友好都市・動物の絆-金絲猴が結んだ古城の町

金絲猴が結んだ古城の町

犬山市と襄樊市(湖北省) 

中国でサルといえば「金絲猴」である。金色の毛並みをし、孫悟空を連想させる面がまえのサルとして人気がある。パンダやトキとともに国家の一級保護動物である。

日中友好のシンボルとして、
「ニホンザルと交換して贈呈を受け、犬山で飼育できないか」
一九八〇年当時、犬山市のモンキーセンター動物園長だった小寺重孝さんもそう考えたひとりである。金絲猴は湖北省の山地に生息している。そこで犬山市はまず湖北省政府と交渉することになった。
松山邦夫犬山市長と小寺重孝園長ら代表団は、八一年六月に湖北省武漢市を訪問し、初めて金絲猴と対面した。そしてサルの交換飼育とともに都市同士の友好も必要とあって、犬山市にふさわしい都市として、湖北省政府から襄樊市の紹介を受けたのだった。こうしてふたつの「古城の町」同士の友好は、金絲猴を介して始まった。

犬山市は、名古屋から北へ二五キロ、木曾川の流れに古城が映える緑豊かな町である。人口は七万余。「犬山城天守閣」は国宝である。城多しといえども国宝は四つしかない。姫路城、彦根城、松本城、そして犬山城である。市内には織田有楽斎にちなむ茶室「如庵」(国宝)もある。
それとともに霊長類研究では世界レベルの京大霊長類研究所があり、七三種六〇〇頭を管理するサル動物園「日本モンキーセンター」でも知られる。犬猿の仲というが、犬山ではイヌにも増してサルはたいせつに飼育されている。

襄樊市は、湖北省の北西部、長江にそそぐ漢水の中流域にあって、右岸側の襄陽と左岸側の樊城とからなる。二八〇〇年の歴史を誇る「歴史文化名城」である。襄陽と樊城といえば、いくつかの三国志の名場面を思い浮かべる人もあるだろう。戦陣に立てずに「脾肉復生」(脾肉復た生ず)を嘆いていた劉備玄徳が、左岸側の新野から漢水を渡って、襄陽郊外の隆中に隠れ棲んでいた諸葛孔明を「三顧草盧」する姿が思い浮かぶ。また樊城に立てこもる魏の曹仁を、蜀の英傑関羽が攻略する場面も捨てがたい。
内陸の中核都市として、産業面では紡績のほか自動車、医薬、建材などの工業が盛んである。鉱物資源も豊かで、農業は野菜、小麦、胡麻などのほか、米、酒、茶といった特産品もある。人口約六七〇万人。 

金絲猴の飼育と研究への犬山市側の要望が進展をみないうちに、両市の関係者による親善・視察訪問があって、友好都市提携の話のほうが先に進んだ。八三年三月一三日、王根長市長ら襄樊市友好代表団を迎えて、犬山市役所で提携の調印式が行われた。
そして八五年三月、「金絲猴の日本初公開は犬山で」という中国側の配慮により、襄樊市が「宝宝」と「珍珍」を貸し出すという形で、「金絲猴初展覧」が実現した。三月~六月の会期中に、犬山市のモンキーセンター特設金絲猴園には、六〇万人がつめかけた。

友好交流のあたっては、襄樊市が内陸都市であるために、沿海都市に比べればお互いの往来はきびしい。が、両市友好代表団の相互訪問、市芸術団や青少年武術団、動物、義歯技工、行政ほかの研修生の来訪などが地道に続いている。

二〇〇三年の締結二〇年には、友好代表団が来訪し、市の花樹であるサクラとサルスベリを植樹した。
遠くない将来、両国の優れた研究者・飼育者のもとで金絲猴が親善大使として日本に常駐するとなれば、どこよりもやはり犬山市が最もふさわしい。(二〇〇八年九月・堀内正範)