北の大地と開拓者魂
札幌市と瀋陽市
北の大地――北海道。
一八六九年の北海道開道とともにその中心地としての地歩を刻んできた札幌。北海道には、全国各地からさまざまな暮らしの伝統や文化を持つ開拓者が移住して、進取の気性あふれる開放的な地域を形成してきた。
札幌市は、北方圏の拠点都市として、「世界とむすぶ高い文化のまち」(市民憲章)をめざしている。人口は約一八七万人。
一方、奉天府として清朝の陪都だった瀋陽。一六二五年に後金(のち清)を建てたヌルハチが盛京として都と定め、北京遷都後も陪都とし、奉天府を置いた。いまに壮大な瀋陽故宮が残っている。清末騒乱期の一九〇五年、日露争奪の大激戦地となり、双方で約一六万の戦傷者を出してついに日本側の勝利に終わった。三月一〇日に、日本軍は「奉天入城」を果たしたのだった(のち三月一〇日は「陸軍記念日」になった)。
さらにその後の三一年九月一八日には、北郊「柳条湖」での線路爆破が「満州事変(九・一八事変)」の勃発となり、全土に抗日運動が拡大した。瀋陽市には「九・一八事変陳列館」が設けられている。奉天時代に二度も日本軍の入城を経験しているまちなのである。製鉄の鞍山、石炭の撫順が近く、瀋陽自身も鉄、石炭、銅、鉛、ニッケルなど二〇種類もの地下資源を産出する。六路線が交差する鉄道交通の要衝である。いまは遼寧省の省都であり、多民族が共和して住む東北地区の中心都市である。人口は約七四〇万人。
平和の時代を築くための友好都市として、札幌市には「往来がしやすく、緯度が似通っている都市」という希望があり、東北地区の瀋陽市を対象とする交渉は、板垣武四市長が、七五年一一月に北海道市長会友好訪中団の団長として瀋陽市を訪れ、好印象を得たのが契機となった。
七九年五月に「中日友好の船」で札幌を訪れた孫平化副団長(中日友好協会秘書長)との話合いで双方の意向が確かめられ、往復書簡や訪問団派遣を重ねて実現に進んだ。八〇年八月に開設したばかりの中国の札幌総領事館は初しごととして取り組み、一〇月には札幌市議会も全議員提出による決議案を全会一致で可決して提携を進めた。
そして八〇年一一月一八日、両市の友好都市提携の調印式は、宋光市長ら瀋陽市友好代表団を迎えて、札幌市でおこなわれた。板垣武四市長と宋光市長が議定書に調印し、「永遠に輝く日中友好」と「中日友誼万古長青」の文字を染め抜いた友好旗を交換をおこなった。
提携後の友好交流は、寒冷地の水道・道路建設技術協力や市職員の相互派遣をはじめ、幼稚園から大学までの相互交流、障害者、労働組合、デパート、放送、観光、スポーツなど、さまざま分野におよぶ。往来には札幌―瀋陽を週二便の直行便が三時間で結んでいる。
二〇〇五年は二五周年にあたった。一一月には瀋陽市で記念式典が開かれ、「札幌の日」が設けられ、文化紹介や商談など、新たな交流にむけた活動がおこなわれた。
瀋陽市は川崎市とも友好都市提携をしている。(二〇〇八年九月・堀内正範)