堀内正範新著 『丈人力のススメ「人生90年時代」をこう生きる』(全)

堀内正範新著
『丈人力のススメ  「人生90年時代」をこう生きる』(全)
!!!『人生90年時代』全7apdf
3000万高齢者が「歴史をつくる」とき
☆「長寿社会」を一過性ではなく普遍的にするためには、当事者である高齢者が今のままでなく変わらなければ達成できません。
☆3000万人・25%・4人にひとりに達した高齢者(65歳以上)の存在は、歴史の繰り返しではなく、史上初めてのこと(歴史をつくる)を示しています。力を合わせて、これまでになかった「成長+成熟社会」(日本長寿社会)をつくること。いまその意思と存在感と行動とを明らかにするときです。一過性の「アベノミクス好況」が去ったあとでは遅いからです。
☆「長寿社会」を一過性ではなく普遍的にするためには、みずからが意識して自立すること(保持している知識・技術・資産をどう活かすか)、家庭内の変革(新たなモノや居場所のありよう)、地域社会への参加(同世代、同趣味、生活圏での暮らしの共有、ボランティア)、自治体とのかかわり(地域包括ケア、生涯教育、地域高齢者生涯大学校、シルバー人材センター、NPO活動)、国への要請(高齢社会対策専任大臣の設置、クオータ制による高齢議員の確保、高齢社会グランドデザイン)などが求められます。
☆「人生65年時代」の「余生」から「人生90年時代」の「長命現役人生」へ。
 
 

NPOヒロバ「高齢社会」

NPOヒロバ「高齢社会」
!!!NPOヒロバ「高齢社会」
NPOデータベースのうち、「高齢社会」として検索すると、
全国で270団体の活動がまとめられています。
さまざまな分野の活動が展開されていますが、本欄がe-mail
上の資料ですので、そのうちe-mailの掲載のあるものに絞って
作成してあります。

「月刊丈風」2013年12月号(年鑑)

「月刊丈風」2013年12月号(年鑑)
「丈風」2013年12月号apdf
 
だ れ も が 笑 顔、長 寿 社 会
3000万人(25%)の高齢者が「歴史をつくる」とき
!!!『人生90年時代』全7a
樋口代表基調講演20130717
堀田代表開催挨拶20130717
20130128所信表明演説a
20130228所信・施政2演説a
20131015所信表明演説a
高齢社会対策大綱全2012・09a
三つのセミナーからa
編集月旦2013年12月号a
前月号まで

「四字熟語の愉しみ」連載中  「老馬識途」「山珍海味」「哀哀父母」・・・

「四字熟語」の愉しみ  web 「円水社+」の連載から   ~1214年1月

老馬識途」 (ろうばしきと)

2014年・平成26年は甲午(きのえうま)。「馬」にかんする四字熟語には、すでに本稿にも「龍馬精神」「走馬看花」があり、「馬耳東風」「塞翁之馬」「伯楽相馬」「快馬加鞭」「害群之馬」など親しいものも数多くあります。
馬は路をよく覚えていて、帰りには主人が疲れたり泥酔したりして馬上で寝込んでしまっても間違えずにもどってきます。だから酒酔い運転の心配もない。「老馬識途」(『児女英雄伝「一三回」』ほか)といいこんな史話が残されています。
春秋時代に、斉の桓公の軍が春に遠征をし冬に帰国する行軍で道に迷った時のこと。臣の管仲が「老馬の智は用いるべきなり」(老馬之智)と提案して老馬を放ち、その後に従って国に戻れたといいます。知識や経験の豊かな高齢者を大いに用いようということです。ちなみに60歳を迎える甲午生まれは、中畑清、松任谷由実、林真理子、清家篤、檀ふみ、志位和夫、安倍晋三、古舘伊知郎、片岡鶴太郎さんなど。

「山珍海味」(さんちんかいみ)

「山珍海味」はいかにも中国ふうな表現の四字熟語です。盛大なようすに「堂堂正正」がよく使われます。日中の「四字熟語」には典故や経緯の違いから内容は同じで語順の異なるものがあるのに気づきます。左が中国で右が日本の用法。

山珍海味・山海珍味  雲消霧散・雲散霧消  灯紅酒緑・紅灯緑酒
賢妻良母・良妻賢母  粉身砕骨・粉骨砕身  異曲同工・同工異曲
不屈不撓・不撓不屈  堂堂正正・正々堂々  奪胎換骨・換骨奪胎
一部の文字が異なる「四字熟語」も挙げておきましょう。

安身立命・安心立命  異口同声・異口同音  異想天開・奇想天外
金科玉律・金科玉条  虎頭蛇尾・竜頭蛇尾  善男信女・善男善女
朝令夕改・朝令暮改  日新月異・日進月歩  燃眉之急・焦眉之急
中国には「一年一相」を止めた安倍政権を「虎頭蛇尾」と評する向きもあります。

「哀哀父母」 (あいあいふぼ)

生み養い育ててくれた亡き父母の恩を思う「哀哀父母」(哀哀たる父母、『詩経「小雅」』)は古くから伝え継がれてきた成語です。みずからがその労苦を知るころには父母はすでにいなかった。ところがいま史上まれな長寿時代になって、高齢期をすごす父母に、生きているうちに親の恩に報いることが可能になっています。
そこで「哀哀父母」をふまえて「愛愛父母」という成語が生まれる。生きているうちに孝行をしようという明快さが「愛愛」にあります。時代とともに新たな味わいを付加しながら「四字熟語」も生き延びていくようです。
年初の『日本経済新聞「NIKKEIプラス1」』(1月11日付)で、「今年の抱負、四字熟語で」という読者応募の企画の発表があって、選者のひとりとして「人間関係」編に寄せられた応募作の中から「傑作」として推薦しました。1位になりわたしのコメントが付けられています。愛愛への展開もよく、世相をとらえてユニークです。

濫竽充数(らんうじゅうすう)

「竽」(竹製の管楽器)の合奏者の中にうまく吹けない者が混じっていることをいう「濫竽充数」(『韓非子「内儲説上」』から)は、さまざまな意味合いでよく使われます。無能なのにいい地位にいる、実力以上の待遇や声価をえている、全員のレベルを乱している・・手ぬき品やブランド品のなかのニセモノにもいわれます。

竽の合奏を聞くのを好んだ斉の宣王は、吹き手を集めて合奏させました。そこで南郭先生が三百人の吹き手を集めて演奏したところ、王は喜んで国費で楽員を抱えたといいます。問題は宣王が死んで湣王が立ち、個人の演奏を好んだことにあります。演奏者として実力のない南郭先生が去ったのはいうまでもありません。

楽団がいい演奏をするには、全体の調整を図る指揮者やコンサートマスターが必要です。後者は演奏の名手ですが、中心にいて必要な指示を出していた南郭先生は指揮者に近い役割をしていたという解釈もあっていいようです。

歳寒三友」 (さいかんさんゆう)

NHKの連続ドラマ「梅ちゃん先生」で有名になったのが、松、竹、梅の三つを指す「歳寒三友」(王質『雪山集「送鄭徳帰呉中」』など)です。姉の松子、兄の竹夫そして梅子という名前を、父の建造がきびしい寒期に松と竹は枯れず梅は寒中に花を咲かせる、その姿から付けた名前であると知らされて得心するシーンがありました。雪中の梅を高潔の士に見立てた「雪中高士」は昨年紹介しました。
人生の厳しい時期に頼れる友人がいれば心強い。唐の白居易は「琴・詩・酒」を三友としています。その詩を読んだ菅原道真は、琴と酒は「交情浅し好去(さよなら)だ」といい、詩だけが「独り留まる真の死友」(読楽天「北窓三友」詩)と詠じて生涯の友としています。
主の道真を慕って京から太宰府へ飛んだ「飛梅」が天満宮に残されていて、春先になって東風が吹くと白い花を咲かせています。

「蝿頭微利」(ようとうびり)

「蝿頭」を「ようとう」と読める人はどれほどいるのでしょう。ハエを見なくなったことも関係しているのでしょう。給食のパンに混入していて、食べても害がないとかで話題になりましたが。中国ではちっぽけな利益をいうのに「蝿頭微利」(口語では「蝿頭小利」)が用いられています。日本で少量をいう「雀の涙」と「猫の額」。「雀の涙」は見たことがないし、「猫の額」は尺度として範囲があいまいだからでしょうか、中国では見聞きしません。少量を代表するのはハエの頭とカタツムリの角。
「蝿利蝸名」は、わずかな利益とささやかな名声。宋の蘇軾は「蝸角虚名、蝿頭微利」(「満庭芳」から)といって、利得も名声もまとめて突き放しています。
ハエとカタツムリ。どちらも身近でなくなりましたが、ネコだけは健在です。ソファの上に寝そべるネコの狭い額を見て、転じてわが家の狭い庭を見ますと、なるほどと思える違和感のない巧みな表現なのですが。

「各有千秋」(かくゆうせんしゅう)

TOKYOはもちろん、2020年オリンピック招致の3都市は「各有千秋」で優劣つけがたかったといわれました。「千秋」は千年のこと。一つひとつの物事、一人ひとりの人間にはそれぞれに遠く久しい流伝があることを「各(おのおの)に千秋有り」(趙翼「瓯北誌鈔・絶句」など)といいます。
漢の李陵は、「三載(三年)は千秋となる」と詠ったとき、同じ時代の天の一隅に生きながら、もはや友人蘇武と再び遇えないという思いを込めました。「千古絶唱」といわれる唐の李白や杜甫の詩は、文字どおり千年を重ねて「名流おのおの千秋あり」を証明して読み継がれています。名も無き者の人生だって、それぞれ千年の来歴をたどって現在があるわけです。しかし現代四字熟語としての「各有千秋」は、ずっと軽くて、ものの特徴ややり方の特色といった意味合いで使われています。新車の外観や女性の髪型の特徴も、こそどろの手口だって「各有千秋」なのです。

「明日黄花」 (みょうにちこうか) 2013・10・16  円水社+

「明日」というのは、重陽節(旧暦9月9日・今年は10月13日)が過ぎたあとの日のこと。「黄花」は菊の花。重陽節には菊を観賞するならわしがあり、その日に合わせて花の盛りを迎えるよう栽培されます。ですから「明日黄花」(蘇軾「九日次韻王鞏」など)は、節日を過ぎて人びとの関心が薄れたあとの菊の花のことで、遅れて盛りを迎える花の場合には「役たたず」ということになります。
普及のはじめは独占状態だった人気デジタル商品が売れなくなるのが「明日黄花」。女子バレーで日本が中国を破って金星を挙げると、中国は「昔日の影もなし」で、日本は「遅れて今更」という意味で、「明日黄花」の評を受けたりします。
重陽節は中国では「老人節(敬老の日)」で、年老いた両親に会いにいきます。高齢化率1位の上海では10月の「敬老月」には敬老・愛老・助老といった「崇尚敬老」の行事がさかんです。気がつけばこの稿も節日をすぎており「明日黄花」でした。

猫鼠同眠」(びょうそどうみん) 2013・10・23 円水社+

猫と鼠がいっしょに眠る「猫鼠同眠」(『金瓶梅「七六回」』など)というのはありえない情景です。あればネコのほうに問題があることを示しています。これは王朝内では「猫鼠同処」(『新唐書「五行志」』など)ともいわれて、官吏の職務怠慢を戒めることばとして、しばしば使われてきました。
「猫鼠同眠」は今でも見られて、片目を開いて片目をつぶって製品検査をすることでの「互利互恵」がそれに当たります。とくに食品や医療部門の製品での管理者と被管理者の「灰色の黙契」によって問題が発覚すると、「猫鼠同眠」として騒がれることになります。「トムとジェリー」(猫和老鼠)でみるように、善悪より先に敏捷性も問題の要因で、警察官が犯人を捕えられないこともこの類ということになります。
さて十二支に猫がいない理由は、中国では歴代見られる猫的官吏が避けたのかもしれません、なぜなら漢字文化圏のベトナムでは兎のかわりに猫が入っています。

「来日方長」(らいじつほうちょう) 2013・10・30 円水社+

黒姫に居をかまえるC・W・ニコル(73)さん、熊野の山里に住むE・ハンソン(74)さん、そしてD・キーン(鬼怒鳴門、91)さん。それぞれに「来日まさに長し」の日本国籍をもつ知名人です。
こういう「来日」の読み方で、山東省の臨海都市のひとつ日照市(室蘭市の友好都市)は、わが日照市に来れば人は健康で長寿になり、投資企業は末長く発展しますと「来日方長」(汪由敦『瓯北初集序』など)を市の紹介と産業招致に用いています。
そこで、わが日本に来れば親しいオモテナシを受けて、順調に活躍しつつ長生きできますよ! と世界一の長寿国として、世界中の優れた技能者や教養人に長期滞在を呼びかけたらいい。それが来たる日々を豊かで明るい展望を持って過ごせる定住から永住につながる広報となり、三氏のような日本を日本人より良く知る人びとがいる国際文化立国にむかって、本来の「来日まさに長し」を示すことになります。

 

四字熟語「蝿頭微利」「各有千秋」「明日黄花」「猫鼠同眠」「来日方長」

「円水社+ 四字熟語の愉しみ」 連載中

「来日方長」(らいじつほうちょう) 2013・10・30

黒姫に居をかまえるC・W・ニコル(73)さん、熊野の山里に住むE・ハンソン(74)さん、そしてD・キーン(鬼怒鳴門、91)さん。それぞれに「来日まさに長し」の日本国籍をもつ知名人です。

こういう「来日」の読み方で、山東省の臨海都市のひとつ日照市(室蘭市の友好都市)は、わが日照市に来れば人は健康で長寿になり、投資企業は末長く発展しますと「来日方長」(汪由敦『瓯北初集序』など)を市の紹介と産業招致に用いています。

そこで、わが日本に来れば親しいオモテナシを受けて、順調に活躍しつつ長生きできますよ! と世界一の長寿国として、世界中の優れた技能者や教養人に長期滞在を呼びかけたらいい。それが来たる日々を豊かで明るい展望を持って過ごせる定住から永住につながる広報となり、三氏のような日本を日本人より良く知る人びとがいる国際文化立国にむかって、本来の「来日まさに長し」を示すことになります。

猫鼠同眠」(びょうそどうみん) 2013・10・23

猫と鼠がいっしょに眠る「猫鼠同眠」(『金瓶梅「七六回」』など)というのはありえない情景です。あればネコのほうに問題があることを示しています。これは王朝内では「猫鼠同処」(『新唐書「五行志」』など)ともいわれて、官吏の職務怠慢を戒めることばとして、しばしば使われてきました。

「猫鼠同眠」は今でも見られて、片目を開いて片目をつぶって製品検査をすることでの「互利互恵」がそれに当たります。とくに食品や医療部門の製品での管理者と被管理者の「灰色の黙契」によって問題が発覚すると、「猫鼠同眠」として騒がれることになります。「トムとジェリー」(猫和老鼠)でみるように、善悪より先に敏捷性も問題の要因で、警察官が犯人を捕えられないこともこの類ということになります。

さて十二支に猫がいない理由は、中国では歴代見られる猫的官吏が避けたのかもしれません、なぜなら漢字文化圏のベトナムでは兎のかわりに猫が入っています。 

「明日黄花」 (みょうにちこうか) 2013・10・16

「明日」というのは、重陽節(旧暦9月9日・今年は10月13日)が過ぎたあとの日のこと。「黄花」は菊の花。重陽節には菊を観賞するならわしがあり、その日に合わせて花の盛りを迎えるよう栽培されます。ですから「明日黄花」(蘇軾「九日次韻王鞏」など)は、節日を過ぎて人びとの関心が薄れたあとの菊の花のことで、遅れて盛りを迎える花の場合には「役たたず」ということになります。

普及のはじめは独占状態だった人気デジタル商品が売れなくなるのが「明日黄花」。女子バレーで日本が中国を破って金星を挙げると、中国は「昔日の影もなし」で、日本は「遅れて今更」という意味で、「明日黄花」の評を受けたりします。

重陽節は中国では「老人節(敬老の日)」で、年老いた両親に会いにいきます。高齢化率1位の上海では10月の「敬老月」には敬老・愛老・助老といった「崇尚敬老」の行事がさかんです。気がつけばこの稿も節日をすぎており「明日黄花」でした。 

「各有千秋」(かくゆうせんしゅう) 2013・10・09

TOKYOはもちろん、2020年オリンピック招致の3都市は「各有千秋」で優劣つけがたかったといわれました。「千秋」は千年のこと。一つひとつの物事、一人ひとりの人間にはそれぞれに遠く久しい流伝があることを「各(おのおの)に千秋有り」(趙翼「瓯北誌鈔・絶句」など)といいます。

漢の李陵は、「三載(三年)は千秋となる」と詠ったとき、同じ時代の天の一隅に生きながら、もはや友人蘇武と再び遇えないという思いを込めました。「千古絶唱」といわれる唐の李白や杜甫の詩は、文字どおり千年を重ねて「名流おのおの千秋あり」を証明して読み継がれています。名も無き者の人生だって、それぞれ千年の来歴をたどって現在があるわけです。しかし現代四字熟語としての「各有千秋」は、ずっと軽くて、ものの特徴ややり方の特色といった意味合いで使われています。新車の外観や女性の髪型の特徴も、こそどろの手口だって「各有千秋」なのです。 

「蝿頭微利」(ようとうびり) 2013・10・02

「蝿頭」を「ようとう」と読める人はどれほどいるのでしょう。ハエを見なくなったことも関係しているのでしょう。給食のパンに混入していて、食べても害がないとかで話題になりましたが。中国ではちっぽけな利益をいうのに「蝿頭微利」(口語では「蝿頭小利」)が用いられています。日本で少量をいう「雀の涙」と「猫の額」。「雀の涙」は見たことがないし、「猫の額」は尺度として範囲があいまいだからでしょうか、中国では見聞きしません。少量を代表するのはハエの頭とカタツムリの角。

「蝿利蝸名」は、わずかな利益とささやかな名声。宋の蘇軾は「蝸角虚名、蝿頭微利」(「満庭芳」から)といって、利得も名声もまとめて突き放しています。

ハエとカタツムリ。どちらも身近でなくなりましたが、ネコだけは健在です。ソファの上に寝そべるネコの狭い額を見て、転じてわが家の狭い庭を見ますと、なるほどと思える違和感のない巧みな表現なのですが。

 

「月刊丈風」2013年11月号

「月刊丈風」11月号
 「丈風」2013年11月号zaapdf
いまこそ3000万高齢者が「歴史をつくる」とき
特集  丈人のススメ 「人生90年時代」 をこう生きる (全)
一過性「アベノミクス好況」が去ったあと、国難を救うのは
現役シニア層が達成する「成長+成熟社会」のほかにない。
第七章 新時代 「人生九〇年時代」をこう生きる
『人生90年時代』za7a

第一章   世相 「現役人生六五年」をすごし終えて
『人生90年時代』za1a
第二章   家族 「マイホームパパとママ」の憂鬱
『人生90年時代』za2a
第三章  モノ・職場 途上国産の中級品に囲まれて
『人生90年時代』za3a
第四章 和風回帰 四季と特性の息づく地域に
『人生90年時代』za4a
第五章 高齢期・居場所 「エイジング・イン・プレイス」
『人生90年時代』za5a
第六章 高齢者 ひとりの住民・・国際人として
『人生90年時代』za6a
『丈人力のススメ 「人生九〇年時代」をこう生きる』目次
『人生90年時代』目次z
高齢社会運動月間(季間)
寿期5歳層大正生まれ
編集月旦2013年11月号a
前月号まで

『丈人力のススメ 人生90年時代をこう生きる』

『丈人力のススメ 人生90年時代をこう生きる』
堀内正範 
朝日新聞社社友 元『知恵蔵』編集長
一過性の「アベノミクス」が去ったあと、国難を救うのは
現役シニアによる「成長+成熟社会」の達成のほかにない.
第一章 世相 「現役人生65年」をすごし終えて
『人生90年時代』za1pdf
第二章 家族 「マイホームパパとママ」の憂鬱
『人生90年時代』za2pdf
第三章 モノ・職場 途上国産の中流品に囲まれて
『人生90年時代』za3pdf
第四章 和風回帰 四季と特性が息づく地域に
『人生90年時代』za4pdf
第五章 高齢期・居場所 「エイジング・イン・プレイス」
『人生90年時代』za5pdf
第六章 高齢者 住民・・国際人として
『人生90年時代』za6pdf
第七章 新時代 「人生90年時代」をこう生きる
『人生90年時代』za7pdf
「人生90年時代」をこう生きる 目次
『人生90年時代』目次z
のち出版予定。
 

「月刊丈風」2013年10月号

「月刊丈風」2013年10月号
「丈風」2013年10月号   pdf
国際高齢者デーa pdf
第185回国会安倍総理所信表明演説 pdf
介護離職ゼロ pdf
高齢社会対策大綱全2012・09 pdf
『人生90年時代』&1apdf
『人生90年時代』&2a pdf
『人生90年時代』&3a pdf
『人生90年時代』&4a pdf
編集月旦2013年10月号pdf
よりよい高齢社会運動pdf
前月号まで pdf

四字熟語「蛙鳴蝉噪」「胸有成竹」「急流勇退」「平分秋色」

「円水社+ 四字熟語の愉しみ 連載中

平分秋色」(へいぶんしゅうしょく) 2013・09・25

昼夜がちょうど二分される秋分のころの穏やかな景観が「平分秋色」(李朴「中秋」など)です。「平分」は収穫した成果を平等に分け合って得ることに通じます。丹精した農作物をみんなで収穫する秋であり、のちには農業だけではなく、商業上の利益や声望などを分け合って、一半を得ることにもいうようになりました。

先人の残したさまざまな遺産を収蔵する博物館同士が、お互いの優れた収蔵品を出し合って展覧会を催すのも「平分秋色」。またサッカー戦などで激しく勝利を争いながら引き分けた熱闘を讃えあっての「平分秋色」。ちかごろは宴を盛り上げる白酒と葡萄酒の消費量が「平分秋色」になりつつあるといいます。

なにより平和の下での半世紀余。わが国は先行して得た技術や人材や資金を投入して、アジア途上諸国の人びとの暮らしの近代化に貢献しています。アジア各地でその成果が共有されている姿は、わが国が誇っていい「平分秋色」の景観です。

急流勇退」(きゅうりゅうゆうたい) 2013・9・18

しごとが順調で成果が現れており、将来がなお期待されている時に果断に勇退して自己の節義を保つことが「急流勇退」(『蘇東坡集「贈善相程傑」』など)です。

サッカーのベッカムや野球の松井秀樹などスポーツ選手の引き際もそれに近いですが、宮﨑駿(はやお)監督の進退の判断は「急流勇退」というにふさわしいでしょう。ベネチア国際映画祭に『風立ちぬ』(風起了)が出品中であったことで、「動画界のクロサワ」「日本のディズニー」の引退は一気に世界中に知られました。作品は金獅子賞を逃がしましたが商談は上々のようです。

公式引退の辞で、しごとの目安を「あと10年」、「ぼくは自由です」といいます。しごとをやるやらないの自由。昭和16(1941)年、戦争のさなかの生まれ、72歳での「急流からの勇退」は「生涯現役宣言」でもあるのです。宋の蘇軾も「急流勇退はあに人なからん」と、なかなかできないことだと述べています。

胸有成竹」(きょうゆうせいちく) 2013・09・11

暮らしの中に竹かんむりの字が多いことからも、竹はさまざまな用途をもった植物として利用されてきたことがわかります。まず筆がそうですし、竿、箒、箸、箱、籠、笛、笠・・節や筋や算もそうです。また竹はそのたたずまいを愛されて、詩画としても数多くの名品が残されています。

竹の画に秀でた人といえば北宋時代の文与可でしょう。四川に住んで、春秋、朝夕、晴雨といった自然の変化の中で、竹を仔細に観察しつくして描きました。同時代の文学者晁補之は「胸中に成竹あり」(『鶏肋集・八』から)と称賛しています。

ことをなす前に胸中にしっかりした結果が見えている(成算がある)例として用いられます。TPPへの日本の加入について、『人民網』は「賭博かそれとも胸有成竹?」の見出しを付けました。賭博はないでしょうが、といって政府に国民を納得させる「成竹」が胸中に描けているのかどうかはあやういところです。

蛙鳴蝉噪」(あめいせんそう) 2013・9・04

蛙が鳴いて蝉が噪ぐというのは、親しい夏の風物です。とくに蝉の声は、一声一声、短い生を知って生きることの謳歌、小さい命の大合唱です。ニイニイ、ヒグラシ(カナカナ)、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ・・それぞれに鳴き声に特徴があり、現われる順もあるので、曲調は少しずつ移ろっていきます。

芭蕉の有名な句「閑さや岩にしみいる蝉の声」は旧暦5月末の山形・立石寺の作なので、ニイニイゼミと調査結果が出ているようです。荘子の「蟪蛄(けいこ・夏ゼミ)は春秋を知らず」は、凝縮された生へのいとおしさを掬いとっています。蘇軾の「蛙鳴青草の泊、蝉噪垂楊の浦」も人の賑わいの中に混じる生きものの声を聞いています。

蝉の声が途絶えて虫の音が引き継ぐ季節の転回。「蛙鳴蝉噪」(儲欣『唐宋八大家文評「韓愈・平淮西碑』など)が、比喩として低俗な文章や内容のない議論をいうのはなぜでしょう。炎熱の夏を終えて、成熟の秋に期待するということでしょうか。

 

「高齢社会」の達成が「平和国家」の証

!!!応募「平和の証」稿pdf
「高齢社会」の達成が「平和国家」の証
灯火管制の下で。
子どもの目に焼きついた戦争の鮮明な光景がある。その夜、灯火管制でうす暗い家の中が急にざわめいて、大人たちがみんな二階に駆けあがり、物干しや道路側の雨戸を細くあけて夜空を見上げた。わたしも雨戸の隙間からおそるおそる夜空を見上げた。何本かの探照灯に照らし出されたB29。迫っていく日本の戦闘機。高射砲弾の煙と音。子どもの目で距離感は測りようもなかったが、B29はゆうゆうと東京の上空を横切っていった。覗き見たあと、ひとり取り残されたわたしを振るわせていたのは、恐れではなく、ひそかに知った敗北感のようなものだった。軍歌を歌い、兵隊ごっこをし、戦闘機を画いて、強国ニッポンを信じていたのに。・・・・・・・