両敗倶傷
りょうはいぐしょう
「両敗ともに傷つく」ということ。勝利を求めて争ったものの双方ともに傷ついて敗者となるという事例は数知れない。さわやかな勝敗というのはルールを定めて争うスポーツならではで、ロンドン・オリンピックでも勝者感涙のシーンが見られることだろう。
翻って身近なところでは、国民主導の改革を訴えて勝利した民主党が、代表選のたびに「両敗倶傷」の姿を現出して、国民の期待をなし崩しにしてしまったことがある。「天災人禍」に遭遇して、国民に呼びかけて復興や新展開の活動の場を創出すべきときに、前政権が残した増税法案を通す議論を優先するというのだから「同床異夢」ならまだしも「同室操戈(武器を操る)」という情勢となってともに傷つくことになる。被害者は国民なのである。
こういう状況のときに歴史に学びながら時代を切り開く人物(将相名賢)が必ず登場することを「史不絶書」(史に書すること絶えず)という。それを呼びさます力も国民の側にある。
汪応辰『文定集・一五』など