◎新自治体に「地域大学校」を(1)
市町村合併を終えた新自治体のなかには、なお新住民の一体感の醸成に苦慮しているところもあると聞きます。これまでの合併の折りに、新自治体の一体感の醸成に寄与してきたのは教育機関・学校でした。
「明治の大合併」のときには、村立の「尋常小学校」が合併のシンボルとされ、創立以来100年を越えて子どもたちに郷土への親愛の思いと多くの夢を与えてきました(明治21=1888年~明治22=1889年。300~500戸の村に1校。7万1314町村が39市1万5820町村に)。
「昭和の大合併」のときには、町立の「新制中学校」が合併のシンボルとされて、子どもたちは卒業すると、地元に残るもののほかは都会へ出ていって高度成長の担い手となりました。(昭和28=1953~昭和31=1956年。約8000人の町に1校。9868市町村が3975市町村に)
さて「平成の大合併」で、新しい自治体は何を教育のシンボルにしようとしたでしょうか。財政難のもとでの合併協議の課題は、「地方分権」「生活圏の広域化」「少子・高齢化」でしたし、合併のステップからいうと人材教育については市立の「地域大学校」が推測されました。ただし「少子・高齢化」時代の教育対象としては、青少年ではなしに長い高齢期を地域で暮らす高年齢者であることも予測されました。すでに先進的な「高齢者大学校」の事例(兵庫県立の「いなみ野学園」など)がありましたから、将来の地域発展(再生・創生)のために活躍する人材を養成するために、地域性を加味したカリキュラムで構成する「地域大学校」が協議のなかで検討されても不思議ではなかったはずです。
が、「少子・高齢化」については、将来の「社会保障」サービスの低下への危惧が指摘され、生涯学習の充実とシルバー人材センターの拡充が当面の対応とされましたが、「まちづくり」のための高齢者の知識・技能養成機関の検討がなされた例を聞きません。総務省主導とはいえ、かつてのように文科省が参画しなかったゆえの「世紀最大の失政」と歴史家が指摘することになるでしょう。
「平成の大合併」といわれた全国規模の市町村合併協議は、平成18(2006)年3月に一段落しました。平成11(1999)年3月にあった3232の市(670)町(1994)村(568)は、平成18(2006)年3月には1821の市(777)町(846)村(198)になりました。合併特例法(新法)による県主導の第2ステージがその後も続いていますが、全国的な関心は遠のいていきました。
旧来の老人クラブと生涯学習ではとても求心力をつくれず、将来の姿も想像できませんし、潜在力のある高齢者のみなさんが、「まちづくり」のために新たな能力の発揮のしようもないのです。どうすべきであったか、あるべきかは、回を改めて論じます。
「s65+」ジャーナル 2011・7・5
堀内正範
姫路市好古学園大学校(4年制)
◎姫路市好古学園大学校(4年制)
○運営 姫路市交流振興局好古学園大学校
○所在地 〒670-0081 姫路市田寺東2-2-1
○連絡先 tel 079―297-3363 fax 079-297-7996
○創立 1970年8月に姫路市立老人大学好古学園として開校。2004年4月に名称変更。
○入学資格 60歳以上。市外の人にも門戸を開放。1学年600人。
○経費 授業料は徴収しない。市外の人は年額6000円。
○課目・学科 7学科 4年制。大学院 2年
園芸科 陶芸科 書道科 史学科 美術科 手芸科 音楽科
○専門講座
園芸科 庭木の手入れ、野菜園芸、果樹園芸、山野草・草花園芸、盆栽の手入れ、水石の観賞。 陶芸科 手捻り、成型、素焼、楽焼、硬焼、釉薬づくり、その他全般。
書道科 漢字・かなの古典臨書、創作及び鑑賞、実用書。 史学科 古代、中世、近世、現代に至る日本史及び世界史・地方史、民俗学。 美術科・洋画 油絵(デッサン、クロッキー、淡彩)木彫 彫刻と鑑賞。 手芸科 木目込み人形、押し絵、手編み、押し花、グラスアート等、手芸全般。 音楽科 歌唱、器楽(鍵盤ハーモニカ)、鑑賞、楽典。○クラブ活動 水彩画 民謡 詩吟 俳句 民踊 ダンス 川柳 カメラ 謡曲 華道 ハイキング ゲートボール 大正琴 囲碁・将棋
○卒業後のようす
○特徴・評価(堀内) 高齢者に生涯学習の場を提供し、知識や教養、技能を深めてもらうため。生きがいの創造 生涯学習の機会と場の提供 地域社会活動への参加(設立趣旨)。市外の人にも開放している。歴史の古く4年制なので、生きがいのための生涯学習の場となっている。2010年に「創立四十周年記念式典」をおこなった。自治体の施設としては全国の先駆けて開設した。
四字熟語 「左右逢源」
左右逢源 さゆうほうげん
考察を深く左に右におこなえば淵源にあるものを自得できるという。わかりやすくいえば、左岸を行っても右岸を行っても最後は同じ水源へたどり着けるというのが「左右逢源」である。めざす水源(目標)がひとつであれば、途中での手法の違いなどから生じる左右対立があっても、信頼の筋を失わずに経過するうちに、ともに最終目標に到達することが可能となる。
「左右逢源」という四字熟語に、「東日本大震災」の復興という目標にむかう政界諸党派の姿が重なる。立場はちがっても、最良の方途をともに模索しながら一丸となって対処する争いなら国民は安心していられる。
ところが「逢源」の大義がみえず、「同室操戈(同室で武具をあやつる)」とでもいった抗争の姿をみるのはつらい。「一定のめど」でやめると誓約した首相は、なんと「四国お遍路」にといった。身軽になったら東北の被災地に向かうというのが、「左右逢源」を貫く指導者の発言というものだ。
『孟子「離婁章句下」』から
『日本と中国』 「四字熟語ものがたり」2011・6・25号
堀内正範 ジャーナリスト
丈人論-「強い高齢社会」へのしくみづくり<1>-
◎内閣府に「高齢社会対策担当大臣」(専任)を
国際的にも注目されるわが国の「本格的な高齢社会」(高齢者が安心して暮らせる社会)を推進するには、まず国のしくみとして内閣府に「高齢社会対策担当大臣」がおり、省庁を統括して結ぶ太い動線が整っている必要があります。
内閣が代わるごとに総理大臣によって各大臣が任命され、官邸への呼びこみ、辞令交付、そして記者会見、このところ見慣れた光景になりました。そのうちの「内閣府特命担当大臣」には兼務で政策がふりわけられます。「少子化対策」も「高齢社会対策」も、ともに省庁を越えた重要課題です。「少子化対策担当」には辞令が出て記者会見の折り意見を聞かれますが、「高齢社会対策担当」は発表されないため注目されず、だれが担当かわからないのです。
平成7(1995)年に「高齢社会対策基本法」が成立して15年、毎年出されている『高齢社会白書』(内閣府)をみますと、最近では閣議決定時での担当大臣が野田聖子、福島みずほ、そして蓮舫大臣となっています。この顔ぶれからも、合わせて担当する「少子化対策」などに重点をおいた人選であることが推測されます。今回は「少子化対策」が与謝野馨大臣の兼務となり、少子化対策を除く「共生社会政策」が蓮舫大臣となりました。したがって「高齢社会対策担当大臣」は蓮舫議員なのです。
6月7日(火。9:52~10:00。第4合同庁舎会見室)の記者会見で、蓮舫大臣は閣議決定したばかりの「高齢社会白書」と「子ども・若者白書」の報告をしました。が、折りから記者の質問は大連立や総理の早期退陣といった政局問題に終始し、ふたつの白書への質問はなかったようです。「高齢社会白書」の閣議決定の記事さえ出なかった新聞もあるといいます。
こんなことでいいわけありません。
蓮舫議員が「内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、行政刷新)」として少子化を除く「共生社会政策」を担当し、「内閣府政策統括官(共生社会政策担当)」は村木厚子さん。そのもとに「高齢社会対策担当」参事官の小林洋子さん。若い政策調査員がいますが、「仕事と生活の調和推進室」と兼務だったりしますから、内閣府に省庁を結ぶ太い動線が整っているとはいえません。
「国及び公共団体はもとより、企業、地域社会、家庭及び個人」の相互の協力のもとに、「雇用、年金、医療、福祉、教育、社会参加、生活環境等にかかわる社会システム」を不断に見直し、適切なものとしていく(基本法の前文)ためには、専任の大臣がいて当然の時期なのです。
まずは組閣時に「内閣府特命担当大臣(高齢社会政策担当)」の辞令を、そして専任大臣を。それを実現できるのは、長く着実に経緯を見据えてきた高連協(高齢社会NGO連携協議会)などに参加する組織や専門学者のリーダーシップであり、分厚い高齢者層の人びとの熱い支援です。
「S65+」ジャーナル 2011・6・25
堀内正範
「原発シニア隊」(福島原発暴発阻止プロジェクト)
「現役世代よりもわれわれが」という思いからの行動である。6月16日(木)に参議院議員会館の一室に集まった80人ほどの高齢者。福島原発での被ばくを覚悟したうえでの現場作業を申し出た「原発シニア隊」(福島原発暴発阻止プロジェクト)のみなさんである。
呼びかけたのは山田恭暉(やすてる。72。株式会社ニュークリエイト)さん。かつて60年安保を経験し、その後、企業のエンジニアとしてすごした。60歳以上で体力・経験のある人という参加条件で志願者を募ったところ、300人を超える同調者をえた。心意気だけで参加できるわけではない。即戦力の技術・経験の裏付けがいる。
参加者から「これは戦争」という発言もあって、海外メデイアからは「suicide corps」や「自組敢死隊」という評価もみられるが、「神風特攻隊のような無謀なことはしない、安全に帰ってくることが課題」と山田さんはいう。かなり汚染された環境でのしごとが必要になる。東芝の原発技術者であった折井祥一(68)さんは、「つくったものに責任があるというエンジニアリングシップ」から参加を決めた。家族も納得しているところがいい。
このニュースは6月19日「テレビ朝日」からだが、今後ニュースになることは少ないだろう。福島原発の過酷な現場に、覚悟を固めた高齢技術者の営為(エンジニアシップ)が加わったことを見落とすわけにはいかない。
四字熟語 「伯楽相馬」
伯楽相馬 はくらくそうま
オルフェーヴルが圧倒的な強さで日本ダービーを制した。競馬をみてもわかるように、馬の個性はさまざま。伯楽(孫陽。春秋時代の秦の人)は馬の良否を見分ける名人だった。「相馬」してすぐれた千里馬を見出した。「相」はくわしく観察すること。「相馬」は馬の特徴を見分けること。
「世に伯楽あり、然る後に千里馬あり。千里馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」は有名な唐代の韓愈のことばだが、伯楽のような具眼の士によって次代の人材が発掘される。
南相馬市の千年行事である「相馬野馬追」の馬も被災した。津波にさらわれたり、放れ駒になった馬もあったという。会場は屋内退避区域(福島原発から二〇~三〇キロ域)にあり、被災者供養のためにもという声もあるが、例年の七月開催が危ぶまれる。失われた家畜やペットも多い。
「伯楽一顧」というのは、伯楽が近く寄って去りながら顧みた馬は、次の日に値が三倍に跳ね上がったということからいわれる。
韓愈「為人求薦書」から。
『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・6・15 号
堀内正範 ジャーナリスト
四字熟語 「決勝千里」
決勝千里 けっしょうせんり
米海軍特殊部隊による「ジェロニモ」作戦によって、パキスタンの隠れ家でオサマ・ビンラディンは死亡した。この作戦をオバマ大統領はワシントンの指揮室で見ていた。直接指揮したわけではないが、これで支持率が上がったという。
千里も離れた遠方での戦局を指揮して勝利することを「決勝千里」という。漢の劉邦は宿敵楚の項羽を破って皇帝に推された時、諸侯を集めて洛陽で宴を張った。その席で三人の臣下をほめ上げたのである。
まず帷幄のなかにいて戦略を立てて千里先での勝利を見通す戦略家としての張良。次に財政を安定させ軍兵への糧道を絶たない蕭何。そして攻める城は必ず落とす用兵に巧みな韓信。自分より優れている能力をもつ三人を用いることで天下がとれたのだと諸侯の前でほめ上げたのである。
こういう傑出した臣下三人を「人中三傑」というが、自分よりも能力が優れた部下がいたから天下がとれたのだといえる大将もさすがである。
『史記「高祖本紀」』から。
『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・6・5号
堀内正範 ジャーナリスト
四字熟語 「一言九鼎」
一言九鼎 いちげんきゅうてい
トップリーダーである人の発言が軽すぎはしないか。仔細に配慮して心に響くことばによって安心を与えて国民を鼓舞するのが務めであり、その逆に混乱を増幅するようでは資格を問われることになろう。
「一言九鼎」という。一言が国家の宝器である九鼎の重みにも当たるという意味で、とくに将相たるものはそれだけの決定的な影響力を持つことを常に心底にとどめて発言しなければならないというのである。
「鼎」は三足をもつ器で、宗廟への供えものを盛ることから礼器となり、さらに青銅製の鼎は古代王朝の王権の証とされた。いまでも「問鼎軽重」(鼎の軽重を問う)というと、大きなしごとをこなすだけの実力の有無を問われる場面で使われている。「九鼎」は九州(全土のこと)から集めた青銅によって鋳造された鼎。質実ともにいかにも重い。
宰相にはそれだけの表現力が求められ、「九鼎」のような質実のあることばを吐露できる人物でなければ責務に耐えないのである。
『史記「平原君列伝」』より
『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・5・25号
堀内正範 ジャーナリスト
四字熟語 「春山如笑」
春山如笑 しゅんざんじょしょう
季節の変化の気配を鋭く捉えてきた先人の感性は俳句の季語に多く見ることができる。春の季語に「山笑う」があって、子規にも「故郷やどちらを見ても山笑う」の句がある。春山を巧みに表現するこの季語は「春山如笑」が典拠である。
冬のあいだ睡っていた山が春の訪れを察知して動き出す。木々の芽がそれぞれいっせいに際立ってくると、山全体が日また一日とはなやいで「春山如笑」といった姿になる。山がひとまわり大きく見える。人の心もおおらかになる。
北宋時代の画家郭煕の「山水訓」には「春山澹冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして妝うが如く、冬山惨淡にして睡るが如し」とあって、四季の山の変化を巧みに表現している。
「夏山如滴」(山滴る)も「秋山如妝」(山妝う)も「冬山如睡」(山睡る)も、どれもみなそれぞれに味わいがある四字熟語だが、ひとつ選ぶとなると、やはり「山笑う」のもととなった「春山如笑」となるだろう。
宋・郭煕「山水訓」から
『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・5・5号
堀内正範 ジャーナリスト
丈人論-「強い社会保障」とともに「強い高齢社会」を<4>ー
◎「平和団塊」の人びとへの期待
6月2日、「菅内閣不信任決議案」の採決直前の民主党代議士会で、管直人首相は「一定のめどがついた段階で若い世代のみなさんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」といい、辞任後には「お遍路」をとまでいったのには、高齢者のみなさんは二重にあきれたにちがいありません。
首相であることの何よりの責務は、震災後にみずからが何かを成し遂げることではなく、政界をあげて国難に当たる体制をつくることにあります。それを求める国民の声に応え得なかったことに責任があるのです。また発言にみるとおり、同世代や先輩に力不足を謝して去るのではなく、「世代交代」をということで仲間の信頼を失うことになります。もうひとつ、首相を辞したら「お遍路に」ではなく、「単身でも被災地に」というのが筋というものでしょう。
菅氏は昭和21(1946)年10月10日生まれですから、「団塊の世代」(昭和22~24年生まれ、約700万人)には入っていませんが、しかし戦後生まれの政治家のひとりです。昭和22年には鳩山由起夫、23年には赤松広隆・舛添要一、24年には海江田万里、25年には塩崎恭久氏などがいます。
この戦後生まれ世代(本稿では昭和21~25年生まれを「平和団塊」と呼んでいます。約1000万人)をさし置いてなぜ若い世代に引き継がせようとするのでしょう。少人数の知名な方で代表させていただいて申し訳ありませんが、昭和21(1946)年には市川團十郎(俳優)、田淵幸一(野球)、猪瀬直樹(作家)さん、22年にはビートたけし(タレント)、尾崎将司(ゴルフ)、中原誠(将棋)、北方謙三(作家)、西田敏行(俳優)、池田理代子(劇画)さん、23年には高橋三千綱(作家)、五木ひろし(歌手)、上野千鶴子(女性学)、井上陽水(歌手)、森下洋子(バレエ)さん、24年には村上春樹(作家)、武田鉄矢(歌手)、高橋伴明(映画監督)、矢沢栄吉(歌手)さん、25年には舘ひろし(俳優)、和田あき子(歌手)、坂東玉三郎(俳優)、姜 尚中(政治学)、八代亜紀(歌手)さんなどなど。知識も技術も芸域も充実して、実力に誇りをもって「熟年期」を謳歌し、「高齢化する社会」の可能性を体現している人びとがいます。
この60歳代になった約1000万人の「平和団塊」のみなさんは、先の戦争の惨禍のあと、ご両親によって平和裏に生きることを託されて育ち、先輩とともに復興・先進国入りを成し遂げ、わが国の「平和時代」の証となる「高齢社会」の体現者として暮らしています。それは先人が願いとした「日本国憲法」の平和主義とともにふたつながら平和の証であり、国家百年の計として21世紀の日本を輝かせる歴史的モニュメントなのです。「日本高齢社会」の形成は、そのプロセスを含めて国際的にも注目され達成が期待されています。「世代交代」をいう菅直人氏は、みずからの世代の役割をあまりにも知らなさすぎるのです。
「S65+」ジャーナル 2011・6・15
堀内正範