友好都市・歴史が絆-友誼万年を願う鐘の音

友誼万年を願う鐘の音

長野市と石家荘市(河北省) 

長野県の「県民の翼訪中団」(団長西沢権一郎県知事)が河北省の省都である石家荘市を訪れたのは、一九七七年のことであった。訪れた一行が驚くほどに実感したのは、まちの立地条件や気候がたいへんよく似ており、果樹(リンゴや梨など)が目立ち、さらには善光寺に対して隆興寺があるなど、類似点の多いことであった。かつて長野県出身の兵士が駐屯していたところ(三七年に日本軍が占領し華北の重要拠点となった)であり、接触するまでは一抹の不安があったが、暖かく迎え入れられたことにも感激した。

その後、まず友好都市として長野市と石家荘市をという希望を中日友好協会(廖承志会長)に伝え、長野市とともに日中友好協会長野支部も仲介役として提携に尽力し、全市あげての活動となった。

石家荘市から賈然市長らを招待して、柳原正之市長との間で友好都市締結の調印式がおこなわれたのは、八一年四月一九日のことで、
「相隣一帯水 友誼万年春」(石家荘市からの友好旗)
の思いをともにしたのだった。

長野県と河北省の県省提携も、八三年一一月に調印され、交流は安定した基盤を持つこととなった。 

石家荘市は、北京から南西へ約二八〇キロ。列車の窓外にどこまでもつづく畑で知れるように、華北平原は小麦、綿花の主要産地で、果樹栽培も盛んである。西に連なる太行山脈のふもとに位置し、河北省の省都として政治、経済、文化の中心となっている。京広線(北京・広州)と石太線(石家荘・太原)が通じ、北京からは高速道路が完成している。人口は約九二四万人。

長野市は、善光寺(国宝)の門前町として古くから親しまれてきた。とくに九八年の冬季オリンピックとパラリンピックの成功は「世界に開かれたまちNAGANO」としての知名度を高める契機となり、その後も国際会議やスポーツ大会など、さまざまな国際交流活動の舞台を提供してきた。人口は約三八万人。

友好都市提携以後の両市の交流は、友好代表団の相互訪問、市民や中学生訪中団の派遣、視察団・各種研修生の受け入れなどの人的交流のほか、レッサーパンダとチンパンジーとの動物交換もおこなわれ、子どもたちの人気者になっている。九八年の「長野オリンピック国際協力募金」には、市内の企業や民間団体などからの募金やTシャツなどの販売収益やテレホンカード販売などで、二億四〇〇〇万円余が集まった。その中から友好都市の石家荘市には小学校三校の建設費が贈られた。

二〇周年の二〇〇一年には、蔵勝業市長と塚田佐市長が相互訪問した。石家荘市からは、記念に戦国時代中山国の装飾武器をかたどった「山形器」が贈られ、長野市からは善光寺の鐘を模した「友好の鐘」を贈った。

〇五年四月一四、一五日には、戦後六〇年の節目を記念する「第一〇回日中友好交流会議」が、長野市で開かれた。両国の各地から参集した人びとは、悠久の平和を願う善光寺の鐘の音と市民の歓迎を受けたのだった。

 〇八年は河北省と長野県の省県提携から二五周年に当たった。五月一九日、石家荘市の河北会堂で、胡春華省長代理と村井知事が会談、大学・短大の交流促進に関する覚書を交わした。〇九年四月から長野県短大卒業生が河北大学に編入できることになる。(二〇〇八年九月・堀内正範)