現代シニア用語事典 #8高齢期(三世代同等型)をこう生きる

#8 高齢期(三世代同等型)をこう生きる
#「長寿社会」はみんなでつくる
*・*「五つのステージ」をどう生きるか*・*  
高年期人生のステージ
「人生のステージ」というと、ふつうには「幼年期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つの階層にわけて説明されてきた。この「五つのステージ」は、自分の経験として、あるいは子どもの成育の姿や父母の生き方をつうじて、だれもが納得できる分け方として認めている。ところが史上まれな「少子・高齢化」という状況にあって、「高齢社会」の実情をつぶさに考察しようとすると、上の「五つのステージ」ではうまく把握できない。なぜといって五つのうち三つまでが二〇歳代の「青少年期」に当てられていて高年層に窮屈だからである。
「高齢社会」の把握には、高年層に配慮し高年者が納得する別途の「高年期人生のステージ」が要り用なのだ。それが自身の「高年期の人生」への意識変革をもたらし、みずからが暮らしやすい新たなステージを創出する契機となる。
本稿がここでいう新たなステージは、いまあるしくみや高齢者意識をそのままにして対処しようする「高齢化社会」とは区別して、「高年化社会」と呼んでいる。みずからが「青少年期」「中年期」を過ごしおえて「高年期」にあること、いま「青少年期」「中年期」にある人びとに対して「高年期」にあること。五〇歳以上で五〇〇〇万人(六〇歳以上で三九〇〇万人)の人びとが主体者として新たに形成する社会だからで、みずからが暮らしやすい「モノと場の高年化」を成し遂げ、「新しいしくみ」を創り出し、さまざまな分野の成熟した活動が展開される新たなステージだからである。と同時に、次の世代に将来の資産をつくっているという配慮をつたえて、みんなが参画しているという意識の共有が必要である。
東アジアの先進国であるわが国には、国際的なフロントランナーとしてアジア地域での独自の社会モデルが期待されており、「日本高齢社会」は、自まえの経済・文化・伝統の条件のもとで、独自のプロセスを案出しながら達成に向かわねばならない。 
「高年期三期の新ステージ」
わが国の高年齢化の実情をよく観察した上で、体現者である高年者のみなさんに納得されることを期待して、本稿が採用した「高年化時代の新ステージ」は、#1の「高齢時代のライフサイクル」「賀寿期五歳層のステージ」を参考にしていただきたい。
 三つのステージは、二五年を区切りとする「青少年期」「中年期」「高年期」であり、「高年期」を「パラレルゾーン」「高年期」「長命期」の三つのステージに分けることで、当面するわが国の実情に見合った高年期人生のステージが形成されることになる。
同じ「五つのステージ」でありながら、前項とは逆に高年層を三区分に厚く分類しているのに気づかれるにちがいない。これでどうやら「日本高年化社会」を考察する本稿の立場からは納得がいく。
自己形成期にあたる「青少年期(二五年)」と社会参加期にあたる「中年期(二五年)」の人びとは、改めて「高年三期」の存在感の厚みに気づくであろう。「高年期」にある人びとは、いま自分が人生のどんな時期にあるかに思い当たるだろう。 
「超高年期は第五ステージ」
先ごろ「後期高齢者」(七五歳以上)の医療費支払いが話題になって、七五歳で階層を刻むことの意味が問われたが、七五歳で截然として人生が変わるわけはない。それでも人生のステージとしての一階層上の高年齢期に達することが誇らしく愉快であるなら、とやかくいわれることはないだろう。七五歳に達したら、最良の医療を無料で提供し、健丈で長寿である人生を支援しますという施策であるなら誰も異議をとなえることはないのである。国の財政のしわよせを高年者に押し付けようとする意図が透けてみえるような施策は、国際的にも関心を持たれている「日本高齢社会」構築のプロセスにあってはならないことだ。高年齢者はそろって憂慮の声をあげねばならない。
本稿の高年時代の新ステージの特徴は、敬愛すべき「長命期」(八五歳から)を設けていることにある。「高年期」と「長命期」との刻みがなぜ八五歳なのかという刻みの整合性について異議をとなえる人があるかもしれない。ここでは「平均寿命」(女性)が八六・〇五歳であるという現実に留意しておいてほしい。まずは素直にご自分の人生と重ねあわせてみていただきたい。
 前項の表の第三期である「高年期」を重ねて納得していただいた方には、「青少年期」「中年期」のふたつのステージを過ごし終えて、高年期になったいま属している職域や地域でのご自分のありようを見据えていただきたい。現状では中心になって関わることのできる現場は少ないのではないか。これからの行く先長い「高年期の人生」を過ごすことになる「家庭」「職域」「地域」という三つのステージでの自分のありように思いをいたすとき、「第三期」の現役としてさまざまな不足・不満・不安に気づくはずである。 
*・*国際化対応の第一・第二ステージ*・*  
「青少年期第一ステージ」
「即戦力正社員」
「青少年期(〇歳~二四歳)は第一ステージ」で、青少年の暮らしのためには、育児・保育施設、学校、その他の教育施設、遊園地ほか、さまざまな「青少年のためのステージ」が用意され、次世代を育成するための「少子化特任大臣」が内閣府に置かれている。
人生の第一ステージである「青少年期」をみてみよう。
 近ごろは結婚後一〇カ月目の「ハネムーンベビー」よりも、結婚前の「できちゃったベビー」が多いという世の中だから、生まれて以後の養育についても不確定な要素をもちながら推移することになるだろう。といっても子どもたちはみな、たいせつに養育され、学んで自己形成をして、選んで社会参加をすることに変わりがない。複雑な時代ゆえに、現状ではさまざまな選択のための猶予期間(モラトリアム)」の「バトンゾーン(二五歳~二九歳)」を置いて、一般的にはおよそ三〇歳前までが「青少年期」として許容されている。
 しかし、本稿の「第一ステージ」の区分では、二四歳までにしっかりとした自己意識を確立し国際的な知識を身につけて、職業選択を終えて、若い柔軟な能力を企業や組織内で発揮するチャンスを活かしている青少年を想定している。国際化した企業が必要とする人材だからである。中国、インドほかのアジアの途上国の若いリーダーたちと伍して、その先頭に立つような同世代の人材が要請されており、それが企業が求める「即戦力正社員」なのである。すべての青少年が即戦力である必要はない。当面は三分の一ほどで対応することになる。
高年者としては、この孫世代の人びとにどう対処するか。みずからの来し方を省みて知られるように、自己形成期の「人生の第一期」にあって、遠い「第三期の人生」での自己実現へとつながる「こころざし」(初志)を定めることは、放っておいてできることではない。「人生の第三期」にいる高年者(祖父母)として「高年期のステージ」で存在感のある生き方を示すことによって、遠い先に遭遇する「第三期の人生」に安心感と可能性を与えることになる。
ということは、隠退して何もしないおじいちゃん、優しいばかりのおばあちゃんではなく、「高年期のステージ」の形成に参画しながら、なお未来を見据えて過ごしている先人であることを示すこと。ジュニアたちはそういう姿に接することで、高年者(祖父母)に敬愛の思いを持ち、時には記憶違いを助けたりモノ忘れにもつきあいながら、何気ないふるまいやことばづかいの中に、人生の知恵やきらめきを見出して引き継ぐことになる。高年者を敬愛する立場をわきまえて育つ青少年の存在は、「日本高齢社会」の基盤であることはいうまでもない。 
「中年期第二ステージ」
「キャリア・アップ」
「中年期(三〇歳~五四歳)は第二ステージ」である。急速な国際化に直面している中年世代の人びとのためには、多くの企業、自治体、団体などが総力をあげてその活動を支えるための場を用意している。それが国際化時代の対外的な国力として認識され評価されるからである。いま高年期にある人びとが中年期に粒粒辛苦して創り出してきたステージでもある。
急速な国際化に直面して、中年世代の人びとは内外のさまざまな不確実要素を引き受けながら労働参加をし、次世代を生み育て、地域での要請に応じて社会参加もし、ヒマを上手につくって趣味や娯楽にも興じ、「キャリア・アップ」にも心がけ、加えて高年期にいる父母の介護をするという「八面六臂」の活躍をして、超多忙な日々を送っている。とくに女性は変動期にある日本社会の基盤を支える「キャリア・ウーマン」として、口八丁手八丁となかなかに力量が要るのである。 
他項でも述べたが、この国にとっての何度かの外圧のひとつである「グローバル化」によって、「政治のアメリカ化、経済の途上国化、社会のIT化など若年化・女性化」との対応を迫られることになった。現実政治ではひとり勝ちしたアメリカの意思・指示に従って軍隊を中東に送らざるをえず、経済的にはアジアの先進国として途上諸国からのさまざまな要請に即応せざるをえず、とくに中年世代は「暮らしを途上国化する」ことによって対応することになった。
わが国は先の大戦のあと、いま高年世代となっている人びとの努力によって、アジアの他の国に先駆けて「一国先進化」に成功した。ひとときではあったが、だれもが等しく中産階級の豊かさを享受する生活ができ、将来もできると予想した。先進国入りをしたと思っていた高年者にとって、「暮らしの途上国化」には不服とするところが多々あるのである。「バブルの崩壊」のあと日本の企業や社会ははげしい構造変化を余儀なくされたうえ、「グローバル化」の進展とともに活発になった開発途上諸国の経済活動によって、日本企業も社会も早急な途上国対応を迫られた。途上国産の生活用品を受容し、家庭内の「暮らしを途上国化する」ことで対応してきたのである。
高年世代としては、わが国の若年・中年世代が海外の同世代と伍して能力を発揮できるよう、業種によっては職場や権限をすみやかにシフトして環境を整え、活動を督励することになった。これが「企業のリストラ」(構造改革)の外向きにみた実質なのである。内向きにみて高年社員の被害者としての発言が目立つけれども、ここでは高年社員も企業現場の実態は実態として直視せねばならないのである。 
*・*第三ステージは時めき人生*・* 
「高年期第三ステージ」
「パラレル・ライフ」
「高年期(六〇歳~八四歳)が第三ステージ」である。その初期の五〇歳代後半は「パラレル・ライフ」で過ごして、高年期真っ盛りの六〇歳代は「時めき人生」というところ。
「高年初期」に当たる五〇歳代というのは、どういう時期か。現状では企業内の「窓際族」が常態化してしまって、残念ながら能力発揮の場所を見出せないままに六〇歳を迎えてしまう人も多い。
この貴重な時期に手痛い停滞期間をつくらないように、五九歳までの期間を、すでに始まっている長い高年期人生での課題(自己実現)の模索と移行のための期間として、「パラレル・ライフ」(ふたつの人生)」を提唱している。五〇歳代はその後のわが人生にむかっての能力蓄積の助走期間として、けっこう多忙なのである。
穏和なプロセスで高年期をすごす見地から、五〇歳代にふたつの生き方を模索するというのは、ひとつはこれまでの「労働参加・社会参加」の延長での生き方、もうひとつはこれから始まる「高年期の人生」での自己目標をさぐる生き方をあわせて実現することである。
「パラレル・ライフ(ふたつの人生)のフィフティーズ(五〇歳代)」とでもいうべき多忙な期間なのだ。 
「職場の高年化」
高年期職場異動」
高年社員として職場ではどうするか。高年者としての生活感覚を活かした「製品の高年化」を成功させて「職場の高年化」を試みる。あるいは「職場の高年化」を成功させて「製品の高年化」を試みる。キャリアを活かして別な職域への「高年期職場異動」も考慮する。
地域ではどうするか。青少年や中年世代とともに生活圏の「三世代ステージ化」(別項)に努める。それらを通じて確かめた高年期の自己目標への準備をする。大学など教育機関の「高年カリキュラム」を受講したり、自治体の「地域生涯大学校」に学ぶことでキャリア・アップすることになるだろう。
こうした高年期の人生への準備期間として多忙な五〇歳代のはずなのに、現状の五〇歳代は「ポストレス」で活動の閑散期となっている。あまりにも惜しいではないか。
五〇歳代になって、企業の製品若年化・女性化によって職場で能力を活かす場がなくなりながらも、「自社製品の高年化」や「職場の高年化」が課題と心得て、次の目標を模索して過ごしている高年社員に、穏和なプロセスでの「社会の高年化」への移行の実感があるはずなのだ。  
「団塊シニア」
思い起こせば、「団塊の世代」(一九四七年~四九年生まれ)と呼ばれる人びとは、「中流・核家族」(一九六七年)や「昭和元禄」(六八年)や「エコノミック・アニマル」(六九年)などが騒がれた時期に成人となり、「大阪万博」(七〇年)を満喫し、「脱サラ・ゴミ戦争」(七一年)と「列島改造」(七二年)にとまどいながら競争と選択の渦中で「労働参加」し、さめた目で 「企業戦士」のしんがりをつとめてきた。だから五〇歳代をすごし終えるに当たって、「高年期」の自己目標を見出して納得して実現をめざすという方向転換にも柔軟に適応していくことができているだろう。
会社人間として「窓際族」に黙々と耐えているだけでは何も生じない。「パラレル・ライフ(ふたつの人生)」に折り合いをつけた暮らしが、穏和なプロセスでの「高年化社会」形成への参加なのだと自得するべきなのである。企業も高年社員の能力保持を支援すべき時を迎えている。市場開拓が期待される熟年むけ製品やサービスは高年社員によって実現されるからである。
これまで見落としてきたこの国の「地域」がもつ良さを探しながら、「パラレル・ライフ(ふたつの人生)」を過ごして高年期人生に道筋をつけること。一人ひとりがなお現役として活動をつづけ、穏和で安定した高年期への移行を成功させることに時代の要請があるのである。いまやおおかたの「団塊の世代」の人びとは、「団塊ミドル」から「団塊シニアへ」の移行を終えようとしている。 
「六〇歳代時めき人生」
「生涯現役」
 まだ世情では六〇歳代を定年・還暦後の「第二の人生」とか「余生」としているが、本稿では新たな暮らしの場を形成して経験や知識を活かした「第三期の現役生活」として認識している。蓄積してきた知識、経験、資産などを滞らせることなく活用し、「六〇歳代(シクスティーズ)時めき人生」として過ごすには、引きこもってなんかいられない。
「高年期の人生」を謳歌し「社会の高年化」を体現する。ことあるごとに「もう歳だから」とつぶやいてみずから力を削ぎ、老け急ぐのは何としたことか。五〇歳代の高年社員と力をあわせて「製品の高年化」や「職場の高年化」といった「企業内の高年化」にも参加する。高年期真っ盛りの時を迎えて、「秀(ほ)にして実らず」などということのないように、花が実となる時期にあって力を出さずに終わってなんかいられない。
 一〇年を超える不況の下でこわばってしまった巷の表層を割って入れば、同じ高年期にある人びとの多くは、「高年期のステージ」について語る同世代の人の熱い思いに必ず応じてくれるはずだ。なぜといって、あの大戦後の復興期の混乱と貧困をともにしのいで苦労してきた者同士なのだから。生き急いで「老成」にむかうことなく、みずからの持つ力を惜しみなく限りなく発揮して、目前に居座る手つかずの障害を乗り越えて、「高年期のステージ」の形成に努める昭和生まれの高年者を、ここでは敬愛の心を込めて「昭和丈人」と呼ぶ。ボルテージ(情熱の位相)を高めていえば、これから成熟期を迎える職域や地域生活圏のさまざまな場面で、「昭和丈人層」である高年者が「丈人力」を発揮することで形成していくのが「日本高齢社会」であるというのが、本稿の一〇年にわたる洞察によるゆるぎない結論なのである。自己目標の達成をめざす高年者の暮らしぶりは、その穏かな表情も、奥行きのある発言も、配慮の行き届いた行動も、青少年や中年者から羨ましがられるほどに魅力をそなえたものになるだろう。
七〇歳の「古希」を迎えても引き続いて職域・地域での役割を要請される立場にある人も多いだろう。「自己目標」がそのまま職域・地域にかかわるものであるなら、「生涯現役」としての道を歩むことになる。すでにこういう「七〇歳代(セブンティーズ)は生涯現役」コースをたどっている先達を周囲に見かける。 
*・*第四ステージからは意のまま人生*・* 
「高年後期は第四ステージ」
「晨星のような長命期」
おおよそのところ職域・地域での成果を後人に託しながら「自己実現の集大成」を果たすべく「高年後期(七五歳~)は意のまま人生」といった第四ステージを過ごす人びとも多い。このあたりからが人生の楽しみは定めに捉われることなく自ずからしてなるもの、つまりこれまで論じてきた「五つのステージ」とは多重の標準である「無為自化の人生」でもあるからだ。この老子のことばの意味合いはこの年齢までたどってきた人にとって、はじめて人生の達意のことばとして感得されるものだ。
「高年後期(七五歳~)」の階層の人生にかかわることなら、聖路加国際病院名誉院長で、みずからは百寿期に到達された「明治丈人」の日野原重明さん(一九一一・明治四四年~)の独壇場である。日野原さんは、六○歳からが「午後」の人生、とくに七五歳からの「高年後期」を創造的に意欲的に暮らし、自立した生き方を選択し、すぐれた文化を次代に引き継ぐ役を果たせる人びとを「新老人(ニュー・エルダー・シチズン)」と呼ぶことを提唱してきた。予防医学によって健康を管理し、リスク(危険因子)を避けながら積極的に生きる「新老人運動」の輪を広げている。「新老人」の活動エネルギーは、本稿がいう「丈人力」と重なる意味合いの表現と理解している。
そしてさらに誇るべきは「超高年(スーパー・シニア)期」ともいうべき「長命期」(本稿では八五歳~)を過ごしておられる人びと。明け方の空にいつまでも輝きつづける「晨星のような長命期」を迎えてこの階層となった「大正丈人」である方々は、一九四五(昭和二〇)年の敗戦には二〇歳から三三歳で遭遇し、奇跡ともいわれた戦後復興と成長の中核を担ってきた。熱い志を胸に秘めて、その道一筋に過ごしてきて、いまもなお多くの人びとが活躍しておられる。この「人生の第五ステージ」期にある先達の叡智に学ばなければ、国際的に注目される「日本高齢社会」の頂上(サミット)は成立しない。みずから主体者の列に加わって、未踏の「日本社会の高年化」の課題にともに臨みつづけてくれるだろう。 
「高年期三階層のステージ」
「尊厳とともに生きる」
「パラレル・ライフ期」(五五歳~)、「高年期」(六〇歳~)「長命期」(八五歳~)という「高年期三階層のステージ」を過ごしている高年者層の人びとが、家庭内・職域・地域で共有して形成する社会構造が「高齢社会」であり、この国独自の経緯をたどりながら存在感を示すのが総体としての「日本社会の高年化」の姿である。現状の世界標準である途上国主導である「若年・中年社会」が国際的に安定するように支援しながら、世紀中葉へむかっての国際的課題である「国際社会の高年化」を見据えて、先進諸国の高年者の人びととともにひとつ上の世界標準を成し遂げるために、「日本型モデル」を創出する。二〇世紀の奇跡といわれた「昭和時代」を担った人びとが、二一世紀初頭の奇跡といわれる「日本高齢社会」を、歴史的存在としての「昭和丈人層」として担う。すばらしい人生ではないか。
特別に変わったことをするわけではない。家庭内で、職域で、地域生活圏で、多種多様な経歴をもつ同世代の人びととの出会いを通じて、「人生の成熟」を実感しながら暮らすこと。愉快に日また一日を送れればそれでいい。
さまざまな分野で、それぞれの地域圏で、有名無名の水玉模様を形成して「高年期」を過ごして、若年層から敬愛を受けがら過ごすこと。「高年期三階層のステージ」をリンクして、だれもが高年者であること、さらに高年者になることに安心しつつ「尊厳とともに生きる」ことが実感できる社会をめざす。
「日本高年化社会」は、こうして全国の津々浦々に暮らす高年者の人びとのたゆまぬ営為によって成立し、世界平和へのメッセージとして国際的な評価を得ることになるだろう。それは「一生に一度行ってみたい国、日本」の成立を示す証しとなる。それは二〇世紀中葉の戦禍によって犠牲になった人びとのかなわなかった願いでもあった長寿の実現である。そこにいたるプロセスは二一世紀の「人類標準=ヒューマン・スタンダード」ともなりうるものである。