四字熟語-十指連心

じっしれんしん

 十本の指のすべてが心臓に連なっていることを「十指連心」という。十指がみなつながっており、一指が痛めば全身が痛むことを「十指連心の痛み」という。だれもが体験的に知っているこの感覚は、肉親や同志のつながりを強く意識して、それぞれが持つ能力を出し合って協力することに例えられる。

「十指には長短あれど、痛みはみな相い似たもの」というのも、それぞれの立場はちがっても、関係が親密である成員ひとりひとりが、同一の目標にむかって困難を乗り越えようと呼びかける場面で用いられる。家族、親族(宗族)を中心にした組織が水玉模様のように重なり広がっている中国社会では、どこにも頼るべき知り人がいない「挙目無親」(目を挙げれども親無し)といった状況だけは避けて暮らすことになる。

十指では「十指繊繊」を添えておきたい。こちらは女性の繊細な十指が、筝の弦を爪弾いているようすをいう。音色も優美だが弦の上の指の動きも美しい。 

(湯顕祖『南柯記』など)

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・10・25号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語-天下為公

てんかいこう

世界各地で「辛亥革命一〇〇年」を記念する行事が行われている。立場によって評価は多様だが、中国史に二〇〇〇年余も続いた封建制(一家族が代々権力を引き継ぐ)を打破した民主革命であったことに異議はない。あとは優れた将相名賢をどう選び出して「天下を公と為す」かにある。

 「大道の行われるや、天下を公と為し、賢を選び能を与し・・故に外戸をして閉じず、是を大同と謂う」
外戸を閉じないですむ大同の社会は、政治を志す者の目標とされる。門戸を閉ざすことのない世の中なら長くはなかったが経験してきたような気がする。
この「天下為公」を孫文はよく揮毫した。有名なのは南京・中山陵正門の雄渾な筆遣いのもの。この原筆は台湾の故宮博物院に所蔵されていて、その博物院正面にも掲げられている。

日本では神戸・孫文記念館にある直筆の碑が有名。麻生太郎元首相は「為公会」を結成して公のための政治を唱えたが、政権は短命に終わってしまった。 

『礼記「礼運」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・10・15号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語-正心誠意

せいしんせいい 

「政治に求められるのは、いつの世も『正心誠意』の四文字があるのみです」といって、野田佳彦首相は所信表明演説で勝海舟が政治家の秘訣とした四字熟語を引用した(『氷川清話』から)。が、海舟は同時に「何事でもすべて知行合一でなければいけないよ」とも言っている。それを知る自民党議員からすかさず国会運営の強引さを「言行不一致だ」とせめたてられ、会期を修正して誠意を示した。

海舟の談話や記事を集めて『氷川清話』を発行しベストセラーとした吉本襄が陽明学の普及者であったことからも、出典は明徳を明らかにし天下を平らかにする本末を説く八条目「格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下」(『大学』から)のうち「正心誠意」からと知られる。「修身斉家」や「格物致知」もここからきている。

閑話だが、南宋の著名な詩人楊万里は誠斎を号とし「正心誠意」を旨とした。とすれば海江田さんはライバルに同名の万里座右の銘を先に使われたことになる。

 王陽明『伝習録』など

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・10・5号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語-群龍無首

ぐんりゅうむしゅ 

安倍晋三さんから野田佳彦さんまで六人、この国では毎年「首」(首相)をすげかえてきた。無首どころか多首である。虎視して次をねらっている人がいるから、「どじょう宰相」も例外とはならないだろう。

「群龍に首なし」というのは、本来は優れた人びと(龍)が群れを成していながら、それをひけらかさずに補い合う姿のことで、天徳による治世(人民の幸せ)には「吉」であると易に説かれている。
しかし龍にあらざる人間世俗の世界では、「群龍無首」は何も決まらず、先へ進めない意味になる。首をすげかえてなんとか天徳の治に迫ろうとするのだが、われから次の首領をめざす者ばかりだから「多首」となり、すげかえた首では全体が動かない。「群龍」を自在に動かせる「抜類超群」の人物をどうやって選ぶのか。大統領制がそれなのか。

歴代王朝の勃興期と衰微期を生き抜いてきたことばは二面の意味を持つ。ここでは残念だが衰微期の読みのほうに実感がある。 

『周易「乾」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・9・25号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語-知法犯法

ちほうはんぽう 

女子FIFAワールドカップ(ドイツ)で、「なでしこジャパン」がアメリカを制してついに世界一になった。長年辛苦して得た勝利だけに喜びもひとしお。国民栄誉賞受賞も快い。
男子に比べてパワー、スピード、テクニックなどどれも及ばないが、「美しさ」だけは女子のものである。美しさにはフェアな精神的強さといったものもこめられている。

なぜここで「知法犯法」(法を知りて法を犯す)かというと、フェアプレーが前提とされるスポーツの世界なのに、男子サッカーのトップレベルの試合をみていると、反則の犯しあいが勝敗を左右する場面に出くわすからだ。観客も「イエロー・カード」や「レッド・カード」のプレーを了解しながら観戦しているのだから、紳士的なスポーツといえるのかどうか。女子サッカーにはそれがない。試合の快さはそこにある。

法を知って法を犯すこと。小さなそれが常態となっていく風潮に馴らされていくのが恐ろしい。 

『儒林外史「四回」』など

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・9・15号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語-日復一日

にちふくいちにち 

「日復た一日」というのはなにげないことばだが見過ごしてはいけない。ひとかどの事業をなしとげてその継続をはかるには「日復た一日」怠ることのない姿勢が必要だからである。
後漢を興した光武帝劉秀は、皇帝になっても「日復た一日」の勤めを怠ることがなかった。深淵に臨むが如く(如臨深淵)、薄氷を履むが如く(如履薄氷)、日々を過ごした。皇太子の荘が勤労の過ぎるのをみて「優游自寧」を求めたときにも、「これを楽しんでいるのだから疲れはしないのだよ」といって聞かなかった。

西暦五七年正月に倭の奴国王の遣いの奉献を受け、金印を贈ってねぎらったのが最後の勤めとなった。二月初めに六二歳で崩じたからである。幸運にも最後に劉秀に会った外国客だったことで古代日本の事跡が歴史に残ったのである。
皇帝になっても日々務めて生涯を終えた人物は多くない。そんな遠い日のことではなく、わが先輩にもそれに似た人生を送って去っていった人の姿がある。  

『後漢書「光武帝紀」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・9・5号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「半部論語」

半部論語  はんぶのろんご  

『論語』のうち量の半分あるいは内容の半分の理解でよいというもので、『論語』を国学経典として敬う立場からは論外とされる。

この読み方でもっとも有名なのが北宋草創期の宰相趙普で、彼は『論語』しか読まない人物といわれ、政治家として学問の狭さを指摘されていた。そこで太宗(趙匡義)が彼に理由を問う。趙普は「むかしその半を以って太祖(趙匡胤)を輔けて天下を定め、いまその半を以って陛下を輔けて太平を致さんと欲す」と答えた。以後、「半部論語治天下」として用いられる。

近代日本でこの読み方に徹したのが渋沢栄一で、実業に就くことを嘆く友人に、その公益性を「半部の論語」(『論語と算盤』)の読み方で説得した。これまでに孔子学院は世界一〇二カ国・地域に四三九校(七月現在)が開設され中国語・中国文化への国際的関心は高い。が、現政権下ではなお「さまよえる孔子」であり、その間、実業家の理念を支える「半部論語」読みが底流することになる。 

羅大経『鶴林玉露乙編『』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・8・15号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「七月流火」

七月流火 しちがつりゅうか

盛夏の七月をむかえて、暑気炎熱いよいよ激しい時節の形容として一般的に使われていた「七月流火」に対して、本来の意味合いは「向熱」ではなく「転涼」であるとして誤用を指摘したのは天文にかかわる人たちだった。 

この「火」は、さそり座のα星アンタレスで、旧暦(農暦)六月の南天に赤く輝いて現れるが、七月になると西空に傾いて沈んでいく。これが「流火」であって、「七月流火、九月授衣」とつないで、秋涼を指すのが原典の意だという。

旧来の原義はそれとして、現実の生活感に親しい意味合いでの使用を誤用というなら「八月流火」を使おうではないかというのが「現代漢語」派の意見である。ことばは時代の波にもまれて意味を変えて定着する(約定俗成)。

定着してはいても誤用の代表のように騒がれるとさすがにメディアでは扱いづらいらしい。日本で用いられないのは緯度が高いために「流火」の鮮やかさに欠けるからだろう。

『詩経「豳風七月」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・8・5号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「経国大業」 

経国大業 けいこくたいぎょう 

「経国大業」といっても国を経営するために業を興すことではなく、国家のリーダーは優れた文人であらねばならないという中国の伝統を明らかに宣したことばなのである。書も巧みだし、弁も文も際立つこと。

「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」といったのは、曹操の長子で三国時代魏の皇帝となった曹丕である。父の曹操も文人であり、丕の弟の植と合わせて「三曹」といわれた。当時、曹氏のまわりには文人層が集まっていたのだろうが、曹操なきあと三国争覇の軍を統率していたのは司馬懿である。こちらは息子の師、昭の三人が軍議をこらす姿を「三馬同槽」といわれた。そんな司馬氏に対する牽制の意味合いもうかがえる。みずから最高の文人を称えた曹丕だが、文才では弟の曹植の方が勝るというのが衆目のみるところだったようである。

いずれにせよ、国を動かすほどの人物は優れた文章力、表現力を鍛えあげてこそ事業もまた不朽でありうるというのである。

曹丕『典論「論文」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・7・25号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「好好先生」

好好先生 ハオハオせんせい

中国の友人たちの快い「好(ハオ)」という応諾の声が耳に残る。しごとがスムーズに進むことになる。 

劉備に諸葛亮を薦めた司馬徽(号は水鏡)は人の短所を談ずるのをよしとせず、善にも悪にも、美にも醜にも「好好」(ハオハオ)といって応じたという。
わが子の死を悲しんで伝える人に対してまで「大好(ダーハオ)」と応じた時には妻がたしなめた。徽はすかさず、あなたの言うことは「大好だ」と妻を誉めてかわしたという。司馬徽が「好好(ハオハオ)先生」として納得されたのは、「好(ハオ)」が逆の「不好(プーハオ)」まで伝えるニュアンスを兼ね備えていたからだろう。
わが国では田中角栄首相だろうか。田中さんの「よっしゃ、よっしゃ」には、清濁あわせて時代を動かす宰相の迫力と魅力があった。

襄樊市の玉渓山中に、司馬徽を記念する「漢水鏡棲隠處」があって、劉備・諸葛亮の出会い「三顧草廬」にちなむ古隆中とともに観光名所となっている。 

『世説新語「言語」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・7・15号
堀内正範 ジャーナリスト