伝統工芸が息づく古都
金沢市―蘇州市(江蘇省)
中国から金沢市へやってきた留学生や研修生たちは、いくつもの定例行事に参加することができる。
新年会、友好花見、碑前祭、忘年会、さらには交歓会やハイキング、そして何よりうれしいのは、親身になって世話をしてくれる「日本のおかあさん」たちがいることだ。
「いいね金沢」
若者たちは金沢好きになって帰国する。
「碑前祭」は、夏草が茂る旧盆前に、「日中友好記念碑」の前で行われる。先の戦争の末期に、祖国へ帰れずに亡くなった中国人労働者の霊を慰め、友誼を傷つけた過ちの経緯を再び繰り返さないことを碑前で誓う。
一九六九年七月、卯辰山に建てられた碑石には「日本中国友誼団結」と印され、裏面には郭沫若中国科学院院長から贈られた、
「共掃妖気浄八荒」(共に妖気を一掃して世界を浄めよう)
の終句を持つ七言絶句が刻まれている。
蘇州市は、上海から西へ約七〇キロ、太湖に臨む「水の都」である。江南随一の景勝地である一方で、新区・特区への外国企業の進出で変貌を遂げつつある。人口は五八〇万人。
拙政園、留園、獅子林といった古庭園(九つが世界遺産に登録)や張継の詩「楓橋夜泊」に、
「月落ち烏啼いて霜天に満つ・・夜半の鐘声客船に至る」
と詠われた寒山寺といった歴史文物、絹の刺繍や白檀の扇子などの伝統工芸でよく知られる。
「蘇州夜曲」(西条八十詩・服部良一曲)は、李香蘭(山口淑子)主演の映画の挿入歌として一九四○年に発表されて以来、いまでも広く歌われている。
一方、金沢市は加賀友禅や漆器、象嵌、金箔、和傘、桐工芸といった細工物の伝統を継承している古都である。庭園は兼六園が有名である。金沢市はとくに海外の都市との交流をたいせつにしてきている。小さくとも独特の輝きを放つ「金沢世界都市構想」を掲げて、蘇州のほか全州(韓国)、イルクーツク(ロシア)、ナンシー(フランス)など七都市とも友好関係を結んでいる。
金沢市と蘇州市との提携は、一九七〇年代末から提携するなら類似した歴史、伝統、物産をもつ蘇州市と決めて接触がはかられ、八〇年四月、石川県日中友好協会の定期総会が蘇州との友好都市実現を活動の柱としたところから加速した。同年五月には県日中友好協会のシルクロード視察団(徳田与吉郎団長)が、帰路一日を割いて蘇州市を訪問し、
「国家間にはいろいろな対立が生じる。しかし、一部の指導者が緊張を増大させる政策をとったとしても、多くの都市と都市、個人と個人の友好関係の存在は再び戦争になることを許さなくなる」
と両市の交流の重要さを切々と訴えた。
廖承志中日友好協会会長の力添えを得て、大阪府池田市とともに蘇州市との提携が決まり、八一年六月一三日、「百万石まつり」で賑わう金沢市で、来訪した方明蘇州市長と江川昇金沢市長との間で、両市の友好都市締結の調印がなされた。
その後、「蘇州国際シルク祭」への参加や物産文化展の開催、加賀宝生能と蘇昆劇の相互公演、合同美術展、重量挙げまで、交流は各界へと広がっている。そして蘇州大学と金沢・北陸・金沢星稜各大学が三年次編入の制度を導入したことで、双方の大学から卒業証書が授与されることになり、蘇州市からの学生がいっそう増えている。
金沢と蘇州、お互いに無理のない相手同士だから、交流の成果もおのずから蓄積されていくだろう。(二〇〇八年九月・堀内正範)