友好都市・産業の絆-世界をめざす二つの瓷都

世界をめざす二つの瓷都

有田町と景徳鎮市 

「世界・焱の博覧会」の会場は、その時、熱気に包まれた。一九九六年八月二八日、新世紀の「国際的な陶磁文化のまち・有田」をめざして、有田町が総力をあげて催した博覧会の会場で、多くの町民・観光客が見守る中で、有田町の川口武彦町長と景徳鎮市を代表して訪れた舒暁琴市長は、両町市の友好都市締結の調印式をおこなった。いっそう盛大になったのは、同時に韓国陶磁器文化振興会との間に友好団体協定が結ばれたからである。

日中韓三国の有名な陶磁器の生産地が交流を深めることによって、「伝統ある東洋陶磁器文化の発展の流れを促進していきたい」と、川口町長が力を込めて挨拶した歴史的な瞬間であった。

四〇〇年前に、朝鮮渡来の陶工(李参平)に学びながら、草創期の有田の陶工たちが炎の中に追求して極めた磁器「伊万里」は、時を経てふたつの著名な陶磁器の生産地を結ぶ絆となったのである。

景徳鎮市といえば、一〇〇〇年余の歴史をもつ陶磁器生産の「瓷都」である。人口は一三二万人。一四世紀の元末から明初に景徳鎮で焼かれた「染付磁器」が、長江を下って海路、ヨーロッパ、朝鮮、日本にもたらされて、その名を国際的なものにした。ドイツのマイセンと盛名を二分する世界的な陶磁器の産地である。

有田町は、人口約一万三〇〇〇人。景徳鎮には比すべくもないこぢんまりした町である。山合いに東西に伝統的な町並みが保存されている。西には「焱の博記念堂」のある「歴史と文化の森公園」が広がり、南にはドレスデンのツヴィンガー宮殿(陶磁コレクションで有名)を模した「有田ポーセリンパーク」がある。豊かな自然の中で、過去と現在の陶磁器の良品にふれながら、新しい「有田文様」を生み出す拠点づくりが進んでいる。春のゴールデンウイークに開かれる「有田陶器市」には町内四キロにわたって約七〇〇軒の店舗が並び、一〇〇万人近い人びとが訪れる一大イベント。秋は一一月に、泉山弁財天神社の大銀杏(樹齢一〇〇〇年、高さ四〇メートル)の色づく町で、「食と器でおもてなし」をテーマにした「秋の有田陶磁器まつり」がおこなわれる。

かつて一七世紀初め、有田の産品が船積みされた港「伊万里」の名で呼ばれた磁器を制作した有田の陶工たちは、それまでの景徳鎮の製品や朝鮮李朝の技法に学びながら、「赤絵」や「濁手」さらに「金襴手」など、独自の様式を確立してきたのだった。有田の三右衛門と呼ばれる柿右衛門、今右衛門、源右衛門窯がいまも伝統を引き継いで活躍している。
有田町は、ドイツの磁器の町マイセンとは一足早く、七九年に姉妹都市となった、景徳鎮市とも八〇年代から親善訪問団、景徳鎮陶器祭り視察、有田窯業大学校生研修(毎年)など、友好関係を積み上げてきた。

そして九五年一〇月、「景徳鎮陶器祭り」に参加した有田町訪中団に対して友好都市提携の提案がなされ、「焱の博覧会」での正式締結となった。
二〇〇四年一〇月、「景徳鎮一〇〇〇年」祭を記念して、景徳鎮市で世界陶磁博覧会が開催された。京都、瀬戸(九六年に友好都市に)とともに有田町も参加要請を受けた。

一八六八年のパリ万博で与えた美の衝撃を、どうやって現代に創出するのか。新世紀を迎えて、先人の先取りの精神を受け継ぎ、新しい有田が誇る陶磁文化を国内外に発信して、名実ともに「国際的な陶磁文化のまち」を築くという有田五〇〇年への挑戦は、いま始まったばかりである。(二〇〇八年九月・堀内正範)