四字熟語「力排衆議」

力排衆議 りきはいしゅうぎ

ふつうには権威や権力によって多数意見を強引に抑え込むことにいうが、複数の人のそれぞれの主張を聞き、ひとつひとつ論破して自分の意見に同調させることを「力排衆議」(力して衆議を排す)という。

後者の論法をやってのけたのが、三国時代・蜀の諸葛孔明である。強力な魏の曹操との和睦に向かおうと決めていた呉の孫権幕下の文武の者たちに対して、単身で乗り込んだ孔明は舌戦によって張昭以下を次々に黙らせた。その結果、魯粛の裁断によって劉備と孫権による長江連合が成立する。衆議にきわだつ先見性と実行の手段と論戦に確信がなければほんとうの「力排衆議」にはならない。歴史は苦難のときに、こうした力を持つ「非常之人」を登場させて、新たな局面をつくりだしてきた。

次の首相選びでは「大震災復興」をテーマに自薦他薦の候補を一堂に集めて舌戦を展開する。国民の前で衆議を尽くした末に「力排衆議」をなしえた人物に大任を託せればいいのだが。

『三国演義「四三回」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・7・5号
堀内正範 ジャーナリスト  

四字熟語 「左右逢源」

左右逢源 さゆうほうげん 

考察を深く左に右におこなえば淵源にあるものを自得できるという。わかりやすくいえば、左岸を行っても右岸を行っても最後は同じ水源へたどり着けるというのが「左右逢源」である。めざす水源(目標)がひとつであれば、途中での手法の違いなどから生じる左右対立があっても、信頼の筋を失わずに経過するうちに、ともに最終目標に到達することが可能となる。

「左右逢源」という四字熟語に、「東日本大震災」の復興という目標にむかう政界諸党派の姿が重なる。立場はちがっても、最良の方途をともに模索しながら一丸となって対処する争いなら国民は安心していられる。

ところが「逢源」の大義がみえず、「同室操戈(同室で武具をあやつる)」とでもいった抗争の姿をみるのはつらい。「一定のめど」でやめると誓約した首相は、なんと「四国お遍路」にといった。身軽になったら東北の被災地に向かうというのが、「左右逢源」を貫く指導者の発言というものだ。 

『孟子「離婁章句下」』から

『日本と中国』 「四字熟語ものがたり」2011・6・25号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語 「伯楽相馬」

伯楽相馬 はくらくそうま 

オルフェーヴルが圧倒的な強さで日本ダービーを制した。競馬をみてもわかるように、馬の個性はさまざま。伯楽(孫陽。春秋時代の秦の人)は馬の良否を見分ける名人だった。「相馬」してすぐれた千里馬を見出した。「相」はくわしく観察すること。「相馬」は馬の特徴を見分けること。

「世に伯楽あり、然る後に千里馬あり。千里馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」は有名な唐代の韓愈のことばだが、伯楽のような具眼の士によって次代の人材が発掘される。

南相馬市の千年行事である「相馬野馬追」の馬も被災した。津波にさらわれたり、放れ駒になった馬もあったという。会場は屋内退避区域(福島原発から二〇~三〇キロ域)にあり、被災者供養のためにもという声もあるが、例年の七月開催が危ぶまれる。失われた家畜やペットも多い。

「伯楽一顧」というのは、伯楽が近く寄って去りながら顧みた馬は、次の日に値が三倍に跳ね上がったということからいわれる。

韓愈「為人求薦書」から。

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・6・15 号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語 「決勝千里」

決勝千里 けっしょうせんり

米海軍特殊部隊による「ジェロニモ」作戦によって、パキスタンの隠れ家でオサマ・ビンラディンは死亡した。この作戦をオバマ大統領はワシントンの指揮室で見ていた。直接指揮したわけではないが、これで支持率が上がったという。

千里も離れた遠方での戦局を指揮して勝利することを「決勝千里」という。漢の劉邦は宿敵楚の項羽を破って皇帝に推された時、諸侯を集めて洛陽で宴を張った。その席で三人の臣下をほめ上げたのである。

まず帷幄のなかにいて戦略を立てて千里先での勝利を見通す戦略家としての張良。次に財政を安定させ軍兵への糧道を絶たない蕭何。そして攻める城は必ず落とす用兵に巧みな韓信。自分より優れている能力をもつ三人を用いることで天下がとれたのだと諸侯の前でほめ上げたのである。

こういう傑出した臣下三人を「人中三傑」というが、自分よりも能力が優れた部下がいたから天下がとれたのだといえる大将もさすがである。 

『史記「高祖本紀」』から。

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・6・5号
堀内正範 ジャーナリスト 

四字熟語 「一言九鼎」

一言九鼎 いちげんきゅうてい

トップリーダーである人の発言が軽すぎはしないか。仔細に配慮して心に響くことばによって安心を与えて国民を鼓舞するのが務めであり、その逆に混乱を増幅するようでは資格を問われることになろう。

「一言九鼎」という。一言が国家の宝器である九鼎の重みにも当たるという意味で、とくに将相たるものはそれだけの決定的な影響力を持つことを常に心底にとどめて発言しなければならないというのである。

「鼎」は三足をもつ器で、宗廟への供えものを盛ることから礼器となり、さらに青銅製の鼎は古代王朝の王権の証とされた。いまでも「問鼎軽重」(鼎の軽重を問う)というと、大きなしごとをこなすだけの実力の有無を問われる場面で使われている。「九鼎」は九州(全土のこと)から集めた青銅によって鋳造された鼎。質実ともにいかにも重い。

宰相にはそれだけの表現力が求められ、「九鼎」のような質実のあることばを吐露できる人物でなければ責務に耐えないのである。 

『史記「平原君列伝」』より

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・5・25号
堀内正範 ジャーナリスト 

四字熟語 「春山如笑」

春山如笑 しゅんざんじょしょう

季節の変化の気配を鋭く捉えてきた先人の感性は俳句の季語に多く見ることができる。春の季語に「山笑う」があって、子規にも「故郷やどちらを見ても山笑う」の句がある。春山を巧みに表現するこの季語は「春山如笑」が典拠である。

冬のあいだ睡っていた山が春の訪れを察知して動き出す。木々の芽がそれぞれいっせいに際立ってくると、山全体が日また一日とはなやいで「春山如笑」といった姿になる。山がひとまわり大きく見える。人の心もおおらかになる。

北宋時代の画家郭煕の「山水訓」には「春山澹冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして妝うが如く、冬山惨淡にして睡るが如し」とあって、四季の山の変化を巧みに表現している。

「夏山如滴」(山滴る)も「秋山如妝」(山妝う)も「冬山如睡」(山睡る)も、どれもみなそれぞれに味わいがある四字熟語だが、ひとつ選ぶとなると、やはり「山笑う」のもととなった「春山如笑」となるだろう。 

宋・郭煕「山水訓」から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・5・5号
堀内正範 ジャーナリスト  

四字熟語 「家書万金」

家書万金
かしょばんきん

この度の地震に際して、東京でも電車が止まり携帯電話が通じないため家族との連絡がつかないという経験をした人も多かった。

「家書」はわが家からの手紙。戦乱の中で別れ別れになってしまっている家族からの手紙は、どんなにお金(万金)を積んでもほしい貴重なもの。これはよく知られた杜甫の詩「春望」に出てくる。戦乱で破壊された都長安にとらわれの身であった杜甫は「家書万金に抵る」と家族の安否への思いを詠っている。

「天災人禍」は繰り返し起こって人民を苦しめてきた。最大の「人禍」は戦争だろう。「春望」は「国破れて山河在り、城春にして草木深し」で始まる。この詩句は先の大戦後の復興期によく引用された。戦禍のあと父も母も見たこの国の「青い山脈」は優しかった。

「天災人禍」合わせて襲った被災地で、いまなお家族と音信が途絶えたままでいる人びとの心中が思いやられる。「家書万金」の経験は平和な時代にも起こりうることなのである。

杜甫「春望」より

四字熟語 「能者多労」

能者多労
のうしゃたろう

大津波後の復興現場で、連日、中心になって事後処理に当たっている人の姿に胸がつまる。次々に持ち込まれる難題に対処するのは並みの能力ではできない。長く培ってきた知識や経験を駆使して、「能者は労多し」というのが実情だろう。

技芸に優れている人の技芸が労多しとせずに生涯にわたって熟成していくように、能ある人というのは「労多し」と感じていないところが救いである。

「巧者は労にして知者は憂、無能者は求める所なく飽食して敖遊」(『荘子』から)ということになれば、能あることが悩ましくさえ思えてくる。労をいとわない献身的な人びとの知識や技術が活かされて復興は進む。

まだ雪の残る北国の雑然とした事務室で、住民の切実な要望に応対する職員の背後の壁に「雪中送炭」(雪中に炭を送る)という色紙を見た。雪の中を炭を載せた車が行く情景は鮮やかで、率直に心を温めてくれる。困っている人に救済の手を差し伸べるはずの職員が多数行方不明だという。

『紅楼夢「一五回」』など

四字熟語 「年年歳歳」

年年歳歳
ねんねんさいさい

「大震災」の陰になって、例年のような花だよりが聞かれないまま桜の開花を迎えた。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」という唐の劉奇夷の詩は、日本では桜花の華やぎの下での人事異動や入学式のあいさつで、年々歳々繰り返されてよく耳にする。

詩の花は桜ではなく、唐の東都洛陽の城東に咲き誇った桃李であった。花は毎年変わることなく咲くけれど、花の下に集う人びとは毎年変わっていく。むかし「紅顔の美少年」も、いまは白頭の翁に変わってしまった。過ぎし日に思いを馳せて、「人同じからず」とわが身を省みるのである。

ちなみに「花も同じからず」で、いま洛陽市の城北に咲き誇るのは牡丹である。四月下旬には「牡丹花会」が催され、全国からの訪客でにぎわう。

四季の移ろいを知る人は、新たな季の訪れに人生を省みる。春節もそうだが、花の季もそうである。ことしの桜前線のもとで、東北地方の人びとは心にどんな記憶を刻むのだろう。

劉奇夷「代悲白頭翁」より

四字熟語 「明鏡不疲」

明鏡不疲
めいきょうふひ

「明鏡は疲れず」というのは、磨きあげた鏡のような叡智は使って損うものではないというもの。そこで優れた師や先輩の叡智は、休ませずにどしどし使おうではないかということになる。しかしほんとうに疲れないのかは明鏡の側に立たないとわからない。

李白は「知らず明鏡の裏、何処にか秋霜を得たる」(「秋浦の歌」から)と白髪三千丈の姿を明鏡のうちに確かめている。くもりのない鏡と澄み切って静かな水のふたつをあわせた「明鏡止水」(『荘子』から)といった境地になれば、外界の姿もはっきりと心の底に映ることだろう。

意味合いの近いことばに「宝刀不老」(『三国演義「第七〇回」』から)がある。陣中で老人扱いされた劉備配下の黄忠が、「わが手中の宝刀は不老じゃ」と怒って決戦をいどむ場面がある。高年になっても気力、体力、判断力などに衰えをみせないことをいう。

戴白の将、黄忠は中国では老いてますます盛んな人物の代表である。

『世説新語「言語」』から