「三世代同等同居型」住宅

「実現目標
2020 +
世紀の夢2100」
のひとつ。
そう遠くない2020年を
当面の目標時点としながら、
さらに世紀へむかっての生活空間。
高年世代からみて「隠居型同居」住宅ではなく、
三世代が同等にプライベートな空間を持ち、
三世代が同等に共有空間を利用して暮らせるのが
「三世代同等同居型」 住宅。
時代の変容のなかでそれぞれに身につけた
ライフ・スタイルの異なる三世代が、
青少年期、中年期、高年期をそれぞれに
お互いに工夫して住みなして、
「わが家三代の暮らしの知恵」 を共有し享受し継承していく。
そんなどっしりと安定した住宅が、 「日本標準住宅」として実現される。
家族の態様や経年変化に応じた改造を、 同居するみんなで相談して加えながら
「わが家」の姿を形成していく。
やがては家並みも町並みも次第にどっしりと 安定した姿になっていくだろう。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

「マイ・ちえあ」

まずは
みんなが
その気になるだけで
実現可能なものから。
それでいて世紀を貫く夢のひとつ。
この国の高年者みんなが、
高年期のためにそれぞれに、
座り心地がよい特選のイスをわが家に据える。
自作できればなお素晴らしい。
家庭内の「わたしのモノと場」の拠点として、
存在感のある 「マイ・ちえあ」 である。
どうだろう、家の内と外、国中どこにでも
座り心地のよいイスが据えられていたら、
立ち疲れることもないし、
優先されない優先席などいらない。
各地にチェア工房が形成され、毎年の「ちえあ・コンペ」には、
各国からも腕よりの職人がやってきて技を競いあう。
高齢化先進国の姿として、
この国はそのまま 「ちえあ博物館」となる。
先々代、先代が使い込んだ「マイ・ちえあ」に腰を据えて、
愉快な座談が楽しめれば、 21世紀末の高年者たちは
「昭和丈人」の夢に 何よりも感謝するだろう。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

古希の祝いに[古希杖]を贈る

七〇歳が
稀でなくなった稀な時代。
七〇歳を「古希」と呼んできたのは、
唐代に詩人杜甫が詠んだ、
「人生七十古来稀なり」という詩句からとされている。
四七歳の時にこう詠った杜甫だったが、
本人は「古希」にはほど遠い五九歳で、
旅先で、貧窮のうちに、
長安へ帰る日を思いながら死を迎えている。
奇しくも同じ七七〇年に異郷の長安で、
「三笠の山に出でし月」を思いながら
阿倍仲麻呂が生涯を終えた。
仲麻呂は七〇歳を迎えていたから、
稀な長寿をまっとうしたことになる。
七〇歳のことを「杖国」というのは、
国事に当たる大夫が七〇歳になって、
国中どこででも使える杖を賜ったことからいわれる。
さて、唐の長安で七〇歳を迎えた仲麻呂は、
どんな杖を賜ったのだろう。
だれもが杖を贈られて「七十古希」を祝うえる現代こそが
「古来稀なり」なのであり、それ故に「丈人」ということばが、
装い新たに登場することになる。
「丈人」であるために持つのが杖。
いつまでもお元気でという思いをこめて、
お祝いに 「古希杖」 を贈るのもいい。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

老人力と丈人力

人生の晩期を、
巧みにクールダウンしてゆく
自己認識の能力を「老人力」という。
先の大戦後,働きづめにきた高年者を
癒してくれることばとして、
世紀末の列島不況時に納得された。
それに対して 「丈人力」 というのは、
人生の高年期の日また一日を、
目標を定め到達をめざして暮らしている
高年者の内側から、どこまでも発展・熟達・深化させる力、
ふつふつと涌いて出る強い生活力あるいは生命力をいう。
ここでは人生の「青少年期」「中年期」をすごしてきて、
個人的には「人生の第三期」である「高年期」を迎えて、
後半生を充足させる自己目標をめざして暮らす人びとであり、
社会的には存在感のある「高年化社会」を現役として担う人びと。
五〇歳~の健丈な高年者を「丈人」と呼んでいる。
個人の内面的なプロセスとして、
「老人モード」(もう歳だなあといった)か
「丈人モード」(まだやれるなといった)かが、
交互にか混在して実感されるときに、
「丈人」に意識的であることによって、
外面的には「丈人タイプ」の行動として
表現されることになるだろう。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

[丈人]について

「丈人」
ということばを
ご存知でしたか。
「尊老」という意味合いの
レッキとした古語なのです。
同じ高年齢者をいう「老人」とは
異なるニュアンスをもっています。
個人の胸の中では「丈人」と「老人」は
同時に同居しています。
高年齢者であることを認めつつ、
「老人」と呼びたくない、呼ばれたくない場面で
「丈人」と呼んでみてください。
「大丈夫!」といってみてください。
知って胸の中に暖めておいたことばが、
時に心をなごませ、時には生きる意欲だって
沸き立たせてくれます。
街なかを歩いているときに、
「いよう丈人!」 と大向こうから声がかかるような
高年者でありたいと願っています。
みんなが「高年者=丈人」として
尊厳をもって暮らすことで、
「丈人の時代」が見えてくるのが楽しみです。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

丈人峯と茶王樹


999
年10月の
国際高齢者の日」から
たいせつに手入れをしてきた
茶王樹・ の根元に籐椅子を据えて、
やや唐突に話をはじめます。
中国の五岳のひとつである
東岳・泰山の頂上の西北の角に
「丈人峯」と名づけられた
巨石がすっくと立っています。
●「岳父丈人)」● です。
妻の父、あるいは娘のつれあいからみた自分。
頼りがいのある年長者を「岳父」と呼びますが、
そのいわれになっているのがこの「丈人峯」です。
わたしは2004年の秋の誕生日に、
泰山の「岳父」に挨拶をしてきましたので、
「岳父の会」(泰山丈人の会)のメンバーでありますが、
雲南にある「茶王樹」をたずねたことがありません。
ツアーもあるようですが、ほんとうの「茶王樹」かどうか。
ほんものはもっと奥地に人に知られずにあるように思います。
それはさておき、天をも摩するわが・茶王樹・の下で、
ひと時を、達意の高年者=丈人同士が味わい深く
高年期の人生を語り合おうというのが、
本欄の趣旨ですから、なんなりと語ってください。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

「さまざまな高齢活動の事例」

それぞれは泉の眼(泉眼)のように小さくとも、高齢期を「人生の第3ステージ」の現役として暮らすみなさんの活動によって、全国の大地が揺れ動いています。それはまた水玉模様のように重なりあいながら、「地域シニア生活圏」や「地域シニア文化圏」を形成しながら地域社会の姿を変えつつあります。「日本型高齢社会」の達成にむかうプロセスをお互いに確かめるために、ご活躍のようすをお知らせください。(実例紹介)

「三世代会議」と「三世代会館」

地域の高年者が「高年期のステージ」を形成する活動をすすめるために必要なのが独自の「シニア会館」であるが、青少年、中年、高年の三世代の活動拠点となるのが「三世代会館」である。これまで公共施設として機能してきた「公民館」は、だれもが利用可能な共用施設であるが、それと重ねて「三世代」それぞれの独自の活動の場となり、さらに「三世代会議」をおこなえるのが、「三世代会館」である。地域の三世代代表による「三世代会議」を構成して、それぞれの要望を具体化していく拠点となる。(実例紹介)

「地域シニア会議」

高年世代を代表して構成する「地域シニア会議」のメンバーの顔ぶれを見てみよう。まずは物産・特産にかかわる人。物流や人の交流にかかわる商業や観光業の人。宗派や専門科は別にして生死にかかわる宗教者や医者。専門は問わないが地域を越えた見方や考え方ができる学識者。孫育て期にある女性代表。発想が柔軟な議員や行政経験者が加わる。域外で活躍している「ふるさと人」。在住外国人もひとり。伝統技能保持者や由緒ある寺院のご僧侶などが適宜に参加する。一般的には9~11人といったところ、「わがまちのベスト・ナイン」か「シニア・イレブン」である。(実例紹介)

「地域社会の高年化」構想

全国一律にすすめられた市町村合併の成否にかかわりなく重要なことは、地域の新たな活力をどう生み出せるかにある。財政の好転はその結果としてもたらされる。国が地方に要請している「地方分権」、地域の自立をめざす住民主導の「地域主権」の活動は、潜在能力をもつ地域の高年者層が成し遂げる「地域社会の高年化」と重なる。各地の高年者層が合併を契機として、地域特性を生かした「高年者が暮らしやすい地域社会」の知恵くらべを展開すること。地域の「まちの高年化」は、自治体が独自性を発揮しうる課題であり、それがいま全国一律であることの最大のメリットなのである。(実例紹介)