友好都市・風土が絆-洞庭の水駿河湾に連なる

洞庭の水駿河湾に連なる

沼津市と岳陽市 

「中日友好の船」の湖南省班が、一九七九年五月に沼津市を視察したことが両市の友好提携の契機となった。それと同時に、翌八〇年四月に沼津市出身で岳陽市に住んでいた福地愛子さんが戦後三五年ぶりに一時帰国した。その際に富士山の美しい姿と桜、「平和であることの幸福感」を痛感し、市同士の交流がベースとなって平和が守られると確信して庄司辰雄市長に面会、岳陽市との友好提携を強く訴えたことも見落とすことができない。

「昔聞く洞庭の水、今上る岳陽楼」
の杜甫の詩で知られ、屈原が投身した汨羅江がある名勝古跡のまち岳陽。両市の交流に庄司市長も賛同した。

岳陽市に戻った菊地さんは両市の関係者に手紙を書き、友好都市への井戸掘り役を務めた。その年の末に岳陽市から友好交流の意向と市民団体の来訪を希望する書簡が沼津市に届いた。庄司市長はすぐに対応して八一年五月、市長を団長とする市民有志が岳陽市を訪問し、みずから両市交流の足がかりをつくった。次いで沼津市議会有志が訪問、岳陽工業技術団の来訪、再び庄司市長が代表団を率いて岳陽市へ、沼津市議会の決議へと進んだ。

そして八五年四月五日、沼津市市民文化センターで、市民一五〇〇人余が見守るなかで、友好都市締結の調印式が催され、儲波市長と庄司辰雄市長が協定書にサインした。

沼津市は、秀峰富士を仰ぎ、駿河湾を望む景勝の地である。茶、みかん、養殖漁業のほか、立地条件や地域資源を活かして「キラリと光る」まちづくりをめざす。人口は約二一万人。

岳陽市は、湖南省の東北端にあって、西に洞庭湖に臨み、北に長江に接する水陸路交通の要衝である。三国時代には呉の守りとなった。城西門に当たるのが岳陽楼である。肥沃な土地で、茶(君山銀針)や漁業が盛んな観光都市。人口は約五二五万人。

両市の主な友好交流は、市代表団の相互訪問、各界の考察団や行政・看護・医療・教育などの研修生受け入れ、日本語教師・私費留学生の派遣。友好会館の設立、「龍舟祭」への参加、仏教・書画・スポーツ交流など。二〇周年に当たる二〇〇五年には、岳陽市代表団や愛知万博「岳陽の日」への参加団が沼津市を来訪した。沼津市からは市・市民代表団を送り、新たな発展を誓い合った。

「洞庭の水駿河湾に連なり、君山は遥かに富士山と対す。岳陽沼津は友好を結び、山高水長代々に伝う」(祖雄)

洞庭湖畔と富士山麓の両市の交流は、ゆったりと世々代々、着実に引き継がれていくだろう。(二〇〇八年九月・堀内正範)