かんたんがくほ
いま若者は都ぶりをどこで学ぶのだろう。原宿か青山あたりだろうか。
ひとりの若者が都ぶりの歩き方を学ぼうとして、北国燕のいなかから趙の都邯鄲にやってきた。「邯鄲に歩を学ぶ」である。しばらく努めてはみたもののサマにならない。あきらめて故郷へ帰ろうとしたが、元の歩き方を忘れてしまって歩けない。そこで這って帰るしかなかった‥。
あこがれて都会へ出たものの挫折して故郷に帰る。しかし故郷でも受け入れられなくなる例もある。
古くから中原の古都であった邯鄲市にちなむ成語は一五〇〇余もあって「成語典故の郷」と称している。市内に「趙台」や「成語典故苑」を設けて彫像や碑文に託して展覧している。よく知られるものに「刎頸之交」「完璧帰趙」「奇貨可居」「背水一戦」「黄粱一睡(邯鄲之夢)」それにこの「邯鄲学歩」も。いまも明代の遺構を伝える石づくりの「学歩橋」が沁河に架かっている。蘭陵王入陣曲は日本から邯鄲に「秘曲帰趙」した。
『荘子「秋水篇」』など