ぐんりゅうむしゅ
安倍晋三さんから野田佳彦さんまで六人、この国では毎年「首」(首相)をすげかえてきた。無首どころか多首である。虎視して次をねらっている人がいるから、「どじょう宰相」も例外とはならないだろう。
「群龍に首なし」というのは、本来は優れた人びと(龍)が群れを成していながら、それをひけらかさずに補い合う姿のことで、天徳による治世(人民の幸せ)には「吉」であると易に説かれている。
しかし龍にあらざる人間世俗の世界では、「群龍無首」は何も決まらず、先へ進めない意味になる。首をすげかえてなんとか天徳の治に迫ろうとするのだが、われから次の首領をめざす者ばかりだから「多首」となり、すげかえた首では全体が動かない。「群龍」を自在に動かせる「抜類超群」の人物をどうやって選ぶのか。大統領制がそれなのか。
歴代王朝の勃興期と衰微期を生き抜いてきたことばは二面の意味を持つ。ここでは残念だが衰微期の読みのほうに実感がある。
『周易「乾」』から
『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・9・25号
堀内正範 ジャーナリスト