新情報- 「社会保障」関連法案の審議に異議あり-民主党政権の「高齢社会対策」担当大臣は9人目-

新情報―「社会保障」関連法案の審議に異議あり
-民主党政権の「高齢社会対策」担当大臣は9人目-
5月22日の「社会保障・税一体改革」法案審議で、民主党の「少子化対策」担当大臣が9人目という指摘が野党議員からなされて、これでも重要課題?というシーンがありました。そのひとりである岡田克也副総理が弁明につとめておりました。
が、もっとゆゆしきことには、「社会保障」の将来を論じ、国際的にも誇るべき「日本高齢社会」の将来構想を掲げて、その達成への対策を担当する「高齢社会対策」担当大臣もまた9人目であるということを、野党議員どころか多くの閣僚が知らないということなのです。(参考:福島みずほ、平野博文、荒井聡、岡崎トミ子、村田蓮舫、細野豪志、村田蓮舫、岡田克也、中川正春 議員)
そのひとり、年初の内閣改造時に兼任で担当となった岡田副総理は、知っていれば担当をつづけたでしょう。
これはいったいどうしたことでしょうか。
新世紀このかた10年余り、いかに「高齢社会対策」が置き去りにされ、この史上初であり国際的にも新たな課題に対して、構想力(政治生命)をかけて対応するような政治家がいなかった(少なかった)ことを示しています。「新世紀10年の失政」といって過言ではありません。
いま「日本高齢社会」を体現している3000万の人びと(65歳以上)の実態を知り、対策を講じつつその将来のありうべき姿への責務を担う「高齢社会対策」大臣の存在を無視したままで、高齢社会を支える「社会保障」の安定財源を論じる「消費増税」法案の審議がおこなわれているのです。
あまつさえ10年ぶりにおこなわれている「高齢社会対策大綱」見直しの仔細な内容に関心を示さない閣僚が居並ぶ内閣で、国際的に誇れる「日本高齢社会」の議論がまともにできるものでしょうか。この10年、いかに対策が不在だったかを知ることなく、高齢社会を論じ、社会保障を論じることなどできません。違和感を覚えます。
全国3000万人に達する高齢者(65歳以上)の姿をしっかり見据えて、保持している知識・技術・資産の参加を呼びかけて、各地・各界の「内需」を創出することによって、「増収」を伸ばす地域・職域の活性化をおこなうこと。それのない「増税」だけが先行する国会議論に、国民とくに高齢者は納得しないし支持しないのは当然です。
1999年の「国際高齢者年」このかた「日本社会の高齢化」の経緯を仔細に観察してきた一介のジャーナリストとして、10年余の「長寿社会構想の不在(政治不在)」を指摘せざるをえません。(堀内正範 2012・5・25/7・1)
 
 
「社会保障・税一体改革」法案審議に当たって
-民主党政権での「高齢社会対策担当大臣」は9人目です-
5月22日の「社会保障・税一体改革」法案審議で、民主党政権の「少子化対策担当大臣」が9人目という指摘が野党議員からなされて、これが重要課題?というシーンがありました。そのひとりである岡田克也副総理が弁明しておりました。
が、もっとゆゆしきことには、「高齢社会対策担当大臣」もまた9人目であるということを、閣僚すら知らないということなのです。そのひとりである岡田さんは知っていれば担当をつづけたでしょう。(参考:福島みずほ、平野博文、荒井聡、岡崎トミ子、村田蓮舫、細野豪志、村田蓮舫、岡田克也、中川正春 議員)
将来の高齢社会の安定財源を論じる「消費増税」法案の審議が、高齢社会対策大臣の存在を知らず、10年ぶり見直し中の「高齢社会対策大綱」の仔細な内容を知らない態様の内閣でできるのでしょうか。違和感を覚えます。
当事者である全国3000万人の高齢者(65歳以上)の姿をしっかり見据えて、保持している知識・技術・資産の参加を呼びかけて、各地・各界の「内需」を創出することによって「増収」を伸ばす地域・職域の活性化をおこなうことなく、「増税」を先行する国会議論に国民は納得しないし支持しないでしょう。
1999年の「国際高齢者年」このかた「日本社会の高齢化」の経緯を仔細に観察してきた一介のジャーナリストとして、10年余の「長寿社会構想の不在(政治不在)」を改めて指摘せざるをえません。(堀内正範 高連協オピニオン会員として提言 2012・5・25)

居場所づくり(地域大学校)-「いなみ野学園」

居場所づくり(地域大学校)
「いなみ野学園」にみる高齢社会の人材養成                       
市町村合併と人材養成のかかわり
これまでの自治体合併の大義のひとつは、地域の発展を担う人材の養成にあった。
「明治の大合併」のときには、わが村の小学校が合併のシンボルとされた。村立の「尋常小学校」は子どもたちに多くの夢を与えた。その夢はいつしかお国のためとなり、半世紀の後には戦争へと子どもたちを駆り立てていったが。
(300~500戸の村に1校。教育、戸籍、徴税、土木、救済など。7万1314町村が39市1万5820町村に。明治21=1888年~明治22=1889年)。
「昭和の大合併」のときには、わが町の中学校が合併のシンボルとされた。子どもたちは町立の「新制中学校」を卒業すると、地元に残るよりも都会へ出ていって国の復興と高度成長の担い手となった。
(8000人の町に1校。教育、消防、保健衛生など。昭和28=1953~昭和31=1956年。9868市町村が3975市町村に)
さて「平成の大合併」(1000基礎自治体、12万人をめざす)で、新しい市は何を教育のシンボルにしようとしたか。合併のステップからいうと、人材教育については、単純化していえば、レベルとしては「わが市の大学校」が期待された。ただし「少子・高齢化」時代の養成対象としては、長い高齢期を地域で暮らすことになる高齢者であることも予測された。すでに先進的な「高年者大学校」の事例(兵庫県「いなみ野学園」など)はあったから、将来の地域発展のために活躍する人材を育成するために、地域性を加味したカリキュラムで構成される「地域高年者(シニア)大学校」が合併協議のなかで検討されても不思議ではなかった。
しかし財政難のもとでの合併協議の課題は、「地方分権」「生活圏の広域化」「少子・高齢化」であったものの、「少子・高齢化」については、どこも将来の社会保障サービスの低下への危惧が指摘され、生涯学習の充実とシルバー人材センターの拡充が当面の対応とされたが、「国土の均衡ある発展」から「個性ある地域の発展」(まちづくり)のための高齢者の知識・技芸を活かした養成機関の検討が広くなされることはなかった。
「平成の大合併」といわれた全国規模の市町村合併協議は、平成18(2006)年3月に一段落した。平成11(1999)年3月にあった3232の市(670)町(1994)村(568)は、平成18(2006)年3月には1821の市(777)町(846)村(198)になった。合併特例法(新法)による県主導での第2ステージがその後も続いている。
自治体合併の成果はこれからである。地域の風土・伝統の特徴を知り、それを活かした地域の再生・発展をはかるのは、どこもこれからである。そのための高齢者人材は欠かせない。地域大学校の成立の遅速は、地域発展の差となって現れるだろう。
先進的な「地域シニア大学校」の事例
まずは県レベルでの成功事例を、兵庫県が全国に先駆けて昭和44(1969)年に開設した高齢者大学校である「いなみ野学園」(加古川市)に見てみたい。
4年制の「高齢者大学講座」それに2年制の「大学院」があって、約1400人の高齢大学生が学んでいる。
中心になっているのは、4年制の「高齢者大学講座」で、生涯学習を通じて仲間づくりをするとともに、新しい生き方を創造し、地域社会の発展に寄与できるよう総合的、体系的な学習機会を提供するのが趣旨。運営は財団法人兵庫県生きがい創造協会。
資格は60歳以上の県在住者。入学金6000円、学習・教材費年額5万円(平成24年度)。障害保険2000円。
登校日は週1日、年間30回で120時間。専門学科は「園芸」、「健康福祉(健康づくり)」、「文化」、「陶芸」の4学科。専門学科別学習と教養講座を履修する。
朝の体操(9:40)からはじまり、午前は教養講座、午後は専門講座である。
学園の昼の食堂周辺は人生論に花が咲く。また週1回(水曜)はクラブ活動の日。30種余。囲碁、園芸、絵画、華道、ゲートボール、コーラス、ゴルフ、茶道、詩吟、写真、書道、水墨画、短歌、社交ダンス、テニス、能面、俳句、舞踊、盆栽、民謡、謡曲、表装、歌謡曲、探訪、英会話、グラウンド・ゴルフ、川柳、インターネット、太極拳、手描き友禅、将棋など。
「いなみ野学園」の何が優れているのかというと、専門講座の4つの学科にある。
・健康福祉科(健康づくり科)―健康な高齢者がもっている興味と実状を含めて福祉の
方に組み込む。卒業生は健常な高齢者として体の弱い人たちとの交流、ボランティア
活動に積極的に参加。高齢者が元気で活動してくれることが自治体にとって負担がな
いことになる。
・文化学科―郷土の歴史、伝統、文化を守りながら勉強する。そこで、卒業生はそれぞ
れの地元の伝統や歴史を研究し守っていくようになる。まちの年中行事が安定して遂
行されるようになる。
・園芸学科―自分の庭の草花、菜園、果樹について学ぶ。自家のことに始まり、近所、
公園と緑のまちづくりに繋がっていく。卒業生が多くなるほど街の緑が豊かになり、
大事にされるようになる。(個人も学園も収益を得る活動が可能)
・陶芸学科―手作り技術が得意な人たちによる陶芸を中心にして、他の技芸のうえでつ
ながりを形成する。さまざまな意匠の集積にあたっている。作品によって収益をうる。
(個人も学園も)
それぞれのセクションの講座を学んだ人たちは同窓生として、60歳からの“生涯の友人”をえることができる。また自治体は卒業生が多くなればなるほど「まちづくり」の人材が豊かになる。教養講座ではタカラ・ジェンヌや地元新聞の論説委員や郷土研究者を講師に迎え、税金や財産管理、予防医学など高齢者が興味を持つものをとり上げて工夫をこらしている。
個人には高年期の知識・技術の豊かな人生を、一方で自治体にはまちづくりの人材が増えることになる「いなみ野学園」方式は、単なる生きがい学習で終始している各自治体が学ぶべき先進性をみることができる。
この高齢者大学校のメッカともいうべき「いなみ野学園」にも運営のむずかしさがある。2万4000円であった学習・資料費を一気に6万円にしたところ定員割れを生じたという(24年度は5万円)。ほかの理由もあるであろうが、官民協働による文化事業として継続するためには、一般県民が期待し納得のできる公的な成果が問われることになるのだろう。
「いなみ野学園」は、1999年の「国際高齢者年」にあたって、「いなみ野宣言」(1999年11月19日)をおこなっている。日本高齢者が国際的な視点をもって活動していた「いなみ野学園」があったことは、世界に誇るべきことである。
いなみ野宣言
ここいなみ野学園に集う私たちは、本年を「国際高齢者年」とする国連決議及び高齢者のための国連原則「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」を認識し、「すべての世代のための社会をめざして」意識改革と社会参加及び世代間の交流を図り、共生の精神を高揚させ、希望あふれる21世紀に向けて、次の宣言を行います。
1 高齢期に対する自己及び社会一般の意識改革に努めます。
高齢期に見られる消極的で固定的な意識を改革するため、積極的に多世代との交流を深め、信頼と尊敬を得るよう、夢や生きがいを持って行動します。
2 心身ともに健康で、自立した生活づくりに努めます。
スポーツや食生活の改善を積極的に行い、自他ともに身体的、精神的に自立する健康な生活づくりに努めます。
3 新たな自己発見、自己実現をめざし、社会に貢献するよう努めます。
生涯を通じて学ぶ喜びを持ち続け、自己の可能性を発見し、自己実現に努めながら、地域の文化、伝統を大切にし、永年にわたって身につけた知恵と経験を生かして新しい社会の創造に努めます。
4 地域の人と自然との共生に努めます。
地域の人々との絆を深め、すべての世代が共生する優しい社会づくりと、美しい自然に恵まれた環境づくりに努めます。
5 英知を集め、21世紀へ夢と希望をもって行動します。
平和、平等、人権、地球環境など広く国内外の課題に目を向け、生き生きとした21世紀ビジョンを抱き、夢と希望の灯を高く揚げて行動します。
いなみ野学園ホームページ http://www.eonet.ne.jp/~inamino/guid.html

特集-七十古希

特集「七十古希」 ことば・賀寿期・人名録
[ ことば ] 「七十古希」
「人生七十は古来稀なり」と詠った杜甫の詩「曲江」から七〇歳を「古希」と呼ぶようになったという。唐代より前に何といっていたかは知らない。それでも「七十古希」はすでに一二〇〇年余の経緯をもつことばである。古来稀れなのだから七〇歳はよほど稀れだったのだろう。杜甫自身は旅先で貧窮のうちに五九歳で没している。杜甫が望んで詠ってたどりつけなかったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。
杜甫の時代のみやこ長安は安禄山軍の侵入を受けて「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。杜甫は意にかなわぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒の付けは常にあちこちにあるけれど、あってほしい七〇歳は希にしかない)と有って困るものと望んでもかなわないものとを対比している。いまは酒もあるし古希もまれでなくなって両方がありあまる時代だからこの対比に味わいがなくても仕方がない。高級官人は七〇歳になると国中どこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたという。長安で生きた阿部仲麻呂は七〇歳を越えていたから立派な「古希杖」を拝受したことだろう。
ついでに「百齢眉寿」のこと。
「百齢」は百歳のこと。大正元年(一九一二)生まれの人がちょうど百歳である。わが国では百歳以上の人が五万人を超えてなお増えつづけており、いかに史上稀な長寿国であるかが知られる。「人生七十古来希なり」といわれ、七〇歳が長寿の証とされてきた。とすれば百歳ははるか遠い願望だったろう。「眉寿」は長寿のこと。老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて特徴となる。同じ唐の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願ったが、八〇歳を天寿として去った。それでも「七十古希」の杜甫は五九歳だったから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。
[ 賀寿期 ]
先人は見定めえない人生の前方に次々に賀寿を設けて個人的長寿のプロセスを祝福してきました。いまも「何何先生の賀寿の会」はそれぞれに祝われています。しかし一人ひとりではなく、六〇歳以上の約三九○○万人(65歳以上は約3000万人)の高年者が多くの仲間とともに暮らして、励まし合いながら一つひとつの賀寿期を過ごして百寿期を目ざすのもいい。
***
還暦期(還暦60歳を含む。六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(古希70歳を含む。七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(喜寿77歳を含む。七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(傘寿80歳を含む。八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(米寿88歳を含む。八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(卆寿90歳を含む。九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(白寿99歳を含む。九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上)  大正元年以前
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昨年は10月4日に日野原重明さんが「百寿期」に達して話題になりました。今年は4月22日に新藤兼人さんが到達しましたが5月29日に亡くなりました。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんが、傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さんが、そして古希期には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さんが到達しました。七〇歳になったからといって老成することはありません。ご覧のとおりまだまだ先があります。仲間といっしょに人生の新たな経験・出会いを楽しむ日々が待っているのです。
[ 古希期の人びと ]
紹介できるのは少数ですが、これだけの優れた人びとが、長年かけてつちかった知識・技能・経験そして築き上げた人格を保って活躍している姿がみえないような社会を「本格的な日本高齢社会」というわけにはいきません。
古希期(70歳~74歳) 昭和17年~昭和13年
1938(昭和13)年  74歳
伊吹文明(1・9 政治家) 大林宣彦(1・9 映画監督) 渡辺武信(1・10 建築設計) 大津美子(1・12 歌手) 野沢那智(1・13 演出家) 和田春樹(1・13 ロシア史) 細川護煕(1・14 政治家) 石ノ森章太郎(1・25 漫画家) 松本零士(1・25 漫画家) 加藤諦三(1・26 心理学) 鶴見修治(1・29 体操) 永井多恵子(1・30 放送文化) 加藤剛(2・4 俳優) 木村太郎(2・12 ジャーナリスト) 清水哲男(2・15 詩評論) 境川尚(2・18 横綱佐田の山) 中島誠之助(3・5 鑑定家) 梅宮辰夫(3・11 俳優) 庭野日鑛(3・20 宗教家) 三澤千代治(3・29 住宅建築) 島倉千代子(3・30 歌手) 近藤昭仁(4・1 プロ野球) 内藤正敏(4・18 写真家) 三宅一生(4・22 服飾デザイン) 鎌田慧(6・12 ジャーナリスト) 下村満子(6・17 ジャーナリスト) 吉田ルイ子(7・10 ジャーナリスト) 与謝野馨(8・22 政治家) 野依良治(9・3 化学者) 堀江謙一(9・8 冒険家) 西尾勝(9・18 都市行政) 佐々木幸綱(10・8 歌人) 石井幹子(10・15 照明デザイン) 小林旭(11・3 俳優歌手) 三留理男(12・1 報道写真) 鏡山剛(11・29 横綱柏戸)
1939(昭和14)年  73歳
吉田光昭(1・1 薬学) 藤村志保(1・3 俳優) 西田佐知子(1・9 歌手) ちばてつや(1・11 漫画家) 市岡康子(1・21 映像記録) 佐々木史朗(1・22 映画・TV) 湯川れい子(1・22 音楽評論) 黒田征太郎(1・25 イラスト) 丹羽宇一郎(1・29 経営者・大使) 佐久間良子(2・24女優)高田賢三(2・27 ファッション) 西部邁(3・15  評論) 栗林慧(5・2 写真家) 山本晋也(6・16 映画監督) 加藤紘一(6・17 政治家) 鈴木忠志(6・20 演出家) 吉行理恵(7・8 詩人) 海野弘(7・10 美術評論) 中村玉緒(7・12 女優) 辺見じゅん(7・26 歌人) マッド・アマノ(7・28 パロディ) 平沼赳夫(8・3 政治家) コシノジュンコ(8・25 ファッション) 利根川進(9・5 遺伝学) 森本毅郎(9・18 キャスター)  田部井淳子(9・22 登山家) 前田又兵衛(10・7 建設) 加茂周(10・29 サッカー) 橋本照嵩(10・29 写真家) 長田弘(11・10 詩人) 徳大寺有恒(11・14  ジャーナリスト) 内田裕也(11・17 ロック) 市川猿之助(12・9 歌舞伎俳優) 小川真由美(12・11 俳優) 水森亜土(12・23 イラスト)
1940(昭和15)年  72歳
加藤一二三(1・1 将棋) 沢渡朔(1・1 写真家) 津川雅彦(1・2 俳優) 三井康有(1・2 防衛問題) 唐十郎(2・11 劇作家) 中村敦夫(2・18 俳優・政治家) 森田公一(2・25 作曲) 上条恒彦(3・7 歌手) 大空真弓(3・10 俳優) 鳥越俊太郎(3・13 ジャーナリスト) 片岡義男(3・20 作家) 志茂田景樹(3・25 作家) 本橋成一(4・3 写真家) 小林研一郎(4・9 指揮者) 村松友視(4・10 作家) 村田幸子(5・14 アナウンサー) 王貞治(5・20 プロ野球) 荒木経惟(5・25 写真家) 石弘之(5・28 環境問題) 立花隆(5・28 評論) 大鵬幸喜(5・29 大相撲) 田中尚紀(6・19 政治家) 張本勲(6・19 プロ野球) 扇田昭彦(6・26 演劇評論) 山本圭(7・1 俳優) 浅丘ルリ子(7・2 俳優) 土居まさる(8・22 キャスター) 麻生太郎(9・20 政治家) 清水旭(11・3 詩人) 池内紀(11・25 ドイツ文学) 篠山紀信(12・3 写真家) 露木しげる(12・6 キャスター)
1941年(昭和16)年 71歳
稲越功一(1・3 写真家) 天地総子(1・3 俳優) 岩下志麻(1・3 俳優) 横路孝弘(1・3 政治家) 有田泰而(1・31 写真家) 大宅映子(2・23 ジャーナリスト) 小林克也(3・27 DJ) 上原明(4・5 企業経営者) 小林忠(4・11 日本美術) 市川森一(4・17 脚本) 萩本欽一(5・7 TVタレント) 樺山紘一(5・8 西洋史) 日色ともえ(6・4 俳優) 石坂浩二(6・20 俳優) 長山藍子(6・21 俳優) 倍賞千恵子(6・29 俳優) 後藤明(7・22  アジア史 ) 柄谷行人(8・6 文芸評論) 粉川哲夫(8・15 メディア論) 安藤忠雄(9・13 建築) 大内延介(10・2 将棋) 佐藤允彦(10・6 ジャズ) 三田佳子(10・8 俳優) 砂川しげひさ(10・11 漫画家) 広瀬悦子(11・9 バイオリニスト) 坂田栄一郎(11・16 写真家) 栗本慎一郎(11・23 経済人類学)
1942(昭和17)年  70歳
落合信彦(1・8 ジャーナリスト) 角川春樹(1・8 出版) 小泉純一郎(1・8 政治家) 嵐山光三郎(1・10 作家) 中谷巌(1・22 経済理論) 須田春海(1・24 市民運動) 今井通子(2・1 登山家) 秋山亮二(2・23 写真家) 山下洋輔(2・26 ピアニスト) 李麗仙(3・25 俳優) 北の海勝昭(3・28  横綱) 林海峯(5・6 囲碁) 大竹英雄(5・12 囲碁) 小沢一郎(5・24) 三枝成彰(7・8 作曲) 佐々木毅(7・15 政治学) 松方弘樹(7・23 俳優) 松本幸四郎(8・19 歌舞伎俳優) 石井志都子(8・31 バイオリニスト) 青木功(8・31 プロゴルフ) 尾上菊五郎(10・2 歌舞伎俳優) 正田修(10・11 企業経営) 島田祐子(10・12 声楽) 日野皓正(10・25 ジャズ奏者) 浜畑賢吉(10・29 俳優) 南部鶴彦(11・6 産業組織) 寺田農(11・7 俳優) 藤井林太郎(12・16 企業経営)

高齢者(3000万人)が「日本長寿社会」を担うとき

高齢者(3000万人)が「日本長寿社会」を担うとき 
政治家の構想力不在で「日本長寿社会」は10年遅れに
わが国議会(衆議院)は、2012年6月26日、「消費増税法案」の採決をおこないました。法案の衆議院通過に安堵したのは、国民ではなく成立につとめた財務省関係議員と財務省です。新世紀このかた10年余り、史上初であり国際的にも期待されている「日本長寿社会≧高齢社会」形成への構想を、わが国議会は衆議して国民に提案し、達成への参加を呼びかけることをしませんでした。無策できた「10年の失政」を顧みることなく、増税というしわよせを国民に、とくに高齢者層に負わせようとしているのです。それは政治家の構想力の不在によりますが、いうまでもなく国民の側とくに高齢者の沈黙の結果でもあります。
先の大戦後の日本社会を、粒々辛苦して復興し発展に尽くした人びと。その人びとの高齢期の暮らしに手厚く報いる「社会保障」(「支えられる高齢者」への医療・介護・福祉)では成果を積んできましたが、史上初で国際的には新しい「日本高齢社会」形成への対策としては見るべき成果がありませんでした。みんなが安心して暮らせる「高齢化社会」としては、構想としての活動がなかったのですから成果もありません。明らかな「政治不在」です。
「わが国は世界のモデルになりうる。何もしないまま極東の片隅で、お年寄りの多い元気のない国になるかの瀬戸際だ」(野田首相)などという発言はうつろに響きます。
年ごとに増えつづけて3000万人に達した高齢者(65歳以上)は、いまやみずからを成員とする「日本長寿社会」(「支える高齢者」層の主導による三世代同等多重型社会)の充実・達成にむかわねば、政治のツケを負ったうえ、若年層からは社会への無関心を責められることになります。
このまま進めば、さまざまなしわよせが高齢者層に迫ってくることが想定されます。高齢者への敬意が薄れ、尊厳を保って晩年を過ごすことができなくなります。その対応はいまや高齢者自身が存在感を高めておこなうよりありません。

3000万人に達する高齢者

 わが国の「高齢者」(65歳以上)は、昨年9月の「敬老の日」恒例の発表によると2980万人となっており、今年は3000万人に達します。これは単にボリュームが大台に乗って存在感を増すというだけではなく、日本社会に質的な変容をもたらすという意味で注目されているのです。
すでにご承知のとおり、今年から「団塊の世代」のみなさんが「高齢者」の側に加わります。先の大戦での敗戦の後、両親から「平和のうちに生きて」という願いを託された毎年200万人余の戦後ッ子。昭和22(1947)~昭和24(1949)年に生まれた人びと。
昭和22年生まれというと、ビートたけし、星野仙一、蒲島郁夫、鳩山由紀夫、千昌夫、荒俣宏、小田和正、北方謙三、西田敏行、池田理代子さんなどで、知識も技術も芸域も充実して、各界を代表する現役の人びとです。
「ごくろうさま」と声をかけたいところですが、ここではむしろ新たな存在である「支える高齢者」として過ごしてほしいと願うところでもあるのです。
平和ではあったものの平坦ではなかった65年。戦後昭和の復興期から成長・繁栄期そして平成の萎縮期にいたるステージを体験してきてなお元気で暮らしているみなさん。長命の両親(母親のみかも)を介護して支え、子どもの住宅ローンを支え、孫の物品のめんどうをみるという家庭内でもそうですし、すでに現れはじめていますが、「シニア・ビジネス」の展開によって、シニアを対象とする本物指向のモノやサービスで内需を支えることになるからです。 

アクティブ・シニア(支える高齢者)層が登場

これまでのような「支えられる高齢者」ではなく、「支える高齢者」として、それぞれ蓄えてきた知識・技術・経験・資産そしてみんなで豊かになろうという「大同意識」を合わせ活かして、熟成期の「時めき人生」を送ること。
水玉模様のようにいくつものコミュニティに参加して、多彩に愉快に自らのライフスタイルを案出して暮らすこと。そういうアクティブ・シニアの暮らしぶりが、「長寿社会」のありようを変えていくと推測されているのです。
総不況と大災害による「平成萎縮」のあと、「支える高齢者」層が推進する「地域・職域再生」という新たな局面が登場することになります。これが各地・各界にもたらす質的な変容は、推測ではなくすでに構想の域にあります。
みんなが安心して暮らせる「長寿社会」の形成は、すべての世代(all ages)の人びとの参加によりますが、焦点を絞れば高齢者(older persons)が新たに達成する「すべての世代のための高齢社会」がその中心になります。
世界のトップランナーである日本の3000万人の参加意識をもつ高齢者が、どういう新しい社会を創出するかは、「三・一一大震災」後の復興とともに国際的にも注目されているのです。(「まったなし”日本こ長寿社会”への展開」https://jojin.jp/429 ほかから 2012・7・1)

新情報-「高齢社会対策大綱」見直しが明かす10年無策

新情報-「高齢社会対策大綱」見直しが明かす 10年無策

第20回高齢社会対策会議
平成23(2011)年10月14日(金)、朝8時13分、首相官邸。
8時過ぎに官邸にはいった野田佳彦総理が会議場の中央の席について、定例閣議に先立って「高齢社会対策会議」(第20回)が開かれた。(「政府インターネットテレビ」でそのようすをみることができる)

金曜の定例閣議なら官房長官からの発議で始まるが、ここは担当大臣の発言から始まった。「高齢社会対策」担当大臣はだれか。知る機会がないから国民のほとんどが知らないにちがいない。実は蓮舫議員の兼任なのである。

このところ全閣僚がメンバーであるこの会議は、年に一度、持ち回りですませてきた。毎年発行する『高齢社会白書』の内容となる「高齢化の状況及び高齢社会対策の実施状況」と「次年度高齢社会対策」の承認のためだが、閣議の前とはいえ全閣僚がテーブルを囲んで開かれたのは、10年ぶりに対策の指針である「高齢社会対策大綱」の見直しを諮るための重要な会議だったからである。

国際的な高齢化先進国であるわが国の「高齢社会対策」のトップが、44歳のマルチタレントの兼任であることを知って、いかにこの国の政治が「高齢社会」達成への関心に乏しく、実態から遠いところにあるかに驚かされるだろう。驚きを通りこして、失望したり呆れたり腹を立てたり・・などしているヒマはない。

担当大臣は「仕分けのスター」蓮舫議員
蓮舫担当大臣のあのタテ板に水の趣旨説明がなめらかに流れる。
[ おはようございます。ただいまから第20回「高齢社会対策会議」を開催いたします。本日は新しい「高齢社会対策大綱」の検討についてお諮りいたします。「高齢社会対策大綱」とは「高齢社会対策基本法」六条にありますように、政府が推進すべき高齢社会対策の指針です。お手元に参考までに配布をいたしました「高齢社会対策大綱」・・政府が推進すべき「高齢社会対策」の中長期的な指針として、平成13年12月に閣議決定されたものです。・・]

遠く昭和61(1986)年に「長寿社会対策大綱」としてまとめられ、平成7(1995)年の「高齢社会対策基本法」の制定のあと、平成8年に「高齢社会対策大綱」となり、世紀をまたいで平成13(2001)年に「大綱」見直しの閣議決定。
蓮舫大臣は昭和42(1967)年に生まれて平成16(2004)年に初当選。内閣特命担当大臣として、「行政刷新」「新しい公共」「少子化対策」「男女共同参画」そして「公務員制度改革」の担当である。「高齢社会対策」は政策課題のひとつとして担当している。
タテ板の水はまだ途切れない。
[ ・・経済社会情勢の変化等を踏まえて、必要があると認めるときに見直しをおこなうものとされています。来年以降、団塊の世代が65歳に達し、わが国の高齢化率がさらに伸びることが見込まれています。こうした経済社会情勢の変化を受けまして、政策面では本年6月30日に「社会保障・税一体改革案」が取りまとめられたなどの進展がみられます。これらのことから、平成23年度内の閣議決定を目途に、新しい大綱の案を作成することにしたいと思います。この点についてまずご了承いただけるでしょうか。]
ここまで一気に。了承の声あり。
前回の平成13(2001)年の「大綱」の閣議決定の後も対策の背後で苦労している先人の姿を想い起こし、将来のために力を尽くして見直そうという気持ちの抑揚は、蓮舫大臣の発言には感じられない。だから後ろに並んでいる担当官僚にも緊張感は生じない。朝早い会議のせいばかりではないだろう。
「声振林木」という成語がある。歌声が心に響き、あたりの林木をも振るわせるようすをいうが、蓮舫さんなら演技ででもできそうなところ。10年ぶりにやってくれるかと期待した高齢者は、このあたりでまず意欲を削がれるのである。
[ それでは大綱の見直しに当たりまして、会長であります内閣総理大臣からお考えをお願いいたします。]
蓮舫大臣にうながされて、野田総理が立つ。シャッターの音しきり。

野田首相は将来の「肩車型高齢社会」を危惧
[ はい。おはようございます。]
野田総理の発言・・野田さんは、このあとだれにも解りやすい胴上げ・騎馬戦・肩車の例を引いて、いずれはひとりがひとりの高齢者の面倒をみることになる「肩車型高齢社会」の到来の情景を思いながら説明する。しかもこの三つの例にまんざらでない納得の表情を浮かべて。
見直しに期待を持った高齢者なら、そのステレオタイプな「高齢者は被扶養者」という高齢者観に失望してしまう。背負っているのがだれかという「実態」を知らないからだ。この人に「高齢社会対策大綱」の正確なつくり直しができるのだろうか。まさにそういう先入観を見直そうという時なのに。
騎馬戦や肩車に乗っているのはだれか?
世情をよく見てほしい。
いまや子や孫のめんどうをみているのは、高齢世代なのである。孫たちの学習机や自転車、パソコン・・、子どもの住宅ローン、家族旅行・・。

そんなことを重ね合わせ思いながら、あとを聞く。
[ ・・まさに人類史上、前人未到のスピードで高齢化が進んでいると思いますが、悲観的になるのではなく、高齢社会にしっかり向き合って、世界最先端のモデルを作っていくということが、この大綱作りの基本的な考え方になるだろうと思いますので、私のほうからは3点、基本的な視点を提示をさせていただきたいと思います。]
ここはいい。「高齢社会」にしっかり向き合って、世界最先端のモデルを作っていくというあたりには同意できる。だが、総理に「悲観的になるのではなく」といわれてしまうと、元気なシニアは戸惑わざるをえない。なぜ「悲観的」といわれねばならないのか。50歳代はじめのこの人の感覚では、高齢者になること、高齢者であることがそれほど「悲観的」なことなのか。戸惑う間もなく、話は三つの基本的な視点に及んでいる。
「高齢者の消費の活性化」を視点に加える
[ 一つは、高齢者の居場所と出番をどう用意するか、二つ目は高齢者の孤立をどう防いでいくか、三つ目は現役時代からどう高齢期に備えができるのか、・・以上三つが基本的な視点ですけれども、あえてもう一つ付け加えるならば、「高齢者の消費をどう活性化していくのか」ということも大事な視点ではないかと思います。]
基本的な三つの視点、「居場所と出番」「孤立防止」「現役時代からの準備」は、すでに言われてきた白書的課題である。そこへ付け加えたのが、「高齢者の消費の活性化」。
スピーチでのこの発言の意図はどこにあるのか。
野田さんがいう「消費の活性化」は、世にいわれる黒字1400兆円超の家計資産から赤字1000兆円超の負債をかかえる国家財政への兆円の移動、つまり「消費税増税」にかかわってのことと憶測される。
ねらいは貯蓄額の多い高齢者層の消費活動にある。しかし現役世代が考えているよりも高い生活感性を持つ高齢者層に、うるおいと充足をもたらすような製品(優良品)の提供がすみやかにできるかどうか。高齢者は途上国製の百均商品(日用品)にかこまれて暮らしてきて、いまや「やや高だけれども安心して使える国産優良品」の登場を待っているのである。高齢者の暮らしを支えるモノの必要性に言及したことには注目しよう。単なる消費税増税では高齢者は納得しないし、消費の活性化も起こらない。
[ こういう考え方をもとに大綱作りについてのご議論をキックオフしていければと思いますので、よろしくお願いをいたします。・・]
希望は失望へそして少しだけ希望へと折り返す。
蓮舫大臣の発言・・
[ありがとうございました。]
これが、「政府インターネットテレビ」の映像と「首相官邸ホームページ、総理の動き」から起こした蓮舫大臣と野田総理の発言の細部である。会議は8時31分に終わっているから、このあと15分ほどのやりとりがあったようだが、ここではこれ以上の詳細な内容を必要としない。若く有能な大臣と中庸・凡庸を装う総理の発言と元気な65歳+の高齢者の感想との間のギャップは、以上のように歴然としている。
そのあいだ終始途切れず、発言が聞きづらいほどに「シャリ、シャリ」とシャッター音がつづいていたが、どれほどの社が写真入り記事にしたかが気になった。
6人の有識者で「大綱」を見直し
よく聞くと、この第20回「高齢社会対策会議」で、決定者である蓮舫担当大臣は、大綱の見直しを「新しい大綱の案を作成する」とまでいっている。だが注意すべきは「23年度中」という点で、すでにハーフタイムを過ぎている時期からどれほどの検討をして23年度中に新しい大綱を作成しようというのか。
まずは素案の原案を作るために設けられる「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会」の有識者委員の人選を見なければならない。
同じ「有識者会議」でも、他の分野と異なって高齢社会が対象なのだから、ここは大学の専門学者ばかりでなく、体現者である高齢者の代表、活動の実践者、シニア・グッズの生産者やサービスの提供者、団塊世代の代表、さらには東北の被災地でいまその課題に直面している人びとといった多方面の現場からの要望の集約が必要であろう。
前回の平成13年の時の検討会委員は各界からの13人であった。中間の平成17年~19年に「大綱見直し」の参考にする前提で開催された「今後の高齢社会対策の在り方等に関する検討会」(清家篤座長)では専門学者を中心に10人のメンバーが検討をおこなっている。その「報告書」は参考にすべきだが、だからといって10年ぶりの今回を「軽車で熟路」ですませるわけにはいかない。もっと各界からの声を多く聞き、多くの国民に理解をしてもらう機会とせねばならないからである。
ところがどうしたことか委員は6人に減らされている。6人の有識者委員というのは、次の方々である。
座長 清家篤 慶応大学塾長(1954~)
香山リカ 精神科医 立教大学現代心理学部映像身体学科教授(1960~)
関ふ佐子 横浜国大大学院国際社会科学研究科准教授
園田真理子 明治大学理工学部建築学科教授
弘兼憲史 漫画家(1947~)
森貞述 介護相談・地域づくり連絡会代表(前高浜市長)(1942~)
前回座長であった清家さんがいるとはいえ、このメンバーだけで見直しの素案を得ることに納得は得られないだろう。しかもわずか4回の会議で意見をまとめ、内閣府で整理して23年度中に「高齢社会対策会議」に報告するという「快馬に加鞭」ぶりである。
座長は当然のこと清家塾長が担当し、すでに10月21日、11月25日と2度おこなわれている。このあと年明けの1月12日には「素案」についての議論がなされ、2月2日には「報告書」のとりまとめをおこなうという。 
回の会議で「報告書」は決着
年初の内閣改造前日の1月12日に、内閣府では「高齢社会対策大綱」見直しの有識者検討会が開かれ、「報告書素案」について、清家篤座長(慶応大学塾長)など6人の委員(弘兼委員は初参加)による議論がおこなわれていた。内閣改造はニュースになったが、こちらは10年ぶりの指針の見直しというのに、メディアの関心を呼んだようすはない。
10年ぶりの大綱検討の主な理由は、刻み目の年であるとともに、やはり「団塊の世代」が65歳に達して、経済社会情勢に変化が見込まれるためというもの。(10月14日「高齢社会対策会議」での蓮舫担当大臣の趣旨説明)
内閣府には5年前の有識者検討会など内部蓄積があるとはいえ、6人の委員で5回の会議での決着では、共生社会政策の一施策としてのあつかいの域を出ないものといわれてもしかたがない。
香山リカ、関ふ佐子、園田眞理子さんの三人の大学研究者、それに団塊の世代の漫画家弘兼憲史さん、前高浜市長の森貞述さん、前回の見直しに座長をつとめた清家さんがいるとはいえ6人の委員。オブザーバーは厚労省、文科省、国交省の課長・参事官。社会に大きな変容をもたらす時期にむけての中・長期的な指針となる「高齢社会対策大綱」を検討するには、少人数であり、閣議もできる広い円形の会議室がどよめくような将来構想をめぐる議論が展開できるだろうか。
提案された「報告書素案」にも、「団塊の世代」をふくめて「人生65年時代」から「人生90年時代」への高齢者意識の変化が指摘されている。全世代型の参画、ヤング・オールド・バランス(世代間の納得)、野田総理の指示に応えたシルバー市場の活性化、そして互助(顔の見える共助)の必要性など、現役シニアによって、「高齢社会」が実態として動くという認識が示されている。さすがにどれもナットクいく内容である。
その後の議論で、65歳からが高齢者という基準そのものが実情に合わなくなっているという指摘がされて、これはニュースになったたが、いま国際基準である65歳を動かす議論は、問題の解決を複雑にすることになりかねない。 
広く公開論議を尽くして中・長期の指針を
そして同じ1月12日、内閣府にほど近い憲政記念館会議室では、高連協(高齢社会NGO連携協議会)による「高齢社会対策大綱の見直し」に当たっての「高連協提言」の発表会が開かれていた。高連協は1999年の「国際高齢者年」の活動を機に発足し、以来この10年余り、民間団体として一貫して高齢者活動の支援、実施に尽力してきた。
「高連協提言」はこう提言している。
普遍的長寿社会は人類恒久の願望であり、高齢化最先行国として世界に示す施策とすべきこと、高齢者は能力を発揮して社会を活性化し充実感を持って生きること、就労の場の年齢差別の禁止、基礎自治体との協働、少子化社会対策、より良い社会を次世代に引き継ぐこと、そのほかを提案。将来像としては、世代間の平等、持続可能性等の観点から「釣鐘型社会」を想定している。
参加者の議論があり、樋口恵子、堀田力両代表から提言者としての発言があったが、報道関係者の姿は少なく、これもニュースとして伝えられたかどうか。
「高齢化」は21世紀の国際的課題として早くから予測されており、わが国でも1986年6月にはすでに「長寿社会対策大綱」を閣議決定(第2次中曽根内閣)している。
その後、1995年11月に「高齢社会対策基本法」を制定(村山内閣)し、対策の指針となる「高齢社会対策大綱」を1996年7月に閣議決定(橋本内閣)し、2001年12月(小泉内閣)に見直しをおこなった。
そして今回、2011年10月に野田内閣が10年ぶりの見直しを決めて、作業を進めている最中なのである。
この間の「高齢社会対策大綱」が指摘した対策の不在こそが「政治不在」として問われなければならない。
それなくして、高齢社会政策の中・長期の指針となる「大綱」そのものは、「報告書」を踏まえて府内で作成し、関係省庁の調整を終えて閣議決定されることになる。
これまでのように「支えられる高齢者」への対策ならそれでも許されるだろうが、多くの「ささえる高齢者」の参加が予見されるなら、決定する前にパブリック・コメントはもちろん、各界の「参加意識」を持つ高齢者が議論に参加する検討会を一般公開でおこなうなど、広く告知する経緯を経ることも、新しい時代に対応する手順のひとつとして要請されることになる。
(「まったなし”日本長寿社会”への展開」ほかから 2012・7・1)

新情報-NHK日曜討論・経済活性化の底力に「元気な高齢者」が登場

 NHK日曜討論 経済活性化の底力に「元気な高齢者」が登場
6月10日のNHK日曜討論スペシャル「消費増税と一体改革」の議論のなかで、肝心の経済活性化をすすめる底力として「元気な高齢者」がはじめて登場しました。「たちあがれ日本」の藤井孝男議員が経済成長をどう実現していくかで取り上げたもの。
藤井議員は、司会者から経済活性化への具体的提案を問われて、まずは財政出動によって老朽化したインフラ整備をおこなうこと、そして世界に例をみない高齢化社会なのだから、高齢者のみなさんが自立した環境をつくること、元気な高齢者が働くこと自立することによって、税収にもつながるし雇用の機会を増やすことにもなるという可能性を指摘したのです。
NHKの司会者もふくめて、各党の出演者が「社会保障」問題の根っこにまで想像力が及ばないなかで、高齢議員が政治生命をかけて国民に立ち上がりを求めている「たちあがれ日本」の藤井議員だからこそ、一歩先んじて高齢者の実態と実感に気づいているということでしょう。3000万人に達した高齢者(65歳以上)にとってこれからの展開に期待できる発言でした。いずれは潮流となってこの国を変えていくはずです。
他党の出演者があいかわらず高齢者は年金・介護・医療の対象としてしか見ていないなかで、「元気な高齢者」の存在に触れたことは画期的な発言なのです。それは「たちあがれ日本」には具体的で総合的な「高齢社会」設計ができあがりつつあることを推測させるものでした。
しかし司会者には藤井発言の意味合いが伝わらず、議論はその先には進みませんでした。藤井議員はまた高齢者・現役・将来世代という三世代の存在と負担配分のバランスの必要にも触れていたし、「社会保障・税一体改革」の必要は認めながらも、社会保障については1年ほどかけて議論して結論を出すべきであると提案していました。
増税と歳出カットは当然のこと、同時に経済成長をどうするかが熱く議論されなくてはならない時なのに、他党の議員からは具体的政策についてめぼしい提案はなく、民主党の前原議員は開国とくにアジアとの関係やイノベーション(環境と農業)に努力するという抽象的であいまいな答えしか用意できていなかったのが対照的でした。
本稿でも繰り返しますが、いま地域の再生、経済成長への潜在力は、若年層にではなく元気な高齢者層にあります。みんなが安心して暮らせる「日本長寿社会≧高齢社会」の形成とともに進める「内需」の展開にあります。「社会保障」を置き去りにして「消費増税」だけを先行させる議論は、将来の暮らしに不安を増すだけの「失政」であることを、全国の高齢者のみなさんは「衆心成城」の声として地元選出の「国会議員」に伝えてほしいと願っています。本誌は「警世の衆口一詞」の拠点として、政治家・官僚・学者・報道関係の方々に、本稿ほかを警醒の一石として投ずることといたします。
(堀内正範 2012・6・10)

「増税」は15年間の「高齢社会対策」不在のシワ寄せ

いま国政の場にいる政治家に言いたいこと。
国の財源安定のためには「増税」「歳出削減」「経済成長」の三要件を同時に議論する必要があります。当然のこと、「社会保障・税一体改革」(税改革)とともに「経済成長」による増収が見込める「日本長寿社会(≧高齢社会)」構想を論じるべきです。
焦点を絞れば「高齢社会政策」です。が、「高齢社会対策担当大臣」がだれかを知らず、「高齢社会対策大綱」の10年ぶりの見直し論議の推移を知らない議員(NHK日曜討論の出演者に聞いてほしい。NHKの解説委員もご存じないかも)が、「社会保障」を論じることに違和感を覚えます。
3000万人に達した高齢者(65歳以上)のうち7~8割の「支える高齢者」(長命の父母を支え、子どものローンを支え、孫の物品を支える)層の実態をみず、保持している知識・技術・資産の社会参加をもとめない「増税」先行の論議では、当事者である高齢者として何のメッセージも感じないし、支持のしようもないのです。
政界のリーダーは、1995年に「高齢社会対策基本法」を制定して以来、15年間の高齢社会対策の不在という「失政」を率直に認めて対処すること。そして高齢者のみなさんは、このままいくと、さまざまなシワ寄せが高齢者自身に押し寄せることを覚悟せねばならないのです。(2012・6・6)
 
 

新情報-こちらも同じく九人目の「高齢社会対策担当大臣」です

新情報―こちらも同じく九人目の「高齢社会対策担当大臣」です
2012・5・25 記
堀内正範 日本丈人の会代表 朝日新聞社社友
5月22日の「社会保障・税一体改革」法案審議で、民主党政権になって「少子化対策担当大臣」が9人目という指摘が野党議員からなされて、これが重要課題?というシーンがありました。そのひとりである岡田克也副総理が弁明しておりました。
が、もっとゆゆしきことには、「高齢社会対策担当大臣」もまた9人目であるということを、閣僚のだれもが知らないということなのです。(参考:福島みずほ、平野博文、荒井聡、岡崎トミ子、村田蓮舫、細野豪志、村田蓮舫、岡田克也、中川正春 議員)
そのひとりである岡田さんは知っていれば担当をつづけたでしょう。
こんな態様の内閣で、高齢者のための「社会保障・税一体改革」法案審議ができるのでしょうか。当事者である全国3000万人の高齢者(65歳以上)の姿をしっかり見据えて、参加を呼びかけて各地・各界の「内需」を創出することによって、GDPを伸ばす地域・職域の活性化をおこなうことなく、「増税」だけが先行する国会議論に国民は納得しないし支持しないでしょう。
1999年の「国際高齢者年」このかた「日本社会の高齢化」の経緯を仔細に観察しつづけてきた一介のジャーナリストとして、10年余の「長寿社会構想の不在(政治不在)」を指摘せざるをえません。
*******「人生90年時代」を生きる(「現代シニア用語事典」から)
賀寿期(高年期5歳層)のステージ
還暦期  六〇歳~六九歳  昭和二六年~昭和一七年
古希期  七〇歳~七四歳  昭和一六年~昭和一二年
喜寿期  七五歳~七九歳  昭和一一年~昭和 七年
傘寿期  八〇歳~八四歳  昭和 六年~昭和 二年
米寿期  八五歳~八九歳  昭和 元年(12月25日~)~大正一一年
卆寿期  九〇歳~九四歳  大正一〇年~大正 六年
白寿期  九五歳~九九歳  大正 五年~大正 元年(7月30日~)
百寿期  一〇〇歳以上   明治四四年以前
月刊「丈風」(別添)長寿社会推進のための拠点として刊行しております。
web「日本丈人の会」https://jojin.jp/ e-mail  mhori888@ybb.ne.jp

新情報-小論・まったなし「日本長寿社会」への展開

まったなし「日本長寿社会」への展開
堀内正範 朝日新聞社社友 
#小論『まったなし日本長寿社会』pdf

三〇〇〇万人に達した高齢者

わが国の「高齢者」(六五歳以上)は、昨年九月「敬老の日」恒例の発表によると二九八〇万人となり、今年は三〇〇〇万人に達します。これは単にボリュームが大台に乗るというだけではなく、日本社会に質的な変容をもたらすという意味で注目されているのです。
すでに話題になってご存じのとおり、今年から毎年二〇〇万人余の「団塊の世代」のみなさんが「高齢者」の側に加わります。先の大戦での敗戦の後、昭和二二(一九四七)~昭和二四(一九四九)年に生まれた約七〇〇万人の人びと。本稿がとくに「平和団塊の人びと」というのは、両親から「平和のうちに生きて」という願いを託された戦後生まれ(一九四六~一九五〇)の約一〇〇〇万人の人びとをいいます。
昭和二二年生まれというと、ビートたけし、星野仙一、蒲島郁夫、鳩山由紀夫、千昌夫、荒俣宏、小田和正、北方謙三、西田敏行、池田理代子さんなどで、知識も技術も芸域も充実して、各界を代表する現役の人びとです。
平和ではあったものの平坦ではなかった六五年、戦後昭和の復興期から成長・繁栄期そして平成の萎縮期にいたるすべての局面を体験してきてなお元気で暮らしているみなさん。
「ごくろうさま」と声をかけたいところですが、むしろ気力を萎えさせずに、それぞれに蓄積してきた知識・技術・経験・資産を合わせ活かして、新たな存在である「支える高齢者」として過ごしてほしいと願うところでもあるのです。
アクティブ・シニア(支える高齢者)が登場
現実に、長命の両親(母親のみかも)を介護して支え、子どもの住宅ローンを支え、孫の物品の面倒をみるという家庭内でもそうですし、すでに現れはじめていますが、「シニア・ビジネス」の展開によって、高齢者対象の本物指向のモノとサービスが内需を支えることになるからです。
そして何よりも、意識して「支えられる高齢者」ではなく「支える高齢者」でありつづけること。アクティブ・シニアとして、自分なりのライフスタイルを案出して、熟成期の「時めきの人生」を送ること。孤立せずに、水玉模様のようにいくつものコミュニティに参加して多彩に暮らすこと。そんな意識と暮らしの変化が、「長寿社会」のありようを左右すると推測されているのです。
総不況と大災害による「平成萎縮」のあと、「支える高齢者」層がリードする「平成再生・創生」という局面が登場することになります。これがもたらす社会の質的な変容は、想像ではなくすでに構想の域にあります。
「長寿社会」の形成は、すべての世代(all ages)の人びとの参加によりますが、焦点を絞れば高齢者(older persons)が新たな形質を案出しながら達成する「すべての世代のための高齢社会」が中心になります。
高齢先進国の日本で、三〇〇〇万人の体現者がどういう新たな社会を創出するかは、「三・一一大震災」後の復興とともに国際的にも注目されるところです。
「高齢社会対策」担当大臣って誰?
年初の一月一三日に内閣改造がおこなわれて、「高齢社会対策担当大臣が替わりました。
蓮舫議員から岡田克也副総理に替わったことに気づいた人はほとんどいなかったでしょう。後任の大臣本人ですら担当に気づかないほどに存在感が薄いのです。
高齢者をめぐって新しい動きが想定される大事な時期に、こんなことでいいのでしょうか?
「大器晩成」を座右の銘とし、仔細にしごとをこなす岡田さんのあの満面に疲れが居座っているような表情を見れば一目瞭然ですが、内閣府での岡田副総理の担当職務はあまりに多く、個人が担える範囲と量を越えています。
行政改革、社会保障・税一体改革、公務員制度改革・・就任後の新聞発表をみても少子化対策や男女共同参画までで、年々の大きな予算をかかえる事業をもたない「高齢社会対策」は、現状では共生社会政策(村木厚子政策統括官)の一施策あつかいで、表に出ることがありません。
そしてこれも知られないままに、「高齢社会対策大綱」の見直しがおこなわれています。蓮舫さんが引き継いでくれたとは思うのですが、その後の内閣府記者会見で岡田大臣からの説明はないし、内閣府づめの記者からも質問が出るようすがありません。だからニュースとして出ることもないし、知るべき高齢者が知ることもないままで推移しています。
内閣府共生社会政策の一施策でいいのか
高齢者が増えつづけている「高齢化社会」の時期なら個人対策としての医療、介護、年金などの充実で済みます。ところが高齢者が増えて社会的な対策が必要な「高齢社会」になれば、みんなが社会的存在であることを意識して対応しなければ、みんなが安心して暮らせる高齢社会は、いくら待ってもやってはこない。これは高齢者の側の意識の問題です。
高齢者意識を持つ人びとが増え、「団塊の世代」の人びとも加わって、経済社会的な変容が目立つようになり、対策を講じる必要が生じる。そこで「すべての世代のための長寿社会」を政策の柱に据えて、政治リーダーがこの国を活性化する国民運動を起こす。これは政治家の実行力の問題です。
国民が動き、政治が動く。急には専任の担当大臣までは無理としても、「高齢社会対策」を担当する部署が太い動線として対応できるかどうか。いまはなお併任ばかり。本格的な「大綱」の見直しとともに、それに対処する機構の拡充があってもいいところです。これは内閣府の問題です。
いまなお名のみの「高齢社会対策」。
これは先行指標をヨーロッパ先進各国に学んで追随する国の政策が、医療、介護、年金など高齢者対策としての「社会保障」に重点を置いてきた成果であり、結果なのです。これまでに先行事例のない「高齢社会」をどうつくるかは、各国がそれぞれに独自の条件の下で対処すべき問題です。
「日本が沈みつつあることを実感している」
と内閣入りにあたって岡田さんはいい、「なんとか歯止めをかけたい」ともいいました。
日本浮上の知恵と支援はまず優れた先輩に求めたらよいのです。周りの人はいうまでもなく、中枢に近寄らずに身を処す「山中宰相」ともいうべき賢人たちにです。
各地各界に生き生きした「長寿社会」を達成するために、広く知ってもらうこと。岡田さんならできることです。
こう記して期待した矢先(二月一〇日)に、中川正春担当大臣に替わりました。中川さんも就任後の記者会見で「高齢社会対策」にはひとことも触れませんでした。
政治の側の周回遅れは歴然としています。 
「国際高齢者年」(一九九九年)には全国展開

唯一、「高齢社会対策」として国民に存在感を示したのは、一九九九年の「国際高齢者年」(International Year of Older Persons 1999)に、総務庁高齢社会対策室(小渕内閣)が中心になって関係省庁連絡会議を設けて、官民協働で全国展開をした関連事業のみといえます。
これはご記憶にある方も多いでしょう。ないとしたら「参加意識」が欠如していた証です。そして残念ですが、事業の趣旨が一般の高齢者にまで届かなかった証です。
国連が二一世紀に迎える国際的高齢社会を予測し、九〇年代の初めから各国に対処を訴えた活動でした。長寿で得た期間を生き生き過ごす「高齢者のための国連原則」としての、
「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」
という五原則や一〇月一日を「国際高齢者の日」とするといったメッセージが広報され、「すべての世代のための社会をめざして」がテーマでした。
当時、高齢者に関係する団体がこぞって参加し、地方公共団体が参加した広報・事業関係の実施件数は一〇八四件に及び、東京の二一一件をはじめ、北海道、埼玉、長野、大阪などでは五〇件をこえました。四月に知事に就任した石原慎太郎都知事も、一〇月一日の「国際高齢者年記念式典」で、
「この国を持ち直し、周囲からも尊敬される日本の社会をつくり直していくよう、お互いに頑張りましょう」
と訴えています。
みんなの関心を呼ぶイベントは一〇年不在
『高齢社会白書(平成一二年版)』や『国際高齢者年の記録』(平成一二年三月、総務庁高齢社会対策室)にはその成果とともに将来展望が記されています。
この年に始まった「みんなの体操」や「エイジレス・ライフ実践者表彰」は継続していますが、一般の高齢者が参加する目立った活動がなく、一九八八年に始まった「ねんりんピック」のほかはニュースにはならなくなったのでした。
国民の高い支持を受けて登場した小泉純一郎首相が「所信表明演説」(二〇〇一年五月)でいったことばが、世紀初めの「高齢者意識」のありようを伝えています。
「給付は厚く、負担は軽くというわけにいきません」
といって、負担増だけを取り上げたのでした。その後も国民を代表する政治リーダーは一貫して高齢者を「社会の扶養者」として扱い、小泉発言の後追いをしてきたのです。
そのことに「高齢社会対策」担当の官僚が気づいていなかったわけはないでしょう。が、国民や政治の側からの要請が出なければ動くこともできず、三年ほどの担当期間を過ごして、厚労省などの部局にもどるだけのことでした。
この一〇年の間、自治体関係者や民間の人びとによるボランティア(無報酬)の献身的な活動はつづいてきましたが、増えつづけた高齢者の多くは、定年後を「余生」とする旧態依然の通念にしたがって日々を過ごしてきたといえます。
ウオーキングをし、釣りをし、ゴルフをし、パチンコをし、孫をみ、展覧会にいき、小旅行をし、仲間と安酒で会して誰彼の病状を憂え、テレビのニュースだけを拾い見し、貯蓄の目減りを心配して、「平成萎縮」のなかで自分も萎縮して暮らしてきたのではないでしょうか。
新たな「社会の高齢化」(aging)という状況に対する新たな対応、高齢者を「社会の扶養者」とみる「二世代+α型」社会であるとともに、高齢者を自立した対象とする「三世代同等多層型社会への穏やかで緩やかな変容への対応、「AからB」ではなく「AとともにB」という多重型の対応を怠ってきた証なのです。そしてそれは、だれもが理解できる構想として掲げる役割を担う政治の側が負うべき「一〇年の失政」としてあったし、今もあるのです。 
一〇年ぶり「高齢社会対策大綱」を見直し
実は内閣改造前日の一月一二日に、内閣府では「高齢社会対策大綱見直しの有識者検討会が開かれ、「報告書素案」について、清家篤座長(慶応大学塾長)など六人の委員による議論がおこなわれていたのです。内閣改造はニュースでしたが、こちらはニュースになったようすはありません。
一〇年ぶりの大綱検討の主な理由は、刻み目の年であるとともに、やはり「団塊の世代」が六五歳に達して、経済社会情勢に変化が見込まれるためというものです。(一〇月一四日「高齢社会対策会議」での蓮舫担当大臣の趣旨説明)
内閣府には五年前の有識者検討会など内部蓄積があるとはいえ、六人の委員で五回の会議での決着では、共生社会政策の一施策としてのあつかいの域を出ないものです。
香山リカ、関ふ佐子、園田眞理子さんの三人の大学研究者、団塊の世代の漫画家弘兼憲史さん、前高浜市長の森貞述さん、それに前回の見直しに座長をつとめた清家さんがいるとはいえ六人の委員。オブザーバーは厚労省、文科省、国交省の課長・参事官。閣議もできる広い円形の会議室がどよめくような将来構想をめぐる議論が展開できるでしょうか。
検討された「報告書素案」にも、「団塊の世代」をふくめて「人生九〇年時代」の高齢者意識の変化が指摘されています。全世代型の参画、ヤング・オールド・バランス(世代間の納得)、シルバー市場の活性化(野田総理の指示に応えて)、そして互助(顔の見える共助)の必要性など、支えられる側におさまらないアクティブ・シニアによって、「高齢社会」が実態として動くという認識が示されているのです。
その後の議論で、六五歳からが高齢者という基準そのものが実情に合わなくなっているという指摘がされて、これはニュースになりましたが、いま国際基準である六五歳を動かす議論は、問題の解決を複雑にすることになりかねません。
広く公開討議を尽くして将来構想を
そして同じ一月一二日、内閣府にほど近い憲政記念館会議室では、高連協(高齢社会NGO連携協議会)による「高齢社会対策大綱の見直し」に当たっての「高連協提言」の発表会が開かれていました。高連協は一九九九年の「国際高齢者年」の活動を機に発足し、以来この一〇年余り、民間団体として一貫して高齢者活動の支援、実施に尽力してきました。
「高連協提言」はこう提言しています。
普遍的長寿社会は人類恒久の願望であり、高齢化最先行国として世界に示す施策とすべきこと、高齢者は能力を発揮して社会を活性化し充実感を持って生きること、就労の場の年齢差別の禁止、基礎自治体との協働、少子化社会対策、より良い社会を次世代に引き継ぐこと、そのほかを提案。将来像としては、世代間の平等、持続可能性等の観点から「釣鐘型社会」を想定しています。
参加者の議論があり、樋口恵子、堀田力両代表から提言者としての発言がありましたが、報道関係者の姿は少なく、これもニュースとして伝えられたかどうか。
「高齢化」は二一世紀の国際的課題として早くから予測されており、わが国でも一九八六年六月にはすでに「長寿社会対策大綱」を閣議決定(第二次中曽根内閣)しています。
その後、一九九五年一一月に「高齢社会対策基本法」を制定(村山内閣)し、対策の指針となる「高齢社会対策大綱」を一九九六年七月に閣議決定(橋本内閣)し、二〇〇一年一二月(小泉内閣)に見直しをおこないました。
そして今回、二〇一一年一〇月に野田内閣が一〇年ぶりの見直しを決めて、作業を進めている最中なのです。
高齢社会政策の中・長期の指針となる「大綱」そのものは、「報告書」を踏まえて府内で作成し、関係省庁の調整を終えて閣議決定されることになります。
決定する前にパブリック・コメントはもちろん、各界の「参加意識」を持つ高齢者が議論に参加する検討会を一般公開でおこなって、広く内容を告知する経緯を経ることも新しい動きに対応する手順のひとつとして想定されるのですが。 

国民意識の振り子はどう動くか

今世紀にはいって際立ってきた国民意識にかかわる重要な観点をひとつだけ確認して先にいきたいと思います。
いまは亡き人もふくめて、といっても記憶に残るほどの祖父母・父母たちとその世代の人びとのことですが、みんなが実直に粒粒辛苦して働いて、先の大戦後からこれまでの半世紀余の間にこしらえてきたこの国の資産は、社会資本にせよ個人資産にせよ、目を見張るものでした。
平和裏に「九割中流」(大同)という生活実感が共有されていた時期が長くつづきました。史上にも稀れなこの人生体験は先人に感謝して胸中に深く留めねばならないでしょうし、「平成再生」の内容はその時期への回帰でもあります。
いずれの地も凸凹させずに、「冨を等しく分かち合いながら、ともに豊かになる」という、わが国の先人が選んで目標とした「日本的よき均等性」の成果なのです。
だれもが等しく貧しかった時代、若者たちを大都市へ送り出し、地元に残って貧しさや不便さに耐えながら辛苦した人びとがいました。国を思い、地域の発展を思い、家族を思って「誠意」を尽くした人びとの努力を無視しては、現状の公平な豊かさに対する理解の公平さを欠くことになります。
「善く行くものは轍迹なし」
という先哲のことばがありますが、すべての業績を周囲の人に振り分けて轍の跡を残さず去っていった「善意」の人びとの姿を忘れることはできません。
かつて寺の鐘や指輪までを国のために拠出した一億玉砕意識の国民が、大戦後に一転して民主主義の国づくりを始めたときとは振り子が逆に振れようとしているのです。
人民としてか市民としてか国民としてか
国より企業のこと、企業より家庭のことを重視・優先するようになった人民は、国が超一〇〇〇兆円の赤字を抱える一方で、超一四〇〇兆円の家計黒字を保有するに至りました。
新世紀にはいって一〇年余、いまや先の戦時状況に近いところにまで国の財政は悪化しているのですが、人民は保有する家計資産を税として率先して納めようとはしません。近づく破綻を予見して国会が「国難」をいい、超一〇〇〇兆円の財政赤字を担保している家計黒字から補填するため、「消費税」ほか増税の前倒しによって調達しようとしているのを、醒めた目でみているのです。「増税支持」という世論は本意ではないでしょう。
「地域生活圏」での互助や共助、知った者同士や地域住民同士の助け合いは、モノ・場・しくみそれぞれに身近で機能しています。地域の公助には、これまでの「均衡ある発展」に重ねて「個性ある地域の発展」へと変わる素地があります。地方首長の動向はその表出であり、国より地域への政策を市町村民が求めている証でもあります。
野田・谷垣党首討論での口裏を合わせた「消費税増税」を納得するほどには国民意識の振り子は国のほうには振れていないのです。そこで「大連合政権」「憲法改正」「君が代」「国軍」などといった国意識の醸成に向かう力が働くことになります。そのことを確認して先にいこうと思います。
史上初の「日本長寿社会」の形成へ
「二一世紀初頭の日本は、平和憲法のもとでの長い平和時代の証として、みんなが安心して暮らせる高齢社会を達成した。それは後れて高齢化を迎える諸国の規範とされた・・」
と、歴史学者は記すにちがいありません。
平和であること、衛生と医術と食生活の改良が日進月歩で進み、みんなが等しく豊かになることを願ってきたわが国の半世紀のプロセスは、世界に誇るべき例証です。
その方向でいまあるべき姿は、国政が「社会保障増税」の論議を繰り返すのではなく、「日本長寿社会構想(国策)を衆議し、国民に提案することなのです。
それなのに、です。
理想家肌の鳩山由紀夫首相の発言に期待したのでしたが、二〇〇九年一〇月の所信表明演説では「無血の平成維新」といって勝利を誇ったものの、高齢者に参画を求める発言はしませんでした。さらに「いのちを、守りたい」と訴えた翌年一月の施政方針演説でも、「誰にもみとられずに死を迎える」いたましい事例を取り上げましたが、ご自分が属する還暦・定年期の仲間に参画を呼びかける発言はなかったのです。
菅直人首相も「強い社会保障」をいうばかりで、若い世代に後を託して去ってしまいました。
呼びかけを期待していた「支える高齢者」層にとっては何のメッセージもありませんでした。
「シニア・ビジネス」(モノとサービス)も活性化
野田総理はチャンスを得ているのです。
昨年一〇月一四日の「高齢社会対策会議」で、一〇年ぶりの「大綱」の見直しに際して、「高齢者の居場所と出番の用意」「高齢者の孤立の防止」「現役時代からの備え」という三つの基本的な視点を示したあと、
「あえてもう一つ付け加えるならば、『高齢者の消費をどう活性化していくのか』ということも大事な視点ではないかと思います」(会長発言)
といって、「高齢者の消費の活性化」を視点に加えました。野田さんが求めてもぐった方向は間違ってはいないのですが、論点も行程もなお底を究めていないのです。
国民の暮らしの現場を、高齢者の視点で見てください。
「モノの日本化」によってアジア途上国の人びとが得る生活上の便利さ豊かさのために、日本の高齢者は、みずからは足踏みをして「百均商品(用品)」に囲まれながら、「暮らしの途上国化」に耐えて待ってきたのです。かつて自分たちがこの国でたどってきた道だからで、これから自らと途上国の将来の高齢者が必要とする「安心して使える優良品」を作り出すために、温存してきた知識と技術を活かすことになるのです。ですから元気で生活意欲の旺盛な高齢者に向かって、「生産と消費の活性化」(内需)への参画を期待するというのが論点であり行程なのです。
地産・国産優良品」が暮らしを豊かに
現役世代よりも生活感性の高いシニア世代が求める「地産・国産優良品」を、どこまで速やかに市場化できるか、同時にその対策ができない「消費税増税」では消費の活性化は起きません。
「安心して使える地産・国産優良品」の製造者は、消費者でもある熟年技術者のみなさんです。製造者であり消費者であること。このことにも留意しなければならないのです。「モノとサービスの高齢化」は、時代感覚のいい企業の側ではもう動き出しているのです。
シニア社員・社友が力を合わせた新企画・リニューアル企画による新製品の製造、「シニア・ビジネス」としての流通やサービスの展開、そして商品・サービスと高齢者を直接に結ぶ展示会など、経済成長を支える「内需」にむけた事業が進んでいます。熟年技術者による「地産・国産優良品」の製造は、高齢者にモノの豊かさを提供し、後れて高齢化する国々の高齢者にとっては「期待する日本製品」の創出でもあるのです。
これらによる経済刺激と展開が、「増税」よりはるかに大きな「増収」の成果を持続的に生むことは必定です。
「天恵」としての「地域の四季」を活かす
「大天災」を受けることで気づいた「天恵」としての「地域の四季」を大切にする暮らしの掘り起こし、1980年ころの「九割中流」と呼ばれた 豊かな地域生活圏を想い起こして、「支える高齢者」層がリードする「平成再生」の構想が明らかになれば、わが国の高齢者は高年期の人生の充足をめざした地域活動を活き活きと始めるにちがいありません。
家計資産については、およそ三分の一を留保した上で、次世代のための支援に三分の一を、「長寿社会≧高齢社会」達成のためのモノ・居場所・しくみづくりなどに三分の一を出資することが日常化し、次第に「三世代が等しく支え合う(三世代同等多重型)社会」の姿が見えてきます。
「ケア」については「社会保障」政策によって進んでいる「地域包括ケア」の充実と医療・介護・福祉関連の機器の開発と普及は欠かせませんが、暮らしの必需品それぞれに高齢者仕様の配慮が仔細になされることになるでしょう。
「支える高齢者」が関心を持つ「健康(からだ)」・「知識(こころ)」・「技術(ふるまい)」の三つの要素に特化した成果は、次世代に将来への安心を与える資産ともなるものです。 
政治基盤が揺れている
この国の政治基盤が揺れています。マグニチュードはかなり大きい。
明治維新、大戦後に継ぐ今世紀初頭の「第三の国難」に立ち向かう変革者あるいは救済者として、憂国高齢議員が政治生命を賭けて国民にたちあがりを求めているし、地方首長・議員が市民に決起を促しています。既成政党の内部でも、もちろん市民の間でも議論は渦を巻いています。
しかし「三・一一大震災」後もなお多くの国民は、「そんなに深刻ぶることはない」「世の中はどうなっても自分は大丈夫」と思って暮らしているし、TV画面ではエンタテイナー(楽しませる人)が明るくバカ騒ぎをしているし、放射能を気にしながらも日々の食卓にモノを欠くこともない。気づかない人びとが気づいたときにしか時代は動きません。
二〇〇九年八月三〇日の衆院選では、女性高齢者層の動向(オカン・パワー)が左右したといわれます。
結果は「官僚主導から国民主導の政治へ」を訴えた民主党が圧勝し、四八〇議席のうち三〇八議席をえて「政権交代」をなしとげたのでした。が、その勢いの裏で何が際立ったかといえば、時代の変化に反応しない高齢オジン議員に替わって、三〇~四〇歳代の新人議員が数多く呼集されて国会内が若返ったことでした。
「小泉チルドレン」が「小沢ガールズ」に変衣変性したにせよ、選挙戦略としては「若年化」を演出したことに変わりはありません。また大敗した自民党内からも総裁選で「世代交代」が声高に叫ばれて、「政界の若年化」をさらに進めようとする気配も濃厚でした。
本稿は、若い人びとのなかに単純な「世代交代」を求める風潮がこれ以上に強まるのを憂慮しています。なぜなら高齢者層をないがしろにすることで、社会全体のパイを小さくしてしまうからであり、年長者に敬意をもたない社会が長つづきするはずがないからです。そしてそのことに若い人びとが気づきようがないからです。
「先輩のみなさんが先の大戦後に苦労して築いてくれた社会を安定させるために努めますから力を貸してください」
こういうふうに時代を広く読むことができる若手政治家なら高齢者は求めに応じて支援に向かうでしょう。
時流は「平成維新」だが本流は「平成掘起」
いま時流は地方から国家変革をめざす橋下徹氏などの「平成(大阪)維新」を中心にして動いていますが、本流(潮流)は高齢者ひとりひとりが保持・温存している知識・技術・経験・資産を駆使して、地域特性を掘り起こし再生する「地域再生・平成掘起」なのです。その活動がみんな(三世代)が住みやすい生活圏の達成につながるからです。
そして何より人生の「尊厳」(dignity)を大切にして暮らしている高齢者は、これ以上に不安が増し、自分たちの肩身が狭くなるような社会を許すわけにはいかないでしょう。
「次の国政選挙はわれわれが左右します」
と明確な意思表示(オジン+オトン・パワー)をして、高齢者の意思が活かせる代表を選び出すこと。頼れるオカン・パワーを合わせて三〇〇〇万人(票)の「衆志成城」のときなのです。
安心して暮らせる長寿社会をつくるために、もっともふさわしい候補に一票を投じること。それが地域基盤をつくり直し、国民主導の政治をさらに一歩進めることになるからです。今度こそ、まったなしの「日本長寿社会」のために「参加」せねばならないのです。    (二〇一二年三月一一日+補)
堀内正範 ほりうちまさのり
朝日新聞社社友
本丈人の会代表 
経歴 昭和一三(一九三八)年一一月一日、東京都渋谷区生まれ。終戦の昭和二〇(一九四五)年に小学校入学。福島・群馬・東京の小学校4、中学校2を転校。都立両国高校、早稲田大学文学部卒業。朝日新聞社社友。元『知恵蔵』編集長。平成六(一九九四)年に早期退社して中原の古都洛陽市へ。洛陽は倭の奴国王や卑弥呼の遣いが訪れた日中交流の原点。洛陽外国語学院外籍教授を経て日本学研究中心研究員。国際龍門石窟研究保護学会本部顧問。高連協オピニオン会員。「S65+」顧問。「アジアの総合性」「日本型高齢社会」が課題。
『著書』
『丈人のススメ 日本型高齢社会 「平和団塊」が国難を救う』
(武田ランダムハウスジャパン 二〇一〇年七月 一五〇〇円・税別)
『洛陽発「中原歴史文物」案内』(新評論)
『中国名言紀行・中原の大地と人語』(文春新書)
『人生を豊かにする四字熟語』(ランダムハウス講談社)
『日本と中国』(日中友好協会紙)に「平和の絆・友好都市ものがたり」
のあと「四字熟語ものがたり」を連載中。
「講演」のテーマ
日本型高齢社会」(平和日本の証として)
「人生を豊かにする四字熟語」(先人の営為に学ぶ)
「地域大学校推進」(地域を発展させる高齢者人材の養成)
 

新情報-2012・春 緊急提案「増税」論議より前に「日本長寿社会」構想を!

2012・春 緊急提案

「消費税増税」論議より前に国民に希望を与えて
内需を呼び起こす「日本長寿社会」構想を!

「来日方長」(来たる日まさに長し)といえるようなこの国の明るい将来の姿を、なぜ国会は国民を代表して衆議しないのか。前倒し「増税」論議では国民の活力を呼び起こすことができない。特に「官僚主導から国民主導の政治へ」という国民の負託によって政権についた民主党は、国民主導の政治を貫くこと。
そのためには「社会保障・税一体改革」より前に、「内需創出」の重要な課題である「日本長寿社会」構想を掲げて議論を展開し、三世代がそれぞれに暮らしやすい生活圏(史上新たな三世代多重型社会)を形成するグランドデザインを提案すること。
総選挙は各地・各界の国民の意見を聴取・集約するためにおこなうこと。
*********
・いまの国会の「消費税増税」論議では国民の活力を呼び起こすことができない。
・「内需創出」の潜在力は、若者ばかりでなく、3000万人に達した高齢者(65歳以上)の7~8割を占める「アクティブ・シニア(支える高齢者)」層にある。
・「二世代+α型社会」(支えられる高齢者への社会保障)から、支える高齢者層の自立・参加による「三世代多重型社会」への穏やかで緩やかな移行(転換でなく多重化)。
・アジア途上諸国の民衆と近代化の暮らしを共有する「途上国産の百均用品」から、わが国の熟年技術者が製作する「国産(地産)の優良品」による暮らしの充実へ(内需)。
・若年世代(~50歳)による「国家改革・平成維新」とともに、新たに高年世代(50歳~)による「地域再生・平成掘起」が加わる。
・「自然の災害」(天災)に遭遇したことで確認することになった「自然の恩恵」(天恵)としての「地域の四季」を基本にした伝統的な暮らしの復活。
*********ごあいさつ 2012・4・29
1999年の「国際高齢者年」このかた10年余の「日本社会の高齢化」の経緯を仔細に観察しつづけてきて、いまや危惧よりも危機を感じています。一介のジャーナリストとしてですが、ここに小論「まったなし“日本長寿社会”」(下記web)を警世の一石として投じることといたしました。
構想(グランドデザイン)形成を担うべき立場にある政党・政治家、官僚、学者・研究者、公益型企業人、メディアの方々へは「緊急提案」としてお送りしています。
*********堀内正範
e-mail  mhori888@ybb.ne.jp
tel & fax  0475-42-5673 keitai  090-4136-7811
web 「日本丈人の会」https://jojin.jp/
blog 「茶王樹・南九十九里から」https://jojin.jp
〒 299-4301 千葉県長生郡一宮町一宮9340-8
関連著書 『丈人のススメ  日本型高齢社会 -「平和団塊」が国難を救う-』
256ページ 1500円(税別) 2010・7・1発行 武田ランダムハウスジャパン