丈人論―「エキスポS65+ シニアの祭典」を迎えて<1>―

◎みんなが楽しめる「シニアの祭典」
11月15日~17日の開催にむけて、「エキスポS65+シニアの祭典」の展示会、フォーラム、ウオーキング用それぞれの広報パンフレットができあがりました。先後しますから目に止まる時と場は異なるでしょうが、おおかたは興味深く受け止められているようです。フォーラム、ウオーキングは個別ですが、中心となる展示会用は「総合パンフレット」(4つ折り、B5仕上がり)になっていて、これが多く出回り、会場に持参して割引用になります。
こういう時節ですから、意図どおりの反応でない批判や疑問もあります。そのひとつに「元気な65歳以上のあなたのための祭典」というのだから高齢シニアだけが対象で、60歳になったばかりの団塊世代の人や子どもや孫たちはおよびでないのか、というものです。主催者としては、孫をつれて、子とともに、夫婦でもよし、仲間同士でもよし、もちろんひとりでもよし、それでも主体になるのは65歳+の人びとであってほしいという願いをこめた呼びかけにちがいないのです。
善意で使う「みんなのため」は、主体者を示さないために力にならない例にこと欠きません。新世紀での高齢化社会を予測して、国連は1999年を「国際高齢者年」と定めて、「すべての世代のための社会をめざして」をテーマにしました。21世紀初頭に高齢期を迎える人びとに「高齢者意識」を求めなかった“国連の善意”は、実際の活動を強めることに向かいませんでした。
平成7年(1995年)に成立した「高齢社会対策基本法」の前文は名文です。
「我が国は、国民のたゆまぬ努力により、かつてない経済的繁栄を築き上げるとともに、人類の願望である長寿を享受できる社会を実現しつつある。今後、長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会の形成が望まれる。そのような社会は、すべての国民が安心して暮らすことができる社会でもある」
これは当時の国民の声の表現なのですが、だれがどうするかの指摘がない主体者不在の名文なのです。みんなが安心して暮らせる社会をつくるための「元気な65歳以上のあなたのための祭典」であり、みんなで集って「新感覚のライフスタイル」を考えてほしいという願いがこめられた呼びかけなのです。
「総合チラシ」の表紙は、イベント対象となるシニア代表のご夫婦によるカバー写真。秋の昼近い明るい野にふたりが立っている。視線の先で見ているもの(未来)はすこしずれていても手でしっかりとつないでいる。女性のスカートの藍色をうすく遠く引いたバックの群青色の背景はやさしい。白抜きのキャッチ「知らなかった、こんなイベントがあるなんて!」もそのとおりでいい。
とくに新聞折り込みでこの「総合ちらし」に出会ったら、上に述べたように「わが国の高齢社会」を築き上げるためには65歳+のみなさんの意識的な活動があってはじめて達成に向かうのだという、主催者から主体者への熱い呼びかけだと理解してほしい。みんなが安心して暮らせる社会を実現するための「元気な65歳以上」に対する呼びかけであって、本意はみんなの祭典なのです。それもあって3日目の17日は「三世代交流」を企図した構成を試みています。
ご夫婦でもよし、仲間同士でもよし、孫をつれても、子とともにでもよし、ひとりでぶらりでもよし。このパンフレットを手に、みんなが楽しめる「幕張メッセシニアの祭典」に出かけてほしいのです。(次は11月5日)
「S65+」ジャーナル 
堀内正範(カンファレンス・スーパーバイザー)