#7人民・市民・国民・国際人
#「日本高年化社会」の形成に投じる
*・*この一〇年は高年者不在だった*・*
「シルバー・デモクラシー」
この一〇年をじっくり振り返る余裕は持ちづらいが、ひとつだけ、この一〇年ばかりなぜ「高年化への対応」がないがしろにされてしまったのか、についてだけは触れておかなければいけないと思う。深い自省をこめて。
高年齢者が多くなるだけで「高齢化社会」が成熟するわけではない。高年齢者が多くなる「高齢者社会」と高年齢者が暮らしやすくなる「高齢化社会(本稿では「高年化社会」も)やさらに進んだ「高齢社会」では異なる。本稿が願うレベルの「社会の高年化」を実感できるようにするためには、この一〇年ばかり、みんなでふたつの面での成熟に留意する必要があった。ひとつは一人ひとりの「高年者意識」の成熟であり、もうひとつは社会構造としての「モノと場の高年化」の達成である。当事者である高年者層が努めなかったのだから、どちらも半熟どころか未熟のままなのである。
この一〇年ばかりを顧みて、先駆的には高齢者の自立を呼びかけた「シルバー・デモクラシー」(内田満さん)や前述した「老人党」(なだいなださん)といった論考や活動はあったものの、広範な大衆レベルでの高年者がはっきりした「高年者意識」を共有することができず、したがってまた身近な「モノと場の高年化」を推し進めることをしなかった。内田さんは「納税者デモクラシー」(中年)と「年金受給者デモクラシー」(高年)とを区別した上で、予見される世代間の対立を避けるためには「自分がその木陰で憩うことがない樹を植える」(W・リップマンのことば)という「同時代の異なる世代に属する人びとへの配慮」を不可欠のものとし、高齢社会のデモクラシーの成立を、「共生の論理」にもとづく民主政治への構想力に期待していた。
「社会の被扶養者」
新世紀を迎えて、国際的課題である「高齢化社会」へむかって、その体現者である健丈な高齢者層に参画を呼びかけねばならなかった時に、当時の小泉純一郎首相は「所信表明演説」(二〇〇一・五・七)で何といったか。
あろうことか、将来の「ケア」における負担増だけを取り上げて、「給付は厚く、負担は軽くというわけにはいきません」と言い放つありさま。首相ばかりではなく、それがおおかたの国と為政者の意識であった。その後も国は高年齢者に将来への不安を与える政策ばかりを次々とりつづけてきた。「高齢化社会」にむかう時代だからこそ、
「給付は厚く、負担は軽くだけは、何としても保っていきたい」
と訴えて、国の財政難を説きつつ、国民に「自助と自律」を求めるのが政治リーダーの発言というものだ。本稿は当時もそう記したし、いまもそう主張しつづけている。
これは記したくないが、「心優しい老齢者が善意で死に急いでくれて、日本高齢化社会は思いのほかスムーズに形成できました」なんて海外発信するのでは、来たるべき国際的な「高齢化時代」を構想する時、「先進高齢者国」としてあまりにつらすぎるではないか。善意の老齢者が、「この国の将来の姿はもう見たくない、早く死にたい」とつぶやくような国を、だれが望んだろう。弁解も反論の余地もない。
この国のこの一〇年は、何かがじわりじわりと狂ってきたとしか思えない。
国はひたすらに「高齢者は社会の被扶養者である」と位置づけてきたのであるが、といって「日本高年化社会」のグランド・デザインを模索する動きがなかったわけではない。何より新たな社会構造を要請する主体者としての国民(高年者層)が不在である状況のなかで、霞が関官僚の間での政策ベクトルの総和が、結局は高齢者は「社会の被扶養者」と位置づけるところに引き戻されてきたのである。年々の『高齢社会白書』の記述の変化ににじみでているが、官僚の側は不在であるものへむかっては踏み出せない。それでも高齢者への福祉・医療・介護のしごとは十分にあり、年々の予算規模は増大しつづけてきた。この一〇年は「高年者不在」であり、高年者の主体性のなさが、国の政策の不在を許してきたのである。
*・*二〇二〇年には四人に一人が高齢者*・*
「高齢化率」
「高齢者二五%時代」
これから迎える二〇二〇年。そんなに遠い先のことではない。といって明日どうしていいのかに迷っている人にとっては、どうでもいい先のことであろう。
高年期に達している人、これからさしかかる人びととともに、一〇年ほど先が明るい展望のある未来であることを願って、時代の前方を透かし見てみよう。
国の先進性の指標のひとつとして「高齢化率」(六〇歳以上の人口比率)の国際比較がある。これまで久しく高かったヨーロッパ諸国を追い抜いて、アジアから日本が二〇%に一番乗りをして、国際的な「高齢者二五%(四人に一人)時代」にむかって先駆けをする。
そして二〇二〇年。
ヨーロッパ勢のイタリア、ギリシャ、スイス、フィンランド、スペインなどがトップ・グループを形成して続々と「高齢者二五%(四人に一人)時代」に達するとき、アジアの日本がフロント・ランナーとしてさらにその先をトップで通過する。ヨーロッパ勢のあとを追って、途上国の高齢化も進んで一〇億人を超えるという(世界保健機関=WHO推計)。そして二一世紀のなかばには前記したように、途上国を含めて世界中が「高齢化問題」に直面することになる。
「二一世紀社会の日本型モデル」
「日本ベビーブーマー」
わが国はトップ・グループを形成している「高齢化先進国」のうちでも、アジアでひとつであり、最速スピードで高齢化が進んでいるといわれる。国際的に「社会的混乱を起こさない手法での問題適応力に優れている」と評価されている日本は、アジアでひとつの先進経済国での高齢化社会として、「二一世紀社会の日本型モデル」として注目されているのである。ということは、二一世紀初めの二〇年ほどは「日本シニア」のありように国際的スポット・ライトが当たっている時期であり、国際ステージでも期待されている時期なのである。
アジア代表として世界のトップへ躍り出る「日本高齢化社会」には何が期待されているのか。
いうまでもなく高年者がそれまでに蓄積した技術や知識や資産を自在に駆使して、いきいきと暮らしている姿であり、それを支える「モノと場」の豊かなありようだろう。
世界一〇億人のシニア世代の前に、日本の高年者による「日本高齢化社会」は、日本型モデルとして立ち現れることになる。そこへ至るプロセスが問題なのである。
これはわが国ばかりでなく、ヨーロッパの先進諸国もまた併走状況のなかで迎えている。ともに二〇世紀前半に遭遇した世界争乱によって多大な犠牲をはらったあと、両親は心から「戦後平和」が長くつづくことを願いながら子どもを生み育てた。日本の戦後生まれの人びともまた同様に六〇歳にさしかかり、高年期を迎えている。
いま六〇歳+の定年期に達してこれから高年期をすごして二〇二〇年には七五歳にたどりつく人びとは一九四五(昭和二〇)年生まれの人びと。そしてそのあとに大戦後の「日本ベビーブーマー」の人びとがつづく。
「平和団塊の世代」
ご存じのように、一九四五年の敗戦のあと一九四七~四九年に生まれた七〇〇万人の人びとを「団塊世代」と呼んでいる。同じく二○○万人が生まれた一九五○年と、終戦の翌年である一九四六年を加えると、新世紀を迎える時点では一○三七万人(二〇〇〇年一〇月・国勢調査)であった。
この一〇〇〇万人の一人ひとりを、敗戦後のきびしい生活環境の中で生み育てた両親の思いを想って、本稿は「平和世代」と呼んで注目している。「団塊世代」では即物的にすぎて、また「平和世代」では理念的にすぎて、いずれも不満であるかもしれないが。あわせて「平和団塊の世代」と呼ばせていただくのをお許しねがいたい。
先進諸国の同世代の人びととともに、平和裏に安心して後半生をすごせる社会を形成し、長寿をまっとうすることが、惨禍と混乱の中で両親が希い求めた「平和に生きる」ことの証しになるにちがいないからである。世紀を超えた人類の挑戦なのだ。世紀の長さでとらえて、人類の規模でみて、二一世紀に克服せねばならない多重標準の課題といえば「戦争」と「平和」である。二一世紀半ばの「日本国憲法一〇〇周年」のころの国際社会は、「高齢者先進国」の日本の経験を「世界平和の証し」としてスタンディング・オベイションで迎えるだろう。
新世紀を迎えたころには「団塊ジイ、団塊バア」などといわれて「老いるショック」を受けた人びとも、いまはもう驚かない。「日本社会の高年化」の体現者としての自負を持って暮らしている。この「平和団塊世代」の人びとに厚生労働省や大手広告会社が関心を示しつづけているのは、「日本高齢化社会」の形質を左右すると予測しているからである。
#成熟社会を体現する「昭和丈人層」
*・* 五〇〇〇万人の高年者が際立つとき*・*
「日本高齢化社会」
「昭和丈人層」
日ごろ個人的に実感されることではないが、わが国の「高齢化社会」は国際的に、少なくともアジア地域では先行している。シナリオはないものの、その推進役を演じているのは、日々を積極的にすごしている高年者のみなさんである。だが成熟へむかう「日本高齢化社会」がいま形成されているという事情を踏まえて、主役を演じている人びとにスポット・ライトを当てるとすれば、それは「昭和」に生まれて二〇世紀後半の「激動の戦後昭和期」を活動のステージとしてきて、新世紀になってなお新たな目標をもって意欲的に暮らしている高年者。本稿がその潜在能力を信頼している「昭和丈人層」の人びとである。
先にも指摘したが、多様多彩な経験を持っている五〇歳以上の高年者を、餃子ではあるまいし混ぜて包んで一様に「高齢者」なんて表現できるものでは決してない。
そこで新たな五階層の「高年化時代の人生のステージ」を示したが、ここでは、さらに詳しく、後半生の日々をすごしている五〇歳すぎの人びとを五年刻みの幅「五歳階級」でみてみよう。そうすることで決してひとくくりにできない年齢層としての意識・生活感・価値観、時代背景など、特徴の把握が可能になるからだ。個人差はあるものの、ともに刻んできた年輪に特徴をもつ同世代人への理解を広げることができる。
「高年者(シニア)文化圏」
「高年者(シニア)生活圏」
出会うことで溢れるパワーをあたえてくれる知名の「現代日本文化人」の多くは、激動の「戦後昭和期」を生き抜いてきた経験を共有する人びと、つまり「昭和丈人層」の人びとである。戦争後のモノ不足も貧しさも、そして復興への努力による成果もみんなのものであった。その中でそれぞれに身につけた奥行きのある人柄と能力は、「ゼロの地点」から出発して、切磋琢磨して獲得した個人の貴重な成果なのである。
いうまでもなく、知られることを求めることなく「社会の高年化」を体現して暮らしている人びとが成熟へむかう時代の主役であるが、これほど多くの熟成した力量をもつ人びとが活躍をしているというのに、「高年者(シニア)文化圏」や「高年者(シニア)生活圏」、また暮らしを支える用品・用具、設備・施設などによる「高年化製品経済圏」が、あるべき存在感を示しえていないのはなぜなのだろうか。
答えは即時にこだまのように舞い戻る。「昭和生まれの高年者層が、意識してあるべき存在感を示していないからだ」と。
*・*湧出する「第三期のステージ」*・*
「高年者活動」
昭和生まれの高年者層が、あるべき存在感を示していないわけではない。
わが国の「高年者活動」はいままさに湧出期にあって、その中心にいて主導しているのは、まぎれもない昭和生まれのみなさんなのだから。その全容を把握することができないほどだ。長い苦闘の経緯をもつ高齢者ケアとしての「福祉」「医療」「介護」の分野はもちろんのこと、高年者活動は、実にさまざまな領域へと広がっており、うまく分類できてはいないが、動きが際立つ分野だけでもこれほどにある。
各種の生涯学習(趣味、生きがい、健康)。
虐待防止、遺言相談。
高齢者雇用、起業支援。
年金、貯蓄・投資、マーケット情報、保険。
シニア向け新商品開発、介護福祉機器・電化製品、車・乗り物などの製造・販売。
ショッピング、通販、宅配。
ファッション、料理、食品、レストラン、居酒屋。
ケア付き住居、いなか暮らし、住宅改修(バリアフリー)、家具・用具。
パソコン教室・通信、カルチャー講座・セミナー・シンポジウム、イベント。
シニア向け新聞・雑誌、テレビ・ラジオ番組。
短歌・俳句・川柳、ナツメロの会、自分史、楽団、手づくりクラフト。
ゲートボール、テニス、ゴルフ、太極拳・ヨガ、碁・将棋、ゲーム。
環境美化、伝承活動、世代交流。
国際交流、海外ツアー、旅行、ホステル、国民宿舎。
・・などなどである。
組織の名称はといえば、「シニア」が圧倒的に。「老人」や「シルバー」といった先輩格のものも、しっかりと根をはって活動している。
「老人」ということばは、老練、長老、老師など経験を積んだ高齢者をもいうのだが、どうも旗色がわるいのは、長く「老人ホーム」や「敬老会」などが随伴してきたために「高齢弱者」というニュアンスが働いているからだ。「敬老」はいまや「老齢者をねぎらう」ほどの意味合いで用いられている。「敬老」には「敬老尊賢」というすっくと立つことばもあるのだが。
「老人のつく活動組織」
「老人」については、ここではふたつの活動をみておきたい。
「老人のつく活動組織」で、代表はなんといっても「老人クラブ」である。敗戦後間もない一九五〇(昭和二五)年に発足して以来、自治体と連携しながら地域の高齢者の生きがいと健康づくりに貢献してきた。「全国老人クラブ連合会」(全老連)には、一三万余クラブ、約八五〇万人の会員が参加。「友愛訪問」「伝承活動」「環境美化」「世代交流」といった幅広い活動に乗り出している。
もうひとつは政治活動をおこなう「老人党」で、精神科医のなだいなださんが、〇三年五月に立ち上げたネット上の仮想(バーチャル)政党である。「老人のためだけにではなく、この国を改革するために、老人たちに何が出来るか、を考える党です」と呼びかけたもの。言動者としての老人パワーによってネット上での議論は白熱し注目されたが、行動者としての影響力は未知数である。
本稿が「老人力」や「老人パワー」に関心を持ち、これまでの活動に賛意を表しながらも、新しい「高年化」の活動にあえて「丈人論」を展開しているのは、「老人」はそれはそれでそっとしておいたほうがいいという立場からである。静かにクールダウンしながら過ごす生き方もあっていい。老人みんなでというのは、いささかキツイ話しだからである。といって、みんなが立ち上がらないのはさらに困ったことになるからだ。
「シルバー」
「アクティブ・シニア」
「シルバー」は、
グリーンやブルーといった「アシッド・カラー」(柑橘類の色)などに対する色彩の比較から生まれた和製語である。
高年者を「シルバーエイジ」としてとらえて、活動的なイメージを付加して、運動・旅行・講座などの研究所や教室が用いている。高年者の能力を活用する「全国シルバー人材センター事業協会」や「シルバーサービス振興会」などは定着している。
ここで確認しておきたいことは、「だれもが」(ユニバーサル)とともに、それよりも優先して「高年者自身のため」を意識した活動であっていいということである。
高年者の活動の湧出期にあたって、さまざまな分野で「アクティブ・シニア」が先行して新しい活動を進めている。そこでカタカナ語の団体・協会が続出している。
「アクティブライフ」は、
活動的な暮らしをめざすことで、高年者主体のボランティア・グループが用いている。「ニッポン・アクティブライフ・クラブ」など。
「エイジド」
「エージング」
「エイジド」や「エージング」などは、
それぞれに年輪を刻んで到達した営みが意識されて使われている。
「エイジド」は、
ワインやギターやコーヒー豆での利用が優勢だが、経験を積んで熟成した意味で、これも高齢者を支えるボランティア組織やNPOが用いている。
「エージング」は、
老化がすすむことを意識して「アンチエージング」として医療や美容外科などに、「ウエルエージング」や「アクティブ・エージング」として高年期を積極的に受け入れる立場を示している。「日本ウエルエージング協会」は一九五三年から活動をおこなっている。
「エルダー」は、
旅好きのおとなのための「エルダー・ホステル」が世界一〇〇カ国に開設されていて、学習と旅をあわせた高年者対象の活動をしているのが目立つ。「日本エルダー協会」や「エルダーホステル協会」など。
「エイジレス」
「ユニバーサル」
一方に、高齢を意識しながら人生に年齢は無関係であり、それを超えたものであるという意味での「エイジレス」や「ユニバーサル」などが知られる。
「エイジレス」は、
年齢にとらわれないという意味で「エイジレス・デザイン」「エイジレス商品」「エイジレス・ライフ」などとして広く用いられている。
「ユニバーサル」は、
だれもがという意味合いで、とくに「ユニバーサル・ファッション」が、高年者にも障害者にも快適で喜ばれるファッションとしてバリアフリーが意識されて用いられている。「ユニバーサル・ファッション協会」など。
まだまだあるであろう。ここでやや立ち入ってカタカナ語に触れたのは、高年者活動は、さまざまな方向でそれぞれの立場で熱心に活動している人びとと組織に支えられているからで、どれかひとつとはいかない。それどころか多いことはいいことなのである。
「高齢化活動団体」
活動の広がりをみるために紹介がカタカナ語に片寄ってしまったが、福祉を核としながら活動している「高齢化活動団体」は枚挙したらきりがないほど。その推進役になっている組織・団体の存在を見落として先にいくことはできない。ここはその場ではないから紹介をかぎるが、 福祉・介護の「さわやか福祉財団」(理事長は堀田力さん)や高齢者研究の「東京都老人総合研究所」、高齢者雇用の「高年齢者雇用開発協会」、高齢女性の「高齢社会をよくする女性の会」(代表は樋口恵子さん)、「ねんりんピック」によって活力ある長寿社会をめざす「長寿社会開発センター」、生涯学習の「生涯学習開発財団」、住宅に関する「高齢者住宅財団」・・などなど、NGO(非政府組織)を中心にして幅広い活動体を形成している。分野は多岐にわたっており、全容の見極めがつかないほどに幅広い。
そして何より心づよいことは、「新現役ネット」「シニア・パワー・ネット」「いきがいの会」など、「高年化社会」の主役を体現しながら活動する組織を支えているのが、先の大戦の惨禍と戦後の混乱を知っている昭和前期生まれの人びとであることである。
*・*高年化活動への三つの契機*・*
「高年化活動への三つの契機」
この章の終わりに、高年者が暮らしやすい社会で暮らせるようになるためには、どうすればよいかについて整理しておきたい。
座して待つだけではどうにもならない。本稿は先に、ひとつは個人がもつ「高年者意識」を成熟させること、もうひとつは社会構造の「モノと場の高年化」の達成というふたつの成熟の必要性を指摘した。指摘するとともに参加を要請した。
ふたつの成熟にむかってどこまで参加するかは随意であるが、その活動に身を投じることで、かけがえのない高年期の人生に果断な選択をすることになる。そのために共有するであろう「高年化活動への三つの契機」を抽出して、ここに示しておくことにしたい。
(一)「人生の第三期」をすごす現役としての高年者意識の確立
(二)家庭・職域・地域生活圏といった暮らしの場の高年化対応
(三)風土と伝統に配慮した地域特性を持つまちづくりへの参加(地域の「高年者の生活圏」や地域の「高年者の文化圏」を形成し、発展させる)
の三つである。
「高年期現役人生」
「丈人モデル型の機能や能力」
(一)は、だれのためでもない。みずからの高年期の人生を滞らせることなく、日また一日を充実したものにする基本である。五〇歳をすぎたころから、「高年者意識」を立てて「人生の第三期」の将来を見据える。その上で自己目標を見定めて達成をめざす。「第二の人生」とか「余生」ではなく、それ自体が「高年期現役人生」として体感されるものにするために丈人意識は有効に働くだろう。いわゆる高年期を生きる「尊厳」は、その上に成り立つ。
(二)は、高齢とともに衰える「老化型の機能や能力」を補助するばかりではなく、高年期を迎えてなお発展、熟達、深化しつづける「丈人モデル型の機能や能力」を支援する「高年化用品」の供給者となり需要者となって、「モノの高年化」のために努めること。また高年者が楽しんで過ごすことができる「場の高年化」をさまざまに進めること。お互いに「人生の第三期」が味わい深くおもしろいと実感しあえるのが、高年化時代の「構造改革」の成果といえるものではないか。
「わたしは高年期を丈人として生きたよのう」と納得して瞑目する。そういう骨太の人生を送る人びとの力によって、高年者同士をつなぐ「高年者(シニア)生活圏」や「高年者(シニア)文化圏」の基礎が着実に形づくられていくことになる。
「職域の高年化」
「地域の高年化」
(三)は地道な活動の広がりによる広域での成果である。「高年化」時代を迎えて、職域でも地域生活圏でも、企業や団体や自治体は高年化に対応する態勢、つまり「職域の高年化」や「地域の高年化」へむかう成員の活動を支援する立場にあっていいはずなのに、職場のふんいきも社会の風潮もむしろ逆ではないか。そんなよじれた現実の中ででも、「高年化社会」を体現して「人生の第三期の現役にいる」という自覚を持ちつづけることが肝要である。
個人の暮らしにおいて「人生の第三期にいる」という意識をもつということは、職域や地域社会でのありようにおいて、「青少年」「中年」「高年」という三つの世代の存在を常に「多重標準」として意識して対応するということである。
これまで共有してきた生活環境はそれとして、青少年が将来の可能性を求めてのびのびと育つ「青少年期のステージ」、国際化のなかで苦闘している中年世代がさまざまな場面で十分に実力を発揮できる「中年期のステージ」、そして高年者が経験と個性を活かして後半生を自在にすごすことができる「高年期のステージ」という三つの世代のための「三つのステージ化」を実現することになる。
(三)にとって、わが国が幸運といえるのは、戦後の民主主義の根つきを証明してみせた「六○年安保闘争」や「七○年学園紛争」といった噴出期をふくむ草の根の市民・大衆運動に、若い日に参加したり周辺にいて体験し、その後の人生経験をふまえて柔軟な思考と行動を自得した多くのアクティブ・シニアを有していることだ。人材にはこと欠かない。若い日に「社会参加(アンガージュマン)」して大地を揺るがせた熱い心を呼び覚まして動く。
いま高年期に入って、新たな「高年化社会」の形成の場に投じる時、熟成した人びとの活動によって各地に涌くようにして形づくられる地域社会の姿を、心おきなく「成熟にむかう地域社会」と呼んでいいのではないか。二〇二〇年ころには、その総和としての「成熟した日本社会」に出会うことができるだろう。
#国際評価に耐える日本型モデル
*・*高年期の「尊厳」を守りぬく*・*
「善く戦う者は怒らず」
「恕と尊厳」
人世のありようを知りつくした東洋の先人は、一個の人間としては人生がかかる、人類にとっては行方がかかる至言として、「善く戦う者は怒らず」といい切った。
怒りによる戦いによって勝利しても、ほんとうの勝利者にはなれず、新たな怒りを呼ぶだけだということは、だれもが体験として知っていることだ。ひとときの鎮静は得られても、紛争の解決にはならない。では紛争の解決策として、ほんとうの成果を得る極意は何か。怒りでなくて何によって戦うのか。「怒」(いかり、憤懣)ではなく「恕」(ゆるし、思いやり、憂慮)だというのが、ここでの実践者としての覚悟である。
漢字というものの不思議な存在感がここにもある。このふたつの字をよく見てほしい。下に心のついたよく似た文字は、人間の「心」のどこか同じところから発するものなのであろう。だから「怒」(「怨」も)と「恕」とは心の中の「多重標準」ということができる。「怒」(いかり)を発しようとするとき、人は「怒」(いかり)ではなく「恕」(ゆるし)として発することができる。漢字をつくり用いてきた先人はそう理解してきたにちがいない。
終章で人生の高年期の「尊厳」(とうとさ)をいおうとして、「怒」(いかり)から始まったのは、そこに一気にいけないからだ。いまや高年者は「憤懣」を抑えきれないところにいるからである。「恕」については、孔子が弟子の子貢から「一言にしてもって終身これを行うべきもの有りや」と問われたとき、「それ恕か。人の欲せざるところを人に施すことなかれ」と答えている。卒寿期にある「明治丈人」の日野原重明さんも「恕」への思いを述べていた。
本稿はここでは「恕」を「憤懣」を鎮める「憂慮によるゆるし」と読むことにしたい。わが心のうちの「憤懣」を「憂慮」に転ずる心の働きを、ここでは「尊厳」と呼びたい。お互いがこの一〇年ばかりを傍観してやりすごしてきた自責の思いを噛みしめ、切迫した深い「憂慮」とともに動く。一人ひとりの「憤懣」をみんなの「憂慮」に変えて、五〇〇〇万人の高年者が高年期を、「恕と尊厳」を守りぬいて暮らすなら、舞台は回るだろう。人生終章の舞台を、みずから「高年化社会」の主役として「昭和丈人」を演じきる。演じるというのは、高年者としての自分を見ている自分の目を意識するということである。
「友人フォルダ(玉壺)」
「わがシニア文化圏」
「高年化社会」の主役として「昭和丈人」を演じきるといっても特別なことをはじめようというわけではない。晴れた日には日課として一時間ばかり街に出ようというほどのことである。
街に出て、高年者同士ならだれとも快く気候のあいさつを交わし、お互いの健康を案じあい、愉快に今日を語り合い、先輩の姿を思い起こし、親元を離れた子どもたちの無事を願い、わがまちの将来を思う。お店では新しい「高年化用品」の情報を得て、ていねいな手造りの地産品の手触りを楽しむ。ここは現今の若者たちの風気には染まらない。子どものころに見た父母たちがそうしていたように、ひとつ上の境地を共有することでいい。
雨の日には家にいて、「旧雨今雨」の友人たちに想いをめぐらせ、訪れを待つ。やれやれと「マイ・チェア」に収まって、しばし音楽に耳を傾け、書物から先人の叡智を得る。さてそれからウエブ・サイトを開いて新情報をゲットし、ネット仲間とメール歓談を楽しむ。
「一片の氷心玉壺に在り」というのは、かけがえのない友に捧げることばだが、「友人フォルダ(玉壺)」の中に、氷のような澄明な心で終生つきあえる友の名が何人も存在しており、さらに一片また一片と増えていくのは愉快なことである。内にも外にも「高年者同士のための暮らしの場」をさまざまに構成し、コクのある「わがシニア文化圏」をこしらえる。そして高年者の生活を危うくする営為には「憂慮」の息づかいを合わせて対抗する。
いま高年者の生活圏を危うくする火の粉は、超八〇〇兆円まで膨れあがってなお増勢のとまらない財政赤字から飛んでくる。ほかに術なくて、高年者がみずから「粒々辛苦」してつくりあげてきた暮らしの基盤が揺らぐほどに、国は寡黙な高年者にシワヨセを押しつけ出したからだ。高年者は何よりも存在を軽視されていることに対して、怒りを鎮めて「憂慮」の輪を広めなければならない。
「世界一の長寿国」
「昭和生まれの丈人力」
一国の首相を小論考の狭い行数のなかであげつらうことは避けるべきだから、本稿の立場からの指摘ひとつに止めるが、新世紀を迎えて首相となった小泉純一郎さんは、「自鳴得意」の姿勢を貫きつつ、「構造改革なくして日本の再生と発展もない」といいつづけた。
成し遂げた小泉流の構造改革は「郵政民営化」が象徴的作業となったが、時代の風をとらえたとはいいながら、改革のK点はせいぜいが硬直化した国家機構にかかわる改革までであった。それは内向きなものであって、世論が求めていた外向きの社会改革には及ばず、「高年化社会」の形成に関しては、新世紀になっても手つかずのままだったのである。
改革の主体者である高年者に参加を呼びかけることをせずには「社会の高年化」は決して進まない。だから小泉改革は高年者の期待とは別の方向に動いてきた。「『世界一の長寿国』を喜ぶ」といいながら、次には「高齢者は年金・医療・介護という社会保障の対象」と跳んでしまう。かつて厚生大臣をつとめた小泉さんは旧来の「厚生族」の視点を越えられなかった。静かで目立たない多数派である高年有権者の信頼をつなぎ止めるためには、その存在と動向を正確に把握し、信頼して「参加」を呼びかけなければならない時に、だれの目にも際立つキャリア女性議員と若手議員に国民の目をそらせてしまったのである。
ここで五〇〇〇万人の高年者は「憂慮」の息づかいをそろえよう。てんでんばらばらに怒っていたのでは何も起こらないし、ほんとうの戦いは怒りによって行うものではないのだから。ここは静かに、歴史的役割をわけあって、昭和生まれのみんなが「昭和生まれの丈人力」を惜しみなく発揮して、高年者としての「尊厳」を守りぬいて生きることで、「日本高年化社会」の形成に投じること。それぞれが過ごしやすいステージを紡ぎだすようにして現出し、後人のスタンディング・オベイション(立ち上がっての喝采)に送られて歴史のなかへと去る。それなくして何の人生か。
*・*未萌の「高年化社会」に賭す*・*
「家庭内の高年化」
ここであらためて「家庭内の高年化」について整理しておこう。
家庭は「高年化社会」形成のコア(核)であり、ここでの成立がすべての基礎である。さまざまな角度からおこなわれるが、とりたてて特別なことから始める必要はない。
すでに記してきたように、時節の基本を一年一二カ月に重ねて「四季三カ月」として、「地域の四季」の変化に応じた行事を日々ていねいに迎えてすごす。一日の基本にはこれも二四時間に対して三時間ごとに刻んだ「八方時刻」を多重化して採り入れる。明け方から夜までの活動を三時間ごとに分割してムリなく織り込んで暮らしにリズムをつくる。何より家庭内の三世代がそれぞれのプライバシーを納得しあいながら着実に実現する。
「マイ・チェア」から食器まで愛用品を配備して動線で結んで「人生の第三期」を心地よくすごす「わが家の高年期のステージ」を構成する。一生ものの良質な国産の「高年化用品」をところどころに置いて「パパのもの」の存在感を示す。
衣は季節に応じて「和装」を楽しみ、時には「和装街着」で街に繰り出す。高年者同士が街の「四季型中心街」で「丈人登場!」といった元気な姿で談論する。
食は「男子必厨」を志して、長寿のための自家薬膳料理や四季旬菜をものにする。
住は「四季型(通風)住宅」を指向して、四季のめぐりに対応する暮らしをする。できるなら「三世代同等同居住宅」に住んで娘家族を支援し、孫たちの養育にも当たる。知識、経験、健康、資産などを有効に用いながら、自己目標の達成にむかって過ごし、厳選した友人たちとの「シニア文化圏」で交流を楽しみ、ボランティア活動にも積極的に参加する・・などなど。
「職域の高年化」
ここであらためて「職域の高年化」について整理しておこう。
職域では、「企業の高年化」つまり「製品の高年化」と「職場の高年化」を推進する。
来歴に鑑みて、国内の高年需要者層への新しい製品化が見込める企業から「社内ミドル化」と「社内シニア化」を指向する。この「新・終身雇用」のもとで、成員がそれぞれの立場で和気藹々として働ける社風を醸成する。国際競争に直面している「社内ミドル化部門」の中年社員を支援・督励するとともに、生活用品の途上国製品化に違和感をもつ国内の高年者層が納得する「優良高年化製品」を企画し、さらには将来の輸出商品として有望な日本製「高年化製品」の開発も視野にいれて推進する。「高年社員・社友会議」を成立させ、同業他社と競いつつ業界の存在感を明確にする。各社のベテラン社員と終身の愛社意識をもつ引退社友が、高年者としての生活感覚を反映した良質な「高年化用品」を考案し提案する。企業の永続的な発展と重ね合わせて、新入社員が生涯にわたって愛社意識を保てるような「新・終身雇用」や「新・年功序列」の規定を取り入れ、また医療・厚生施設の充実と保持にも努める・・などなど。
「地域生活圏の高年化」
地域社会での「地域生活圏の高年化」についてもここで整理しておこう。
高年世代としての経験と構想力を発揮して、地域の「青少年」「中年」用のステージに加えて「高年者」用に特化した「ステージ」の形成に努める。専門領域をもつ人びとが参加した「地域シニア会議」が高年者の課題を話し合うとともに、「三世代会議」をつうじて子どもたちに地域文化・物産を伝承する。とくに子育て期の女性を支援し、さらには内外の姉妹・友好都市からやってきた青年・高年者に「国際交流員」として応対する。
地域の中心街には日課として出向いて、高年者仲間とともに地域の「四季型中心街」の活性化を担う。自治体の「高年(生涯)大学校」や地元大学の「シニア大学院」で、高年期の暮らしのためのスキル・アップを心がける。地域の四季をたいせつにし、地域の「自然環境」や「生活・伝統環境」を守る活動に参加する。伝承として残る手づくり技術を活かした「高年化地域特産品」の創出活動の先駆けをする。そして「高年化用品展示会」や「昭和の日」の行事にも積極的に参加する・・などなど。
「一〇・一国際高齢者の日」
国際的には「一〇・一国際高齢者の日」に一年の成果を公表し、世界に発信する。
国際的といっても、とくに海外の目を意識する必要はない。日々の活動による「高年化社会」への参加と過程そのものが、ノウハウとして国際標準のひとつになるのだから。
前世紀に体験した国家同士による戦争の惨禍を負の資産として、「平和の絆」として提携した姉妹・友好都市との交流から、手づくり技術を生かしたアイデアを得て、途上国製品のひとつ上のレベルの日用品を考案することで、「国際平和の証しとしての高年化」という次の目標に備える。日本の高年者が獲得した「モノと場の高年化」に関するノウハウは、海外の高年者の関心を引くとともに、優れた日本製「高年化製品」への需要を呼び起こし、国際的な「高年者製品経済圏」の形成に先駆的な役割を果たす。「国際高齢者の日」には、さまざまな分野の成果を公表する。そして「一生に一度はいってみたい日本」を現出する・・などなど。
「昭和中期丈人層」
「昭和前期丈人層」
史上にまれな「少子・高齢化」時代に遭遇した「昭和生まれの高年者」としての歴史的役割は、なるべく「ケア」を受けないですむ「自立」の姿勢を保持しながら一日でも長く生きることである。「からだ・こころざし・ふるまい」という三つの「いのちの多重標準」をつねに意識して、「ひとりの高年化」を体現しながら「高年化社会」を安定させるのが、「昭和丈人層」の歴史的役割なのだ。
国政の担当者から発せられた「痛みをともなう改革を」ということになれば、実際には弱者の犠牲を前提とせざるをえないし、成果はその上にしか成り立たない。失政のはてのそんな愚直な訴えを聞き、そんなたわけた社会をつくるために高年者は苦闘してきたのではない。
「昭和丈人」のみなさんなら、怒りをこらえて憂慮(恕)の声を発するだろう。
「国民自身の『痛みをともなわない改革』によって、日本高年化社会の形成は着々となされることとなるのだ」と。そして行動派の高年者であるみなさんが、たしかな高年者意識を持って過ごした「第三期の人生」での総和が、「高年化社会」の日本型モデルとして、近い将来には国際的な評価を受け、次世代の資産になる信頼をかちうるにちがいない。
二〇二〇年に、国際的な注目をあびて高年期を迎えているのは、だれだろう。
「敗戦」(一九四五・昭和二〇年)の年から「エキスポ70・大阪万博」(一九七〇・昭和四五年)の年の間に生まれた「昭和中期丈人層」である人びと。「日本らしさ」を活かして成し遂げた成果を、参観のため来日した外国人高年者に示すのは愉快な役割ではないか。そして先駆者として力を尽くした「昭和前期丈人層」であるみなさんの輝かしい体験記とともに、二〇二〇年に、書棚にあってその成果を見定めたいというのが、本稿の実現目標2020である。
*・*春爛漫の「(仮)シルバー・ウイーク」*・*
「敬老の日」
「老人の日」
きょうはなんの祝日だったっけ。二○〇三年からは九月一五日であった「敬老の日」は、九月第三月曜日に変更されたからなおのこと、実感に乏しい祝日となった。
「ちょっと待ってください。わたしたちは少ない予算で必死にやっているのですから」
先回りした善良な官僚の悲鳴にも似た反論が聞こえる。社会に尽くしてきた功労者として高齢者をねぎらい、顕彰することは後進の者の当然のつとめ。お年寄りを敬いいたわる日があることは・・。
べつに「なくても良い」といっているわけではない。ねぎらわれ、いたわられる「高齢弱者」(被扶養者)を設定し、善意を率直に表現できる「敬老の日」があることは、だれもが納得していることである。前年度プラスの予算を確保して、熱心に「敬老行事」をすすめてきたのは、だれがみても良いことである。しかし、官製の敬老には納まらない多数の高年者(予算に関係ない人びと)から「敬老の日」は次第に遠くなってしまったのではないか。年々に「敬老行事」を予算化することでしごとを固定化し、そこから先の発想の広がりと可能性を殺いできた。
現行の爽やかな秋の「敬老の日」は、公的にでなければできない高齢者への施策を中心にした善意の日として、「老人の日」(九月一五日)を合わせ支えながら継続する。それとともに、一○月一日の「国際高齢者の日」は、国際的な行事の日として、「国際高齢者交流会議」といった海外の高年者が参加する行事の開催にあてる。そうすることで高齢化先進国であるわが国の活動が、国内ばかりか国際的にも関心を呼ぶことになる。
「昭和の日」
「(仮)高年者週間=シルバー・ウイーク」
たとえば春ののどかな一日、「こどもの日」や「母の日」と同じように、高齢者が高齢期の人生をどう切り開いているかを、年々のその日に確認する日、「高年者の日」があっていい。
「いい時代に、いい人たちと出会った」
というのは、脇役の名優笠智衆さんの残したことばだが、そう率直に言って、終生を脇役として地味に生きてきたお互いを賛嘆しあう日があっていい。後人にねぎらわれるのではなく、後進の者を安心させ、激励を与え、将来の目標になるような健丈な高齢者のための、「(仮)高年者の日=シニア・デー」(四月二八日)を設定しようというのは、出版人Mさんの着想である。歴年で祝うには、季節もよく活動するにもよく、記憶するにもよい日がいい。早めに一日を確保しておくことにしよう。
翌四月二九日が〇七年からは「みどりの日」を改めて「昭和の日」にかわった。丸ごと高齢者のための日とはいかないだろうが、「昭和の日」もまた「昭和の人びと」のための日とすれば、高齢者が二日間にわたって主役をつとめることになる。家庭で、屋外で、津々浦々で、高齢者が元気な姿を示しえたら愉快ではないか。
そして五月五日の「こどもの日」までを視野にいれて、世代をつなぐ活動の成果を公表すれば、いきいきとした厚みを増すことになるだろう。さまざまな「J(ジュニア)+S(シニア)会議」や「三世代(JMS)会議」が、五月五日までの間に開かれることになる。
たとえば日本の誇る「国際人シニア」である小沢征爾さんが主宰している「ジュニアのための音楽塾」のような、熟達者と新進の若者が芸術の高いレベルの成果に挑戦するような世代をつなぐ活動は示唆的である。また「憲法記念日」(五月三日)での大江健三郎さんのような作家と子どもたちとの定点対話は、憲法をテーマに、表現力によって深く伝え、想像力によって理解を堅固にすることの大切さを知る出会いとなるだろう。
春の「ゴールデン・ウイーク」に先がけて、高齢者の存在感を示す一週間が「(仮)高年者週間=シルバー・ウイーク」である。「高年齢者週間=シルバー・ウイーク」として、みんなで勝手気ままに高齢期の成果を示すステージを作りあげていくのもいい。
行事はさまざま。各地・各分野で、技能や芸能を磨きあげ、経験を積み、知識を深めてきた人びとを、企業や民間団体が紹介する。代々に引き継がれてきた伝統芸能や技術、話芸、ライフワークを追い続けている研究者の成果を実演・講演する。高齢者スポーツ大会、健丈度・活動能力診断、ウオークラリー、金婚・銀婚・賀寿を祝う会、そして全国や地域の「高年齢者用品展示会」・・などなど。そのために高齢者は健丈であること。
「平均寿命世界一」
「国別健康寿命世界一」
世界保健機構(WHO)が「国別健康寿命」を初めて発表した(二○○○年六月)。「平均寿命」が年齢ごとの死亡率から計算されるのに対して、「健康寿命」は平均してどの年齢まで健康で暮らしていけるかを示すもの。
その計算式によると、一九一調査国のうち日本は「平均寿命」では八○・九歳で「平均寿命世界一」だったが、それより六・四年短いものの七四・五歳(男七一・九歳、女七七・二歳)で「国別健康寿命世界一」だった。ちなみに二位はオーストラリアで七三・二歳、三位はフランスで七三・一歳。インドは五三・二歳で、アフリカ諸国の中には三〇歳台というところも少なくない。長寿世界一の「日本シニア」が、いよいよ注目されることになる。
# 平和の証しとしての「日本高年化社会」
*・*何もしない「国際高齢者の日」*・*
「国際高齢者年」
新世紀に迎える地球規模での「高齢化社会」を予測して、国連が一九九九年を「国際高齢者年」(International Year of Older Persons)と定め、そのテーマを「すべての世代のための社会をめざして」としたのは一九九二年のことだった。
世紀末近くにそんなことがあったことを知っている高年者がどれほどいるだろうか。善意の提唱者が、テーマを「すべての世代のための社会をめざして」としたのは、世代を越えた人びと(エイジレス)の賛同と参加を期待したためであったろう。しかし「すべての」という呼びかけは、それが提唱者の善意の期待からであるとしても、活動の主体者をあいまいにしてしまうことは否めない。実際には活動を強める力とはならないのである。
活動の中心となるのは、世紀の初頭に高年期を迎える人びとであり、最初に迎えることになる先進諸国であり、なかでも大型で最速で進む「日本」が台風の目となる立場にある。そういう明確で強烈なメッセージが、九〇年代から新世紀にかけてのこの国に、警鐘にも似た強い風圧として横なぐりに叩きつけられていれば、いまこの国で高年期を迎えている人びとの「この一〇年」の取り組み方も、その結果も大いに異なっていたと推測されるのである。
そう主張した人びとがいた。が、そうはならなかった。「国連中心」といいながら、「分担金は多く実践活動は少なく」の実態がここにもあったのである。
「国際高齢者の日」
「高齢者のための国連五原則」
各国とくに先進国から新世紀に迎えることになる「高齢化社会」にむかってスムーズに移行できるよう、国連から次々に取り組みが提案され、九〇年代を通じた国際的テーマとなっていたのである。
毎年の一〇月一日を、「国際高齢者の日」と、国連が定めたのが九○年であり、運動の展開への願いを込めて、
自立(independence)
参加(participation)
ケア(care)
自己実現(self-fulfilment)
尊厳(dignity)
という五つの「高齢者のための国連原則」を採択したのが九一年であり、そして「高齢者に関する宣言」とともに九九年を「国際高齢者年」と決定したのが九二年のことだった。わが国も総務庁を中心に各自治体も参加して全国的な活動を展開した。現在の高連協(高齢社会NGO連携協議会)が結成されたのもこの時である。それに先立つ九五年には「高齢社会対策基本法」も制定されている。だれあろう、毎年一○月一日の「国際高齢者の日」に、他国に先んじて実質を与えるのは、この国の高年者の役割だったのである。
「新世紀ふたつの課題」
「高齢化国際人」
二一世紀初頭の国際的な潮流は、先進諸国が先行して迎える高齢化に対処する「社会のグローバリゼーション」であり、アメリカ一極下で開発途上国が中心になって推進する「経済のグローバリゼーション」は新たな時流であり、アジアで唯一の先進国としてのわが国が取り組む「新世紀ふたつの課題」だったのである。この間、ヨーロッパ諸国はソビエト崩壊後の混乱期にあったからなおのこと、わが国がこの新世紀初頭のふたつの国際的テーマを引き受けて総力をあげて立ち向かうポジションにあったことは確かである。
とくに高齢化へのわが国の対応がそうならなかったからといって、よその国からとやかく責められることではなかった。しかし、知らなかったからといって許されないのが日本の高年者自身なのである。
一九九九年の「国際高齢者年」をひとつの契機として、新世紀へむかって「日本高年化社会」への構想が提案され、高年化対応の具体的な取り組みが九〇年代から新世紀にかけて次々になされていたなら、高年者意識もまた広く醸成されていたことだろう。自治体によっては先駆的に「高齢者憲章」を定めたところもあったのだったが、全国的な活動にまでは進まなかった。団体でも個人でも国連の高齢者原則の五つすべてでもひとつでも意識して活動することが「高齢化国際人」なのである。
九〇年代を通じて、高齢者みんなが「わたしの高齢期」を意識し、みずからの暮らしを充足させる家庭や地域生活圏の「モノと場」の高年化のために活動し、国産の「高年化用品」や用具、設備や施設を要望し実現させていたならば、企業や組織は「高年化対応のリストラ」にも努めていたことだろう。そして新世紀を迎えてさらに着実に推進されていたなら、わが国のとりわけ高齢者があらゆる局面でシワヨセを受けてこれほどの苦難を強いられることにはならなかったのでる。
「高齢者憲章」
「高齢化に関する世界会議」
一九九九年、この国の「国際高齢者年」は主役不在のまま過ぎていった。国も自治体も音頭をとったが、肝心の高齢者自身がわがこととして理解しなかったのである。国際的に先頭に立つべきわが国の活動は際立つこともなく、総務庁(当時)を中心に取り組まれ、高齢者関連団体NGO(非政府組織)と連繋しておこなわれ、淡々と過ぎていった。高齢者年NGO連絡協議会による「高齢者憲章」(補注)が、九九年九月に発表されている。
二〇〇九年は一〇周年に当たった。それすら知っている高年者は少ないだろう。
国際的な活動としては二〇年ぶり二〇〇二年にマドリッドで「第二回高齢化に関する世界会議」(第一回は八二年にウイーンで)が開かれた。「高齢化に関する国際行動計画2002」を採択し、世界の多くの地域で平均余命が伸びたことを人類の大きな成果とし、世界的に前例のない人口転換が生じていること、二〇五〇年までに六〇歳以上の人口が約二〇億人に増加し、人口比率では二一%に倍増する見通しであり、すべての国に対して、「高齢者が潜在力を発揮して生活のあらゆる側面に参加する」ことができるような機会の拡大を要請した。
この一〇年、この国に世界の高年者にむかって誇らしく発信できるような「高齢化社会のグランド・デザイン」などなかったことは、すでに何度も指摘したとおりである。
*・*「日本高齢社会」は世界平和へのメッセージ*・*
「平和と非暴力」
「文明間の対話」
二一世紀の国際社会が、なお平和裏に推移するかどうかはわからない。国連は、新世紀が「平和と非暴力」にむかうことを願って、「文明間の対話」を課題とし、二〇〇一年を「文明間の対話年」としたのであった。ところがそれに逆らうように、ニューヨークの「九・一一テロ事件」、そして〇二年三月の「イラク戦争」を引き起こし、報復テロの恐怖が世界を覆うことになってしまっている。アメリカ国民は初めて身近に戦争の恐怖を実感したことになる。
そんな中で、日本は「人道支援」という名目で自衛隊を海外の戦場へ送り出した。アメリカの軍事戦略に沿って、アメリカとともに国際的には孤立化の危険をはらむ道を選び、新たな「有事の時代」へと動き出した。そのことは、為政者がどういいつくろってもまぎれようもない事実であり、「憂慮」すべき事態なのである。それでも一兵も失うことなく、現地の人びとに受け入れられて作業を遂行できたのは、「平和憲法」をもつ国からの「自衛隊」だったからであり、イラクはもちろん国際的にもそう評価されていることの実証例となったのである。
世界をまきこんだ未曾有の戦乱期を経て得た平和期がつづいて半世紀あまり。その間の日本の「平和」が、アメリカの軍事力の傘ととくに沖縄の人びとの重い負担に頼ってきたこともまたまぎれようもない経緯であるが、国民の一貫した強い意志を置いてほかにない、そしてその向こうには、戦場となったアジアの国々とそこに暮らしている人びとの戦乱と戦後の経緯があったことを忘れてはならない。いまグローバル化という時流に乗って、アジアの人びとが日本のような平和のもとでの豊かな暮らしを夢みて過ごしてきていま実現している姿を、先の戦乱の犠牲者を思いながら戦後の復興に身を挺して尽力してくれたわが国の先人の姿に重ねて、アジアの将来のために心からの謝意をささげるべき時なのである。
「ものづくりに優れた国民」
「和を愛する国民」
一九四五年に敗戦国となって以後の日本が、半世紀をかけて努めて獲得した国際的な評判はふたつある。まずは平和裏に、みんなが等しく享受できる良質の製品を、ユーザーの利便性を思いつつ力を合わせてつくることで経済復興を成し遂げた「品質の優れた製品をつくる産業国」であり、「ものづくりに優れた国民」としてである。そしてもうひとつは、戦禍への道をふたたびたどらないために、被害者であり加害者であった双方の立場を包摂して国際社会に「恒久平和」を宣した「日本国憲法」をもつ「和を愛する国民」であることである。かつて欧米列強国と覇権を競ってアジアの隣国に被害をもたらした加害者となったことを反省し、一方で原爆による唯一の被爆被害者として近代兵器の脅威を経験して、「戦争放棄」をきちっと守りつづけてきた「平和に徹する国」であり、それを守りつづけるとともに敗戦の焦土から立ち上がって粒々辛苦して働き、平和裏にみんなが等しく享受しあえる繁栄を築いてきた「戦後日本人」のたゆまぬ営為によるものであった。したがって、そのプロセスは「人類標準=ヒューマン・スタンダード」となりうるものである。日本に対するふたつの国際評価、「品質のいい日本製品」と「平和を愛好する品格のある日本人」像は、半世紀の積み上げによって作られた貴重なものである。
「日本国憲法」
「日本高齢社会」
平和な時代が長くつづくことを、先人は、「戴白の老も干戈を見ず」(髪の白くなった老人さえ戦争を知らない)といって、長い平和の時期をすごすことができた幸運を伝えている。と同時にそれはまた、戦乱の不幸が途絶えたことがなく、人間同士の対立の解決がいかに多く武力によってなされてきたかを思わせる。人類にとっての最重要課題である多重標準は「戦争」と「平和」なのだ。先の大戦から半世紀余り、この国の戦争を知っている人びとの髪は、大方は白くなった。そして日本は「有事に動く」という意味では「干戈を見ず」に過ごしてきた。二〇世紀の「戦争の惨禍」を先人が引き受けてくれたことで得た貴重な平和の期間。
その平和期を実感しながら「戴白の老」となった高齢者が、自分たちの手でつくりあげた生活環境で憩い、往時を顧みて衣食住にもほぼ満ち足りている姿がある。「世界一の長寿国」であり、長寿者が敬愛されている姿こそ、なにより世界に誇っていい「平和の証し」なのである。理念としての「日本国憲法」(とくに九条)を掲げつづけるとともに、現実の「日本高齢社会」の形成が、ふたつながら新世紀初頭の国際社会でなすべき日本の貢献なのである。
「世界平和へのメッセージ」
「平和憲法施行一〇〇年記念」
「恒久平和」を掲げた日本国憲法は、「原子爆弾」という人類をも破滅させる可能性をもつ武器が登場した先の大戦で亡くなった人びとへの「哀悼のモニュメント」(歴史的記念碑)であり、とくにその九条は先人の心火によって燃えつづけている遺言の灯ともいうべきものである。半世紀を越え、新世紀を迎えたいま、その経緯を確認し、党派性を排して「衆議」して引き継ぐべき貴重な文化遺産である。したがって「そのまま残すべきもの」である。
国際紛争は絶えることなくつづき、世界の軍事技術は仮想敵国を想定しながら自己増殖をつづける。それは朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争で、その恐るべき一端をみせつけた。局地戦はいまも絶え間なくつづいている。そんな悪夢を押し止めるのが、大戦後に平和を託されて生まれたベビーブーマーである「平和団塊の世代」の人びとを中心にして体現する「日本高齢社会」なのである。それがそのまま「世界平和へのメッセージ」となることに希望がある。
先の大戦によって被害者となり加害者となるに至った戦争の惨禍への経緯を繰り返さないために掲げた「日本国憲法」を改変する能力も立場もないことを、想像力の深度も構想力の精度も足りない現代の若手政治家に知らさねばなるまい。日本がどういうプロセスを踏んできたかの論議を尽くすにはいい機会だが、自分が納得できるレベルの認識で改憲を実行しようとすれば、必ず過ちをおかすことになる。
憲法は今ある人びとのためのものではあるが、今ある人びとのものではない。
「自主憲法」と称して根幹を傷つけるとすれば、先人にも後人に対しても、これほど恥ずべき行為はない。いま確認すべきことは、憲法の条文の文言の改変をおこなうことではなく、条文の裏に燃えつづけている「先人の心火」を感得し、その地点から戦争の惨禍を想起する想像力を培うことである。若手政治家が謙虚になすべきことは、平和を希求する憲法の趣意を「国際世論」とするためになお努めて、四〇年ののちに「平和憲法施行一〇〇年記念」を国際平和のもとで祝えるように保ちつづけることである。 国会での議論がどのようになろうとも、最後に国民投票での決定権をもつ国民として、冷静にしかし先人の心意を確かめながら見守りつづけることにしよう。
国際的に先行してたどる「日本高年化社会」形成への歩みを、「世界平和へのメーセージ」として対置すること。天年(天寿)を全うする一人ひとりの高年者の日また一日の生命の灯を、戦争への兆しがあるかぎりひたすらに、歴史を貫いて流れる「不戦不争の叡智」に託して「戦争放棄・恒久平和」の明かりとして灯しつづけること。「日本国憲法」が放つ不戦不争の明かりが途絶えたとき、わが国はまた半世紀を積んで得た国際的評価を閉ざし、歴史的な輝きを失うことになる。耳をすまして過ぎこし百年の声を聞き、目を見開いて来たるべき百年を見透かせば、おのずと明瞭なことである。
*・*・「寿終正寝」(天寿)を全うする*・*
「不戦の武力」
「能戦の文化力」
国民が穏やかに生き、天年(天寿)を全うできる「寿終正寝」を願わない国などない。
国際的に「高年化社会」の姿を競うことが、二一世紀が「平和の世紀」であることの証しとなる。だから世界の高年者がわが国に期待するものは、紛争地に支援に向かう部隊よりは「恒久平和」を掲げた憲法の下での「日本高年化社会」の実現であり、その形成へいたるプロセスである。古来わが国は「君子の国」として、「譲るを好みて争わず」と伝えられてきた。とはいえ「自衛の力」は独立国であるかぎり、可能な範囲で他に劣らない質を自ら保持して常備しないわけにはいかない。常日ごろ訓練によって養った、他のいかなる国にも依存しない自衛のための「不戦の武力」と、常日ごろ鍛えあげて相手をねじ伏せるほどの外交のための「能戦の文化力」と、それを支える「経済力(民力)」とは、常に整え備えるべき三位一体の「国民力」なのだから。
個人としては、歴史にまれな平和の時代に、「日本高年化社会」を構成するひとりとして加わり、みずからが充足して長く生き天年(天寿)を全うすることが、そのまま国際的な信頼を引き継ぐ「平和へのメッセージ」となることを確信することである。そして生涯の最後までお互いを支えあうことが主体者としての「現代丈人の証し」ともなる。
$$[補注]
*「高齢者憲章」
わが国はこの半世紀の間にめざましく発展し、国際的にも経済大国といわれるまでになりました。国民の生活水準や保健医療も向上し、いまや人生八○年、世界一の長寿国となっています。
しかしその一方で人口の少子高齢化が急速に進んでおり、二一世紀の初頭には四人に一人が六五歳の超高齢社会になると予測されています。私たちの身のまわりでは、これまでにない多くの問題が表面化しています。とくに、高齢者を「社会の被扶養者」と位置づけている制度や慣習が多く、現在の高齢者の意識や生活行動にそぐわない社会のありようが、問題を生んでいるといえます。介護を必要とする高齢者も少なくないのは事実ですが、一般には高齢者のほとんどは健康で、就労やボランティアの社会参加、若い世代との交流など、生きがいのある生活を望んでいます。
こうしたわが国の状況の中で、高齢者問題にたずさわる関係団体(NGO)は、国際高齢者年にあたり、「高齢者年NGO連絡協議会」(高連協)を結成し、「すべての世代でつくろう ふれあい社会」をスローガンに活動を展開しています。高連協は、国連が提示している「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」の高齢者のための五原則に、高齢者自身の「社会的役割」を加えたキーワードをもって、すべての世代が平和で生きがいある生活を追求できる社会、年齢による差別のないエイジレス社会の創造をめざしています。
そこで私たち高連協は、この運動の基本的指針を「高齢者憲章」としてまとめ、ここに提唱します。
[高齢者憲章 提言]
一 尊厳 個人の尊厳は他の世代の人々と同様に高齢者についても重んじられる。
二 社会参加 高齢者が生き生きと暮らすことは、すべての世代の人々が安心して暮らせる社会をつくるために不可欠である。そのためには、高齢者の能力を活用する事業や職種を社会全体で開発するなど、高齢者が意欲を持って社会参加できる機会を広げることが望まれる。
三 社会貢献 すべての世代にとって住みよい社会をつくるために、高齢者は若い世代と交流しつつ、その経験を生かして社会福祉、環境整備、コミュニティづくり、文化の伝承、国際交流などの社会貢献活動に参加する。
四 健康づくり 高齢者は、地域社会において充実感を持って生きることができるよう、自らの身体的機能の維持に努める。そのために、保健センターや健康づくりネットワークなど、地域における支援の仕組みを整備することが望まれる。
五 まちづくり 身体的能力や生活能力がいかに異なっていようとも、安心して暮らせる社会にするために、バリアのない住宅やまちをつくることを公共事業の重要なテーマとすることが望まれる。また、すべての人々は、心のバリアを取り払い、地域社会において助け合って生きるよう努める。
六 社会保障制度 年金、医療保険、介護保険などの社会保障の制度は、国民の生涯にかかわる制度として確立され、これによりすべての世代が安心して暮らせる社会にすることが必要である。これらの制度は相互扶助の精神に立ち、負担の公平と効率的な運用の確保に努め、社会全体の活力を失わせないよう総合的に構築されなければならない。これらの制度によりサービスを受けるものは、可能で適切な範囲において、その費用の一部を負担するとともに、その自己決定権は最大限に尊重されなければならない。
七 生涯学習 高齢者の多様な生き方を支援するため、生涯にわたり学習できる仕組みの整備が望まれる。また、高齢者の経験や知恵が子供や若者の教育に活用される仕組みも、つくらなければならない。
高齢者を含むすべての世代の男女は、共同参画して以上の提言の達成に努める。
一九九九年九月一五日 高齢者年NGO連絡協議会