丈人論―「強い高齢社会」へのしくみづくり<5>―

◎水玉模様の重なりのような「参画の形
 平和裏に半世紀をかけて築いてきたすべてを、一瞬にして瓦礫にしてしまった「大天災」に襲われて再確認したことがあります。それは、わが国の地域の暮らしを支えている活力は、四季折り折りに変化する風物との出会いがもたらしてくれる自然の恩恵「天恵」なのだということでした。
 繰り返される季節との出会い――春には桜前線が北上し、秋には紅葉前線が南下する。南からは春一番が吹き寄せ、北からは木枯らしが吹き抜ける。八十八夜の晩霜を気にかけ、二百十日の無風を祈る。南の海に大漁を伝えていわし雲が湧き、北の海にぶり起こしの雷鳴が轟く・・。
 わが国の自然は、四季の変化に調和がとれていて、それはまた海の幸・野の幸・山の幸を豊富にもたらしてくれます。この「天恵」を等しく分け合い、奪うよりは譲り合い、見捨てるよりは助け合う、といった「国民性としての和の心」(穏和、調和、親和、平和・・)が、自然のうちに育まれていると、これは海外の日本研究者が等しく指摘するところです。
 萎えた心を励まし、痛んだ身を癒してくれる風土・風物。それとともに先人が貯えてくれた歴史・伝統遺産。さまざまな知識や技術が人から人へと受け継がれ磨きあげられて、暮らしを豊かにしてきた「地場産業」や「お国ぶり」。
 青少年期・中年期を過ごしおえて、「人生の第三期」である高年期を迎えている人びとが、もうひとつ上のうるおいのある暮らしを求めて、四季折り折りの暮らしにかかわる「高年者(自分)のためのモノと場としくみ」を新たに形づくること。それが「社会の高年化」であり、いっそう多種多彩にしていくのが「高齢社会」であり、そうして日々刻々と変容してゆく「家庭・地域・職域」の姿を総体としてみる場合が「日本高齢社会」なのです。地域からの改革です。
 太陽光にせよ風力にせよ、「自然エネルギー」の活用も、地域の基本的な「四季変化のエネルギー」を考慮することによって有効性が増すことになります。やや大胆にいえば、震災地以外の地域の再生も、1980年代までさかのぼって、その間に失われていった「地域の四季の特性」を回復することを試みる時期にあり、それが可能なのは経緯をよく知る高齢者が健在であるからです。「しくみの再生」の基本にその活力の参画は必須の要件です。
 といって参画のしかたは、サッカーのサポーターのようにブルー一色の囲いの中でまとまっていきり立つことではないでしょう。そんなことはお互いに自立・自尊意識の強い高齢者にできっこありません。一人ひとりが孤立した「余生」ではなく、これまでなかった「日本高齢社会」の形成に、志をあわせて参画しているのだと意識して暮らしていることが実感できればいい。城というより大小の水玉模様がいくつも重なって広がっているような情景のほうがわかりやすいかもしれません。小さくともみんなそれぞれにいくつかの水玉模様をもっているというふうに。それでいいと思います。(次は8月15日)
「S65+」ジャーナル 2011・8・5
堀内正範(カンファレンス・スーパーバイザー) 

  

丈人論-「強い高齢社会」へのしくみづくり<4>-

                     
◎企業は「高齢社員」温存の再リストラ 
20世紀のアジアで、半世紀をかけて「一国先進化」を成し遂げて、国民の9割までが「中流と感じる社会」を実現した日本。その原動力となった企業は、21世紀の初頭にはアジア地域の近代化のために、資金、施設、ノウハウ、人材を提供し、現地でその活動を支援してきた。「アジアの共生」のために一時期、「途上諸国の日本化、日本の途上国化」を必要としたということができる。 
ただしこれは歴史的な事実(学者の記述)であって、すみやかで仔細な「途上国対応」という国家政策が不在でしたから、企業は生き残りをかけて海外進出をし、施設を整え、現地社員に技術を教え、製品の品質を上げ、苦闘したものの収益を出すまでにはいたらずに撤収したものも数多くあります。
国内では多くの企業が「列島総不況」のもとでリストラを実施しました。正社員をまかなえず、高年社員をカットし、アルバイト、派遣社員などの導入によって途上国対応を余儀なくされました。国民は「百均商品」によって、家庭内の途上国化をおこない、収入減を補ってきたのは実感するところです。
 一方、高齢者が増えつづけて「超高齢社会」を迎えているにもかかわらず、ゆるやかで仔細な「高齢化対応」の国家政策が不在でしたから、高齢者は保持してきた知識と技術を渋滞させたまま定年を迎え、以後は黙止されてきました。
70%の人が定年を過ぎても働きつづけたいと希望し、そのうち35%が働けるうちはずっと、65歳までが26%、70歳までが24%と答えています。どこで?の問いには、今の会社やその関係48%、別の会社19%、自営・フリー12%などとなっています。(『朝日新聞』2011・7・23) 
こういう国民の意識は、いまある社会にみんなが親しみを持ち、たいせつに思い、なお良くしようと考えているからにほかなりません。この希望をどうやって実現するかが課題です。本稿では企業が「高年社員の温存」という再リストラをおこなって対応するであろうと観測しています。
途上国製品が安定して現地での日本企業の優位性がなくなったあと、企業は次のあらたな展開の時期を迎えます。「やや高だけれども良質で安心」というmade in Japan の商品が、生活感性の高いわが国の高齢者の暮らしを豊かにするために製品化されることになります。働き手は踊り場で足踏みをしていた高年技術者のみなさんです。それらはいずれ、遅れて高齢社会をむかえる途上国の高齢者が必要とする日本製品として輸出品となるものです。(次は8月5日)
「s65+」ジャーナル 2011・7・25
堀内正範 カンファレンス・スーパーバイザー

丈人論―「強い高齢社会」へのしくみづくり<3>―   

◎新自治体に「地域大学校」を(2) 
「地域大学校」は全国の県・市でさまざまに試みられていますが、みなさんの自治体ではいかがですか。どこでも横並びで「生涯学習(生きがいづくり)」の充実はめざしていますが、高齢者がもつ知識や技術を活かした「まちづくり・ものづくり」の人材養成をおこなう場としての「地域大学校」となると、取り組みに差があるのが実情です。
ここでは全国に先駆けて1969(昭和44)年に兵庫県が開設した「いなみ野学園」の現状をみながら、他の事例を合わせて標準的な姿を垣間見ておこうと思います。「いなみ野学園」は、1999年の「国際高齢者年」に「いなみ野宣言」を出している先駆的で由緒ある高齢者大学校です。
「高齢者大学講座」(4年制)が中心で、「大学院」(2年制)と「地域活動指導者養成講座」(2年制)があり、約2300人が学んでいます。教養をより高め、仲間づくりの輪をひろげ、新しい生き方を創造し、社会の発展に寄与できるよう総合的、体系的な学習機会を提供するというのが趣旨。資格は60歳以上の県在住者。登校は週1日、年間30回。専門学科は「園芸」「健康づくり」「文化」「陶芸」の4学科。専門講座と高齢期に必要な教養講座を履修します。
クラブ活動が週1回。囲碁、将棋、華道、茶道、書道、俳句、川柳、ゲートボール、コーラス、探訪、詩吟、ダンス、能面、舞踊、民謡、盆栽、謡曲、歌謡曲、表装、手描き友禅、インターネット、ゴルフ、太極拳など30種余。
専門学科の4コース(6月5日に記した「3つのカテゴリー」に見合う)には以下のような特徴があります。
・健康づくり学科―高齢期を健康ですごしたいという個人の願いと地域の福祉活動を教科に組み込むことで、卒業生は健常者として体の弱い人との交流、ボランテイア活動に参加。高齢者が元気なことが自治体の負担を少なくする。
・文化学科―知識を深め味わう文化教科を学びながら、郷土の風土と歴史、伝統行事を知る。卒業生がそれぞれの地元の伝統や暮らし方を研究し守っていくことで、まちの暮らしや年中行事が安定して遂行されることになる。
・園芸学科と陶芸学科―自分の庭の草花、菜園、果樹について学ぶ。自家に始まり、「緑のまちづくり」に繋がっていく。卒業生が多くなるほど街の緑が豊かになり、自然が大事にされるようになる。陶芸を中心にして、手作り技術が得意な人たちによる技芸のつながりを形成する。新たな地産品への契機となる。
「地域大学校」(2~3年が主)は、個人には豊かな人生と生涯の友人を得る機会となり、自治体は卒業生が多くなるほど「まちづくり・ものづくり」の人材が豊かになります。講座の講師も地元でまかなえるようになれば、旧来の老人クラブや生涯学習にはない求心力によって、それぞれの地域特性をつくることになり、将来のまちの構想も描けるようになります。「地域大学校」設立の遅速は暮らしやすいまちの差となるでしょう。(次は7月25日)
「S65+」ジャーナル 2011・7・15
堀内正範(カンファレンス・スーパーバイザー) 
                      

 

「強い高齢社会」へのしくみづくり<2>

◎新自治体に「地域大学校」を(1)
 市町村合併を終えた新自治体のなかには、なお新住民の一体感の醸成に苦慮しているところもあると聞きます。これまでの合併の折りに、新自治体の一体感の醸成に寄与してきたのは教育機関・学校でした。
 「明治の大合併」のときには、村立の「尋常小学校」が合併のシンボルとされ、創立以来100年を越えて子どもたちに郷土への親愛の思いと多くの夢を与えてきました(明治21=1888年~明治22=1889年。300~500戸の村に1校。7万1314町村が39市1万5820町村に)。
「昭和の大合併」のときには、町立の「新制中学校」が合併のシンボルとされて、子どもたちは卒業すると、地元に残るもののほかは都会へ出ていって高度成長の担い手となりました。(昭和28=1953~昭和31=1956年。約8000人の町に1校。9868市町村が3975市町村に)
 さて「平成の大合併」で、新しい自治体は何を教育のシンボルにしようとしたでしょうか。財政難のもとでの合併協議の課題は、「地方分権」「生活圏の広域化」「少子・高齢化」でしたし、合併のステップからいうと人材教育については市立の「地域大学校」が推測されました。ただし「少子・高齢化」時代の教育対象としては、青少年ではなしに長い高齢期を地域で暮らす高年齢者であることも予測されました。すでに先進的な「高齢者大学校」の事例(兵庫県立の「いなみ野学園」など)がありましたから、将来の地域発展(再生・創生)のために活躍する人材を養成するために、地域性を加味したカリキュラムで構成する「地域大学校」が協議のなかで検討されても不思議ではなかったはずです。
 が、「少子・高齢化」については、将来の「社会保障」サービスの低下への危惧が指摘され、生涯学習の充実とシルバー人材センターの拡充が当面の対応とされましたが、「まちづくり」のための高齢者の知識・技能養成機関の検討がなされた例を聞きません。総務省主導とはいえ、かつてのように文科省が参画しなかったゆえの「世紀最大の失政」と歴史家が指摘することになるでしょう。
「平成の大合併」といわれた全国規模の市町村合併協議は、平成18(2006)年3月に一段落しました。平成11(1999)年3月にあった3232の市(670)町(1994)村(568)は、平成18(2006)年3月には1821の市(777)町(846)村(198)になりました。合併特例法(新法)による県主導の第2ステージがその後も続いていますが、全国的な関心は遠のいていきました。
 旧来の老人クラブと生涯学習ではとても求心力をつくれず、将来の姿も想像できませんし、潜在力のある高齢者のみなさんが、「まちづくり」のために新たな能力の発揮のしようもないのです。どうすべきであったか、あるべきかは、回を改めて論じます。
「s65+」ジャーナル 2011・7・5
堀内正範

丈人論-「強い高齢社会」へのしくみづくり<1>-

◎内閣府に「高齢社会対策担当大臣」(専任)を
 国際的にも注目されるわが国の「本格的な高齢社会」(高齢者が安心して暮らせる社会)を推進するには、まず国のしくみとして内閣府に「高齢社会対策担当大臣」がおり、省庁を統括して結ぶ太い動線が整っている必要があります。
 内閣が代わるごとに総理大臣によって各大臣が任命され、官邸への呼びこみ、辞令交付、そして記者会見、このところ見慣れた光景になりました。そのうちの「内閣府特命担当大臣」には兼務で政策がふりわけられます。「少子化対策」も「高齢社会対策」も、ともに省庁を越えた重要課題です。「少子化対策担当」には辞令が出て記者会見の折り意見を聞かれますが、「高齢社会対策担当」は発表されないため注目されず、だれが担当かわからないのです。
 平成7(1995)年に「高齢社会対策基本法」が成立して15年、毎年出されている『高齢社会白書』(内閣府)をみますと、最近では閣議決定時での担当大臣が野田聖子、福島みずほ、そして蓮舫大臣となっています。この顔ぶれからも、合わせて担当する「少子化対策」などに重点をおいた人選であることが推測されます。今回は「少子化対策」が与謝野馨大臣の兼務となり、少子化対策を除く「共生社会政策」が蓮舫大臣となりました。したがって「高齢社会対策担当大臣」は蓮舫議員なのです。
 6月7日(火。9:52~10:00。第4合同庁舎会見室)の記者会見で、蓮舫大臣は閣議決定したばかりの「高齢社会白書」と「子ども・若者白書」の報告をしました。が、折りから記者の質問は大連立や総理の早期退陣といった政局問題に終始し、ふたつの白書への質問はなかったようです。「高齢社会白書」の閣議決定の記事さえ出なかった新聞もあるといいます。
 こんなことでいいわけありません。
 蓮舫議員が「内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、行政刷新)」として少子化を除く「共生社会政策」を担当し、「内閣府政策統括官(共生社会政策担当)」は村木厚子さん。そのもとに「高齢社会対策担当」参事官の小林洋子さん。若い政策調査員がいますが、「仕事と生活の調和推進室」と兼務だったりしますから、内閣府に省庁を結ぶ太い動線が整っているとはいえません。
「国及び公共団体はもとより、企業、地域社会、家庭及び個人」の相互の協力のもとに、「雇用、年金、医療、福祉、教育、社会参加、生活環境等にかかわる社会システム」を不断に見直し、適切なものとしていく(基本法の前文)ためには、専任の大臣がいて当然の時期なのです。
 まずは組閣時に「内閣府特命担当大臣(高齢社会政策担当)」の辞令を、そして専任大臣を。それを実現できるのは、長く着実に経緯を見据えてきた高連協(高齢社会NGO連携協議会)などに参加する組織や専門学者のリーダーシップであり、分厚い高齢者層の人びとの熱い支援です。
「S65+」ジャーナル 2011・6・25
堀内正範

 
 
 
 

 

丈人論-「強い社会保障」とともに「強い高齢社会」を<4>ー

◎「平和団塊」の人びとへの期待 
 6月2日、「菅内閣不信任決議案」の採決直前の民主党代議士会で、管直人首相は「一定のめどがついた段階で若い世代のみなさんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」といい、辞任後には「お遍路」をとまでいったのには、高齢者のみなさんは二重にあきれたにちがいありません。
 首相であることの何よりの責務は、震災後にみずからが何かを成し遂げることではなく、政界をあげて国難に当たる体制をつくることにあります。それを求める国民の声に応え得なかったことに責任があるのです。また発言にみるとおり、同世代や先輩に力不足を謝して去るのではなく、「世代交代」をということで仲間の信頼を失うことになります。もうひとつ、首相を辞したら「お遍路に」ではなく、「単身でも被災地に」というのが筋というものでしょう。
 菅氏は昭和21(1946)年10月10日生まれですから、「団塊の世代」(昭和22~24年生まれ、約700万人)には入っていませんが、しかし戦後生まれの政治家のひとりです。昭和22年には鳩山由起夫、23年には赤松広隆・舛添要一、24年には海江田万里、25年には塩崎恭久氏などがいます。
 この戦後生まれ世代(本稿では昭和21~25年生まれを「平和団塊」と呼んでいます。約1000万人)をさし置いてなぜ若い世代に引き継がせようとするのでしょう。少人数の知名な方で代表させていただいて申し訳ありませんが、昭和21(1946)年には市川團十郎(俳優)、田淵幸一(野球)、猪瀬直樹(作家)さん、22年にはビートたけし(タレント)、尾崎将司(ゴルフ)、中原誠(将棋)、北方謙三(作家)、西田敏行(俳優)、池田理代子(劇画)さん、23年には高橋三千綱(作家)、五木ひろし(歌手)、上野千鶴子(女性学)、井上陽水(歌手)、森下洋子(バレエ)さん、24年には村上春樹(作家)、武田鉄矢(歌手)、高橋伴明(映画監督)、矢沢栄吉(歌手)さん、25年には舘ひろし(俳優)、和田あき子(歌手)、坂東玉三郎(俳優)、姜 尚中(政治学)、八代亜紀(歌手)さんなどなど。知識も技術も芸域も充実して、実力に誇りをもって「熟年期」を謳歌し、「高齢化する社会」の可能性を体現している人びとがいます。
 この60歳代になった約1000万人の「平和団塊」のみなさんは、先の戦争の惨禍のあと、ご両親によって平和裏に生きることを託されて育ち、先輩とともに復興・先進国入りを成し遂げ、わが国の「平和時代」の証となる「高齢社会」の体現者として暮らしています。それは先人が願いとした「日本国憲法」の平和主義とともにふたつながら平和の証であり、国家百年の計として21世紀の日本を輝かせる歴史的モニュメントなのです。「日本高齢社会」の形成は、そのプロセスを含めて国際的にも注目され達成が期待されています。「世代交代」をいう菅直人氏は、みずからの世代の役割をあまりにも知らなさすぎるのです。
「S65+」ジャーナル 2011・6・15 
堀内正範 

 

丈人論-「強い社会保障」とともに「強い高齢社会」を<3>-

◎人生を支える三つのカテゴリー
 高齢期の人生が、先行き不明な「余生一途」ではなく、5歳きざみの年齢階層としてだれもが迎える「賀寿期(5歳層)」として、「古希期」や「喜寿期」や「傘寿期」を(女性はさらに「米寿期」が加わる)意識して、先行き愉快にすごせる「場所」や利用しやすい「モノ」の形成があっていいのです。
 そういう高齢健丈者の人生を支えるのは、「からだ、こころ(ざし)、ふるまい」という三つのカテゴリーでの活動です。「強い高齢社会」というのは、この三つそれぞれの領域で活動する高齢者が、自在に参画できる「場やしくみ」や利用しやすい「モノ」を新しく形成していくプロセスでもあります。 
1 「からだ=体・身」に関して。
 健康な「からだ」の保持はだれにとっても生涯にわたる最大の関心事です。高齢者仲間の会話は、お互いの支障(持病)の問い合いからはじまります。目や耳や歯の機能保全のことから心臓、肝臓、胃腸といった臓器の症候、各部位のがんに関する最新情報。そして薬、予防法、健康体操、ウオーキングまで、「からだ」に関する話題はつきません。食生活・衛生・医療・介護の分野の進歩と充実は、「強い社会保障」と「強い高齢社会」の基盤となっています。
2 「こころ=心・志」に関して。
 「こころ」のありよう、生きがいは人生を大きく左右します。「こころざし」として強く意識するものとそうでないものとがありますが、だれもが心の拠りどころとしての目標を持って暮らしています。人間(自己と他者)への理解の深化、蓄えてきた知識による正確でバランスよい判断や洞察、そして歴史や伝統への関心の広がり、さまざまな文化活動など、内面的な充実は人生の大きな喜びであり、「こころ」の交流の豊かさが人生の成果ともいえます。
3 「ふるまい=技・行為」に関して。
 生涯を通じてどこまでも進化する能力は、個人的には「ふるまい」として表現されます。工芸技術の練磨、芸能芸術の巧みな表現などからは、ひとつひとつ到達した「ものづくり」技術の高みや磨きあげられた「所作」の粋を知ることができます。暮らしに身近かな家庭用日用品からは、「モノ」に込められた親わしさが伝わってきます。熟達した技術が形になったさまざまな制作品は触れて快く、年を重ねて洗練された挙措ふるまいは見て美しいものです。
この三つのカテゴリーへの関心の度合いは個人によって異なりますが、「だれもが安心して暮らせる日本高齢社会」を創出するためには、この三つのカテゴリーで個性的で実現可能な目標をもちながら「素敵な高齢者」として日々を過ごす健丈な高齢者(本稿では丈人層)の存在が基本となります。そしてその総和が「日本高齢社会」の豊かさの表現となるのです。2011・6・5   s65+ジャーナル<7>

丈人論-「強い社会保障」とともに「強い高齢社会」を<2>-

◎「賀寿期」を生きる
 「強い社会保障」は現政府の主要政策ですから、大震災の影響があってもそう大きく後退することはないでしょう。それに応じて「強い高齢社会」を体現していく高齢健丈者としては、「日本高齢社会」はみずからの手で達成するという自覚を共有したうえで、存在感を明らかにしていく必要があります。
 なぜといって、アジア地域で最初の先進的な「高齢社会モデル」(モノ・場・しくみ)の創出が期待されており、自まえの経済・文化・伝統のもとで独自の手法を案出しながら形成にむかうからです。欧米の経験からえた外国モデルをもちこむような後進国的手法をとらないでいくことにしたい。
 そこで、「日本高齢社会」の体現者であることを意識するために、高齢者個人の長寿を祝う「賀寿」の慣習を、「賀寿期(5歳層)」の人生としてしつらえ直す提案をここに記しておきたいと思います。
2011年の「賀寿期(5歳層)」 
百寿期(100歳以上)  明治44年より以前   (100歳を超える)
白寿期(95歳~99歳) 大正5年~大正元年  (99歳=白寿を含む)
卆寿期(90歳~94歳) 大正10年~大正6年 (90歳=卆寿を含む)
米寿期(85歳~89歳) 昭和元年~大正11年 (88歳=米寿を含む)
傘寿期(80歳~84歳) 昭和6年~昭和2年  (80歳=傘寿を含む)
喜寿期(75歳~79歳) 昭和11年~昭和7年 (77歳=喜寿を含む)
古希期(70歳~74歳) 昭和16年~昭和12年(70歳=古希を含む)
還暦期(60歳~69歳) 昭和26年~昭和17年(60歳=還暦を含む)
・平成23年は大正100年、昭和86年に当たります。 
・戦後生まれ(昭和21年~25年。平和団塊)の人びとが還暦期に加わりました。
「賀寿」というのは、高齢期を過ごす人にとっては長寿へのステップ(一里塚)です。かつて幼いころに小学校に入り、中学校、高等学校と過ごして、大学で「社会人」としての準備を終えるという成長期の階層を刻んだように、「賀寿期」を5年ごとの階層として、日本伝来の慣習を熟年期を過ごす人生に活かそうという呼びかけなのです。
「老成一途」(余生)に漫然とすごす「老人」ではなく、日また一日を先方を見据えて「高齢社会」を築いている人びと(本稿では漢字表現として納得できる古語を援用して「丈人」と呼んでいます)。偉丈夫あるいは大丈夫といった高齢健丈者の姿は、TV画面や街なかや農村や漁港の海辺などでもよく見かけます。地方自治体の市町村長にも「老人」というより「丈人」と呼ぶにふさわしい頼り甲斐のある人が多く、被災地の町長さんや村長さんにも好例の方を見受けます。 2011・5・25

丈人論 ―「強い社会保障」とともに「強い高齢社会」を<1>―

 2011・5・15 
◎高年期のライフサイクル 
 現代のわれわれからみても、「われ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従って矩(のり)を踰(こ)えず」(『論語「為政篇」』から)と、みずからの人生を顧みた孔子のライフサイクルは、2500年後の今日でもおよそのところ納得されています。
 現代風にわかりやすく表現すると、「志(目標)をもって学んで三十歳で社会参加・労働参加し、五十歳代で成果を確かめて、六十歳でお互いの生き方の相違を認めつつ七十歳代で自己実現を図る」ということであり、「余生」とは遠い前向きな姿勢で顧みています。孔子は73歳で亡くなりましたから80歳、90歳がないのは残念ですが。
「強い地域高齢社会」を達成するためには、数多くの強い高齢者がそれも全国各地に広く等しく「高年期」を意識して暮らしていることが必要な条件になります。そのためにはこれまでの発達心理学による若年層に手厚い分類とは異なる「日本高齢社会」に見合った「高年期のライフサイクル」が共有され、日々の活動を支えていることがたいせつです。
「青少年期」    ~24歳 自己形成期 第1ステージ 2977万人
       (25歳~29歳 次期へのバトンゾーン)    743万人
「中年期」  30歳~54歳 社会参加期 第2ステージ 4252万人
       (55歳~59歳 次期へのバトンゾーン)   864万人
「高年期」  60歳~84歳 社会参加と自己実現期 第3ステージ  3574万人 
「長命期」  85歳~    自己実現期          394万人
         (平成22年11月1日現在確定値。総務省「人口推計」から)
 とくにこの「第3ステージ」を意識した高年者層が「高齢社会」を担う主体者として姿が明確にすることで、高齢弱者を支える「二世代+α型」の「強い社会保障」とともに多重標準としての「三世代同等型」の「強い高齢社会」が合わせて形成されていきます。各地にさまざまな「高年者コミュニティー」が創出され、活動が広がり、優れた技術による「高年者用品」が熟練技術者によって案出されることになります。生活意識の高いこの国の高齢者がいつまでも途上国製の「百均商品」に埋もれて暮らすとは考えられません。
これが内需の要であり、若手政治リーダーが「内需はもうだめだから」などと発言するのはもってのほかのことなのです。(次回5月25日)

丈人論 ―大震災を越えて「強い高齢社会」をつくろう<4>―

2011・5・5 
◎地域の特徴を活かす
 桜前線が東北地方の被災地を通過しています。しかし満開の桜花のもとを訪れる人は例年の1割程度といいます。自然の恵みと猛威。天恵と天災。どちらもこの国の先人は畏敬の念をもって受け入れてきました。
 先の「戦後復興」(第2の国難期)を経験し、営々として築いてきた65年の蓄積を一瞬のうちに失った被災地の高齢者のみなさんは、いまが「第3の国難期」(地域社会と家庭の危機)であるともっとも強く実感しているに違いありません。全国の高齢者は、それを共有し支援することになるでしょう。
 何をどうするのか。前回記したように、長く保持してきた知識、技術、資産を投入して、地域・職域のあらたな改革(みずからが安心して暮らせる「地域高齢社会」の形成と熟練した技術を駆使した「高齢者用品」の製造)に努めること。それが大増税を避けるため国民全員で負担する「災後復興」の課題です。
 復興の契機が「地域の四季」にあるといったら唐突で言い過ぎでしょうか。
「文明開化」(第1の国難期)以来、日本近代化の一五〇年は、ひたすらな欧米追随でした。性急でひたむきだった暮らしの洋風変容。そのかぎりでは追いついても追い越すことはできません。最良の模倣までです。であるとすれば、これからこの国で暮らす者に恵みをもたらすものは何か。失われていったものを顧みると、「地域特性」と「季節感」つまり「地域の四季の暮らし」にかかわる「モノ・場・しくみ」であったものが多いことに気づきます。
身近なところでは、たとえば風鈴、うちわ、桐下駄、足袋、和服、和だんす、神だな、床の間、和風住宅、方言、女性名の「子」、ヒバリやカエルの鳴き声、安心して歩ける小路、よろずや、商店街・・。
 夏の電力省力をクールビズでというのでは論外です。「常春型(エアコン)」住宅指向から「四季型(通風)」住宅への回帰という改革意識を見失ってしまいかねません。古来、わが国の住宅は「地方性」を活かした素材や様式をもち、「季節感」を巧みに取り込みながら、一年を通じて過ごしやすい工夫をこらした「四季型(通風)住宅」でした。いまでも古都の町屋や各地の古民家で、「風土になじんだ住居の心地よさ」を体験できます。
 駆け抜けてきた「戦後昭和時代」に軽視・黙視してしまったもの。それらの姿は高齢期を過ごしているみなさんの胸の中に「なつかしい体験」として記憶されているはずです。その復興活動の一翼を担うのは「65歳+」の高齢者であるわれわれです。失われた「地域の四季」の回復を通じて、新たな内需のありようが見えてくるはずです。(次回5月15日)