四字熟語-創業守成

創業守成
そうぎょうしゅせい

「創業」は新たに業を起こすこと、「守成」はそれを守り通すこと。ひとつの事業を成功させ持続させるのは易しいことではない。
唐の太宗李世民からどちらがむずかしいかと問われた時、房玄齢は群雄と力して争うゆえ「創業は難し」といい、魏徴は安逸にして失うゆえ「守成は難し」と答えた。創業期から守成期にかけての課題をみていた太宗は、事業は創業より守成がさらにむずかしいという魏徴のことばに納得したようである。
魏徴は「述懐」に「中原また鹿を逐い、筆を投じて戎軒(戦いの車)を事とす」と詠んで出征している。「人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん」で知られるこの詩は『唐詩選』の冒頭を飾って、むしろ後世の創業者を鼓舞してきた。
「創業百年、敗家一天」も守成のむずかしさをいう。先の大戦後に創業した企業はいま半世紀を過ぎて守成期にある。百年企業として残るには、時代がおもむく安逸への流れにしっかり対処する人材が必要だろう。
『唐書「房玄齢伝」』など

四字熟語-聞一知二

聞一知二
ぶんいちちに

「一を聞いて二を知る」ということ。あるとき孔子が弟子の子貢(端木賜)に「おまえと顔回とはどちらが優れているかね」と問うた。当人である子貢には答えづらい問いである。しかし師が顔回をほめたいのはわかっている。そこで子貢は「回(顔回)や一を聞いて以って十を知る、賜(端木賜)や一を聞いて以って二を知る」と答えた。
自分をおとしめずに他をほめるこの答えは巧みである。聞いた孔子は、「そうだね、わたしもおまえも回にはかなわない」といって喜んだ。「一を聞いて十を知る」(聞一知十)顔回は学才に優れ、「二を知る」子貢は商才に長けていたというから、「一を聞いて二を知る」ほどのほうに生活力があるといえそうである。
粗食に甘んじ陋巷に住んで孔子晩年の講学と著作を助けていた顔回は、師より先に死んで「ああ、天われを喪ぼせり」と嘆かせたが、子貢は師の死(七三歳)を見送ってひとり六年の喪に服し、のちの孔里「曲阜」の成立に寄与した。
『論語「公冶長」』から

四字熟語-狂花病葉

狂花病葉
きょうかびょうよう

狂い咲く花とわくら葉といえば風物として味わいがあり歌にもなるが、実は酒呑みが酔余に示す際立った二様の酔いざまのこと。「狂花」は、酔うにつれてまなじりを上げて大声で悪態を並べて騒ぐ者。一方の「病葉」は、酔うほどに暗鬱な表情になり瞼と口が重くなりついには寝入ってしまう者をいう。
世情不安でアルコール依存度が増せば「狂花病葉」もまた増えることとなる。ふたりで呑んだくれて、それぞれ「狂花」と「病葉」に極まってしまうと周りの者の手に負えない。
宴席を盛り上げるつもりで酒を注いで回った末に、「狂花病葉」を招いては幹事の準備不足。宴席を仕切る者は、みなの酒量と「狂花病葉」の程度にも通じていなければ。古来、酒席「行令飲酒」の場をしきるのが令伯(令官)の役で、さまざまな遊戯や罰酒のしかけ(酒令)を設けて飲酒を楽しんできた。その雅の極みが流水に杯を浮かべて即興の詩歌をつくる「曲水流觴」(觴はさかずき)である。
皇甫松『酔郷日月』など

 

 

四字熟語-冰心玉壺

冰心玉壺
ひょうしんぎょくこ

終生変わることのない友情の証として、氷のような澄明な心を玉製の壷に入れておくことを「冰心玉壺」という。唐の詩人王昌齢が長江沿いのいまの鎮江から都の洛陽へゆく辛漸に、「一片の冰心玉壺に在り」の詩句に託して、都の友人に伝えたことから。「一片冰心」あるいは「冰壺」ともいう。ただし現代の「冰壺」は冬季スポーツで人気のカーリングのこと。

友を思う「冰心」は今も昔も変わりないが、現代の「玉壺」はどうだろう。パソコン(個人電脳)のフォルダ(文件挟)であろうか。フォルダに澄明な心で付き合える友人の名前と送ったE―メール(電子郵件)が保存してあり、さらに一片また一片と増えていくようすに例えられるだろう。

最近はスマートフォン(知能手機)の広告にも「一片冰心在玉壺」をみる。モバイル(移動)玉壺ということになる。忘れたり落としたりしては「良師益友」に申しわけがない。やはり「玉壺」は胸中に収めておいたほうがいいようだ。

王昌齢「芙蓉楼送辛漸詩」より

緊急提案(請願) 「消費税増税」論議とともに「日本長寿社会」構想を!

緊急提案(請願)
「消費税増税」論議とともに「日本長寿社会」構想を!

緊急提案(請願)20120810a  更新 2012・8・10

 
*****提案者 堀内正範
朝日新聞社社友 高連協オピニオン会員 web「月刊丈風」編集人
web 日本丈人の会 https://jojin.jp/  e-mail  mhori888@ybb.ne.jp
tel & fax  0475-42-5673  〒 299-4301 千葉県長生郡一宮町一宮9340-8

新情報- 「社会保障」関連法案の審議に異議あり-民主党政権の「高齢社会対策」担当大臣は9人目-

新情報―「社会保障」関連法案の審議に異議あり
-民主党政権の「高齢社会対策」担当大臣は9人目-
5月22日の「社会保障・税一体改革」法案審議で、民主党の「少子化対策」担当大臣が9人目という指摘が野党議員からなされて、これでも重要課題?というシーンがありました。そのひとりである岡田克也副総理が弁明につとめておりました。
が、もっとゆゆしきことには、「社会保障」の将来を論じ、国際的にも誇るべき「日本高齢社会」の将来構想を掲げて、その達成への対策を担当する「高齢社会対策」担当大臣もまた9人目であるということを、野党議員どころか多くの閣僚が知らないということなのです。(参考:福島みずほ、平野博文、荒井聡、岡崎トミ子、村田蓮舫、細野豪志、村田蓮舫、岡田克也、中川正春 議員)
そのひとり、年初の内閣改造時に兼任で担当となった岡田副総理は、知っていれば担当をつづけたでしょう。
これはいったいどうしたことでしょうか。
新世紀このかた10年余り、いかに「高齢社会対策」が置き去りにされ、この史上初であり国際的にも新たな課題に対して、構想力(政治生命)をかけて対応するような政治家がいなかった(少なかった)ことを示しています。「新世紀10年の失政」といって過言ではありません。
いま「日本高齢社会」を体現している3000万の人びと(65歳以上)の実態を知り、対策を講じつつその将来のありうべき姿への責務を担う「高齢社会対策」大臣の存在を無視したままで、高齢社会を支える「社会保障」の安定財源を論じる「消費増税」法案の審議がおこなわれているのです。
あまつさえ10年ぶりにおこなわれている「高齢社会対策大綱」見直しの仔細な内容に関心を示さない閣僚が居並ぶ内閣で、国際的に誇れる「日本高齢社会」の議論がまともにできるものでしょうか。この10年、いかに対策が不在だったかを知ることなく、高齢社会を論じ、社会保障を論じることなどできません。違和感を覚えます。
全国3000万人に達する高齢者(65歳以上)の姿をしっかり見据えて、保持している知識・技術・資産の参加を呼びかけて、各地・各界の「内需」を創出することによって、「増収」を伸ばす地域・職域の活性化をおこなうこと。それのない「増税」だけが先行する国会議論に、国民とくに高齢者は納得しないし支持しないのは当然です。
1999年の「国際高齢者年」このかた「日本社会の高齢化」の経緯を仔細に観察してきた一介のジャーナリストとして、10年余の「長寿社会構想の不在(政治不在)」を指摘せざるをえません。(堀内正範 2012・5・25/7・1)
 
 
「社会保障・税一体改革」法案審議に当たって
-民主党政権での「高齢社会対策担当大臣」は9人目です-
5月22日の「社会保障・税一体改革」法案審議で、民主党政権の「少子化対策担当大臣」が9人目という指摘が野党議員からなされて、これが重要課題?というシーンがありました。そのひとりである岡田克也副総理が弁明しておりました。
が、もっとゆゆしきことには、「高齢社会対策担当大臣」もまた9人目であるということを、閣僚すら知らないということなのです。そのひとりである岡田さんは知っていれば担当をつづけたでしょう。(参考:福島みずほ、平野博文、荒井聡、岡崎トミ子、村田蓮舫、細野豪志、村田蓮舫、岡田克也、中川正春 議員)
将来の高齢社会の安定財源を論じる「消費増税」法案の審議が、高齢社会対策大臣の存在を知らず、10年ぶり見直し中の「高齢社会対策大綱」の仔細な内容を知らない態様の内閣でできるのでしょうか。違和感を覚えます。
当事者である全国3000万人の高齢者(65歳以上)の姿をしっかり見据えて、保持している知識・技術・資産の参加を呼びかけて、各地・各界の「内需」を創出することによって「増収」を伸ばす地域・職域の活性化をおこなうことなく、「増税」を先行する国会議論に国民は納得しないし支持しないでしょう。
1999年の「国際高齢者年」このかた「日本社会の高齢化」の経緯を仔細に観察してきた一介のジャーナリストとして、10年余の「長寿社会構想の不在(政治不在)」を改めて指摘せざるをえません。(堀内正範 高連協オピニオン会員として提言 2012・5・25)

月刊「丈風」 2012年7月号


月刊「丈風」
2012年7月号
 7日・小暑 22日・大暑 https://jojin.jp/542
三世代協働でつくる「日本長寿社会」が内需の要

◎緊急提案(請願)「“消費増税”論議とともに“日本長寿社会”構想を!」
https://jojin.jp/465    !緊急提案(請願)pdf
「社会保障」関連法案の審議に異議あり-民主党政権の「高齢社会対
策」担当大
臣は9人目- https://jojin.jp/504  !増税法案審議に異議pdf
◎「高齢社会対策大綱」見直しが明かす10年の無策
 https://jojin.jp/545   !大綱見直しpdf
◎高齢者 (3000万人) が「日本長寿社会」を担うとき
https://jojin.jp/546   !長寿社会を担うpdf

◎寄稿「人生2回時代におけるキャリア形成の標準モデル」岡本憲之(JT
A)https://jojin.jp/492  !「人生2回時代の標準モデル」pdf
◎まったなし「日本長寿社会」への展開 堀内正範
https://jojin.jp/429  !小論『まったなし日本長寿社会』pdf
◎特集「七十古希」 ことば・賀寿期・人名録
https://jojin.jp/547  !七十古希のことpdf
◎居場所づくり(地域大学校):兵庫県いなみ野学園
https://jojin.jp/548  !地域大学校「いなみ野学園」pdf
◎モノ:S65+ジャーナル http://super65plus.jp/jurnal/
◎現代シニア用語事典 「人生90年時代」を生きることば https://jojin.jp/412
◎高齢者(60歳以上)生年別人口・流行歌・流行語
https://jojin.jp/437  !60歳以上人口流行語ほかpdf
ご意見や資料・原稿の転送はe-mail mhori888@ybb.ne.jp  へどうぞ。
◎関連著書 『丈人のススメ  日本型高齢社会 -「平和団塊」 が国難を救う-』
256ページ 1500円(税別) 2010・7・1発刊 武田ランダムハウスジャパン
丈人は「アクティブ・シニア」(支える側の高齢者)のこと。熟年期の人びと。
平和団塊は戦後生まれ(1946~50年・1000万人)。高齢者(65歳以上)の仲間に。
◎web「月刊丈風」(じょうふう)長寿社会推進の拠点として刊行しています。
***編集人 堀 亜起良(堀内正範) 朝日新聞社社友  日本丈人の会  https://jojin.jp/  代表
e-mail  mhori888@ybb.ne.jp  tel & fax  0475-42-5673
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月刊「丈風」2012年7月号(印刷用pdf)

月刊「丈風」(印刷用pdf)
2012年7月号
  
目次    !月刊「丈風」2012年7月号目次pdf
 *****編集人 堀 亜起良(堀内正範)
朝日新聞社社友 日本丈人の会 https://jojin.jp/  代表
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居場所づくり(地域大学校)-「いなみ野学園」

居場所づくり(地域大学校)
「いなみ野学園」にみる高齢社会の人材養成                       
市町村合併と人材養成のかかわり
これまでの自治体合併の大義のひとつは、地域の発展を担う人材の養成にあった。
「明治の大合併」のときには、わが村の小学校が合併のシンボルとされた。村立の「尋常小学校」は子どもたちに多くの夢を与えた。その夢はいつしかお国のためとなり、半世紀の後には戦争へと子どもたちを駆り立てていったが。
(300~500戸の村に1校。教育、戸籍、徴税、土木、救済など。7万1314町村が39市1万5820町村に。明治21=1888年~明治22=1889年)。
「昭和の大合併」のときには、わが町の中学校が合併のシンボルとされた。子どもたちは町立の「新制中学校」を卒業すると、地元に残るよりも都会へ出ていって国の復興と高度成長の担い手となった。
(8000人の町に1校。教育、消防、保健衛生など。昭和28=1953~昭和31=1956年。9868市町村が3975市町村に)
さて「平成の大合併」(1000基礎自治体、12万人をめざす)で、新しい市は何を教育のシンボルにしようとしたか。合併のステップからいうと、人材教育については、単純化していえば、レベルとしては「わが市の大学校」が期待された。ただし「少子・高齢化」時代の養成対象としては、長い高齢期を地域で暮らすことになる高齢者であることも予測された。すでに先進的な「高年者大学校」の事例(兵庫県「いなみ野学園」など)はあったから、将来の地域発展のために活躍する人材を育成するために、地域性を加味したカリキュラムで構成される「地域高年者(シニア)大学校」が合併協議のなかで検討されても不思議ではなかった。
しかし財政難のもとでの合併協議の課題は、「地方分権」「生活圏の広域化」「少子・高齢化」であったものの、「少子・高齢化」については、どこも将来の社会保障サービスの低下への危惧が指摘され、生涯学習の充実とシルバー人材センターの拡充が当面の対応とされたが、「国土の均衡ある発展」から「個性ある地域の発展」(まちづくり)のための高齢者の知識・技芸を活かした養成機関の検討が広くなされることはなかった。
「平成の大合併」といわれた全国規模の市町村合併協議は、平成18(2006)年3月に一段落した。平成11(1999)年3月にあった3232の市(670)町(1994)村(568)は、平成18(2006)年3月には1821の市(777)町(846)村(198)になった。合併特例法(新法)による県主導での第2ステージがその後も続いている。
自治体合併の成果はこれからである。地域の風土・伝統の特徴を知り、それを活かした地域の再生・発展をはかるのは、どこもこれからである。そのための高齢者人材は欠かせない。地域大学校の成立の遅速は、地域発展の差となって現れるだろう。
先進的な「地域シニア大学校」の事例
まずは県レベルでの成功事例を、兵庫県が全国に先駆けて昭和44(1969)年に開設した高齢者大学校である「いなみ野学園」(加古川市)に見てみたい。
4年制の「高齢者大学講座」それに2年制の「大学院」があって、約1400人の高齢大学生が学んでいる。
中心になっているのは、4年制の「高齢者大学講座」で、生涯学習を通じて仲間づくりをするとともに、新しい生き方を創造し、地域社会の発展に寄与できるよう総合的、体系的な学習機会を提供するのが趣旨。運営は財団法人兵庫県生きがい創造協会。
資格は60歳以上の県在住者。入学金6000円、学習・教材費年額5万円(平成24年度)。障害保険2000円。
登校日は週1日、年間30回で120時間。専門学科は「園芸」、「健康福祉(健康づくり)」、「文化」、「陶芸」の4学科。専門学科別学習と教養講座を履修する。
朝の体操(9:40)からはじまり、午前は教養講座、午後は専門講座である。
学園の昼の食堂周辺は人生論に花が咲く。また週1回(水曜)はクラブ活動の日。30種余。囲碁、園芸、絵画、華道、ゲートボール、コーラス、ゴルフ、茶道、詩吟、写真、書道、水墨画、短歌、社交ダンス、テニス、能面、俳句、舞踊、盆栽、民謡、謡曲、表装、歌謡曲、探訪、英会話、グラウンド・ゴルフ、川柳、インターネット、太極拳、手描き友禅、将棋など。
「いなみ野学園」の何が優れているのかというと、専門講座の4つの学科にある。
・健康福祉科(健康づくり科)―健康な高齢者がもっている興味と実状を含めて福祉の
方に組み込む。卒業生は健常な高齢者として体の弱い人たちとの交流、ボランティア
活動に積極的に参加。高齢者が元気で活動してくれることが自治体にとって負担がな
いことになる。
・文化学科―郷土の歴史、伝統、文化を守りながら勉強する。そこで、卒業生はそれぞ
れの地元の伝統や歴史を研究し守っていくようになる。まちの年中行事が安定して遂
行されるようになる。
・園芸学科―自分の庭の草花、菜園、果樹について学ぶ。自家のことに始まり、近所、
公園と緑のまちづくりに繋がっていく。卒業生が多くなるほど街の緑が豊かになり、
大事にされるようになる。(個人も学園も収益を得る活動が可能)
・陶芸学科―手作り技術が得意な人たちによる陶芸を中心にして、他の技芸のうえでつ
ながりを形成する。さまざまな意匠の集積にあたっている。作品によって収益をうる。
(個人も学園も)
それぞれのセクションの講座を学んだ人たちは同窓生として、60歳からの“生涯の友人”をえることができる。また自治体は卒業生が多くなればなるほど「まちづくり」の人材が豊かになる。教養講座ではタカラ・ジェンヌや地元新聞の論説委員や郷土研究者を講師に迎え、税金や財産管理、予防医学など高齢者が興味を持つものをとり上げて工夫をこらしている。
個人には高年期の知識・技術の豊かな人生を、一方で自治体にはまちづくりの人材が増えることになる「いなみ野学園」方式は、単なる生きがい学習で終始している各自治体が学ぶべき先進性をみることができる。
この高齢者大学校のメッカともいうべき「いなみ野学園」にも運営のむずかしさがある。2万4000円であった学習・資料費を一気に6万円にしたところ定員割れを生じたという(24年度は5万円)。ほかの理由もあるであろうが、官民協働による文化事業として継続するためには、一般県民が期待し納得のできる公的な成果が問われることになるのだろう。
「いなみ野学園」は、1999年の「国際高齢者年」にあたって、「いなみ野宣言」(1999年11月19日)をおこなっている。日本高齢者が国際的な視点をもって活動していた「いなみ野学園」があったことは、世界に誇るべきことである。
いなみ野宣言
ここいなみ野学園に集う私たちは、本年を「国際高齢者年」とする国連決議及び高齢者のための国連原則「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」を認識し、「すべての世代のための社会をめざして」意識改革と社会参加及び世代間の交流を図り、共生の精神を高揚させ、希望あふれる21世紀に向けて、次の宣言を行います。
1 高齢期に対する自己及び社会一般の意識改革に努めます。
高齢期に見られる消極的で固定的な意識を改革するため、積極的に多世代との交流を深め、信頼と尊敬を得るよう、夢や生きがいを持って行動します。
2 心身ともに健康で、自立した生活づくりに努めます。
スポーツや食生活の改善を積極的に行い、自他ともに身体的、精神的に自立する健康な生活づくりに努めます。
3 新たな自己発見、自己実現をめざし、社会に貢献するよう努めます。
生涯を通じて学ぶ喜びを持ち続け、自己の可能性を発見し、自己実現に努めながら、地域の文化、伝統を大切にし、永年にわたって身につけた知恵と経験を生かして新しい社会の創造に努めます。
4 地域の人と自然との共生に努めます。
地域の人々との絆を深め、すべての世代が共生する優しい社会づくりと、美しい自然に恵まれた環境づくりに努めます。
5 英知を集め、21世紀へ夢と希望をもって行動します。
平和、平等、人権、地球環境など広く国内外の課題に目を向け、生き生きとした21世紀ビジョンを抱き、夢と希望の灯を高く揚げて行動します。
いなみ野学園ホームページ http://www.eonet.ne.jp/~inamino/guid.html

特集-七十古希

特集「七十古希」 ことば・賀寿期・人名録
[ ことば ] 「七十古希」
「人生七十は古来稀なり」と詠った杜甫の詩「曲江」から七〇歳を「古希」と呼ぶようになったという。唐代より前に何といっていたかは知らない。それでも「七十古希」はすでに一二〇〇年余の経緯をもつことばである。古来稀れなのだから七〇歳はよほど稀れだったのだろう。杜甫自身は旅先で貧窮のうちに五九歳で没している。杜甫が望んで詠ってたどりつけなかったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。
杜甫の時代のみやこ長安は安禄山軍の侵入を受けて「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。杜甫は意にかなわぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒の付けは常にあちこちにあるけれど、あってほしい七〇歳は希にしかない)と有って困るものと望んでもかなわないものとを対比している。いまは酒もあるし古希もまれでなくなって両方がありあまる時代だからこの対比に味わいがなくても仕方がない。高級官人は七〇歳になると国中どこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたという。長安で生きた阿部仲麻呂は七〇歳を越えていたから立派な「古希杖」を拝受したことだろう。
ついでに「百齢眉寿」のこと。
「百齢」は百歳のこと。大正元年(一九一二)生まれの人がちょうど百歳である。わが国では百歳以上の人が五万人を超えてなお増えつづけており、いかに史上稀な長寿国であるかが知られる。「人生七十古来希なり」といわれ、七〇歳が長寿の証とされてきた。とすれば百歳ははるか遠い願望だったろう。「眉寿」は長寿のこと。老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて特徴となる。同じ唐の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願ったが、八〇歳を天寿として去った。それでも「七十古希」の杜甫は五九歳だったから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。
[ 賀寿期 ]
先人は見定めえない人生の前方に次々に賀寿を設けて個人的長寿のプロセスを祝福してきました。いまも「何何先生の賀寿の会」はそれぞれに祝われています。しかし一人ひとりではなく、六〇歳以上の約三九○○万人(65歳以上は約3000万人)の高年者が多くの仲間とともに暮らして、励まし合いながら一つひとつの賀寿期を過ごして百寿期を目ざすのもいい。
***
還暦期(還暦60歳を含む。六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(古希70歳を含む。七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(喜寿77歳を含む。七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(傘寿80歳を含む。八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(米寿88歳を含む。八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(卆寿90歳を含む。九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(白寿99歳を含む。九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上)  大正元年以前
***
昨年は10月4日に日野原重明さんが「百寿期」に達して話題になりました。今年は4月22日に新藤兼人さんが到達しましたが5月29日に亡くなりました。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんが、傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さんが、そして古希期には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さんが到達しました。七〇歳になったからといって老成することはありません。ご覧のとおりまだまだ先があります。仲間といっしょに人生の新たな経験・出会いを楽しむ日々が待っているのです。
[ 古希期の人びと ]
紹介できるのは少数ですが、これだけの優れた人びとが、長年かけてつちかった知識・技能・経験そして築き上げた人格を保って活躍している姿がみえないような社会を「本格的な日本高齢社会」というわけにはいきません。
古希期(70歳~74歳) 昭和17年~昭和13年
1938(昭和13)年  74歳
伊吹文明(1・9 政治家) 大林宣彦(1・9 映画監督) 渡辺武信(1・10 建築設計) 大津美子(1・12 歌手) 野沢那智(1・13 演出家) 和田春樹(1・13 ロシア史) 細川護煕(1・14 政治家) 石ノ森章太郎(1・25 漫画家) 松本零士(1・25 漫画家) 加藤諦三(1・26 心理学) 鶴見修治(1・29 体操) 永井多恵子(1・30 放送文化) 加藤剛(2・4 俳優) 木村太郎(2・12 ジャーナリスト) 清水哲男(2・15 詩評論) 境川尚(2・18 横綱佐田の山) 中島誠之助(3・5 鑑定家) 梅宮辰夫(3・11 俳優) 庭野日鑛(3・20 宗教家) 三澤千代治(3・29 住宅建築) 島倉千代子(3・30 歌手) 近藤昭仁(4・1 プロ野球) 内藤正敏(4・18 写真家) 三宅一生(4・22 服飾デザイン) 鎌田慧(6・12 ジャーナリスト) 下村満子(6・17 ジャーナリスト) 吉田ルイ子(7・10 ジャーナリスト) 与謝野馨(8・22 政治家) 野依良治(9・3 化学者) 堀江謙一(9・8 冒険家) 西尾勝(9・18 都市行政) 佐々木幸綱(10・8 歌人) 石井幹子(10・15 照明デザイン) 小林旭(11・3 俳優歌手) 三留理男(12・1 報道写真) 鏡山剛(11・29 横綱柏戸)
1939(昭和14)年  73歳
吉田光昭(1・1 薬学) 藤村志保(1・3 俳優) 西田佐知子(1・9 歌手) ちばてつや(1・11 漫画家) 市岡康子(1・21 映像記録) 佐々木史朗(1・22 映画・TV) 湯川れい子(1・22 音楽評論) 黒田征太郎(1・25 イラスト) 丹羽宇一郎(1・29 経営者・大使) 佐久間良子(2・24女優)高田賢三(2・27 ファッション) 西部邁(3・15  評論) 栗林慧(5・2 写真家) 山本晋也(6・16 映画監督) 加藤紘一(6・17 政治家) 鈴木忠志(6・20 演出家) 吉行理恵(7・8 詩人) 海野弘(7・10 美術評論) 中村玉緒(7・12 女優) 辺見じゅん(7・26 歌人) マッド・アマノ(7・28 パロディ) 平沼赳夫(8・3 政治家) コシノジュンコ(8・25 ファッション) 利根川進(9・5 遺伝学) 森本毅郎(9・18 キャスター)  田部井淳子(9・22 登山家) 前田又兵衛(10・7 建設) 加茂周(10・29 サッカー) 橋本照嵩(10・29 写真家) 長田弘(11・10 詩人) 徳大寺有恒(11・14  ジャーナリスト) 内田裕也(11・17 ロック) 市川猿之助(12・9 歌舞伎俳優) 小川真由美(12・11 俳優) 水森亜土(12・23 イラスト)
1940(昭和15)年  72歳
加藤一二三(1・1 将棋) 沢渡朔(1・1 写真家) 津川雅彦(1・2 俳優) 三井康有(1・2 防衛問題) 唐十郎(2・11 劇作家) 中村敦夫(2・18 俳優・政治家) 森田公一(2・25 作曲) 上条恒彦(3・7 歌手) 大空真弓(3・10 俳優) 鳥越俊太郎(3・13 ジャーナリスト) 片岡義男(3・20 作家) 志茂田景樹(3・25 作家) 本橋成一(4・3 写真家) 小林研一郎(4・9 指揮者) 村松友視(4・10 作家) 村田幸子(5・14 アナウンサー) 王貞治(5・20 プロ野球) 荒木経惟(5・25 写真家) 石弘之(5・28 環境問題) 立花隆(5・28 評論) 大鵬幸喜(5・29 大相撲) 田中尚紀(6・19 政治家) 張本勲(6・19 プロ野球) 扇田昭彦(6・26 演劇評論) 山本圭(7・1 俳優) 浅丘ルリ子(7・2 俳優) 土居まさる(8・22 キャスター) 麻生太郎(9・20 政治家) 清水旭(11・3 詩人) 池内紀(11・25 ドイツ文学) 篠山紀信(12・3 写真家) 露木しげる(12・6 キャスター)
1941年(昭和16)年 71歳
稲越功一(1・3 写真家) 天地総子(1・3 俳優) 岩下志麻(1・3 俳優) 横路孝弘(1・3 政治家) 有田泰而(1・31 写真家) 大宅映子(2・23 ジャーナリスト) 小林克也(3・27 DJ) 上原明(4・5 企業経営者) 小林忠(4・11 日本美術) 市川森一(4・17 脚本) 萩本欽一(5・7 TVタレント) 樺山紘一(5・8 西洋史) 日色ともえ(6・4 俳優) 石坂浩二(6・20 俳優) 長山藍子(6・21 俳優) 倍賞千恵子(6・29 俳優) 後藤明(7・22  アジア史 ) 柄谷行人(8・6 文芸評論) 粉川哲夫(8・15 メディア論) 安藤忠雄(9・13 建築) 大内延介(10・2 将棋) 佐藤允彦(10・6 ジャズ) 三田佳子(10・8 俳優) 砂川しげひさ(10・11 漫画家) 広瀬悦子(11・9 バイオリニスト) 坂田栄一郎(11・16 写真家) 栗本慎一郎(11・23 経済人類学)
1942(昭和17)年  70歳
落合信彦(1・8 ジャーナリスト) 角川春樹(1・8 出版) 小泉純一郎(1・8 政治家) 嵐山光三郎(1・10 作家) 中谷巌(1・22 経済理論) 須田春海(1・24 市民運動) 今井通子(2・1 登山家) 秋山亮二(2・23 写真家) 山下洋輔(2・26 ピアニスト) 李麗仙(3・25 俳優) 北の海勝昭(3・28  横綱) 林海峯(5・6 囲碁) 大竹英雄(5・12 囲碁) 小沢一郎(5・24) 三枝成彰(7・8 作曲) 佐々木毅(7・15 政治学) 松方弘樹(7・23 俳優) 松本幸四郎(8・19 歌舞伎俳優) 石井志都子(8・31 バイオリニスト) 青木功(8・31 プロゴルフ) 尾上菊五郎(10・2 歌舞伎俳優) 正田修(10・11 企業経営) 島田祐子(10・12 声楽) 日野皓正(10・25 ジャズ奏者) 浜畑賢吉(10・29 俳優) 南部鶴彦(11・6 産業組織) 寺田農(11・7 俳優) 藤井林太郎(12・16 企業経営)