#1高齢期(二世代+α)をどう生きる
*・*「七十古希」から「百齢眉寿」へ*・*
「丈人」
「老人」と呼ばれて収まりがいい人ならそのままいけばいい。が、率直な実感としてみずからを高齢者と認めながらも、いま通用している意味合いで「老人」と呼ばれたくない、呼ばれるにはまだ間がある、あるいはなんとなく違和感がある、という人は多いだろう。
そんな場面で「丈人」と呼んでみてほしい。こちらも見慣れない、聞き慣れないことばだから、はじめは違和感があるだろう。が、使い慣れるうちに「老人」よりは収まりがよくなる。「老人」であるとともに「丈人」であること、そして「老人」であるよりも「丈人」であることに安らぎを見い出す。
「頑張ろう!」と「大丈夫!」のふたつが、「2011・3・11大震災」後の被災地で、お互いの励ましのことばとしてどれほど飛び交ってきたことか。この「大丈夫!」の「丈夫」が内に包みもつ強い気慨が「丈人」のものなのである。「頑張ろう!」が外向きなのに対して、「大丈夫!」は内にある力を呼びさます。
「春秋丈人」
「丈人」ということばは現代に呼びさまされた古語である。『論語「微子篇」』には、孔子を「四体勤めず、五穀分かたず、たれをか夫子といわんや」といって批判する人物として記されている。からだを使って穀物をつくらず暮らす自分を批判した人物を丁重にあつかっている孔子と、師をおとしめた人物として黙止してきた後の儒学者との違いに留意する必要があるが、ここはその場でないから深入りはしない。れっきとした古語であることと、「春秋時代」の腐敗しきった体制に抗して、みずから「四体勤め、五穀分かつ」ことをよしとして生きたこの健丈な老者を、「春秋丈人」のひとりとして認識しておけばいい。
「昭和丈人」
21世紀のはじめに高齢期を迎えている昭和生まれの人びとを「昭和丈人」と呼ぶのは、先の大戦後(1945年~)の復興・成長・繁栄を「企業戦士」として体験し、九割中流社会を実感し、アジア地域で唯ひとつ先行して欧米型の近代化を達成したあと、列島総不況と経済のグローバル化(途上諸国の日本化・日本の途上国化)に見舞われているわが国の半世紀余の経緯を共有しているからである。史上にまれな高齢化を体現しながら、平和のうちに生きて、わが国独自の「高齢社会」を達成しつつある昭和生まれのみなさんを、敬意をもって「昭和丈人」と呼ぶ。「昭和丈人」のみなさんは、自分の中で「丈人」を感じるとき、その現場が実は政治不在という「人禍」によって生じていることにも気づくことになる。政治不在のために露呈している不都合な場面を、それぞれの活動(丈人力による)で乗り越えて、史上に新たな時代を築いている人びとを励ますことばとして、「昭和丈人」は納得がえられるように思える。
「丈人力」
青少年期、中年期を通じて長い期間をかけて積み上げてきた知識や技術やさまざまな能力を、、どこまでも発展・熟達・深化させようとして働く力、ふつふつと涌いて出る強い生活力あるいは生命力を、本稿では「丈人力」(jojin ryoku)と呼んでいる。青少年や中年層からも敬愛される昭和生まれの「昭和丈人」層の「丈人力」によって、はじめて史上まれなそれでいて親しく住みやすい「日本型高齢社会」は達成されるにちがいないというのが本稿の確信を秘めた時代観察なのである。
「高齢時代のライフサイクル」
だれの人生にも、「乳幼児期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つのステージ(年齢階層)があることを体験的に知っている。しかしこれは二五歳までに三つの階層をもつ発達心理学からの階層分けで実感もあるのだが、高齢化時代には加齢学的な観点から、逆に高齢期に三つを配する階層分けを考慮する必要がある。ここでは二五年間ずつの三つのステージを「三世代」に等しく割り振りながら高齢期に配慮したライフサイクルを基準にしている。
青少年期 〇歳~二四歳 自己形成期
バトンゾーン 二五~二九歳 選択期
中年期 三〇~五四歳 労働参加・社会参加期
パラレルゾーン五五~五九歳 自立期
高年期 六〇~八四歳 社会参加・自己実現期
長命期 八五歳~ ケア・尊厳期
といったあたりが、高齢者がみずからを顧みて納得できる「人生五つのステージ」といえるだろう。「バトンゾーン」というのは個人のライフ・スタイルによって生じる幅である。「パラレルゾーン」というのは、ふたつの人生期で、高年期への準備期でもある。「定年後は余生」と考える旧時代の「老人」タイプの高齢者意識が、「高齢社会」形成への自然渋滞をもたらしている。「高年期」での社会参加・自己実現期の二五年をどう体現して暮らすかの工夫が人生の差をつくることになる。
「賀寿期五歳層」のステージ
「高年期」そして「長命期」の日また一日を愉快に迎えて過ごすには、「賀寿期五歳層のステージ」の考え方が有効に働くだろう。先人は見定めえない人生の前方に次々に賀寿を設けて個人的長寿のプロセスを楽しんできた。いまは多くの仲間とともに励まし合いながら百寿期を目指せばよい。(2011年)
還暦期(六〇歳~六九歳) 昭和二六年~昭和一七年
古希期(七〇歳~七四歳) 昭和一六年~昭和一二年
喜寿期(七五歳~七九歳) 昭和一一年~昭和七年
傘寿期(八〇歳~八四歳) 昭和六年~昭和二年
米寿期(八五歳~八九歳) 昭和元年~大正一一年
卆寿期(九〇歳~九四歳) 大正一〇年~大正六年
白寿期(九五歳~九九歳) 大正五年~大正元年
百寿期(一〇〇歳以上) 明治四四年以前
六〇歳以上の約三九〇〇万人の高年者が活き活きと暮らす姿が「高齢社会」である。七〇歳の「古希」になったからといって生き急いで老成することはない。まだまだ先がある。人生の新たな出会いに期待する日々が待っているのである。
「七十古希」
「人生七十は古来稀なり」と詠った杜甫の詩「曲江」から七〇歳を「古希」と呼ぶようになったという。だから「七十古希」はすでに一二〇〇年余の経緯をもつことばである。それ以前のことはわからない。古来稀れなのだからよほど稀れだったのだろう。杜甫が詠ってたどりつかなかったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。
そのころ長安は安禄山軍の侵入を受けたあとで、「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。杜甫は意にかなわぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒の付けは常にあちこちにあるけれど、あってほしい七〇歳は希にしかない)と有るものと無いものとを比較している。いまは両方がある時代だからこの対比に味わいがなくなったが。。杜甫自身は旅先で貧窮のうちに五九歳で没している。高級官人は七〇歳になると国中どこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたという。阿部仲麻呂は七〇を越えて生きたから拝受したのだろう。
「百齢眉寿」
「百齢」は百歳のこと。二〇一一年は大正百年だから、元年(一九一二)生まれの人が数え年で百歳である。わが国では百歳以上の人が二万人を超えてなお増えつづけており、いかに史上稀な長寿国であるかが知られる。
杜甫が「人生七十古来希なり」と詠ったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。とすれば百歳ははるか遠い願望だったろう。「眉寿」は長寿のこと。老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて特徴となる。同じ唐の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願ったが、八〇歳を天寿として去った。「七十古希」の杜甫は五九歳だったから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。
白髪が増えると老いの訪れとして苦い思いで納得するが、眉に白いものが見えた時は長寿への証として喜ぶほうがいい。いまや稀でない「七十古希」を迎えたら、次には「百齢眉寿」を目標にして日また一日を過ごしたらどうだろう。
「起承転結の青春期」
「日々これ青春」という人生があってもいい。大きな富士型のひとつ山の人生ではなくて、二〇年ごと繰り返しの連山型人生として、八〇歳までに四つの青春を生きたひとりに数学者の森毅さん(一九二八~二〇一〇)がいる。八〇年間を二〇年ごと四つのリフレインと意識した点に創意がある。
ここではひとつずつ山波ごとに次のような五つの特徴を付けて呼んでいる。
初の青春期 〇歳~一九歳
起の青春期 二〇~三九歳
承の青春期 四〇~五九歳
転の青春期 六〇~七九歳
結の青春期 八〇歳~
六〇歳からの「転の青春期」二〇年は、これまでに蓄積してきた知識や経験を活かして新たな人生展開を楽しみながら暮らすことになる。その成果によって「まとめ(結)の時期」もまた楽しいものになる。
「体志行の三つのカテゴリー」
高年期にある人ならだれにもこれまで過ごしてきた「青少年期」と「中年期」の五〇年間に積み重ねてきた経験や知識や健康や有形・無形の資産がある。それらを六〇歳からの「高年期」を意識した「からだ(体・健康)」と「こころ・こころざし(心・志・知識)」と「ふるまい(行・技術)」のそれぞれにしっかりとバランスよく活かして暮らすこと。この三つ以外に人間(人生)としての存在はないというのが、東洋の哲学が持つ人間(人生)観なのである。そういう意味合いが納得できるのは、やはり「からだ(体)」のどこかに故障を生じる高年期になってからのことで、ここから「体・志・行」に配慮した「丈人人生」が始まる。人生を通じて右片上がりの能力をたいせつにする「丈人」であることを意識して三つをバランスよくすごすことによって、外面的に「老人」としてではなく「丈人」としての「健康・知識・技術」が表現されることになる。この三つをバランスよく働かせた暮らしをしている人が、敬愛すべき「現代丈人」のみなさんである。スポーツ界では「心技体」として認識されているのは、スポーツでは心の構えが技・体の差をつくるからである。
(制作中・つづきます)