高年文化圏

[実現目標2020]
のひとつである
「高年文化圏」というのは、
「人間五十年」を過ごして、それぞれに
わが道での事績を積んできた高年者が、
異なった成果をえた人びとと出会い、
人生に達意の高年者でなければ
味わえないレベルの理解を共有する場。
少し排除的にいえば、「利」を優先させずに
「文を以って会す」ような場。
青少年や中年の存在を気にせずに、高年者同士が
「文化を語って文化を生じる」ような場。
「学友」と「同僚」と「親族」の3点セットだけでは
高年期の人生を充足して送るには心もとない。
心躍る人生をめざして、「地域」や「関心のある分野」での
いくつかを加えた5つ~7つのわが「高年期文化圏」。
そこでの活動が、人生に厚みと多様性のある成果を
刻んでいくことになる。
お互いに存在を意識し合いながらも、
それぞれに自立した地域や分野別の「高年期文化圏」が多種多彩に、
大小の水玉模様のようにどこまでも広がり重なるとき、
豊かな 「日本高年文化圏」 が
総体として成り立つことになる。

四季型(通風)住宅

実現目標2020
+世紀の夢2100
である「わが家」について。
内向きで閉鎖的な
「常温型(エアコン)住宅」から、
外向きに開放的に「季節感」を取り込んだ
「四季型(通風)住宅」 が主体になる。
地域の高年層の人びとが工夫をこらして
庭や垣根やアプロ-チを外向的にしつらえて、
街空間の形成にも参加する
エアコン+通風の新和風住宅である。
家は可能であれば世代それぞれの
特徴をとりこんだプライバシー空間をもつ
「三世代同等住宅」を指向する。
そういう「わが家」が増えることによって、
三世代がそれぞれに内でも外でも暮らしやすい
家、家並み、街並みが姿を現わすことになる。
季節感をシャットアウトし、
地方性を見失った家並みに代わって、
新幹線の車窓から「おらが地方の四季」を謳歌する
地域特有の街並みの展開が楽しめるまでには、
世紀のプロジェクトとなるだろう。

[和風街着]の復活

全国各地に展開した
前世紀の街空間は、
専門店が並ぶ商店街があって、
その中心に「銀座通り」があって、
地域住民に流行の新商品を提供した。
とくに若い女性たちの洋風ファッションは
各地の「銀座通り」を華やかな舞台にした。
さて、新たな世紀の街着はどうなるのだろう。
愉快な情景として想定されるのは、
地域の素材と意匠をいかした
四季折り折りの街着の復活と新製品。
日常着として楽しめる「和装街着」である。
街を風靡してきた女性ファッションに重ねて、
新たな世紀での「和装街着」を演出するのは、
新たな人生を模索する高年期の男たちだ。
着心地のよい 「和装男性街着」 が各地に定着し、
季節ごとに競われて話題になる。
隣家のジージが「春の街着ベスト・ドレッサー」なんて
あっていい情景である。
とくに洋風では過ごしずらい夏季シーズンには、
新たに個性的な地域衣装をつくり出し、
地域の街並みに似合う
ローカル・ファッションを楽しむ。
街着は和風洋風(欧風)折半ほどほどがいい。

「男子必厨」と「長寿料理」

日々の食事は
けっこういける
コンビニ食品に頼って、
誰かが作ったみんなのための<
与えられた味覚に慣らされてきた。
高年期の暮らしともなると、
似つかわしくもないし、
それで終わってはなるまい。
時節とともに店先に現れる
新鮮な旬の食材を求めて調理した
自作料理による自家味覚の創出をめざす。
「男子必厨」丈人 として
みずから包丁をとって調理に立ち、
素材を吟味して 「自作長寿料理」 を考案する。
寿命の男女差7歳は少しは縮まるだろう。
時には自宅に朋友を招いて、
できたての旬菜を前に並べて
「しずかに新酒の数盞を嘗め、酔って旧詩の一篇を吟じる」
(白楽天の詩から)のもいいではないか。
季節の恵みによるこれぞ贅をつくした
わが家の食のシーンである。
味覚は生涯にわたって成長する
右片あがりの能力である。

国産の高年者用品

「高年化社会」を支える
モノと場の創出に乗り出す
健丈な高年層の人びと。
「昭和丈人層」の姿が
なお見えにくいが、
しかし優れた生活感性を持っている
この国の高年層の人びとが、
このまま途上国製品(百均商品)に
埋もれてしまうことはないだろう。
すぐれたノウハウと技術を蓄積している
活力のある「日本中小企業」が、
社員・社友をふくめた成員全員の力を結集して、
「やや高くとも、丈夫で長持ち」する
良質な 「高年者向け(超人生)用品」 を製作する。
丈夫で長持ちする手作りの製品は、
50歳代から使うとしての一生ものだから、
およそ30~40年の利用が目安だ。
ものによっては遺産となるような耐久性をもつもの。
引退した社友も現役社員も、みんなで資産としての
製品と会社を愛着をもって支えあい、
社会と会社をともに成熟させていくことで、
高年者が暮らしやすい社会が形成されていく・・。

百季人生

福祉・介護
の方面では
75歳以上を後期高齢者
と呼んでいるが、
ここでは50歳以上を二分して、
高年前期(50~74歳)
高年中期(60~84歳)
高年後期(75~99歳)
とし、それぞれの25年に属する
春夏秋冬の100季を、
暮らしの基準にすえている。
ひとつひとつの季節を ていねいに迎えては送る人生。
さまざまに季節小物を配して、 わが 「百季人生」 の日また一日を、
繊細に個性的に過ごすのは、 いささかささやかともいえる目標であるが、
人生の味わいはおおいに深まるだろう。
密室でぶんぶんクーラーを回して過ごす 無季節無機質な「常温」指向にかわって
「地域の四季」を家庭内にふんだんに取り込むこと。
忘れ去られていた床の間を折り折りの「四季花軸」が飾り、
しゃれたデザインの「四季カレンダー」が季節を伝える。
和洋折衷の住空間に、 豊饒な「わが百季人生」が刻まれる。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

高齢者のための国連五原則

二〇世紀末の
一九九九年は、
「国際高齢者年」だった。
その年の一〇月一日が 「国際高齢者の日」。
いま高年期を迎えている人びとのうち、
どれほどの人がみずからが参加する機会として
理解していただろうか。
国際活動は「国連中心」でといいながら
ここにも「分担金は多く実践は少なく」の姿がある。
国連は、21世紀に先進国から迎える「高齢化社会」への
熱い願いを込めて、
自立・・・・・(independence)
参加・・・・・(participation)
ケア・・・・・・・・・(care)
自己実現・・(self-fulfilment)
尊厳・・・・・・・・(dignity)
という「高齢者のための国連五原則」を
新世紀を前に採択して、(九一年)
毎年一〇月一日を「国際高齢者の日」と定めたのである。
「高年化」の成果を、この日に国際発信するのも、
高齢化先進国として期待されるわが国の 高年者の役割なのである。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

「三世代同等同居型」住宅

「実現目標
2020 +
世紀の夢2100」
のひとつ。
そう遠くない2020年を
当面の目標時点としながら、
さらに世紀へむかっての生活空間。
高年世代からみて「隠居型同居」住宅ではなく、
三世代が同等にプライベートな空間を持ち、
三世代が同等に共有空間を利用して暮らせるのが
「三世代同等同居型」 住宅。
時代の変容のなかでそれぞれに身につけた
ライフ・スタイルの異なる三世代が、
青少年期、中年期、高年期をそれぞれに
お互いに工夫して住みなして、
「わが家三代の暮らしの知恵」 を共有し享受し継承していく。
そんなどっしりと安定した住宅が、 「日本標準住宅」として実現される。
家族の態様や経年変化に応じた改造を、 同居するみんなで相談して加えながら
「わが家」の姿を形成していく。
やがては家並みも町並みも次第にどっしりと 安定した姿になっていくだろう。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

「マイ・ちえあ」

まずは
みんなが
その気になるだけで
実現可能なものから。
それでいて世紀を貫く夢のひとつ。
この国の高年者みんなが、
高年期のためにそれぞれに、
座り心地がよい特選のイスをわが家に据える。
自作できればなお素晴らしい。
家庭内の「わたしのモノと場」の拠点として、
存在感のある 「マイ・ちえあ」 である。
どうだろう、家の内と外、国中どこにでも
座り心地のよいイスが据えられていたら、
立ち疲れることもないし、
優先されない優先席などいらない。
各地にチェア工房が形成され、毎年の「ちえあ・コンペ」には、
各国からも腕よりの職人がやってきて技を競いあう。
高齢化先進国の姿として、
この国はそのまま 「ちえあ博物館」となる。
先々代、先代が使い込んだ「マイ・ちえあ」に腰を据えて、
愉快な座談が楽しめれば、 21世紀末の高年者たちは
「昭和丈人」の夢に 何よりも感謝するだろう。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範

古希の祝いに[古希杖]を贈る

七〇歳が
稀でなくなった稀な時代。
七〇歳を「古希」と呼んできたのは、
唐代に詩人杜甫が詠んだ、
「人生七十古来稀なり」という詩句からとされている。
四七歳の時にこう詠った杜甫だったが、
本人は「古希」にはほど遠い五九歳で、
旅先で、貧窮のうちに、
長安へ帰る日を思いながら死を迎えている。
奇しくも同じ七七〇年に異郷の長安で、
「三笠の山に出でし月」を思いながら
阿倍仲麻呂が生涯を終えた。
仲麻呂は七〇歳を迎えていたから、
稀な長寿をまっとうしたことになる。
七〇歳のことを「杖国」というのは、
国事に当たる大夫が七〇歳になって、
国中どこででも使える杖を賜ったことからいわれる。
さて、唐の長安で七〇歳を迎えた仲麻呂は、
どんな杖を賜ったのだろう。
だれもが杖を贈られて「七十古希」を祝うえる現代こそが
「古来稀なり」なのであり、それ故に「丈人」ということばが、
装い新たに登場することになる。
「丈人」であるために持つのが杖。
いつまでもお元気でという思いをこめて、
お祝いに 「古希杖」 を贈るのもいい。
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らうんじ・茶王樹・南九十九里から
主人・堀内正範