友好都市・物産の絆-牡丹は群芳に冠たり

牡丹は群芳に冠たり

須賀川市―洛陽市(河南省) 

「牡丹の花品は群芳に冠たり」

かつて宋代に「花城」と呼ばれた洛陽に住んでいた邵雍は、こう詠って牡丹を讃えている。古来、牡丹は花王とされてきたが、しかもその花王の中でさらにまた王があるという(牡丹吟)。明代の薛鳳翔は『牡丹史』のなかで、神品、名品、霊品、逸品、能品、具品と分けて、それぞれに花の名を添えている。神品のなかの「雪素」「独粋」「嬌容三変」とはどんな妖艶な牡丹だったのか。「魏紫姚黄」というと名花のことを指すのだが、魏さんの紫花、姚さんの黄花というのは、優れたブリーダーの存在を推測させる。人も牡丹も神品は、優れた要請者、鑑賞者によって生まれるのだと邵雍はいいたいのだろう。

いまでも中国では艶麗な牡丹が国花とされる。が、冬は梅、春は牡丹、夏は蓮、秋は菊が、それぞれに季節を代表する国の花として愛でられ、中国各地にそれぞれの名勝がある。

日本では福島県須賀川市の「須賀川牡丹園」が一九三二(昭和七)年に国の名勝に指定されている。四月下旬、東京ドームの三倍ほどの広さをもつ園内では、二九〇種七〇〇〇株の牡丹が、次々に多彩で濃艶な花を開き、花品を競うことで知られる。江戸時代のなかばの一七六六(明和三)年に根を薬用とするために栽培を始めたという歴史を持っている。 
春の訪れを告げる花としては、日本では桜の賑わいの後だけに、洛陽とは違って静かに鑑賞されている。市の花はもちろんボタンである。人口約八万人。

洛陽市は、「中原に鹿を逐う」地にあって何度も興亡を繰り返して「九朝の古都」と呼ばれる。倭の奴国王や女王卑弥呼の遣いが訪れた都で、その後も遣唐使がかならず立ち寄った東都であった。吉備真備が二度おとずれて文物を持ち帰った歴史的交流の絆から、洛陽市と岡山市が友好都市になっていることはすでに述べた。洛陽市と須賀川市は牡丹で結ばれている「花の友好都市」なのである。
唐代から長安とともに牡丹の名城として知られた洛陽は、宋代には前述した魏紫や姚黄などといった新種が作られて評判になった。いま洛陽市では、四月中旬(須賀川よりは少し早い)に「牡丹花会」が催されて、海外からも観光客が訪れる。市内の王城公園や北郊の邙山牡丹園は国際色に彩られる。
市の郊外には、中国最初の官立寺院である白馬寺や三大石窟のひとつ龍門石窟などの仏教古跡や、三国時代の英傑関羽の首塚(関林)といった歴史にちなむ観光名所も多くある。

両国を代表する牡丹の名勝の地が、牡丹を介して結ばれる。これほど華やいだ友好の絆は他にない。

両市の友好都市締結は、一九九三年八月一日に洛陽市で調印された。須賀川市からは高木博市長や日中友好協会の水野正雄理事長(洛陽名誉市民)ら、それに市内の中学生など一六八人が参加しておこなわれた。その後、洛陽市からは劉典立市長を代表とする市友好訪日団をはじめ、牡丹栽培技術研修生、病院看護技術や企業会計実務研修生などが次々に訪れている。

友好都市一〇周年を迎えた記念式典が二〇〇三年一〇月、須賀川市日中友好協会会長でもある相楽新平市長らが参加して洛陽市で行われた。両市で協議した結果、記念事業のひとつとして今後一〇年間、毎年一〇〇株の牡丹を相互に贈り合うことになった。
一〇年後には、両市の牡丹園に、それぞれ一〇〇〇株の牡丹が、日中友好の大輪の花を咲かせることとなる。(二〇〇八年九月・堀内正範)