友好都市・風土が絆-環境保全と観光立市 

環境保全と観光立市  

熊本市と桂林市(広西壮族自治区) 

山水画のふるさと―桂林。

四方を奇峰奇岩に囲まれて漓江はゆったりと南へ流れる。桂林から九〇キロ下流の陽朔までの漓江は、山と水が織り成す独特の美しい景観を楽しむ中国有数の観光名勝である。

桂林市は、八二年に指定された第一回の「国家歴史文化名城」二四カ所のひとつである。秦始皇帝によって桂林郡が置かれ、明清時代は広西地域の中心 (省会)であった。一九四〇年に市制に。四四年には一時、日本軍に占領されたこともある。広西壮族自治区の東北部に位置し、市の中央を漓江が流れる。郊外二八キロに桂林両江国際空港があり、各都市と結んでいる。桂林動物園ではパンダに出会える。もちろん市の樹も市の花も桂である。人口は約四八〇万人。

熊本市は、九州の中央に位置する城下町である。一六〇七(慶長一二)年に加藤清正が現在地に熊本城(隈本を改めて熊本に)を築き、その後は細川氏が肥後藩主となって、学問好きで剛直な「もっこす気質」を育てた。藩校時習館は一七五四(宝暦四)年の開設。明治期には五高に加納治五郎、小泉八雲、夏目漱石が着任したことで知られる。徳富蘇峰も活躍した。これまで市議会は、「森の都」「地下水保全」「健康」「平和」「環境保全」「スポーツ」「観光立市くまもと」といった都市宣言をおこなって市民活動の指針としている。国際交流会館が中心になって、情報サービスや留学相談、在住外国人と市民の交流の場を提供している。人口は六七万人。

熊本市と桂林市との友好都市提携は、熊本市の市制九〇周年に当たる一九七九年を機に友好都市締結についての機運が市議会、市民に高まり、五月に「中日友好の船・明華号」で来日した廖承志団長(中日友好協会会長)から、桂林市との提携提案がなされて、「長い歴史と風光明媚な景観」をもつ都市同士ということで、実現へとむかった。

さっそく七月には熊本市の先遣団が協議のために桂林へとんだ。そして一〇月一日には、熊本市へ桂林市革命委員会の梁成業主任(市長)を迎えて、熊本市の星子敏雄市長との間で友好都市提携の調印にこぎつけたのだった。

その後の友好交流では、熊本市からの「市民の翼」訪問団がすでに二三〇〇人に及んでいることからも、桂林の観光地としての魅力が知られる。おもな合意事項としては、地球環境保全にむけた取り組み、観光協力、文化交流による相互理解、それに高校生・留学生の相互派遣などがある。

二〇〇四年は提携二五周年に当たった。新たな交流内容を協議するために、八月に幸山政史市長らの代表団が桂林市を訪れて、王躍飛市長と覚書を交わした。九月には熊本市で「桂林週間」を催し、映像、展示、文化体験、民族音楽などによって桂林市の現況を紹介した。

両市の友好交流の成果として、合作映画「チンパオ」(陳宝的故事。中田新一監督)がある。九九年に平和友好条約締結二〇周年を記念して制作され、全国巡回で放映された。大戦さなかの桂林が舞台、一頭の子牛をめぐる熊本出身の軍曹と少年陳宝との物語である。戦場の村で軍曹も牛も陳宝も死ぬが、最終シーンの漓江の水田で働く農民と牛と子どもの笑顔は、平和のシンボルとして生きつづけることとなった。(二〇〇八年九月・堀内正範)