友好都市・人物の絆-維新・革命の先駆を担う

維新・革命の先駆を担う 

鹿児島市と長沙市(湖南省)  

鹿児島市と長沙市は、ともに国の近代化の震源地となった歴史都市である。時代の転換期に命をかけて奔走した偉大な先駆者とともに、その原動力となった若者たちを提供したことでも類似の経緯を持つ。
薩摩にいて、世界の大勢を見ぬいて、日本近代化の先駆者となった西郷隆盛や大久保利通、そして長沙を拠点として中国の新時代を導いた毛沢東や黄興。時代の先方を見据えて立つふたつの像――鹿児島市立美術館脇の「西郷隆盛像」と長沙市博物館前の「毛沢東像」は、近代アジアを切り開いた偉丈夫像の双璧といえるであろう。

鹿児島市は、かつて平安時代に鑑真和上が上陸した遠い記憶を持つ。遣唐使船以来の交渉があった中国との友好都市締結には、早くから市民の関心が高かった。一九八一年には各界代表団が中国各都市を訪問し友好を深めた。それぞれ国の南方にあって、よく似た開放的な歴史都市である長沙市から八二年三月に提携の希望が伝えられて、先遣視察団を送るなどの準備にはいった。

友好都市締結の調印式は、一九八二年一〇月三〇日、鹿児島市に長沙市代表団を迎えて、熊清泉市長と山之口安秀市長との間でおこなわれた。その後、締結を記念して、長沙駅前公園に「友好和平の像」(八四年)が建てられ、桜島を望む天保山に「共月亭」(八五年)がそれぞれ落成している。

 長沙市は、湖南省の省都である。人口は約六一○万人。市域は湘江の岸辺にひろがる。産業としては陶磁器、刺繍、竹細工など伝統的なものも多い。湖南省博物館には世界を驚かせた発掘、二一〇〇年前の「馬王堆漢墓」からの出土品、漆器、織物、楽器、陶器、刺繍などが展示されている。毛沢東は、ここの第一師範学校に通い、省の図書館に篭って、ここで世界への目を開いた。日本の明治維新、西郷南洲にも関心をもっていた。

鹿児島市は、二〇〇四年一一月に一市五町が合併して、人口六〇万人を擁する新鹿児島市になった。噴煙を上げる桜島も市域にはいった。いうまでもなく島津七七万石で知られて薩摩藩は、近代日本の誕生に貢献した雄藩のひとつだが、西南戦争で西郷南洲を失うとともに多くの犠牲者を出した。こちらも薩摩焼酎や薩摩焼、大島紬、屋久杉工芸などといった伝統的な特産物が豊かな土地柄である。

これまでの友好交流は、交流協議にもとづく毎年の市代表団の相互訪問のほか、市役所の行政、水道、環境、観光、国際交流など各課への研修生、市立病院への医学研修生、農業実習生などの受け入れ、高校生の派遣、動物交換(鹿児島市からはシマウマ、チンパンジー、長沙市からウはンピョウ、レッサーパンダ)、さらに日本語図書の寄贈、中学生のスポーツ交流、など、さまざまである。
五年ごとの交流協議、周年記念式典で記念植樹や記念公演、マイクロバス(鹿長友誼号)の贈呈など、「心触れ合う温かみのある交流」をめざして実績を積み上げてきた。
とくに〇四年七月には、長年にわたる活動を祝って「長沙市・鹿児島市友好交流祝賀会」を長沙市で開催し、赤崎義則市長を団長とする各団体からなる友好代表団(六団体九〇人)が訪れて、新たな発展を誓い合った。

二〇〇七年の提携二五周年にあたり、それまでの交流実績二七〇団体・約四〇〇〇人の交流や協力を評価した上で、長沙市の譚仲池市長は、とくに「研修生たちは帰国後、それぞれの分野の中堅幹部となって活躍しています」というお礼のメッセージを寄せている。(二〇〇八年九月・堀内正範)