同名都市である親しみ
南陽市と南陽市(河南省)
山形県南陽市は、一九六七年四月に二町一村が合併して誕生した。命名にあたって、当時の安孫子藤吉県知事が、「北に丘陵、南に沃野で住み良いところ」という土地柄から、「南陽市」を提案した。
中国の内陸中央部の河南省にあって、長命の霊水「南陽の菊水」(この水を飲むと上寿は百二十、中寿は百余といわれる寿命が得られる)が流れる歴史都市である南陽市と地形が類似していることも紹介されたのだった。
その後、「中国南陽市を訪問する会」(二三人)が八四年に初訪問したことから本格的な交流がはじまり、八五年には南陽市日中友好協会が設立された。八七年「市名発祥の地友好訪問・南陽市民のつばさ」(三〇人)が訪問し、技術研修生の受け入れを確認した。
そして八八年一〇月六日に、大竹俊博市長を団長とする友好代表団を送って、李宝興市長との間で日中の同名都市「南陽市―南陽市」の友好都市締結を果たしたのだった。
河南省南陽市は、中国の中央部にあって河南省西南地域の中心都市である。東部、北部、西部は山に囲まれ、南部は湖北省の襄樊市に通じる広大な盆地になっている。襄樊市を流れる漢水に合流する支流の白河に南面することから、「南陽」と名づけられた。
西暦二五年に後漢王朝を建て、五七年に都の洛陽で倭の奴国からの遣いに面謁した光武帝劉秀の生地である。また三国時代には南陽のすぐ南にある新野の小城で「脾肉復た生ず」を嘆いていた劉備玄徳が、「三顧の礼」を尽くして諸葛孔明を得た(二〇七年)ことを記念する「武侯祠」がある。漢代の画像石刻が集中出土している歴史文化都市で、人口は一市二区一〇県を管轄して約一〇二六万人。面積、人口とも河南省で最大の都市である。
山形県南陽市は、県南部に位置し、北に丘陵、南に沃野が広がる田園都市である。特産はぶどう、さくらんぼ、ラ・フランス、りんご、ワインなど。一八七八(明治一一)年、英国人旅行家イザベラ・バード女史が東北、北海道を旅した際に、「東洋のアルカディア(桃源郷)」と評した置賜盆地に位置している。四季の自然に恵まれた資源を活かしながら、生活環境や社会資本の充実にじっくりと努めていくと荒井幸昭市長も述べている。
開湯九○○年の伝統がある赤湯温泉や宮内熊野大社が有名。心やさしい農民の民話「鶴の恩返し」が伝わる鶴布山珍蔵寺や「夕鶴の里資料館」、国指定史跡の稲荷森古墳など伝統と歴史を引き継ぐ。その一方で、国際的ハングライダー基地「南陽スカイパーク」もある。秋を彩る「南陽の菊まつり」でも知られる。人口は約一万八〇〇〇人。
両市の主な友好交流は、両市がそれぞれに内陸だけに急速には進みづらいが、市の友好代表団の相互訪問をはじめ、語学・農業・縫製・電子・食品加工・製靴といった生活分野の技術研修生の受け入れ、胸部検診車の寄贈など仔細に地道に行われている。
文化面では、「中国南陽古文化展(恐竜の卵も展示した)」や「日中両南陽市書画交流展」、烙画箸(菜箸・五周年の記念)の全世帯配布もおこなった。スポーツ交流では日中友好協会主催の「日中友好都市交歓卓球大会」(九○年の第一回以来)、「南陽―南陽」チームとして参加している。そのほか市卓球協会が選手を送って、両市対抗卓球大会を催すなど、民間交流の一翼を担っている。(二〇〇八年九月・堀内正範)