝紀」』など)は、暴虐非道の君主桀の飼い犬が仁政を尽くした聖君主尭に吠えかかること。犬は飼い主の善悪にかかわらず、ひたすら主人のために吠えかかることから。「鷹犬塞途(鷹犬途を塞ぐ)」(魯迅「偽自由書・文章と題目」など))も同じ。鷹と犬はともに狩猟のために飼い馴らされ、主人のために死力を尽くすことから。孫文は死の前年一九二四年に神戸で、日本はアジアの一国として「西方覇道の鷹犬となるのか、東方王道の干城(守り手)となるのか」の選択を誤らないようにとの願いを込めた講演を残しました。戌年のはじめに犬(狗)に因む四字熟語から。
「冰魂雪魄」(ひょうこんせつはく)2018・01・17
白色の狩猟犬グレイハウンド(格力犬)が、雪原を時速70kmで兎を追う姿や零下40度の凹凸のある冰雪路面をなめらかに走る4駆車には「冰魂雪魄」(陸游『剣南詩稿「北坡梅」』など)と呼ぶにふさわしい気魄があります。人物評としても高潔で品格のあるようすをいいますが、厳しすぎるせいか用例にこと欠きます。遠路たずねた師の程頤(伊川先生)が瞑座しているので尺余の雪がつもる門外で目覚めるのを待ったという「立雪程門」の学生や雪あかりで書を読んだ「孫康映雪」の孫康などはこのうちでしょう。 周りの植物が春まで冬眠中も氷雪にめげずに開花する梅を愛でて「冰魂雪魄」をいいますが、その梅に高潔の志を託して「雪中高士」(2013・2・13)と呼ぶことは紹介しました。「世界三大雪まつり」といえば「さっぽろ雪まつり」、「ケベック・ウインター・カーニバル」それに「ハルビン国際冰雪節」で、ハルビンでは彫刻展示だけでなく寒中遊泳、球技、撮影会、結婚式などなど、市民の「冰魂雪魄」なしには運営できないでしょう。
「半路出家」(はんろしゅっけ) 2018・01・24
仏教国ではない中国で、実際に仏教にひかれて出家するというニュアンスはなく、人生の途中でこれまで従ってきたしごとや立場を離れて新たなしごとや立場につくことを「半路出家」(『西遊記「四九回」』など)といいます。シャカが29歳で王族としての安逸な暮らしを離れて世俗界に身を投じたことに、みずから選んで悔いのない人生を送ろうとした覚悟の姿を見るのです。魯迅が医から文に、班固が文から武に転じたように。 自問しつつ新たな事業や活動に従事すること、いま中国はそういう時期にあることからよく用いられることばです。成功すれば「半路出家」による立志伝の人に。昨今では創業者や投資家が話題になります。ひと足早い日本では、たとえば建築家の安藤忠雄氏のように若い日に世界放浪の旅に出て、インドのガンジス河畔で生と死が混然一体となった世界に衝撃を受けて「生きること」を自問したことで、ファッションの三宅一生氏のように成功を固定化しないで深化・進化しつづける人などが注目されています。
「高人一等」(こうじんいっとう)2018・01・31
人より一段すぐれていることを「高人一等」(魯迅『阿Q正伝「三章」』など)といいます。この意味合いですでに『礼記「檀弓上」』に「加人一等」として表れますから、古今を通じて良し悪しで用いられてきたのでしょう。北京在住のバスケットボール選手の孫明明さんは身長が2・37mあって、これは文字通りコートでは「高人一等」です。 有名なものに郭沫若が怪異小説『聊斎志異』を書き残した蒲松齢の故居のためにしたためた「写鬼写妖高人一等 刺貪刺虐入骨三分」があります。貪虐は貪婪・暴虐な旧封建統治時代の貪官汚吏のこと。「入骨三分」は深く骨髄まで筆鋒が達しているということ。 昨年暮れに安倍首相が韓国野党・自由韓国党の洪準杓代表の表敬訪問を受けたとき、陪席していた河野外相と同じ一段低いイスに座らせたと韓国メディアが騒いだのも、逆の立場からの「高人一等」の事例ということになります。人ではなくモノの例なら、トヨタ製ランドクルーザーの堅牢さやソニー製TVの明るさなら「高人一等」です。価格もですが。
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「四字熟語の愉しみ」 円水社+ 連載 2013年11月
「左右逢源」 (さゆうほうげん) 2013・11・6
同じ最終目標さえしっかりしていれば、意見や手法の違いから生じる左右の対立があっても、どんな激論をかわしても、ともに最終目標に達する成果が得られるというのが「左右逢源」(『孟子「離婁章句」』など)の考え方です。川の左岸をいっても右岸をいっても、いずれ同じ水源へ到達できるというのです。
安倍総理は、靖国神社の秋季例大祭に参拝せず、神前に「真榊」の奉納ですませました。「国のために戦い、命を落とした英霊に尊崇の念を示す」としながら、一方で「外交問題化している中で行く行かないをいうのは控える」という立場です。中韓両国はA級戦犯を合祀する靖国神社への閣僚参拝は、「歴史から学ばない」ルール違反として中止を求めています。この安倍総理の参拝態度について、中国側からは「左右逢源」がいわれます。同じ源に向かわないことは明解で、いずれ国内では保守派の信任を失い、隣国関係の修復にも利さないことになるという結果をみています。
「可歌可泣」(かかかきゅう)2013・11・13
人の泣き方にもいろいろあって、「号」や「哭」は大声をあげるのに対して、「泣」は喜びも悲しみもともに極まって涙を流すことにいうようです。泣を歌によって開放するのが、「可歌可泣」(歌うべし泣くべし。趙執信『談龍録「二四」』など)です。だれもがそういう場面に出会うことが多いので、いまでもよく使われます。
美空ひばりは「悲しい酒」を歌うとき、きまって涙を流しました。涙のむこうに戦後の哀切な時代を思いおこして、共に涙した人も多かったのでしょう。「喜びにつけ悲しみにつけ、人は歌い泣く。そして手足を知らず鼓舞するものだ」と欧陽修はいいます。和歌や唐詩の多くは詠われたものですし、「人生白露」の憂愁を刹那に開放してみせる曹操の「対酒当歌」(酒に対せよ、歌に当たれ。短歌行)は圧巻です。
「可歌可泣」の極みは、他の命を救った殉身的行為や戦場での悲壮な事跡は愛唱歌や軍歌として伝えられ、国民や時代を動かしたそれは「国歌」のなかに込められています。
「半部論語」(はんぶろんご) 2013・11・20
北宋草創期の宰相趙普は、『論語』しか読まない人物といわれ、政治リーダーとして学問の狭さを云々されていました。そのことを太宗趙匡義に聞かれたとき、「その半を以って太祖(趙匡胤)を輔けて天下を定め(定天下)、いまその半を以って陛下を輔けて太平を致さん(致天下)」と答えました(羅大経『鶴林玉露巻七』)。その後、「半部論語治天下」として広く用いられています。
近代日本でこの読み方をしたのが渋沢栄一でした。実業に就くことを嘆く友人に、「半部の論語」(『論語と算盤』)の読み方で、「半部で身を修め、半部で実業界の弊風を正す」と説明しています。いま中国でも経済人(高級管理職)の渋沢型の論語読みが盛んになっています。経済人の倫理性が問われているからで、わが国も銀行の暴力団貸付、有名ホテルの食品偽称など、経済人の倫理性の低落が目立ちます。創業時に立ち返って、「半部論語」を座右にするときのようです。
「美意延年」(びいえんねん) 2013・11・27
情意がのびやかであれば、みずからの人生を楽しみ、みんなの歓びも合わせることができ、寿命を延ばすことができるというのが「美意延年」(『荀子「致仕」』など)です。芸術の秋に、どこかで「美意延年」にふさわしい作品と出 会えたでしょうか。四季折り折りの美しい風物との出会いも長寿の源に違いありません。
作家が短命で画家が長寿といわれるのも納得がいきます。小倉遊亀105歳、片岡球子103歳、奥村土牛101歳・・90歳まで生きた『広辞苑』産みの親新村出の追悼文集が「美意延年」として出ていますが、学者は長命のようです。
この成語は書道家に人気で、いろいろな人が書いていますし、落款でも見かけます。美酒もまたというので、江戸以来の白酒で知られる豊島屋の大吟醸酒に「美意延年」があります。のびやかな音楽もまた美意の源泉、ことしは中国合唱百年ということで「美意延年―記念中国合唱百年」(杭州市)も開かれました。