明鏡不疲
めいきょうふひ
「明鏡は疲れず」というのは、磨きあげた鏡のような叡智は使って損うものではないというもの。そこで優れた師や先輩の叡智は、休ませずにどしどし使おうではないかということになる。しかしほんとうに疲れないのかは明鏡の側に立たないとわからない。
李白は「知らず明鏡の裏、何処にか秋霜を得たる」(「秋浦の歌」から)と白髪三千丈の姿を明鏡のうちに確かめている。くもりのない鏡と澄み切って静かな水のふたつをあわせた「明鏡止水」(『荘子』から)といった境地になれば、外界の姿もはっきりと心の底に映ることだろう。
意味合いの近いことばに「宝刀不老」(『三国演義「第七〇回」』から)がある。陣中で老人扱いされた劉備配下の黄忠が、「わが手中の宝刀は不老じゃ」と怒って決戦をいどむ場面がある。高年になっても気力、体力、判断力などに衰えをみせないことをいう。
戴白の将、黄忠は中国では老いてますます盛んな人物の代表である。
『世説新語「言語」』から