フタコブラクダも応援
秋田市と蘭州市(甘粛省)
蘭州市は、中国の中央に位置している、というと驚く人もあるだろう。北京から西南へ約一八〇〇キロ、西安から西へ約六〇〇キロ、黄河が蒙古高原へむかって北上を始める地点にある。じつはこのあたりが中国の中央なのである。一度ぜひ地図で確認してみてほしい。
ここで鉄道は東へ隴海線(~連雲港)、北へ包蘭線(~包頭)、西北へ蘭新線(~烏魯木斉)、西へ蘭青線(~西寧)が交差し、各地への分岐点となっている。
古くからシルクロードの中継地としての歴史を刻んできた蘭州市だが、いまは内陸部の工業都市として知られる。資源が豊かで石油化学、冶金、鉄鋼、紡績、皮革加工などが盛ん。石油コンビナートへはひところ、沿海の工業地帯からも多くの人が移住して従事したほど。農業は穀類のほか瓜類が有名で、「瓜果の里」と呼ばれる。牧畜は牛、馬、羊のほかラクダも主産地。甘粛省の省都で、人口は約三四七万人。隋代に総督府が設けられて以来、蘭州と呼ばれるようになり、一四〇〇年の歴史がある。
ご存じ「蘭州拉麺」(牛肉ラーメン)の本場だが、麺と野菜は豊かでもスープは日本ラーメンのほうがというのが通説になっている。しかし、食べての評は郷に入りての味わいのうちにあるだろう。
秋田市は、二〇〇四年に建都四〇〇年を祝った東北屈指の城下町である。佐竹義宣が完成した久保田城に入ったのが一六〇四(慶長九)年のこと。以来四〇〇年、みちのくの雄藩として独自の伝統と産業を培ってきた。国の重要無形民俗文化財に指定されている「竿灯まつり」は、太鼓と笛の音とともに五穀豊穣への祈りをこめた東北屈指の夏の行事になっている。二〇〇五年一月に河辺町、雄和町と合併して人口は約三四万人に。「緑の健康文化都市」をめざしている。
一九七八年一〇月二三日に日中平和友好条約が締結されたころから、秋田市民の間に中国の都市との交流促進の機運がたかまった。両市の提携は、八〇年一〇月に訪中した市議会議員団が北京の中日友好協会に秋田市民の要望を伝えたところ、同協会から蘭州市が提案されたことから。
秋田・蘭州両市の友好都市提携の議定書調印は、八二年八月五日、蘭州市からの代表団を迎えて、秋田市でおこなわれた。同時に進んでいた秋田県と甘粛省の省県提携も、この時に合同でなされた。
提携の後、公式訪問はもちろん、秋田市からは「開発協力事業」や「文化研修生」として各分野の専門家を送り込み、蘭州市からは病院、商工、教育、都市開発などの技術研修生を受け入れてきた。文化交流として〇六年に開かれた「太極拳講座」は、五大流派(陳式、楊式、武式、孫式、呉式の五つ)について映像をつかいながら特徴や歴史を紹介し、基本動作を説明するもので、一五〇〇人の市民が体験した。市民が主催する「合同水墨画展」も両市で開かれている。
また秋田市大森山動物園で飼育されているフタコブラクダの「蘭泉」と「田田」は、提携の記念に来園したもの。これまでに一〇頭の子どもを各地の動物園に提供、友好の応援をしてきた。二七歳。人間なら八〇歳という高齢になった。
両市の持ち味である粘りづよい努力を経て、本来の成果を確認するには世紀の時を要するだろう。交流は始まったばかりである。来日して授業参加をし、ホームステイをし、秋田駅で涙で別れを惜しむ蘭州市と秋田市の小学生たち。成果はなおその先にある。(二〇〇八年九月)