「高年化時代のライフ・ステージ2」

高年期人生を送っている
高年者にとって納得がいく
「ライフ・ステージ」というのは、
前項に提案したように
「三つのステージによる五階層」 である。
「三つのステージ」というのは、
「青少年期」「中年期」「高年期」であり、
「五階層」というのは、そのうちの「高年期」を
「高年前期」「高年後期」「超高年期」の
三つに分けたものである。
「青少年期」自己形成期 ~24歳 3129万人
「中年期」社会参加期 25~49歳 4284万人
「高年前期」社会参加と自己実現期50~74歳 4157万人
「高年後期」自己実現期 75~84歳 995万人
「超高年期」余生期 85歳~ 305万人
(人口は「国勢調査」2005・10から)
この表を眺めてたちどころに、
高年層に厚く分類していることに気づいてほしい。
「高年期」をすごす立場からは
これで窮屈さがなくなるはずである。
いささか恣意的ではないかと反論するより
まずは素直にご自分の「ライフ・ステージ」と
重ねあわせて納得していただきたい。

高年化時代のライフ・ステージ

ふつうには
「ライフ・ステージ」というと、
「幼年期」「少年期」「青年期」
「壮年期」「老年期」
という五階層にわけて説明されている。
この五階層は、だれもが体験として
納得できる分け方として認められている。
しかし、史上にまれな状況とされる
「少子・高齢化時代」にあって、
社会の実情をつぶさに観察してみると、
上の「ライフ・ステージ」の分け方では
実情をうまく把握できない。
なぜといって、三つまでが「青少年期」で、
若年層に厚く片寄って分類されているからである。
そこで「日本高年化社会」を体現している
高年者の実情をよく観察した上で、
本稿が独自に採用することにした
「高年化時代のライフ・ステージ」を提示しよう。
次のような 「三つのステージによる五階層」 である。
「三つのステージ」というのは、
「青少年期」「中年期」「高年期」であり、
「五階層」というのは、そのうちの「高年期」を
「高年前期」「高年後期」「超高年期」の
三つに分けたものである。

[市立高年大学校]の時代

「平成の大合併」ののち
新自治体は地域発展のため
人材を育成せねばならない。
地域性を加味した講座をもつ
独自のカリキュラムを競いあうのが
公立の高等教育機関
「市立高年大学校」 であろう。
そのすみやかな設立なくして
地域の「高年化社会」は成立しない。
就学するのは50歳をすぎた
活動的な高年者層の人びとである。
老い先長い人生を「自分らしく」すごす
知識や技術を習得する。
必修となる科目は、
「地域の歴史と伝統」「地域の地勢と産物」
「予防医学」「法律知識・遺産と遺言状」
選択科目やクラブ活動には、
「陶芸」「盆栽」「仏像彫刻」「書道」
「囲碁・将棋」「俳句・川柳」
「短歌」「謡曲」「民謡」「ダンス」・・・
活動的な高年者が学びあう「市立高年大学校」は、
ひとりひとりに豊かな人生を、
そして地域には新しい暮らしの場と活力を創出し
新たな地場産業を起こす原動力となるだろう。

「平成の大合併」のシンボル

市町村合併のたびに
新自治体は地域の一体感をつくり
将来を担う人材を育成するために
学校を設けたのだった。
「明治の大合併」のときには、
わが村の尋常小学校が
合併のシンボルとなり、
子どもたちに新時代への夢を与えた。
その夢はいつしかお国のためとなり、
半世紀の後には覇権戦争へと
子どもたちを駆り立てていったのだったが。
「昭和の大合併」のときには、
わが町の新制中学校が
合併のシンボルとされた。
町立中学校を卒業すると、
子どもたちは地元に残るより都会へ出て
高度成長の担い手となったのだった。
さて 「平成の大合併」 で、新しい自治体は
何を教育のシンボルにしようとしているのか。
合併ごとのステップからいうと、
公立の高等教育機関である
「市立高年大学校」 のように推測される。
50歳をすぎて知識も経験も豊かな高年者が、
地域の発展のために就学する。

市町村合併と高年者参画

「平成の大合併」といわれた
全国規模の市町村合併は、
3200ほどあった自治体を
1800ほどにまとめて一段落した。
合併をすすめた総務省や県は、
その主な理由として、
「分権化の進展」「生活圏の広域化」とともに
「少子・高齢化」 の到来をあげている。
高齢者人口が30%を超えて、
医療費・福祉対策費が増える一方で
生産年齢人口が減少して税収が減り、
財政がきびしくなっていき、
小さな自治体では現在と同じ行政サービスが
保てなくなるというのである。
ではどうしたらいいのかという段になると、
具体的なものが示されていない。
シルバー人材センターの充実や生涯学習の振興、
退職者ボランティア活動などが進むであろうが、
新たな社会構造の創出というわけにはいかない。
「高齢化社会」の到来とともに、
「介護者」や「ひとり暮らしの老人]が増えることによる、
医療費・福祉対策費増を危惧するだけでなしに
知識も技術もある健丈な「高年者の参画」を掲げて
新たなしくみや施設や物産をつくり出していくことが
「特性ある地域の創出と発展」に必要になる。

多重標準の時代

「多重標準」というと、
デジタル化した情報機器を
まず思い起こすだろう。
機能を個別に分担しながら
発展してきた家電・情報機器が、
ちかごろは「多重標準搭載」として
機能を集約する方向にむかっている。
われわれの暮らし方もまた、
「多重標準搭載」つまり「多重標準の人生」を
受容することができてはじめて、
うまく暮らすことができるのではないか。
ひとつのテーマに多重の対応を準備する
という意味あいにおいて、
暮らしの場での「多重標準」のいくつかを提示してみよう。
「少子・若年化」社会と「高齢・成熟化」社会
「陽暦国際化」と「陰暦(農暦)地域化」
「常温型(エアコン)住宅」と「四季型(通風)住宅」
「職域ミドル化」(リストラ)と「職域シニア化」
「途上国マスプロ廉価品」と「国産手作り高級品」
「都市集中化」と「田園分散化」
「国家」同盟と「姉妹都市・友好都市」提携
「国語教育」充実と「バイリンガル(トリリンガル)」
「戦争」と「平和」・・・
この先のことは、 『多重標準の時代』(制作中)をみてほしい。

総人口が減少に

個人が実感できることではないが、
わが国の総人口が減少にむかうところにきているという。
統計には幅があるのであろうが、
1億2774万人あたりがピーク。
人口減少へむかうぶん高年者がもつ潜在力を活かすことで、
国民の総活力を維持することになるだろう。
そこで次の「高年者五歳階級」表をみてほしい。
・・・・・・
50~54歳 844・5万人 昭和27(1952)~昭和31(1956)
55~59歳1078・6万人 昭和22(1947)~昭和26(1951)
60~64歳 806・4万人 昭和17(1942)~昭和21(1946)
65~69歳 752・0万人 昭和12(1937)~昭和16(1941)
70~74歳 675・6万人 昭和 7(1932)~昭和11(1936)
75~79歳 535・4万人 昭和 2(1927)~昭和 6(1931)
80~84歳 360・3万人 大正11(1921)~大正15昭和元(1926)
85歳~   305・0万人 大正10(1921)~
・・・・・・
昭和生まれの50歳以上だけで4500万人を超えている。
知識も経験も豊かなこれだけの高年者層が、本来あるべき存在感を
示していないことに問題がある。
文化的にも経済的にも新たな社会構造の創出が課題で、
それを「昭和丈人層」がなしとげるにちがいないというのが、
ここでのゆるぎない洞察と確信なのである。

高年者用キャリッジ

高年者の運転ミスによる
交通事故への非難が起きているが、
高年者から車を奪うのではなく、
高年者むけの「安全な車」の導入と
高年者を保護する法規やマナーが
求められているのである。
大都市では街中の道路に
自動車道、自転車道、歩行者道(舗道)
といった3つの分離帯ができて、
歩行者や運転者にも使い分けが明確になり、
移動のためのまちづくり(基盤整備)がすすんでいる。
日常生活の足として自転車とともに自転車道を共用するのが、
高年者用キャリッジである 「高年者用電動車」 である。
自転車と違って止まっても倒れないし、
スピードも人が走る程度に制限され事故も起こさない。
値段がほどよく設定できて、
地域カーナビや地域商店情報機器が搭載されれば
「高年化時代」の乗り物として定着するだろう。
自動車、自転車、高年者用電動車、
わが家三代の主要自家用車である。
将来の有力輸出商品になるだろう。

高年文化圏

[実現目標2020]
のひとつである
「高年文化圏」というのは、
「人間五十年」を過ごして、それぞれに
わが道での事績を積んできた高年者が、
異なった成果をえた人びとと出会い、
人生に達意の高年者でなければ
味わえないレベルの理解を共有する場。
少し排除的にいえば、「利」を優先させずに
「文を以って会す」ような場。
青少年や中年の存在を気にせずに、高年者同士が
「文化を語って文化を生じる」ような場。
「学友」と「同僚」と「親族」の3点セットだけでは
高年期の人生を充足して送るには心もとない。
心躍る人生をめざして、「地域」や「関心のある分野」での
いくつかを加えた5つ~7つのわが「高年期文化圏」。
そこでの活動が、人生に厚みと多様性のある成果を
刻んでいくことになる。
お互いに存在を意識し合いながらも、
それぞれに自立した地域や分野別の「高年期文化圏」が多種多彩に、
大小の水玉模様のようにどこまでも広がり重なるとき、
豊かな 「日本高年文化圏」 が
総体として成り立つことになる。

四季型(通風)住宅

実現目標2020
+世紀の夢2100
である「わが家」について。
内向きで閉鎖的な
「常温型(エアコン)住宅」から、
外向きに開放的に「季節感」を取り込んだ
「四季型(通風)住宅」 が主体になる。
地域の高年層の人びとが工夫をこらして
庭や垣根やアプロ-チを外向的にしつらえて、
街空間の形成にも参加する
エアコン+通風の新和風住宅である。
家は可能であれば世代それぞれの
特徴をとりこんだプライバシー空間をもつ
「三世代同等住宅」を指向する。
そういう「わが家」が増えることによって、
三世代がそれぞれに内でも外でも暮らしやすい
家、家並み、街並みが姿を現わすことになる。
季節感をシャットアウトし、
地方性を見失った家並みに代わって、
新幹線の車窓から「おらが地方の四季」を謳歌する
地域特有の街並みの展開が楽しめるまでには、
世紀のプロジェクトとなるだろう。