友好都市・風土が絆-都市形態の類似性を活かす

都市形態の類似性を活かす

久留米市と合肥市(安徽省) 

中国の省都(省会)のうちにはわが国との長い関係もあってよく知られたところが多い。長江流域でも南京市(江蘇省)、武漢市(湖北省)、成都市(四川省)はそのうちだが、なぜか安徽省の合肥市は知られる機会がなかったうち。

歴史は古く、秦が合肥県を置いた。三国時代には、曹操配下の張遼が拠り、孫権の大軍を寄せ付けなかった「合肥の戦い」が有名。宋代の清官として京劇にも登場する包拯や近代では日清戦争の講和条約(下関条約)で全権大使をつとめた李鴻章の生地。

化学工業のほか先端技術開発をすすめ、近年はハイテク産業の誘致にも務めている。伝統産業としては、文房四宝(筆・硯・紙・墨)がある。理工系の有名校、中国科学技術大学がある。人口は約四六〇万人。 

将来の交流の発展性を考慮すると久留米市は大物を提携相手としたともいえよう。
久留米市は、すでに七一年に商工会議所主催の「中国物産展」を、七二年には「久留米中国展」を催しており、早くから市民の間には中国の都市との友好交流の機運が高かった。

一九七九年六月に「中日友好の船」が博多港に入港した際に、郭献瑞副団長(北京副市長)が久留米市を訪れた。これを契機にして、市内各界代表からなる日中友好都市促進期成会が発足し、友好都市の候補選定が本格化した。

都市形態が類似していることで選定されたのが合肥市だった。久留米市は直接に書簡を送って希望を伝え、友好都市提携の申し入れをおこなった。これに駐日中国大使館も支援を表明、八〇年四月に久留米市長が招請に応じるかたちで合肥を訪れて協議し、合意をみた。

そして八〇年五月一二日、合肥市からの友好訪問団を迎え、団長の魏安民市長と近見敏之市長が友好都市提携の議定書に署名した。市民約一三〇〇人が見守る式典会場(石橋文化ホール)で友好旗を交換し、友好都市宣言をおこなった。

久留米市は、筑紫平野の中心にあり、自然の恵みを活かした独自の文化や産物を築いてきた拠点都市である。江戸以来の絣、足袋、ゴムなどは地場物産を超えて近代化のなかで産業化された。また近代に画家の青木繁、坂本繁次郎らを輩出したことでも知られる。市町村合併で人口が約三〇万人となり、中核市をめざす。

主な友好交流は、両市の代表団の相互訪問をはじめ、都市建設・農業・教育・環境などの行政交流、技術研修生の受け入れ。孔雀(久留米)と丹頂鶴(合肥)といった動物交流、美術展・歌舞団公演などの文化交流。小学校同士の友好学校、中学生相互派遣、サッカー、卓球など青少年・スポーツ交流。さらには日中友好協会や各種市民団体同士による民間交流など、さまざまな分野での友好達成の努力が、着実に積み重ねられている。 

二〇〇五年は二五周年に当たった。記念式典は〇五年一〇月に合肥市で実施された。式典・植樹のほか、「合肥―久留米友好美術館」での合同美術展、新装なった長江大劇場での市民吹奏楽団と市歌舞団による合同公演がおこなわれた。江藤守國市長と郭万清市長が新協議書を交わし、両市は各分野での交流を深めていくことになった。(二〇〇八年九月・堀内正範)