ふたつの県・市とともに
和歌山市と済南市
「一山一水一聖人」
済南市は、この三つを誇りとしている。山は泰山であり、水は黄河であり、そして聖人はいうまでもなく孔子である。これはさすがというほかない。
漢代にはすでに済南と呼ばれ、その中心都市として栄えてきた。済水の南の地だったのでその名があるが、いまの黄河が一八五五年に河道を移動して済水の河流に重なった。新石器時代の「竜山文化」の発現地で、歴史文化名城。市の花は蓮である。地下資源に恵まれており、機械、化学工業などが盛ん。農産物も豊かである。人口は約五七五万人。
ひとつの省・省都がふたつの県・県都と友好提携を結んでいる例は珍しい。山東省と省都の済南市が、和歌山県と和歌山市それに山口県と山口市と提携を結んでいるのがそれ。
山口市の場合は、一九七九年五月に山東省の青島市を出港した「中日友好の船」が最初に寄港したのが山口県下関だったことで、団長だった廖承志中日友好協会会長が山口、下関の双方に友好交流を提案したことが契機となった。下関市―青島市は七九年一〇月に友好都市になった。その後、八二年八月に山東省と山口県、八五年九月に済南市と山口市の提携へと進んだ。
一方の和歌山市の場合は、別のルートによる。
八〇年に発足した和歌山県日中経済交流協会が、友好関係をもつことで経済交流の可能性が大きいところして、山東省と済南市を斡旋したことから、和歌山県と和歌山市は、八一年になって山東省と済南市それに中日友好協会あてに友好都市提携の要望書を提出した。その後、代表団や書簡の交換を重ねて、八三年一月一四日に、和歌山市に済南市代表団を迎えて、宇治田*市長と李元栄市長が友好都市議定書に調印した。翌八四年四月には山東省と和歌山県の提携も成立した。といった経緯がある。
実務に当たった人びとの労苦が思われる経緯であるが、県、市、市民それぞれに特徴を持つ三省県・三市交流の成果が期待される。
和歌山市は、紀州五五万五千石の城下町である。紀の川と和歌の浦はよく知られた景勝の地。温和な風土と開放性、それに時代を画した人物、徳川吉宗、本居宣長、南方熊楠、松下幸之助らを輩出したことで知られる。関西国際空港にも近く国際的な発信拠点をめざす。人口は約三八万人。
両市の友好交流には、二一次*に及ぶ和歌山市友好訪中団の派遣、済南市友好経済貿易訪問団や民政視察団の来訪がある。歴史文物展や書画展といった文化事業、友好校の書画や手紙の交換、教師の訪問など教育部門も。「全国花いっぱい大会(二〇〇二年・世界大会)」への参加など。
二〇〇四年の二〇周年には、一月に済南市友好都市建設視察団が訪れ、お返しに一〇月には大橋建一市長を団長とする和歌山市友好訪中団が訪問して祝賀した。
〇五年七月には、和歌山県日中友好協会の招きで「山東省友好訪日団」がフエリーで下関へ、山口市で交流のあと和歌山市入り。授業参観や二胡の演奏などで交流を深めた。(二〇〇八年九月・堀内正範)