現代シニア用語事典-「九割中流」(大同)と国民意識

「九割中流」(大同)と国民意識
今世紀にはいって際立ってきた国民意識にかかわる重要な観点をひとつだけ確認しておきたいと思います。

いまは亡き人もふくめて、といっても記憶に残るほどの祖父母・父母たちとその世代の人びとのことですが、みんなが実直に粒粒辛苦して働いて、先の大戦後からこれまでの半世紀余の間にこしらえてきたこの国の資産は、社会資本にせよ個人資産にせよ、目を見張るものでした。
いずれの地域もモノも人も凸凹させずに、「冨を等しく分かち合いながら、等しく力を尽くして、ともに豊かになろう」という、わが国の先人が選んで目標とした「日本的よき均等性」の成果なのです。
平和裏に「九割中流」(大同)という生活実感が共有されていた時期が長くつづきました。この世界にも史上にも稀れな人生体験は、先人の叡智と努力に感謝して胸中に深く留めねばならないでしょう。その恩恵に応える道は、「平成再生」の内容をその時期に求めて回帰することにあります。
1995年制定の「高齢社会対策基本法」の趣旨にのっとり、1980年代まで各地域が保っていた地域特性のよさを、高齢者が中心になって再生することになります。
だれもが等しく貧しかった時代、若者たちを大都市へ送り出し、地元に残って貧しさや不便さに耐えながら辛苦した人びとがいました。国を思い、地域の発展を思い、家族を思って「誠意」を尽くした人びとの努力を無視しては、現状の公平な豊かさに対する理解の公平さを欠くことになります。
「善く行くものは轍迹なし」という先哲のことばがありますが、すべての業績を周囲の人に振り分けて轍の跡を残さず去っていった「善意」の人びとの姿を忘れることはできません。
かつて寺の鐘や指輪までを国のために拠出した「一億玉砕」意識の国民が、大戦後に一転して「民主主義」の国づくりを始めたときとは振り子が逆に振れているのです。
国より企業のこと、企業より家庭(マイホーム)のことを重視・優先するようになった人民は、国が超一〇〇〇兆円の赤字を抱える一方で、超一四〇〇兆円の家計黒字を保有するに至りました。
新世紀にはいって一〇年余、いまや先の戦時状況に近いところにまで国の財政は悪化しているのですが、人民は保有する家計資産を税として率先して納めようとはしません。近づく破綻を予見して国会が「国難」をいい、超一〇〇〇兆円の財政赤字を担保している家計黒字から補填するため、「消費税」ほか増税の前倒しによって調達しようとしているのを、醒めた目でみているのです。「増税支持」という世論は本意ではないでしょう。
「地域生活圏」での互助や共助、知った者同士や地域住民同士の助け合いは、モノ・場・しくみそれぞれに身近で機能しています。地域の公助には、これまでの「均衡ある発展」に重ねて「個性ある地域の発展」へと変わる素地があります。地方首長の動向はその表出であり、国より地域への政策を市町村民が求めている証でもあります。
野田・谷垣党首討論での口裏を合わせた「消費税増税」を納得するほどには国民意識の振り子は国のほうには振れていないのです。そこで「大連合政権」「憲法改正」「君が代」「国軍」などといった国意識の醸成に向かう力が働くことになります。そのことを確認しておこうと思います。

現代シニア用語事典-「高齢社会対策大綱」の見直し

「高齢社会対策大綱」の見直し
内閣改造前日の平成二四年一月一二日に、内閣府では「高齢社会対策大綱」見直しの有識者検討会が開かれ、「報告書素案」について、清家篤座長(慶応大学塾長)など六人の委員による議論がおこなわれていたのです。内閣改造はニュースでしたが、こちらはニュースになったようすはありません。
一〇年ぶりの大綱検討の主な理由は、刻み目の年であるとともに、やはり「団塊の世代」が六五歳に達して、経済社会情勢に変化が見込まれるためというものです。(一〇月一四日「高齢社会対策会議」での蓮舫担当大臣の趣旨説明)
内閣府には五年前の有識者検討会など内部蓄積があるとはいえ、六人の委員で五回の会議での決着では、共生社会政策の一施策としてのあつかいの域を出ないものです。
香山リカ、関ふ佐子、園田眞理子さんの三人の大学研究者、団塊の世代の漫画家弘兼憲史さん、前高浜市長の森貞述さん、それに前回の見直しに座長をつとめた清家さんがいるとはいえ六人の委員。オブザーバーは厚労省、文科省、国交省の課長・参事官。閣議もできる広い円形の会議室がどよめくような将来構想をめぐる議論が展開できるでしょうか。
検討された「報告書素案」にも、「団塊の世代」をふくめて「人生九〇年時代」の高齢者意識の変化が指摘されています。全世代型の参画、ヤング・オールド・バランス(世代間の納得)、シルバー市場の活性化(野田総理の指示に応えて)、そして互助(顔の見える共助)の必要性など、支えられる側におさまらないアクティブ・シニアによって、「高齢社会」が実態として動くという認識が示されているのです。
その後の議論で、六五歳からが高齢者という基準そのものが実情に合わなくなっているという指摘がされて、これはニュースになりましたが、いま国際基準である六五歳を動かす議論は、問題の解決を複雑にすることになりかねません。
そして同じ一月一二日、内閣府にほど近い憲政記念館会議室では、高連協(高齢社会NGO連携協議会)による「高齢社会対策大綱の見直し」に当たっての「高連協提言」の発表会が開かれていました。高連協は一九九九年の「国際高齢者年」の活動を機に発足し、以来この一〇年余り、民間団体として一貫して高齢者活動の支援、実施に尽力してきました。
「高連協提言」はこう提言しています。
普遍的長寿社会は人類恒久の願望であり、高齢化最先行国として世界に示す施策とすべきこと、高齢者は能力を発揮して社会を活性化し充実感を持って生きること、就労の場の年齢差別の禁止、基礎自治体との協働、少子化社会対策、より良い社会を次世代に引き継ぐこと、そのほかを提案。将来像としては、世代間の平等、持続可能性等の観点から「釣鐘型社会」を想定しています。
参加者の議論があり、樋口恵子、堀田力両代表から提言者としての発言がありましたが、報道関係者の姿は少なく、これもニュースとして伝えられたかどうか。
「高齢化」は二一世紀の国際的課題として早くから予測されており、わが国でも一九八六年六月にはすでに「長寿社会対策大綱」を閣議決定(第二次中曽根内閣)しています。
その後、一九九五年一一月に「高齢社会対策基本法」を制定(村山内閣)し、対策の指針となる「高齢社会対策大綱」を一九九六年七月に閣議決定(橋本内閣)し、二〇〇一年一二月(小泉内閣)に見直しをおこないました。
そして今回、二〇一一年一〇月に野田内閣が一〇年ぶりの見直しを決めて、作業を進めている最中なのです。
高齢社会政策の中・長期の指針となる「大綱」そのものは、「報告書」を踏まえて府内で作成し、関係省庁の調整を終えて閣議決定されることになります。
決定する前にパブリック・コメントはもちろん、各界の「参加意識」を持つ高齢者が議論に参加する検討会を一般公開でおこなって、広く内容を告知する経緯を経ることも新しい動きに対応する手順のひとつとして想定されるのですが。 (まったなし「日本長寿社会」への展開 2012・3・11)
 

現代シニア用語事典ー「国際高齢者年」(一九九九年)

 「国際高齢者年」(一九九九年)のあと
みんなの関心を呼ぶイベントは一〇年不在 
唯一、「高齢社会対策」として国民に存在感を示したのは、一九九九年の「国際高齢者年」(International Year of Older Persons 1999)に、総務庁高齢社会対策室(小渕内閣)が中心になって関係省庁連絡会議を設けて、官民協働で全国展開をした関連事業のみといえます。
これはご記憶にある方も多いでしょう。ないとしたら「参加意識」が欠如していた証です。そして残念ですが、事業の趣旨が一般の高齢者にまで届かなかった証です。
国連が二一世紀に迎える国際的高齢社会を予測し、九〇年代の初めから各国に対処を訴えた活動でした。長寿で得た期間を生き生き過ごす「高齢者のための国連原則」としての、
「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」
という五原則や一〇月一日を「国際高齢者の日」とするといったメッセージが広報され、「すべての世代のための社会をめざして」がテーマでした。
当時、高齢者に関係する団体がこぞって参加し、地方公共団体が参加した広報・事業関係の実施件数は一〇八四件に及び、東京の二一一件をはじめ、北海道、埼玉、長野、大阪などでは五〇件をこえました。四月に知事に就任した石原慎太郎都知事も、一〇月一日の「国際高齢者年記念式典」で、
「この国を持ち直し、周囲からも尊敬される日本の社会をつくり直していくよう、お互いに頑張りましょう」
と訴えています。
この年に始まった「みんなの体操」や「エイジレス・ライフ実践者表彰」は継続していますが、一般の高齢者が参加する目立った活動がなく、一九八八年に始まった「ねんりんピック」のほかはニュースにはならなくなったのでした。
国民の高い支持を受けて登場した小泉純一郎首相が「所信表明演説」(二〇〇一年五月)でいったことばが、世紀初めの「高齢者意識」のありようを伝えています。
「給付は厚く、負担は軽くというわけにいきません」
といって、負担増だけを取り上げたのでした。その後も国民を代表する政治リーダーは一貫して高齢者を「社会の扶養者」として扱い、小泉発言の後追いをしてきたのです。
そのことに「高齢社会対策」担当の官僚が気づいていなかったわけはないでしょう。が、国民や政治の側からの要請が出なければ動くこともできず、三年ほどの担当期間を過ごして、厚労省などの部局にもどるだけのことでした。
この一〇年の間、自治体関係者や民間の人びとによるボランティア(無報酬)の献身的な活動はつづいてきましたが、増えつづけた高齢者の多くは、定年後を「余生」とする旧態依然の通念にしたがって日々を過ごしてきたといえます。
ウオーキングをし、釣りをし、ゴルフをし、パチンコをし、孫をみ、展覧会にいき、小旅行をし、仲間と安酒で会して誰彼の病状を憂え、テレビのニュースだけを拾い見し、貯蓄の目減りを心配して、「平成萎縮」のなかで自分も萎縮して暮らしてきたのではないでしょうか。
新たな「社会の高齢化」(aging)という状況に対する新たな対応、高齢者を「社会の扶養者」とみる「二世代+α型」社会であるとともに、高齢者を自立した対象とする「三世代同等型」社会への穏やかで緩やかな変容への対応、「AからB」ではなく「AとともにB」という多重型の対応を怠ってきた証なのです。そしてそれは、だれもが理解できる構想として掲げる役割を担う政治の側が負うべき「一〇年の失政」としてあったし、今もあるのです。
(まったなし「日本長寿社会」への展開 2012・3・11) 

現代シニア用語事典ーアクティブ・シニア(支える高齢者)

三〇〇〇万人に達した高齢者
アクティブ・シニア(支える高齢者)が登場 

わが国の「高齢者」(六五歳以上)は、昨年九月「敬老の日」恒例の発表によると二九八〇万人となり、今年は三〇〇〇万人に達します。これは単にボリュームが大台に乗るというだけではなく、日本社会に質的な変容をもたらすという意味で注目されているのです。
すでに話題になってご存じのとおり、今年から「団塊の世代」のみなさんが「高齢者」の側に加わります。両親から「平和のうちに生きて」という願いを託された毎年二〇〇万人余の戦後ッ子です。先の大戦での敗戦の後、昭和二二(一九四七)~昭和二四(一九四九)年に生まれた人びと。
昭和二二年生まれというと、ビートたけし、星野仙一、蒲島郁夫、鳩山由紀夫、千昌夫、荒俣宏、小田和正、北方謙三、西田敏行、池田理代子さんなどで、知識も技術も芸域も充実して、各界を代表する現役の人びとです。
平和ではあったものの平坦ではなかった六五年、戦後昭和の復興期から成長・繁栄期そして平成の萎縮期にいたるすべての局面を体験してきてなお元気で暮らしているみなさん。
「ごくろうさま」と声をかけたいところですが、むしろ気力を萎えさせずに、それぞれに蓄積してきた知識・技術・経験・資産を合わせ活かして、新たな存在である「支える高齢者」として過ごしてほしいと願うところでもあるのです。
現実に、長命の両親(母親のみかも)を介護して支え、子どもの住宅ローンを支え、孫の物品の面倒をみるという家庭内でもそうですし、すでに現れはじめていますが、「シニア・ビジネス」の展開によって、高齢者対象の本物指向のモノとサービスが内需を支えることになるからです。
そして何よりも、意識して「支えられる高齢者」ではなく「支える高齢者」でありつづけること。アクティブ・シニアとして、自分なりのライフスタイルを案出して、熟成期の「時めきの人生」を送ること。孤立せずに、水玉模様のようにいくつものコミュニティに参加して多彩に暮らすこと。そんな意識と暮らしの変化が、「長寿社会」のありようを左右すると推測されているのです。
総不況と大災害による「平成萎縮」のあと、「支える高齢者」層がリードする「平成再生」という局面が登場することになります。これがもたらす社会の質的な変容は、想像ではなくすでに構想の域にあります。
「長寿社会」の形成は、すべての世代(all ages)の人びとの参加によりますが、焦点を絞れば高齢者(older persons)が新たな形質を案出しながら達成する「すべての世代のための高齢社会」が中心になります。
高齢先進国の日本で、三〇〇〇万人の体現者がどういう新たな社会を創出するかは、「三・一一大震災」後の復興とともに国際的にも注目されるところです。
(まったなし「日本長寿社会」への展開 2012・3・11)