如座春風
じょざしゅんぷう
「春風に座すが如し」というのは、春の情景ではなく、恩恵を受けた教師に対する賛辞にいう。小・中学校の教場を明るくしてくれていたこういう先生の記憶は、いつまでも暖かく新しい。人生の静かな追い風であったように思える。
後世にまで影響をなす学派や流派というのは、こういう和気をたたえた人物を中心にした一団から生まれるにちがいない。
兄弟が中心の場合が、宋代の二程子(兄が程顥で明道先生、弟が程頤で伊川先生)で、弟が兄を「時雨の潤いのごとし」とその温和さをたたえている。のちの程子学流の興隆をみるとき、このことばが生まれたふたりの師と居合わせた人びとの「春風」の暖かさを思うのである。
伊川先生に教えを求めてやってきた学生が、師が瞑座しているので、一尺を越すほどの大雪の門外で先生が目覚めるのを待ったという「立雪程門」からは、師を敬い教えを求めるとともに、きびしく処する学生の姿がしのばれる。
『二程集「外書一二」』から