管直人首相は、「一定のめどがついた段階で若い世代のみなさんに責任を引き継いでいただきたい」といい、辞任後には「お遍路」をとまでいった(6月2日、「菅内閣不信任決議案」の採決直前の民主党代議士会)。高齢者のみなさんはあきれたにちがいありません。
首相として何よりの資質の欠落は、現場で何かを成し遂げえなかったことではなく、震災後すみやかに政界あげて国難に当たる体制をつくれなかったことにあります。そして合わせて同世代の60歳代の仲間の力を期待しなかったことにあります。
菅氏は昭和21(1946)年10月10日生まれですから、堺屋太一さんの同名の本から話題にされた「団塊の世代」(昭和22~24年生まれ、約700万人)にははいっていませんが、しかし戦後生まれ(本欄では昭和21~25年生まれを「平和団塊」と呼ぶ。約1000万人)を代表する政治家のひとりです。昭和22年には鳩山由起夫、23年には舛添要一、24年には海江田万里、25年には塩崎恭久氏などがいます。
この戦後生まれ(平和団塊)世代を差し置いて、なぜ若い世代に引き継がせようとするのでしょう。同世代の仲間や先輩に謝罪して退くならまだしも、政界若年化を推し進めるようでは「日本(高齢)社会」の実態をまるで理解していないことの証です。こういう発言は、国際的に注視されている「超高齢社会・日本」の首相としては無責任きわまりないものなのです。
そのうえでさらに「お遍路」にとは、あきれます。首相という責任ある立場からなら、「身軽になったらまず被災地にとんでいく」というのが指導者の本音であって当然でしょう。
菅首相発言は「二重の失格」です。(6月5日記)
そういう話をしたところ、知人のご僧侶が、「お遍路というのは人にいってするものではありません」といわれた。そのとおりで、菅さんの発言はさらに失点を重ねたことになる。将相のことばは「一言九鼎」といわれる。国のシンボルとされる鼎の重さに匹敵するという。日本の首相として、あまりに軽すぎる。(6月8日記)