友好都市・人物の絆-風雲流離のひと郭沫若

風雲流離のひと郭沫若

市川市と楽山市(四川省)

激動の革命期を乗り切った一九五五年、郭沫若(中国学術文化使節団団長)は、かつて亡命して一○年をすごした市川市須和田に残る旧居を訪れた。近隣の人びとの変わらない情愛に触れ、ありし日の姿を懐かしみ、身を死地に処する覚悟で去った日を、
「ひそかに思うに我は帰るを得で あるいはこの地に葬らるる身とならむか」(長詩「別須和田」)
と万感の思いをこめて想起する。

郭沫若は、一九一四年に日本に留学した。一五年から第六高等学校医科(岡山市)にまなび、その間に安娜(佐藤富子)と同棲した。二三年には九州帝国大学医学部(現在の九州大学医学部)を卒業して帰国したが、難聴が理由で医学を捨てて、文学の改革や政治活動の道をたどることとなった。
そして二八年に国民党政権に追われて家族とともに日本へ亡命する。上海時代の知人村松梢風に紹介されて仮寓の地となったのが、東京と川ひとつ隔てた市川だった。憲兵や刑事が常に監視の目を光らせる中での滞在であった。

異郷の地の「斗室」(小さな室)に篭ってまとめあげた『中国古代社会の研究』など三部作は、唯物弁証法による方法論と堅実な分析が中国古代史を読み解く実践的手法を示すこととなり、上海で出版されると知識層の支持を得た。
しかし時代はなおも暗転する。
三七年七月七日に華北で事変(盧溝橋事件)が勃発したのである。国家と民族が危機に瀕している、一身を顧みていられようか?
七月二五日の早暁、郭沫若は心を鬼にした。妻の安娜、和夫、博そして末っ子の志鴻まで五人の子に置き手紙をしたためて、市川の家を出た――。

郭沫若のふるさと楽山市と亡命の地であった市川市を繋いだのは、長男の郭和夫氏だった。七九年六月に市川市を訪れた際に、友好都市提携の希望を聞き、帰国したのち、郭沫若の生誕の地である楽山市を推薦した。
八〇年四月には、市川市議会議員訪中団が楽山市を訪れて、市川市長の親書を手渡し、提携の意向を伝えた。両市の友好都市提携の調印は、八一年一〇月二一日に、楽山市友好代表団を市川市に迎えて、薛万才市長と高橋国雄市長によって行われた。

楽山市は、四川省中央部にあって、長江水系の三つの河が合流する地点にあり、成都や重慶を結ぶ交通の要衝として栄えた。「峨眉山と楽山大仏」はよく知られた世界遺産である。峨眉山は仏教聖地で万仏頂は標高三〇〇〇メートル余。途中に明代以後建立の寺院が残る。楽山大仏は八〇三年に完成した磨崖仏で、像高五九メートル余は残存する磨崖石仏では最大である。楽山市の人口は約三五〇万人。沙湾という、大渡河に臨み峨眉山を望む町が、郭沫若のふるさとである。

主な友好交流としては、川劇・民族歌舞団の公演、レッサーパンダの贈呈、梨栽培や都市建設技術研修生の受け入れ、「中日友誼学校」(沙湾区)の建設、毎年交互に行われる高校生の親善使節などがある。
市川市は、万葉集の真間の手児奈で知られる。近年は都心に近く東郊の風光明媚な地として文人に愛されて、北原白秋、幸田露伴、永井荷風なども暮らした。人口は四五万。

二〇〇一年の二〇周年には「郭沫若写真展」を開催、〇四年の市制七〇周年を記念して、市川市は「別須和田」詩碑(郭沫若の自筆・六七年に建立)と旧居を移築した「郭沫若公園」を開設した。(二〇〇八年九月・堀内正範)

四字熟語-声振林木 

せいしんりんぼく

「声は林木を振るわす」というのは、歌声があたりに響くと同時に聴く者の心を振るわせるようすをいう。現代の「声振林木」といえば、暮歳の夜の街の並木の梢を飾る電飾を振るわす聖歌が、行く年を元気づけ、来る年に期待する光景といったところだろうか。

秦の声楽家であった薛譚は、歌を秦青に学んだ。まだ師の技能を窮めなかったのにすでに学び尽くしたと思い、辞し去ることを申し出た。秦青はことばで止めず、街外れまで送って、手拍子をうち悲しみの心をこめて別れの歌を歌った。
声は林木を振るわせ、響きは行く雲をとどめたという。類まれな絶唱である。薛譚はあやまちを知り、謝して留まることを求め、その後は終身去ることを口にしなかったという。

人の心を深く打つ歌の力を伝えることばである。歌は子守唄から屋外のライブまでいつでもどこでも人生に力を与えてくれる。欧米で人気の由紀さおりさんのスキャットも林木を振るわせる美しい音色である。 

『列子・湯問』から

四字熟語-各有千秋

かくゆうせんしゅう

「千秋」は千年のこと。「各(おのおの)に千秋有り」というのは、ひとつひとつの物事あるいはひとりひとりの人生にはそれぞれ久遠の流伝があると理解すること。なにごとも探っていくと遠い淵源にたどりつく。

漢の李陵の「与蘇武三首」には、それぞれ天の一隅にあってもはや友人として再び遇えない「三載(三年)は千秋となる」と、重い「千秋」が詠われている。李白や杜甫の「千古絶唱」というべき詩などは時代が明解で、「名流各有千秋あり」ということになる。無名であるわたしたちの人生も、それぞれ千年の来歴をたどりながら現在がある。
三国時代の英傑、曹操・劉備・孫権の違いを「各有千秋」というなどは語感として素直に理解できる。

 しかし現代漢語としては「各有千秋」の意味は軽い。存在価値の違いあるいは特徴や特色ほどの意味合いで軽く広く使われている。こそどろの手法の違いや中年女性の短髪の特徴、車の外観の特色なども「各有千秋」なのである。

趙翼「瓯北誌鈔・絶句」など

丈人論-第1回「エキスポS65+」が開催される<1> 

◎わが国初のシニアの祭典「エキスポS65+」

元気シニアを対象とするわが国初の総合イベント「エキスポS65+」は、幕張メッセを会場として、11月15・16・17日の3日間、開催されました。

11月15日朝、晩秋の明るい陽ざしのなかを、ご夫婦で、グループで、お一人で会場へ急ぐ元気シニアのみなさんの姿がありました。幕張メッセまでの道のりを遠しとせず、各地から来場した高齢者のみなさんの参加によって、「エキスポS65+」は、1999年の「国際高齢者年」以来初めて、高齢先進国・日本の高齢者から、世界のそしてこれから高齢者になる人びとへの「日本高齢社会」形成にむけた具体的なメッセージとなりました。

初日10時からの開会式では、当イベント開催に強い期待を寄せる野田総理からの祝辞が披露されました。「団塊世代」が高齢者(65歳)に達する来年を前にして、10年ぶりに「高齢社会対策大綱」の見直しに着手し、検討にあたって総理が「高齢者の消費をどう活性化していくのか」を基本的な視点に加えるよう指示したことは前回に述べたとおりです。

開会式で披露された各界の方々からの祝辞を紹介しますと、ことし100歳になられた日野原(重明)さんは「75歳以上の高齢者(新老人)が今までやったことのないことに挑戦する」意義を述べられ、米寿の経済人品川(正治)さんは「悲惨な戦争を体験した国民として平和の尊さを次世代に伝承する」願いを訴えられ、学者の小宮山(宏)さんは「高齢社会のモデルをつくることが世界史的な貢献」と目標を示され、高連協両代表である樋口(恵子)さんは「人生100年の初代として力を尽くそう」と呼びかけ、堀田(力)さんは「この祭典が自分の生き方の道案内となること」に期待をかけておられます。これらは本イベントの指針として活かされることになるでしょう。

ひと足先に9時30分に開場した展示エリアでは、すでに来場者と出展社の若い社員とのやりとりで賑わっています。10時30分からはジャーナリスト鳥越(俊太郎)さんの基調講演「歳には、勝てる」、昭和女子大学長坂東(真理子)さんの「さびない人生」、俳人大串(章)さんの「秋の俳句を味わう」と3ステージに分かれて、語りあう広場「フォーラム」が始まりました。

わが国の高齢者が持つすぐれた知識、技術、健康そして資産がみずからのシニアライフに活かされることで、「日本高齢社会」は豊かな内容をもつことになります。そのための「エキスポS65+」が将来にむけて出立できたことを、開催に力を尽くした主催関係のみなさん、出展社、講演・出演者、ウオーク支援者そして趣旨に賛同して訪れたすべての来場者のみなさんとともに心から祝いたいと思います。

それとともに、さらに多くの高齢者に本イベントの趣旨が知られて、力を合わせて苗を穂とし、穂を実としていくよう努めることが何より大切であることを、会場のざわめきの中にいて強く感じたのでした。(次は12月5日)

「S65+」カンファレンス・スーパーバイザー
堀内正範

本の出版 警世の書 現代の「立正安国論」として 『丈人のススメ 日本型高齢社会 -「平和団塊」が国難を救う-』

堀内正範による新著

丈人のススメ 日本型高齢社会 -「平和団塊」が国難を救う-
256ページ  1500円(税別)  2010・7・1発行
武田ランダムハウスジャパン 03-5256-5691
堀内正範による新著 『丈人のススメ 日本型高齢社会 -「平和団塊」が国難を救う-』
「 丈人のススメ 」を購入する
ここには直接「日蓮」の教えを説いてはいない。
終章「高齢社会」ではこう生きたらどうだろう の文中で、
「人ことごとく悪に帰す」という 『立正安国論』 の時代認識を借りて、
750年後の現代日本の世相を考証している。
街談巷議の関心が「シラジラしい善意よりもドスグロい悪意にある」
(売れるが勝ち)として、悪意、悲惨、狂気に満ちた情報を追いかけている
マスコミへの批判を込めた文脈で援用している。
そのうえ襲った3・11大震災と放射能汚染。
この「天災人禍」を合わせた国難を克服するには
日蓮の国難救済への信念に学ばねばという 覚悟から、
[ 現代の「立正安国論」として ] という旗幟を掲げた。
目次
はじめに
* 健丈な高齢者を重視する社会へ
世代交代が声高に叫ばれて
元気なら「みずから生きよ」が国の政策
「国際高齢者年十周年」の成果不在
序章 「高齢社会」ではどう生きたらいいのだろう
* 「高齢化率」二二%は世界最速・最高
「超高齢社会」がふつうの社会
「高齢社会」をみずからの問題として
「社会の高年化」を体現する
* 高年化時代の五つのステージ
「いさぎよい隠退」への異議
高年期のライフ・サイクル
「五つステージ」が人生の舞台
第一章Ⅰ まずは「家庭内の高年化」からはじめねば
* 「マイホーム中心」の時代
マイホームに「マイ」がない
「ツカエナイ親!」とはなんだ
「貯蓄ゼロの日」へのカウント・ダウン
* 専用品をつなぐ暮らしの動線
「マイ・チェア」即座の効用
「高年化コア(核)用品」の候補たち
家庭内の高年化」自己認定
* 近居より「三世代同等同居」が未来型
娘世帯が「実家」へUターン
「暮らしの知恵」を孫に伝える
「三世代同等同居型」住宅をつくる
*  熟成期を共有する「シニア文化圏」
「シニア文化圏」というのは
「語られるシニア文化」の内容
多種多彩な「シニア文化圏」
第一章Ⅱ 暮らしにうるおいをもたらす国産優良品
* 家庭用品の「途上国化」
暮らしの「途上国化」が一気にすすむ
アジア諸国の「日本化」と日本の「途上国化」
「国産優良品」の持つうるおい
* 「足踏み」して待つ熟練高年技術者
生涯現役の跡継ぎ二世の苦悩
「ほどほどの赤字人生」が男子の美学
「待ち受け状況」(閉塞状況)に耐える
* 「高年化国産優良品」の開発に活路
「国産品モニター」としての高年者
「高年化製品経済圏」が日本経済を上支え
「人生の夢、日本の夢」
*  「造る者」と「使う者」の出会い
「シニア用品展示会」の開催
「(仮)日本シニア用品展示会」構想
「(仮)地方シニア用品展示会」への展開
第二章 社員・社友はどこまで企業を守れるのだろう
*  九割中流社会の実現と崩壊
「維新期」「戦後期」「新世紀」の三つの変革期
九割が「中流と感じる社会」を実現
「日本経済の萎縮」をもたらす要因
* 「日本型企業」の特徴と見直し
「日本型企業」の特徴と優越性
「アメリカ型マネジメント」の旋風
持続可能な企業形態につくり直す
* 高年技術者の社内温存
社内に「モラル・ハザード」が広がる
「パラレル・キャリア指向」の有用性
「熟年高年社員・社友」の社内温存
* わが社が誇る「高年化優良品」
「わが社製品の高年化」を試みる
「職場の高年化」が「高年化製品」の基礎
「泉眼型の中小企業」に期待
* 世紀初頭に「第三の立国開化」
「社内ミドル化」と「社内シニア化」を両立
「SWIT型会議」が新・日本型マネジメント
「和の絆」(愛社意識)を組み込む
第三章Ⅰ 日本再生のヒントは「地域の四季」にある
* 地域特性と季節感
「双暦」に慣れる暮らし
高年期は「二五年・百季人生」に
「季節小物」の季節替え
* 「一年」とともに「四季」を折節の基本に
「自作五句」を自己選定
「八方時刻」を使いならす
「祭事・歳事・催事」に参加する
*  時節の変化を楽しむ暮らしの知恵
「倉持家の蔵の中」を覗く
「季節和装」が衣の趣向
「旬菜料理」と「口楽文化」
* 「四季型(通風)住宅」への回帰
「常春型(エアコン)」より「四季型(通風)」へ
「地域の四季」を演出する庭づくり
「外向的街並み」を実現する
第三章Ⅱ 「地域特性のあるまち」に住まう
* わがまちの「高年化地産品」
「日本的よき均等性」の成果
わがまちの「地域特性」を掘り起こす
熟練の手ざわり「高年化地産品」
* ふるさとを代表する「地域シニア会議」
「地域特性のあるまち」にするために
ふるさとの大地を踏み鳴らす
「地域シニア会議」と「地域三世代会議」
* 中心街は「モノと暮らしの情報源」
地域の中心街がシャッター通りに
失われる「地域の顔」
特性を際立たせる活性化
* 買い物と遊歩を楽しむ「四季型中心街」
歩行生活圏の中心に「買い物+遊歩空間」
「地域の四季」を組み込む演出
「三世代四季型中心街」をつくる
第四章  「官僚主導」で軽視されてきた健丈高齢者
* 高齢者は「社会の被扶養者」でいいのか
高齢者を「社会の被扶養者」と位置づける
「高齢化特任大臣」を置けない内閣府
「ユニバーサル・デザイン型」人生への異議
* 「次世代育成支援」に祖父母は不要なのか
「総人口減少」がはじまる
家族総出の子育てが基本
子育て支援の「都市型」と「地方型」
* 「合併新市」はシニア住民の参画を得たか
「平成の大合併」は終わりが始まり
生活圏の広域化と地域化
シニア住民が参画する場所
* 地域の人材養成は「(仮)地域シニア大学校」で
合併の大義は「地域を愛する人材」の養成
「新市の求心力」をどうつくるか
公立の「(仮)地域シニア大学校」
第五章 日本シニアだからできる国際貢献
* 「国際高齢者年十周年」の日本
二〇〇九年は「国際高齢者年十周年」
「高齢者のための国連五原則」
先駆的自治体の「高齢者憲章」
* 平和の証としての「日本国憲法」と「日本高齢社会」
平和と非暴力による「文明間の対話」
世界に誇れる「ふたつの平和の証」
国際平和の下で「憲法施行一〇〇周年」を祝う
終章 「高齢社会」ではこう生きたらどうだろう
* いらない高齢者にならないために
高年化活動への三つの契機
「高年者意識」を立てること
「職域と地域の高年化」の活動
* 高年期の人生を支える力
「日本列島総不況」と「老人力」
「日本高齢社会」と「丈人力」
「老化モデル」と「丈人モデル」
* 「三世代同等型」社会を意識する
「青少年期」(~二四歳)には国際力を養う
「中年期」(二五~四九歳)には「八面六臂」の活躍
「高年前期」(五〇歳代)は「パラレル・ライフ」
* 「時めき人生」と「意のまま人生」
「六〇歳~」は「時めき人生」
「高年後期」(七五歳~)は「意のまま人生」
全人標準としての「日本高齢社会」
おわりに
* 二〇〇〇年遡行の旅
「初志」というよりは「夢」として
日中交流の原点に立って
近・現代の日中交流
* 年たけてまた越ゆべきもの
綺羅星のごとき人びと
年たけてまた越ゆべきもの
本書目次止  本文254ページ
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2010年8月15日のメッセージ
増税(消費税)より前に、社会参画(高齢社会)構想を!!
高齢期を迎えているみなさん、この国は高齢者が暮らしやすい『日本型高齢社会』へ向かっていますか?

ごあいさつ

「平和憲法」と「高齢社会」
2010年8月15日、65回目の終戦記念日を迎えました。前世紀に全世界を巻き込んだ戦争の記憶を、「恐怖の体験」として持つ人びとは65歳より上になりました。「戴白の老も干戈をみず」(髪の白くなった老人も戦争を知らない)という長い平和の時期が、先人の受けた戦禍によってもたらされたことを知らなくては、平和の意味は見失われます。「平和国家」の達成は、大戦の終結とともに国民が選び、世界に誓った「百年の大計」です。
その証は、旗幟のように掲げる「平和憲法」と、日また一日の事実として平和裏に形成する「高齢社会」です。高齢者が安心して暮らすことができ、後人から敬愛を受け、「尊厳」を持って人生を生き抜くことができる社会が、国際的に誇れる「平和の証」の姿です。先人(両親)から託されたこのふたつを輝かせつづけるのは、65年目の今を生きるわれわれのほかにありません。

世界最初の「本格的な高齢社会」を迎えて

ご承知のように、わが国は「世界最速」で高齢化が進んで、世界最初の「本格的な高齢社会」(国際基準・65歳以上の高齢者が21%を超える)を迎えています。にもかかわらず、高齢者(ここでは50歳以上の約5000万人)の存在感が乏しいのはなぜなのでしょうか。理由は、われわれが体現者としての意識をもって高齢期を暮らしやすい「本格的な高齢社会」の創出へと向かっていないからですが、何よりその前提となるはずの政治リーダーによる将来構想がなく、論を張る学者の声は弱く、ジャーナリズムの警鐘も鳴らないのでは、高齢者層から世論の湧きようがありません。

「政不在」ゆえの「官主導」

「官僚主導から政治(国民)主導へ」を掲げて政権党となった民主党に期待があつまっていますが、官僚を攻めたてて事業仕分けをする前に、「政治不在」ゆえの「官僚主導」であったことをまず自省すべきでしょう。政治リーダーに「高齢社会構想」がなかったゆえに、官僚による高齢化対策は、財政難のなかでは「社会保障」が精一杯でした。増えつづける健丈な高齢者に対しては、単純化していえば「元気ならみずから生きよ」として軽視・黙止してきたというのが経緯としての事実です。
その証として、内閣府は「少子化」には「少子化担当特命大臣」を置いて対処しても、「高齢化」に対しては専任の「高齢化担当特命大臣」を置くことができないでいます。これでは「本格的な高齢社会」対策の打ちようがありません。

「二世代+α型」から「三世代同等型」社会へ

国の将来にかかわるテーマで論議をつくすべき参院選後の国会でも、「消費税」と「政治とカネ」が中心で、基本となる「少子・高齢化社会」を論じることはありませんでした。政権党となった民主党の「マニフェスト」には「本格的な高齢社会」についての構想がなく、高齢化政策はいぜんとして医療、介護、福祉といった「社会保障」の範囲にとどまっています。菅首相が掲げる「強い社会保障」も2割ほどの高齢弱者を対象とする「二世代+α型」の施策であり、「青少年」「中年」「高年」が等しく参画する「三世代同等型」社会への視点を欠いています。この「政治不在」が問題です。
5000万人の高齢者層が参画することで達成する「日本型高齢社会」が経済・財政再建の契機であり、「三世代同等型」社会にむかう将来構想を示すことが、誰より国を憂慮する政治リーダーの役目でしょう。各政党に対して、「少子・高齢化社会」構想を提案し、国民の前で議論することを要請しましょう。

「平和団塊」の人びとの参画に期待

いまや先の世界大戦のあと1946~50年に生まれた「平和団塊の世代」(約1000万人)の人びとが還暦・定年の時期を迎えて、「高齢社会」形成の側に加わりつつあります。しごとを続けるにせよ、引退ぐらしをするにせよ、保持している知力、技術力、気力、資力を渋滞させず、萎えさせずに暮らすこと。これは当事者である「国民」の側にとっての問題です。
いま全国に水玉模様のように広がっている「高齢化活動」の力を集積する牙城のひとつとして、ここに「日本丈人の会」(個人参加)と「日本丈風の会」(団体参加)を立ち上げます。ぜひご参加ください。
黙してひっぺがされる(消費税)より、まず動いて参画(高齢化活動)です。
2010・8・15 記  堀内正範   南九十九里にて

四字熟語-胸有成竹

きょうゆうせいちく

竹は竹かんむりの字が多いことからも、さまざまな用途をもった植物として親しまれてきたことがわかる。まず筆がそうだし、竿、箒、箸、箱、籠、笛、笠、節や筋もそうである。また竹はそのたたずまいを愛されて、詩画としても数多くの名品が残されている。

北宋時代の四川に文与可という竹の画に秀でた人がいた。ことのほか窓外の竹を愛でて、春秋、朝夕、晴雨といった自然の変化の中での竹を仔細に観察して描いた。同時代の文学者晁補之は「胸中に成竹あり」と称賛している。描く前に画が胸中に完成しているのだから上手なはずである。

ことをなす前にすでに胸中にしっかりした結果が見えている(成算がある)例として用いられる。
折りしもTPPへの加入問題に対する野田首相の態度について、「人民網」は「賭博かそれとも胸有成竹?」の見出しを付けた。賭博ということはないだろうが、といって国民を納得させる「成竹」が胸中に描けているのかどうか。 

晁補之『鶏肋集・八』から

四字熟語-邯鄲学歩

かんたんがくほ

いま若者は都ぶりをどこで学ぶのだろう。原宿か青山あたりだろうか。

ひとりの若者が都ぶりの歩き方を学ぼうとして、北国燕のいなかから趙の都邯鄲にやってきた。「邯鄲に歩を学ぶ」である。しばらく努めてはみたもののサマにならない。あきらめて故郷へ帰ろうとしたが、元の歩き方を忘れてしまって歩けない。そこで這って帰るしかなかった‥。

あこがれて都会へ出たものの挫折して故郷に帰る。しかし故郷でも受け入れられなくなる例もある。
古くから中原の古都であった邯鄲市にちなむ成語は一五〇〇余もあって「成語典故の郷」と称している。市内に「趙台」や「成語典故苑」を設けて彫像や碑文に託して展覧している。よく知られるものに「刎頸之交」「完璧帰趙」「奇貨可居」「背水一戦」「黄粱一睡(邯鄲之夢)」それにこの「邯鄲学歩」も。いまも明代の遺構を伝える石づくりの「学歩橋」が沁河に架かっている。蘭陵王入陣曲は日本から邯鄲に「秘曲帰趙」した。

『荘子「秋水篇」』など

 

 

四字熟語-江郎才尽 

こうろうさいじん

誰がそうだとはいいづらいが、テレビやマスコミに出づっぱりでいる人の中に「才人」ではなく「才尽」といってよい人を見かける。みずから顧みれば、ことばに冴えがなくなり行動に切れ味がないのだから本人が気づかないわけはない。

南朝の宋、斉、梁の三代に仕えた江淹は、若いころには精彩のある擬古詩を発表してもてはやされたが、高官にのぼるにつれて文思に冴えを失い、晩年になると文才を使い尽くしたかのようになり、「江郎才尽」といわれるようになった。
「才尽」といわれようとも三代に仕えた能力は並みでない。保身のために演じたのだとする見方もあるが、「才尽」の歴史的シンボルとされたのだから、実際それに近かったのだろう。

政権が目まぐるしく代わる時代、保身のために何度も面だけを革める「才尽」型の人物にこと欠かない。一方に芸能、工芸の分野には無形文化財保持者(人間国宝)に指定され、生涯輝きを失うことなく向上する姿を示す才人もいる。 

『梁書「江淹伝」』から

『日本と中国』連載「四字熟語ものがたり」より
堀内正範 ジャーナリスト

 

 

丈人論―「エキスポS65+ 第1回」を迎えて<3> ―

◎元気な65歳+のみなさんは「全員集合!」

11月15日、「第1回・エキスポS65+」は開幕します。
毎年、晩秋に「エキスポS65+シニアの祭典」が開かれることになる幕張メッセ会場は、将来への展望を考慮すれば、この総合イベントにふさわしい。

優れた生活意識をもつ日本の高齢購買層のみなさんが、いつまでも途上国製品にうずもれて暮らしつづけることはありえないでしょう。「グローバル化」(日本の途上国化・アジア途上諸国の日本化)が一段落して、アジアの人びとがどうやら豊かになれることが見えたところで、一歩進んだ「やや高安心の国産優良品」がわが国の高齢者の生活にうるおいをもたらすことになるでしょう。足踏みしていた日本企業の高年技術者が産み出す高齢者むけ製品は、これから高齢社会を迎える各国の注目を浴びることになり、内需拡大と国際性が確実に見込まれるからです。今回の「エキスポS65+シニアの祭典」はその第一歩であり、具体的に多くを期待することはできませんが、そこに向かう意欲と契機は会場にあふれていることでしょう。

そして出番を感じて、新たな居場所を求めて、孤立を脱するために、将来に備えるために、65歳+のみなさんが幕張に集まってきます。
展示会場の中心には、将来のシニアマーケットを模索してさまざまな小売・製造企業が出展しており、暮らしの現場に配慮した衣・食・住・趣味・健康・備えといったエリアごとの各ブースでは、「造る者」と「使う者」が触れては語り、選んでは語り、次の製品に期待する語りあいの場がそこここに見られるでしょう。みなさんより若い企業現場の社員たちはそこから多くのきっかけを得られるはずです。企業のPRセミナーもぜひ見た上で、高齢者の立場で、とくにご夫婦で、家庭内にうるおいをもたらすさまざまな製品への要請を出してほしいのです。生活意識の高い来場者からの要望は、新たな高齢者向け国産優良製品を産み出すきっかけになるに違いありません。

野田総理が10月14日の「高齢社会対策会議」で、「居場所と出番」「孤立防止」「現役時代からの備え」とともに新たな視点といって期待する「高齢者の消費の活性化」は、当事者である高齢者が企業現場に直接に要請する幕張メッセから始まるといっていいでしょう。高齢者が使いやすいモノや安心して暮らすためのサービスは「高齢社会」形成の基盤を造ることになります。

多彩なフォーラムは高齢者の明日の安心への生き方を示してくれるでしょう。16日の「高連協ディベート」は注目です。議論の展開によっては、高齢社会先進国の日本から世界にむかって「幕張宣言」が発せられるかもしれません。
なにはともあれ、11月15日は「元気な高齢者のみなさん、全員集合!」の時なのです。(次回は11月25日)

「S65+」ジャーナル
堀内正範(カンファレンス・スーパーバイザー) 

 

丈人論―「エキスポS65+ 第1回」を迎えて<2> ―

「エキスポS65+」は「最先端のモデル」をつくる 
千葉県初の宰相である野田佳彦総理は、15日の幕張メッセ「エキスポS65+」開会のときに祝辞を寄せてくれる手はずになっており、すでにイベントの情報はお手元に届いています。
野田総理は10月14日の朝、官邸でおこなわれた「高齢社会対策会議」(第20回)の席で、10年ぶりの「高齢社会対策大綱」の見直しにあたって、
「人類史上、前人未到のスピードで高齢化が進んでいると思いますが、悲観的になるのではなく高齢化社会にしっかり向き合って世界最先端のモデルを作っていくということが、大綱作りの基本的な考え方になると思います」
と前置きした上で、
「一つは、高齢者の居場所と出番をどう用意するか、二つ目は高齢者の孤立をどう防いでいくか、三つ目は現役時代からどう高齢期に備えができるのか、以上三つが基本的な視点ですが、あえてもう一つ付け加えるならば、高齢者の消費をどう活性化していくのか、ということも大事な視点だと思います」
と基本的な視点を提示しました。三つはすでに『高齢社会白書』にも述べられている内閣府の対策項目ですが、一つ付け加えて「高齢者の消費をどう活性化していくのか」といったとき、「S65+」が念頭にあったかもしれません。
「S65+ シニアの祭典」の立場からすれば、総理、まだそんな総論をいっているのですか、といいたいところです。「居場所と出番」を用意しているし、「孤立」を防ぐ集いであるし、「高年期の備え」を示そうというのですし、それに加えて「高齢者の消費をどう活性化していくのか」は、本イベントの中心課題なのですから。65歳以上の高齢者が健康であり、物心ともに暮らしが豊かになり、安心して過ごせることをめざして開催する初の総合イベントなのですから、「最先端のモデル」をつくることになります。
「S65+」こそ、総理が期待する高齢社会対策に沿う民間主導の総合イベントなのです。国・自治体の10年の対応の遅れがこの国の高齢者の人生を安心から遠くしているのです。1999年に全国展開した「国際高齢者年」の活動をまとめあげた総務庁高齢社会対策室のような太い動線をもつ組織がありませんし、何より首相直轄の内閣府に「専任」でかまえる高齢社会対策担当特任大臣がおりません。野田総理、これこそ検討すべき第一の基本的課題です。
65歳+のみなさんを迎えるメッセ会場の準備は整いつつあります。マラソンの瀬古さんとの8kmウオークもよし。鳥越さんのガンに勝つ生きざまや65歳新入生である坂東学長の品格ある講演を聴くもよし、樋口さん・堀田さんの白熱シニア公開討論会に参加するもよし。展示会場では宅配弁当の試食やサンプル・サプリのお試し、メディカルサポート、ヘアケア、無料健康相談、無料相続相談、無料最新健康機器の試用などなど、そのあと休憩コーナーで出会った同年の人と懐かしい思い出話に興じるもよし。多彩な出会いの場を用意した「シニアの祭典」の開会は眼の前まで迫っています。(次は11月15日) 
「S65+」ジャーナル
堀内正範(カンファレンス・スーパーバイザー)