Ⅱ#1老人か丈人か高齢者か
*・*「七十古希」から「百齢眉寿」へ*・*
「長寿社会」と「高齢社会」
「普遍的長寿社会」は人類の願望である。すべての個人にとって、健康で安心して暮らせる「長寿人生」が目標であることにも変わりはない。「長寿社会」というのは、青少年・中年・高年者すべてにかかわることがらであるが、「高齢社会」は高齢化に遭遇している高齢者が体現者として努めて形成する社会である。何も努めなければそれは「高齢者社会」でしかなく、次世代にとってはいずれ負担となる。三〇〇〇万人に達したわが国の高齢者(六五歳以上)が参加して形成する「日本高齢社会」は、わが国独自の経済、文化、伝統のもとで、独自のプロセスを案出しながら達成される。それは史上で世界で初の「高齢社会」であり、高齢化途上国にとってのモデルとなる。
「長寿時代のライフサイクル」
これまでライフサイクルというと「乳幼児期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つのステージ(年齢階層)として説明されてきた。だれもが経験的に知って納得していることだから間違いというわけにはいかない。しかしこの分け方は二五歳までに三つの階層があることからも知れるように、発達心理学からの階層分けであって、高齢期を暮らす人に配慮したライフサイクルではない。高齢時代には加齢学的な観点から、逆に高齢期に三つを配するといった階層分けを考慮する必要がある。ここでは二五年間ずつ三つのステージを「三世代」に等しく割り振りながら、高齢期を暮らす人の実感に配慮したライフサイクルを提案している。学問的にうんぬんするつもりはなく、実感として納得していただければいい。
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青少年期 〇歳~二四歳 自己形成期
バトンゾーン二五~二九歳 選択期
中年期 三〇~五四歳 労働参加・社会参加期
パラレルゾーン 五五~五九歳 高年準備・自立期
高年期 六〇~八四歳 地域参加・自己実現期
長命期 八五歳~ ケア・尊厳期
(自立・参加・自己実現・ケア ・尊厳は国連の「高齢者五原則」)
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といったあたりが、高齢者がみずからを顧みて納得できる「長寿時代のライフサイクル」といえるだろう。「バトンゾーン」というのは個人のライフ・スタイルによって生じる幅であり、青少年期にいれるか中年期にいれるか、モラトリアム期として過ごすかは個人が選択すればいい。「パラレルゾーン」というのは「パラレル・ライフ」(ふたつの人生)期にあることで、「高年準備期」である。窓際族なんかでヒマつぶしをしている時期ではなく、二五年の高年期を自分らしく生きる自己実現のための模索(自立志向)期でけっこう多忙なはずなのだ。「定年後は余生」などと考える旧時代の「老成」タイプの高齢者意識が、長寿時代のこの国の「高齢社会」形成に自然渋滞をもたらしている。「高年期」での地域参加・自己実現の二五年をどう体現して暮らすかの工夫が人生の差をつくることになる。もちろんその活動は、高齢世代みずからのものであるとともに次世代のためのものであり、可能な範囲でなお中年・青少年を支援するものでなければならない。別のところでも引用するが、「自分がその木陰で憩うことがない樹を植える」(W・リップマンのことば)という配慮を忘れないこと。
「賀寿期五歳層ステージ」
これはパイオニアとして「長寿時代」を暮らすための知恵であり、本稿のウリのひとつである。知ると知らないとでは高齢期人生に雲泥の差が生じる。前項の表の「高年期」と「長命期」をひとつひとつの「五歳層」に分けて、その年齢層らしく迎えては過ごす。なだらかな丘をゆっくりとマイペースでトレッキングするような爽快感があればいい。「定年」のあとを「余生」と決めて、孤独な不安にも耐えて生きるのが男の美学というならそれでもよい。いつ訪れるか知れない死はひとりのものだからだが、生き急ぐことはない。中年期のしごとがつらかったから遊んで暮らしたい、人間関係に疲れたからひとりになりたいという人の自由を奪うことなどできない。先人は見定めえない人生の前方に次々に賀寿を設けて個人的長寿のプロセスを祝福して楽しんできた。いまも「何何先生の賀寿の会」はそれぞれに祝われている。しかし六〇歳以上の約三九○○万人の高年者が多くの仲間とともに暮らして、励まし合いながら百寿期を目ざすのもいいではないか。
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還暦期(六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上) 大正元年以前
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昨年は日野原重明さんが百寿期に達して話題になったが、今年は新藤兼人さんが到達する。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんが、傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さん。そして古希には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さん。七〇歳になったからといって老成することはない。ご覧のとおりまだまだ先がある。仲間といっしょに人生の新たな出会いを楽しむ日々が待っているのである。
「七十古希」
「人生七十は古来稀なり」と詠った杜甫の詩「曲江」から七〇歳を「古希」と呼ぶようになったという。唐代より前に何といっていたかは知らない。それでも「七十古希」はすでに一二〇〇年余の経緯をもつことばである。古来稀れなのだから七〇歳はよほど稀れだったのだろう。杜甫自身は旅先で貧窮のうちに五九歳で没している。杜甫が詠ってたどりつけなかったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。
杜甫の時代の長安は安禄山軍の侵入を受けて「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。杜甫は意にかなわぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒の付けは常にあちこちにあるけれど、あってほしい七〇歳は希にしかない)と有るものと無いものとを対比している。いまは酒もあるし古希もまれでなく両方がありあまる時代だからこの対比に味わいがなくても仕方がない。高級官人は七〇歳になると国中どこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたという。阿部仲麻呂は七〇歳を越えて生きたから立派な「古希杖」を拝受したことだろう。
「百齢眉寿」
「百齢」は百歳のこと。大正元年(一九一二)生まれの人がちょうど百歳である。わが国では百歳以上の人が五万人を超えてなお増えつづけており、いかに史上稀な長寿国であるかが知られる。
「人生七十古来希なり」といわれ、七〇歳が長寿の証とされてきた。とすれば百歳ははるか遠い願望だったろう。「眉寿」は長寿のこと。老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて特徴となる。同じ唐の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願ったが、八〇歳を天寿として去った。「七十古希」の杜甫は五九歳だったから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。
「転結の青春期」
「日々これ青春」という人生があってもいい。大きな富士山型の山ひとつの人生ではなくて、二〇年ごとの起伏を繰り返す連山型人生として、八〇歳までに四つの青春を生きたひとりに数学者の森毅さん(一九二八~二〇一〇)がいる。八〇年間を二〇年ごと四つのリフレインを意識した点に創意がある。ここではひとつずつ山波ごとに次のような五つの特徴を付けて呼んでいる。
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初の青春期 〇歳~一九歳
起の青春期 二〇~三九歳
承の青春期 四〇~五九歳
転の青春期 六〇~七九歳
結の青春期 八〇歳~
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とすれば、森さんは「結の青春期」を過ごさずに山を下りたことになる。六〇歳からの「転の青春期」二〇年は、これまでに蓄積してきた知識や経験を活かして新たな人生展開を楽しみながら暮らすいい時期である。その成果によって「まとめ(結)の時期」もまた愉快なものになる。
「体志行の三つのカテゴリー」
家人がだれもいない時に、裸形の自分を三面鏡に映してみよう。六〇歳+のからだが眼前にある。上・下半身とながめて、男性なら腹部に女性なら胸部に手をやるのが自然なふるまい。そしてこんなものと納得するのが心の動き。この「からだ=体(健康)」それに「こころ・こころざし=心・志(知識)」それに「ふるまい=行(技術)」という三つが人間(人生)としての存在であり、この三つ以外にないというのが、東洋の哲学が教える人間(人生)観なのである。
そういう存在の意味合いが納得できるのは、やはり体のどこかに故障を生じ、行動が鈍くなり、物忘れが重なるといった自覚が現れる高齢期になってからのこと。そこから「体・志・行」に配慮した人生を始めればよい。健康に留意し、人生を通じて右片上がりの知識や技能をたいせつにして暮らすこと。この三つをバランスよく働かせることによって、高齢期の人生は楽しいものになる。
「青少年期」「中年期」の五〇年間に積みあげてきた健康や知識や技術や有形・無形の資産には差があり特徴がある。それらをバランスよく活かしながら暮らしている人が、敬愛すべき「現代丈人」のみなさんである。スポーツ界では「心技体」として認識されているのは、スポーツでは心の構えが技・体の差をつくるからである。高齢期が「体志行」なのは、体が志行を左右するからである。
*・*「老人力」から「丈人力」へ*・*
「日本列島総不況」
一九四五(昭和二〇)年八月一五日、三〇〇万人を超える犠牲者を出し、「国敗れて山河在り」という戦禍を残して大戦は終わった。戦禍はみんながこうむったが、とくに大正生まれの人びと(終戦時に二〇歳から三三歳だった)は、戦場で仲間を失い、一家の柱を失った家族を傍らに見て支え、運よく生き延びた思いを噛みしめて、恒久平和を骨に刻み、主権在民を心に銘じて、粒粒辛苦して働きづめに働いてきたのだった。
実直な立場からすれば、「昭和元禄」とか「飽食の時代」とか評されるような繁栄には違和感があったが、みんなが等しく貧しさを克服し豊かさを共有できる「社会主義的・平等主義的・自由経済の国」(大正人でソニー会長だった盛田昭夫さんのことば)としての成果をほぼ成し遂げたのだった。九割中流を実感した人びとである。
これから高齢期の人生を迎えようとしていた功労者を、「日本列島総不況」が襲ったのは、前世紀末のころだった。このことばを使って全国の中小企業への不況の到来を表現したのは、当時の経企庁長官だった堺屋太一さんである。
「がんばらない老人力」
働きづめに働いてきて、以後をどう暮らすかに思い悩んでいた高齢労働者を慰労してくれたことばが「老人力」(建築家の藤森照信さんと画家の赤瀬川原平さんによる命名)だった。人生の晩期を迎えて、衰えていく自分の姿をすなおに見極めながら、がんばりすぎずに巧みにクールダウンしてゆく自己認識の能力を「老人力」と呼んだ同時代人のことばに納得して、多くの高齢者はみずからの判断で体を休め、疲れを癒した。多くの人が納得することで、「老人力」は流行語になった。これは誤解のないように別の項で詳しく述べるが、戦争ののち一貫して加工貿易国として「丈夫で長持ちする」優れた中級製品を提供してきたわが国の丈夫で長持ちする熟練高年労働者が「がんばらない」ことが、遅れて追い上げてくる途上諸国の近代化のために必要だったのである。日本の高齢者が足踏みをすることで、この国に「若年化と女性化と途上国化」をもたらすことになった。新世紀になって、この国の「若年化と女性化と途上国化」が一段落したところで、現役としてなお社会参加をつづけようという熟年技術者が数多く登場している。「老人力」に収まらない積極的な活動を求める人たちである。
「老化モデル」と「丈人モデル」
五〇歳どころか「三○歳すぎれば右片下がり」に少しずつ老化・衰弱していくというのが、ごく一般の「老化モデル」として知られてきた。実際に体力の限界や視力の低下などで体験するものだから、だれもがそう思い込んでいる。それに変わりがあるわけではないが、それに重ねて、「人間は生涯を通じて発達する存在であり、機能低下は死の直前になって直角的に起こる」という「終末低下モデル」が示されている。学問的には「ジェロントロジー(加齢学・老年学)」というが、この統合的な学問分野から高年期に関する体系的で臨床的な成果が次第に明らかにされるだろう。人生を着実に歩んできたという自負をもつ高年者の方なら、生涯を通じて発達する能力を実感として認めることができるはず。生きる意欲を支えて生涯にわたって右上がりである能力を、本稿は「丈人モデル」と呼んで大切に扱っている。ここでの「老化モデル」と「丈人モデル」もまた、高年期の能力を理解する上での多重標準なのである。
「五十歳代パラレル・ライフ」
「人間五十年」をすぎれば、だれもが右片下がりの機能(老化モデル)があるのに気づく。髪に白いものが増えるし、人生での自分の到達点におよそ見定めがつく。その一方で、多方面にわたる経験や蓄えてきた知識によるバランスのよい判断や洞察、手づくり技術の錬磨、芸能・芸術の表現といった、生涯どこまでも発展・熟達する機能(丈人モデル)のあることにも気づく。そして何より人間(自己と他者)への想い、さらには歴史や伝統への関心と理解などといった、生涯どこまでも深化してゆく能力の存在を認めることができる。いまは「人間五十年」はそれを限りとしてというよりも、後半生への見通しをつける刻みとして、健康保持や人生設計といった観点での準備はじめの時として意識されている。ここいらあたりからが「ふたつの人生」である「中年期」から「高年期」へのパラレルゾーンであり、「高年者意識」のはじまりの時期といえよう。五○歳代後半が「中年期」から「高年期」へと移行するパラレルゾーンといっても、どちらに重心があるかは職域や地域に対する個人の意識の度合いによる。
いずれにしても体力も知力も技術力も資力も充実した六〇歳代の「時めきの人生」への準備期間なのだから、「窓際族」なんていわれて能力を確保するチャンスを閉ざして過ごすことはあってはならない。五〇歳代の人びとの停滞と萎縮は、一人ひとりの人生にとってマイナスであるばかりか、総体としての「日本高齢社会」達成のためにも手痛い損失になってしまうからである。
「三〇〇〇万人の衆志成城」
このまま推移したら、高齢者はどう扱われるのだろう。すでにあちらこちらで顕在化しはじめているように、中年者層の人びとに負担を強いることになって、経済のグローバル化で苦闘している中年世代を支援するという時代の要請にも応じられなくなってしまうのである。次第にはっきりしてきたことは、「格差」を容認することになった社会のもとで、公的支援や個人の善意のとどく限度を越えたところで広がる弱者への軽視・黙視。家族内のあるいは一人暮らしの「老齢弱者への虐待」の事例が潜在して増えることになる。
「こんな社会をつくるために苦労したわけではなかった」とつぶやきながらも、「でも自分の余生だけは」と考える。「こんな社会は許さない」(丈人モデル)ではなく「自分だけは」(老化モデル)という利己的な声を認めて沈黙するとき、「悪事は千里を行く」という通り魔的風潮がはびこる時代にむかうことになる。高齢者みんなが動かず変わらずに、現状のまま「ゴムひも型高齢人生」を送ることで先方に見えてくる情景である。将来を不安なままに国の施策にゆだねて「自分だけは」と願いながら暮らすなら、そうならざるをえない。他を見て見ぬふりをするというのは弱者の思考であり、結局は切り捨てられる側にあることを後に知ることになる。「現代丈人」に属するひとりとして、それを知って黙って見過ごすわけにはいかない。みずからが意識して現状を切り開くとともに、三〇〇〇万人(票)の高齢者の意思をひとつにして存在感を示し、「三〇〇〇万票の衆志成城」をもって国の施策に変革を迫る時期を逸してはならない。
*・*街談巷議の関心は悪意にある*・*
「荒廃の末のXデー」(暴動?)
「なまぬるい幸せなんか押しつけないでほしい。不幸な体験だってしてみたい」
「戦場に生きるなんて実感は、人生の極みじゃないか」
「善意なんて何も生まないよ。悪意が行動のエネルギー源なんだ」
「遊んでるくせして、うるさいじいさんはいらない」
一回きりの人生だから、気ままにいろいろな体験をしてみたいという若者に、幸せであることを願いすぎることも、平和であることを望みすぎることもできない。人間のもついくつもの本性が歴史をくりかえす。よしそれが愚かな選択だとしても。
昭和一○(一九三五)年生まれで、いまやちっとも稀れではない「古希」を通過したTさんは、時代の行く先のまだ見えないらせん階段の上の方から、姿が見えないデーモン(悪魔)の叫ぶ声が聞こえるという。近ごろは、父母や自分が蒙った戦時中の惨禍や戦後の混乱を、繰り返してほしくない体験として後人に伝えるという営為が、無力であり無益であるとさえ思うようになった。進み出したら引き戻せない「惨禍へのプロセス」を、またたどることになる気配。だれも回避する術を持ちえなくなって、不幸な結末を負うことになるのは、何も知らない子どもたち。
海外とくに途上国への進出や先端技術の開発によって、マクロ経済的にはしばらく現状維持するものの、社会的にはあれこれの格差や亀裂が生じて内部荒廃へむかうとする予測に実感があるとTさんはいう。このまま推移すれば、巷に敵意があふれて、ある日、予測Zが的中して「荒廃の末のXデー」(暴動?)がやってくる。もっとも「予測」をする連中は、丘の上から阿鼻叫喚を見下ろしていられるのだから、Tさんが憂慮するような現実に直面しても「予測的中!」を納得して傍観できる立場にある選ばれた少数の人びとだ。そんな連中のご高説に耳を貸す時期はもう過ぎている。
「金輪際、わたしはつきあうことはないが」と、Tさんはまっ白くなった髪を掻きあげながら、緊張感を解いた顔で結論づけて引きこもる。Tさんの歴史意識を覆すのはむずかしい。
「荒廃ベクトル用語」
経済アナリストの分析よりはもっと荒々しいのが、夕刊紙や週刊誌(女性雑誌も)やマンガ雑誌である。その多くは、一般市民が「荒廃の末のXデー」(暴動?)を迎えるにあたっての免疫抗体を体内に造り出すために、毎号毎号、悪逆非道な人物たちを探し出しては、手を替え品を替えて内幕を暴きつづけてきた。より強い「流行性荒廃菌」に対しては、より強い免疫抗体を体内に形成するためにである。
拾えばページから溢れるほどあるものの、ここでは三~四行分だけ、週刊雑誌の類から「荒廃ベクトル用語」をもった見出し語を並べてみよう。
狂気 抗争 挑発 怒号 罵声 悲惨 惨劇 醜悪 堕落 嫌悪 悪意 破壊 下流 地獄 逆襲 不法 非道 欺瞞 汚辱 凄絶 悪徳 横領 餓鬼 殺人鬼 修羅場 非常識 犬畜生 羊頭狗肉 魑魅魍魎 暴く ぶっ壊す 騙す 危ない 破る 淫ら 潰し 酷い 大嫌い スッパ抜き いじめ ハレンチ アホ バカ クビ ウソ ワースト ハルマゲドン・・
「街談巷議」の関心が「シラジラしい善意よりドスグロい悪意」にあるというので、記者たちは悪意、悲惨、狂気に満ちたニュースを、鬼神に魅入られでもしたように競って追いかけているが、ひと昔まえまで「オニ記者」というのは、「巨悪もおそれぬ閻魔王のような記者」ではなかったか。それにしても「悪徳の栄え」ならまだしも、「悪徳すら堕落」とでもいうべき風潮を拡大する「悪をあばく者」としてのしごとが愉快であるはずはない。
おもに「週刊」というメディアの場で、表現の自由をよりどころに「悪をあばく者」としての編集長やデスク(副編集長)は、迫りくる「地獄の季節」に備えて、読者が「免疫力」を養っておくことの「負の公益」を、しごとの支えとしているのだろう。阿鼻叫喚の渦の中へ記者たちをのみ込んで、奈落へむかう大海嘯の勢いは衰えを知らない。
さあたいへん。本稿も、「丈人という欺瞞」など、前出の見出しの三つ四つを貼り付けられて濁流にのみ込まれることを覚悟せねばならず、「仕っ方ないすよ」と同情されることになるだろう。部数は遠く及ばずとも、刊行をずらした隔週刊や月刊誌や通販誌のなかに、高年者を対象として誠実に着実に情報を送りつづけているメディアがあることは救いであるが。
「悪事は千里を行く」
Tさんは、昭和のはじめに、世界不況のただなかで、国際的孤立と挙国一致の軍国主義化がすすむ中で、四人の子どもの末っ子として生まれて育った。国民の意識と活動の振り子が、家庭から国家へと大きく振れていく中で、両親は明るい将来を約束できなかったことだろうが、明るいことばが飛び交う家庭だったと記憶している。父は戦時中に死に、父方のいなかに疎開して、都会育ちの母は子どもたちには分からない苦労をしながら子どもたちを育てた。Tさんは兄や姉やいなかのいとこや仲間たちと、戦争ごっこをやめ、譲ってもらった教科書を黒く塗って、戦争責任などまるで関係のない戦後っ子として伸び伸びすごした。どこにいってもみんな貧しく、だれもがひもじかったけれども。
いままた不況下での閉塞感、財政難、そして軍事化と国際的孤立の気配。それに構想力を感じさせることばで語りかける優れたリーダーの不在。両親が直面していたとよく似たシーンに、いま自分が立ち会っているのではないかと感じている。不幸な事件との再会の予感。衣装を替えた登場人物によって「歴史悲劇の再演」ということになるのか。
「好事は門を出ず、悪事は千里を行く」という時代風潮。歴史に稀れな高齢化の時代に生きているから、「歴史の証人」として、同じ方向へのらせん的転回をふたたび目の当たりにすることになるのか。孫の翼くんや翔ちゃんは、こういう風潮に柔らかい膚をモロに曝しているのだからたいへん。先生から「名前のように大空を飛ぶような夢をもって」などといわれても、素直に「ハイ」とはいえない。コマーシャルで「残酷な時代を生きる君へ」と呼びかけるオトナの社会へのバリアをつくって、子どもたちはやさしくない心根の服を身に着けて家を出る。
*・*世代間に広がる亀裂*・*
「もう待てない中年現役世代」
政治の「アメリカ一極化」と経済の「グローバル化」(世界同一化)の力によって、きしみながら新世紀へと舞台は回った。この一〇年ばかりの間、日本社会が受けた激しく際立った変容は、若年化とIT化と女性化だったから、パソコンとケイタイを駆使する若い娘はいつしか、「わたしが主役!」として振る舞うようになり、「世の中はますます悪くなる」とグチりつづけて定年を迎える父を脇役とみるようになった。わずかこの一〇年ばかりのことである。
つつがなく進んで二一世紀に迎えるはずであった国際社会の課題は「高齢化」であった。
それを覆してしまったのが、政治のアメリカ一極化の突風とひた寄せる(途上国主導の)経済グローバル化の波濤であった。ヨーロッパの先進諸国とともにわが国もまた「高齢化」が予測されていたにもかかわらず、まともな「高齢社会」への構想とてないままに対応が遅れていたところへ、相撲取りがボディーブローをまともにくらった態の日本企業が、自衛策としてあわてふためいてとった「再構築」(リストラ)の手段が、若年化と女性化とIT化、そしてやや遅れての途上国進出であった。角度を変えて言い添えれば、一歩送れて成長期にはいった途上諸国とつきあうための「途上国化」であった。
「先進国型の高齢社会」への推移を迎えるはずが「途上国型の若年社会」に出くわして、二重の災難に見舞われることになった高齢者。その上に身に覚えがない財政難による年金の減額や医療費の負担増、予想される消費税大幅増税といったシワヨセとヒッペガシ。さらに「団塊世代の高齢化」による多数派の形成。静かに推移するはずだった老後に、渦まくほどに状況悪化が予測されるに及んで、「おちおちしていられない高齢者」が急増しているのである。そこに「もう待てない」と言い出して、いらだちに近い懸念や要請を示しはじめたのが、企業の生き残りのために身を挺することを余儀なくされた中年の現役世代だった。
「資産塩づけ論」
企業の生き残りのためとはいえ、ことあるごとに成果主義を強いられれば、同僚との間でも同業社間でも、親和の感性が磨り減って働かなくなる。実質賃金の目減りにも黙々と耐えてきた中年層の人びとの胸の奥に、将来への不安とともに高年者への不満がわだかまる。
高齢者は現役世代がムリして負担している年金を受け取りながら、次の時代に、「われ関わり知らず」として暮らしているのではないか。あいまい模糊としていたいらだちは、次第にふたつの方向に要約されて、懸念や要請として納得されることになった。
ひとつは、家計の金融資産とされる約一四〇〇兆円で、そのうち五〇歳以上の世帯が七五%までを保有しており、多くを抱えた高齢者が次の時代に関わりなく「引きこもり」の余生を送っている。アメリカやヨーロッパでは時代の推移と連動しながら人も動くしカネも動く。アメリカなら株式・出資金にまわるものが、日本では現金・預金(半分を越える)のままで動いていない。そのため起きているのが資産の塩づけ。時代の動きに対する高年層の人びとの不安や無関心が経済活動の効率を悪くし、企業活動の手足をしばっているというのが「資産塩づけ論」である。
「資産移譲論」
消費を活発にするためには、使わない高年者から使い手の若年者へ資産をトランスファー(移譲)すべきではないのかという「資産移譲論」が力を増す。
いくら構造改革であがいても、景気回復でもがいても、いっこうに進まない要因が、高年者層の支援の欠如にあるというものである。「塩づけ資産移譲論」には若手の現役世代からもおおいに賛同の拍手がわきそうな懸念や要望である。だが、「待ちたまえ、諸君が高年者になった時のことを思えば、そう簡単にいえることではない」と、企業内では脇役を余儀なくされている定年間近の団塊世代のひとり、Fさんは眉間にシワを寄せて真顔になっていう。「世代間の亀裂」がひろがる。
*・*「ツカエナイ親」とはなんだ*・*
「ひっぺがし」
「塩づけにできる資産などどこにもありはしないし、いまでさえ家庭では子どもたち、とくに娘によって、強奪に近い形で資産移譲が行われているのだから」
と、娘をもつ団塊世代のFさんはいう。女性が国の経済、社会の担い手といいながら、どれほどの若い女性が自分の実力(かせぎ)で暮らしているのだろうかと、ローライズ・パンツ(体型ギリギリのヘソ出し衣装)からいそいそとディオールのパーティー・ドレスに着替えて、自在に「変衣変性」する娘の姿をみながら、際限なしの「女性化」に懸念をもっているのである。「時代の花」として娘たちを擁護し、社会の女性化を推進する立場からは、無条件に、両親や祖父母の「六つの財布」からうまくせしめるのも実力のうちとする意見もあり、何より娘たちは「ひっぺがし」が当然と考えている。
「ツカエナイ親」
人並みに応じられないと、「ツカエナイ親!」としてあしらわれる。「ツカエナイ娘」といいかえせない。うかうかしていると、心優しい高年者からまず、居る場所もない、おカネもないになりかねないのである。新世紀になって、若い女性やIT青年たちとともに輝いているはずだった高年者が居場所すらなくなるとは何たる仕打ち!
職場ではIT音痴と軽視され、売れ筋ヤング製品の現場からはずされ、はてはリストラの対象となる。「ハローワーク」(公共職業安定所)の窓口の混雑ぶりや、上野公園や新宿などの「ホームレス」用の青テントの群れや炊き出しに集まっていた人びとを思うたびに、Fさんには、高齢者だけが子どものころに見た戦後の「ふりだし」へと戻って行くように思えてくる。いったいだれが振った賽の目が悪かったのか。
「家庭内ホームレス」
高年者が暮らすのにふさわしいステージは「ふりだし」の位置、つまり「ステージレス」の状態にあるといえる。家に居場所がなくなって「家庭内ホームレス」に、そして屋外でも「ステージレス」である原因はどこにあるのか。このまま推移していては、高年者のだれもが不安なく暮らせる社会、少なくともそこへ向かっていると感じられる社会は、招き寄せようもない。
おちおちなんかしていられない。といって、高齢者だけが犠牲になっているわけではないことにも注意しておこう。決して少なくはない優れたIT青年たちが、技術開発の内向的な作業の中で行方を見失い、使い捨てにされて社会と断絶していく。若い女性も華やいでばかりはいない。アルバイトや派遣社員なのに能力にあまる荷重な実務を引き受けて体調を崩し、ときには鬱病に陥り、外界との関係を遮断していく。繊細な感性の持ち主ほど傷ついているのである。引きこもりの傾向は、即戦力を期待されて入社したものの適性に不安をつのらせて出社しなくなる「新入社員ニート化」としても広がっている。
そんな状況に包囲されて、現状を支えている中年世代の人びとは、いつしか「自己チュー」(自己中心主義)に陥ってしまう。しかしここはこれ以上に世代間の亀裂を深めることは止めようではないか。
とくに中年社員はこれから論じる「高年世代による高年時代のためのステージの創出」に期待して、先輩の果敢な挑戦を見守るのがいいと思う。得られる経済波及効果は将来にわたって大きいし、その成果はいずれは次世代の人びとの資産となるのだから。
*・*いさぎよい隠退の功罪*・*
「君子的ひきこもり」
現役世代が負担している年金を受け取りながら、次の時代に「われ関わり知らず」として「引きこもり」の暮らしをしている、といわれてみれば、高年齢者は誰にもそういう傾向があることを否定できないだろう。
かつては業績を残した先輩の「いさぎよい進退」が、後輩に活動の場を残し、将来への安心感と励ましを与えてきた。だれもが穏やかに「余生」に入れたころはもちろん、いま企業や組織の「高齢者リストラ」がすすめばさらに、すぐれた知識、経験、人格をもった決して少なくはない人びとが、潔く職場を去っていったにちがいない。後輩として、だれもがそういう君子然として去って「君子的ひきこもり」にはいった先輩の姿を思い浮かべることができる。しかしそれは「余生」が短かったころのことで、高齢時代においては美談でもなんでもない。
「隠退ウーピーズ」(豊かな高年者層)
Sさんは、君子然といえるほどの風采ではないが、広い額に細い目でとくに笑い顔が安心感を与える温和な人柄の高年者である。超ではないが並一流の企業を定年退職してのち、残りの人生を楽しんで暮らせると計算を立てた「君子的ひきこもり」の高年者。しんがりとはいえ自分ではいまでも「隠退ウーピーズ」(豊かな高年者層)だと思っている。会社人間だったから地域に知り人はいないが、しごとや学生時代からの親しい友人たちがいて、それにつかず離れずに暮らす妻と子ども。趣味も多く、ひと一倍広い額に汗しての「旬の野菜は自作」の菜園が自慢である。
肝心の生活費はどうか。公的・私的年金のほかに資産収入もあって、娘の結婚、病気や不慮のできごと、車の買い換えや築二〇年を越えた住宅・設備の修繕などといった特別な出費のための「退職金」(預金と国債・株式が半々)は崩さないでも、小遣いは月五万円以上。現状では引きこもりに不服も不安もない。正直にいえば、不安はなくはないのだが、「わたしが地獄へゆくのならみんないっしょだ」と考えることで安心することにしている。住居のほかは子どもに資産を残すつもりはないから多彩な趣味を楽しみ、旅行でも観劇でも食事でも会合でも、必要な時には積極的に参加し、出費もする。ドック検査による健康状態も良好で、れっきとしたウーピーズぶりに思える。
「高年期じり貧人生」
Sさんは時代が下降し頽廃期へむかう時期にあると感じているので、「われ関わり知らず」と固く決めて、後輩が知恵を借りにやってくるのに対しても、「いまさら、こんな世の中のために、わたしまで引き出すのはやめてくれよ」 と、冗談としてではなくいって態度を崩さない。それでも後輩から声がかからなくなり、みずからも気力・体力の衰えを実感する日はさみしい。そんな日はテレビ批評もせず新聞も読まず、終日、気分の晴れないこともある。「君子的ひきこもり」の独居を楽しむ境地にはなお遠い。
ウーピーズといったところで、父祖伝来の土地を切り売りして億単位の資産を得て安全圏にいる都市近郊の「金満農家」と違って「零細資産家」だから、日本経済の「萎縮」(デフレーション)によって頼みの資産が目減りするのを気にかけている。朝方にはきょう一日の「万事大吉」を願い、晩方にはあすの「一陽来復」を祈るという日が重なっていく。
Sさんは、「老人と呼ばれたくない」とは思っているが、「現代丈人」という意識をもっていないから、ここでは「一陽来復型の高年者」と呼んでおこう。
「一陽来復型の高年者」が沈黙している間に、Sさんのような人が資産を「塩漬け」しているとする世論を背景にして、現役官僚はさまざまな手法で高年者の預貯金を切り崩す政策を取り始めた。そのことをSさんは、「後人として、あるまじき行為!」として憤懣を隠さない。といって、引きこもりに徹した生き方を変えるつもりはなく、思いのほか早々とやってきた「高齢期じり貧人生」とつきあう覚悟だけは固めている。本稿が甘く推察してみても、このままの状況で推移すれば、Sさんほどの人ですら生涯を安穏にすごしきることはむずかしい。
*・*「貯蓄ゼロの日」へカウント・ダウン*・*
「生涯現役の跡継ぎ二世」
「親孝行進学」
一方にはIさんのように、父親の後を継いで中小企業の経営者になった「生涯現役の跡継ぎ二世」の高年者がいる。Iさんは二〇年ほど前、四〇歳代なかばに二代目経営者となった。創業者の父親が元気だった高度成長・繁栄期といわれた時期もやたら忙しかっただけで、すこし羽振りがよかった程度で、とりわけ家が豊かになったわけではなかった。周囲の人びとが世間並みに暮らせるようにと、父親がひたすら心を砕いているのをみてきた。
父親は経営者として教育(学歴)がなかったことを生涯の負い目と感じていたから、「おまえは大学を出にゃいかん」と口癖にいって、家業の手伝いを強いず、子どもが高等教育を受けて意気揚々とした人生を送ることに期待しつづけた。晩年には「親孝行進学」で大学を出た息子が期待していた人生を歩んでいないことを知ることとなったが。
わが国の大戦後の製造業がたどった経緯からみて、戦後復興期から高度成長期(一九五五~七四年)のころに設立され中小企業では、Iさんのような跡継ぎ二世は決して少なくないだろう。技術力を尽くして質の良い日本製品をつくりあげてきた父親と労苦をともにしてきた社員に囲まれて育ち、いまは子どもとしてその跡目を継いでいる。同じような経緯をもつ機械製造の子会社(親会社ではない)から下請け品を求められれば、資金繰りをして設備投資を重ねても求められる製品を納めてきた。そして迎えた列島総不況。Iさんも人を減らしながら景気回復を待ちつづけてきたが、父親には申し訳ないが、ここ五年ほどのきびしい経緯からみて、もはや再生の手立てはないところにきた。
「ほどほどの赤字人生」
「生涯現役の跡継ぎ二世」のIさんが楽しみとしていた草野球の紅白戦も、若者が減って成り立たなくなった。「中小企業退職金共済」で定年は設けているが、父親のころから技術と意欲があってしごとができるうちは文字通りの終身雇用である。だから効率のいいしごとが減り収入が減っても従業員には減収にならないよう給与は払いつづけてきた。がそれにも限度がある。このまま推移していては、いつまでも借入金を返済する余力が出ない。高齢になって先が読めなくとも「われ関わり知らず」などといってはいられない。というより引くことなどできない。
「男というものは、きちんと仕事をすれば、どこで何をしていても、ほどほどの赤字ぐらしをするものだ」というのが、父親がよく口にし、自分も受け継いだIさんの負け惜しみ半分の人生哲学である。製造ノウハウを持つ親会社が生き残るために、まずは主要なパーツ以外は中国や東南アジアの途上国に生産拠点をシフトした。ついには製品化までとなれば、子会社ともども回復どころではない。「ほどほどの赤字人生」などといっていられない。独自でのしごとにメドがたたず、下がりつづけた担保資産との見合いの末に、不良債権の処理対象として銀行から見放され、こちらの意欲が萎えるまでは、会社と社員と家族を守るつもり。さしたるぜいたくもせず、「先憂後楽」の心意気を貫いて、沈没船の船長よろしく自分だけは地獄へでもどこへでもゆくつもり。
「先憂後楽型の高年者」
Iさんは、ゼロに始まってゼロに返る人生を納得する男子のみごとな生き方ともいえるが、「高年化社会」を多彩に豊かにする基礎となる「高年化用品」のユーザーであり、「高年化製品」のメーカーであるという点でもまたゼロの人なのである。Iさんが蓄積してきた技術力を、高年者の暮らしを豊かにする用品のために活かして活路を開くことが要請される。Iさんのように、良質な製品の製造に努めて現場で自得した完璧主義を崩すことなく、引き場のない人生を送っている篤実な熟年技術者を、「先憂後楽型の高年者」と呼んでおきたい。
*・*戦々兢々の高年期生活*・*
「大幅増税と貯蓄取り崩し」
大多数の給与所得者は、定年が六二歳(~六五歳)まで延びたものの、退職を前にして業務替えになったり、収入減を余儀なくされながら「待ちの日々」を送っている。充実した日々には遠い。このままなんとか定年まで勤めて、行く末が不安な程度の退職金と年金を合わせ計算しながら暮らすことになる。
Yさんは、技術畠ひとすじに三〇年余を勤めた会社を定年退職したばかり。退職後も前職をいかして仕事があればと願っているが、このリストラ時代。「ハローワーク」には求職の登録をせず、失業率には計算されない潜在的求職者のひとりである。だから失業率五%以下などという数字を信じてはいない。少ない退職金から、少なくはない住民税を支払って急に重量感を失った貯蓄から、さっそく定期的収入が減った分の「貯蓄取り崩し」がはじまった。
先行きの不安は身辺に渦を巻いている。財政負担を軽減するためのデフレ(物価下落など)や成長率低下を理由にした「公的年金」のカット。次第に現実味を帯びてきた「消費税の大幅増税」。いつ身に降りかかるかしれない「医療費」の自己負担。企業業績の不振による「企業年金」の減額。まだ五年つづく住宅ローン。そしていつまでも独立できない子どもへの支援出費・・。「ペイオフ」(預金の限度内払い戻し)に届かないほどの額だから、長生きすればいつか必ず訪れるにちがいない「貯蓄ゼロの日」への不安。
退職したあと職さがしをしているYさんは、旅行や観劇、書籍・雑誌の購入、外食などを減らして「選択的支出の削減」に努めている。それでも生活用品や日常経費、医療費や税負担とくに際立つ健康保険料など「基礎的支出」が確実に増えることから、家計の先行きはとめどなくきびしい。「貯蓄ゼロの日」へのカウント・ダウンは始まっているのだ。「薄氷を履む」ような日々が続くことになる。Yさんは多数派である「戦々兢々型の高年者」のひとり。「さして優れたことはしてこなかったけれど、必死で働いてきたつもりの自分までが、高齢者になって見捨てられることはないだろう」と国の施策を信じている。長生きすればいつかまた「スイトン時代」がやってくるかもしれないが、それでも平和なら生きられるだろうとYさんは思っている。
Yさんは、通信機器関連の技術労働者であり、いまも会社の主力製品のひとつになっている機器の発案製作者。といって発明対価を求めるのは違うと思っている。
「将来への希望は現場の活力にある」と技術者であった経験から確信している。
自分は細身だったのでヘルメットは似合わなかったが、「プロジェクトX・挑戦者たち」(NHKの人気シリーズ番組だった)で、工夫を重ねて事業に邁進した人びと、いかにもヘルメット姿が似合いそうな人びとの話を聞くのが楽しみだった。番組が終了してずいぶん経つというのに、胸の奥に刻まれたように、気がつくといまも中島みゆきが歌ったテーマ曲の一節「つばめよ、地上の星はいま何処にあるのだろう」が体の中を繰り返し流れているという。仲間との苦闘のあとを思いながら、溢れる涙をじっとこらえていた技術者たちの顔顔顔はいまも忘れられない。
「バブル・不良債権」
「デフレ・スパイラル」
「戦々兢々」といってもYさんにはいまも活かせる技術がある。「先憂後楽」のIさんにはチャンスが残っている。「一陽来復」のSさんにはなお余裕があるではないか。老後の生活設計など立てられず、ぎりぎりの年金だけを頼りに先の見えない不安な日々をすごしている高年齢者が時々刻々と増えているのだ。傷んでも家の修繕なんかにとてもお金をまわせない。
それなのに、将来の展望や不況脱出の契機を語るのは、数字には強いが人間味が感じられない経済学者や横文字だらけのアナリストであったり、大蔵省や日銀の関係者であったり、実務体験の希薄な経営者であったり、現場の臭いのしないジャーナリストであったりした。司会者も含めて、いずれ安全な「経済学の丘」の上からの展望者であり、どうみても現場の痛みがわかるような人びとではなかった。だから将来の方策も不況脱出の方途も、痛みを感じている人びとを優先するものとはならないだろうことは推測できた。
「バブル・不良債権」で一〇年あまりを騒ぎつづけ、次には「デフレ・スパイラル」(物価下落、所得減少、需要減退、物価下落というらせん状の悪循環)をこね回し、億兆円を差し引きする人びとのご託宣は、夢の中にまで押しかけてくるほどに聞かされた。九○年代から新世紀を通じて日本経済の退潮は持続して実感されてきたから、一般市民はその間、右下がりの暮らしを納得させられてきたのである。「数値に裏付けされたさまざまな分析が、みんな正しかったとしても、国民を対処に立ち向かわせる人的パワーを燃え立たせる変革に結びつかなかったのではないですか」と、Yさんは静かに、Sさんは熱して不服に思う。
*・*七〇歳が稀でなくなった稀な時代*・*
「元気印のおばあちゃん」
「お年寄りと聞いて何歳以上を思い浮かべますか」という新聞社の世論調査によると、「八〇歳以上」が一一%、「七〇歳代」が五四%、「六〇歳代」が三〇%だった。合わせて六割を超える人びとが七〇歳以上に実感を持つようになったのは、高齢化とともに元気なお年寄りが着実に増えている証し。男性より七年も女性が長寿だから、どこのお宅にも「元気印のおばあちゃん」がいる時代。
いままた詩史を詠う杜甫の「人生七十古来稀なり」に古希を迎えて出合って半世紀をいる。「人生七十」が稀ではなくなった稀な時代に遭遇してのことである。
杜甫は意に適わぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒のツケは行くところあちらこちらに有るけれど、人生七〇歳というのは古来から稀なこと)と詠った。無くなってほしい酒債と有ってほしい「人生七十」を対比している。七五八年のこと。四七歳の時にこう詠った杜甫だったが、本人は「古希」にはほど遠い五九歳で、旅先で都長安へ帰る日を思いながら死を迎えた。酒債なしに健康で「古希」をむかえ、祝い酒を味わえるこの国の高年者は、わが身の幸せの一盞を杜甫にもささげてほしい。
「古希丈人」
唐代の杜甫と阿倍仲麻呂といえば、日本人にとって親しい歴史上の人物である。奇しくも同じ七七〇年に生涯を終えた。、阿倍仲麻呂は、異郷の長安で故国の「三笠の山に出でし月」を思いながら亡くなったであろう。仲麻呂は七〇歳を迎えていたから、当時としては稀な長寿をまっとうしたことになる。
七〇歳のことを「杖国」というのは、国事に当たる大夫が七〇歳になって、国中どこででも使える杖を賜ったことからいわれる。さて、唐の長安で七〇歳を迎えた「七十杖国」の阿倍仲麻呂は、どんな杖を賜ったのだろう。歴史論議の場ではないから細部には向かわないが、現代が、だれもが杖を贈られて「七十古希」を祝うことができるという意味での「古来稀なり」な時代であり、それ故に「古希丈人」もまた、時代を超えてここに装い新たに登場することになる。「昭和」に生まれて、疾風怒濤の「昭和時代」を生き抜いてきた「古希丈人」である人なら、「脇役や老け役を演じていてどうなるのだ」と、自問しつつ主役を演じて暮らしているのではないか。
「介添え識者」
テレビ画面を見ていると、これが熟成した文化をもつ国の姿を表現しているメディアだろうかと思う。時代の花ではあるが「一知半解」の女性アナウンサーの傍らでにこにこしながら初歩的な解説を繰り返している「介添え識者」の存在が気にさわる。
「逆じゃないのか。なんで唯々諾々と脇役を演じているんだ」と、日々を「君子的ひきこもり」で送ることに決めたはずのSさんは、画面にむかって文句を放ち、リモコンの「消音」を押して横をむく。「介添え識者」の意思を殺したけだるい声が消えて静かになった家の中を見回す。家の外を見やる。テレビ画面ほどにいらつくステージではむろんない。高齢識者が本音で語れる番組がなぜつくれないのか。
「第三ステージの主役登場」
いま高齢期を迎えている人びとが、中年時代に粒々辛苦して築きあげてきたものは「中年期のステージ」であって、高年時代のための「高年期のステージ」はまだないというのが現実なのである。史上になかった時代のいわばパイオニアなのだからしかたがない。手狭な今のステージに納まろうとするから中年者の目ざわりになるのではないかと遠慮する。気力は萎える。孫から押し込まれる。「昭和」に生まれて疾風怒濤の「昭和時代」を生き抜いてきて、なお健康で潜在力をもっている「昭和丈人」である人びとが、引きこもりに身を固めて存在感を薄くする時期ではない。新世紀の日本を舞台に「第三ステージの主役登場」のときなのである。ステージで何を演じるかは個人の勝手だが、高年者になることが味わい深く、高年者であることが誇らしいような暮らしの場の創出。そんな活動が見えてくれば高年期の人生はおもしろい。
暮らしの場としては庭がその表現の場になるだろう。庭師にまかせるのではなくて、庭師に学んで庭木と語る。高年者がみんなで共有する「高年期のステージ」が各所にあるような「地域の高年化」。そこからはじめる。いま「グローバル化」で苦闘している中年世代が高年期を安心して迎えられるような「モノと場としくみ」を実現してやろうという心意気である。有形・無形の伝統資産を守り、再生することもいい。町に成熟した風気を醸成して。「現代丈人」の実例は、芸能や技能の継承者、学者、芸術家、宗教者、文学者などの姿のうちにいくらでも感知することができる。政治家とジャーナリズムを除けば。身のまわりには頼もしい無名の「古希丈人」がたくさんいる時代なのだ。