友好都市・港が絆-海外に扉を開く自立都市

海外に扉を開く自立都市

福岡市と広州市(広東省)  

「南大門」の称があるほど、広州市は開放的な港湾都市として栄えてきた。福岡市・広州両市ともに首都とは遠く離れた地にありながら、古くから海外への門戸を開いて独自の発展をしてきた大都市である。同じ経緯をもつことから福岡市による友好都市提携への取り組みも早かった。 

すでに一九七二年には福岡市議会が、友好都市の相手として広州市を決定し、「広州交易会」の折りに市長の親書を届けている。それ以後も、往来のあるたびに友好都市提携への交渉がなされた。
そして広州市から楊尚昆市革命委員会主任(市長。後の国家主席)を迎えて、進藤一馬市長との間で友好都市提携の調印式がおこなわれたのは、七九年五月二日、全国で一〇番目、北九州市・大連市の調印の翌日のことだった。

友好交流は多彩である。さっそく広州動物園から二頭のパンダを借り受けて公開(八〇年)し、翌年お礼に子どもたちが喜ぶジェットコースターを贈呈した。
市友好訪問団はもちろん、都市建設、教育、医療衛生代表団の派遣などの行政交流、「アジア太平洋都市サミット」での多都市間交流、「広州旅遊博」への出展、「女性の翼」や弁論大会、少年野球といった民間交流や学校提携など。福岡は海外の七市と広州は一五市と友好関係を持っているが、とくに両市の交流は古き良き朋友として、新たな創造をめざして推進されている。

広州市は、広東省の省都で、華南地区の中心都市である。二八〇〇年を越える歴史をもつ。粤菜は広東料理、粤劇は広東方言の地方劇だが、海外の華僑にも人気がある。近代革命でも重要な役割を果たしている。
一九二一年、孫文はここで非常大統領の就任式をおこなった。その官邸の跡地に、孫文没後の三一年、広州市民と海外華僑が資金を集めて建設したのが「中山記念堂」である。
湾口で香港と澳門に接している。春秋二回の「広州交易会」には一〇万人を超えるバイヤーが訪れる改革開放の先進都市として知られる。上海市、北京市に継ぐ第三位の経済力を誇る。わが国の自動車メーカーもここに集中進出している。人口は約七二〇万人。

福岡市は、北は玄海灘に臨み、博多湾を擁する九州の中枢都市である。「日中交流二千年」が福岡から始まったといわれるのは、西暦五七年に後漢の光武帝劉秀から与えられた倭の奴国王の金印(国宝)が、江戸時代に博多湾で発見されたことが実証しているからである。東アジアの主要都市を結ぶのに最適の位置にある。入国外国人は年間約四〇万人で、七割がアジア地域から。福岡アジアビジネス特区に認定されている。福岡アジア文化賞や福岡国際マラソン大会は有名である。人口は約一三八万人。

 二〇〇四年は友好二五周年に当たった。九月二三日に広州市で、張広寧・山崎広太郎両市長が会見し、経済、物流をさらに強め、観光、スポーツ、青少年などの市民交流をいっそう進める新たな覚書に署名した。

福岡市には「二一世紀新中華街」構想がある。二〇〇〇年に及ぶアジア各地との独自の交流は、倭の奴国の遣いからはじまり、中世の「大唐街」(初の中華街)などの経緯を経て、一九八九年の「アジア太平洋博覧会」(三七カ国・地域、二国際機関が参加)につながり、さらに二一世紀には、アジアのビジネス交流拠点としての「二一世紀新中華街」が求められるというもの。(二〇〇八年九月・堀内正範)