友好都市・風土が絆-「天府」の豊かさを基に 

「天府」の豊かさを基に 

甲府市と成都市  

「天府の国」といえば、自然条件が優れ、土地が肥沃で物産が豊かな地方をいうが、そのなかでも四川盆地はだれもが認める「天府の国」である。米、イモ類、菜種、柑橘、繭、茶、豚肉といった豊かな産物に恵まれている。その上で四川料理や薬膳がもてはやされることになる。その中心都市が成都である。

三国時代に天下人たりえなかったものの、優れた武将として名を馳せた劉備玄徳と軍師諸葛孔明を誇りとしている。

わが国ではどこか、ということになれば、山梨県と甲府市ということになるだろう。天然の要害に守られた盆地であること、伝統文化を大切して自立性を保っていること、天下人たりえなかったものの優れた武将としての武田信玄を誇りとしていることなど。地理・地形、歴史・伝統文化での類似性から共感をもって友好関係を築ける対象として、山梨県が四川省を、甲府市が成都市を選び実現をしたことは、自然の成り行きだったといえるだろう。

 甲府・成都両市の友好都市締結は、成都から代表団を迎えて、八四年九月二七日、胡懋洲市長と原忠三両市長が議定書に調印して成立した。山梨県と四川省の友好省県締結は、翌八五年六月一八日に成立している。

成都市は、四川省の省都であり、西南地区の産業、商業の中心地で、現在は外資系企業の進出も多い。それとともに二三〇〇年余の歴史をもつ古都である。北京までは北東二〇四八キロよく知られた三国時代の蜀の都で、二三四年に五丈原で没した諸葛孔明をまつる「武侯祠」は最大の観光名所。劉備の「漢昭烈廟」との君臣合廟だが、地元の人びとは孔明の才徳を慕って「武侯祠」と呼んでいる。ほかに唐の詩人杜甫に因む「少陵草堂」や道教の「青羊宮」が有名。〇六年の最優秀旅行都市に選ばれた。市の中心には〇七年に改修された「天府広場」がある。〇八年五月一二日には大地震に見舞われたが、成都市市内には被害はなかった。人口は約一〇四四万人。  

 甲府市は、歴史は古く、甲斐の国の中心として戦国時代の一五一九(永正一六)年に武田信虎が築城し、信玄はここに拠って天下統一をめざした。甲斐の府中としての甲府の始まりである。甲府駅前の信玄座像は市のシンボル。国際的には水晶研磨加工や彫刻工芸で知られ、ぶどうの産地である。人口は約二〇万人。

両市の友好交流は、農業では、ぶどうとそ菜の技術支援をおこない、九〇年には「日中友誼ぶどう園」が開園している。甲府市制一〇〇周年の八九年にはパンダのふるさと四川省から借り受けて「甲府パンダ展」を開催した。教育では小・中学校の友好校一〇校による作品交換や作品展も回を重ねている。経済交流も盛んで、技術研修生の受け入れや物産展、九六年には甲府商工会議所成都事務所を開設した。

二〇〇四年は二〇周年に当たった。九月二七日に成都市を訪れた宮島雅典市長と葛紅林市長の間で、相互交流をいっそう促進する新たな「交流事業協議書」が交わされた。〇七年七月には甲府商工会議所による「甲府ジュエリーフェアin成都」が開かれた。〇八年五月の大地震のあと、市内各界が義援金を送った。(二〇〇八年九月・堀内正範)