新情報-蓮舫さん、高齢者まで仕分けするのですか

蓮舫さん、高齢者まで仕分けするのですか
堀内正範
朝日新聞社社友
高連協オピニオン会員 

◎ 第二〇回高齢社会対策会議 ◎ 

平成二三(二〇一一)年一〇月一四日(金)、朝八時一三分、首相官邸。
八時過ぎに官邸にはいった野田総理が中央の席について、定例閣議に先立って「高齢社会対策会議」(第二〇回)が開かれた。

「政府インターネットテレビ」でそのようすをみることができる。その映像では、金曜の定例閣議なら官房長官からだが、ここは担当大臣の発言から始まった。高齢社会対策担当大臣はだれか。知る機会がないから国民のほとんどが知らないにちがいない。
実は蓮舫議員の兼任なのである。

このところ全閣僚がメンバーであるこの会議は一年に一度、持ち回りですませてきた。『高齢社会白書』の内容となる「高齢化の状況及び高齢社会対策の実施状況」と「次年度高齢社会対策」の承認のためだが、閣議の前とはいえ閣僚がテーブルを囲んで開かれたのは一〇年ぶりに対策の指針である「高齢社会対策大綱」の見直しを諮るための重要な会議だったからである。

国際的高齢先進国であるわが国の「高齢社会対策」のトップが四四歳のマルチタレントであることを知って、いかにこの国の政治が実態から遠いところにあるかに驚かされるだろう。驚きを通りこして、呆れたり失望したり腹を立てたり・・などしているヒマはない。
蓮舫担当大臣のあのタテ板に水の趣旨説明がすべるように流れる。 

一〇年ぶりの「大綱」見直し 

[ おはようございます。ただいまから第二〇回「高齢社会対策会議」を開催いたします。本日は新しい「高齢社会対策大綱」の検討についてお諮りいたします。「高齢社会対策大綱」とは「高齢社会対策基本法」六条にありますように、政府が推進すべき高齢社会対策の指針です。お手元に参考までに配布をいたしました「高齢社会対策大綱」・・政府が推進すべき「高齢社会対策」の中長期的な指針として、平成一三年一二月に閣議決定されたものです。] 
遠く昭和六一(一九八六)年に「長寿社会対策大綱」としてまとめられ、平成七(一九九五)年の「高齢社会対策基本法」の制定のあと、平成八(一九九六)年に「高齢社会対策大綱」となり、世紀をまたいで前回の平成一三(二〇〇一)年の「大綱」の閣議決定。
昭和四二(一九六七)年に生まれて平成一六(二〇〇四)年初当選の蓮舫大臣。内閣特命担当大臣として、行政刷新、「新しい公共」、少子化対策、男女共同参画そして公務員制度改革の担当である。「高齢社会対策」は「共生社会政策」のもとでの政策課題として担当している。
 タテ板の水はまだ途切れない。 
[ 経済社会情勢の変化等を踏まえて、必要があると認めるときに見直しをおこなうものとされています。来年以降、団塊の世代が六五歳に達し、わが国の高齢化率がさらに伸びることが見込まれています。こうした経済社会情勢の変化を受けまして、政策面では本年六月三〇日に「社会保障・税一体改革成案」が取りまとめられたなどの進展がみられます。これらのことから、平成二三年度内の閣議決定を目途に、新しい大綱の案を作成することにしたいと思います。この点についてまずご了承いただけるでしょうか。]
ここまで一気に。
了承の声。
残念ながら、蓮舫大臣の発言には、前回の平成一三年の「大綱」の閣議決定の後も対策の背後で労苦して活動いる人の姿を想い、力を尽くして見直そうという気持ちの抑揚は感じられない。だから後ろに並んでいる担当官僚にも緊張感は生じない。朝早い会議のせいばかりではないだろう。
「声振林木」という成語がある。歌声が心に響き、あたりの林木をも振るわせるようすをいうが、蓮舫さんなら演技ででもできそうなところ。一〇年ぶりにやってくれるかと期待して検索した高齢者は、このあたりでまず意を削がれるのである。
[ それでは大綱の見直しに当たりまして、会長であります内閣総理大臣からお考えをお願いいたします。] 
蓮舫大臣にうながされて、野田総理が立つ。シャッターの音しきり。

「高齢者の消費の活性化」を視点に加える

[ はい。おはようございます。]
野田総理の発言・・ 。
野田さんは、このあとだれにも解りやすい胴上げ・騎馬戦・肩車の例を引いて、いずれはひとりがひとりの高齢者の面倒をみることになる「肩車型高齢社会」の困難な情景を思いながら説明する。しかもこの三つの例にまんざらでない納得の表情を浮かべて。
見直しに期待を持った高齢者なら、そのステレオタイプな「高齢者は被扶養者」という高齢者観に失望してしまう。自分の高齢者になったときの姿がわからないというこの若い総理に、「高齢社会対策大綱」のつくり直しができるのだろうか。まさにそういう先入観を見直そうという時なのに。
騎馬戦や肩車に乗っているのはだれ? 
世情をよく見てほしい。
いまや子や孫のめんどうをみているのは、高齢世代なのだから。孫たちの学習机や自転車、パソコン・・、子どもの住宅ローン、家族旅行・・。「オヤノコト」といいながら、準備する墓石だって支払いはオヤの方なのである。
そんなことを重ね合わせながら、あとを聞く。
 [ まさに人類史上、前人未到のスピードで高齢化が進んでいると思いますが、悲観的になるのではなく、高齢社会にしっかり向き合って、世界最先端のモデルを作っていくということが、この大綱作りの基本的な考え方になるだろうと思いますので、私のほうからは三点、基本的な視点を提示をさせていただきたいと思います。]
 いいね。高齢社会にしっかり向き合って、世界最先端のモデルを作っていくというあたりには同意できる。
だが、総理に「悲観的になるのではなく」といわれて、元気なシニアは戸惑わざるをえない。なぜ「悲観的」といわねばならないのか。五〇歳代はじめの人の感覚では、高齢者になること、高齢者であることがそれほど「悲観的」なことなのか。戸惑う間もなく、話は三つの基本的な視点に及んでいる。
 [ 一つは、高齢者の居場所と出番をどう用意するか、二つ目は高齢者の孤立をどう防いでいくか、三つ目は現役時代からどう高齢期に備えができるのか、・・以上三つが基本的な視点ですけれども、あえてもう一つ付け加えるならば、「高齢者の消費をどう活性化していくのか」ということも大事な視点ではないかと思います。]
基本的な三つの視点、「居場所と出番」「孤立防止」「現役時代からの準備」は、すでに言われてきた課題である。そこへ付け加えたのが、「高齢者の消費の活性化」。
スピーチでのこの発言の意図はどこにあるのか。
野田さんがいう「消費の活性化」は、世にいわれる黒字一四〇〇兆円の家計資産から赤字一〇〇〇超兆円の負債をかかえる国家財政への兆円の移動、つまり「消費税増税」にかかわってのことと憶測される。ねらいは家計貯蓄の多い高齢者層にある。しかし現役世代が考えているよりも高い生活感性を持つ高齢者層に、うるおいと充足をもたらすような製品(用品)の提供ができるかどうか。高齢者は、途上国製の百均商品(用品)にかこまれて、「やや高だけれども安心して使える国産優良品」の登場を待っているのは確かである。高齢者の暮らしを支えるモノの必要性に言及したことには注目しよう。努力なしの単なる消費税増税では高齢者は納得しないし、消費の活性化も起こらない。
 [ こういう考え方をもとに大綱作りについてのご議論をキックオフしていければと思いますので、よろしくお願いをいたします。]
 希望は失望へそして少しだけ希望へと折り返す。
蓮舫大臣の発言・・ 
[ありがとうございました。] 
これが、「政府インターネットテレビ」の映像と「首相官邸ホームページ、総理の動き」から起こした蓮舫大臣と野田総理の発言の細部である。会議は八時三一分に終わっているから、このあと一五分ほどのやりとりがあったようだが、ここではこれ以上の詳細な内容を必要としない。若く有能な大臣と中庸・凡庸を装う総理の発言と元気な六五歳+の高齢者の感想との間のギャップは、以上のように歴然としている。
そのあいだ終始途切れず、発言が聞きづらいほどに「シャリ、シャリ」とシャッター音がつづいていたが、どれほどの社が写真入り記事にしたかが気になった。
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◎ 六人の有識者で「大綱」を見直し ◎ 

二三年度中に結論を出す性急さ

よく聞くと、この第二〇回「高齢社会対策会議」で、決定者である蓮舫担当大臣は、大綱の見直しを「新しい大綱の案を作成する」とまでいっている。だが注意すべきは「二三年度中」という点で、すでにハーフタイムを過ぎている時期からどれほどの検討をして二三年度中に新しい大綱を作成しようというのか。 
まずは素案の原案を作るために設けられる「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会」の有識者委員の顔ぶれを見なければならない。
同じ「有識者会議」でも、他の分野と異なって高齢社会が対象なのだから、ここは大学の現役学者ばかりでなく、体現者である高齢者の代表、活動の実践者、シニア・グッズの生産者やサービスの提供者、団塊世代の代表、さらには東北の被災地でいまその課題に直面している人びとといった多方面の現場からの要望の集約が必要であろう。
前回の平成一三年の時の検討会委員は各界からの一三人であった。中間の平成一七年~一九年に「大綱見直し」の参考にする前提で開催された「今後の高齢社会対策の在り方等に関する検討会」(清家篤座長)では専門学者を中心に一〇人のメンバーが検討をおこなっている。その「報告書」は参考にすべきだが、だからといって一〇年ぶりの今回を「軽車で熟路」ですいすいとすませるわけにはいかない。もっと各界からの声を多く聞き、多くの国民に理解をしてもらう機会とせねばならないからである。
ところがどうしたことか委員は六人に減らされている。六人の有識者委員というのは、次の方々である。
 座長 清家篤 慶応大学塾長(1954~)
香山リカ 精神科医 立教大学現代心理学部映像身体学科教授(1960~)
関ふ佐子 横浜国大大学院国際社会科学研究科准教授
園田真理子 明治大学理工学部建築学科教授
弘兼憲史 漫画家(1947~)
森貞述 介護相談・地域づくり連絡会代表(前高浜市長)(1942~)
 前回座長であった清家塾長がいるとはいえ、このメンバーだけで見直しの素案を得ることに納得は得られないだろう。しかもわずか四回の会議で意見をまとめ、内閣府で整理して二三年度中に「高齢社会対策会議」に報告するという「快馬に加鞭」ぶりである。成案はすでに出来ているといわんばかり。
座長は当然のこと清家塾長が担当し、すでに一〇月二一日、一一月二五日と二度おこなわれている。このあと年明けの一月一二日には「素案」についての議論がなされ、二月二日には「報告書」のとりまとめをおこなうという。
 これでは高齢者を仕分けすることに
このプロセスと人選の決定者は、民主党のホシ・仕分けのオニ蓮舫担当大臣である。穏やかな学者の清家さんに「否(ノン)」という強さは求めづらい。しかも原則公開となってはいるが、これまでに新聞・TVでの一般情報で問題にされたようすはない。内閣府のホームページで経緯や資料や議事録を見ることはできるが、ほとんどの国民が知らないままで「見直し検討会」を終えようとしている。
すぐれた法改正ができたとしても、体現する国民が構想や対策の内容を知らず理解できずに、だれが実現してその成果を享受できるのか。
案に相違せず、一〇月二一日の「第一回検討会」の冒頭で、原口剛参事官から「高齢社会対策主要施策の推移」「高齢社会の現状」の説明ということで、さまざまな関連法や現状についての「非常にたくさんのデータ」の説明が「簡単」になされて、委員からは何の質問もなしに通過している。
こういうプロセスそのものを見直して、国民に周知する機会とせねばならないのに。これもやはり責任は担当大臣にある。
蓮舫さん、あなたは高齢者まで仕分けてしまうのですか。高齢者のひとり(一票)として異議あり! 検討未了として有識者の意見の追加聴取を求めます。
有識の人は学者ばかりではなかろう。 上に挙げたような現場の人びとのナマの声が聞きたい。ほかにもその発言に国民が耳を傾けるような人びとを検討会に呼んで意見を聞くこと。それが原則公開の意味である。そういう人びとの発言ならニュースになって多くの国民の知るところとなる。「皇潤」などの広告に出るような高齢ヒーロー・ヒロインの人びとの「出番」ではないのか。
とくに「3・11大震災」以後の現場で、高齢者がどう暮らしているのか。どういう仕組みをつくって動いているのか。何が必要なのか。実際に労苦して活動している人の声を仔細に聞くこと。
このまま進んで清家さんの整理にまかせることで「報告書」は作れるだろうが、それではこれまで労苦してきた先人に恥じ、これから苦労することになる後人にも恥じる結果になりかねない。衆知を集めて議論して広く知られる「新たな大綱」としなければ、増えつづけていまや三〇〇〇万人に達する高齢者に、新たな「高齢社会」の当事者意識は生まれず、参加の機会もつくれない。ここで社会参加の意識を生めないようなら、この国をここまで成し遂げた人びとの高齢期人生を、政治は見捨てることになる。
 蓮舫大臣、あなたは初会合の終わりに顔を出して、広い会議室で五人のメンバー(弘兼委員は二度とも欠席)とテーブルをはさんで坐ったとき、前例のない高齢社会に対する「新しい大綱」を仔細に検討し、成果を得て、責任者として国民に報告できるとほんとうに納得できたのでしょうか。
 前例のない「日本型高齢社会」を世界に先駆けて実現する高齢者。その多種多彩な人生への構想力に理解を持たない担当大臣として、このまま通すなら資格を問われざるをえない。野田総理は任命責任を問われることになる。
このところ「少子化・高齢化」を兼務することが慣例になっていたとしても、この際はそれにふさわしい人物を特任すべきであろう。与謝野馨さんはみずから申し出て「少子化担当大臣」をやったではないか。すぐれた担当大臣の特任、そうしてこそ「正心誠意」のこもった総理の意思表示となるのではないか。

国・自治体のこれ以上の対応の遅れは、「日本高齢社会」形成のチャンスを失うことになり、この国の高齢者の人生を丸ごと不幸にしかねない。

一月一二日開催のふたつの会に注目

この国の高齢者の人生を丸ごと不幸にする方向に向かっているというのは言い過ぎではない。何よりの証しは、一九九九年の「国際高齢者年」に全国的に展開した活動をまとめあげた総務庁高齢社会対策室のような導線の太い中央組織が壊滅状態であり、内閣府に「専任」でかまえる高齢社会対策担当大臣がいないことだ。

野田総理は、千里の道を遠しとはせず、まずはその第一歩を足下の内閣府構成メンバーの立て直しから始めること。高齢社会対策担当大臣、副大臣のもとに、専任の審議官、政策統括官、参事官などがそろった高齢社会対策のための太い導線を敷くこと。その上で一〇年ぶりの「大綱」の見直しを多くの人びとの参加を得て進めても遅くはない。中長期の新しい国づくりの指針として作成するはずのものだからである。そうあってはじめて、国際的にも誇れる「日本高齢社会」達成への道は緒につくのである。

平成一三年のあと、中間の平成一七年~一九年におこなわれた今後のための検討会、そして今回の有識者各委員がそれぞれの立場で提供した意見は貴重であり、その労を無視するわけではないが、もっともっと各界を代表する有識者の声を聞き、広く高齢者の意向を反映した素案が作成されねばならない。

全国の高齢者のみなさん、平成二四年一月一二日、蓮舫担当大臣のもとで内閣府で開かれる「第三回高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会」に注目してほしい。
そして同日同時に、近くの憲政記念館会議室で、高連協(高齢社会NGO連絡協議会)が開催する「高齢社会大綱の見直し」に対する「高連協提言」発表会を合わせ注目してほしい。(二〇一一年一二月二八日) 

 参考著書
『丈人のススメ 日本型高齢社会 「平和団塊」
が国難を救う』(武田ランダムハウスジャパン・
二〇一〇年七月刊)