景観を誇る湖と歴史古跡
大津市と牡丹江市(黒竜江省)
この国の新たな時代への胎動期であった六六七年、天智天皇は、大和飛鳥宮から「志賀大津の宮」を造営し遷都している。同じころ、海を隔てた中国東北地区の現在の牡丹江市南の寧安には、唐の長安を手本にして渤海国の都城、上京龍泉府が造営され、その後、七世紀末から一〇世紀にかけて栄えたという。
かつて同じころの都城であり、そして牡丹江市には琵琶湖と形状がよく似ている鏡泊湖がある「水の都」であることも、両市の友好を深める機縁となった。
両市を結んだのは一九八三年五月のこと、大津市との友好関係を期待しているという牡丹江市の意向を伝える一通の書簡であった。牡丹江市黒龍江商学院の曲更非教授から送られてきたものだった。そこで大津市は、市の大要をまとめた資料を曲氏を介して牡丹江市へと送った。牡丹江市からは提携を結びたい旨の返信が届き、またそのころ訪日したチチハル市の都市建設団からも直接に希望が伝えられた。
琵琶湖をもつ滋賀県としては八三年三月に洞庭湖を有する湖南省と友好省県協定をおこなった後だけに、大津市と湖南省の省都である長沙市との提携も考えられたが、さらに加えて戦前の開拓期の歴史的事情を考慮すれば困難も予想されたのだったが、山田豊三郎市長は積極的に牡丹江市の要請を受け止めて、八四年七月にはみずからが団長となって親善訪問している。
そして同八四年一二月三日には、牡丹江市の訾顕章市長を迎え、山田豊三郎市長との間で友好都市提携の調印をおこなったのだった。
牡丹江市は、黒竜江省の東南部に位置し、西は省都ハルビン市と東はロシア沿海地域と接している。寧安、海林など四市二県を管轄している。大戦中は日本から多くの木材、食品関係の工場が進出し、入植者も多く、戦後の混乱で多くの犠牲者を出した。地理的優位性があり、鉄道・道路・航路の要所として、東北アジア圏の中堅都市として発展している。対ロシア貿易額では中国でも最大規模である。近年は日本海を通じた国際貿易と観光にも力をいれている。「塞北の江南」と呼ばれる観光都市である。
牡丹江市内には世界最大の「東北虎林園」もある。江浜公園には日本軍と戦った女性戦士を記念する「八女投江群像」もある。人口は約二七〇万人。
大津市は、琵琶湖の西南端に位置して、京阪神、中京、北陸の三経済圏の要にある。江戸以後は幕府の直轄地として京滋地域の備えとなってきた。政令指定の古都のひとつ。
主な名所としては、比叡山延暦寺根本中堂、近江神宮、園城寺(三井寺)、義仲寺、瀬田の唐橋、石山寺、幻住庵、琵琶湖大橋などの建造物のほか、唐招来の「玉篇」「六祖慧能伝」や奈良・平安時代の典籍の国宝も多い。琵琶湖の水質をはじめ環境の保全については「共生と循環の湖都・大津」を掲げて活動している。人口は約三〇万人。
一九八四年以来の両市の交流は、市の代表団の相互訪問をはじめ、都市計画、ゴミし尿処理、医療、ガス事業などの技術研修生受け入れ。経済貿易団体、医療施設、福祉保健、公園緑化、教育視察団の訪問、小学校提携、留学生交換、青少年スポーツ交流など。
提携一〇周年の九四年には、牡丹江市では「日本国・大津展」が、大津市では「牡丹江書画展」が開催され、水墨画五〇点が大津市に寄贈された。
二〇周年の〇四年には目片信大津市長ら代表団が牡丹江市を訪問している。(二〇〇八年九月・堀内正範)