「社会保障」増税と「高齢社会」構想

 新世紀になって10年余、だれもが「社会の高齢化」を実感しながら、だれもが暮らしやすい「高齢社会」へむかっているという実感がもてない、それどころか逆にさえなっている。「無縁社会」「孤独死」「白骨年金」・・・
 先の大戦のあと半世紀余、みんなが等しく豊かになることを願ってきた功労者のだれもが高齢者になった。みんなが等しく安心して暮らして、後人に将来を託して終わるという人生の帰結を思うのだが、そうなりそうにない。
 それがこの10年の「政治不在」(高齢社会構想の不在)にあるといったら言い過ぎだろうか。「強い社会保障」のために消費税導入をいう菅直人首相。それを「増税大魔王」と名指しで呼んで「減税」を掲げて勝利した河村たかし名古屋市長。河村さんのお国ことばはメディアに乗りやすく、各地の「統一地方選挙」の地盤をひたひたと潤している。なすことなく「増税」より先になすべきことがあるという訴えに、多くの国民(地域住民)は納得できるからである。
 この10年余、一介のジャーナリストとしてだが、わたしには「高齢化対応の政治不在」に関して胸中に滞らせてきた構想がある。
 それは「2世代+α型」(強い社会保障)社会から「3世代同等型」(強い高齢社会)社会への展開である。その展開の潜在力はどこにあるのか。それは60歳以上の高齢者(3900万人)が蓄積してきた知識と経験(技術)と資産にあるといったら、おそらく健丈な高齢者層のうち3分の1の人びと(1300万人)は率直に納得してくれるとわたしは信じている。知識と技術と資力を駆使して、「地域の特性」を活かしたモノ・場・しくみを高齢者みずからのために形成すること。それが「地域再生」であり、モノの新たな創出が「内需拡大」へとつながる。みんなが暮らしやすい「地域高齢社会」の創出をリードするのは、健丈な高齢者の主体性、体現者としての自覚であると、ここから強く訴えたい。
 高連協オピニオン会員 堀内正範 2011・3・7