四字熟語-群龍無首

ぐんりゅうむしゅ 

安倍晋三さんから野田佳彦さんまで六人、この国では毎年「首」(首相)をすげかえてきた。無首どころか多首である。虎視して次をねらっている人がいるから、「どじょう宰相」も例外とはならないだろう。

「群龍に首なし」というのは、本来は優れた人びと(龍)が群れを成していながら、それをひけらかさずに補い合う姿のことで、天徳による治世(人民の幸せ)には「吉」であると易に説かれている。
しかし龍にあらざる人間世俗の世界では、「群龍無首」は何も決まらず、先へ進めない意味になる。首をすげかえてなんとか天徳の治に迫ろうとするのだが、われから次の首領をめざす者ばかりだから「多首」となり、すげかえた首では全体が動かない。「群龍」を自在に動かせる「抜類超群」の人物をどうやって選ぶのか。大統領制がそれなのか。

歴代王朝の勃興期と衰微期を生き抜いてきたことばは二面の意味を持つ。ここでは残念だが衰微期の読みのほうに実感がある。 

『周易「乾」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・9・25号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語-知法犯法

ちほうはんぽう 

女子FIFAワールドカップ(ドイツ)で、「なでしこジャパン」がアメリカを制してついに世界一になった。長年辛苦して得た勝利だけに喜びもひとしお。国民栄誉賞受賞も快い。
男子に比べてパワー、スピード、テクニックなどどれも及ばないが、「美しさ」だけは女子のものである。美しさにはフェアな精神的強さといったものもこめられている。

なぜここで「知法犯法」(法を知りて法を犯す)かというと、フェアプレーが前提とされるスポーツの世界なのに、男子サッカーのトップレベルの試合をみていると、反則の犯しあいが勝敗を左右する場面に出くわすからだ。観客も「イエロー・カード」や「レッド・カード」のプレーを了解しながら観戦しているのだから、紳士的なスポーツといえるのかどうか。女子サッカーにはそれがない。試合の快さはそこにある。

法を知って法を犯すこと。小さなそれが常態となっていく風潮に馴らされていくのが恐ろしい。 

『儒林外史「四回」』など

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・9・15号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語-日復一日

にちふくいちにち 

「日復た一日」というのはなにげないことばだが見過ごしてはいけない。ひとかどの事業をなしとげてその継続をはかるには「日復た一日」怠ることのない姿勢が必要だからである。
後漢を興した光武帝劉秀は、皇帝になっても「日復た一日」の勤めを怠ることがなかった。深淵に臨むが如く(如臨深淵)、薄氷を履むが如く(如履薄氷)、日々を過ごした。皇太子の荘が勤労の過ぎるのをみて「優游自寧」を求めたときにも、「これを楽しんでいるのだから疲れはしないのだよ」といって聞かなかった。

西暦五七年正月に倭の奴国王の遣いの奉献を受け、金印を贈ってねぎらったのが最後の勤めとなった。二月初めに六二歳で崩じたからである。幸運にも最後に劉秀に会った外国客だったことで古代日本の事跡が歴史に残ったのである。
皇帝になっても日々務めて生涯を終えた人物は多くない。そんな遠い日のことではなく、わが先輩にもそれに似た人生を送って去っていった人の姿がある。  

『後漢書「光武帝紀」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・9・5号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「半部論語」

半部論語  はんぶのろんご  

『論語』のうち量の半分あるいは内容の半分の理解でよいというもので、『論語』を国学経典として敬う立場からは論外とされる。

この読み方でもっとも有名なのが北宋草創期の宰相趙普で、彼は『論語』しか読まない人物といわれ、政治家として学問の狭さを指摘されていた。そこで太宗(趙匡義)が彼に理由を問う。趙普は「むかしその半を以って太祖(趙匡胤)を輔けて天下を定め、いまその半を以って陛下を輔けて太平を致さんと欲す」と答えた。以後、「半部論語治天下」として用いられる。

近代日本でこの読み方に徹したのが渋沢栄一で、実業に就くことを嘆く友人に、その公益性を「半部の論語」(『論語と算盤』)の読み方で説得した。これまでに孔子学院は世界一〇二カ国・地域に四三九校(七月現在)が開設され中国語・中国文化への国際的関心は高い。が、現政権下ではなお「さまよえる孔子」であり、その間、実業家の理念を支える「半部論語」読みが底流することになる。 

羅大経『鶴林玉露乙編『』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」2011・8・15号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「七月流火」

七月流火 しちがつりゅうか

盛夏の七月をむかえて、暑気炎熱いよいよ激しい時節の形容として一般的に使われていた「七月流火」に対して、本来の意味合いは「向熱」ではなく「転涼」であるとして誤用を指摘したのは天文にかかわる人たちだった。 

この「火」は、さそり座のα星アンタレスで、旧暦(農暦)六月の南天に赤く輝いて現れるが、七月になると西空に傾いて沈んでいく。これが「流火」であって、「七月流火、九月授衣」とつないで、秋涼を指すのが原典の意だという。

旧来の原義はそれとして、現実の生活感に親しい意味合いでの使用を誤用というなら「八月流火」を使おうではないかというのが「現代漢語」派の意見である。ことばは時代の波にもまれて意味を変えて定着する(約定俗成)。

定着してはいても誤用の代表のように騒がれるとさすがにメディアでは扱いづらいらしい。日本で用いられないのは緯度が高いために「流火」の鮮やかさに欠けるからだろう。

『詩経「豳風七月」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・8・5号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「経国大業」 

経国大業 けいこくたいぎょう 

「経国大業」といっても国を経営するために業を興すことではなく、国家のリーダーは優れた文人であらねばならないという中国の伝統を明らかに宣したことばなのである。書も巧みだし、弁も文も際立つこと。

「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」といったのは、曹操の長子で三国時代魏の皇帝となった曹丕である。父の曹操も文人であり、丕の弟の植と合わせて「三曹」といわれた。当時、曹氏のまわりには文人層が集まっていたのだろうが、曹操なきあと三国争覇の軍を統率していたのは司馬懿である。こちらは息子の師、昭の三人が軍議をこらす姿を「三馬同槽」といわれた。そんな司馬氏に対する牽制の意味合いもうかがえる。みずから最高の文人を称えた曹丕だが、文才では弟の曹植の方が勝るというのが衆目のみるところだったようである。

いずれにせよ、国を動かすほどの人物は優れた文章力、表現力を鍛えあげてこそ事業もまた不朽でありうるというのである。

曹丕『典論「論文」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・7・25号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「好好先生」

好好先生 ハオハオせんせい

中国の友人たちの快い「好(ハオ)」という応諾の声が耳に残る。しごとがスムーズに進むことになる。 

劉備に諸葛亮を薦めた司馬徽(号は水鏡)は人の短所を談ずるのをよしとせず、善にも悪にも、美にも醜にも「好好」(ハオハオ)といって応じたという。
わが子の死を悲しんで伝える人に対してまで「大好(ダーハオ)」と応じた時には妻がたしなめた。徽はすかさず、あなたの言うことは「大好だ」と妻を誉めてかわしたという。司馬徽が「好好(ハオハオ)先生」として納得されたのは、「好(ハオ)」が逆の「不好(プーハオ)」まで伝えるニュアンスを兼ね備えていたからだろう。
わが国では田中角栄首相だろうか。田中さんの「よっしゃ、よっしゃ」には、清濁あわせて時代を動かす宰相の迫力と魅力があった。

襄樊市の玉渓山中に、司馬徽を記念する「漢水鏡棲隠處」があって、劉備・諸葛亮の出会い「三顧草廬」にちなむ古隆中とともに観光名所となっている。 

『世説新語「言語」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・7・15号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「力排衆議」

力排衆議 りきはいしゅうぎ

ふつうには権威や権力によって多数意見を強引に抑え込むことにいうが、複数の人のそれぞれの主張を聞き、ひとつひとつ論破して自分の意見に同調させることを「力排衆議」(力して衆議を排す)という。

後者の論法をやってのけたのが、三国時代・蜀の諸葛孔明である。強力な魏の曹操との和睦に向かおうと決めていた呉の孫権幕下の文武の者たちに対して、単身で乗り込んだ孔明は舌戦によって張昭以下を次々に黙らせた。その結果、魯粛の裁断によって劉備と孫権による長江連合が成立する。衆議にきわだつ先見性と実行の手段と論戦に確信がなければほんとうの「力排衆議」にはならない。歴史は苦難のときに、こうした力を持つ「非常之人」を登場させて、新たな局面をつくりだしてきた。

次の首相選びでは「大震災復興」をテーマに自薦他薦の候補を一堂に集めて舌戦を展開する。国民の前で衆議を尽くした末に「力排衆議」をなしえた人物に大任を託せればいいのだが。

『三国演義「四三回」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・7・5号
堀内正範 ジャーナリスト  

四字熟語 「左右逢源」

左右逢源 さゆうほうげん 

考察を深く左に右におこなえば淵源にあるものを自得できるという。わかりやすくいえば、左岸を行っても右岸を行っても最後は同じ水源へたどり着けるというのが「左右逢源」である。めざす水源(目標)がひとつであれば、途中での手法の違いなどから生じる左右対立があっても、信頼の筋を失わずに経過するうちに、ともに最終目標に到達することが可能となる。

「左右逢源」という四字熟語に、「東日本大震災」の復興という目標にむかう政界諸党派の姿が重なる。立場はちがっても、最良の方途をともに模索しながら一丸となって対処する争いなら国民は安心していられる。

ところが「逢源」の大義がみえず、「同室操戈(同室で武具をあやつる)」とでもいった抗争の姿をみるのはつらい。「一定のめど」でやめると誓約した首相は、なんと「四国お遍路」にといった。身軽になったら東北の被災地に向かうというのが、「左右逢源」を貫く指導者の発言というものだ。 

『孟子「離婁章句下」』から

『日本と中国』 「四字熟語ものがたり」2011・6・25号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語 「伯楽相馬」

伯楽相馬 はくらくそうま 

オルフェーヴルが圧倒的な強さで日本ダービーを制した。競馬をみてもわかるように、馬の個性はさまざま。伯楽(孫陽。春秋時代の秦の人)は馬の良否を見分ける名人だった。「相馬」してすぐれた千里馬を見出した。「相」はくわしく観察すること。「相馬」は馬の特徴を見分けること。

「世に伯楽あり、然る後に千里馬あり。千里馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」は有名な唐代の韓愈のことばだが、伯楽のような具眼の士によって次代の人材が発掘される。

南相馬市の千年行事である「相馬野馬追」の馬も被災した。津波にさらわれたり、放れ駒になった馬もあったという。会場は屋内退避区域(福島原発から二〇~三〇キロ域)にあり、被災者供養のためにもという声もあるが、例年の七月開催が危ぶまれる。失われた家畜やペットも多い。

「伯楽一顧」というのは、伯楽が近く寄って去りながら顧みた馬は、次の日に値が三倍に跳ね上がったということからいわれる。

韓愈「為人求薦書」から。

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・6・15 号
堀内正範 ジャーナリスト