#5新スグレモノと企業内高年化
#日本型企業の基本樹形を作り直す
*・*九割が「中流」と感じる社会が消えた*・*
「維新期の天保人」
「大戦後の大正人」
「新世紀の昭和丈人」
どこで論じてもいいのだが、企業に関するこのあたりで触れておきたいことがある。
歴史上のできごとは、学者にとっては蓋然だが、主体者にとっては必然である。学者は結果を机上でこうなったと記録し、主体者は現場でこうやったと述懐する。学者は将来を演壇でこうなると語り、主体者は現場でこうすると決断する。学者は主観性を排除し、主体者は客観性を懐疑する。
どちらもおよそ正しく、どちらも幾分かの過ちを冒す。
空から舞い降りて鷲づかみにしたような歴史の経緯であるが、近代にわが国が遭遇した外圧を契機とする三つの改革期の主体者は、一九世紀の明治初期は主に「維新期の天保人」が担い、二〇世紀中葉の戦禍からの復興は主に「大戦後の大正人」が担った。そして二一世紀初頭の経済グローバル化のもとでの「日本高年化社会」は昭和生まれの高年者、つまり「新世紀の昭和丈人」層が主体者となって担うと本稿は断ずる。
「維新期の天保人」の活躍ぶりは別の機会に残しておくとして。
一九四五年の夏、敗戦の焦土に立ちつくした「大正人」は、二○~三三歳だった。「大戦後大正人」の活躍の姿を記憶している人は多いだろう。南方の島々や北方の大陸の戦場から帰らなかった友を思い、遺族の悲嘆と苦しい生活を傍らに見ながら、友のぶんまでも働きずめに働いた勤勉で実直な人びとも、いま鎮まろうとしている。元ちとせが「ワダツミの木」で、うすい透明な風のような声で、「星もない暗闇でさまよう二人がうたう歌、波よもし、聞こえるなら、少し今声をひそめて」と、歌うのを聞いたとき、重ねて南方の『きけ わだつみのこえ』を思い、いまはもう声にこそ出さないものの、合わせて北方の「異国の丘」がつい胸の中に溢れてしまった人びと。記憶のなかの敗戦後のせつない青春期の暮らしと重ねて、
「きょうも暮れゆく異国の丘に、友よつらかろせつなかろ」
と、「鎮魂歌」としての「異国の丘」を口ずさみながら、ひとりで、ふたり三人のしごとを仕遂げようとしてきた人びと。それは生き残った者同士の無言の契約でもあった。それを成し遂げた人的パワーが、総体として二○世紀後半の奇跡といわれた日本経済の復興を支え、いまある資産を蓄積してきたのである。
若き「大正人」を中核に据えて、国土の再建、経済の復興は始まったのだった。
だれもがスイトンとサツマイモ(甘みも色も太さもいろいろ)で飢えをしのぎ、「タケノコ生活」(タケノコの皮をはぐように衣類を売って生活した)に耐えつづけ、身にまつわりついていた「封建的」なものいっさいを削ぎ落とし、「世界平和」と「社会平等」と「男女同権」をみずから実践する人びとに主導されて、国民大衆は貧しさも豊かさもともに等しく分け合う風潮をはぐくんできた。
「加工貿易立国」
「MADE IN JAPAN」
物質的にはしゃにむに近代化(多くは戦勝国アメリカ化)をすすめざるをえなかった日本は、外国から素材を買い良質な製品を作って売る「加工貿易立国」として第二の開国を行い、国土の再建をめざしてきた。鉄のカーテンのむこうの「社会主義」にも強い関心をはらいながら。
「日本は、社会主義的・平等主義的・自由経済の国だ」と外国人に向かって紹介したのは、「大正人」のひとり、ソニーの盛田昭夫さん(当時はソニー会長、経団連副会長)だった。盛田さんは、外国人に日本の「国のかたち」を問われると、自信をもってそう説明していたという。日本経済の頂上期に、盛田さんが書いた『MADE IN JAPAN』は、そのあたりのことをこう記している。
「国内のマーケット・シェアをかけた激しい競争を通し、海外での競争力を養うのだ。エレクトロニクス、自動車、カメラ、家庭用電気製品、半導体、精密機械などが、その代表的なものである」
日本製品の多くは高級品ではなかった。「良質な中級品」、つまり一般の人びとがもっとも必要とする良質なものを作ることに活路を見いだしてきたのだった。良質というのは、「使いやすく、丈夫で、長持ちする」という意味でいわれた。前記の商品は国内でよく売れれば、それは外国とくにアメリカで評判がよく、「MADE IN JAPAN」のトランジスタラジオ、カメラ、テレビ、小型車など良質な中級品は、実用品として認められてきたのである。それがまた日本人みずからの生活を平均的に充足し、中産化することにもなった。良質な技術者が「良質の中級品」をつくり提供することがわが国の立国の基盤であることは「銘心刻骨」しておかなければならないことである。
「中流と感じる社会」
「社会主義的・平等主義的・自由経済の国」
一億人を超える国の国民の九割までが「中流と感じる社会」の実現は類がないだろう。ソニー会長であった盛田昭夫さんが国際的基準の中で誇らしげに主張したように、「社会主義的・平等主義的・自由経済の国」として、世界の開発途上国から目標とされるスバラシイ先進国として立ち現れたのである。高年者は、その経緯と成果をリアルタイムで体感してきた経験をもっているのである。
いまも「シニア海外ボランティア」の高年者が開発途上国の現場で、また日本企業の現地駐在の高年社員が現地の人びとから、心からの信頼をかち得ているのは、生産者としてユーザーが満足する品質(モノ)にこだわる背後に息づく品格(ヒト)が、おのずから伝わるからだ。
「みんなが中流」という意識に亀裂をもたらすことになる日本経済の「萎縮」(デフレーション)がはじまったとされる九〇年代初めのころを、体感的に思い起こしてみよう。
「サンパク(三八九)以後」
「内在する萎縮」
晴れやかだった記憶として思い起こせば、東京株式市場の「大納会」で「東証一部の株価」が三万八九一五円というピーク値を記録したのは一九八九年一二月二九日のことだった。「三八九=サンパク=三白」というのは正月三ガ日に降る祝い雪をいうが、九〇年正月の東京の空高く株価が舞って「サンパク(三八九)以後」(三八九一五)はひたすら右片下がり。
それに先立つ一九八九年一月七日に、一○○日を超える闘病をつづけた「昭和天皇」が八七歳の高齢で亡くなったのだった。六月二四日には、「東京キッド」や「私は街の子」以来、戦後の日本を体現していた歌手の美空ひばりさんが、最後に「川の流れのように」を歌って五二歳で亡くなっている。
「やれやれ、これで戦後が終わったのだ」とつぶやいた人びと。「昭和」が終焉し、「平成」とともに始まった日本経済の下降。「明治・大正生まれ」や年長の「昭和生まれ」の人びとのなかには、みずからの戦後を顧みての終息感と、その後の「経済の萎縮」とを体感として重ねて理解した人が大勢いたのだった。
世紀をまたいだせいか、ずいぶん遠い記憶のように思える。戦乱で亡くなった人びとへの鎮魂の思いは胸中から消えずとも、自分の肩にかかる荷だけは静かに降ろし、長かった緊張を解いたのだった。将来に新しい目標も見当たらなかったし。
「われにかえった」一人ひとりに「内在する萎縮」は、ゆっくりとした静かな変容であり、外から気づかれることはなかった。しかし戦争を知り貧しさを知るというきびしい経歴をもつ自分たちの後を、戦争も知らず貧しさも知らない若い連中が引き継ぐことなどできないだろうという自負と憂慮をない交ぜにした感慨は、仲間同士の会話のうちに繰り返された。
「日本経済の萎縮」
それがすべてではないにしても、企業現場からの自分たちの隠退(労働力の消滅)が、総体として「日本経済の萎縮」をもたらす要因となるだろうとは予測しえても、まさかこれほど早くに高年者となった自分たちの医療費の負担増や年金の減額や、あろうことか若年層から不公平との反発まで浴びようとは、思いもよらなかったことであろう。与因と結果との間で、人間がどれほどの力を出しうるか、出したかは経済指標では計れない。したがって歴史や社会や人間存在への想像力が働かない経済学者には実態はわからない。
ここでは戦争の惨禍を知っている人びとの企業現場からの引退による人的パワーの萎縮が、高度成長を支えた「終身雇用」慣行によるインセンティブ(誘因)をも萎縮させつづけたことに注意しておかねばならない。八〇年代には「日本型マネジメントは世界一」(ジャパン・アズ・ナンバー・ワン)とみていた海外投資家に、二〇年後には日本企業の利益率が低いのは「終身雇用のせい」といわれるようになる。原因は終身雇用のせいではなく、企業内の人的パワーが衰えたせいなのだ。いまでも七八%の日本の労働者は終身雇用制を支持しているのだから。
「成熟した日本社会」
成長期にある中国などアジアの途上国の成長を支える人的パワーは、進出企業の技術指導にあたる高年社員、かつて「ワーカホリック」(仕事中毒)といわれながら働いた「企業戦士」をも驚かせる。ひるがえって本国の本社での士気の鎮静化が何の影響も残さずに終わるとは思えない。過去と現在を知る者の立場で、「実体経済の萎縮」に体感として納得がいくからである。
歴史は「もしも」によって歴史になる。もしも、新世紀にはいったところで、わが国の高年者の能力や士気が停滞することなく、新世紀の潮流である「高年化社会」を展望し、それを支える「モノと場の創出」へと流動し、「企業の高年化」を成し遂げ、「成熟した日本社会」の形成へと展開していたならば、つまり「終身雇用制」が「高年化社会」形成へのインセンティブとして働いていたならば、社会主義圏の崩壊やアジア経済圏の変動の中にあっても、みんなが「中流と感じる社会」をこれほど急転直下に見失うことはなかっただろう。
*・*新・日本型マネジメントの展開*・*
「終身の雇用」
「年功の序列」
「終身雇用制と呼ばれてきましたが、実際には六〇歳定年制が一般的だったですね」といわれれば、その通りである。
たしかに「終身の雇用」といっても雇用は終身ではなかったものの、長期(無期)であり、社員としての意識の中に「同じ釜のメシを食う」仲間として、先輩から後輩へとわが社流儀を伝えながら支えあう信頼と平等の絆の表現として引き継がれ、定年後も終身のつきあいを建て前とする「愛社意識」として保たれてきた穏和な伝統なのである。入社したての新しい能力を秘めた若手社員は先輩社員を敬愛し、中堅社員は会社や製品を育ててくれた引退社友を敬愛する。それが率直に表わされることが「終身の雇用」の安心感となり、「年功の序列」の長期モチベーションとなり、「和の絆」の信頼感となり、最良の製品を提供することになる日本型企業の基本樹形である。
と、社内でいおうものなら、「同じ釜のメシ?」「終身雇用?」「年功序列?」「和の絆?」「愛社意識?」、まるで「時代知らずのオオバカ!」といわんばかり。八〇年代までは世界の関心を呼んだ日本型企業が九〇年代以降に国際競争力で耐えられなくなり成長力を失う一方で、「温情主義」を排して合理化を進めた企業が業界トップとなり、弱体化した企業がアメリカ企業の傘下に組み込まれて生き残る。そして「華の元禄」にもまがう繁栄を謳歌した日本型大手企業は、業績悪化から立ち直れない状況が長く続いた。
その間に、業績を回復できない理由は、それまで日本型企業の特徴であり優越性といわれた「終身雇用」や「年功序列」や「企業別組合」がその元凶だと指摘され、納得させられてしまった今、日本型企業の優越性を声高にいって通じる状況にはない。
「日本型マネジメント」
「終身雇用慣行重視」が、一九九三年に減少に転じ、「どちらともいえない」が増え、九六年には「慣行にこだわらず」が大企業でも多くなり、その趨勢は止まらない。本稿は、沈黙してしまった企業人にかわって、あえて火中の栗を拾うことにしたい。
「ものづくり」が主体の企業にとって、成員同士が信頼しあい生産技術を共有し、将来にわたって安心して働けるということ、つまり「終身雇用」や「年功序列」といった日本型企業の基本樹形をつくっている「日本型マネジメント」のどこがいけないというのか。
業績がいいトヨタやキャノンだから支えられたのではなく、いずれの企業もが根・幹として守ることのできるはずの慣行なのである。「終身雇用は高コスト」と短絡して評するのは、本質が見えない自己保身の社員の身勝手な判断なのだ。いまある企業は、いまの社員のためではあっても、いまある社員のものではない。先人が敗戦の焼け野原の下に温存されていた根っこから、「生き残る」ために敗戦後の状況に必死で適応させ、試行錯誤を繰り返しながら樹形を整え、枝葉を茂らせてきたものである。苦難の中で模索し、選択してきたのが、「終身の雇用」であり「年功の序列」と呼ばれる企業慣行であった。
それも経緯が穏やかであったわけではない。企業の存続をゆるがすような社内争議を、「インタナショナル」を歌って社屋を包囲する労働者側と経営者側との間で何度も繰り返したすえに形成されてきたものである。だからそれを知らない若い社員が思うほどに、国際的にもやわな企業樹形ではない。先人が苦闘のすえに育てあげてきた基本樹形である現有システム「日本型マネジメント」を、まるごと伐採してしまう愚挙だけは避けなければならない。
といって固定的に捉えることではなく、ここ一〇年余り、「グローバル化・途上国化」に若年層を中心に対応しながら耐えてきて、いま顕在化して迎えている「高年化」の進捗にも対応して「新・企業樹形」の構築に取り組まなければならないのである。それが先人がたどってきた苦難から、新たな「日本型マネジメント」を作り直すプロセスなのではないか。
「アメリカ型マネジメント」
「成果主義」
五〇年来の慣行である「終身の雇用」と「年功の序列」という穏和な仕組みを、「グローバル化」のもとでの「高年化社会」の形成を契機として企業現場で変容させること。それが可能な企業形態につくり直すことへの挑戦であり、そこから生まれる新たな生産活動の態様とそれに見合う社会改革である。「社会の高年化」に対応する「企業の高年化」であり、担うのは高年者自身の他にいない。
先の大戦後期にも似た現下の外圧(グローバル化)によって日本社会が急速に変貌している。「日本型企業」の経営がきびしい時に、その内側からの保護対策のためにこそアメリカ型の企業経営に学んだ人びとの見識や分析や予測能力が求められているのである。
だが、実情は外圧の柱である「アメリカ型マネジメント」の「成果主義」を企業再生のマスターキーとする方向へと傾いている日本企業の経営者にむかって、発想の核を海外に持つ若手学者やベンチャー企業家からは、なめらかな外国語で「日本型システム」全否定の矢が放たれているのだ。いまや業界を覆う主流の考え方になっているから、日本型の企業風土について語ることすら企業現場ではままならない。本稿がいま時代の強い風圧に抗して、「昭和丈人層」の代表でもある経営トップに「経営の多重標準」を訴えかける理由は、なんとか日本型企業の基本樹形を活かして、「グローバル化」のもとでの「高年化社会」を支える企業改革の先駆けとなってほしいからだ。
それなのに即座に、「そんな小春日和の縁側談義に付き合ってはいられない。引退シニアとやってくれ」という声が跳ね返る。小春日和どころかハリケーンやトルネードに鍛えられた「アメリカ型マネジメント」の旋風が吹き荒れている時に、日本型企業の樹形がどうのこうのなんていっていられない、というのである。
どうやら本稿は、帰りたくとも帰れないイバラの道に踏み込むところにきてしまったようである。現場での企業内改革を呼びかけた「昭和丈人層」のみなさんへの手前もある。先に進むより仕方がない。降るほどに罵声や嘲笑を浴びても退くことはしない。
「日本型企業風土」
「新・日本型マネジメント」
まずは相手を知ることだろう。ここで着目すべきことは、アメリカが若年・中年社会であり、高年化を迎えている他の先進諸国とは企業風土が違うということだ。大統領候補討論でも「高年化」問題は白熱していないし、変化のきざしはない。
若年・中年社会であるアメリカと違って、「経済のグローバル化」とともに「社会の高年化」を迎えている日本社会の変容に、どう企業システムを対応させていくかに苦慮しなければならない時に、「日本型企業」の全否定にむかう意見が先行するのは困ったことだが仕方がない。
「新商品開発の遅さ、人事異動の不活性、非採算性など、みな日本企業のもつ特殊性です」といってのけ、労働にインセンティブを期待する「個人主義」、社内競争による「成果主義」といった手法を導入する。
したがって給与も能力優先の「職務給」にシフトして、終身・年功型給与の基本である「年齢給」や「勤続給」を縮小まではともかく、廃止するという本稿の立場からすれば、幹に傷をつけるような愚かな変革にも着手してしまう。わが国の企業風土では、個人に還元するアメリカ型の成果主義はインセンティブとしてさしたる効果を生まないだろう。
日本企業の経営者が、「終身雇用」と「年功序列」が景気変動への対応や雇用調整でのデメリットとしてではなく、つまり先進国で加速する「社会の高年化」を支える「モノの高年化」を指向して、良質の「高年化製品」開発のためのリストラ(高年技術者の社内温存)を成功させ、わが国固有のインセンティブとして捉えること、それがグローバルな視点での日本企業の役割だというところに、思考の根っこが届かない。
そのためには、外国からはうらやましがられていいほどに好都合な「終身の雇用」と「年功の序列」という在来の企業風土と仕組みがあり、世界レベルの経験も知識も気力もある「昭和丈人層」という良質の高年社員・社友がいるという優越性に気づこうとしない。日本社会の高年化を礎のところで支えていくのは「日本型企業風土」に根ざした「日本型企業」である。いま輝いているグローバル化企業というのは、外圧に対応する緊急処置としての業態であり、やがて多くは「新・日本型マネジメント」の基本樹形に回帰する「宿り木業態」なのである。
*・*「窓際パラレル・キャリア族」の模索*・*
「経営者不信」
「モラル・ハザード」
将来構想に秀でているというよりも、目前の業績悪化に歯止めをかけられる人物として推されて座についた経営トップは、まず何を手がけたか。
社内では一円を争うような細かな経費節約をなりふりかまわず徹底した。社業として歴史があっても赤字事業ならやめて「ダウンサイジング」(適正規模まで縮小化)をし、目前で利益が見込める製品にシフトして売り上げ増を督促した。そして人件費圧力に対しては、アルバイトや派遣社員で対応し、返す刀でともに企業の発展を支えた仲間の「人的リストラ」(おもに高年社員が対象)をやってのけた。
どこからも拍手は沸かない。
「グローバル化」時代に生き残るためには、まずは速やかに、そうするより他に手立てはないと信じて強行した。部局単位の採算性を採り入れ、IT化・女性アルバイト化をはかり、遅速はあっても製品の「若年化・女性化」を推し進めた。市場は多様化したが、企業サイドでは困難が増しただけ。その背後で「企業戦士」であった高年社員の作業意欲は確実に萎え、リタイアした先輩には想像ができないほどに「経営者不信」と「モラル・ハザード」(社員倫理の崩壊)を社内に広げることになった。これが一般的で、そうでないところはむしろ特別といっていいほどなのである。
「会社への忠誠心」
「年間労働時間」
若年層を集めて五〇歳代はゼロという企業が元気なのは当たり前。一方で、五〇歳代が三〇%以上という多くの企業では、勤続年数一〇年~二〇年という中堅社員の間で、先が見えなくなった「会社への忠誠心」が急速に衰えて、英米仏独に比べても低いという状況に陥っている。
かつては日本がトップだった「年間労働時間」(ILO調べ)もむかし語りのこと。すでに世紀末の二〇〇〇年にはトップが韓国、アメリカが三位で、日本は六位となり、「アメリカ人が働きバチだった日本人を上回ったんだってね」といわれたのだったが、いまやニュースですらなく納得される状況を迎えている。残業を含めて「時短」のために長いあいだ闘ってきた労働者側の権利獲得へのエネルギーは、内側からしぼんでいく。
「忠誠心はいらない、能力優先と成果主義でいく」として、とまどう暇もなく経営者側がとった「グローバル化」対応の対策は、製品と人員配置の「若年化・女性化・IT化」だったから、若手社員や女性の活力・能力発揮つまりインセンティブとなり、業種によっては効果をあげていることは確かである。しかし、転換(ゆりもどし)が選択されざるをえない局面が近づいているのもまた確かである。このまま推移していけば、企業が組織体として生き残れなくなることに経営トップが気づいているからだ。それは「少子・高齢化」対応への「高年社員」の潜在的な能力発揮へのインセンティブとなるべきものとしてである。
「パラレル・キャリア指向」
「日本高年化社会」を構築するプロセスは、先進他国から学んで後追いするのではなく、みずからの内的条件によって自力で創出すべきものである。ここは「日本での解決がモデルとなる」という推測を残してくれたアメリカ丈人の故P・F・ドラッカー教授の洞察を脇にして考察したい。教授によれば、マネジメントされる存在だった働く者(知的労働者)が、みずからをマネジメントすることによって現出する新しい社会、日本でのその解決が他の国のモデルとなるという。「終身雇用制によって実現してきた社会的な安定、コミュニティ、調和を維持しつつ、かつ、知識労働者に必要な移動の自由を実現すること」と洞察していた教授は結果を見ずに〇五年に亡くなったが、その示唆は生きつづけている。
日本の知識労働者の模索は、その方向に着実に動いている。それは「本格的に踏み切る前からの助走」の時期、つまり五〇歳代の人びとが心躍る人生を見出すための「パラレル・キャリア指向」として確認することができる。「パラレル・キャリア指向」を重ねる五〇歳代の高年社員の先方に現れるものは何か。これが日本型企業の将来を左右することになる社会構造の「高年化」に見合う社内の「ミドル化」と「シニア化」という多重標準による企業改革なのである。
「社内ミドル化部門」
「社内シニア化部門」
「途上国のリーダー」として若年・中年社員が働きやすいように、これまでのリストラ体制をいっそう推し進めた「社内ミドル化部門」と、高年者がみずからの生活を豊かにする自社製品を考案する「社内シニア化部門」という多重化への模索と変容。後者の中心になるのが、足踏みして待機していた熟練高年社員である。かくして「社会の高年化」に対応する「企業の高年化」によって、日本型企業の「新・企業樹形」への変容がはじまる。将来の新入社員が安心してふたつづきの職場を選べる「新・終身雇用」の導入でもある。OJT(仕事を通じての業務能力の習得)にも心構えからして違ったものになるだろう。
日本型企業は、グローバル化対応の「ミドル化」を優先して推進したが、同時進行で社会の高年化対応の「シニア化」を、従業員のパラレル・キャリア指向として許容し支援することをしなかった。将来の高年化社会を見据えて、その体現者となるはずの経験も知識も意欲もある高年社員を、「窓際社員」として温存してきたという言い訳は許されない。将来を見抜けずに、温存することなく排除してきたのではなかったか。
ここ一〇年ばかりの潮流は、この項でも繰り返すが、アメリカ一極下で開発途上国の若年・中年層を巻き込んだ「経済のグローバル化」であったから、わが国の企業は前面にIT青年や若い女性層を起用して対応し、とくに若手の非正規社員を起用することで急場をしのいできた。その背後で高年者の「窓際化」が進んだことは実見してのとおりである。底流して目前に迫ってくる「高年化社会」の形成に立ち会うことになる高年者自身が、機を察知して職域での「パラレル・キャリア」指向を強め、逆風にあがらって新たな「職域の高年化」構築に乗り出すしごとは、高年期の人生に意欲的な個人に任されてきたのである。
「社会の高年化」の進展と重ね合わせて、高年社員が中心になって実現するのが「企業の高年化」であり「製品の高年化」である。そうして初めて、「高年化社会」を支える企業としての手応えを確かなものにできるからである。この先進国共有の課題を解決するマスターキーは、メーカー主導で成功しているアメリカ型企業家にあるのではなく、ユーザーでありメーカーである日本型企業の高年社員が持っているはずである。
#「攻めのリストラ」による企業再生
*・*わが社が誇る「高年化製品」*・*
「わが社製品の高年化」
「窓際パラレル・キャリア族」
Bさんは「団塊シニア」のひとり。赤字事業部門の廃止に抵抗した部署の責任者として「左遷」を受け入れて事務系の閑職にいる。四○歳代の後輩からは「純正窓際族」として敬意を受けつつ気の毒がられているのを知っている。「あと数年だから」と定年(六〇歳から六二歳に)を待つ「定年待望族」としていたくないと考えているし、何かをやれる時がくると思っている。ところが胸の奥にさまざまなしごとの記憶とともに居座っていたはずの「愛社意識」を押しのけて、「モラル・ハザード」の波がとめどなくやってくるのを感じている。
胸の内のそれが許せない。かつての同僚の無視する視線や若手社員のひとことやアルバイト女性の音高な靴音や起こるささいないらだちが職場に溜まる。胸の奥にわだかまる「萎え」への誘惑は自分で断たなければならない。職場での集中力が落ち、しごとへの意欲もまた萎えていく不安を感じる。これまでなかった自宅と職場での感覚のズレが「モラル・ハザード」として意識される。
会社人間としての緊張が薄れるにつれて、新しいしごとをはじめる「起業」はどこにいてもチャンスがあるのだとBさんは気づいた。ヤンキースだけがチームではない。要は自分が何ができるかである。そこで自社所有の地図原版を生かして自分と同年輩の人びとの暮らしに役立つような「高年者向け地図」という「わが社製品の高年化」の企画を試みる。社内の逆流の中で提案しても「ゴミバコ騒がせ」にしかならないから企画案として出すつもりはないがおもしろい。とりあえずは勤め人として保持してきたモラルをなだめすかし、職場での気力の萎えに歯止めをかける。「窓際パラレル・キャリア族」としての意識は前向きに働いている。
「穏和にすすむ社内改革」
「再逆転の思考」
社内の時流からははずれた位置(窓際)にいながら、高年期をリタイアではない「もうひとつの心躍る人生」として過ごすためにどうしたらいいのか。職域に留まるのか異業種に移ってキャリアを活かすかの模索がつづく。折りしも会社は兼業緩和の措置を打ち出している。「窓際パラレル・キャリア族」として高年社員は「人生の第三期」の活動の場となるふたつの道に通じる踊り場にいて足踏みをしている。前項のBさんも「自分からは動けない。待つよりしかたがない」とはいうが働く意欲は萎えてはいない。
経験と知識をキャリアとして大切にしてきた高年社員が、自分になにができるかを確認して、ひとたび「わが社」から出て高年期の「わが人生」を考える。可能であれば、リスクを冒しても社外に活躍の場を求める覚悟で準備することが、「高年化社会」が必要とする新たな「モノづくり」の能力と意欲を蓄積していることになる。窓際族といわれながら、真摯にふたつの人生を考える。高年社員の内面の葛藤と模索が、「穏和にすすむ社内改革」である。
年功序列が有効にはたらいていた日本企業に横なぐりの颶風が吹きつのった。若手社員の優遇、派遣社員、アルバイトの採用という逆転の思考によって「生き残り」をはかったが、日本型企業の生き残りのためには「企業の高年化」という高年社員優遇への「再逆転の思考」を働かせなければならない。その動静を見逃がしていて企業の再生も活性化もありえない。再生への契機は、将来構想に秀でた経営トップの決断をを待たねばならない。
*・*社内ミドル化と社内シニア化*・*
「グローバル化企業」
「熟練技術者の引退」
Yさんのような優れた技術力を持ったまま退職した人なら、みずからを顧みればおわかりいただけることだが、自分が「高年化社会」の基礎となる「企業の高年化」や「製品の高年化」を果たせずに引退しておいて、他の業界からの「高年化製品」を待っても得られるわけがない。業界でもっとも製品企画や製造技術や販売戦略に精通していた高年社員として、「わが社の高年化製品」の開発を果たすチャンスを逸してきたのだから。退職したYさんも急に責められても返答に窮するだろうが。
企業側が生き残りをかけて「グローバル化企業」(「若年化」「女性化」「IT化」など)に変容し、派遣社員、アルバイトを導入して対応してきた。そのためにこれまで幹とも頼んできた高年社員を疎外しているような時期に、一方で「高年化社会」にみあう「製品の高年化」や「企業の高年化」をまともに考えることなどできるわけがない。
しかし企業現場で、高年社員の立場で「製品の高年化」を考えることはできる。その成功が「企業内の高年化」をもたらすことになる。Yさんも「わが社製品の高年化」に応ずるシステムを整えるどころか、愛する企業の変容と生き残りにつとめる後人に期待して席をゆずり、蓄積してきた技術と経験をみずから惜しいとは思いながら退職したのだった。グローバル化をすすめる企業側も後輩に惜しまれながら去る「熟練技術者の引退」を当然としてきたのである。
「コア・コンピタンス」
「泉眼型中小企業」
なお進行する国際化(若年化・女性化・IT化)に対応して変容するグローバル化企業が、同時に進行している国内の「高年化」にも対応して、つまり多重の課題としての「企業の高年化」までなしとげて、国内の高年者の暮らしのコア(核)となるような「高年化製品」の開発に乗りだせるだろうか。これまでも新製品化と同業他社との競合に成功し、社業の守成と創成にも苦闘してきた歴史をもち、時代の要請に応じて小回りがきく企業、とくに独自の開発力によって自社のブランド商品を展開してきた「コア・コンピタンス」(製品開発の核になる独自の能力)をもつ中小企業に期待がかかる。大地からこんこんと湧き出す泉のような独自の発想力・製作力をもつ企業、つまり「泉眼型中小企業」と推察される。
小回りがきいてコア・コンピタンスをもつ国内型企業といっても、横並びの経営に慣らされてきた業界で、「グローバル化」に生き残りを賭ける風潮のなかで高年化対応の事業に乗り出す「再逆転の発想と決断」が可能かどうか。「次期のトップ」になるべく育てられた後継者では覚束ない。自ら律して中心に立ち、時代の趨勢に抗して社運をかけるような「一擲乾坤」型の覚悟が決められる「二世の星」も、多くはないがいるはずだ。
自社のブランド製品に関わってきた高年社員を結集した「社内シニア化」部門を立ち上げ、「日本型企業」の根っこから生まれた愛社意識を結集して企業再構築をおこなう。現有部門とともにそれぞれの新製品開発システムを整ええた企業が先導していくことになる。
これは国が中小企業に呼びかけている「七〇歳まで働ける企業の推進」だけでは足りない。高年者として造る者と使う者が息づいている職場とならないからだ。本稿の視野には収まらないだけで、すでに「わが社が誇る高年化製品」の事業に踏み出した泉眼型中小企業が各地にあって当然の先駆的改革なのである。
「新・終身の雇用」
「新・年功の序列」
社内の「ミドル化部門と「シニア化部門」の立ち上げは、日本的企業風土での「新・終身の雇用」と「新・年功の序列」の導入といえよう。
世の趨勢はなお逆である。国の政策も消極的である。ますは企業に高齢者を確保することを求めた。ゴムひもを引き伸ばすようにして六〇歳から〇六年には六二歳へそして二〇一三年までに六五歳へと雇用年齢を延長(高年齢者雇用安定法)して公的年金の取得年齢である六五歳までをつなぐという政策の整合性をめざした。民間による高齢者福祉支援の要請である。企業は雇用確保措置を義務づけられ、毎年、実施状況を国に報告することとなった(改正高年齢者雇用安定法)。しかしそれで肝心の高年社員の力が引き出せるのか。
定年の引き上げ、継続雇用の導入による雇用確保は、どれも高年齢雇用者にとって有利にみえる。しかし実態をみればわかるように希望者全員を継続雇用する(できる)企業は約半分にとどまっているし、給与減もはなはだしい。何のためにという内発性に乏しい義務づけだからである。本稿が希求してやまない「企業の多重標準」をもつ業態である「新・日本型マネジメント」とは遠い、責任不在の施策だからである。
対応は職種や企業の経歴によってまちまちであろうが、おおよその手立てとしては、現有の事業はそのままにして、経営・労働側の双方の検討によるミドル世代とシニア世代それぞれの成員の中からメンバーを選りすぐり、みずからが主宰する「社内ミドル化会議」と「社内シニア化会議」という二重焦点をもつ企業現場を立ち上げる。これが「少子・高齢化」時代に対応する社内改革の第一歩であり、製品開発の両輪になる機構となる。それはまた新たな愛社意識の醸成による穏和な「新・終身雇用」と「新・年功序列」の導入となる。
*・*「新・日本型企業」への期待*・*
「指示待ち若手社員」
「起業家」(アントレプレナー)
企業内での「社内ミドル化部門」と「社内シニア化部門」の立ち上げが、すべての企業で可能なわけではない。旧来型の素材として入社し、先輩に育てられて社業を知り、「指示待ち若手社員」を多くかかえた大企業は、むしろ動きづらいのではないか。先行するのは、大企業の傘下には収まらず、昭和時代に主力商品を中心に会社の幹を太くし、関連商品で枝葉を茂らせてきた内需型の、本稿が「泉眼型中小企業」と呼んで期待している伝統産業のうちからであろう。会社の成長の経緯を知る高年社員がなお内外に健在でいるような企業からと推測される。
そういう企業での「社内ミドル化部門」と「社内シニア化部門」の立ち上げをみてみよう。
若手・中堅社員は、先輩がこしらえてきた会社が根であり幹であることを敬意をもって理解している。そこから滋養をえて新しい枝を伸ばし実をならそうと努める「ミドル化部門」だと位置づけていることだ。「グローバル化」に対応する若手社員は、みずからの生活者意識を働かせた「起業家」(アントレプレナー)を意識して参加する。これがいま「成果主義」に学ぶことである。国際化に勝ち抜く新製品の企画、製品化による成果主義はどしどし採用される。しかしながらその成果は、先輩から後輩へのわが社流儀の受け渡しの絆である「愛社の意識」や「年功の序列」をつき崩すことには向かわない。企業の成長は枝葉だけが伸びるのではなく、根も幹も年ごとに太くせねばならないからだ。
若手社員主体のオープンな議論やスピーディーな決断を可能にするために、「ミドル化部門」としての機構改革や人事の異動をおこなって最良の布陣を構成する。その一方で、高年社員による「シニア化部門」では、国内指向の「高年化製品」の検討がすすめられる。これが「企業内の多重標準」として機能する。
「攻めのリストラ」
「社内シニア化会議」
ここから「高年化社会」に対応する企業リストラの本題である「社内シニア化部門」の立ち上げを論ずることにしよう。人生の熟成をどこまでも追い求める「丈人モデル」型の高年世代が中核となった「社内シニア化部門」が、製品のリニューアルや新たな「高年化製品」の考案・開発に従事する。これまでの主要事業だが現状では赤字回復が見込めないという理由で廃止してしまった製品でも、「高年化製品」として優れた特徴をもつものなら蘇らせることもある。
供給者であるとともに需要者である強い生活意欲をもった高年社員が「攻めのリストラ」に力を発揮することになる。「シニア化部門」のスタッフとして、人生の踊り場で模索をしていた別項のBさんのような人も表舞台に登場する。管理者としてのキャリアではなく、経験と企画力と想像力の豊かな成員を動員して「社内シニア化部門」を構成し、生活者として発想した「わが社の高年化製品」を開発するために、それにふさわしい総合力を発揮することになる。
「社内シニア化会議」は、現有製品のひとつ上のレベルのリニューアル製品や高年者の暮らしを支えるコア(核)となるような新たな「高年化製品」を企画し製作をすすめる。かつて企業の業績を支えたスグレモノ製品を送り出した引退社友もまた要請に応じて参画する。いずれは厚生施設の運営費用や企業年金分などは「社内シニア化部門」がゆうゆうと稼ぎだすのが、将来性のある日本型企業である。
わが社の製品がわが社の高年者の暮らしを豊かにする。それが発想の原点になる。「丈人モデル」型の豊かな人生を望んでいる高年者層の存在は確信していい。高年社員の総力をあげて当たる心意気が成功の源泉である。「丈人モデル」型人生を願う多くのわが国の高年者の豊かな後半生のために、「信頼を得る優れた専用品を送り出そう」と決めて、新ブランド商品をめざした企画にはいる。
「社内シニア化部門」は、さらに将来の国際的な高年化時代の到来にも目をむけて、品質のよい「日本高年化製品」として海外の高年者が競って求めるような次世代の輸出製品の準備をする。心躍る情景ではないか。「社内ミドル化」と「社内シニア化」という多重標準による「攻めのリストラ」は、日本型企業ならではの企業改革なのである。
「新・企業樹形」
「日本型企業の多重標準」
大樹となればまた強い風にもさらされるが、その間にも見えないところで根がしっかりと太くなっていることに思いをめぐらそう。「樹大招風」というが、明治維新期と昭和大戦後と今回の新世紀初頭の三回の外圧を乗り越えて根をはった「樹大招風の日本型企業」は、二一世紀の中葉にむかって大きく枝を広げて育っていくだろう。
若手社員を中心に急速なグローバル化に対応してきた職場に、足踏みをして待機してきた実力派の高年社員の動きが戻ってくる。「社内ミドル化部門」を推進しながら、もうひとつの根幹部門としての「社内シニア化部門」が構成される。この多重化の機構改革が、グローバル化時代の最中でのわが国の「高年化社会」に見合う企業改革となる。前者は若手・中堅社員を中心にして製品の国際化に対応し、後者は高年社員を中心に引退社友をまじえて、わが国の高年化の進展に対応した国内需要に備える。社内体制を固めるに当たっては、成員を五〇歳から定年までの社員ですませるか、引退社友を加えるか、さらには異業種から社友を迎えるか、などは職種や社内事情によって異なるだろう。両部門では当然のこと、異なった労働形態や給与体系が検討される。このあたりの対応の仕方が、日本型企業の「新・企業樹形」を作ることになる。
この日本に固有の有利な特徴である終身型雇用制を生かした「日本型企業の多重標準」、つまり「社内ミドル化」と「社内シニア化」という二部門を両立させる改革の成功なくしては、わが国の企業ばかりか、社会もそして家庭も、固有のよさを保ちながら国際的「高年化時代」に適応することができないのである。
*・*「SWIT会議」に新・家族主義の芽*・*
「SWIT会議」
「モノづくりの志」
スウェット(sweat 汗をかくきつい仕事)ではない、「スウィット」(swit)である。シニア(Senior)社員、女性(Women)社員、IT(Information Tecknorogy)社員による新製品開発のための合同会議が「SWIT(スウィット)会議」である。
「すでに、うちにありますよ」という企業があれば、汗をかいても激励にいきましょう。
現有の主要製品のラインを確保して国際化に対応しながら、新企画の製品を開発するための拠点、それが「IT製品開発」部門と「女性製品開発」部門であり、さらに「高年化製品開発」部門の三部門を構成する。暮らしを多彩にする三者が加わって、それぞれに競って新製品開発での成果を期する布陣をかまえることになる。その上でさらに三部門による新製品開発会議が、シニア(S)と女性(W)とIT社員代表による「SWIT(スウィット)会議」である。
ここにひとつの「新・日本型マネジメント」の生き生きした現場が登場する。
新製品開発の場で、それぞれ生活者として異なった立場からの多角的な検討を、とことん加えるという社内協議の体制ができた「日本型企業」が、家庭向けの最強の商品開発力を発揮する。協議の結果として、個人の成果にインセンティブを置くアメリカ型の改革に動いた企業に圧倒的に勝利する新製品を登場させることになるだろう。
生産者側のマーケット・リサーチと利己的判断に基づいて製品化するという現在の「グローバル・スタンダード」(国際標準)を超えて、わが社の利とともに、それにも増して消費者の益を思う「モノづくりの志」が製品として明確に表現される日本製品。その生産活動が「ヒューマン・スタンダード」(人類標準あるいは全人標準)に最も近くにあるということを、「SWIT会議」を通じた製品が示すことになる。
「和の絆」(愛社意識)
「一品多種の新製品」
会議を通じた製品によって、温和な環境と伝統文化に培われた、モノを丁寧に扱い、ヒトを優しく思う品性としての「和の絆」(愛社意識)を組み込んだ日本型企業の国際的先導性が明らかにされるだろう。五〇~五九歳で六五%、六〇~六四歳で五〇%というインターネット利用率(〇四年末)からも明らかなように、デジタルデバイドの解消が課題となるが、会議でのIT社員との論議が有効に働くことになる。業種にもよるが、若年・女性・高年に受け入れられる「一品多種の新製品」の成果を実感できるまでには容易でないが、生活者としての三者の熱い議論の結実として、ユーザーのための最良の製品が生まれてこないわけがない。
比較的に適応性のある先行業種としては、世代間でライフ・スタイルが異なるとされる分野である、アパレル、化粧品、音響機器、住宅・家具、食品・料理、流通・広告、情報メディア・出版、スポーツ・レジャー、観光・・などが考えられる。
「ウエアラブル」
「ホーム・ネット家電」
たとえば「ウエアラブル」(着られるもの)なども、ITを内蔵した「IT+女性」によるファッション性が先行しているが、それとともにIT補助機能を内蔵する高年者向けウエアラブルに市場性があり、「SWIT会議」でのテーマである。
さらにたとえば、家電企業が「家族化」をテーマとし、家庭内ネットワークを形成する「ホーム・ネット家電」という融合概念をもつ新製品開発を進めるに際して、想像力ゆたかな社員を集めて「SWIT会議」を立ち上げて、「IT+女性+高年者」のアイデアを取り込む家族的会議で製品の検討に入ることになれば、これまでゲームやコンテンツ(映画や音楽などのソフト)事業を中心に若者をターゲットにしてきた企業ばかりか、市場をも刺激することになる。
「新・家族主義」
家族ひとりひとりの衣装の趣向、多様化する調味や栄養のバランス、表現の多重化・・それぞれの立場からの「多重標準」のありようを認めたうえで、ひとつひとつ製品化される。嗜好や指向の違いが際立ちながらも家庭内用品として安定して利用されるには、家族の成員での納得が前提となる。コーディネートされた住空間がおのずから形づくられる。
新製品開発の場で、さまざまな視点と知識と経験をない交ぜにして展開する「SWIT会議」から最良の家庭用品が生まれる。シニア(S)+女性(W)+IT青年(IT)による会議は、日本企業の「新・家族主義」への可能性を蔵している。未知の領域に挑む「IT製品」と、日本社会を質的に多彩に変える「女性向け製品」と、経験を裏打ちにした完成度の高い「高年化製品」を開発する部門の社員が合議する場は、穏和な職場環境を醸成する核として機能する。開発された新製品は、外国企業から畏れられる存在になるだろう。個人の成果に片寄らず、日本型企業ならではの企画・製造・販売の検討を経た製品だからである。
企業現場への「新・家族主義」の導入、これが終身雇用を基本としてもつ日本型企業で来歴を活かした社内改革である。現有の活動を支える若年・中年パワーと合わせて、「IT青年」「女性」「高年」という多重標準のパワーが製品開発の現場で凝集して発揮される。そうしてはじめて「成熟した日本社会」の形成に立ち向かう「日本型企業」内でのヒューマン・スタンダード(全人標準)の表現としての姿が見えてくる。