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民主党再建への提案 2013・2・5
尾崎美千生 元毎日新聞政治部副部長 高齢社会NGO連携協議会参与
堀内正範 朝日新聞社社友 元『知恵蔵』編集長 web「月刊丈風」編集人
新世紀10年余にわたる「高齢社会対策」の不在
世界一の長寿国であるわが国の内閣総理大臣は、なぜこうも短命なのでしょうか。7年に7人。新内閣成立の時からそう決めているわけはないのに、決まってそういう経緯をたどっています。
これは異常事態ですし、これではまともな国政も外交も不可能です。まともな外国は、優れた日本民族のことだから「天災人禍」を乗り越えて復活するだろうと、時待ちをしてくれているのにちがいありません。
2012年の年末に政権交代があって、総理大臣が民主党の野田佳彦さん(55歳・1957年~)から自民党の安倍晋三さん(58歳・1954年~)に変わりましたが、残念ながらどちらの為政者にも、優れた先達に援軍を求めて難局を乗り切るという「高齢者参加による社会改革」構想はないようです。
人口比率で23・3%、3000万人に達したわが国の高齢者層(65歳以上)は、長年かけて培った技術・知識・経験・健康、そしてほどほどの資産を保持しています。もちろん医療・介護・福祉・年金といった基本的な「高齢者対策」は継続したうえでのことですが、これらの潜在力を社会的に有効に活かす暮らし方を提案するのは「高齢社会対策」であり、政治の側の役割です。
新世紀10年余にわたる「高齢社会対策」の不在が国力萎縮(デフレーション)の主要因だと説いても、国会議員のみなさんには理解がいかないようです。安倍総理の所信表明演説(2013・1・28)にも「高齢社会対策」はありませんでしたし、自民党政権の「負の遺産」としてなお解消されないまま。史上初・国際的に先行する「日本長寿社会(高齢社会)」の行き先を見定めえず、10年余の間みんなで霞が関の信号を渡ってきたものですから、「10年の失政」とは気づかず、その間に大きくなった潜在力を持つ高齢者の参加をだれも呼びかけないできたのです。
「人生90年時代」の「支える側の高齢者」(現役シニア)の登場
昨年6月に衆議院で、8月に参議院で「消費税増税」法案が採択されましたが、国会の際立った増税論議の一方で、目立たずに有識者と内閣官僚によって11年ぶりに新たな「高齢社会対策大綱」が閣議決定(9月7日)されました。
この改定大綱には、すべての高齢者が知るべき重要な指摘がなされています。それは、これまでの「人生65年時代」の「支えられる高齢者」像を改めて、「人生90年時代」の「支える側の高齢者」(現役シニア)を登場させて、高齢社会に関するさまざまな課題を解決する要件としていることです。
長寿として享受している65歳からの高齢期(65+25年)を、旧来のままの「余生」として送るのではなく、保持している知識・技術・経験・健康・資産を活用して、地域・職域に新たな「モノ・居場所・しくみ」をこしらえることを提言しています。一つひとつは小さくとも、これが総体としての「地域社会」の活性化、「日本長寿社会」の達成に寄与するという将来像を示して、一人ひとりの高齢者に「支える側の高齢者」(現役シニア)としての社会参加を求めているのです。
「ライフ・イノベーション」としての高齢社会
2009年の民主党大勝利は、高齢者層の期待の表現でもありました。
「官僚主導から国民主導へ」、「コンクリートから人へ」を訴えて政権党になった民主党は、「マニフェスト」では「ライフ・イノベーション」といいながら、残念なことに高齢者層の潜在力を重視した参画の呼びかけをせず、期待していた「支える側の高齢者」(現役シニア)層にとっては何のメッセージもありませんでした。
2009年10月の所信表明演説で、鳩山由紀夫首相は、「無血の平成維新」といって党の勝利を誇ったものの、ご自分もその一人である還暦・定年期の “若き高齢者”に参画を呼びかける発言はしませんでした。翌年1月の施政方針演説でも、「誰にもみとられずに死を迎える」いたましい事例を取り上げましたが、「支える側の高齢者」が参加する「日本長寿社会(高齢社会)」構想には触れずじまいでした。その後の党の「ライフ・イノベーション」の展開にも実質的進展はありませんでした。
菅直人首相もまた「強い社会保障」をいいながら、若い世代に後を託して去ることになりましたし、野田首相は「社会保障」の安定財源のための「消費税増税」には奮戦しましたが、実質的な「医療」「介護」「年金」「少子化対策」などの議論は有識者の「社会保障国民会議」にまかせざるをえませんでした。
「高齢者参加」による持続的な経済成長
安倍政権が掲げる金融と財政によるアベノミクス効果は一過性のものであり、その反動を食い止めて成長を持続するには、国民の持続的な活力のフォローが必要です。これは衆目の見るところです。
その潜在力はこの国のどこにあるのでしょうか。
成長力というと、若者による「成長」活力ばかりが強調されますが、年々増えつづけて3000万人に達した高齢者のみなさんによる「成長・成熟・継承」への活力を軽視・黙止していないでしょうか。
政治の側からの後押しのない中で、熟年技術者は個別には国の内外で力を発揮しています。それぞれの分野で保持している“ものづくり”技術は、海外進出企業の現地社員への技術伝授に活かされていますし、さまざまな個別の“匠”の技術はアジア途上国の人びとの生活を豊かにしています。国内では、「百均商品」にあきたりない生活感性の高い需要者のために、優れた国産品(地産品)の開発が進み、ケアやサービスや新しい居場所づくりも展開しています。それらは次の世代の資産となるものです。
史上に新たな「高齢社会」の形成には政治の側のフォローが欠かせません。
「高齢者参加」を得て初めて「日本経済全体のパイ」は安定した姿をとりもどし、持続的な経済成長が可能になります。その時、内閣総理大臣は青少年・中年そして高年世代から敬愛されて、7年に7人という異常事態を脱して、「4年なお短し」として施政に取り組むことができるようになるでしょう。
その時にようやく、世界最速で高齢化が進んだわが国が、21世紀の潮流である「高齢社会」形成への成功モデルとして国際評価を得ることになります。