「長寿時代のライフサイクル」
これまでライフサイクルというと「乳幼児期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つのステージ(年齢階層)として説明されてきた。だれもが経験的に知って納得していることだから間違いというわけにはいかない。しかしこの階層の分け方は二五歳までに三つの階層があることからも知れるように、「発達心理学」からの階層分けであって、高齢期を暮らす人に配慮したライフサイクルではない。高齢時代には「加齢学」的な観点から、逆に高齢期に三つを配するといった階層分けを考慮する必要がある。ここでは二五年間ずつ三つのステージを「三世代」に等しく割り振りながら、高齢期を暮らす人の実感に配慮したライフサイクルを提案している。学問的にうんぬんするつもりはなく、実感として納得していただければいい。
青少年期 〇歳~二四歳 自己形成期
バトンゾーン 二五~二九歳 選択期
中年期 三〇~五四歳 労働参加・社会参加期
パラレルゾーン 五五~五九歳 高年期準備・自立期
高年期 六〇~八四歳 地域参加・自己実現期 あり
長命期 八五歳~ ケア・尊厳期
(自立・参加・自己実現・ケア ・尊厳の五つは国連の「高齢者五原則」)
上の階層分けが、高齢者がみずからを顧みて納得できる「長寿時代のライフサイクル」といえるだろう。
「バトンゾーン」というのは個人の特性によって生じる幅であり、青少年期にいれるか中年期にいれるか、モラトリアム期として過ごすかは個人が選択すればいい。
「パラレルゾーン」というのは「パラレル・ライフ」(ふたつの人生)期にあることで、「高年準備期」である。窓際族なんかでヒマつぶしをしている時期ではなく、二五年の高年期を自分らしく生きる(自己実現)のための模索(自立志向)期でけっこう多忙なはずなのである。「定年後は余生」などとぼんやり考える旧時代の「老成」タイプの高齢者意識が、長寿時代にはいっているこの国の「高齢社会」形成に自然渋滞をもたらしている。「高年期」での地域参加・自己実現の二五年をどう体現して暮らすかの工夫が人生の差をつくることになる。と同時に社会を活性化させることになる。もちろんその活動は高齢世代みずからのものであるとともに次世代のためのものであり、可能な範囲でなお中年・青少年を支援するものとなる。別のところでも引用するが、「自分がその木陰で憩うことがない樹を植える」(W・リップマンのことば)という配慮を忘れないことである。
現代シニア用語事典-「地方大学シニア大学院」
「地方大学シニア大学院」
「教育立県」を宣言してもしてもいなくても、どこも地域活動のための人材の育成に力を入れている。シニア期になって「J+Uターン」をして地元回帰をし、地域の高齢社会事業に参加しようとする人びとのための「シニア大学院」や国際友好都市からの研修者に熟練技術を教える「国際交流大学院」といった需要に応えるあらたな施設による人材の育成は、地方大学の多角的事業として模索され成果をみせている。先行する都市部の私立大学の事例も、シニア向けカリキュラムの参考になっている。
「シニア大学院」は、県立大学や地方大学の公開講座をもとに、地方の文化発信・技術伝承の拠点として重要な機能をはたすことになる。地域経済、地場物産、地方文化・言語・歴史、伝統工芸など、地域で暮らす人びとの「シニア期の人生」を豊かにするための基本となる「地域関連シニア講座」が提供されるからである。個性のある魅力的な地方の風土と暮らしを実現するには、地元大学の「シニア大学院」が送り出した地域シニア修士の地道で幅広い参加と支援が欠かせないからだ。
同じ時期に同じキャンパスで、オヤジは「シニア大学院」で、ムスコは大学課程で学ぶというのは、「高齢社会」にあって当然とする大学構想である。六〇歳からのシニア期二五年を視野に入れた「シニア科講座」で、スキル・アップ(技能向上)をめざすオヤジや先輩たちの熱心な姿が、同じキャンパス内でグータラに過ごしていた現役学生に与える影響が大いに期待される。「大学重層化」のメリットである。
「シニア大学院」には五〇歳をすぎて「パラレル・キャリア」指向の人びとが学びにくるわけだから、大学側の名誉教授やシニア教授のスキル・ブラッシュ(さび止め)にも役立つことになる。八五歳の名誉教授の授業は人生の滋味を帯びた人気講座になる。
自治体による「地域シニア大学校」と合わせて「日本高齢社会」形成の基礎事業である。
現代シニア用語事典-「日本長寿社会」の国際的評価
「日本長寿社会」の国際的評価
「二一世紀初頭の日本は、平和憲法のもとでの長い平和時代の証として、みんなが安心して暮らせる高齢社会を達成した。それは後れて高齢化を迎えるアジア途上諸国の規範とされた・・」
と、歴史学者は記すにちがいありません。当事者の視点と歴史学者の視点とはちがいます。学者は主観性を排除して与件の経緯を精査して机上で記録し、当事者は客観性を懐疑して現場で述懐するからです。どちらの判断もおおよそ正しいのですが、どちらも幾分かの過ちをおかすことになります。
平和であること、衛生と医術と食生活の改良が日進月歩で進み、何よりもみんなが等しく豊かになることを願ってきたわが国の半世紀のプロセスは、世界にそして歴史に誇るべき例証です。
その方向でいまあるべき姿は、「社会保障増税」の論議を繰り返すのではなく、1995年の「高齢社会対策基本法」の立ち位置にもどって、1980年代の日本を継承する「日本長寿社会」の構想(国策)を衆議し、国民に提案することなのです。
それなのに、です。
民主党政権になって、理想家肌の鳩山由紀夫首相の発言に期待したのでしたが、二〇〇九年一〇月の所信表明演説では「無血の平成維新」といって勝利を誇ったものの、高齢者に参画を求める発言はしませんでした。さらに「いのちを、守りたい」と訴えた翌年一月の施政方針演説でも、「誰にもみとられずに死を迎える」いたましい事例を取り上げましたが、ご自分が属する還暦・定年期の仲間に参画を呼びかける発言はなかったのです。
菅直人首相も「強い社会保障」をいうばかりで、若い世代に後を託して去ってしまいました。
呼びかけを期待していた「支える高齢者」層にとっては何のメッセージもありませんでした。
野田総理はチャンスを得ているのに、逆の方向に動いています。
昨年一〇月一四日の「高齢社会対策会議」で、一〇年ぶりの「大綱」の見直しに際して、「高齢者の居場所と出番の用意」「高齢者の孤立の防止」「現役時代からの備え」という三つの基本的な視点を示したあと、
「あえてもう一つ付け加えるならば、『高齢者の消費をどう活性化していくのか』ということも大事な視点ではないかと思います」(会長発言)
といって、「高齢者の消費の活性化」を視点に加えました。野田さんが求めてもぐった方向は間違ってはいないのですが、論点も行程もなお底を究めていないのです。
国民の暮らしの現場を、高齢者の視点で見てください。
「モノの日本化」によってアジア途上国の人びとが得る生活上の便利さ豊かさのために、日本の高齢者は、みずからは足踏みをして「百均商品(用品)」に囲まれながら、「暮らしの途上国化」に耐えて待ってきたのです。かつて自分たちがこの国でたどってきた道だからで、これから自らと途上国の将来の高齢者が必要とする「安心して使える優良品」を作り出すために、温存してきた知識と技術を活かすことになるのです。ですから元気で生活意欲の旺盛な高齢者に向かって、「生産と消費の活性化」(内需)への参画を期待するというのが論点であり行程なのです。
現役世代よりも生活感性の高いシニア世代が求める「優良国産品」を、どこまで速やかに市場化できるか、その対策ができない消費税増税では消費の活性化は起きません。
「安心して使える優良国産品」の製造者は、消費者でもある熟年技術者のみなさんです。このことにも留意しなければならないのです。「モノとサービスの高齢化」は、時代感覚のいい企業の側ではもう動き出しているのです。
シニア社員・社友が力を合わせた新企画・リニューアル企画による新製品の製造、「シニア・ビジネス」としての流通やサービスの展開、そして商品・サービスと高齢者を直接に結ぶ展示会など、「内需」にむけた事業が進んでいます。熟年技術者による「国産優良品」の製造は、高齢者向けのモノの豊かさを提供し、後れて高齢化する国々の高齢者にとって「期待する日本製品」の創出でもあるのです。
これらによる経済刺激と展開が、増税よりはるかに大きな成果を持続的に生むことは必定です。
「大天災」を受けることで気づいた「天恵」としての「地域の四季」を大切にする暮らしの掘り起こし、「支える高齢者」層がリードする「平成再生」の構想が明らかになれば、わが国の高齢者は高年期の人生の充足をめざした地域活動を活き活きと始めるにちがいありません。
家計資産については、およそ三分の一を留保した上で、次世代のための支援に三分の一を、「長寿社会」達成のモノ・居場所づくりなどに三分の一を出資することが日常化し、次第に「三世代が等しく支え合う(三世代同等型)社会」の姿が見えてきます。
「ケア」については「社会保障」政策によって進んでいる「地域包括ケア」の充実と医療・介護・福祉関連の機器の開発と普及は欠かせませんが、暮らしの必需品それぞれに高齢者仕様の配慮が仔細になされることになるでしょう。
「支える高齢者」が関心を持つ「健康(からだ)」・「知識(こころ)」・「技術(ふるまい)」の三つの要素に特化した成果は、次世代に将来への安心を与える資産ともなるものです。
こうした高齢者参加への施策こそ国際的に先行する「日本高齢社会」のなすべき国際貢献なのです。いまの国政の意図する方向は、学んでほしくない事例になりつつあります。
現代シニア用語事典-「九割中流」(大同)と国民意識
「九割中流」(大同)と国民意識
今世紀にはいって際立ってきた国民意識にかかわる重要な観点をひとつだけ確認しておきたいと思います。
いまは亡き人もふくめて、といっても記憶に残るほどの祖父母・父母たちとその世代の人びとのことですが、みんなが実直に粒粒辛苦して働いて、先の大戦後からこれまでの半世紀余の間にこしらえてきたこの国の資産は、社会資本にせよ個人資産にせよ、目を見張るものでした。
いずれの地域もモノも人も凸凹させずに、「冨を等しく分かち合いながら、等しく力を尽くして、ともに豊かになろう」という、わが国の先人が選んで目標とした「日本的よき均等性」の成果なのです。
平和裏に「九割中流」(大同)という生活実感が共有されていた時期が長くつづきました。この世界にも史上にも稀れな人生体験は、先人の叡智と努力に感謝して胸中に深く留めねばならないでしょう。その恩恵に応える道は、「平成再生」の内容をその時期に求めて回帰することにあります。
1995年制定の「高齢社会対策基本法」の趣旨にのっとり、1980年代まで各地域が保っていた地域特性のよさを、高齢者が中心になって再生することになります。
だれもが等しく貧しかった時代、若者たちを大都市へ送り出し、地元に残って貧しさや不便さに耐えながら辛苦した人びとがいました。国を思い、地域の発展を思い、家族を思って「誠意」を尽くした人びとの努力を無視しては、現状の公平な豊かさに対する理解の公平さを欠くことになります。
「善く行くものは轍迹なし」という先哲のことばがありますが、すべての業績を周囲の人に振り分けて轍の跡を残さず去っていった「善意」の人びとの姿を忘れることはできません。
かつて寺の鐘や指輪までを国のために拠出した「一億玉砕」意識の国民が、大戦後に一転して「民主主義」の国づくりを始めたときとは振り子が逆に振れているのです。
国より企業のこと、企業より家庭(マイホーム)のことを重視・優先するようになった人民は、国が超一〇〇〇兆円の赤字を抱える一方で、超一四〇〇兆円の家計黒字を保有するに至りました。
新世紀にはいって一〇年余、いまや先の戦時状況に近いところにまで国の財政は悪化しているのですが、人民は保有する家計資産を税として率先して納めようとはしません。近づく破綻を予見して国会が「国難」をいい、超一〇〇〇兆円の財政赤字を担保している家計黒字から補填するため、「消費税」ほか増税の前倒しによって調達しようとしているのを、醒めた目でみているのです。「増税支持」という世論は本意ではないでしょう。
「地域生活圏」での互助や共助、知った者同士や地域住民同士の助け合いは、モノ・場・しくみそれぞれに身近で機能しています。地域の公助には、これまでの「均衡ある発展」に重ねて「個性ある地域の発展」へと変わる素地があります。地方首長の動向はその表出であり、国より地域への政策を市町村民が求めている証でもあります。
野田・谷垣党首討論での口裏を合わせた「消費税増税」を納得するほどには国民意識の振り子は国のほうには振れていないのです。そこで「大連合政権」「憲法改正」「君が代」「国軍」などといった国意識の醸成に向かう力が働くことになります。そのことを確認しておこうと思います。
現代シニア用語事典-「高齢社会対策大綱」の見直し
「高齢社会対策大綱」の見直し
内閣改造前日の平成二四年一月一二日に、内閣府では「高齢社会対策大綱」見直しの有識者検討会が開かれ、「報告書素案」について、清家篤座長(慶応大学塾長)など六人の委員による議論がおこなわれていたのです。内閣改造はニュースでしたが、こちらはニュースになったようすはありません。
一〇年ぶりの大綱検討の主な理由は、刻み目の年であるとともに、やはり「団塊の世代」が六五歳に達して、経済社会情勢に変化が見込まれるためというものです。(一〇月一四日「高齢社会対策会議」での蓮舫担当大臣の趣旨説明)
内閣府には五年前の有識者検討会など内部蓄積があるとはいえ、六人の委員で五回の会議での決着では、共生社会政策の一施策としてのあつかいの域を出ないものです。
香山リカ、関ふ佐子、園田眞理子さんの三人の大学研究者、団塊の世代の漫画家弘兼憲史さん、前高浜市長の森貞述さん、それに前回の見直しに座長をつとめた清家さんがいるとはいえ六人の委員。オブザーバーは厚労省、文科省、国交省の課長・参事官。閣議もできる広い円形の会議室がどよめくような将来構想をめぐる議論が展開できるでしょうか。
検討された「報告書素案」にも、「団塊の世代」をふくめて「人生九〇年時代」の高齢者意識の変化が指摘されています。全世代型の参画、ヤング・オールド・バランス(世代間の納得)、シルバー市場の活性化(野田総理の指示に応えて)、そして互助(顔の見える共助)の必要性など、支えられる側におさまらないアクティブ・シニアによって、「高齢社会」が実態として動くという認識が示されているのです。
その後の議論で、六五歳からが高齢者という基準そのものが実情に合わなくなっているという指摘がされて、これはニュースになりましたが、いま国際基準である六五歳を動かす議論は、問題の解決を複雑にすることになりかねません。
そして同じ一月一二日、内閣府にほど近い憲政記念館会議室では、高連協(高齢社会NGO連携協議会)による「高齢社会対策大綱の見直し」に当たっての「高連協提言」の発表会が開かれていました。高連協は一九九九年の「国際高齢者年」の活動を機に発足し、以来この一〇年余り、民間団体として一貫して高齢者活動の支援、実施に尽力してきました。
「高連協提言」はこう提言しています。
普遍的長寿社会は人類恒久の願望であり、高齢化最先行国として世界に示す施策とすべきこと、高齢者は能力を発揮して社会を活性化し充実感を持って生きること、就労の場の年齢差別の禁止、基礎自治体との協働、少子化社会対策、より良い社会を次世代に引き継ぐこと、そのほかを提案。将来像としては、世代間の平等、持続可能性等の観点から「釣鐘型社会」を想定しています。
参加者の議論があり、樋口恵子、堀田力両代表から提言者としての発言がありましたが、報道関係者の姿は少なく、これもニュースとして伝えられたかどうか。
「高齢化」は二一世紀の国際的課題として早くから予測されており、わが国でも一九八六年六月にはすでに「長寿社会対策大綱」を閣議決定(第二次中曽根内閣)しています。
その後、一九九五年一一月に「高齢社会対策基本法」を制定(村山内閣)し、対策の指針となる「高齢社会対策大綱」を一九九六年七月に閣議決定(橋本内閣)し、二〇〇一年一二月(小泉内閣)に見直しをおこないました。
そして今回、二〇一一年一〇月に野田内閣が一〇年ぶりの見直しを決めて、作業を進めている最中なのです。
高齢社会政策の中・長期の指針となる「大綱」そのものは、「報告書」を踏まえて府内で作成し、関係省庁の調整を終えて閣議決定されることになります。
決定する前にパブリック・コメントはもちろん、各界の「参加意識」を持つ高齢者が議論に参加する検討会を一般公開でおこなって、広く内容を告知する経緯を経ることも新しい動きに対応する手順のひとつとして想定されるのですが。 (まったなし「日本長寿社会」への展開 2012・3・11)
現代シニア用語事典ー「国際高齢者年」(一九九九年)
「国際高齢者年」(一九九九年)のあと
みんなの関心を呼ぶイベントは一〇年不在
唯一、「高齢社会対策」として国民に存在感を示したのは、一九九九年の「国際高齢者年」(International Year of Older Persons 1999)に、総務庁高齢社会対策室(小渕内閣)が中心になって関係省庁連絡会議を設けて、官民協働で全国展開をした関連事業のみといえます。
これはご記憶にある方も多いでしょう。ないとしたら「参加意識」が欠如していた証です。そして残念ですが、事業の趣旨が一般の高齢者にまで届かなかった証です。
国連が二一世紀に迎える国際的高齢社会を予測し、九〇年代の初めから各国に対処を訴えた活動でした。長寿で得た期間を生き生き過ごす「高齢者のための国連原則」としての、
「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」
という五原則や一〇月一日を「国際高齢者の日」とするといったメッセージが広報され、「すべての世代のための社会をめざして」がテーマでした。
当時、高齢者に関係する団体がこぞって参加し、地方公共団体が参加した広報・事業関係の実施件数は一〇八四件に及び、東京の二一一件をはじめ、北海道、埼玉、長野、大阪などでは五〇件をこえました。四月に知事に就任した石原慎太郎都知事も、一〇月一日の「国際高齢者年記念式典」で、
「この国を持ち直し、周囲からも尊敬される日本の社会をつくり直していくよう、お互いに頑張りましょう」
と訴えています。
この年に始まった「みんなの体操」や「エイジレス・ライフ実践者表彰」は継続していますが、一般の高齢者が参加する目立った活動がなく、一九八八年に始まった「ねんりんピック」のほかはニュースにはならなくなったのでした。
国民の高い支持を受けて登場した小泉純一郎首相が「所信表明演説」(二〇〇一年五月)でいったことばが、世紀初めの「高齢者意識」のありようを伝えています。
「給付は厚く、負担は軽くというわけにいきません」
といって、負担増だけを取り上げたのでした。その後も国民を代表する政治リーダーは一貫して高齢者を「社会の扶養者」として扱い、小泉発言の後追いをしてきたのです。
そのことに「高齢社会対策」担当の官僚が気づいていなかったわけはないでしょう。が、国民や政治の側からの要請が出なければ動くこともできず、三年ほどの担当期間を過ごして、厚労省などの部局にもどるだけのことでした。
この一〇年の間、自治体関係者や民間の人びとによるボランティア(無報酬)の献身的な活動はつづいてきましたが、増えつづけた高齢者の多くは、定年後を「余生」とする旧態依然の通念にしたがって日々を過ごしてきたといえます。
ウオーキングをし、釣りをし、ゴルフをし、パチンコをし、孫をみ、展覧会にいき、小旅行をし、仲間と安酒で会して誰彼の病状を憂え、テレビのニュースだけを拾い見し、貯蓄の目減りを心配して、「平成萎縮」のなかで自分も萎縮して暮らしてきたのではないでしょうか。
新たな「社会の高齢化」(aging)という状況に対する新たな対応、高齢者を「社会の扶養者」とみる「二世代+α型」社会であるとともに、高齢者を自立した対象とする「三世代同等型」社会への穏やかで緩やかな変容への対応、「AからB」ではなく「AとともにB」という多重型の対応を怠ってきた証なのです。そしてそれは、だれもが理解できる構想として掲げる役割を担う政治の側が負うべき「一〇年の失政」としてあったし、今もあるのです。
(まったなし「日本長寿社会」への展開 2012・3・11)
現代シニア用語事典ーアクティブ・シニア(支える高齢者)
三〇〇〇万人に達した高齢者
アクティブ・シニア(支える高齢者)が登場
わが国の「高齢者」(六五歳以上)は、昨年九月「敬老の日」恒例の発表によると二九八〇万人となり、今年は三〇〇〇万人に達します。これは単にボリュームが大台に乗るというだけではなく、日本社会に質的な変容をもたらすという意味で注目されているのです。
すでに話題になってご存じのとおり、今年から「団塊の世代」のみなさんが「高齢者」の側に加わります。両親から「平和のうちに生きて」という願いを託された毎年二〇〇万人余の戦後ッ子です。先の大戦での敗戦の後、昭和二二(一九四七)~昭和二四(一九四九)年に生まれた人びと。
昭和二二年生まれというと、ビートたけし、星野仙一、蒲島郁夫、鳩山由紀夫、千昌夫、荒俣宏、小田和正、北方謙三、西田敏行、池田理代子さんなどで、知識も技術も芸域も充実して、各界を代表する現役の人びとです。
平和ではあったものの平坦ではなかった六五年、戦後昭和の復興期から成長・繁栄期そして平成の萎縮期にいたるすべての局面を体験してきてなお元気で暮らしているみなさん。
「ごくろうさま」と声をかけたいところですが、むしろ気力を萎えさせずに、それぞれに蓄積してきた知識・技術・経験・資産を合わせ活かして、新たな存在である「支える高齢者」として過ごしてほしいと願うところでもあるのです。
現実に、長命の両親(母親のみかも)を介護して支え、子どもの住宅ローンを支え、孫の物品の面倒をみるという家庭内でもそうですし、すでに現れはじめていますが、「シニア・ビジネス」の展開によって、高齢者対象の本物指向のモノとサービスが内需を支えることになるからです。
そして何よりも、意識して「支えられる高齢者」ではなく「支える高齢者」でありつづけること。アクティブ・シニアとして、自分なりのライフスタイルを案出して、熟成期の「時めきの人生」を送ること。孤立せずに、水玉模様のようにいくつものコミュニティに参加して多彩に暮らすこと。そんな意識と暮らしの変化が、「長寿社会」のありようを左右すると推測されているのです。
総不況と大災害による「平成萎縮」のあと、「支える高齢者」層がリードする「平成再生」という局面が登場することになります。これがもたらす社会の質的な変容は、想像ではなくすでに構想の域にあります。
「長寿社会」の形成は、すべての世代(all ages)の人びとの参加によりますが、焦点を絞れば高齢者(older persons)が新たな形質を案出しながら達成する「すべての世代のための高齢社会」が中心になります。
高齢先進国の日本で、三〇〇〇万人の体現者がどういう新たな社会を創出するかは、「三・一一大震災」後の復興とともに国際的にも注目されるところです。
(まったなし「日本長寿社会」への展開 2012・3・11)
地域生涯(シニア)大学校推進会議
[趣旨]
これまでの市町村合併の大義のひとつは「地域を愛する人材」の養成にありました。
「明治の大合併」のときにはわが村の「村立尋常小学校」が設立されて村民の教育にあたり、「昭和の大合併」のときにはわが町の「町立新制中学校」が合併のシンボルとして設立されました。しかし今回の「平成の大合併」にあたって、全国の新しい市は地域発展を担う人材を養成する「市立大学校」をつくり(れ)ませんでした。肝心の文部科学省にそうした構想がなかったということができます。
いま地域発展のための知識や技術を習得するのは年少者ではなく六〇歳をすぎた高年者です。それに気づいて、先駆的に市(県)立「地域生涯(シニア)大学校」(呼称はさまざまです)を設立して、地域発展の人材を養成している自治体もあります。
これまでに得た知識や経験に重ねて(を生かして)、60歳からの先行き長い高年期人生を過ごすために新たな知識や技術を習得することになります。
熟年学生のみなさんは、地域の自然・風土や歴史・伝統文化を知り、物産や伝統工芸の技術を習い、高齢期の健康にかんする知識や福祉・介護などの知識を身につけるとともに、高年期をともに過ごす仲間・学友を得ることになります。
「市立大学校」は、地域特有のカリキュラムを構成することで、地域特性の息づくまちづくり事業に参画する人材を養成する施設として新たな歴史を刻むことになります。「地域生涯(シニア)大学校」設立の遅速は、みんなが安心して暮らせるはまちの発展に差を生むことは確かです。(参考図書:堀内正範著『丈人のススメ 日本型高齢社会 -「平和団塊」が国難を救う-』より)
自治体あるいは官民協働で設立する「地域生涯(シニア)大学校」は、地域の高齢者にかんする情報や活動のようすを集積し、地域の発展に寄与する人材を養成する施設です。「地域生涯(シニア)大学校推進会議」では、全国の実例を集めて整理し、発信いたします。最新で、正確で、お互いの活動に参考になるような情報源をめざしますので、具体的な実例やご意見をお寄せください。
- 全国の実例 は右の欄の「地域大学校」をクリックしてください。
事務局
堀内正範
e-mail mhori888@ybb.ne.jp
tel & fax 0475-42-5673
keitai 090-4136-7811
web 「日本丈人の会」https://jojin.jp/
blog 「茶王樹・南九十九里から」https://jojin.jp
〒 299-4301
千葉県長生郡一宮町一宮9340-8
現代シニア用語事典Ⅱ #3家庭用品の「アジア共栄」
Ⅱ #3家庭用品の「アジア共栄」
*・*日本製「高年化優良品」に活路*・*
「家庭用品の途上国化」
「途上諸国の日本化」
家庭用品の「途上国化」と「国産化」も顕著にみられる多重標準である。「家庭用品の途上国化」が日に日に進んできたのは、「えッ、これもか」というほどに、暮らしの中の「MADE IN KOREA」や「MADE IN CHINA」や「MADE IN THAILAND」といったアジアの国々からの日用品の増加によって実感されてきた。「百均」(一〇〇円均一ショップ)が成り立つほどに製品が多種多様になって、それも「安かろう、悪かろう」というローコストの時期をすぎて、品質が安定してきている。アジア諸国の人びとの暮らしに大きな変化をもたらしているが、といってわが国の高年者の暮らしが便利で快適になったわけではない。「日本の製品を使って日本人のように暮らしたい」というアジア諸国の人びとの希望が叶いつつある。その間、わが国の高年者は、実質的には足踏みしていることになる。
「日本の途上国化」と「途上諸国の日本化」がしばらくつづき、「アジアの共生」がすすむ。それとともに国産の「やや高い」けれど品質が安定しており、「安心」もいっしょに買うことができた日用品が手に入らなくなって、不便になったところもある。いまや日用品の中に「MADE IN JAPAN」を見つけると、ほっとするほどだ。
暮らしの中の「モノの途上国化」は、衣料品や食料品からはじまって、「ついにこれまで」と驚く精密機器にも及んでいる。一〇年ほどの間にここまで一気に進んだのは、「グローバル化」によって急激な業績悪化に見舞われた日本企業が、サバイバル(生き残り)をかけて選択した荒療法が、社内リストラと生産拠点の途上国シフトだったことによる。それが目前の利益を確保しようとする応急の処方として有効に見えたからである。「グローバル化」という時流は、わが国の家庭を「日用品の途上国化」という形で直撃した。
だからといって優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、このままこれ以上に途上国製品に埋もれてしまうことなどありえない。高級品を指向する必要はないが、優れた生活感性をもつ高年者大衆にとっての「わたしのもの」となりうる優良品への要請が、遠からず「高年化用品の国産化」を求める声として、「雨過天青」といった明快さでこの国を覆うだろう。
「欧米追随の一国先進化」
「アジア主導の途上国化」
前項でみたように「グローバル化」の対応に日本企業がサバイバル(生き残り)をかけて選択した荒療法が、社内リストラと生産拠点の途上国シフトだった。両方ができる企業はそれを急ぎ、できない企業は社内リストラだけをしながら萎縮(デフレーション)に耐えてきた。二〇世紀にアジア地域でただひとつ「欧米追随の一国先進化」をなしとげたわが国の企業は、とくにアジアの途上国にノウハウを移して途上国の需要者にも受け入れられる日本ブランド品にシフトした。その結果として、国内の経済活動が萎縮し、途上国製の日本ブランド品が増えつづけ、それとともに日本の企業が正社員でもたなくなり、アルバイトや派遣社員で支えるという「アジア主導の途上国化」対応が進んだのは、現れて当然のグローバル化症候群ともいうべき変化であった。
この間に経験したように、電球や電池は安くなった。でもすぐ切れるようになった。メーカーを見ると日本を代表する企業である。「日本企業はこんな製品をつくっているのか」という評判が立たざるをえない。これはアジア共存のための「日本の途上国化」であり、「余儀なき評判」である。かつて成長の途次にたどった地点(「ふり出し」までとはいわないが)にもどっておこなうアジア共存のための「共同歩調」としての対応であり、日本のなすべき責務なのである。踊り場で足踏みして待たされることになった日本の高年熟練技術者に直接の責任はないし、被害をこうむった上に、「家庭用品の途上国化」のために技術や意欲まで失うことではない。
「安価な輸入食品」
「やや高安心の国産食品」
急激なグローバル化が一般家庭の暮らしの場にもたらしたものは、総不況で稼ぎ手の収入が不安定になり、実質的に減ったところを、家族みんなが安い途上国製品で補いあって収支を合わせ、「家庭内国際化」(途上国化)を時代の趨勢として受け入れてきたことといってよい。
ひところは東京でも明治屋や紀ノ国屋やデパートでしか入手できなかった海外の山海珍味が、いまや各地の大型スーパーの食品売り場で見慣れたものとなった。食品には産出地が記されているから、世界中から運ばれてきているのが分かる。それを逆にたどれば、現地の人びとの暮らしを便利にしている日本商品がたどり着いた水際の広大さが知られる。
その対価として運ばれてきた「安価な輸入食品」は、「飽食の時代」といわれるまでに食卓を豊かにした。その中にあって、日本各地からの食材は苦戦を強いられたが、モモ(山梨)もリンゴ(青森・長野)もサクランボ(山形)も産地の努力がうかがえるほどに質の差が歴然とし、価格がほどほどに収まっていれば、「やや高の国産食品」は品が良く安心な季節ものとして受け入れられている。
一次産品でもそうなのだから、他の商品ならなおさらそうだろう。高年消費者は、「消費意識の途上国化」に歯止めをかけている。暮らしの中の「モノの途上国化」には納得しても、国内の身近なところで生産活動から活気が失われ、優れた技術を持ち良質な製品をつくってきた企業の倒産が続出し、国内の技術が失われる現実をみているからだ。購買者として、底なしの「生活水準の途上国化」は何としても押し止めねばと思っている。
「待ち受け状況」(閉塞状況)
「家庭内高年化用品」
長い「待ち受け状況」(閉塞状況)に耐えて、景気の回復を待ってふんばってきたのは、生活の成熟を願う高年者と、下請け孫請けとして「日本製品」の良質さ、多彩さ、繊細さを支えてきた中小企業である。中小企業の親父さんはその両方にかかわって焦慮に近い暮らしを続けてきた。親会社が応急の「生き残り」を理由にこれまで共有して蓄積してきたはずの製品化ノウハウを勝手に海外に移転し、自国の下請け会社には設備投資で発生した経理残高の処理を押しつける。そんな理不尽な「生き残り」策がつづくならば、中小企業の現場から再生への意欲を失わせ、息の根を止めることになりかねない。消費者として、だれもが自分たちの生活を支えてくれてきた中小企業の生産者と技術の将来を危惧しているのである。
「自力で製品を開発することで対抗しよう」として、東京・大田区や隣接する川崎市の高度な技術を持つ「町工場」が、インターネットのウエブ・サイトで製品の広告をし、独自に共同受注を始めたことなどは、広く消費者からも応援の拍手がわく生産者側の「攻めのリストラ」への転機を示している。評判の高いIMABARIのタオルは、生き残りをかけて「世界一」に挑戦した地元技術者の結晶であるが、この地域産出のスグレモノこそが本稿でいう「高年化製品」であり、高年者ユーザーが期待して待っている国産の生活用品なのである。
家庭用品の途上国化に歯止めをかけ、成熟する「日本高年化社会」を支える「モノの高年化」を担うのは、高度成長期をともにしてきた中小企業の高年技術者と高年消費者のほかにいない。「家庭用品の途上国化と国産化」という多重標準による暮らしを安定させる。そういう国産の優れた家庭用品製品の生産活動に契機を与えるのは、五〇〇○万人の高年者の消費動向である。ひと味ちがう暮らしをめざす高年者が、「家庭内高年化用品」(丈夫で長持ちする一生ものの優良品)を要求すること。優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、途上国製品に埋もれてしまうことなく、生活感性を生かすための「わたしのもの」を要請する。
「使いやすく、品質が良く、長持ちする」という日本の中小企業が自負してきた製品である。企業内の熟年技術者は、自社製品の基本に立ち返り、「高年化優良品」の開発・生産に取り組む。「日本高年化社会」へ自主参画する意思を固め、得意な技術を生かして高年世代の暮らしを豊かにする製品を着想し、成員全員が底力を発揮して事業化をすすめる。各地で熟練技術者が奮起した姿とその成果としての優れた「高年化用品」に出合えることになる。
*・*優れたモニターとしての日本高年者*・*
「中年輸入品ユーザー」
「高年輸出品モニター」
日進月歩にある途上国産の家庭用品は、安価で便利な日用品として、おもに若年・中年世代が「家庭内の国際化」の筋で担う。とくに「中年輸入品ユーザー」として「アジア途上国製品」を支援する。その一方で、安心して生涯を通じて愛用できる日用品は、おもに高年世代が家庭内の高年化のために「国産品モニター」としての役を担う。ひと味違う質の良さを表現する「国産品」のユーザーという分担である。品格と品質とで優れる「高年化国産品」によって家庭内に高年化ステージを実現する。パパのものはさすがにパパのものだ。この家庭内用品をめぐる多重標準が、国内外の経済活動を支えることになる。
少し遅れて差をつめてきたアジア友好国の家庭が、いずれ近い将来には求めるであろう日本製の「優良高年化用品」を、一足先にモニターしておく必要がある。「高年輸出品モニター」として、アジアの途上諸国ではまだまだ手薄な「高年化商品」の開発をモニターをしながら進めること。日本高年者の生活意欲と中小企業が留保している技術力による新製品の展開が、アジア的な視野でみて優位な時期にある。激走してきて一休み(ペースダウン)している日本経済が、アジア各国との友好関係のなかで次の先進的位置を確保するための未来戦略である。
「高年化製品経済圏」
高年者が肌で感じられるほどの「モノの地域化・国産化」が安定した存在感を示すとき、「日本高年化社会」を下支えする「高年化経済活動」の安定した姿が見えてくる。
再度確認しておくが、優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、このまま途上国製品に埋もれてしまうなど決してありえない。「高年化社会」を支える良質なモノの創出に乗り出す供給者ともなり、利用する需要者ともなる「昭和丈人層」が活動を活発化する。家庭用品のアジア・エリア内での先進性を確保するレベルを意識して、「高年化コア(核)用品」(一生ものの優良品)を生産者に要請する。各地各種の中小企業は、自社の高年技術者を中心にして成員全員の力を結集して「高年化優良品」を開発することに挑む。引退した社友も参画して、みんなで愛着をもって使える国産品を支えていく。
現有の経済圏にさらに「高年化製品経済圏」を上乗せする「子ガメの上に親ガメ」といった趣きの経済活動が展開されることになる。地域の持ち場で可能な「高年化製品」の開発に成功した業種がふえることで地域の高年者の生活を多彩にし豊かにし、それによって内需を安定させ、将来は海外の高年者が求める良質で丈夫で長持ちする日本製の「高年化用品」を準備し、「加工貿易立国」としての信頼を引き継ぐ。
「人生の夢日本の夢」
「高年者優遇リストラ」
さらにこれがもっとも重要なことだが、世界中の高年者が一生に一度は訪れてみたい、「人生の夢日本の夢」を満たすような高年者優先の街並みや施設を、高年化先進国として全国各地に創出することができるかどうか。
推進役はいうまでもなく全国津々浦々の「丈人層」のみなさんである。みずからが暮らしやすい「社会の高年化」を構想し先行して築く。こういう「構造改革」が可能なのは、優れた能力と気力と倫理性をもつ「昭和丈人」のみなさんが広範に健在でいる時代だからである。日本高年者の持つこういう「世紀の役割」を感知できず、能力を発揮する環境を整えることなく渋滞させてしまったのは、だれか。高年者が「尊厳を保ちながら自立して参加し、自己実現を果たす場」の形成を怠ったのは、だれか。
日本企業の苦境脱出のために再逆転の思考「高年者優遇リストラ」(企業経営の若年者優遇から高年者優遇へ)が求められている。
グローバル化(アメリカ化・途上国化)に対応するため若手・女性・中年の主導によってなされた「逆転」の契機は、今度は「高年化」に対応する再逆転として、先人が残してくれたわが社の「高年化優良品」を契機として、高年社員主導ですすめられる。
企業にとっての多重標準は、製品の「若年化」「女性化」と「高年化」であり、「国際化」と「国産化」である。高年消費者にやさしい自社製品を通じて、「社是」にあるような社会的存在としての自負と自信を取り戻し、成員全員が力を尽くして内外の風圧に耐えうる「新・企業樹形」を形づくる。その過程そのものが「終身雇用」や「年功序列」という伝統の愛社意識による新たな表現であり、「日本型マネジメント」の真髄である。愛社意識を醸成しながら「再逆転」に立ち向かうには、なによりも「和の絆」によって培われた新製品の開発でのわが社の来歴に学ぶことだ。これで負けたらしかたがない日本企業の「伝家の宝刀」なのである。
*・*造る者と使う者の出会い*・*
「造る者と使う者の出会い」
中小企業の高年技術者の努力で、優れた「高年化国産品」が考案され、製造され、発売されたとしよう。それを必要としている高年者ユーザーもいる。だが、その手元に「高年化製品」情報として届かなければ、さらには購買意欲を動かすことができなければ、「高年化商品」として消費には結びつかないし、「高年化用品」として家庭に入らない。
逆にまたユーザーとしての要望があっても、商品の所在がわからず、メーカーの現場に届かず、製品化の検討がなされなければ、「高年化国産品」が生まれるチャンスを失う。一方的に造る側によって使う側が支配されるスーパーやコンビニ商品では人生を楽しむ「家庭内の高年化」などできない。「造る者と使う者の出会い」による優良品の製造と流通。その実現はたやすくはないが、できないことではない。
まずはネットのウエブ・サイトの充実。しかし何といっても、造る側と使う側の高年者が直接に「モノ」に触れながらタテ・ヨコ・ナナメに情報を交換しあえる場としては、「商品展示場(会)」がその場を提供するであろう。二〇二〇年を待つまでもなく、それほど遠くない時期での開催が想定されるのは、年ごとの「高年化用品展示会」である。
「高年化社会」を支える丈人層のみなさんの年ごとの「モノと場の成果」を表現する場となり、高年者がワンサと会場へおしかけて、みずから利用するための専用日用品を求め、さらに次回のために斬新な企画や要望や議論がユーザー側とメーカー側の間で活発に展開される。いうまでもなく、ここでの高年者は、「人生の第三期」を物心ともに豊かに愉快に過ごそうという「丈人力の旺盛な高年者」のみなさんである。
「国際福祉機器展」
「高年化用品展示会」
すでに一〇月一日を「福祉用具の日」として、三〇回を越えて「老人と障害者の自立のための国際福祉機器展 HCR」(社会福祉協議会・保健福祉広報協会)が、着実な歩みを続けているのは心づよいことだ。ここでは健丈な高年者層が対象だから、内容も時期も先行の同展などを下支えする立場、たとえていえば二重丸の外丸といった性格の展示会になる。
「豊かなあすを拓く高年化優良品展」をテーマにかかげて、新製品を選りすぐって、「高年化用品展示会」といった形での開催が予見される。おおいに想像をたくましくしてほしい。
この展示会は、「日本高年化社会」を体現して暮らす人びとの要望に応えるさまざまな新製品を展示するとともに、各ブースには参加者が新製品のための企画アイデアを持ち込んで製品化につなげる談論コーナーも設けられるだろう。高年世代が年々、共感をもって参加できる場となるとともに、将来の「高年化社会」の形質を先取りして表現していくことになる。
フェアの内容や規模や開催時期は、実務の人びとが、すでに開催しているものとの間合いを計りながら、収支予測などもふくめて綿密に進めていくことになるだろう。
ステージに立つ顔ぶれも見えてくる。高年者を購買層とする新商品を成功させた企業、住宅関連の企業、観光、カルチャー関連、ファッション、広告、健康・スポーツ、高齢者雇用といった業界・分野。さらに先進的な高年者活動を展開している自治体や商工会、高年者の活動組織。そしてマスコミ・関連官庁などがメンバーに連なるだろう。
将来の「高年化用品展示会」のシンボル的な存在となることを意識し意図して、柔軟な構想力と豊かな表現力をもつ各界代表と消費者代表が構成する「(仮)高年化用新製品懇談会」が公開討議を重ねて「高年者用品フェア」構想を練りあげる。クリエイティブで愉快な「シニア文化圏」のひとつとなる。
これが最良でありすべてといえるわけもないが、二〇二〇年を見透かして、みなさんの要望を想定し、実現が可能と思われる
囲で、いくつかのブースを設定してみよう。もちろん単独ブースでの開催でもいいのだが、ここは大振りに一六ブースを揃えてみた。「高年化社会」を支えるモノと場のありようを集約する展示ブースである。
*・*「(仮)日本高年化用品展示会」の開催*・*
「(仮)日本高年化用品展示会」
本稿の各所で二〇二〇年への実現目標として提案している「高年化社会」への構想を、下支えする「モノと場」のありようを、展示ブースの形で集約したものが「(仮)日本高年化用品展示会=NIPPON SINIA―SPECIAL―GOODS FAIR=NSSGフェア」である。
それにしても「高年化社会」として避けて通れない課題とはいえ、その体現者として期待する高年者層の姿が不確かな時期に、いささか大振りな構想に踏み込みすぎたかもしれない。二〇二〇年への近未来構想なのだから、大きいことはいいことだ。小振りにするならいつでもいくらでもできる。そこでここはとびきり大振りに一六ブースを揃えてみた。
1 「高年期五歳層の日」(五〇~五四歳の日や六〇~六四歳の日や七〇~七四歳の日など)
同世代講演会、同世代コンサート、五歳層別スポーツ競技、五歳層別の健丈度
2 「高年化新用品」発表会
ひとつ上のレベルのリニューアル用品、「超人生」用品、高年期起業、能力再開発
3 「三世代同等同居型住宅」と「四季型(通風)住宅」展示
自然との共生、ファミリー・サイクルと住宅、関連設備、建築相談
4 「シニア・チェア」と高年化対応の室内用品の制作・展示即売
「チェア」製作コンテスト、室内用「高年化対応「コア(核)用品」、専用家具
5 「高年化地域特産品」と「三世代四季型商店街」フエア
「高年化地域特産品」の即売、地方の「三世代四季型商店街」フェア
6 生涯学習・高年期活動報告
まちづくり報告、高年期活動報告、「地域シニア会議」 カルチャーセンター
7 「四季」の暮らし
春・夏・秋・冬展、ボンサイ、生花、四季の花鉢、「四季花軸」・四季カレンダー
8 高年者街着ファッションショー
地域の四季ファッション、和装街着ファッション、高年者向け衣装、小物、化粧品
9 高年者用装身具・日用品小物の展示・即売
帽子、杖・ステッキ、メガネ、カバン、時計、シューズ、筆記具
10 なつかしの名器・名機・古書・骨董の展示・即売
カメラ、古時計、SP機器、レコード、オルゴール、模型、陶磁器、古書
11 観光・観賞旅行案内
熟年ツアー、世界遺産の旅、「還暦富士登山」、「古希泰山登頂」ツアー
12 「シニア文化圏」のつどい
講演、演奏や工芸家の実演、句会、「高年大学校」「シニア大学院」
13 高年者向けメディア
高年者向け情報誌、高年者向け放送番組、保存版図書、シニア・ネットの会
14 「健康と食品」の実演・販売
旬料理と食材、薬膳料理・茶の実演、包丁・道具類、健康食品、予防医学機器
15 高年者用キャリッジ
高年者用仕様車、電動付車両
16 高年者の健康スポーツ
健康スポーツ、碁・将棋・麻雀
各ブースの参加コーナーでは、高年化用品の新企画、高年化用品の人気投票、健丈度診断などなど・・。
「(仮)国際高年化用品展示会」
「(仮)地方高年化用品展示会」
さて、人気投票によるベスト・スリー「高年者三種の神器」はどんなものだろう。
「高年期五歳層の日」は華やかで知的に、同世代であることをたたえ合う場に。「チェア製作コンテスト」は、世界から優れた技術者を招いて。「和風街着ファッションショー」は、各地の衣装製作者と高年者の晴れ舞台に。
以上の三つのイベントをフェア盛り上げの核にして、一年間の成果を示す展示会とする。仲間の一年間の成果をたたえあう場面がみられるだろう。演出は優れた高年演出家にゆだねよう。
メーカーとユーザー双方の交流の場として、高年者の暮らしの「モノと場」の現在を示すことになる。右のような「(仮)日本高年化用品展示会」の開催を成功させることができればさらには海外のシニア世代に呼びかけて「(仮)国際高年化用品展示会(WSSG・フェア)」を日本の大都市を開催地として行う。年に一度の日本訪問を、世界中のシニア世代の人びとが「人生の夢」としてやってくるような。そして何より本稿が期待しているのは、県都レベルでの「(仮)地方高年化用品展示会(LSSGフェア)」の展開である。地域特性をたくみに取り込んで演出した「高年化地域特産品」の展示会は、全国各地の「モノと場の高年化」の熱意と豊かさの表現となるからである。
現代シニア用語事典Ⅱ #2長寿ぐらしは孫との同居
Ⅱ #2長寿ぐらしは孫との同居
*・*マイホームに「マイ」がない*・*
「国家・企業・マイホーム」
「財政赤字と家計黒字」
長寿である戦前生まれのすべての人が「国家中心の時代」から「企業中心の時代」へ、さらに「マイホーム中心の時代」へと三つの時代を体験してきた。そうしてたどってきた暮らしのすべてに体験をもつ人びとが、いまも一貫して「マイホーム中心」の立場に理解を示しつづけていることを見落としてはならないだろう。国民意識の振り子がひとたび「一億玉砕」という「国家中心」の果てまで振れた末に敗戦国となった。そのあとは、企業の成長と成果がそのまま国の復興の基となり、企業の安定がそのまま家庭の安定につながると考えることができた人びとは、進んで「企業戦士」となったのだった。戦士という生き方がステージを変えてつづいた。だから企業戦士にとって「マイホーム」は休息の場であり、家族の幸せのよりどころとなった。
国家も企業もわが家もどれも等しく重要なのであるから、三つが同時に等しく扱われることがあってほしいのだが実際にはむずかしい。個人の立場を重視する「民主主義」のもとで、半世紀に超一四〇〇兆円の個人資産をため込んだ一方で、超一〇〇〇兆円の財政赤字を抱えてしまった国家。それを軽視して振り子がさらに「マイホーム中心」の果てまで振れつづけたときにどうなるか。国家はおろか企業も立ちいかなくなって、わが家だけが平穏でありうるものか。そこでまた記憶をたどって「国家中心」の方向へと振り子はもどろうとするのか。穏やかに推移するとは思えない。
「マイホーム主義」
「核家族」
いまはなお「マイホーム中心の時代」。
マイホーム、耳にすると心安まる、なんともいえず響きのいいことばである。これほどまでに生活感を内包しえたカタカナ語を、他に探すのはむずかしい。いま高齢者となっている人びとがそれぞれの人生をかけて、二○世紀後半の五○年の間にその内容をつくった日本語なのである。だから細部の意味合いは個人によって異なる。個人として大切に保っているひよわなもの、よき(良き、好き、善き)ものを守る砦として、「マイホーム」は先行の「わが家」や「家庭」などとともに、それに負けない温もりを日本語として持つに至っている。そのぶん「ホームレス」ということばがわびしさを伝えてくる。
戦後っ子だったパパとママは「マイホーム主義」とからかわれながらも、狭いマイホームに身を寄せ合って暮らし、必死に働いて、ふたりの子どもを育ててきたのだった。夫婦と子どもふたりの家庭が都市型住民の典型となり、「核家族」と呼ばれ、「標準家庭」ともなったのだった。その後、職場まではいっそう遠くなっても、マイホーム・パパは、子どもたちそれぞれに一部屋をと考えて、団地からさらに郊外のプレハブ一戸建てに引越した。そういう体験をもつ人びとは少なくないだろう。
人生のはるか遠い地点までを見透かして、可能なかぎりの費用を工面してマイホームを獲得し、いまそのころ見据えていた地点の近くに高齢者として立っている。マイホームの当主としての存在感を確認するために、じっくりとわが家の中を見直してほしい。家族の希望をかなえることを優先して、そのぶんみずからの希望を抑えてきた結果、不相応な応接セットや家具といった家族共用品はあってもみずから求めた専用品というのは少なくて、「モノと場」に表わされた当主の存在感が意外に希薄なのに気づくであろう。
「ヒカラビてる人」
「ヨボヨボ・ジジババ」
ここでは実際に両親と子ふたりの核家族Fさんのマイホームを覗いてみよう。娘と息子がパラサイト・シングル(寄生独身者)をきめこんで、親元から出て行かない家庭。イエローカード一枚といった子どもを持つ「団塊シニア」であるFさんに登場を願うとしよう。
Fさんの上の娘は短大を出てフリーター暮らし。かせぎはほとんど衣装と海外旅行に消えている気配。下の息子はごく普通の大学をごく普通に卒業して、親のひいき目でもしっかりしてきたように見えるのだが、就職試験を受けて勤めはじめた有名輸送会社だったのに、短期でやめて家にいる。大学を出たのだからと本人の自主性にまかせているが、というより言っても聞かないから気儘にさせているが、同じ経緯をもつ友だちとパソコンやケイタイで情報のやりとりをして過ごしている。時折り出かけて「職さがし」はしているものの、「ニート化」(NEET。働くつもりのない若年無業者)への気配もある。
娘や息子の話を聞くともなく聞いていると、両親と同じ高年者を、「ヒカラビてる人」とか「ヨボヨボ・ジジババ」といっていることがある。時には父親を「アノヒト」、面とむかって母親を「キミ、元気かね」と呼ぶなど、軽くあしらわれていると感じることがたびたびある。
「この家はわたしが名義人なのだ」などというのも愚かしい。壁面に娘が貼った「のりか」(藤原紀香)のポスターほどには、底値までさがった土地の築二〇年という家の壁に存在感があるわけはない。
「わが家のブランド品」
わが家の中を見直して見る。本だなの本が動いていない。耐久性のあるものは、どれも十年以上まえに購入したものばかり。一方、暮らしの表面を流れていく日用品は、百均やスーパーものが多くなった。なかに妻や娘のルイ・ヴィトン(バッグ)やプラダ(バッグ)やディオール(服装品)やシャネル(化粧品)などといったFさんにもわかるブランド品も少しあって、そのアンバランスさに父親であり夫である自分への無言の不満が隠されているように思える。Fさんのブランド品といえるものは、後にも先にもオメガ(OMEGA 終わりの意)の腕時計だけ。専用品の希薄さは、みずからのために生きることへの自負の欠落でさえある。
「マイホーム」のために努めてきたはずなのに、と思うのはFさんのほうの都合であって、最も優遇されている仲間を比較の基準とするジュニア側は、そうは思っていない。「ツカエナイ親!」として、おおかたは現状に不満なのである。
「家庭内ホームレス」
両親には不満との葛藤を行動のエネルギーにしている子どもたちの体内に蓄積された「荒廃菌免疫」のありようを、つまりわが子の潜在的ワル度をFさんはつかめていない。当主として当然のこととしてきた家族への配慮が、「人生の第三期」にはいった自分を支える磁場の不在となってしまっていることには気づいている。
マイホームに「マイ」がない。では「新宿ホームレス」とどこが違うというのか。たとえ不在であっても、当主の存在感を同居人にきちっと示しているような家庭内の拠点が必要なのだ。そのための専用スペースの確保。といって、夫婦と子ども二人で最低居住水準をぎりぎりクリアしている3LDKの住まいだから、当主として一部屋をなんて余裕はない。子どもたちが親ばなれせずにいるから、それぞれ一部屋、それに夫婦の一部屋である。部屋の確保を謀って追い出し(子どもの自立)を試みても、獲得に失敗した末に孤立してしまうようでは、拠点どころか「家庭内ホームレス」になってしまう。となると共用スペースであるリビング・ルームの一画となる。要は、たとえ不在であっても当主の存在感をきちっと示せるようなコア(核)をつくることにある。
*・*「マイ・チェア」の即座の効用*・*
「当主不在の在」
「家庭内リストラ」
「家庭内の高年化」なのだから、されるのではなく、するものである。たとえ不在であっても、当主の存在感を示せるような「当主不在の在」としての「わたしのもの」の存在。いまリビング・ルームを見渡しても、何もかもがそうであるようでそうでない。おおかたは家族共用品なのである。
「家庭内リストラ(高年化)」はこれまでそういう意図がなかったのだから、際立って「わたしのもの」といえるものなどないのが当たり前。亭主関白といわれながらも、意識して自分のものを置いているという人なら、もうここから先は読む必要のない「先駆的現代丈人」である。
おおかたのマイホーム・パパは、常人であることを率直に認めて、わが高年期人生を輝かせる「丈人モデル」型の能力を、傍らにあって支えてくれる「高年化用品」を意識して配置することにしよう。蓄えてきた知識や積んできた経験をさらに深化・発展させることに資する「わたしのもの」を、いつでも利用できる状態に置いておく。身近にあって「わたしのもの」といった役割を担えればいいのだから、高価なブランド品である必要はない。日ごろから愛用しており、「わたしのもの」という存在感があればいい。これと決めた「高年化用品」を基点にして「家庭内リストラ」をすすめ、高年期の住環境を整えようというのである。まずはひと昔前まではNO・1の愛用品だった机と文具類。いまやパソコンとEメールの時代だから、久しく脇役に耐えていることだろうが、馴染んだ机は「高年者意識の据え置き場所」として確保して活かしたい。
「高年化コア(核)用品」
デジタル化で実用性を失ったがシャッター音と手触りの愉悦には変わりがないカメラ、部品の揃わないオーディオといった愛用機器。楽器。それにあちらこちらに散在していたのを全員集合!をかけてあつめた一二〇冊ほどの愛読書。碁・将棋盤やゴルフ・釣り具セット。優れた手仕事に感じ入っていた碗・皿・硯といった日用骨董品。明かり、時計、置物などのアンチーク(西洋古美術品)。日ごろ忘れがちな優美なものへの快さを呼びさましてくれる彫刻や絵画。造形や色彩が精細なものへむかう感覚を刺激してくれる貝や蝶。さらには地球儀、船・飛行機・汽車・車のミニチュア。素朴な木製アフロ・グッズ・・まだある。
どれも当主としてはお気に入りの「高年化コア(核)用品」の候補だが、多くはいらない。五~七点を自分で納得して選び、置き場所を決めればいいことだ。これと決めた愛用品を際立たせることで、家庭内に高年期のステージが立ち上がる。静かな「家庭内リストラ」が動き出す。そのうちに同居人が「パパのもの」としてその存在に気づくだろう。
意想外に地球儀なんかがおもしろそうだ。東アジアの隅にある島国ではなく、太平洋リング(大洋弧)の一角にありながら、経済や文化の上で大きな貢献をして輝いている「優れた小国」であることを、宇宙飛行士の視点で納得することができる。「小日本(シャオ・リーベン)」は、「粗野な大国」よりはるかにあってほしい慕わしいわが祖国の姿ではないか。
手にいれるのは困難な貴重種だそうだが、蝶の皇帝といわれる一頭の「テングアゲハ」なんかなら、華麗に舞う姿を思うだけで気分は晴れる。胡蝶に同化してひらひらと舞ったという壮年の荘子の「胡蝶の夢」は、味わって損はない。旨し「天の美禄」(酒)をとくとくと注ぐ「しりふくら」(徳利)でもいい。親ゆずりの高価な骨董品などがあれば、さりげなく実用にして活かす。高年期の願望を仮想空間に委ねる「わたしのもの」だから候補はいくらでもある。なければこれといったモノを探すこととなる。
「シニア・スペシャル(SS)シート」
「マイ・チェア」
「団塊シニア」のひとり、Fさんには親ゆずりの骨董品など何もない。リビング・ルームを見直した末に、小さな庭と室内の双方が見渡せる窓際に、特別席「シニア・スペシャル(SS)シート」(高年者用特別シート)を据えることにした。会社でも窓際だし家でも窓際でと、居心地を合わせることにして。そして文字盤が気にいっている置き時計をサイドボードの隅に、旅先で入手したパピルスに画いた「狩猟図」と漢画像石の拓片「舞踏する熊」図を壁面の左右に飾ることにした。
Fさんの「SSシート」は、高年化時代を表現する「コア(核)用品」として、含みのあるいい選択のようである。重量感より意匠センスより何よりも座り心地を優先する。いうなればわが家の「玉座」「師子座」「座禅座」である。かつてインドでシャカムニが宝樹の下に座して思惟したように、わが人生の来し方と行く末を半跏思惟する座を自選するのだから、「マイ・チェア」として大切に扱うことにしよう。すでに愛用のイスをお持ちのみなさんは「マイ・チェア」と呼んでください。「マイ・チェア」に座して高年期人生の今日から明日へを静かに思惟する「半跏思惟」丈人となる。
「人間は誰しも『私の椅子』と呼べるような椅子を持つ必要があり、そうなって初めて自宅で本当に落ち着いた気分を味わえるのではないか」というのは、マイホームを建てたときから気にしていた建築家の提言で、まことにその通りと思っても、ローンをいっぱいに組み込んだFさんには、そこまでの「自己実現」の余裕はなかったし、家族思いの当主としてはそこまで自己主張をしなかった。いまその実現の時なのだ。老い先長い高年期を通じて、愛着をこめて使い込むことによって座り心地を熟成させてゆく「マイ・チェア」。即座の効用としては、家庭内に存在をアピールする磁場となる「高年化コア(核)用品」として、格別の思いを込めてそれなりの費用を投じて得た「シニア特別席=SSシート」を、家の中でもっとも居心地のよい場所に据える。
一日のしごとを終えて、「やれやれ」と腰を落とし、心を静めてひとしきり一日をふりかえる。「さて」と気を改めて明日を思い、「よし」と意を決して立ち上がる。それでいい。 それが「マイ・チェア」の即座の効用なのだ。どっしりと座って、からだの重みとともに来し方への充足感、行く末への待望感を委ねる。時には座して陶然として、すべてを忘れる「坐忘」の境地にもひたる。それなくして何の人生か。
「座る文化」
「古希杖」
Fさんの調べによれば、さすがに「座る文化」の歴史が長い欧米の製品には値切っても世紀の長があって、実にさまざまに意匠をこらしていて、見るからによく、座り心地もよさそうだという。最高の座り心地を誇るのは頭と腰がほどよくフィットする北欧製のリクライニング・チェア。競うのはドイツ製スツール、イタリア製アームソファ、カナダ製スウィング・チェアなど。いずれ劣らぬ「八面威風」の居ずまいがあるし、値段も思いのほか幅があるそうだ。
長い高年期を安らいで過ごすための拠点が「マイ・チェア」なのだから、かつて恋する人を失った苦い思いを繰りかえさないために、これといったイスと出会ったら思い切って投資(浪費)をする。後半生が始まる五〇歳の誕生祝いに購入するのもいい。そうそう「杖・ステッキ」も、おしゃれで品のいいフランス製やイタリア製やドイツ製、和風折りたたみ杖もあるが、名入りの彫刻をほどこした木製ステッキなら素敵な装身(護身)具になるにちがいない。五〇歳には「マイ・チェア」、六〇歳には「赤毛着衣」、七〇歳には「古希杖」、八〇歳には「傘寿がさ」といった通過記念の自祝品はどうだろう。どれも心躍る製品と出会えればいい記念になるだろう。
「チェア博物館」
二一世紀を貫く夢のひとつ。高年世代の人びとが、それぞれに座り心地がよい特選のイスをわが家に据える。家庭内の「モノと場の高年化」の拠点として存在感のある「マイ・チェア」として。各地にチェア工房が形成され、毎年の「チェア・コンペ(競技)」には、各国から腕よりの職人がやってきて技を競いあう。この国はそのまま「チェア博物館」となる。どうだろう、家の内と外、国中どこにでも座り心地のよいイスが据えられていたら、立ち疲れることもないし、優先されない優先席などいらない。二一世紀末の高年者たちは、世紀初頭に先々々代の「昭和人」が使い込んだ「チェア」に腰を据えて、愉快な座談が楽しめれば深く感謝するだろう。
たしか「チェアマン」(チェア・パーソン)というのは、議長や会長のことだが、高年化時代には、愛着をこめて自選・自作した「チェア」を保持して高年化社会の主役としての存在感を示す人のこと、といった「新チェアマン」の説明が加わることになる。どっかりと座って、しっかりと座視することで、わがこととともに周りの人びとの「人生への希望」もまた、はっきりと見えてくる。
*・*専用品をつなぐ暮らしの動線*・*
「超人生耐久品」
「三世代ステージ化」
家庭内の「高年化コア(核)用品」として、前節ではFさんの「マイ・チェア」を紹介したが、高年期の自己目標に立ちむかう能力を支えてくれる愛用品でありさえすれば何でもいい。
とはいえ、傍らにおいて生涯にわたって愛用していく「コア(核)用品」となれば、数年でモデルチェンジするような消耗品では役不足。だから日進月歩で変化する電化製品や車などは高価であっても評価が成り立ちづらい。といって「千年杉」を細工した違い棚のような鮮やかな年代主張はなくともいい。どうだろう、ここでの「高年化用品」というのは、五〇歳から終生あるいはもう少し先の「超人生耐久品」(遺産として残るほど)といったものとして、およそ三〇~四〇年は傍らに置くというあたりをメドとしよう。「高年化」は「長年化」でもあって、だから高年者だけが利用するという狭い意味ではない。
家の中のオープン・スペースに置かれているのは多くは家族共用の調度品、つまり「三世代ミックス」型用品である。そのうちで花器や草花の鉢植えや観葉植物や床の間の軸といった季節の気配を屋内に取り込む用品・用具は「家庭内高年化」にはほどよい素材である。ソファなど高級家具はそろっていても季節の気配が動かないリビング・ルームや客間なら「丈人度ゼロ!」としての評価を下しておこう。「家庭内高年化」のありようは、祖父や父親の姿にみたような相続特権に裏打ちされていた厳父気取りとはほど遠いものである。中年期に得た人生経験の成果を、「モノと場」として家庭内にさりげなく配して、みんなに納得された上でわが高年期の暮らしの拠点とするのだから、高年者意識をしっかり立てて仔細に工夫をしないと思わしい結果がえられない。
家族構成にもよるが、「三世代同居」のお宅だと、孫(青少年)、子ども(中年)、自分(高年)の三世代がそれぞれ優先・専用する「三世代ステージ化」が課題になる。これまでの家族共用品はそのままとして、高年者むきに特化した生活空間を創出するにあったては、同居人の生活動線を考慮しよう。同居人から生活空間の自由を奪うものでないことが理解されないと先に進めないからだ。いくつかの「高年化コア(核)用品」を決めて、それを基点にして専用品「パパのもの」を随所に配する。「北辰(北極星)その所にいて衆星これに共(むか)う」ということになる。
「モノ同士のモノ語り」
「家庭内丈人度」
「高年化用品」を季(機・気)に応じて差し替えることで、わが家のリビングで四季折り折りの「モノ同士のモノ語り」が楽しめることになる。こうしていくつかの「高年化コア(核)用品」とそれをめぐるいくつもの専用品(高年化用品)を配することで、存在感が希薄であった時に比べれば、当主としてのありようを喚起するしかけが見えてきたといえるだろう。同居人は、「チェア」や壁面飾りや日用品に示される当主の「家庭内丈人度」に関心を強める。それでいい。
外で優れたボランティア活動をしていても、わが家の中に高年者としての存在感がないようでは、ほんとうに優れた高年活動家とはいえない。ここでは「丈人モデル型の能力」を支えてくれる国産品、わが家に親しい友人を迎えるような興奮を与えてくれる「高年化用品」を創り出してくれる各地の熟年技術者のみなさんに熱いエールを送ってから先にいくとしよう。
「高年男子必厨」
「銘入り出刃一丁」
次にはキッチンの情景。
高年男子が「食」を知らないでいては、いつまでたっても女性との長寿の差の七歳は縮まらない。そこで高年期に入った男子は、志を立てて厨房に入ることにしよう。
「高年男子必厨」丈人として、日本橋・木屋や京都・有次あたりの包丁三丁(出刃・刺身・菜切)くらいは吟味して入手する。「銘入り出刃一丁」は有用な「高年化コア(核)用品」である。タイまではいかなくとも、中型のイナダやシマアジなんかを手ぎわよくおろして食卓に供する。さらに「旬の食材」もみずから用意する。今夜の口楽であり生涯の悦楽である食の道楽。味覚とともに調理もまたきわまりなく熟達しつづけていく「丈人モデル」型の領域なのだから、おおいに腕を振おうではないか。家人も喜ぶ季節メニューが増えれば悦楽は倍になる。
食器も形や感触を楽しめる専用品だ。自作のものを含めて「これはパパのもの」という食器が、食のシーンでの存在感を示す役目を担う。
「男子必厨」丈人によるキッチンの「高年期のステージ化」は、なごやかに緩やかに形成すべき難題である。得意料理をつくるところから入らず、食器の片付けや用具の手入れや調味料の整理あたりから、さりげなく構築していくことに秘訣があるようだ。
「丈人資格自己認定」
とこうして、いくつかの「高年化コア(核)用品」を基点として、いくつもの専用品をつないだ暮らしの動線が太く見えてくれば、「家庭内高年化」が成立したといっていい。マイホーム・リストラでの「丈人資格自己認定」ということになる。
「いまさら面倒やさかいに、わての人生はその三世代ミックスとやらで結構や」という人もいるだろう。人それぞれの人生やさかいに、ご随意にどうぞ、といいたいところだが、結論は試みてからにしてほしい。苦労して得たマイホームで、当主としての充足感が時の移ろいとともにヒタ寄せる体験は思いのほか快いことなのだから。
高年者意識を静かにしかし熱く立てて、家庭内の「モノと場」の高年化構想を固める。
「パパとママは落ち目、明日はボクラのもの」と早合点していた若い世代に、本来あるべき姿としての高年世代の「第三期の人生」を認識させることになる。ではもう一度、親しい友人を迎えるような終生愛用できる「高年化用品」を創り出してくれる各地の高年技術者のみなさんにエールを送って先にいくとしよう。
*・*近居より同居が未来型*・*
「エンプティ・ネスト」
「二世代住宅」
団塊世代よりやや高年の方の場合には、哀楽をともにして暮らした子どもたちが巣立っていき、移り住んだころの幼い姿などを「不在の在」として想い見るほどのスペース(「エンプティ・ネスト」。空になった巣)を、そっとしておくことができているご家庭も多いことだろう。
中年期に家計をぎりぎりまで工面して借り入れをし、都市郊外に住宅を購入して子どもを育て、子どもがそれぞれに自立した後は夫婦ふたりで暮らしているマイホームは、「二世代住宅」と呼ぶことができる。父として母としての立場で内容は異なるだろうが、子育てのいくつもの困難をクリアしてきた父母としての側の感慨のスペースであるとともに、子どもたち、とくに娘にとってはひそかな生活戦略にかかわるスペースでもある。
このところの傾向として、「世帯同居」は減り続けてきて、高年者(ここは六〇歳以上)の四〇%が同居を望んでいるのに、実際に孫と同居している人はいまや二〇%ほどに。桑田佳祐の「TSUNAMI」がトップという時代に、大泉逸郎さんの歌った「孫」が場違いといった感じでベストテン入り(二○○○年度の一○位)したことがあったが、減少傾向はなお続いており、願望ははやり歌の背景に遠のきつつある。
「孫育て」
孫はかぎりなくかわいい。「二世代住宅」に暮らしている父と母は、子どもが巣立ったスペースを今度は孫のためにしつらえ直して、三代目を養育する場を用意することになる。「近居の場合」は、離れて暮らしている分だけそれぞれの独立とプライバシーは損なわれることはないが、離れている分だけ問題回避型の接触とならざるをえない。幼い孫はかわいいし、張り合いをもたらしてくれる。そこで会うごとに何かと望みをかなえてやる、やさしいおじいちゃんとおばあちゃんになる。きちっとした「孫育て」には限界があるのはわかっていても、現状ではこのあたりが高年者にとっては標準的しあわせ家族となっている。娘が結婚して世帯を持ち、子どもが生まれる。「できちゃった婚」が並みの時代だから、結婚後一〇カ月のハネムーン・ベビーより結婚六カ月後が最多とかで、案外はやく確実に「ベビー(孫)」がやってくる。この二五歳までの出産期をはずすと、あとは先延ばしして三〇歳代に。これでは少子化に歯止めのかけようがない。それでも三〇歳の大台に乗って、なんとか子どもをと覚悟はきめたものの、養育・教育費は家計の重圧になるというし、マスコミを賑わす子どもたちの反抗・犯罪を目の当たりにして、不安はつのるばかり。そこで、「カアさん力を借して」ということになる。
「新エンゼル・プラン」
「実家依存症」
子育てに母親の助力を期待しすぎると、国をはじめ夫婦ふたりによる「新エンゼル・プラン」を理想として子育てを推奨している自治体、若いカップルを囲いこんで子どものしつけを教えるしごとをしている側からは、「実家依存症」といわれかねない。
それでも子育てに母親の助力(家族の含み資産)を期待して両親と同居して暮らすことを考える娘夫婦がいる。かつてシュウトメにわずらわされない専業主婦を求めた母世代の「核家族」指向から、専業課長でありたい娘世代の「二世帯同居」へのUターンである。
孫世代までを想定した「三世代同居型住宅」は、子どもの側からばかりでなく、新しい大型戸建て住居に住むという両親の側からの要請も少なくない。親世帯からは親子近居の解消、家屋の老朽化やバリアフリー化や大型住宅への願望などが主な理由で、加えてメーカー側の総合住宅指向、さらに融資や税の優遇もある。親世代の支援を受けて「少子化」を解消し、先人から引き継いできた「暮らしの知恵」を次世代にしっかり伝えられるような「三世代同居」型住宅が期待されることになる。
道路、橋、ハコ物という大型公共事業に頼ってきた建設業界も、地域住民の暮らしの基盤である住宅建設という基本に立ちかえる好機である。大都市型の「蜂の巣マンション」というのでは方向が逆である。地方都市の近郊農家の建て替えなどでは「三世代同居」型住宅がもっと指向されていい。三世代同居という「新・日本型標準住宅」を各地に展開して、新たな地域開発の潮流を起こすくらいでいい。国も「暮らしの知恵」を次世代に伝えられる「三世代同居」住宅政策を掲げて、思い切った税制や資金の優遇をおこなう必要があろう。
現状では政策も税の優遇も融資もそして世論の支援もケタが足りないのである。
*・*暮らしの知恵を孫に伝える*・*
「世帯同居住宅」
「長寿社会対応住宅」
大都市近郊に住むWさん夫妻は、娘家族の要望もあって、建て替えの負担を覚悟して「世帯同居」型の住居を建築することにしている。
メーカーを通じて調べてみると、事例は決して少なくはない。各メーカーともユーザー側のさまざまな要望に対応できるノウハウを持っており、住宅内のバリアフリー化はすみずみまで意識されている。部屋の配置はもちろん、つまづいて転倒しないよう段差をなくしたり、手すりを設けたり、階段の勾配を緩くしたり、車イス(訪問客もある)を考慮して幅広廊下にしたり、少ない動作で開閉できる引き戸にしたり・・などが実現されている。「家族とともに成長する住まい」を提案しているメーカーもある。すでに建て替えて「三世代同居住宅」に住んでいるお宅を実際に訪問する機会を提供しているメーカーもある。そこで、Wさんは参加してみた。古くからの由緒ある住宅地での建て替え住居だから外形も安定しており、街並みに落ち着きを与えていることがわかる。かなり大ぶりなサクラが庭の隅にあって、それを囲むようにL字型の二階家が建っている。
「家内の母が家族の成長記録とともに大事にしている樹でしてね」
Wさんの庭への視線を察して、ご主人がいう。夫妻のほかは高校生の娘と義母の四人家族。一階は母親の部屋と共用のスペース、二階に夫妻と娘の部屋と広いリビング。書斎もあって、「マスオさん」として「三世代同居」を成立させながら、マスオさんよりはずっと存在感があるように見受けられた。上下階の雰囲気に違和を感じさせなかったのは、母と娘の間に暮らし方の一貫性が保たれているからだろう。「三世代同居住宅」として申し分ないが、それでも義母の側の遠慮がちな気配が構造やモノに表われているのが気になったという。
住宅産業は、「長寿社会対応住宅」として「長寿社会対応住宅設計指針」(九五年、建設省)が出て一〇年余り、メーカーの配慮くらべで高年化対応がもっとも進んでいる業界である。住宅メーカーによって取り組み方は異なるが、どこも「世帯住宅」のノウハウを蓄積している。
そこまでは結構なのだが、せっかくの世帯同居型住宅にもかかわらず、どのメーカーの小冊子のモデル設計を見ても、共用スペースのつくりつけがミドル(+ジュニア)主体に寄りがちになっている。「三世代住宅」とは称しているものの、「離れた和室ひと部屋への高年世帯の引きこもり」が推測できるものが多くみられる。
これではほんとうの高年化対応住宅とはいえない。「人生の第三期」の主役として、長い高年期をゆったりと暮らす家ではない、とWさんも気づいている。孫とも接触がしやすく、祖父母からわが家の「暮らしの知恵」を伝えられる場としての共有のスペースはもちろん、「三世代のプライベート・スペース」を平等に織り込んだ住居と決めて設計にはいっている。
「ファミリー・ライフ・サイクル」
三世代それぞれの暮らしにバランスがとれた「三世代同等同居型住宅」は、高年者側が主体的に構築せねばならない。ジュニア(孫)との接触スペースなどは、可能なかぎり祖父母の側から提案すべきことである。高年者が自在に暮らす住宅としての具体的な要望が足りないために、メーカーから高年化対応に積極的な構造が引き出せないのである。
「三世代同等同居型住宅」は、三世代の暮らしの変化が構造に反映される「ファミリー・ライフ・サイクル」(家族変化の過程に応じる)住宅である。いまの家族の一まわり先を考慮した構造として表現される。三世代がそれぞれ三○年ほど先の姿とそこへ至るプロセスを想い描いてみるといい。もちろん「不在」の孫世代を参加させ、みずからの「不在」の時も考慮して。
メーカー側は、「世帯同居」型住宅は一〇〇年(センチュリー)、少なくとも六○年保証と自信をもっていう。いまの建築水準から耐用年限は五○~六○年は優にある。だから、およそ半世紀後に孫世代家族が中心で暮らす家や家並みをつくっていることになる。傷んだ住宅を修理しながら住んでいる高年世代からすれば、「近居」や「隠居型同居」ではなく、三世代が同等に暮らせる「三世代同等同居型住宅」が「新・日本型標準住宅」として指向され、「家庭内の高年化」への新たな試みとして、知識も活力も資力も注入して参加するだろう。それぞれの家族の態様や地域の特性に応じた改造を加えながら「わが家」が形成される。ライフ・スタイルの異なる三世代が、それぞれ同等にプライベートな生活空間を持ち、お互いに工夫して「わが家三代の暮らしの知恵」を共有していくことになる。
「三世代同等同居住宅」
Wさんは、ライフ・スタイルが異なる家族が出くわすさまざまな場面で、「いっしょに考えて解決することができますから」と期待をこめていう。「三世代同等同居住宅」の実現をめざすWさんは、「世帯同居」丈人と呼ぶことにしよう。子育て期の女性が男子社員と伍して能力を十分に発揮できるよう支援をする「三世代同等同居住宅」は、企業の側からも歓迎すべきものとなる。そして何より孫世代にわが家の「暮らしの知恵」を伝える「母娘同居」という母系のつながりを有効に活かすことになる。母と娘がやりとりする継続性のある生活感、祖父母と接することによってもたらされる孫世代へのメリットには計り知れないものがある。
「うちのジージがね」といって自慢するジュニアが三分の一ほどいないと、この国の先人が残してくれた「暮らしの知恵」が次世代の子どもたちに伝わらなくなってしまう。同居しながら高年者をたいせつにするジュニアを育てる機会を家族。これもまた「高年化社会」を構築するために重要な「三つのステージ化」の一環なのである。