四字熟語-目迷五色

目迷五色
もくめいごしき

色や香は五感を刺激して脳を活性化すると有名化粧品の宣伝にあったが、そうだろうか。先人は逆に「目は五色に迷う」という。

色はいまでは人為的につくれるからその数は無限といっていい。人為的色彩による感覚のマヒを予見しているようなことばである。老子は「五色は人の目を盲ならしむ」といい、荘子も「五色は目を乱す」という。さまざまな色彩に迷わされていると、色を失っていく夕暮れの風景が目にやさしい。モノクロ写真や映画や夢が伝える情感には捨てがたい味がある。

古来、伝統の五色は青赤(朱)白黒(玄)黄で、これがいわゆる正色。正色の朱に対して間色の紅や紫が際立って正色の朱を乱すことを「紅紫は朱を乱す」(紅紫乱朱)といった。たしかに誰の目にも朱衣よりも紫の袈裟や紅裙(紅いもすそ)のほうが目立つ。人びとが好む衣装の色は時代表現のひとつだが、正統というものはワンポイント目立たないところにあるものだと知る例証でもある。

沈徳符『万暦野獲編』など

四字熟語-単刀赴会

単刀赴会
たんとうふかい

三国時代の蜀の英傑関羽の豪胆さを伝える故事成語といえば「単刀にして会に赴く」であろう。「単刀」は一刀あるいは単身の意味。交渉のため単身で敵陣に乗り込むこと。関羽は呉の魯粛との交渉のためにわずかな供の者をつれただけで赴き、堂々の対論を果たして無事にもどったのだった。

会社を代表してひとり資料を抱えて敵陣ともいうべき相手会社や監督官庁に赴く者を、胸の中で支えてくれる強いことばである。

また「言笑自若」は、毒矢がひじを貫き毒が骨に及んだため、名医華佗に手術をまかせた関羽が、肉をほおばり酒を飲み、平然として諸将と談笑しつづけていたというもの。この激痛に平然としている関羽を思えば、少々のピンチにあわてることもない。

世界中の中国商人を支えているのが中華街の「関帝廟」。関羽と商人の出会いの原型は、曹操が手厚く葬った洛陽の関羽首塚とそれを守るため商人に身をやつして訪れて市をつくった蜀の武人たちにあるという。

『三国演義「六六回」』から

四字熟語-如座春風

如座春風
じょざしゅんぷう

「春風に座すが如し」というのは、春の情景ではなく、恩恵を受けた教師に対する賛辞にいう。小・中学校の教場を明るくしてくれていたこういう先生の記憶は、いつまでも暖かく新しい。人生の静かな追い風であったように思える。

後世にまで影響をなす学派や流派というのは、こういう和気をたたえた人物を中心にした一団から生まれるにちがいない。

兄弟が中心の場合が、宋代の二程子(兄が程顥で明道先生、弟が程頤で伊川先生)で、弟が兄を「時雨の潤いのごとし」とその温和さをたたえている。のちの程子学流の興隆をみるとき、このことばが生まれたふたりの師と居合わせた人びとの「春風」の暖かさを思うのである。

伊川先生に教えを求めてやってきた学生が、師が瞑座しているので、一尺を越すほどの大雪の門外で先生が目覚めるのを待ったという「立雪程門」からは、師を敬い教えを求めるとともに、きびしく処する学生の姿がしのばれる。

『二程集「外書一二」』から

現代シニア用語事典--支えられる高齢者(消費税増税)と支える高齢者(内需創出) 

支えられる高齢者(消費税増税)と支える高齢者(内需創出)
高齢者はだれでもいずれは医療や介護を受ける「支えられる高齢者」になります。その数は年々増えており、約1兆円の財政増が見込まれています。それを保持しつづけるのは国の善意の政策であり、だれもが認めざるをえません。財政難を理由に、安定した財源を得るための「増税」論議になります。一方、年々増加して、高齢者(65歳以上)の数は3000万人に達しました。そのうち医療や介護を受ける高齢者は2割ほどいますが、7~8割は元気な高齢者です。いまこういうアクティブ・シニア(アダルト)は、「支える高齢者」なのです。長命な父母を支え、子どものローンを支え、孫の物品を用意します。退職したあとも長い間につちかった知識・技術そして資産も保持していて、「支えられる高齢者」になるまでにはまだ間があります。経緯からみて、いま国政の場からはその存在が見えなくなっています。このすぐれた民力を理解せず、参加を呼びかけもせず、野田・谷垣党首討論での口裏を合わせた「消費税増税」をすすめているのです。増税だけを押し付けて、国民の活力を呼び起こすことはできません。
そのために命を懸けるという宰相とは何者なのでしょう? 近づく破綻を予見して、国会が「国難」をいい、超1000兆円の財政赤字を、担保している超1400兆円の家計黒字から補填するため、「消費税」ほか増税の前倒しによって調達しようとしているのを、国民は醒めた目でみているのです。「増税支持」という世論は本意ではないでしょう。

緊急情報 増税と亡国――消費税増税による平成亡国から救うみち

増税と亡国――消費税増税による平成亡国から救うみち
新世紀以降の国政の経緯からみて、民主党「増税反対」議員の活動に敬意を表します。それが民意だからです。
増税を重ねて栄えた国がありますか。増税だけを押し付けて、国民の活力を呼び起こすことができますか。消費税をあげて消費を活性化できますか。
そのために命を懸けるという宰相とは何者ですか?
いまや国政の場からは国民の本意が見えなくなっています。野田・谷垣党首討論での口裏を合わせた「消費税増税」を納得するほどには国民意識の振り子は国のほうには振れていないのです。
近づく破綻を予見して、国会が「国難」をいい超1000兆円の財政赤字を担保している超1400兆円の家計黒字から補填するため、「消費税」ほか増税の前倒しによって調達しようとしているのを、国民は醒めた目でみているのです。「増税支持」という世論は本意ではないでしょう。
先の衆院選で、国民は消費税増税に命を懸ける党首のいる民主党に期待したのではありません。「官僚主導から国民主導の政治へ」を訴えた民主党に期待し、480議席のうち308議席を与えて「政権交代」をなしとげたのでした。
自治体による「地域の公助」には、これまでの「均衡ある発展」に重ねて「個性ある地域の発展」へと変わる素地があります。「地域生活圏」での互助や共助、知人同士や地域住民同士の助け合いはモノ・場・しくみそれぞれに身近で機能しています。
国民としてよりも市(町村)民として地域主導の政策を求めているのです。地方首長の動向はその表出であり証でもあります。ここに国民の活力を呼び起こす可能性があり、それに期待しているのです。
時流は「平成維新」(橋下徹氏など)を中心のひとつにして動いています。しかし新世紀の本流(潮流)は、高齢者3000万人のひとりひとりが保持・温存している知識・技術・経験・資産を駆使して地域特性を掘り起こし再生する「地域再生・平成掘起」なのです。その活動が「みんな(三世代)が住みやすい生活圏」の達成につながり、地域の活力を呼びさまし、内需を拡大し、増税に勝る増益を産み出し、将来への希望を与えてくれるからです。
増税をいう前に(少なくとも訴えるとともに)、アクティブ・シニア(支える高齢者)に向かって「国難」救済への参画を呼びかけることです。
(2012・3・28 堀内正範 記)
 
 

四字熟語-花花世界

花花世界
はなばなせかい

春の野に見渡すかぎり一面に咲き誇る花々の世界。梅のあと杏、桃、櫻と季を追って各地に展開する。中国で「最も美しい郷村」と称しているのは江西省婺源で、金黄の菜の花と紅い桃と白い梨の花が特徴のある黒い屋根、白壁の建物を包んでひとしきり別世界を現出する。櫻だと鎮海(韓国)、吉野(日本)、無錫(中国)といったところ。

かつて「花花世界」といえば、宋代に都を追われて南遷した人びとが奪回しようとしてはたせず、夢にみた北方の東京(開封)や西京(洛陽)のことで、「中原花花世界」と呼んで慕った。

繁華な都市の爛熟する文化が生みだす戯れの花が「花花公子」(プレイボーイ)である。富家の出で正業に就かず、着飾って酒を飲み遊びに時を費やした若者たち。新中国には無縁だろうが、「花花公子」(アメリカの雑誌『PLYBOY』の中国名)は北京や上海の若者にも人気があり、性感美女の卡卡(ガガ)から捷豹(ジャガー)まで、現代都市を彩る花々は魅惑的である。

『説岳全伝「一五回」』など

四字熟語-走馬看花

走馬看花
そうばかんか

馬を走らせて花を看ることが「走馬看花」で、難関の科挙に通った高揚した気分で、馬を走らせて長安の街中の花を看てまわったという晴れやかな実景として唐の孟郊の詩に詠われている。明の于謙の場合は、任地でのしごとを無事におえて、都へもどる得意な心情を表現している。

後にはそういう高揚する心情での走馬の姿を離れて、清の呉喬になると、事物の観察が粗略である例えに引かれる。そこで仔細に観察する「下馬看花」が登場する。こうなるともう孟郊が走馬して看た花の実景の世界にはもどれない。

いまは移動が多くて風物はちょっと見ですますパック旅行や、観察がおおまかだったり、多用で仔細なしごとができなかった言い訳にも用いられる。聞くほうも印象が悪くないので納得しやすいせいだろう。高速道路を走るドライバーのよそ見運転にもいわれる。

そんな来歴を知るのも一興だが、日々を「走馬看花」に送る多忙なビジネスマンには無縁であろう。

『孟東野集「登科後」』から

 

四字熟語-三更半夜

三更半夜
さんこうはんや

年度末の東京の夜は明るい。とくに霞が関界隈では深更までしごとをしているからだといわれた。

旧暦では日暮れから日の出までを五つの刻みにわけて初更~五更と呼ぶ。すると三更が真夜中であり半夜でもあることから「三更半夜」といわれ、いわゆる午前さまである。

宋の塩鉄税の徴収官であった陳象輿と財政官であった董儼らは、夕方から趙昌言の屋敷に会して、深更まで熱心に談議していたという。それで都の連中からは「陳三更、董半夜」といわれた。

晩唐の詩人李商隠の「半夜詩」にあるように、「三更三点萬家眠る」という寝静まった長安と違い、宋都の東京開封(「清明上河図」に画かれる)は深夜まで夜市で賑わった。それでも能吏に三更まで税徴収の談議などされたら、おちおち眠れない者もあったであろう。

冬の夜の霞が関。かつての国土発展の予算配分ではなく、増税や予算を減らす「三更半夜」の明かりだと思うと寒さがつのる。

『宋史「趙昌言伝」』から

 

 

 

四字熟語-「雪中高士」

「雪中高士」
せっちゅうこうし

ご存じ松竹梅の三つを「歳寒三友」という。多くの植物が厳冬のさなかに息をひそめても、松と竹は姿あせずに過ごし、梅は寒中に花を咲かせる。三品の格を日中ともに高位の松から梅にいたるとするが甲乙はつけがたい。

「歳寒三友」は詩画はもちろん、磁器や織物の意匠としても好まれて名品を生んできた。だれもが親しい三友を持って暮らしている。

「雪中高士」というのは、雪中の梅の木を高潔の士に見立ててのもの。雪中の梅はたたずまいも花も香もよく、とくに寒に耐えて命を保つ風情は節を持する高士と呼ぶにふさわしい。

「梅花」九首のうちにこう詠じた明初の詩人高啓は、のち「十の行人去りて九は還らず、自ら知る清徹もとより愧じるなし」と覚悟して連座の死に赴いた。

高啓と花といえば、よく吟じられる「水を渡り復た水を渡る、花を看還た花を看る」(「胡隠君を尋ぬ」から)が有名だが、この花は春風江上の路でなので、江南の桃李であろう。

『高青邱詩集「梅花」』から

現代シニア用語事典-「賀寿期5歳層」のステージ

「賀寿期五歳層」のステージ
これは「長寿時代」をパイオニアとして暮らすための指針であり、本稿の創見のひとつである。知ると知らないとでは高齢期人生に雲泥の差が生じる。 本稿が提案している「長寿時代のライフサイクル」の「高年期」(60歳~)と「長命期」(80歳~)を、ひとつひとつの「五歳層」に分けて、その年齢階層らしく迎えて過ごす。なだらかな丘を同年層の仲間といっしょにゆっくりとマイペースでトレッキングするような爽快感があればいい。
「定年退職」のあとを「余生」と決めて、孤独な不安にも耐えて生きるのが男の美学というならそれでもよい。いつかは訪れる死はひとりのものだからだ。が、生き急ぐことはない。中年期のしごとがつらかったから遊んで暮らしたい、人間関係に疲れたからひとりになりたいという人の自由を奪うことなどできない。
先人は見定めえない人生の前方に次々に「賀寿」を設けて個人的長寿のプロセスを祝福して楽しんできた。いまも「何何先生の米寿の会」「おばあちゃんの卆寿の会」は個人の「賀寿の会」としてそれぞれに祝われている。しかし六〇歳以上の約三九〇〇万人の高年者が多くの仲間とともに暮らしているのだから、励まし合いながら百寿期を目ざすのもいいではないか。
還暦期(六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上)  大正元年以前
2011年は日野原重明さんが百寿期に達して話題になった。2012年は新藤兼人さんが到達したがゴールして亡くなった。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんがいる。傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さんと多士済々。そして古希には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さん。七〇歳になったからといって老成することはない。お仲間といっしょに人生の新たな出会いを楽しむ日々が待っているのである。