友好都市・港が絆-環境国際協力に友好の成果

環境国際協力に友好の成果

北九州市と大連市(遼寧省) 
 
産業の発展と引き換えに「灰色の空」と「生物がすめない海」という公害に直面していた六〇年代の日本の都市。北九州地域もそのひとつだった。同じ課題をもつ門司、小倉、若松、八幡、戸畑の五市が対等合併をして一九六三年に北九州市が発足した。九州の最北端に位置する日本有数の工業・港湾都市の誕生である。

北九州市はそれから四五年、市民、企業、大学および行政が一体となって、公害克服に努めてきた。その過程で蓄積したさまざまな技術や経験は、現在おくれて公害問題に遭遇しているアジア地域の諸都市に、環境国際協力として積極的に活かされている。「東アジア(環黄海)都市会議」を提唱し、推進している。

大連市は、遼東半島の南端に位置して、西は渤海に、東は黄海に面している。北には広大な中国東北地域が広がっており、「中国東北の窓口」として重要な役割を果たしてきた。一九世紀末にロシアによって港湾建設がなされ、一九〇五年の日露戦争による日本占領後は、大連と呼ばれて港湾、鉄道、工業の開発・整備が加速されて、都市の形態が整った。そのころの市街や建物が多く利用されている。

四九年の新中国建国後に旅順と金州を合併して旅大市となったが、八一年に再び大連市に。外資系企業も多く、東北地区随一の経済都市となっている。毎年五月の「アカシア祭り」が有名で、同時に開かれる「中国大連輸出商品交易会」とあわせて、世界各地からの訪問客で賑わう。

また大連市は中国有数の工業都市であり、八〇年代の急激な工業化や都市化により、大気汚染や水質汚染、廃棄物処理などの深刻な環境問題に苦慮することとなった。漁業も盛んでとくにホタテやウニなどの養殖がすすんでいる。

都市形態が類似していることから、北九州市が大連市との提携を希望して両市が友好都市となったのは、七九年五月一日だった。北九州市に友好訪問団を迎え、崔宋漢市革命委主任(市長)と谷伍平市長が議定書に調印して成立した。全国で九番目だった。

九三年、北九州市が大連市に提案した「大連市環境モデル地区計画」の開発調査は、地方自治体レベルの協力としてはじめて政府間ODA案件となり、国と自治体が共同して取り組む画期的な事業となった。

中心市街地をモデル地区として、総合的な環境改善対策をおこない、大連市の環境は大幅に改善された。二〇〇一年には国連環境計画(UNEP)から「グローバル500」を受賞し、同年に中国政府から北九州市長に「中国国家友誼賞」が贈られている。北九州市は、国連の同賞を九〇年に受けており、友好都市同士の受賞は世界で初となった。

「北九州市との環境パートナーシップにより青い空をとりもどした大連市」

として国際的に評価された。
提携後の主な交流は、友好港締結、「東アジア(環黄海)都市会議」の開催、「大連ファッション祭」(毎年九月)への参加、北九州博覧会にパビリオン参加、研修生交換、環境技術ビジネス交流、大北亭(三周年に建設)や国際友好記念図書館(一五周年に開設)、クルージング(二〇周年)など。
〇四年五月の二五周年は、両市の市民交流団が相互に訪問して祝った。

「世界の環境首都」をめざしている北九州市は、市民と一体となって環境国際協力に取り組んでいる。途上国からの研修員の受け入れは、約九〇カ国一〇〇〇人に及んでいる。(二〇〇八年九月・堀内正範)